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プロフィール

ぬくぬく先生 

Author:ぬくぬく先生 
開設当時は、1980年代吹奏楽コンクールの花輪・秋田南・就実・仁賀保・屋代等の素晴らしい演奏を後世に少しでも伝える事が出来ればいいなと思ってこのブログを始めたのですけど、いつのまにか「東方Project」がメインになってしまいました・・・
最近は「艦これ」も大好きです!!
吹奏楽も東方も自分が感じた事を少しでも後世の方に受け継がれるべきものが残せればいいかな・・と思っています。
ちなみに、「大好きプリキュア四天王」は、ドリーム・メロディ・ハッピー・ラブリーです。
ドリームとメロディは自分の中では既に殿堂入り状態ですけど、
現在はラブリー大好き!!のラブリー一辺倒です!!
リアル社会では、建築関係のクレーム&アフター責任者を専従し、毎日毎日クレーム対応に当たる日々です。
裏の顔は東方と吹奏楽とクラシック音楽一辺倒です・・・
特に特に大好きな作品は・・・プリキュア5とスイートとハピネスチャージです!!
ちなみに、奥様は・・・ミルキィローズとセーラームーン好きの管理人以上のおこちゃまです・・・
東方で大好きなキャラは、とにかく大好きキャラがてんこ盛りで、全員大好き!という感じなのですけど、特に、さとり様・ゆかりん(紫様)・早苗さん・こいしちゃん・アリスはお気に入りです!!
吹奏楽では・・ネリベルの「二つの交響的断章」と「アンティフォナーレ」、スパークの「ドラゴンの年」、リードの「オセロ」と第二組曲「ラティーノ・メキシカーナ」、パーシケッティーの「仮面舞踏会」、C・スミスの「ダンス・フォラトゥーラ」などが死ぬほど好きで、クラシック音楽では、ウォルトンの交響曲第1番と矢代秋雄の交響曲、プロコフィエフの交響曲第5番、アーノルドの交響曲第2番、第4番、ショスタコの交響曲第7番「レニングラード」、マーラーの交響曲第3番「夏の朝の夢」、ハンソンの交響曲第2番「ロマンティック」、ストラヴィンスキーの「火の鳥」、ベルクの「ヴァイオリン協奏曲」、ラフマニノフの「交響的舞曲」などが大好きです!!
クラシック音楽を吹奏楽にアレンジし、そのコンクールヴァージョンの演奏としては・・・
1982年の就実高校の「幻想舞曲集」と
1987年の習志野高校の「ダフニスとクロエ」第二組曲の演奏、そして、
1987年の雄新中の「エルザの大聖堂への厳かな行列」が
まさに私の「原点」です。
最後に・・・
私の吹奏楽との関わりの真の意味での「原点」は・・・
1979年の市立川口高校の神がかり名演としか言いようがない
「二つの交響的断章」に尽きると思います!!


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前回のその①の中で、
小野塚小町のような死神は寿命が元々決まっている人間の命を刈り取りにわざわざお迎えに出向く事はありえない。
そうした「死神伝説」というものは、死神たちが自らの威厳と畏敬を保つためにわざと流布させた真っ赤なウソである。
反面死神たちが本気で命を召し上げるためにわざわざ出向き死闘を繰り広げているその相手とは
天人と仙人に他ならない。
そして東方の世界において、天人に該当するキャラが天子であり、仙人に該当するキャラが華扇・神子・霍青娥だ・・
という事を記させて頂き、その①において天人に相当する天子ちゃんについて話を展開させて頂きましたので、
今回のその②においては、仙人に相当する華扇と霍青娥(にゃんにゃん)について簡単に触れさせて頂きたいと
思います。

