15.下関商業高校
B/バレエ音楽「ガイーヌ」~序奏・ヌーネの踊り・アイシェの踊り・レスギンカ舞曲(A.ハチャトゥーリアン)
一言で言うと「全然うまくは無いけどとにかく可憐でとっても可愛い演奏!」みたいな言い方が
これほどよく似合うようなチームはあんまり無いという事なのだと思います。
全国大会初出場とか午後の部のプログラム一番とか奏者にとっては色々と緊張する要因も数多く
あったとは思いますし、恐らくは普段の練習の成果の半分も普門館のステージで発揮できないまんま
本番があっという間に終わってしまい、評価も銅賞と言う結果で終わってしまいましたぁ・・みたいな感じなのだと
思うのですけど、表面的な「銅賞」という一言で片付けるのには少しばかり抵抗がある演奏というのも
私自身の率直な感想です。
一言で言うと課題曲も自由曲も大変チャーミングな演奏で、確かに技術的な拙さとか
サウンド全体のモヤモヤ感とかサウンドの濁りもあるのですけど、そうしたマイナス点を消し去るような
「おおらかさ・のびのびとした雰囲気」みたいなものはあったと思いますし、
同じ県内の下松高校の初期の頃のように
いかにも「普通の先生と生徒達が一生懸命練習して手作りの音楽を誠実に作り上げ
それを普門館のステージでも高らかに響かせることができました」みたいな雰囲気を普門館の会場の隅々にまで
伝えていた姿勢は大変立派なものがあると思いました。
あの拙いサウンドなんだけど「自分達のありのままの音楽、普段通りの音楽を聴かせよう」みたいな意図は
私の耳にも十分伝わっていたと思います。
今現在の吹奏楽コンクール・全国大会というのは、全般的な傾向として私立高校が優秀な中学生をスカウトしてきて
優秀な吹奏楽指導者が細かく指導し、あの華麗できらびやかなサウンド&表現を創り上げ
どちらかというとそうした「人工的な音楽」の演奏の方がむしろコンクールとしては高い評価を受ける傾向に
あるのかな・・?みたいについつい感じてしまいますし、
そうした傾向が大変強い高校の部においては、
この1989年の下関商業みたいに「伝統も実績も特段うまい奏者も優秀な指導者もお金も何も無いない・・」みたいな
普通公立高校が「手作り音楽」一本で全国大会に出場できるという事は
正直・・・四国大会以外はかなり難しくなりつつあるのかもしれないですね。
そうした意味では四国の伊予高校の存在は全く別の観点から言うとかなり希少価値が高いと言えるのかも
しれませんね。
さてさて、下関商業の演奏ですけど、奏者のユニフォームがいかにも「地方の公立高校みたいな制服」という香りが
漂っていて、1989年当時は多くの普門館常連チームが普門館用の特注ステージ衣装を身に纏っての演奏が
既に定着化していたと思われる中、
ああいう男子→学ラン 女子→普通のブレザーという「普通の制服」は逆に視覚的には大変新鮮で
あったようにも感じられたものでした。
確か・・・私の記憶の中ではステージ最後段のパーカッションのとある女の子のツインテールの髪型がとっても似合っていて
可愛かったのは大変印象的です! (笑)
演奏ですけど、課題曲B/WISHは、高校の部でBを選んだチームが少なかったのですけど、
洗練の極みとしか言いようがない常総学院とか逆にサウンドが大変泥臭い花輪のように個性的な演奏が
多かった中では、悪く言うと可もなく不可も無く無難にまとめたという印象が大変強いのですけど、
やはり音楽に対して大変誠実に向き合っているみたいな「音楽としての温かさ」は十分伝わっていたと思いますし、
この課題曲のテーマでもある「希望の光」みたいなものは、間違いなく普門館の客席にも照らす事は出来ていたと
思います。
反面、例えばホルンの雄叫びとか木管の高音の響きの高まりの箇所はもう少し果敢に表現して欲しかった・・みたいな
消極的的な表現にも感じられたのは勿体なかったと思います。
自由曲の「ガイーヌ」は、もう少しいい意味でのワイルドさ・野性味が欲しかったですね。
確かに音楽として無難にまとめ上げていて、課題曲で少し感じていた「モヤモヤ感」はあまりなく
音楽としてのおおらかさは十分に伝わっていたと思うのですけど、そこに「自分達はこう演奏したい!」みたいな主張が
あまり感じられず、終始おっとりとした響きにまとめていて、
その「あっさり感」は聴く方にしてみれば確かに上品さとか聴きやすさはあるかとは思うのですけど、
やはりコンクールとしてのインパクトという意味では相当損をしていたようにも感じられます。
下関商業の自由曲の「ガイーヌ」で大変興味深いのは、バレエ音楽の中から四つの部分を選曲していたのですけど、
序奏とヌーネの踊りが林紀人先生のアレンジで、アイシェとレスギンカが藤田玄播氏のアレンジという事で
自由曲の中でアレンジャーが二人いて、
林先生のアレンジは中央大学の演奏が提示する通りまさに積極果敢な表現を売りにし、
藤田氏の方はどちらかというと素朴さ・ファンタジー感をイメージするアレンジでもありましたけど、
自由曲全体の感想として「部分部分は上手いけど全体のイメージとしてはあまり伝わるものが弱い」というのは
この辺りにも一因があったのかもしれないですね。
アイシェの目覚めと踊りの部分は、課題曲で感じた「モヤモヤ感」みたいな不鮮明さも時に顔を出してしまい、
それがコンクールとしてはマイナス要素だったのかもしれないです。
最後のレスギンカは、アイシェのモヤモヤ感を吹っ飛ばしてくれる快演で、
まさに「終わりよければすべてよし!」みたいな演奏でもあったと思います。
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