吹奏楽のオリジナル作品の中で「イギリスの民謡」をベースにした組曲と言うと、
ヴォーン=ウィリアムズの「イギリス民謡組曲」とかブリテンの「イギリス民謡組曲~過ぎ去りし時」とか
ホルストの「セントポール組曲」などが有名だったりもしますが、
(参考までにですけど、ホルストには実は「日本組曲」という知る人ぞ知る管弦楽版の組曲が存在していて、
この曲・・・お江戸日本橋とかぼうやー、よいこーだー、ねんねーしーなーの馴染みのあるメロディーが登場します!)
そうですね・・・私といたしまして、「イギリス民謡」をベースにした吹奏楽オリジナル曲で、同時に
「この曲だけは絶対に忘れてはいけない、必ず後世まで受け継がれていって欲しい!」と願う曲として真っ先に上げたいのは、
P.グレインジャーの「リンカンシャーの花束」ですね!
グレインジャー自身は、実はイギリスで生まれたわけでもなくイギリスで育った訳でもなく、
実際はオーストラリア人です。
だけど、理由はよく分かりませんけど、イギリス民謡にはまり、その収集を色々とする中で、
「こうしたイギリス民謡を自分なりにアレンジしたり、再構築したりしてみよう」として色々と試行錯誤した一つの完成体が
この「リンカンシャーの花束」と言えるのです。
この曲はどうみても「組曲」だと思えるのですけど、なぜか曲のタイトルとして「組曲」の名は登場してこないのが
なんか不思議な感じもあります。
曲は以下の六曲から構成されています。
Ⅰ.リスボン
Ⅱ.ホークストゥの農場
Ⅲ.ラ・フォード公園の密猟者
Ⅳ.元気な若い水夫
Ⅴ.メルボルン
Ⅵ.行方不明の婦人が見つかった
一見聴いてみると、民謡をベースにしているせいもあり、非常にシンプルで明快で分かり易い作品のようにも聴こえます。
だけど、この曲、意外とやっかいというか、スコアを眺めていると分かるのですが、
不協和音あり、複数のメロディーが同時進行したり、楽章によっては、「小節」という概念をとっぱらったり
かなり難解な要素がてんこ盛りです。
Ⅰも、早くも部分的に同時進行メロディーが現れたりしてますし、
Ⅱは抒情楽章なのですが、徐々に盛り上げていく表現力は意外と難しい代物ですし、ソロもかなり表現力が求められます。
Ⅲにいたっては、出だしのソロが中々合わせにくいですし、聴き方によってはストラヴィンスキーのペトルーシュカとか
アイヴズの交響曲第4番のように同時に複数のメロディーが奏でられる場面もあったりして
奏者にとっても指揮者にとっても「正確に演奏する事自体がとても大変」という大変面倒な曲でもあると思います。
Ⅳが聴いていて一番楽しいし、いかにも「うきうきと歩いている」みたいな雰囲気があると思います。
Ⅴは、この楽章では「小節」という概念をとっぱらい、この部分に小節という区分はありません。
ラストでは、ここでチャイム・シロフォーンが加わり色彩的に一番派手な感じがします。
特にⅡのソロとかⅢの曲の構成の複雑さは、奏者というよりもむしろかなり厄介な指揮者泣かせの大変な難曲のようにも
感じられます。
事実、この曲の初演においては、ソロ奏者に大きなミスがあったりⅢが見事に崩壊し演奏がほぼ破綻した雰囲気で
終わったという記録が残っているようでして、当時の初演の指揮者がグレインジャーに謝罪をしたという
エピソードも残されています。
全体的にはⅡが結構しみじみとさせられますし、あの徐々にゆったりと盛り上がっていく感動性はあるのですけど、
同時に作曲者としての「計算」も感じられるのが巧いと思います。
このⅡは、「けちん坊な農園主と召使の悲劇」という民謡をベースにされているとの事です。
Ⅴは、「戦争の歌」という民謡をベースにしていますので、音楽的には一番盛り上がる部分です。
CDでこの曲を聴く場合、やはり、フェネル指揮/東京佼成が一番しっくりきますし、納得させられます。
だけど、この「リンカンシャーの花束」を含めた「グレインジャー作品集」というCDを出した超大物指揮者も存在します。
誰かと言うと、泣く子も黙る「ベルリンフィル」の音楽監督のサイモン・ラトルなのですけど、
ベルリンフィルに移籍する少し前に、
この「グレンジャー作品集」をバーミンガム響を従えて録音しています。
この若き天才指揮者にも、何か感じるものがあったのかもしれませんし、
それだけグレンジャーを評価したという事なのでしょうね。
この作品集CDの中で、組曲「早わかり」という曲も収録されているのですけど、これ、実は私自身も初めて聴く曲でしたが、
実はとてつもない「隠れた名曲」だと思います。
このグレインジャーの素晴らしい吹奏楽オリジナル作品は、日本のコンクールでは演奏されることはほとんどないのが
とっても残念です。実はなのですけど、全国大会ではまだ一度も自由曲として演奏されていません。
ヴォーン=ウィリアムズの「イギリス民謡組曲」とかホルストの第一・第二組曲は全国大会でも演奏実績があるだけに
かなりもったいない感じはしますけど、確かに、演奏効果が中々得にくいし、全体としては現在のコンクールの視点から
眺めてしまうと「地味な曲・・」みたいにも感じられるし、技術的には大変難しいし、
そうですね・・一言で言うと「労多くして実りが少ない曲」でもありますので、中々吹奏楽コンクールでは
演奏されにくい曲と言えるのかもしれないですね。
唯一吹奏楽コンクールで生の演奏を聴いたのは、1988年の東京都大会の乗泉寺吹奏楽団の演奏でした。
このチーム、Ⅰ・Ⅳ・Ⅴを取り上げていましたけど、
Ⅴで終わらせると明らかに印象としては中途半端な感じになってしまうような感じもあります。
私が指揮者だったら、多分ですけど、Ⅱ・Ⅴ・Ⅵの組合せにするのかな・・?
だけどこうした「温故知新」みたいな素敵な古典的吹奏楽オリジナル作品も、コンクールで演奏されなくてもいいから
みんなに聴いてもらい続ける曲であり続けてほしいなぁ・・とも思いますね。
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吹奏楽では古典中の古典ですけど、記事でもあった通り
あのラトルが録音していたことでもわかる通り、
実は大変な名曲だと思いますし、わかる人にはわかる素晴らしい名曲だと思います。
なかなか実演でお目にかかれない曲の一つで、忘れられがちなこの名曲をこうやって記事にして頂き、とても感激しました。