東方の世界における「仙人」とは、人としての「欲」を棄て道教の修業を極め、
仙術を操り、超人的な能力を有するようになった人間の事を示します。
だけど完全に欲を捨て切れてはいないので、幻想郷内で生活をしています。
仙人の寿命は数百歳というほど長寿なのですけど、決して不老不死ではありません。
修行を怠るとすぐに体が維持できなくなってしまい体が灰に帰するそうですし、
妖怪の視点では、天人は食べると猛毒であるから天人を食べることはあり得ないのに対して、
仙人は妖怪の大好物でありますし、食らうと妖怪としての格が上がるという事で
仙人たちは日々妖怪からその命を狙われ続けているという立ち位置でもあったりします。
同時にその①でも記した通り、これは天人と共通することでもあるのですけど、百年に一度程度、その仙人の命を刈り取りに
地獄から小野塚小町等の「死神」がやってきますし、
この死神との死闘を制すると当面の間生き続けることは可能になるのですけど、破れてしまうとその場で三途の川送りに
なってしまいます・・・
そしてこうした仙人が修行を重ねて晴れて「天人」になれる確率は極めて低く至難の業とも言われているそうです。
仙人として生き続けるのも難しくましてや天人になる事も難しいというある意味シビアなんだけど中途半端という
立ち位置のようにも感じられますね。
そうした意味で特に修行なんかしないで身内の七光りで楽して天人になってしまった天子ちゃんが周囲から
「不良天人」と言われてしまうのは分かるような気がしますよね・・・
天人というのは基本的には長期間修行を重ねてきた仙人がやっとの思いでなれるものですので、天子ちゃんはやはり
ちょっと特殊な天人と言えるのかもしれないですね・・(笑)
そして同時に、その①でも書いた通り、生まれた時から既に寿命が定められていて、才能があって生きる目的もはっきりと
しているのにそうした自らの「最初から定められていた寿命」によって自分の夢が実現できないままあの世へと
旅立ってしまった普通の人間の感覚からすると
「なんという理不尽な・・!」みたいな思いもあるのかもしれないですけど、それは仕方がないことなのだと思います。
なぜならそれが人間としての「天命」なのですからねっ!!

華扇はその正体は「実は鬼である」という事は公式ではいまた゜に認められていませんけど、これに関しては
これまでの状況証拠から判断して「まずそれで間違いない・・」という事で確定事実として認識してもまず問題はないと
思われます。

華扇は、その真の正体に関しては一旦横に置いておいて、東方の世界では一応は「仙人」という位置づけをされています。

華扇の一つの持ち味と言うと常に人間側の立ち位置に立って行動している事とか人間に対してのあのくどくどしたお説教
なのかもしれないてすけど、霊夢に対するお説教シーンとか人里での説法シーンを見た限りでは
「ああ・・なんかあの華扇はいかにも仙人らしい雰囲気・・もしかして華扇は鬼じゃなくて本当に仙人なのかな・・」とも
瞬間的に思ったほどでした・・・(笑)
華扇は一応は、自称仙人という事で仙人らしい振舞いもしているのですけど、小野塚小町からは
「なんであんたが仙人の真似事をしているのか理解できない」と言われていますし、
茨歌仙第二話で「さすが仙人ですね」と早苗さんに感心された際、華扇は「仙人みたいな生活をしているのもただの隠れ…」と
言いかけて、慌てて口をつぐんでいるシーンがありましたけど、やはりここからも
「本当に華扇は仙人なのか・・」とか
「仙人というものは元・人間というパターンが多く、人間が修行を重ね、時に小野塚小町等死神とのバトルを制して
仙人としてのステップを重ね最終的に天人を目指すはずなんだけど、華扇は本当に元は人間だったのか・・」
みたいな事が想定それそうですし、
華扇は元々が人間じゃないし、ましてや今現在だって仙人なんかじゃないみたいな事が
示唆されているのだと思われます。
少なくても華扇は仙人ではないと考えるのが今現在は妥当なのかもしれませんね。

仙人は本来は道教との関連性が高く、仙人というものはイコール道教の宗教家と言えるのかもしれません。
華扇は確かにお説教癖はあるものの、自らが宗教家であるという意識はほぼ皆無と言っても過言ではなく、
霊夢から「あんただって一応は人を救う宗教家でしょ・・?」とツッコまれても「何それ・・?」みたいなきょとん・・とした
反応だったのはある意味大変印象的です。
小野塚小町との対話でも、華扇自身、「仙人になる事は長生きになる事」という意識しか持っていない事が暴露されましたし、
華扇は本当に仙人なのかな・・?という事を改めて提示していたと思います。
だけど華扇は別に「人間嫌い」という訳では実は「大変な人好き」であるとも言えるのかなとも思ったりもします。
本当は人間ともっとお話がしたい・・本当は霊夢や魔理沙みたいな「人間」たちと本音で語りたいし、
遊んだり酒を一緒に飲んだり時に愚痴を言い合ったり、時に相談に乗って貰ったりして欲しいみたいな華扇とての「本音」が
あるのかなとも思います。
だけど、本来の姿である「有角の鬼」みたいな外見で人間に接したら、人間たちも怖がって誰も近づいてこないだろうし、
霊夢なんかは「あんたは鬼だから退治する!」みたいな展開にもなりかねないですし、
そこで華扇が考えたのは、
「鬼の外見的特徴を隠して、仙人みたいなフリをしていれば、人間たちも自分を警戒せずに自分と自然体で
付き合ってくれるのではないのか・・」という事であり、「仙人」という隠れ蓑を利用して人間たちと交流を図りたい!
それが実は華扇の「本音」ではないのかな・・とふと考えたりもします。

