先日でもないですけど、日曜PM21:00のEテレにて、パーヴォ・ヤルヴィ指揮のN響の定期公演より
ショスタコーヴィッチの交響曲第10番の録画演奏が放映されていました。
というか・・・最近のクラシックファンの皆様の感覚からすると「ヤルヴィ」というとこのパーヴォ・ヤルヴイの方を
思い浮かばれてしまうのかもしれないですね・・(笑)
昭和育ちの私の視点で言うと、やはりヤルヴイというとどうしてもパーヴォの父親のネーメ・ヤルヴイの方ばかり
思い浮かんでしまいます・・・
ネーメ・ヤルヴィは私は大好きな指揮者の一人で、ネーメ・ヤルヴィが日本フィル・東京フィルを客演指揮された時は
よく聴きに行ったものですし、ネーメの手兵とも言えるスコットランド国立管弦楽団とかエーテボリ交響楽団の日本公演の際には
かなり高いチケットを泣く泣く購入し、サントリーホールや東京芸術劇場で聴きに行ったものです・・
その中でも、東京フィルとの「スキタイ組曲」とか日本フィルとの「火の鳥」とか
エーテボリとの「幻想交響曲」は素晴らしい演奏だったと特に記憶に残っています。
だけど、時代はいつの間にか「ヤルヴィ」というと「パーヴォ」という時代になってしまい、
父親の時代から息子の時代へとすっかりバトンは受け継がれてしまっているようですね・・・
ちなみにですけど、パーヴォ・ヤルヴィの兄弟に指揮者のクリスチャン・ヤルヴイと言うお方もいたはずなんですけど、
最近は全然耳にしなくなりましたね・・
やはりパーヴォ・ヤルヴイという「未来の巨匠=世界的名指揮者」という巨星の前にはくすんでしまった・・という感じなのかも
しれないですね・・・(汗・・)
パーヴォ・ヤルヴィ指揮のショスタコーヴィッチの交響曲第10番の演奏は素晴らしいものであり、
私もついつい第一楽章から第四楽章まで全部聴いてしまいほど、演奏に惹きつけられるものは間違いなくあったと
思います。
ショスタコーヴィッチの交響曲第10番は、随分昔ですけど、21世紀の初め頃に、やはりN響を指揮した
インパルのライヴ演奏も大変印象的でしたけど、インパル指揮の方はとにかく陰気で重たくて
なんだか聴いているだけで生きているのが嫌になってしまいそうな陰鬱で重厚な解釈をとっていましたけど、
パーヴォの方はそうした重厚さよりも都会的な洗練さの方を重視している感じもあり、私の好みとしてはパーヴォの方が
どちらかというと好感が持てそうです。
改めてですけど、ショスタコーヴィッチの交響曲第10番は、正直長いし陰気だし、
決して「楽しく人をハッピーにさせる曲」では間違っても無いと思います。
とにかく、苦しくて閉塞感が漂う曲です。
だけど、私はこの交響曲、昔から大好きなんですよね・・・
ショスタコーヴィッチは、第二次世界大戦終結後に作曲された交響曲第9番が、世間や
当時のソ連の指導者スターリンが求めた「第二次世界大変に勝利した歓喜の交響曲を作るべきだっ!!」という期待を見事に
裏切り、比較的軽いノリのシンフォニーを作ったために、スターリンやソ連の音楽官僚達の逆鱗に触れてしまいます。
私自身は、この交響曲第9番は、大好きな曲です。全体を通して、おもちゃ箱をひっくり返した
ような聴き所満載の曲です。特にファゴットの悲壮なソロから一転して、「なーーんちゃって」
とアッカンベーするような第五楽章への転換部分は、本当にたまらんです・・・(笑)
その結果なのかどうかは分かりませんが、ショスタコーヴィッチ自身は、1953年にスターリンが死亡するまで
約8年間、交響曲作曲の筆を一時断絶し、スターリンが死亡したと同時に、この謎めいた交響曲第10番を
発表するのです。
(ちなみに・・・スターリンが亡くなった日に同時に・・あのプロコフィエフも逝去しています・・これは結構すごい偶然かも・・)
でもこの交響曲明らかにバランスが悪い・・・
重苦しくて陰鬱な第一楽章が長過ぎるからそう感じるのかもしれません。
(第一楽章約23分 第二楽章5分 第三楽章18分 第四楽章10分)
第一楽章だけを聴いてしまうと、とにかく何の「救い」も見えてこないし、生きている事自体が本当に嫌になってしまいそうな
重苦しい楽章です・・・
そして、第一楽章とは対照的に明らかに短すぎる第二楽章が極めて印象的です。
作曲者自身の言葉では、この第二楽章は「スターリンの肖像」と記されていますが、
暴力的で粗暴な曲の雰囲気は、確かにそうなのかもしれません。
そして、第三楽章は、一番謎めいています。
何となく、脱力めいた部分もあります。
曲が盛り上がってくると、ホルンのファンファーレみたいなメロディーの断片がそれを遮るという感じがします。
専門的な話になってしまうのでここではあまり深く掘り下げませんが、
そのメロディーラインの遮りこそが、実は「DSCH音型」という大変やっかいなものなのです。
