小学校の頃って、今現在そうしたイベントがあるのかと゜うかは分かりませんけど、
学期ごとに一度のペースで「道徳」の時間を「お楽しみ会」というジュース・お菓子を食べながらクラスメイトの
かくし芸とか手品とか小話とかミニ劇・ミニコントみたいなものを楽しむみたいな時間があったような気がします。
え・・私ですかぁ・・?
こういう時って「芸は身を助ける」というのはありますよね・・(笑)
このブログでは何度も書いている通り、私自身は小学の頃は管楽器クラブにて打楽器を担当し、
中学以降は吹奏楽部でクラリネット・アルトサックスを吹いていましたので、
こうしたイベントの際には「楽器で一曲を吹く」という芸をお披露目すれば周りからは結構「おおぉーーーっ」という目で
見て頂けますし、
金融機関在籍時に、老人会・町内会の一泊二日の慰安旅行に添乗員として同行させられ、宴会で
「おまえたちもなんかやれっ!」みたいな際にも、その旅行時に楽器を一本持ち込んで
懐メロかなんかテキトーに一曲吹く事が出来れば、やはりそれだけで「すごいじゃん!!」みたいな目で見られたりもしましたので、
やはりこういう「一芸」はあると助かりますよね・・(笑)


ちなみにですけど、老人会の慰安旅行の宴会時の余興としてクラリネットで吹いてウケがよかった曲は、
「青い山脈」と「上を向いて歩こう」と「川の流れのように」でしたね! (笑)
その小学校の際のお楽しみ会当時は、私自身は打楽器担当で、その当時はクラリネットは吹いていなかったわけで、
ではどんな楽器を持ち込み何という曲を演奏したかと言うと、
シロフォンという木琴の一種を教室に持ち込み、当時の流行アニメの一つ、「宇宙戦艦ヤマト」のテーマ曲の
シロフォン編曲版でした!
ヤマトは曲自体全然難しくありませんし、クラスのほとんどの人たちはヤマトのメロディーは一度ぐらいは聴いたことが
ありますので、やはりウケはとてもよかったように記憶しています。
あ・・なんか話がそれてしまいました・・(汗・・!) 話を戻しますと、そうしたお楽しみ会において、
一つの定番が「なぞなぞ」だったかな・・?
例えばですけど「パンはパンでも食べられないパンはな~んだ?」 「正解はフライパンで~す!」みたいな他愛も無い
ばかりでしたけど、
例えば「鳥は鳥でも飛べないし食べられない鳥はな~んだっ?」というなぞなぞに対して
ある一人の生徒がなぜかしりませんけど「借金取り!」と答え、周囲が「なんじゃそれ・・?」みたいな雰囲気になっている中、
その生徒が言うには
「だってうちにはよく真夜中にそんな借金取りの人たちがやってきてドアをガンガンぶっ叩くよ・・」と平然と言っていましたけど、
うーーむ、それって当時はあまりよく分からなくても今現在の感覚で思い出すと結構シュールな話なのかも・・??
そしてその十数年後にまさか私自身がそうした「借金取り」の片棒担ぐ羽目になるとは当時は夢にも
思わなかったですよね・・(滝汗・・!)
さてさて、上記で「パンはパンでも食べられないパンはな~んだ?」 とか「鳥は鳥でも飛べないし食べられない鳥はな~んだっ?」
みたいななぞなぞなのですけど、これって別に正解は一つだけではないのですよね。
食べられないパンの回答としては、他には私が思い浮かぶ限りでは、ジャパンとかジーパンとかチノパンとか審判とか
ピーターパンとか前科一犯とかルパンなんかが思い浮かびます。
「鳥は鳥でも飛べないし食べられない鳥はな~んだっ?」のなぞなぞの答えは、そうですね・・これは色々とありそうですね。
例えば、しりとり・あやとり・ねずみとり・関取・鳥取・サントリー・てとりあしとり・ちりとり・うっとり・おっとり・シンメトリー
あたりなのかな・・?
東方好きの皆さまでしたら、正解は・・「にとり」ですよねっ! (笑)
考えてみるとこういうなぞなぞ・クイズって別に正解・答えが一つとは全然限らないのですよね!
他には例えばですけど、
「鯛は鯛でも泳がない鯛はな~んだ?」というなぞなぞの答えとしては、
ネクタイ・期待・気体・死体・遺体・値などが思い浮かびそうですね。
東方の幻想郷のあるキャラの皆さまでしたら「あたい」とか言うのかな・・?