上記における「東方茨歌仙」における小野塚小町との会話、例えば・・
「寿命を超えて生き続けようとするならその恐ろしいものを見るから覚悟しとけ」という
小町の言葉に対しての華扇の「私はどうかしらね」という言葉はある意味意味深なのかもしれないです。
小町は華扇がその正体は本当は仙人ではなくて鬼という事を実は既に把握しているのかもしれないですし、
仙人ではないから、小町のような死神種族から「お迎え」が来ることは無いという事を示唆しているのかもしれないです。
そしてそれは逆に言うと、
華扇は、人間の元々の「天命」と同様に鬼=妖怪としての天命が存在している事を認識しているのかもしれないですし、
華扇はまだ仙人または鬼としての「寿命」が到来していないから小町としても華扇の命を刈取りようがないという事を
示唆しているのかもしれないです。
こうした事は、鬼が仙人の振りしてるからなんかややこしい事になっていると小町は考えているのかもしれないですけど、
小町がそういう事を知っているのに放置しているのはどうしてなんでしょうか・・?
小町の上司でもある地獄の閻魔様でもある四季映姫様からの指示でもあるという可能性も実はあったりして・・?
華扇の設定に何か複雑なものを予感させられる会話のような気もしますし、
巷で言われている通り華扇の正体は本当は鬼なんだけど、華扇自身の努力もあって人間になって、そして修行の結果
本当に仙人になったという事も意外とあり得るのかもしれないです。

東方でミステリアスなキャラというとゆかりんとか咲夜さんとか永琳とか色々いるのですけど、華扇も
その不思議な存在ぶりはあのゆかりんに引けを取らないようなものもありそうですね。

それに華扇について語る時、どうしても避けて通れないのは「鬼が仙人になる事は果たして認められるのか・・?」という事でも
あるのですけど、それに関しては公式では特に明らかにされていません。
この辺りに関しては今後大いに注視してみていきたいと思います。
どちらにしても華扇は自分自身のそうした「宿命」みたいなものもきちんと自覚しているようにも感じられますので、
本当に万一小野塚小町みたいな死神が「お迎え」に参上したとしても他の仙人・天人みたいな死闘はしないで
「それが私の天命・・」と言って自分の死すらも素直に受け入れてしまいそうな気もします。






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さてさて・・ここからは既に恒例になっているのかもしれないのですけど、
当ブログが本当にいつも大変お世話になっている dream fantasy の管理人様のアミグリさんが過去に描かれたイラストのご紹介コーナーです!
今回ご紹介させて頂く作品は、アミグリさんが2014年8月に描かれた霍青娥です!
(通称は青娥娘々→読み方はせいがにゃんにゃんです。東方ファンの間ではにゃんにゃんの愛称で親しまれています)
ちなみにですけど、アミグリさんがこのにゃんにゃんを描かれた時は、アミグリさんご自身が
「夏らしい絵を描こうプロジェクト」を展開されていて、このにゃんにゃんは第三弾でして、
「サンセット水着娘々」とのタイトルが付けられています。

そうそう、実はにゃんにゃんは、昔は結婚して夫がいたという、まさかの元人妻属性でもあります・・(笑)
ちなみに「霍」は夫の苗字との事らしいです。
東方における人妻設定は実は極めて珍しく、この霍青娥以外では純狐くらいなのかな・・とも思います。

