メキシコを描写した音楽というと一番有名なのが、A.コープランドの管弦楽曲「エル・サロン・メヒコ」だと
思うのですけど、この曲はなんとなくですけど、メキシコという国を外部のアメリカ人が感じた印象という感じも
あるのかなと思います。
(全体的には酔っ払いとかテキーラで昼間っから飲んだくれている・・みたいな雰囲気の音楽だとも思えます)
メキシコと言う国は、現在アメリカのトランプ大統領から「アメリカとメキシコの間に壁を作る!」なんて
「お前は万里の長城なのか?」みたいな時代錯誤的な事を要求されて大変困惑されているのだと思うのですけど、
あのおおらかな雰囲気とかメキシコの先住住民としてのアステカ部族など、アメリカの「インチキ臭い商業主義」とは
どこか違うような雰囲気も有しているように感じられます。
そうした雰囲気を音楽・・吹奏楽で見事に表現した曲が、オーエン・リードの交響曲「メキシコの祭り」なのだと思います。
最近全国大会で「メキシコの祭り」を聴かないな・・と思っていたら、そりゃそうですよね・・
考えてみると1988年の米沢吹奏楽愛好会の演奏以来、全国大会においては、この素晴らしき名交響曲は
第一楽章も第三楽章も一度も演奏されていません。
(厳密に言うと、 高校フェスティバルにて大西学園中学校・高等学校がこの曲でもって東関東代表として
東日本大会に出場を果たしています )
やはり名曲の真価と吹奏楽コンクールでの人気と言うものは必ずしもリンクしないという事の裏付けでもあるのかも
しれないですね・・
でもやはりさびしいものはありますね。
せめてこの素晴らしき吹奏楽のためのオリジナルとしてのこの交響曲「メキシコの祭り」は絶対に後世にまで
受け継がれて欲しい曲の一つであるのは間違いないと思います。
この曲を初めて聴いたのは、確か1981年の大塚中学校の演奏だったと思います。この時は
第三楽章・カーニヴァルを選曲していました。
当時の私は残念ながら、吹奏楽の事を実はそれほどあんまりよく分かっていなかったですので、
「メキシコの祭り」のオーエン・リードと、アルメニアンダンス等でお馴染みのあの巨匠、アルフレッドとリードを混合していたのは
何か懐かしい思い出でもあったりします・・(汗・・)
だけどオーエン・リードとアルフレッド・リードを同一人物と勘違いしている人は私以外でも何人かいましたので、
そんなに恥ずかしい事ではないのかもしれないですね・・(笑)
この曲は、三つの楽章から構成されています。
Ⅰ. 前奏曲とアスティックダンス
Ⅱ . .ミサ
Ⅲ. カーニヴァル
コンクールでは、Ⅰを選曲する事例が大変多いです。
Ⅰ.前奏曲とアスティックダンス
冒頭がいきなりチャイムの乱打・ホルンの雄叫びと
ティンパニ・大太鼓・スネアドラムの強打から開始され、この部分だけでも相当のインパクトがあります。
前半部分は、祭りが始まる前夜~夜明けをイメージしたものと思われますが、
結構夜が明けるまで長いような感じもします。
この第一楽章は10分程度の曲なのですけど、冒頭から夜が明けるのに6分程度も掛かっていますので、
「なかなか夜明けがやってこない・・」みたいな雰囲気もあるのですけど、後述しますがバンダによって夜明けのイメージの
部分が開始され、祭りが始まるとあとはクライマックスに向けての熱狂的な踊りが展開されていきます。
夜明け・・そして太陽が昇り、祭りが始まるシーンは、
舞台裏から「バンダ」(別働隊)として奏でられるトランペット・トロンボーン・クラリネット・大太鼓・シンバル・小太鼓の
ミニ楽団によって演奏され、舞台裏から聴こえてくるという事で、
遠くから祭りのざわめきが聴こえてくるというイメージなのかもしれません。
このバンダ演奏部分の際は、舞台の本隊の楽団の方は奏者は全員お休み状態です。
後半は、エキサイトなダンスシーンです。
ティンパニとトムトムの掛け合いが非常に面白いし、ティンパニーのソロが実に決まっていて格好いいと思います。
あの部分のティンパニ奏者は気分爽快だと思います。
曲は一気に駆け上がって終わるのですが、その終わり方もffで終わるのではなくて、
最後にドラがゴーーーンと壮大に鳴り響き、その余韻と共に静かにとじられていきます。
こうした曲のラストでドラがゴワワワー―――ンと鳴り響き、その余韻で閉じられていくというパターンは、
管弦楽曲ですけど、レスピーギの交響的印象「境界のステンドグラス」~聖天使・大ミカエルでも使用されていたりもします。
Ⅱ.ミサ
この楽章は「祈り」と記されるプログラムもありますが、私としてはミサと言う方がなんとなくミステリアスな雰囲気が
ありそうで好きです。
この楽章は、第一楽章の興奮をそのまま引きずったように、冒頭からチャイムが鳴り響き、
金管楽器の大音量的コラールで始まります。
だけど盛り上がるのはこの部分だけで、あとは終始ゆったりとした音楽が展開されていきます。
メキシコというとカトリック教徒が多い国でもあったかとは思うのですけど、そうした教会での厳粛なミサを挙行し、
信者たちが荘厳な祈りを捧げているみたいな厳粛な雰囲気は感じられます。
そしてこのⅡの「ミサ」を人間の「聖なるもの」とすると、続くⅢの「カーニヴァル」はまさに人間の「俗なるもの」なのだと
思います。
Ⅱの静粛で厳粛な雰囲気で、少しストレスが溜まったものが、次のⅢのカーニヴァルで一気に爆発し、
人間の欲・快楽・バカ騒ぎが炸裂しまくります!
