新年が明けて三日目ということで、三が日も本日で終わりで早い方ですと明日から出勤という方もいらっしゃるのかも
しれないです。
今年のお正月は2021~22年の行動制約付きの年末年始という訳でもなくて、3年ぶりのある程度の人出のある
少しは活況のある新年という事で、久しぶりに初詣や初売りも結構にぎわっていたと感じられます。
ショッピングモールとか大型商業施設等の1月1日~3日の初売りの際の定番のお正月用BGMとしては、
宮城道雄の「春の海」や雅楽「越天楽」は一つの定番なのかもしれないです。
この種の曲は日常にBGMとして店内で流したとしたら相当な違和感はあると思いますが、
正月と言うのんびりとしたおめでたい時間にこうした曲を流しても全然違和感はありませんし、気持ちとしては
「日本のお正月だよね~」という雰囲気はあると思います。
越天楽は元々は、龍笛・篳篥・笙などから構成される雅楽の曲で、宮廷音楽というのか雅楽の中では一番知名度がありますし、
和式の結婚式においては定番のBGMの一つだと思います。
越天楽は越古くから存在する雅楽ですが、日本と西洋の楽器の種類の違いはあるにせよ、基本的には弦楽器・管楽器・打楽器
から構成されています。
西洋の弦楽器に相当するのが、琵琶と筝であり、西洋の管楽器に相当するのが竜笛・笙・篳篥であり、打楽器に相当するのが
楽太鼓・鉦鼓と言えると思います。
「楽器の基本的構成が同じならば、越天楽を西洋楽器を使用した管弦楽に編曲にするといのもありではないのか?」という事を
思いつき実践されたのが近衛秀麿編曲の管弦楽版「越天楽」です。
近衛秀麿は元々お公家さんの一族でしたけど、西洋音楽もしっかりと勉強されていて、
楽器の移し替え・移調は、案外造作はなかったのかもしれません。
それでは具体的に元の越天楽の雅楽の楽器をどのように管弦楽で使用する楽器に置き換えたのかと言うと、
•笙→ヴァイオリン
•龍笛→フルート、ピッコロ
•篳篥→オーボエ、ソプラノサックス、トランペット、エスクラ(小クラリネット)、ヴィオラ、チェロ
•鞨鼓→スネアドラム
•鉦鼓→トライアングル
•太鼓→大太鼓
•箏→ホルン、ピアノ、クラリネット
•琵琶→ファゴット、チェロ となっています。
面白いのは琵琶をファゴットに置き換えた事だと思います。聴こえてくるのは確かにファゴットの音色ですけど、
なんとなく琵琶っぽく聴こえなくもないです。
龍笛をフルートに置き換えたのはそっくりそのまんまという感じもしますし、打楽器はほぼ忠実に置き換えているような
印象もあります。
箏をホルンやピアノに置き換えるちょっと意表をついたアレンジは、近衛秀麿が指揮者としての実地での経験を
活かしているようにも感じられます。
本物の雅楽によるオリジナルの越天楽も聴いたことがありますけど、単純に比較すると管弦楽編曲の越天楽との
違いは当然大きいです。管弦楽版の越天楽は何よりも音楽の作り方は西洋風そのものに聴こえます。
編曲者の近衛秀麿のできるだけ雅楽風に歌わせようとする意図は分かりますけど、
どうしても小節の頭で楽器同士が揃ってしまう感覚は強いと思います。
雅楽みたいな微妙なズレというのか「間」というものが必ずしも絶対的にそこにある訳ではなくて、
どうしても西洋合理主義に由来する「楽譜に書かれている事をまずは正確に正しく表現しよう」という感覚が
日本的なあいまいさ・微妙さ・わびさびの感覚を上回っているようにも感じられなくもないです。
一方で元の雅楽としての越天楽と管弦楽編曲版の越天楽の双方においての曲のメロディーラインの雰囲気自体は、
驚くほど良く似ているようにも聴こえます。
そう思える根拠は、言葉にすると大変難しいのですけど「ゆったりとしたゆるいテンポ」が
例え本来の雅楽で演奏しても西洋楽器で演奏しても、大した違いは出ていないという事があると思えますし、
この極めてゆったりとしたテンポが、いかにも日本古来らしいメロディーを奏でる事に大変よく合っているからなのかなぁ・・とも
感じたりもします。
私自身、管弦楽版の近衛秀麿編曲の「越天楽」はほとんど聴いたことがなかったのですけど、
21世紀に入って間もなくの頃、ナクソスレーベルから、沼尻竜典指揮/都響の「邦人作品集」のCDが出て、
この中にこの「越天楽」が収録されていました!