霍青娥=にゃんにゃんの種族は邪仙です。
邪仙とは邪悪な行動原理に基づき行動する仙人の事であり、自分の利益が第一でそのためには周囲の人たちの事なんか
どうでもいいとすら考えてしまう性格の悪さはあったりするとの事です。
(もっとも他の邪仙はともかくとしてにゃんにゃんはかなりいい娘というか元人妻さんであったりもします・・笑・・)
後述しますけど、霍青娥のご年齢は悠に1400年は超えています。
(これはもしかして・・・東方五大老とも言われているご長寿キャラのゆゆ様すらも上回る御年なのかもしれないですね・・!)
百歳から百数十歳程度の仙人なら幻想郷でもそんなに珍しくも無いのですけど、霍青娥のように千年以上も生きた
仙人と言うと極めて少なく、その意味では貴重な仙人とも言えると思います。
本来ですと、このぐらい長く生きた仙人と言うものは天人または神霊といった高い種族に昇格するのが一般的なのですけど、
霍青娥のように仙人のまま1400年程度も生きるという事の方が極めて珍しいとの事です。
もっとも霍青娥は邪仙ですので、そのままですと天人に昇格する事は出来ないのですけど、
霍青娥本人は「そんなのど゛うでもいいじゃん・・」みたいな感じで天人になる事には全然こだわっていないようでして、
その辺りは、身内の七光りで思いがけずに天人になってしまった天子ちゃんとの明確な違いはあるのだと思われます。

しかしそうした邪仙というものは死神たちにとっては「格好のターゲット」ですし、その命を刈取ろうと他の仙人・天人に比べて
死神から襲撃される頻度はかなり高いと思われます。
実際、「東方茨歌仙」でもそうしたシーンがありましたけど、霍青娥は結局は毎回毎回そうした死神たちの襲撃は
無事に回避させることが出来ちゃっています。
それはなぜかというと、霍青娥の能力は「壁をすり抜けられる程度の能力」という事で
それは幽霊のように壁を通り抜ける能力ではなく、物理的に壁を切り抜いて穴を開ける能力であり、
具体的には、
.髪に挿しているかんざしで壁を切って、丸い穴を開ける→その穴の中を通って壁の向こう側に侵入する
→ 壁に開けた穴は自然と穴が消えるという形で元に戻るという事ですけど、
うーーむ、こんな方法で死神たちから逃亡を図ったとしたら、死神と言えども捕まえる事自体困難と言わざる得ないですし、
実際に茨歌仙でもやすやすと死神たちからの襲撃から脱しています。
普段から「~わね」「~でしょ?」「~だもん」とさばけた口調で話し、結構ノリはいいですし気さくです。
上記の東方茨歌仙の際にも死神の襲撃から逃れた際に出会った華扇や霊夢に対しても「YEAH!」とかなんとか軽いノリで
挨拶していたのは大変印象的でした・・(笑)

その挨拶の際に名刺渡したりとか基本的にふざけてる感じの人でもあるのですけど、
「うふふ 私を誰だと思っているの?この程度で死んでちゃ仙人にはなれないわ」という強烈な自負を示すセリフは
印象的でした!
やはり伊達に1400年程度も生き続けている訳じゃありませんね・・・

霍青娥みたいな仙人の道から少し外れてしまった邪仙の皆様の死生観ってどんな感じなのかな・・?
さすがに千年程度も生き続けていると時折「そろそろももいいか・・生きるのに疲れたのかも・・」と感じることもあるのかも
しれないですし、死神との死闘に万一破れ、「お命頂戴」という瞬間も「このくらい生きたのだからもう十分か・・」と
案外さばさばしているのかもしれないですし、
少なくとも私達外界の凡人みたいに「自らの死に際して取り乱す」みたいな事はないのかもしれないですし、
千年程度も生き続けるとやはりそこには「もうそろそろいいんじゃないの・・?」みたいなある意味「悟り」の心境に
達するのかもしれないですね。

そうした霍青娥なのですけど、バックストーリーから眺めてみると結構面白い要素はあると思います。

霍青娥は実は元々は日本生れではなくて、隣国の中国出身のお方です。
父親はやはり仙人を目指すと唐突に宣言して家を飛び出したという背景も影響があったと思うのですけど、
霍青娥自身もかなりの資産家に嫁いで幸せな家庭生活に恵まれても、父親同様にどこかしら仙人に対する
憧れの気持ちはあったのかもしれないでしょうけど、かつて神子や物部布都が実践したのと同じ尸解仙という方法で
仙人になってしまいます。
霍青娥は、幻術で竹の棒を自分の死体に見せて、それを家族に埋葬させた=死んだフリをしたことになるのですけど、
この夫も家族がいる身なのに自らの欲望のために仙人になったという行為こそが
霍青娥が邪仙になり、そのまんまずっと仙人になれずにいる理由ともなっているそうです。
こうして無事に仙人(邪仙)になった霍青娥なのですけど、中国においては、道教の本家という事もありますし
国土が広いという事で霍青娥程度の仙人さんはそれこそ山のようにうじゃうじゃいますので、
自分の力を他人に見せびらかして誇示したくて堪らない霍青娥は、日本に向かってしまいます!
そしてそこで出会ったのが日本の大化の改新前の大和王朝のあの聖徳太子=神子とか物部布都だったのでした!

