ジョン・バーンズ・チャンスの「呪文と踊り」が吹奏楽コンクールに初登場したのは1970年代なのですが、
この素晴らしき名作吹奏楽オリジナル曲は、今現在でも、支部大会でも全国大会でもずっと演奏され続けており、
それは吹奏楽オリジナル曲としては珍しい事であり、
これだけ長期間愛好され続けているのは「名曲」である証拠なのだと思います。
(評論家の皆様が「この曲は素晴らしい」と絶賛されてもほんど演奏されないのは、名曲たる資格を有していないのかも・・?
中には、ネリベルの「シンフォニックレクイエム」のように演奏したくてもあまりの難解さとコーラスが必要という演奏条件の
難儀さゆえに演奏機会に恵まれていないという例外的な作品もあるのかもしれないです)
私自身、チャンスと言うと一番最初に生演奏で聴いたのは、実は「呪文と踊り」ではなくて、
「管楽器と打楽器のための交響曲第2番」なのでした。
演奏頻度と言うと「朝鮮民謡の主題による変奏曲」の方が人気は高いと思いますけど、
この「呪文と踊り」も交響曲第2番や朝鮮民謡の主題による変奏曲に劣らない素晴らしい名作だと思います。
「呪文と踊り」は冒頭のの低音のフルートソロが実にいいですね。
この不気味な出だしが、この曲の全てを物語っているといっても過言ではありません。
「これからなにか不気味な事が始まる」という予感めいたものを感じずにはいられないミステリアスな序盤だと思います。
考えてみるとチャンスの管楽器と打楽器のための交響曲第2番第一楽章も、そうした「予感」とか「ミステリアスさ」に
満ち溢れていましたので、このチャンスという作曲家の「冒頭」は何やら意味深なものが多いと言えるのかもしれないです。
(「朝鮮民謡の主題による変奏曲」も冒頭のあのアリランのクラリネットによる哀愁溢れるメロディーは、
聴く人の心を打つものが間違いなくあると思います!)
「呪文と踊り」のあの出だしに心を動かされてしまうとこの曲の世界に一気に入ってしまうという感じがあります。
「呪文と踊り」は実に単純明快な二部構成でフルートソロから開始される神秘的な「呪文」の部分と
打楽器のエキゾチックな響きが実に印象的な「踊り」の部分から構成されていますけど、
この二つの部分の明確な相違性によるドラマ性とか打楽器の効果的使用といった巧みな楽器構成とか
実によく考えられた作品だと思います。
こうしたシンプルさと分かりやすさというのが、この曲を作曲から40年近く経過しても演奏され続けている大きな要因にも
なっていると思いますし、この曲を吹奏楽オリジナル曲の名作としていまだに名を馳せている理由にも
なっているような気がします。
曲が単純明快なだけに、飽きが来やすいとも思うのですが、長期間多くのチームによって演奏され続けているという事は
演奏するごとに何か「新しい発見」があるような曲と言えるのかもしれません。
この曲の「踊り」の部分では打楽器が大活躍します。
冒頭の「呪文」の部分は、かなり長いフロートソロから開始され、序盤はゆったりとした展開がかなり長く続き
かなり不気味な雰囲気を演出しています。
この不気味さは「おどろおどろしい感じ」でもあり、いかにも「呪文」という雰囲気に満ち溢れ、聴き方によっては
呪文は呪文でも人を呪い殺すような呪文のようにも感じたりもします。
そして前半の「呪文」の部分が閉じられると、いよいよ「踊り」の部分が開始されます。
この踊りの部分なのですけど、マラカスから始まって、打楽器が一つずつ加わっていく感じで曲が展開されていきます。
その打楽器の順番は、マラカス→クラベス→ギロ→タンバリン→テンプル・ブロック→ティンバレスの順に加わっていきます。
この部分はパーカッション奏者にとっては大変プレッシャーが掛る大変な部分ですけど同時に大変な腕の見せ所だと思います。
全体的にこの曲はかなりの数の打楽器を使用しますし、
奏者は、フルスコアを見れば一目瞭然なのですけど、ティンパニが1名・残りの打楽器に6名、合計7人は絶対に必要です!
というのも・・・
7人が同時に音を出す箇所もあるので、打楽器奏者の数を減らす事は、何らかの楽器の音を
削除することになってしまい、この曲の魅力が明らかに薄れてしまうのであまりやっては欲しくないですね。
この曲を初めて耳にした方は多分感じると思うのですけど
「え・・この曲ってとてつもない変拍子なの・・・?」と感じるかもしれないのですが、
フルスコアをご覧になって頂ければ一目瞭然ですし、音楽自体をじっくりとよく聴きこめば分かるかとは
思うのですけど、
実際は実に単純な4拍子の曲です!! たまに3拍子のリズムも入ってきますけど基本はあくまで単純な4拍子です。
この曲、なんでこんなに変拍子のように聴こえるのかな・・・?
多分ですけど、裏拍の使用が大変多くて、リズム感が大変取りにくいというのが一因で
ないのかなと推察いたします。
指揮自体はそんなに難しくは無いと思いますが、奏者の皆様は厄介な部分が多いと思います。
特にフルートソロ担当の方と打楽器セクションが大変そうですね。
特に打楽器は「リズムの切れ」が要求されるし、奏者全体のリズムを合わせるのが大変だと思います。
同じチャンスの「朝鮮民謡の主題による変奏曲」も打楽器セクションは合わせるのが大変だと
思うのですけど、この曲も合せるのは同じくらい大変そうだと思います。
前述の通り基本的には4拍子だから、何とかなるとは思うのですけど、練習段階から「周りの音をよく聴く事と
全体に合わせる事」は必要不可欠な事だと思います。
「ファンファーレとアレグロ」・交響的舞曲第三番「フィエスタ」でお馴染みの、クリフトン・ウィリアムズも
若くしてこの世を去り惜しまれましたが、チャンスも「まだまだ、これから・・」という作曲家として大変脂がのっていた時期に
この世を去る事となり、あまりに早すぎる死が惜しまれる作曲家です。
フェンスに設置された電気金網に接触し感電死という非常に気の毒な事故死をされたのですけど、
実は亡くなる直前に「エレジー」という胸が痛くなりそうな悲愴感溢れる作品を残しています。
これってもしかして、何かしらの「前兆」というか「予知」というか「避けられない運命」みたいなものを
感じていたのかもしれないですね・・・
もしかして・・? 自分自身の「死」を予感させる何かがチャンスの中にあったのかもしれないです・・
「呪文と踊り」の最大の聴きどころの一つである、マラカス→クラベス→ギロ→タンバリン→テンプル・ブロック→ティンバレス
という打楽器が一つの楽器ずつ加わっていく箇所なのですが、
この部分で使用される打楽器はかなり珍しいものも含まれていますので
簡単に紹介をさせて頂きたいと思います。
(ちなみにですけど、以前も何度も書いたことがある通り、私自身の楽器経験は中学~大学でのクラリネット9年と
アルトサックス1年なのですけど、実は小学校の管楽器クラブでは打楽器奏者でもありました)