ちなみに東方キャラで第一人称があたいという御方は、チルノ・お燐・小野塚小町・クラウンピースあたりですね・・(笑)
他にはそうですね・・
「イカはイカでも墨を吐かないイカはな~んだ?」というなぞなぞの答えとしては、
西瓜・Suica・トロイカ・配下・哀歌・追加・家庭科・文明開化などが挙げられそうですね・・・
東方好きの皆さまでしたら、正解はやはり「萃香」ですよねっ! (笑)
他にも他にも・・
「栗は栗でも食べられない栗はな~んだ?」というなぞなぞの答えとして、
びっくり・しゃっくり・ゆっくり・こっくりこっくり・がっくり・九十九里などが思いつきそうですね・・・(笑)
とにかく世の中というものは、なぞなぞに限らず生き方とか考え方一つとっても「正解」とか「唯一の答え」というものは
ないと言えるのだと思いますし、それが人それぞれという事なのかもしれないですよね。
ここから先は上記とは全く関係のない話になってしまいますけど(汗・・)
20世紀のアメリカの作曲家のアイヴズというちょっと(?)ヘンというか・・かなり個性の強い作曲家の作品に
「答えがない質問」という7分程度の小品があったりもします。
楽器の構成が、弦楽四重+フルート4本+トランペットという大変シンプルな構成で、
弦楽四重奏は終始、一定の弱奏をするだけで、フルートやトランペットにはほとんど絡んできませんし、
弦楽はトランペットやフルートをほぼ完璧に無視して自分達の世界に入り込んでいる印象すらあります。
こうした弦楽をバックに「トランペット」が浮かび上がる形で一人朗々とメロディーを吹く曲の構造は
なんかとてつもなくユニークですね。
この曲のトランペットの音って、勇壮とか華麗みたいな印象は全く無く
「人の内面」をせつぜつと語り上げる内省的な感じがするのが大変面白いなと思います。
この曲の意図する事ってなんなのかな・・?
「人が存在する事の意義とは何でしょう・・・?」みたいな大変難しい「問い」に対して
その「問い」をトランペットが計7回行っていて
それに対する「回答」という形で4人のフルート奏者が提示しているというのが曲の構造なのですけど、
実際に曲を聴くとすぐに分かるのですけど
フルートの回答は、全然回答になっていないというか、最終的には支離滅裂なメロディーとなって
いつのまにか立ち消えになってしまい
結局トランペットからの「問い」には誰も答えられず不調・・・・という結果で終ってしまう・・・
その間、弦楽四重奏はずっと一定の和音を鳴らし続けているだけで
トランペットとフルートの「高尚な対話」には全く絡まず、延々と自分達の役割にだけ専念しているという
曲なのです。
「希望の光」が見えてくる曲という訳では全然なくて、
聴いていても全然希望とか楽しさなんかは見えてこない不思議な曲とも言えると思います。
「人はなぜ生きるのか、その存在意義とは何なのか・・?」という人間にとっての永遠の課題に対する回答は、
古今東西誰一人誰しもが納得できる「回答」を提示していないからモヤモヤして当たり前という感覚が生じてきます。
「人の生きる事の意味ってなーに?」みたいな問いに対する回答は、
「ある訳が無い」という感じなのだとも思えます。
結局は人それぞれなのだと思います。
自分が生きる事は自分のためなのだし、他人の生き方はそれは他人のもの・・・という事なのだと思います。
だからアイヴズの「答えのない質問」でトランペットからの「問い」にフルートが答えられず
最後は支離滅裂状態になってしまったのは極めて当然のような感じもします。
なんかこの曲を聴いてしまうと、アイヴズから
「そんなに悩まなくてもいいじゃん!、だってどうせ考えたって正解が元々存在しないのだから・・・」みたいな
メッセージを提示されているような気もするのですよね・・・・
アイヴズ自身、平日は「保険会社経営と言う実業家」としての顔を有し
休みの日は演奏される当てもない曲を延々と作曲していたという側面があり、
それではどちらが本当のアイヴズなのかという問題も出てくると思うのですけど
それは・・・・
「そんなの正解は無い、どちらも自分自身なのだ!という事とも何か暗示しているのかもしれませんよね。
なんか支離滅裂な事を書いていますけど、上記のなぞなぞの答えではないですけど、
「世の中には正解と言うものはない、人それぞれ・・」という事を言いたい・・と思って頂ければ幸いでもあります・・(笑)
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ナソナゾって、実は答えがないほうが、ナゾって言葉の趣旨にあっているような気がしますね。ナゾはナゾのままの方が面白いって言葉もあるぐらいですから。
小説なんかも、良書はナゾをナゾのままに、読者に投げるような形で終わったりしますよね。
結果から原因を導き出そうとする現代社会ですが、あえて手を触れずそのままにしておくって考えも悪くないのかな、って思ったりします^^