昨年の記事において、神子に対して道教とか一度仮死状態になって然るべき時期が到来するまで待機するという
方法を提案したのは布都と記しましたけど、実際に布都や神子に対して道教の教えとか仙人になる事の
素晴らしさを説いて古代日本に「物部対蘇我」という宗教戦争を引き起こしたのを陰で操っていたのは
霍青娥という事になるのかもしれないですね。
そして神子たちの千数百年の眠りから覚醒した後に、白蓮さんという仏教勢力とのある意味またまた宗教戦争を
裏で糸を引いていたのはまたまた霍青娥と言えるとも思えますので、
なんだかんだ言って霍青娥の果たした役割は大きいと思えますし、幻想郷内のそうした異変の終了後においても、
白蓮さんや霊夢も含めて「今回の異変のそもそもの元凶は霍青娥」と誰にも気が付かさせなかったのは
さすが1400年も生きた「年の功」と言えるのかもしれないですね!

道教という考えは、基本的には一般民衆の宗教とか民衆を救うための教えと言う訳ではなくて、
時の権力者の能力を更に高めさせるのに適しているというのか、絶対的な自然=宇宙のパワーを自分一人のものに
してしまおう・・みたいな考えでもあるのです。
そして、道教の最終目的は「不老不死」でもあり、同じく権力者の豊聡耳神子も道教に魅せられるというのも
これはある意味自然な流れであったのかもしれません。
だけど、神子は気が付きいてしまいます。
「道教というものは日本の国家を治める道具としては馴染まない」という事に・・
なぜかというと、人並み以上の能力を元々有している者にとっては道教は魅力的な宗教なのかもしれませんが、
これを一般民衆に開放してしまうと、
「俺も、オレも・・」みたいな感じで、力を付けていき、力を身に付けた権力者を倒すためにそれ以上の力を
身に付ける必要があるという事で、いわば・・導師同士のパワーのインフレ状態と言うのか、
結果として「力で持って力を制す」という事にもなりかねず、神子としても
「これは国家統治のためには使えない・・・」と判断せざるを得なかった訳なのです。
そして、同時に神子はこうも考えていたのです・・・
「仏教と言うものはある意味国家を統治するのに意外と使いやすい道具である」とも・・・
つまり、仏教と言うのは、目指すべき方向性は、「苦しみからの解放」です。
そして確かに現世利益も大切だけど、それと同じくらい死んだ後の「救い」も大切と説き、死後の世界で救済を得るためには
まずは現世で無茶な生活をせずに、思いやりと慎みをもった生活を心掛けなさい・・・
そしてそのためにも現世での「諦観」もある程度は必要・・・
そういう仏教の「政治道具としての利点」をいち早く見抜き、仏教の教えを広めることで世の安泰を図るのも
悪くは無いと考えていたのです。
その一方で聖徳太子=神子は、「道教」の圧倒的な力を欲し、政治的に仏教を利用し、表面的に仏教を厚く信仰していると
みせかけておいて、実は裏では「道教」の尋常ではない力を欲していたのです!

その際に陰で糸を引き、策略を画策していたのが表面的には物部布都、そしてそれを更に裏で神子たちを洗脳し、
ある意味たぶらかし理論武装の根拠を教えていたのが、そう・・! 他ならぬこの霍青娥だったのです!

そしてある時、布都は、神子にとある提案を持ちかけます。
それは国を治めるために仏教を表面的に広め、裏で自分たちは道教徒として道教を信奉し、
仙術をあやつり不老不死を得た人、すなわち「仙人」を目指そうではないかと・・!
その結果として、本来、物部布都は、物部氏側り立ち位置のはずなのですけど、
影で物部守屋等をたぶらかし、物部氏を扇動して蘇我氏との間に乱を発生させ、
その結果・・・、なんと自分自身の出身の家すらも自滅させ、神子と共に蘇我氏を操ることで仏教は
日本国内に広まっていく事になるのです。

さてさて・・そうした霍青娥なのですけど、ここで一つ大きな謎が出てきます。

神子=聖徳太子たちが物部との宗教戦争に勝利し、表面上日本国内に仏教を浸透させ、国の基盤を築いたのちに
一旦仮死状態という事で1400年近い眠りについてしまい、その長い眠りから目覚めたのが、
幻想郷でのあの「東方神霊廟」の異変だったのですけど、それでは霍青娥自身は1400年間の間、どこで何をしていたのか
については公式では一切何も触れられていません!