これは「マラカス」です。
日本ではどちらかというとカラオケ店に置かれているグッズとしての方が馴染みがあるのかな・・・?
主にマンボやサルサなど、スペイン語圏のラテン音楽で使われる楽器なのですけど
ポルトガル語圏のブラジルのサンバでは、この楽器が使用される事は少ないとの事です。

これは「クラベス」です。
2本の棒状の木片を打ち合わせることで明るいカチカチとした音を出しますけど、
日本の楽器の「拍子木」と極めて近いものがあると思います。

これは「ギロ」です。
ヒョウタンの内側をくりぬき外側に刻みを入れて棒でこすったり叩いたりして演奏しますけど
基本的には、ギーーーチャッチャッ!!という洗濯板と石をこすり合わせたような独特の音を出します。
ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」第一部でも使用され、面白い響きの効果を演出しています。

上記の楽器は、これらの楽器の中では一番馴染みがある「タンバリン」です。
タンバリンは簡単な楽器と思っている人は多いと思いますけど、全然違います!!
鈴の使い方とか皮の叩き方とかこすり方など相当奥深い楽器だと思います。
吹奏楽オリジナル作品ではリードの「アルメニアンダンス パートⅠ」での使い方が実に巧みですし、演奏効果が
大変高いように感じられます。

この楽器は「テンプル・ブロック」です。
この楽器は「木魚」みたいなものですし、木魚に近い高音のコーンコーンという音が出ます。
一般的には、ないし5個程度を音高順に並べて、専用のスタンドにつけられたものが用いられる事が多いです。
この楽器は、同じくチャンスの「朝鮮民謡の主題による変奏曲」でもかなり効果的に使用されています。
管弦楽曲としては、コープランドの「エル・サロン・メヒコ」とか
メシアンの「トゥーランガリア交響曲」での使用が大変印象的です。

