歌劇「ウィリアム・テル」序曲の「スイス軍隊の行進」は多分誰もが一度は聴いたことがあるのかもしれないですね・・(笑)

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以前のクラシック音楽カテゴリの記事の中で、
「クラシック音楽に全然興味が無く普段からその種のジャンルの音楽を全く聴かない方でも
一度ぐらいはこのメロディーどこかで聴いたことがあるのかも・・」と感じる曲の代表例が
A.ハチャトゥーリアンのバレエ音楽「ガイーヌ」~剣の舞なのかもしれない」といった事を書いたと思うのですけど、
これにもう一つ付け加えると、ロッシーニの歌劇「ウィリアム・テル」序曲の「スイス軍隊の行進」という個所は
多分ですけど100人いけば95人程度は「あ・・この曲どこかで聴いたことがある!」と感じるのかもしれないと
思います。
特に昭和育ちの皆様ですと(汗・・)
1980年代のフジテレビ土曜日のPM20:00から放映されていた「オレたちひょうきん族」のオープニングトークの
BGM音楽としても使用されていましたので、多分ですけどそれでこの「スイス軍隊の行進」の部分だけはやたらと
有名になったような気もします。
ロッシーニの歌劇「ウィリアム・テル」序曲の冒頭の結構シリアスで陰鬱なチェロによる出だしは知らなくても
あのいかにも「ひょうきん」とか「明るい」「とか「快活」という雰囲気のあるフランス軍隊の行進のトランペットのファンファーレは
かなりインパクトがあるように思えますよね!(笑)

オレたちひょうきん族というと、林真理子大先生はこの番組がお気に召さなかったようで(汗・・)
そのエッセイの中で「土曜の夜に女の子とデートも出来ずに自宅でオレたちひょうきん族を見ている男たちはサイテーである」
みたいな事を書かれていたような記憶もありますが、そうですね・・・それに関しては
「お前が言うなー!」という感じなのかもしれないですね・・(汗・・)

歌劇「ウィリアム・テル」序曲はイタリアの作曲家、ロッシーニの作品なのですけど、
ウィリアム・テル(実際は”ギヨーム・テル”というのが’正しいそうです)は、
オーストリアからのスイス独立時の伝説上の英雄です。
この歌劇の粗筋とか物語の背景を語ってしまうとこの記事が終わりそうにも無いので割愛をさせて頂きますが
子どもの頭にあるリンゴを弓矢で射抜いたシーンは大変良く知られた場面なのだと思われます。
スイスというと今現在では「世界的に大変珍しい永世中立国を国是とした国家」というイメージが大変強いと思うのですが、
国家としての独立を勝ち取るには色々と血腥い歴史があるのだ・・という事を示唆する歌劇と言えるのかも
しれないです。

歌劇「ウィリアム・テル」序曲は約11分前後の曲なのですけど、曲自体は4つの部分から構成されていて
大変イメージがし易いと思います。

1.第1部「夜明け」 

  チェロの独奏の5人によるアンサンブルから開始されますけど暗い雰囲気が大変印象的です。
  独立前のスイス人民の抑圧されている状況を暗示しているのだと思われます。
  (東京佼成による吹奏楽アレンジ版ではこのチェロの部分はバスクラソロとして置き換えられていたのが印象的です)
2.第2部「嵐」 

  強風から暴風雨に至るさまが描写されます。この部分はフルオーケストラで強奏され、かなり盛り上がります。

3.第3部「静寂(牧歌)」 

  コールアングレとオーボエの会話を交わし合うような穏やかな流れなのですけど、
  特にコールアングレの美しい響きが大変胸に染み込みます。





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4.第4部「スイス軍隊の行進」 

 トランペットによるファンファーレに導かれて金管セクションが大活躍をします。
 ギャロップ調の行進曲の繰り返しを経て次第に高揚し盛大なクライマックスでこの序曲が華やかに閉じられます。

やはりこの序曲は誰が何と言ってもスイス軍隊の行進が大変有名ですよね!
あのトランペットのファンファーレを聴いて「オレたちひょうきん族」を連想される方は立派な昭和育ちなのだと
思います・・(汗・・)
ちなみにこのスイス軍隊の行進を見事に自作に引用と言うのかパロディー化させた交響曲も存在します。
それがショスタコーヴィッチの最後の交響曲でもある交響曲第15番第一楽章なのですけど、この謎めいた交響曲には
結構執拗にこのスイス軍隊の行進の旋律が引用されるのですけど、あの雰囲気はロッシーニの原曲とは異なり
いかにもショスタコらしい謎めいたヘンな空気に満ちていると思います。