ショスタコーヴィッチ自身のドイツ式の綴りのイニシャルから取った「DSCH音型」という四つの音型パターンが
この交響曲の至る所で登場し、
この「DSCH音型」が登場しない第二楽章は、スターリンの独断場を示唆し、
その音型が頻繁に登場してくる第三・第四楽章で
「スターリンが死んでやっと自分は解放された・・・これからは・・・スターリンの目を気にする事なく
自分が作りたい曲を作曲しまくるぞ!! もう誰にも文句は言わせない・・・
自分がやりたいようにやる!!」みたいなメッセージを提示しているようにも・・私には思えてなりません・・・
第三楽章の中で、かなり乱暴で粗野な強奏の部分が登場し、「とてつもなく盛り上がってきた・・」と聴衆に思わせておいて
次の瞬間に前述のDSCH音型がその流れを断ち切り、それが何度か繰り返されると
聴いている方としても「またかよ・・」みたいな妙な脱力感を感じてしまいますし、
唐突に背後の人間から膝かっくんを食らった様な感覚にすらなってしまいます・・・(笑)
自分が作曲した曲の中で、一番の自分の敵=スターリンと、自分自身を登場させるなんて・・・
ショスタコーヴィッチの「自己顕示欲」は意外と強かったのかもしれませんし、
同時に、時の権力者=スターリンが生きている間は、粛清・誠司収容所送りが怖いから何も言えず
ただ時の経過をひたすら待ち、そしてスターリンが死んでしまったら、これまでの鬱憤を晴らすように、
交響曲の中に、スターリンは登場させるわ、自分自身も登場させるわ・・・と、とにかくやりたい放題が出来るようになり、
権力者の死によって、やっと「一つの自由」を得たと言えるのかもしれないですね。
第四楽章が私としては一番興味深いです!
冒頭はとにかく哀しいです・・・
オーボエの哀しさ溢れるソロから開始され、
その哀しい雰囲気は、クラリネット・フルート・ファゴットに受け継がれていき、
とにかく・・不安・寂寥感・孤独・哀愁みたいな雰囲気が前半は全開です。
だけど・・・・
クラリネットのソロ以降のアレグロの展開部では、幸福感すらも感じさせる曲の雰囲気になってしまいます。
それにしてもこの楽章のラスト10小節前辺りのティンパニのソロは格好いいですね!!
あのソロをかっちりと決める事が出来れば、ティンパニ奏者冥利に尽きると思います!!
交響曲全体を眺めてみると、第一楽章の重苦しさが曲全体のイメージを支配している傾向が強く、
第四楽章後半のアレグロだけでは、何の解決にもならないという印象は残ってしまいます。
結局、この曲でショスタコーヴィッチは何を言いたかったのでしょう?
本来「人間の死」というものは、哀しく荘厳なものであるものなのかもしれないです。
だけど、この国(旧、ソ連)では、時の指導者スターリンが死亡しない限り国民全体の開放感や幸福は訪れない・・・
そうした矛盾を皮肉を込めて作曲したのかもしれません。
ショスタコーヴイッチ自身も、交響曲のジャンル一つとっても、様々な矛盾を内在しています。
例えば、交響曲第11番「1905年」とか交響曲第12番「1917年」なんかは、
明らかに時の音楽官僚等に対するごますり・ご機嫌取りみたいな御用作曲家みたいな側面を
見せながらも、12番以降以降の
交響曲第13番「バービィ=ヤール」などのように反体制家と評されても仕方がない曲も残している事を考えると、
うーーん、やっぱり人は色々と生きる上では・・
内在した矛盾を抱え込んでいるのかもしれませんよね・・・
だけど、人間自体が、その感情が一定しないというか、その時の心情によって自身の考えも色々と変容し、
ある時は「スターリンを満足させたり、国家を発揚させる曲を書いてみよう。自分も国家の一員として
貢献したい」という気持ちもあったかもしれませんし、逆に「スターリンのタコ!! パーカ!!! 少しは
自分にも自由に作曲できる場を与えて欲しい。てめーなんか死んでしまえ」と思う場面も
あったのかもしれません。
この交響曲第10番は、「雪解け」という小説にも登場するそうです。
この曲をラジオで聴いた小説の主人公が、「数字だ・・・無限の数字だ」とつぶやくシーンがあるそうですが、
この曲のどこに数字を感じる所があるのでしょうかね・・・
やはり人によって感じ方は様々なのですね。
今にして思うと、信じられないのですけど、
私がショスタコーヴイッチの曲を聴いたのは、実はあのあまりにも有名な交響曲第5番「革命」ではなくて
交響曲第10番というのも、いかにも私らしい話なのかもしれないです・・(笑)
しかも、それは管弦楽としてではなくて、吹奏楽アレンジ版という変化球として聴いています。
それが何かと言うと、1981年の山形県で開催された全日本吹奏楽コンクール・東北大会の
高校B部門の秋田西高校の素晴らしい演奏だったのです。
でもあの演奏は本当に素晴らしかったです!!