この楽器は「ティンバレス」です。
金属製の胴に主にプラスチック製の膜)張った、スネアドラム(小太鼓)に似た太鼓を、
二つ横につなげた楽器です。
基本的にはスティックを使いますけどまれに指で叩く場合もあります。
ちなみにこのティンバレスを所有していないのか音のイメージ感の違いなのか指揮者の好みなのか
よく分かりませんけど
この楽器の代用品として「ボンガ」を使用していたチームもありましたけど、あれだとリオのカーニバルみたいに
聴こえてしまいそうな気もしますね・・

最後に・・・・
このブログでも以前取り上げたラヴェルの「ピアノ協奏曲」とかブリテンの「青少年のための管弦楽入門」で登場し、
この「呪文と踊り」でもバシッ! バシッ!!と効果的な使用がなされる「ムチ」ですけど、
木の板を合わせてバシッ!!という音を出す感じの楽器です。
ムチというと、競馬の騎手が馬に対して当てるものとかなんかの女王様がMっぽい人に当てるものというイメージが
あるのかもしれないですけど(汗・・)
音楽の世界での「ムチ」とは、木の板を合わせるような楽器の事を示します。
ちゃんと、手に固定されるように止め具が付いているのが奏者に対する配慮なのかもしれないですね。
この「呪文と踊り」は、打楽器の効果的な使用も素晴らしいけど管楽器との掛け合いも大変見事だと思います。
ちなみにですけど、上記のマラカス→クラベス→ギロ→タンバリン→テンプル・ブロック→ティンバレスの登場箇所は
計二か所出てくるのですけど
二度とも一つの楽器が順番に一個ずつ登場していきますので、その追加されていく響きが
とっても面白いです。そしてここに絡んでいく管楽器の使い方は名人芸みたいなものを感じさせてくれていると思います。
この曲はこの先もずーーーっと後世に受け継がれていってほしい曲の一つです!!
「呪文と踊り」はこれまで全国大会でも何度も演奏されているのですけど、私の好みに「ドンビシャ!」という演奏は
残念ながらまだ出てきていないように感じられます。
1984年のからす川音楽集団による演奏は、とてつもなく洗練された美しい響きなのですけど、
音楽自体がちょっとふわっ・・とし過ぎていて、もう少しシャープな感じが欲しいですし、特に冒頭部分は
どす黒いテンションみたいなものも欲しいと思ったりもします。
この曲の名演CDというとフェネルの東京佼成を挙げたいと思うのですけど、ちょっとテンポが遅いというのか、
切れ味がちょっと悪いと言うのか部分的にテンポが間延びして聴こえるのは、全体の雰囲気が悪くないだけに
惜しまれるものがあると思います。
そうした中、「呪文と踊り」と言うと、知る人ぞ知るという範疇になってしまうのですけど、
1975年の秋田県代表の横手高校の全国大会での演奏は私は大好きです!
コンクールの評価としては銅賞という結果に終わっているのですけど、この1975年の高校の部は、
19チーム中10チームが銅賞という激辛審査の年でしたので、私個人としては横手高校の銅賞はちょっと気の毒な
感じもあったりします。
(ちなみにですけど、この年の高校の部に出場した19チームの課題曲は全てCの吹奏楽のための練習曲でした)
横手高校の「呪文と踊り」は今現在の感覚で聴くとかなり雑で粗っぽい印象が強いです。
音量的にも少し頑張りすぎちゃっていて、強奏と弱奏のコントラストをもっと強調して欲しかったですし、
音色が部分的に濁って汚さすらも感じられた箇所があるのは否定はできないと思います。
だけど横手高校の演奏は、実に切れ味がシャープです!!
冒頭もそうですけど、踊りの部分の前述の打楽器の使い方が大変巧いですし、何よりも曲全体を貫く
「どす黒いテンション」みたいなものが実に見事に表現されていると思います。
魔法使いの呪文というよりは、魔女たちの「人を呪い殺すための呪文」みたいなミステリアスさとどす黒さが
音楽として的確に表現されていると思います。
確かに粗雑なんだけど、人間の魂を無理やり揺れ動かせてしまうどす黒さが前面に出ている点は高く評価されて
然るべき演奏だと思います。
全体的に音色が明るいのはとてもよかったと思います。
この当時の秋田県の吹奏楽と言うと「佐藤先生時代の花輪高校」でどちらかというと音色が渋くて暗めという雰囲気
でもありましたので、横手高校のあの「明るさ」は逆に新鮮に感じたものでした!
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木魚みたいな楽器や板を使った楽器もあるのですね。
写真付きなので、わかりやすいです(^^)