このブログの「クラシック音楽」カテゴリでは、結構このラフマニノフの「交響的舞曲」の事は
出てきますよね!
それだけ、私・・このブログの管理人は、この曲が大好きなのだと思います!
大変陳腐で月並みな言葉ではあるのですが、ラフマニノフの曲を聴くとなぜかいつも「郷愁」とか「メランコラリック」という
言葉が思い浮かびます。
なんかあの甘美で優しくせつないメロディを耳にしてしまうと
「確かにあのせつなくて甘いメロディは本当にいいもんだなぁ・・」としみじみ感じてしまいますね!
ラフマニノフ自身は第二次世界大変前後まで生きられた「20世紀の作曲家」なのですけど、
その作風は恐ろしいまでに「革新性」は全く無く、とても同年代にストラヴィンスキーとかプロコフィエフとかラヴェルとか
ウェーベルンがいたとは本当に信じられない程です。
あの作風はまさにロシア革命前とかロシア5人組の頃のようなまさに19世紀のロシア音楽の黄金時代の作風を
そのまんま20世紀に持ってきたという雰囲気が濃厚で、「伝統」とか「自分のスタイル」をきっちりと生涯守り続け、
頑なまでに自分のカラーというか信念を曲げずに生きていた方と言えるのだと思います。
ラフマニノフ自身も、ストラヴィンスキーやプロコフィエフと同じように革命とか共産党政権というものに嫌悪感を覚え、
「亡命」という祖国を離れる道を選せざるを得なかったのかもしれません。
プロコフィエフは一時的にソ連を離れて自由な欧米の空気を吸った事で、当初のスキタイ組曲とか交響曲第2番などの
ような過激な路線から「適度な洗練」とも言える路線変更と言う「お土産」を貰ったような感じもしなくはないのですが、
ラフマニノフは、ロシア時代の作品もアメリカへの亡命以降も作風的にはほとんど進化はしませんでした。
出世作のロシア時代に作曲されたピアノ協奏曲第2番で、「自分の進むべき路線はこれしかない」と決意し、
それをアメリカに亡命以降も頑なに貫いたと言えるのかもしれないです。
そしてそのラフマニノフの「進むべき路線」とはまさに「甘くてせつない狂おしいばかりのロマンティック」という事なのだと
思います。
アメリカに亡命以降の主要作品は、交響曲第3番・ピアノ協奏曲第3番・交響的舞曲ぐらい
なのですけど、これは生前は作曲家としての認知度よりも実はピアニストという演奏家としてのラフマニノフの認知度が
高い事情もあり、アメリカ亡命時代は基本的には演奏家としての生活が大変忙しく、作曲活動をしている時間が
あまりなかったというのも大きかったと思いますし、「亡命」という環境の変化によって、そしてアメリカという新しい環境に
実は馴染めていなくて、心の底では「確かに生活する上ではこの亡命は大切だったのだけど、
この新しい環境下においては、なかなか以前のような路線の曲を書きにくい・・」という事もあったのではないのかな・・とも
感じたりもします。
やはりああいう「甘くて切ない音楽」というのは生まれ育ったロシアの風土でないとなかなか書けないものなのかも
しれないですよね。
さてさて、このラフマニノフの「交響的舞曲」なのですけど、実質的に交響曲第4番と銘打っても良い位の大作で、
晩年の名作といっても良い素晴らしい名曲だと思います。
この曲は「郷愁」に満ち溢れていると思います!
戻りたくても戻れなかった祖国ロシアへのラフマニノフなりの「愛」を表現したかったようにも聴こえてなりません!