Ⅲ.カーニヴァル
この交響曲のラストを飾るのに相応しい楽しさ満載のノリノリな楽章です。
冒頭は、何となくストラヴィンスキーのバレエ音楽「ペトルーシュカ」第四場の冒頭に
何となく雰囲気が似ているような気がするのは多分気のせいなのでしょうね・・・(汗・・!)
だけどこの楽章は、奏者も指揮者も大変だと思います。
このリズム感をどう正確かつエキサイトに演奏するかは非常に難しいものがあると思います。
終始三拍子系なのですけど、ビートの躍動をどう表現するか指揮者の技量がストレートに出そうな気もします。
結構マリンバが終始大活躍していますけど、マリンバ奏者も相当のハイテクニックが求められそうです。
トロンボーンの粋な感じで半分酔っぱらったような勢いあるソロも実に巧みだと思います。
このⅢの総譜を一度読んだことがあるのですけど、曲自体はどことなくのんびりとした雰囲気があるのに、
指揮者にとってはとにかく「全体を合わせる事」が大変難しいようにも感じられますし、
奏者の視点で見てみると、指揮者をよく見て全体の流れに自分をうまく乗せていかないと、いつの間にか
全体の流れに一人取り残されてしまう・・みたいな危険性を感じたりもしたものでした。
全三楽章の曲なのですけど、多分ですけど技術的に一番大変なのはこのⅢのカーニヴァルのような気もします。
吹奏楽コンクールのこの曲の名演ですけど、一つ素晴らしい演奏があります。
1988年の一般の部に東北代表として演奏していた米沢吹奏楽愛好会の第一楽章・前奏曲とアズティックダンスの
演奏は大変素晴らしいものがありました!
夜の長さも全然冗長に感じませんでしたし、踊りの部分の躍動感が素晴らしかったですし、ラストへ向かう追込みが
圧巻でした!
私としては「当然の金賞」と思っていたのですけど、結果はまさかの銀賞・・
うーーん、あの素晴らしい演奏のどこが銀賞なのか、私にはいまだにさっぱり理解できません・・
全国大会では、他には天理高校とか長岡吹奏楽団とかが第一楽章を取り上げていますが、
神奈川大学も、こんなバリバリの正統派オリジナル曲を選曲しています。
(神大は小澤先生が来る前は、メキシコの祭りとか、仮面舞踏会とか、ジェリコといった
正統派古典オリジナル曲を取り上げています)
面白いのは、1977年に電電中国(現・NTT西日本)が第一楽章を取り上げ、
翌年の1978年に第二楽章「ミサ」を演奏している事です。
いかにも吹奏楽に自分なりのこだわりをお持ちの佐藤先生らしい選曲だと思います。
でもコンクールでほとんど盛り上がり要素が少ないミサだけを演奏してもインパクトは弱いし、アピールは大変だったでしょうね。
Ⅲのカーニヴァルを自由曲にしたチームでは「これぞ名演!」という決定打に欠ける感じはあります。
強いて言うと、1976年の函館中部高校なのびのびとした雰囲気は見事なものがあると思うのですけど、
部分的にリズムがかなりギクシャクしているのは惜しいです・・
あ・・・考えてみるとこの「メキシコの祭り」は、吹奏楽コンクールにおいては、全楽章・・つまりすべての楽章が
自由曲として演奏されている事になりますね!
一般的に吹奏楽でも管弦楽でも「交響曲」という形式においては、静粛な抒情楽章というものがある関係で
全ての楽章が自由曲になる事は極めて稀なのですけど
(かなり昔の話ですけど、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」のあの全てがアダージョで悲しげに演奏される
第四楽章が自由曲として演奏されていた事は驚きでした!!)
この「メキシコの祭り」は、三楽章全てが単独ではありますけど、全て全国大会で演奏されていたというのは
大変興味深いものがあると思います。
ちなみにですけど、そうした全楽章全て自由曲として演奏された珍しい交響曲の事例としては、
ジェイガーの「吹奏楽のための交響曲」というケースもあったりします。
ジェイガーの交響曲は、ほとんどは第四楽章が演奏されているのですけど、
1980年の北海道教育大学函館分校のように第一楽章を自由曲として演奏された事もありますし、
はたまた1977年の舟入高校OB吹奏楽団のように、第二・第三楽章を自由曲として演奏されていた事もありますので、
ジェイガーも全楽章演奏の数少ない事例と言えそうですね。
そうそう・・参考までに舟入の場合は、第三楽章がゆったりとした抒情楽章で、第二楽章が活発なスケルツォ楽章ですので、
実際に演奏したのは、第三楽章を先に演奏し、その後に第二楽章が演奏されています。
どちらにしてもオーエン・リードのメキシコの祭りもジェイガーの吹奏楽のための交響曲も
忘れることなく演奏され続けてほしいオリジナル曲の一つだと思います!!
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コメント
こんばんは
メキシコの祭り
交響曲「メキシコの祭り」は吹奏楽オリジナル曲として名曲中の名曲だと思いますし、1988年以降全国では
演奏されていないのが不思議にすら感じてしまいます。
こうしたすてきなオリジナル曲はこの先もずっと演奏され続けてほしいものですし、
支部大会や東日本大会でも時折演奏されているのは嬉しいものがあります。
70年代の演奏ですが、函館中部高校の第三楽章の演奏は評価としては銅ですけど、私は勢いとスピード感のある
好演だと思います。
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