16.駒澤大学高校
D/アルメニアンダンスパートⅠ(A.リード)
「駒澤」と聞くとどうしても大学の部のあの名門・駒澤大学をついつい連想してしまい、
「大学があんなに上手いのだから付属の高校だったきっと上手いんでしょ・・」と思われがちなのですけど、
そうですね・・・1980年代中盤から2000年代前半までほぼ毎年のように都大会を聴いていた人間から
言わせて頂くと駒澤高校に関してのコメントは
「駒澤高校・・・? うーーん、なんか微妙な立ち位置・・」という感じだったのかもしれないです。
確かに毎年のように都大会予選を勝ち抜け都大会本選に出場していたと思いますけど、
都大会の演奏を聴く限りは、「無難」とか「おとなしい」とか「ギラギラした個性があんまり感じない」
「洗練されたサウンドだけど聴く人に伝わるものはあんまりない・・」という印象が強かったような感じもあります。
都大会でも出場すれば毎年銀賞を取り続け、
銅賞と言うレヴェルではないけど全国大会代表・金賞を掴みとるまでのテクニックとか音楽性は
有していないチームみたいな感じもあり、そのあたりは全体的には「中途半端」みたいな印象もあったかとは
思います。
個人的には、1987年の都大会で演奏した課題曲C/コンサートマーチ87のほのぼのとした感じとか自由曲の
ホルストの「惑星」~木星の木管の巧さと中間部の音楽的高揚感は素晴らしいと思いましたし、
なんであの演奏が全国大会代表に選出されず、下手くそ極まりない東京朝鮮学校のショスタコの「祝典序曲」が
代表になってしまったのか、いまだに私にとっては謎ですし、
あの都大会の審査員の耳はどうかしていたんじゃないのかな・・・?といまだにふと思う事はあります・・・(汗・・!)
駒澤大学高校は、80年代と90年代にも何度か全国に駒を進めていますが、正直何の特徴もない演奏だったと思います。
だけど88年のセント・アンソニー・ヴァリエーションも 89年のアルメニアンダンスパートⅠも
92年のローマの祭りも技術的には一定水準には達しているものの
聴衆に必ず゛しも「何か」は伝わりきれていない個性という点では弱い演奏が多かったような印象が強いですね。
1992年の全国大会では駒澤と東海大学第四とで「ローマの祭り」が2チーム続けて演奏されていたのですけど、
あくまで単純比較で言うと、東海大学第四の圧倒的なエネルギーの塊りとパワーと絢爛豪華さの前では
駒澤大学高校の「おとなしさ・無個性・貧弱さ」は逆に際立っていたようにも感じたものでした。
だけど、これが吹奏楽コンクールの怖さでもあり醍醐味でもあるのですけど、
ある時から急に吹っ切れたように別のチームのように覚醒してしまう事もあるのですよね!
その一番いい事例が九州支部の精華女子と玉名女子だと思いますが、
2000年代以降の駒澤大学高校もその典型例だったような印象があります。
ハンガリー民謡「くじゃく」による変奏曲のしっとりとした内省的表現とかローマの祭り・宇宙の音楽等の華やかさなど
突然全く別のチームになったかのような「覚醒」がそこにはあったと思いますけど、
1983年以降ずっとこのチームを指導されていた吉野先生の長年のご苦労がようやく実を結んだと言えるのかも
しれないですね。
話を戻しますと、1989年の駒澤大学高校はまだ「微妙・・」という感じの時代だったのかなぁ・・とも思います。
というか、1989年までは関東第一高校が覚醒前の状態でしたし、80年代はまだ都立永山や片倉を指導されていた
馬場先生もまだ試行錯誤の段階でしたので、
1980年代の高校の部の都大会は、あまりレヴェルも高くなく、全国大会には比較的行きやすい時代ではなかったのかな・・とも
思います。駒澤大学高校にとってはどちらかというと全国大会を狙いやすい立ち位置にいたとは思うのですけど
それが出来なかったというのはやはり当時のそうした「中途半端さ」が大きかったのかな・・とも思ったりもします。
それに比べて現在の都大会はかなりの激戦ですよね!
東海大学高輪台・東海大学菅生・八王子・都立片倉、そして駒澤と全国大会でも銀賞~金賞を確実に受賞できる
レヴェルの高いブロックになっていて、
私が現役の頃の80年代のように「都大会の高校の部代表は、全国に出場してもほぼ銅賞ばっかり・・」という低迷期では
少なくともありませんから、やはり吹奏楽コンクールの日進月歩はすごいものがあるよな・・・と
感じるばかりですね!
駒澤大学高校も2000年以降は何度も全国大会に出場しかなりの高確率で金賞を受賞されていますので、
吉野先生の長年のご苦労がようやく花開いたといえるのだと思います。
だけど最近は東海大学勢に押され気味でここ数年は全国大会出場から遠ざかっていますので、
再度もうひと踏ん張りして頂きたいと思っておりますし、あのくじゃくや宇宙の音楽等の名演の再来をとても
期待しております!
1989年の駒澤大学高校の演奏ですけど、
「特徴がないのが特徴」と言えるくらいインパクトが弱い演奏というか、感銘性が極めてうすい演奏だったと
思います。
駒澤の演奏は都大会でも全国でもどちらも聴いたのですけど、どちらも「おとなしくて無難すぎる演奏」という
感想ぐらいしか言葉が出てこない感じもあります。
この年の自由曲の「アルメニアンダンスパートⅠ」も過去において多くの他校の名演があるものでして、
そうした過去の名演とついつい比較してしまう訳でもないのですけど、
やはり伝わるものがあんまりなくて「全体のテクニックは一定水準をキープしているのに勿体無いよね・・」と
やはり感じざるを得ない演奏だったと思います。
ソロ楽器の印象が弱いというのも全体の印象の薄さに拍車をかけていたような感じの演奏でもありました。
だけどこうした時代も、ここから数年後に一気に開花するまでの間の「産みの苦しさの時代」と言えるのかも
しれないですね。
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技術力の問題もあったと思いますが、音楽的魅力の方が問題だったかも?
今みたいに、畠田先生・馬場先生みたいな指導者も少なく(中学は酒井先生・塚田先生のような指導者がいましたが)、難儀したことでしょう…。
今の東京代表の活躍は隔世感があります。