全日本吹奏楽コンクールにおいては、ピアノ・ハープ・声・歌詞を伴わないスキャットの使用はオプション扱いという事で、
原則的に使用する事は可能です。
今現在は規定により使用不可能ですけど、1980~90年代においてはヴァイオリン・ヴィオラ・チェロといった弦楽器を
管楽器編成の中に加えてもよいという大変おおらかな規定が認められていた時代もあります。
だけど実際問題、吹奏楽コンクールにおいてはヴァイオリン・チェロ等が目立って使用されていた事例は意外にも
それほど多くなかったような気もします。
というか、管楽器+打楽器という吹奏楽編成に弦楽器を加えてしまうと
「それって管弦楽と大して違いがないじゃん!」みたいな感じにもなってしまいますし、吹奏楽の指揮者・指導者の皆様は
管楽器には精通されていても弦楽器までは専門的にはよく分からない・・という人も多かったはずだから
「別に吹奏楽の編成にあえてわざわざコントラバス以外の弦楽器を入れなくてもいいじゃん」という感じだったのだと
思います。
吹奏楽コンクールで弦楽器が効果的に使用された事例としては・・
1.1982年の仙台第一高校
グローフェの組曲「グランド・キャニオン」のⅢ.山道を行くの冒頭部分にてヴァイオリンを伴奏無しの完全なソロとして
使用していたケースが最も効果的な演奏だったと思います。
仙台第一は、県大会と東北大会ではほぼ完璧で感動的な演奏を謳い上げていたのに、
全国大会ではそのヴァイオリンソロを含めて凡演で終わってしまい、
結果的に私としては
「全国であんな演奏するのだったら、花輪高校のウォルトン/交響曲第1番終楽章を普門館に響かせて欲しかった! と
いまだに思い続けています・・
2.1996年の伊奈学園総合高校
こちらは自由曲の交響詩「英雄の生涯」にてチェロをかなり効果的に活用していたのが大変印象的でした。
チェロ奏者もたしか普門館のステージ最前列に近い位置で奏でていたような記憶があります。
さてさて、吹奏楽コンクールなのですけど、規定においては原則として「声」の使用は限定条件ですけど
使用する事自体は可能です。但しコーラスとかいわゆるコーラスとか歌唱のように歌詞を伴うのは不可です。
歌詞を伴わないいわゆる「スキャット」であれば声の使用はOKとなっています。
全日本吹奏楽コンクール・全国大会にて初めて「声」が使用された事例として、
1976年の倉敷グリーンハーモニー吹奏楽団の岩井直溥作曲の「あの水平線の彼方に」がもしかして
一番最初なのかもしれないと思います。
(この点に関しては少し自信がないです・・もしかしたら76年以前に声を使用した自由曲があった可能性も
あるのかも・・?とも思ったりもしています)
岩井直溥というとポップスの大御所の先生とか「三角帽子」等の吹奏楽アレンジャーという印象も強いのですけど、
「あの水平線の彼方に」みたいな吹奏楽オリジナル曲をたまに作曲されていたりもします。
岩井直溥のそれ以外の曲としては道祖神・渚の詩・民話的詩曲もあったりしますけど、岩井直溥というと
誰が何と言ってもポップス変奏曲「かぞえうた」とかポップス描写曲「メインストリートで」とかポップスマーチ「すてきな日々」
などといったあの一連のポップス系吹奏楽コンクール課題曲の方が大変強く印象に残っています!
「あの水平線の彼方に」ですけど、
海をイメージした大編成の曲で、当時としては珍しいハープが吹奏楽オリジナル作品として入っています。
ラストのほうでは、奏者たちのヴォカリーズ(歌詞なしの歌声、つまりスキャット)も入ってきて
「声」入りの吹奏楽曲としては、やはりこの曲が先駆的というかもしかしたら日本で一番最初の吹奏楽作品ではないのか・・?と
思っています。
参考までに「あの水平線の彼方に」は岩井直溥の作品としては全国大会で唯一演奏された曲であったりもします。
77年の課題曲C「ディスコ・キッド」は序奏の後、「ディスコ!」と掛け声が掛かる演奏も一部にあったようですけど、
あれはあくまで自発的なもので決してスコアに書いてあるとか作曲者の指定という訳では無いようです。
(実際、ディスコ!と掛け声が掛からない演奏の方が圧倒的に多いと思います)
中には亜細亜大学のように盛大にほぼ全員で「ディスコ!」という掛け声が掛かり、
なおかつクラリネットのソロが終わった辺りで 「オーオー」という謎の奇声が入っていましたけど、
あれは一体何だったのでしょうか・・? 偶発的アドリブなのかな・・?