わずか35人の編成とは思えない重厚感漂う演奏であり、特に後半のアレグロのスピード感溢れる展開は
「小編成の限界」を超越した演奏だとも思えます。
BJの演奏評では「孤独・不安・寂しさの雰囲気はうまく出せていたけど、ソロがプレッシャーのため緊張感を持続
出来なかったのは惜しい。アレグロも素晴らしかったが、もう少し重厚感が欲しい、どちらかというと祝典序曲みたいな
キャラクターの演奏になってしまった」と記されていましたけど、
うーーん、ちょっと違うのかも・・・?
私の印象では、ソロの雰囲気も寂寥感と不安を見事にキープしていたと思いますし、アレグロ以降の展開も
悲壮感と明るさが混在した洒落っ気と重さを両立した素晴らしい演奏だったと感じたものでした。
後年、佐藤滋先生は母校のあの吹奏楽の超名門・秋田南に赴任されましたけど、
やはり高橋紘一先生という存在は大きかったみたいで、結果的に秋田西高の時のような名演を残せないまま
秋田南を静かに去られていたのはなんか気の毒・・みたいな感じもありました。
考えてみると、この秋田西高校の演奏をきっかけに、
「あれ、ショスタコーヴィッチという作曲家はどんな背景があり、他にどんな曲を作曲したのだろう・・?」
「何か交響曲第5番がやたら有名みたいだけど、どんな曲なのかな・・」
「丁度スターリン体制化のソ連時代と生涯が被っているけど、どんな背景がこの曲にあったのかな・・」などと
ショスタコ―ヴィッチについていろいろ興味を持つようになり、
私がショスタコ―ヴィッチを聴くようになった大きなきっかけを作ってくれたようにも思えてなりません。
その意味では、この秋田西高校の演奏と指揮者の佐藤滋先生には、「感謝」の言葉しか
ありません・・・
本当にありがとうございました・・・!!
最後に、改めてこのショスタコーヴィッチの交響曲第10番ですけど、
「恨みつらみ」も含めて、副題に「スターリンと私」 みたいな感じが似合いそうな曲だと思います。
この曲は何度聴いても圧倒的にバランスが悪い・・・ 、悪すぎる・・と感じざるを得ないですね。
悲劇的な感じの第一・第三楽章、に対して第四楽章は、前半がそれまでの悲劇的雰囲気を継承し、
幾分幸福感が見えてくるのは、中盤以降のアレグロ展開のみ・・・
うーーん、暗い感じが圧倒的に長くて「救い」的な部分があまりにも短か過ぎるのですよね。
第四楽章の後半のアレグロが何となく・・・・「祝典序曲」のあの健康的な明るさすらも感じてしまうのですけど
そこに至る経緯がとてつもなく唐突という印象がある事が
やはりこの交響曲自体を何か「とっつきにくいもの」にさせているのかもしれませんよね
例えば、交響曲第4番・交響曲第10番とかチェロ協奏曲第2番とかヴァイオリン協奏曲第1番などのような
ショスタコーヴィッチの曲の中でも重苦しい曲を聴いた後で
「祝典序曲」とかジャズ組曲とかバレエ音楽「ボルト」とか編曲作品ですけど「二人でお茶を」みたいな
軽妙な曲を聴いてしまうと、「本当に交響曲第10番を書いた方と祝典序曲を書いた人は同一人物なのか・・・・」と
心の底から感じてしまうものです。
「人間の心の多様性」とか「人は決して一つの感情だけで動くものではない・・・」という事を
明瞭に提示できる何よりの証拠という感じですね。
ショスタコーヴィイッチのこうした明るく軽い曲と深刻で悲劇的な曲を書けてしまう「二面性」は
高校の頃には、既に何となく気が付いていました。
この事を吹奏楽部の同期で同じくクラリネットを吹いている奴に聞いてみると・・・・
「それは中島みゆきも同じだからな・・・・
あんなジメジメと陰々滅々とした曲を書いてしまう人か、オールナイトニッポンのDJでは・・・・
あんなに弾け飛んでしまうのだからな・・・・」と
いかにも中島みゆきファンらしいコメントを発していたのが、何か今でもとても印象に残っていますし、
意外とショスタコーヴィイッチの本質を突いているのかもしれないですね・・・(笑)
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