ちょっとした自画自賛の自慢記事です・・・(汗・・)
うちのブログは吹奏楽・プリキュア・東方Projectの3カテゴリをブログとしての根幹と位置づけ、
現在ではここに艦これも入ろうとしている感じでもあります。
そして特に東方と艦これにおいて、いつも大変お世話になっているのが
dream fantasy のすてきな管理人さんのアミグリさんのブログであり、
アミグリさんが描かれた素晴らしいイラストの数々なのだと思います!
別に過大評価でもなんでもないのですけど、うちのブログにおいてはアミグリさんのイラストが無ければ
本当に味もそっけもない寒々とした内容のブログになっていたのは100%間違いではないと思えるだけに、
私としてはアミグリさんに対しては感謝しても感謝しきれないものがあるとしか言いようが無いと思います!
私自身、当ブログで記事を書く場合、私自身が過去に書いた記事をコピー&ペーストする事は、そりゃーもー
日常茶飯事であるのですけど(汗・・)
出来る限り他のサイトの記事とか私以外の方のブログ記事は極力見ないようにするという事を心がけるように
しております。
なぜかと言うと、ブログ記事と言うものは「自分が感じている事のメッセージ発信」みたいなものでもありますので、
出来る限り自分の考え方や意見や感じた事を自分自身の言葉で書く事が大切と思っているからに
他なりません。
だけどそうは言っても記事を書く場合、
時として「この件に関しては他の方はどのような事を言われていてどのような表現をされているのだろう・・?」とか
「この事をもっとわかりやすく伝えるにはどうすればいいのだろう・・?」と悩む事も実は多々あったりして、
そういう際に、Yahoo!等のワード検索は大変ありがたいものはあると思っています。
そしてその検索の結果、「あ・・なるほど! 」と感じてうちのブログ記事の参考にさせて頂く事も実は結構あったりもします。
だけど出来る限り「自分の感覚で自分の言葉で書く」という「私としてのオリジナル」は大事にしている
つもりであったりもします。
そうした中で、
Yahoo! 等で調べものをするために検索を掛けると、たま~にですけど自分自身の記事が引っかかり
我ながらびっくりする事があったりもします。
それは特に吹奏楽関連と東方関連に多いですね!
検索で過去に自分が書いた記事が検索上位として引っかかるという事は、もしかして、それだけ多くの皆様に
こんな拙い記事でもご覧頂けているという事なのだと思いますし、それはそれで大変ありがたい想いはありますし、
同時に「あんまりヘンな事も書けないね・・」みたいないい意味での自分に対するプレッシャーにも
なっているような感じもあったりもします。
そして我ながら自画自賛っぽくもなってしまいますけど(汗・・)
FC2以外の外部の方でも私が思っている以上にこんな妙なブログをご覧頂けている方は多いという事は
大変ありがたいことでもありますし、
dream fantasy のすてきな管理人さんのアミグリさんの
あの素晴らしきイラストをこのブログを通してご覧頂けている方もたくさんいらっしゃるという事は
少しはアミグリさんに恩返しが出来ているのかなぁ・・とたま~に自分で嬉しくなってしまう事も
あったりします・・(笑)
そうやって検索を掛けて自分自身が過去に書いた記事にヒットした場合でも、
その表示がスマホみたいな感じで出てしまうと、たまにですけど、それが過去に私自身が書いた記事である事に全く気が付かず
「えーーー、この記事書いた方って私と全く意見・感じ方・感性・感覚が同じじゃん!!
私と考えがほぼ同じこの人と一度是非是非お話させて頂きたい!」と瞬間的に思ったりすることもあったりもしますね・・(汗・・)
ま・・こういうのって結局は自己愛とかナルシストみたいなものなのかもしれないですけど、
人と言うものはやはり自分自身の感性・感覚に一番共感を感じるのかもしれないですね・・
こうした「自己愛」というと思い出す漫画の一つのシーンが山岸涼子先生の「日出処天子」の最終話直前の
話なのかもしれないです。
山岸涼子先生が描かれた聖徳太子は、本当に「妖しい」御方でもありました!
第一巻あたりから既に示唆されている厩戸皇子の「蝦夷大好き!」みたいな「男が男を愛する」と言う展開は、
最初にあの漫画を読んだ時は衝撃的なものがあったと思います。
最終巻にて、厩戸皇子=聖徳太子は、蝦夷に対して「お前が好きだぁ―!」みたいな告白をしちゃいます!
蝦夷は、そうした厩戸皇子に対して
「あなた様は、私の事を好きだと言う・・・しかし、あなたはその一方で私とあなたは一心同体みたいなものだと言われます。
それはすなわち、私という存在を通して、あなたは所詮は自分自身しか愛せない・・
それはすなわち自分が自分を一番好きだという事にしかならない」と
厩戸皇子の本質は「自己愛」に過ぎないという事を見抜き、見事に厩戸皇子の本質を看破していた蝦夷は
「さすが・・!」としか言いようが無かったと思いますし、あの場面は、まさにこの壮大な物語の白眉だったと思います。
あなたと私は同じ→あなたが私を愛するという事は同時にあなたがあなた自身が愛する事と同じことだと
蝦夷は言いたかったのだと思うのですけど、そうした蝦夷の言葉に
「私の愛は結局は誰からも報われない・・」と意気消沈した厩戸皇子=聖徳太子はその失われた愛を別の事で
補うかのように政治や外交にその後邁進していったという感じでもあるのですけど、
やはり人と言うものは孤独というよりは、一番大好きなのは自分自身である・・という事なのかもしれないですね・・
あ・・なんか妙な自画自賛記事がヘンな方向にいってしまいましたので、本記事はこの辺りで
お開きにさせて頂きたいと思います・・(汗・・)
- 関連記事
-
スポンサーサイト
今日も自分大事にしていきまっす!d=(^o^)=b