このロッシーニの歌劇「ウィリアム・テル」序曲は分かりやすくて親しみやすいという事で、よくクラシック音楽の演奏会で
「ファミリーコンサート」のように小さいお子さんを意識した際のプログラムでも結構選曲されやすいと思いますし、
特にあの例の第四部の「スイス軍隊の行進」は演奏会で演奏しても子供さんのウケは大変宜しいようにも
思われます。

そうした意図なのか、この序曲の中から「スイス軍隊の行進」だけを抜粋して管弦楽団の演奏会のアンコール曲として
演奏される事もあるようです。
私が過去に聴いたスイス軍隊の行進をアンコールとして演奏した指揮者の中ではジャン・フルネが大変強く
印象に残っています。
フルネは既に故人なのですけど、私が最後にフルネの指揮による演奏を聴いたのは1999年の都響の演奏会で、
当時フルネは既に90歳を超えていたのですけど、
約2時間の公演をパワフルに指揮されていて「人間は年齢だけではないね・・」という事をすてきに立証されていたと
思います。

クラシック音楽の世界ですと、演奏者はやはり若い世代の方がパワーや元気があるし
感性も豊かで聴いていて面白い感じもします。
年配になると、評論家の先生達も高齢者に配慮してなのか(?)
「円熟の極み」とか「ベテランの芸」とか言ってお茶を濁しているような気も
するのですが、明らかに「年のせいで反射神経が落ちている」と感じる演奏にしばしば
お目にかかったのも事実ではないかと思います。

指揮者になると結構違ってくるのかなとも思います。

指揮者にとって大切なのは「経験」なのかもしれないです。
若い頃は、自分一人の感性でグイグイ押してきたのが、年と経験を重ねてくると
バランス感覚とか、オーケストラのメンバーとの人間関係のありかたなどによって
大分変わってくるのかもしれませんね。
そうした意味においても上記のフルネの90歳を超えてもあのパワフルさは素晴らしいと感じますし、
私自身が最後にフルネの指揮を聴いた際の演奏曲目の一つが大変長大な大作のベルリオーズの幻想交響曲
でしたけど、90を過ぎてもあの若々しい感性と的確な指揮には当時大きな感銘を受けたものでした。
(その演奏会では前半の曲にオーボエ協奏曲が演奏され、そのソリストが幻想交響曲においても
楽器をコールアングレに持ち替えて幻想交響曲第三楽章・野の風景のソロも担当させていたのは
 管弦楽の演奏会では大変珍しい事でもありましたので大変強く印象に残っています・・)
当時フルネは既に90歳を少し超えていましたが、指揮振りは年をほとんど感じさせないもので、
2時間近い演奏会をこなすだけの体力も気力も充実していたと思います。
何よりも演奏の感覚が若いことに驚かされました。
ベルリオーズの幻想交響曲も、どちららかというと、猟奇的な解釈を取り「おまえら、このまま地獄に堕ちてしまえ!」みたいに
指揮壇から喚いているような感覚さえ感じたものでした・・・

ああいうすてきな年の取り方が出来れば最高だよね・・とも感じてしまうような指揮振りだったと思います。
(この数年後に引退公演を迎えられ、その本の数年後に彼岸の彼方のお方になられました・・)

そしてこま幻想交響曲がメインの演奏会のアンコールで演奏された曲が
ウィリアム・テル序曲のスイス軍の行進だったのですけど、
この日の聴衆は昭和育ちの皆様が多いせいか(?)、「オレ達ひょうきん族」のあの例のオープニングを思い出された方が
多かったせいなのか(?) あの例のトランペットのファンファーレが響き渡ると同時に
サントリーホール内の客席の至る所から失笑というのか笑い声が沸き起こっていたのは大変印象的でした。
客席から見た限り、あの時のフルネは「え・・? なんか私ヘンな事しました・・?」みたいな微妙な反応と言うのか
戸惑いの雰囲気を全身から感じさせていたのは大変印象的でした・・

フルネが日本フィルを振った時の話ですけど、
フルネとしては、演奏に満足がいかなかったせいもあると思うのですが、
打楽器セクションの横に、その日のプログラムでは使用するはずがないプロヴァンス太鼓がこっそり置かれていましたので、
「ははーん、この日のアンコールは、アルルの女からファランドーレの踊りかな?」と予想していたのですけど、
なぜかこの日のフルネは機嫌が悪そうに早々に引き揚げてしまいましたので、
この日のアンコールというのか「ファランドーレの踊り」は聴く事が出来ませんでした・・(泣)

こういう事もたまにはあるものなのですね・・

余程当日の演奏会のオーケストラの出来栄えに不満足だったと言えるのかもしれないですね・・・
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