課題曲に声を入れた例として、他に印象に残っているのは
95年の浜松交響吹奏楽団のように、課題曲Ⅳ「雲のコラージュ」の終盤にヴォ―カリーズを入れていた事例も大変印象的です。
この「雲のコラージュ」は作曲者の指定により、別に楽譜通り演奏する必要もないし、楽譜に指定されている楽器以外の
ものを自由に使用して構わないという大変おおらかな曲で奏者と指揮者の自発性に全てを委ねた課題曲なのですけど、
浜松交響はラスト近くのコラール部分にヴォ―カリーズを入れていたのが大変斬新だったと思います。
あの演奏は見事な演奏で、退屈で冗漫な演奏の多かった「雲のコラージュ」の
演奏としては、トップクラスの演奏だと思います。
自由曲となると色々ありますね。
少しだけ例を挙げてみると・・
〇1989年/間々田中学校
→「シバの女王ベルキス」の第四曲「狂宴の踊り」のトランペットソロの部分を女声スキャットで代用する
〇1996年/東海大学第一高校
→スミスの交響曲第一番「神曲」~地獄篇で、足踏みと呻き声を曲中に取り入れ、相当の効果をあげていたのが
大変印象的でした!
打楽器奏者の苦悶の表情を浮かべながらの鎖をステージ床に叩きつける演出も見事でした!
〇1993年/都立永山
→「この地球を神と崇める」のⅢ.終章~エピローグにて「This Beautiful Earth」のつぶやき声を
かなり効果的に使用していたと思いますし、曲のラストで一人の女子生徒による消えるような「 Beautiful Earth・・」の
つぶやきがとても強く印象に残っています。
〇1999年/都立片倉
→「シャカタ~歌によって世界はつくられた」を自由曲として取り上げていますけど、これはちょっと反則だと思います!
これは吹奏楽作品というよりはスキャットを全面に出したという印象が大変強く、
普門館のステージで生で聴いていても「これは吹奏楽作品ではないし、スキャット作品みたいなもので
純粋に管楽器の技量のコンクールの曲としては果たしていかがなものか・・?」みたいな疑問すら感じていたものでした。
他には、1998年の文教大学が悪い意味で印象に残っています。
アーノルドの序曲「ピータールー」の後半部分にヴォ―カリーズを取り入れている事自体大変違和感がありましたけど、
アーノルドの交響曲第5番に別に原曲自体に声が全然入っている訳でも何でもないのに
なぜか第二楽章において唐突にヴォ―カリーズを入れてきてこれは正直ピータールー以上に
かなりの違和感があったと思います。
何か余計な添加物を入れているような印象があります。
また交響曲第5番も本来は、終楽章は静粛にに閉じられるのに
文教大学のアレンジでは、なぜか威勢よく終わるように改作(改悪・・?)されています。
コンクールですのでラストは派手にffで終わらせたい気持ちや意図はなんとなく理解できなくもないのですけど、
これはさすがに作曲者に対する越権行為どころではなくてアーノルドに対する侮蔑的みたいなものすら
私には感じられたものでした・・・(汗・・)
最後に、吹奏楽オリジナル曲で盛大に「声」が効果的に使用された素晴らしい最高の作品としては
ホルジンガーの「春になって王たちが戦いに出向くに及んで」なのだと思います!!
曲は色々魅力が尽きない曲ですし、視覚的にも聴覚的にも飽きがこない作品だと確信しています!
多彩な打楽器、金管群の高音域の咆哮、声を効果的に使用など
色々な意味で聴きどころ満載だと思います。
ストラヴィンスキーの「春の祭典」も、冬の間の鬱屈したモヤモヤしたものを
吹き飛ばすエネルギー感に溢れた曲と思いますが、
ホルジンがーのこの曲も、「春」のドキドキ・ウキウキ・ワクワク感を見事に実に巧みに
管楽器と打楽器と声で表現していると思います。
この曲の最大の持ち味は、その野性味あふれるダイナミックスさというのか
「生命感」が漲る「人間が本来有している本能の雄叫び」みたいなものがあちこちからこだましているようにも
聴こえます・・
とにかく、この曲の持つ圧倒的な「パワー」にはひたすら脱帽するのみ・・という感じですね!!
それとこの曲のそれ以外の特徴としては、とにかくホルンパートが極めて難易度が高いという事だと思います!
あれは完璧に「ホルン殺し」だと思います。
C.スミスの大人気曲/ダンス・フォラトゥーラが「トランペット殺し」ならば、
ホルジンガーのこの曲は、とにかく「ホルン殺し」ですね!!
とにかく、あのホルンの技術的難易度の高さ、特に特にあの超高音域・・・・
この曲を吹くことになったホルン奏者は「ご愁傷様でした・・・」と声を掛けてあげたい気持ちで一杯にもなりそうです(汗・・)
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第1楽章の冒頭部分には男声コーラス指定で、
「オーグローリーヨーザードーミーナー♪」と歌詞付き。
男性団員(パートの関係上、一部女性団員も)で歌ったことがありますが、
今のコンクールの規定だと、スキャットの範疇ではないので、
ダメなんでしょうね。
ひょっとしたらウエストサイドストーリーの「マンボ!」もだめなんでしょうかねぇ?