このCDを最初聴いた時は、正直驚きました。
全く違和感がなく、以前何となく感覚で聴いていた雅楽としての越天楽を西洋楽器の管弦楽版で聴いても、
それ程大きく変わったという感じは正直しませんでした。
演奏が、テンポがゆっくり気味で、非常に音色が洗練されているというせいもあるのかもしれませんけど、
意外なほどそこに違和感はありませんでした。
以前何かの実験番組か何かで、雅楽のような和楽器で、チャイコフスキーの白鳥の湖とか
グリンカの歌劇「ルスランとリュドミーラ」序曲を演奏しているのを見た事がありますけど、
この時は相当な違和感は感じたものでした。
この違和感というのは「能や文楽を金髪碧眼の西洋人が演じた時に日本人が感じる違和感」に近いものがあるのかも
しれないです。
越天楽の管弦楽版を最初に聴いた時の事前の予想としては。
上記のように例えばアメリカ人が歌舞伎とか能とか文楽を演じた時みたいな違和感を感じるのかなと
思っていましたけど、そうした違和感は全くありませんでした。
和の楽器で西洋の音楽を奏でる事と洋の楽器で和の音楽を奏でる事の違和感の違いは大変興味深いですし。
そこには「日本人にしかわからない感覚」というものもあると思います。
黛敏郎にも「舞楽~BUGAKU」という越天楽と発想が同じような曲があるのですけど、
こちらもあまり違和感がないという印象はあります。
この曲を更に吹奏楽にアレンジして演奏した1995年の秋田南高校の素晴らしい演奏もあるのですけど、この吹奏楽版舞楽も
聴いていて全く違和感は無いです。
この管弦楽版の「越天楽」なのですけど、実は第二次世界大戦前にこの曲を録音されていた超大物指揮者がいました!
それこそがストコフスキー指揮のフィラブルフィア管弦楽団でした。
ちなみにその音源はSPレコードです。
近衛秀麿が編曲し指揮した管弦楽版「越天楽」を聴いたストコフスキーが気に入ってコンサートで演奏し、
こうやって録音まで残していたのですね!
ちなみにこのSPレコードは聴いたことがないのですけど、演奏自体はとっても興味があります。
果たして沼尻さん指揮の都響の演奏に比べてそこに違和感はあるのかないのかは大変面白いものがありそうです。

ここから下記は「ららマジ」の話です~♪
橋本ひかりは、箏を担当している高校3年生のJKさんです。
橋本ひかりは、身長が高くスタイルがよい美少女というよりは、ララマジ屈指の正統派美人さんだと思います!
同じ和楽器担当という有栖川翼とは対照的に、引っ込み思案で恥ずかしがり屋な性格で、
特に男性に関して強い苦手意識を持っているというのも、アニメ・ゲームにおける美少女キャラのこれまたすてきなお約束の
一つなのかもしれないです。
面倒見がよく器楽部の後輩からは大変慕われているそうです。
管弦楽版の越天楽の箏はホルン・ピアノ・クラリネットに置き換えられていますけど、元の雅楽として越天楽を聴くと、
箏の響きは古き日本の情緒みたいなものを感じさせてくれていると思います。
雅楽を管弦楽にアレンジする事もかなり大胆な発想ですけど、それ以上に大胆で無茶苦茶な編成のららマジ器楽部による
越天楽というのも面白いものがあるのかもしれないですね~♪
お正月モードもまもなく終わりでいつもの日常が戻ってきますけど、越天楽のような日本情緒溢れるゆったりとした音楽の
気持ちは忘れずにゆとりをもって年明け早々の仕事などもこなしていきたいものです。
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近衛秀麿は懐かしい名前ですね。
兄貴は総理大臣という有名な音楽家。
しかし兄貴と正反対の超強気で頑固でも仲は良かった。
彼は大のナチス嫌いで、ヨーロッパ公演でイヤガラセを受けまくったとか。
近衛家の人間なのに、西洋音楽に精通してると、子ども心に思ったものです。