第一楽章中間部の哀愁溢れるソロはアルトサックスを使用しています。
この「アルトサックス使用」というのはかなり面白い試みだと思います。当時、「アルトサックス」は、
ジャズとかで使用されるのがメインでクラシック音楽の分野で使用されること自体極めて珍しい事でしたので
私自身もこの曲を最初に聴いた時は、その第一楽章のあの長大なアルトサックスのソロのあの甘い響きに
とてつもなく感銘を受けたものでした。
第一楽章の「ピアノ」も低音の支えが大変素晴らしいよい仕事をしていると思います。
例のアルトサックスのソロを伴奏で支えているのもこのピアノなのですけど、
何てあのメロディー、あんなに泣けてくるのだろう・・・・
あのメロディーは、ラフマニノフのように「故郷がありながら何らかの事情で帰ることが出来ない人間」にとっては
まさに「お涙ちょうだいの音楽」であり、
とにかく聴いていて確実に「泣けるもの」・「哀愁」は伝わってくると思います。
第二楽章は・・・、何か「寄せては漂う波」みたいな感じの不安定で陰鬱なワルツです。
楽章全体が「悪魔が私と一緒になって踊る・・・」みたいなニュアンスが大変良くイメージされ
「死の舞踏」みたいな陰鬱なワルツが小気味よく展開されているようにも聴き取れます。
第三楽章は、やはり中間部が大好きです。
なんだか「人生とははかない夢・・・愛は幻・・」とか「浜辺を漂う波」みたいな香りが漂います。
結構泣けてくるメロディーが「これでもか!!」とかなり執拗に繰り返されますが
何かあの切々としたメロディーがとっても印象に残りますし、
とにかく第一楽章同様泣けてくる音楽ですし、
やはり思いっきり「郷愁」が漂ってきます・・・・
第三楽章冒頭の「チャイム」の響きが実にいいですね・・・!!
シロフォーンも実に鋭角的な響きを聴かせてくれてとても大好きです。
曲のラストなのですけど、スコアの上ではドラ(タムタム)がゴワーーーーンと鳴り響いて余韻を残して終わるように
書かれていますけど指揮者によってこの辺りは解釈が割れているようにも感じられます。
ネーメ=ヤルヴィのようにドラをゴワーーーンと余韻を残す方もいますし、
マゼールのようにドラの余韻をまったく残さないでバサッと終わらせる方もいますし
このあたりは指揮者の好みなのかもしれないですね。
この曲の名盤として、私としては、マゼール指揮/ベルリンフィルを強く推したいと思います。
それにしても、この「交響的舞曲」は素晴らしい名作だと思います!
この「交響的舞曲」を実質的にラフマニノフの「最後の交響曲」として聴くと、
何かこの曲が生涯を通じて一番哀愁溢れる素敵な作品だなと強く感じす゛にはいられないと思います。
ちなみにですけど、ラフマニノフ本人は、この「交響的舞曲」の自作譜の最後のページにて
「私は神に感謝する・・・」という言葉を残しています。
そして余談ですけど、上記にて第一楽章の中間部で「アルトサックス」が長大な甘いソロをせつぜつと吹き上げていると
書きましたが、アルトサックスという楽器は、ジャズ・ポップス・吹奏楽がその主な活躍の舞台なのですけど、
時折こうしたクラシック音楽の分野でもこの楽器が使用されることがあったりもしします。
その代表例として・・・
〇組曲「アルルの女」第一組曲(ビゼー)
→もの哀しさをアルトサックスがうまく醸し出していると思います。
〇組曲「展覧会の絵」~古城
→ムソルグスキーの原曲をラヴェルがアレンジしたものですが、古城にて使用しています、
やはり哀愁をうまく出しています。
ラヴェルだからできた芸当で、武骨な作風のムソルグスキーではこうした繊細なオーケストレーションは
無理なのかもしれないですね。
〇ボレロ(M.ラヴェル)
→アルトサックスではなくて、何とソプラノサックスとテナーサックスがソロとして
使用されます。テナーサックスのハスキーさが素晴らしいのですけど、このテナーサックスという楽器は
もしかして人間の声に一番近いのかな・・?とも感じさせてくれる曲でもあるのかなとふと感じたものでした。
上記はの曲はフランス系のものばかりですが、(ちなみにサックスの発祥の地はフランスです!)
ロシアでも意外と使用されています。
プロコフィエフの交響組曲「キージェ中尉」・バレエ音楽「ロメオとジュリエット」でも
効果的に使用されています。
特にキージェ中尉では、その第四曲「トロイカ」でテナーサックスがコミカルにソロを演じています。
小澤征一指揮のように、このトロイカの部分にバリトンの声を使用する人がたまにいますが、
やはりこの部分はサックスでないと中々味が出てこないのかな・・?とも思います。
でもやっぱりロシアものというとラフマニノフの「交響的舞曲」~第一楽章のアルトサックスの効果的使用が
やはり断トツなのかもしれないですね。
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