うーーむ、霍青娥はこの1400年間の間何をやっていたのでしょうか・・?

そしてどういう経緯で幻想郷に入り込んできたのか、全ては謎です・・・

だけど霍青娥はこの長い期間もある時は人間たちが暮らす居住地に入り込んで人間達と一緒に生活をしたり、ある時は
遊び呆けていたり、
そして時折襲来してくる死神たちの攻撃を撃破したり壁を通り抜ける術でのらりくらり逃げたりして
時間が過ぎ去っていったのかもしれないですね。
霍青娥の気さくなんだけどあのちょっとミステリアスで謎めいた雰囲気は、やはりゆかりん同様、ご長寿者としての
「年の功」と言えるのかもしれないです。

あ・・話が思いっきりそれてしまいました・・・(滝汗・・!)

今はアミグリさんが描かれたイラストのお話でしたね・・・(笑)

アミグリさんの描かれるこのにゃんにゃん=霍青娥fはとても気品がある天女のように感じられます。
水着という事でなんとなくですけど少し照れている様な雰囲気も感じられる霍青娥がとても可愛いと思いますし、
このお方がとてもじゃないけど1400年近くも生きていたとは思えないほどの若々しさと可愛らしさが
伝わってきていると思います。
天女の舞を彷彿とさせる雰囲気もあるのですけど、
水着と髪という青色の要素対夕陽という赤い要素の色のコントラストが大変見事だと思いますし、
どちらかというと「夏の終わり・・」を示唆するみたいなとっても爽やかなイラストだとも思います。
霍青娥の頬を赤らめている様子と背景の夕陽の一体感という構図が実に素晴らしいと思いますし、
大変よく考えられたイラストだとも思います。

アミグリさんが描かれた霍青娥は「夏らしい絵を描こう!」に相応しい素晴らしいイラストだと思いますし、
この霍青娥は「天人の夏の終わりに・・」というタイトルを付けたいくらいの天女らしい気品と洗練さに溢れている
素晴らしい作品だと思います。

上記にて転載をさせて頂きましたアミグリさんが描かれた霍青娥のイラストは、
その権利は全てアミグリさんに帰するものでありますので、
無断お持ち帰りや無断コピーは絶対NGですので、 くれぐれも宜しくお願い申し上げます。
私といたしましては、一人でも多くの皆様に dream fantasy のアミグリさんが描かれる素晴らしいイラストを見て欲しい!という気持ちで一杯です!
どうかアミグリさんの dream fantasy という
素敵なブログを宜しくお願いいたします!

アミグリさん、いつも当ブログへのアミグリさんの作品を転載させて頂く事を快諾して頂きありがとうございます!

明日の日曜日はまたまた「咲夜さん語り」なのですけど、冒頭に登場する幻想郷屈指のおバカさんとは
果たして誰なんでしょうか・・?
それでは明日の当ブログも何卒宜しくお願いいたします!
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コメント

おぉー、アミグリさんの絵、表情がとても良いですね~^^あ、例の死神とのバトルで寿命を、の話の続きですね^^仙人から天人へ、ですか。さすがにやっぱり七光りで、ってのは^^;それにしても、なんか、想像を超えた世界の話ですね^^欲を捨てて、修行して、長生きする。欲を持って楽しく生きて短く太く生きる。うーん、どちらもどっちで楽しそうですが^^

鬼は仙人になれるか・・?

八咫烏(全力稼働中) 様


東方の華扇は鬼説がほぼ定着していると思うのですけど、
それならば「鬼でも仙人になっても問題ないのか・・?」という問題が出てしまうのですが、
東方茨歌仙においては、その華扇が死神の小野塚小町と大変な仲がいいというのもある意味で興味深い話であると
思いますし、小町自体は華扇を「監視対象」として見ているのかもしれないですね。

華扇がもしも天人に昇格した場合は、欲を捨てて修行して長生きもするけど同時に人生も大いに楽しむという
とてつもない事が出来ちゃうのかもしれないですね。

アミグリさんのにゃんにゃんのイラストを褒めて頂きありがとうございます!

少女のような微笑みと照れた雰囲気は、にゃんにゃんが実は1400歳の元・人妻とは到底思えないほどの
可愛らしさを見事に発揮されていると思います。
バレオの水着もとっても可愛いと思います!!

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