プロフィール

ぬくぬく先生 

Author:ぬくぬく先生 
開設当時は、1980年代吹奏楽コンクールの花輪・秋田南・就実・仁賀保・屋代等の素晴らしい演奏を後世に少しでも伝える事が出来ればいいなと思ってこのブログを始めたのですけど、いつのまにか「プリキュア」がメインになってしまいました・・・
最近は「東方Project」も大好きです!!
吹奏楽もプリキュアも何か自分が感じた事を少しでも後世の方に受け継がれるべきものが残せればいいかな・・と思っています。
ちなみに、「大好きプリキュア四天王」は、ドリーム・メロディ・ハッピー・ラブリーです。
ドリームとメロディは自分の中では既に殿堂入り状態ですけど、
現在は・・・・ラブリー大好き!!のラブリー一辺倒です!!
リアル社会では、建築関係のクレーム&アフター責任者を専従し、毎日毎日クレーム対応に当たる日々です・・・
裏の顔は・・・プリキュアと吹奏楽とクラシック音楽一辺倒です・・・
特に特に大好きな作品は・・・プリキュア5とスイートとハピネスチャージです!!
ちなみに、奥様は・・・ミルキィローズとセーラームーン好きの管理人以上のおこちゃまです・・・
東方で大好きなキャラは・・・とにかく大好きキャラがてんこ盛りで、全員大好き!という感じなのですけど、特に特に・・・さとり様・ゆかりん(紫様)・早苗さんはお気に入りです!!
吹奏楽では・・ネリベルの「二つの交響的断章」と「アンティフォナーレ」、スパークの「ドラゴンの年」、リードの「オセロ」と第二組曲「ラティーノ・メキシカーナ」、パーシケッティーの「仮面舞踏会」、C・スミスの「ダンス・フォラトゥーラ」などが死ぬほど好きで、クラシック音楽では、ウォルトンの交響曲第1番と矢代秋雄の交響曲、プロコフィエフの交響曲第5番、アーノルドの交響曲第2番、第4番、ショスタコの交響曲第7番「レニングラード」、マーラーの交響曲第3番「夏の朝の夢」、ハンソンの交響曲第2番「ロマンティック」、ストラヴィンスキーの「火の鳥」、ベルクの「ヴァイオリン協奏曲」、ラフマニノフの「交響的舞曲」などが大好きです!!
クラシック音楽を吹奏楽にアレンジし、そのコンクールヴァージョンの演奏としては・・・
1982年の就実高校の「幻想舞曲集」と
1987年の習志野高校の「ダフニスとクロエ」第二組曲の演奏、そして、
1987年の雄新中の「エルザの大聖堂への厳かな行列」が
まさに私の「原点」です。
最後に・・・
私の吹奏楽との関わりの真の意味での「原点」は・・・
1979年の市立川口高校の神がかり名演としか言いようがない
「二つの交響的断章」に尽きると思います!!


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3.浜松工業高校


  A/交響曲第4番第四楽章(P.チャイコフスキー)


  改めてこの年、1978年の全国大会ですけど、長いコンクールの歴史の中でも特筆すべき事項が
  ありました。
  この年の課題曲は、Aがジェイガー作曲の「ジュビラーテ」、Bがマクベス作曲の「カント」という事で
  当時・・・1970年代~80年代前半に大人気作曲家でもあったジェイガーとマクベスというお二人の両巨匠が
  吹連から課題曲の委嘱を受けて作曲されたという経緯があったりもします。
  いやーーーー、これって凄い事だと思いますよ。
  そうですね・・今の視点で言うと・・・スパークとバーンズの二人の作曲家にコンクール課題曲を委嘱するのと
  感覚的には同じなのかな・・とも思ったりもしますね。
  だって、当時この二人が作曲した曲は、ほとんどの県大会・地区予選・支部大会では大抵演奏されていましたし、
  結構二人とも当時としては・・「大人気作曲家」みたいな雰囲気もあったと思います。
  特にジェイガーは、当時は「シンフォニア・ノビリッシマ」みたいな大ヒット曲もありましたし、
  マクベスも作風は陰気なんだけど「マスク」は当時はかなりの人気自由曲の一つでしたよね。
 
  さてさて・・・そうした当時の大人気の作曲家が作った課題曲だから、人気も二分されたのではないか・・と
  思われがちかもしれませんが、
  結果は・・・
  とてつもなく明暗がくっくりと分かれてしまいました・・
  というか・・凄まじい落差がありました・・・
  というのも・・・例えば高校の部で出場した22チーム中、ジェイガーの「ジュビラーテ」を選んだのは、なんと・・
  18チームにも上っています!!
  つまり・・・全チームのうち82%が同じ課題曲を選んでいるのですよね・・・
  ちなみにですけど、この年の高校の部では、Cが2チーム、Dのマーチに至っては・・わずかに1チームのみです。
  そうなると・・・・
  そうなんですっ!! あの当時としては人気作曲家の一人だったマクベスの課題曲B「カント」を選んだチームは、
  高校の部では0です・・!!
  否!! 実はなのですけど・・・全国大会においては、中学・高校・大学・一般・職場の5部門においても
  この課題曲Bを選んだチームは・・・なんと・・本当にゼロです!!
  全く、なんていう不人気ぶり!!
  ここまで人気が無かったというか、演奏されなかった課題曲も極めて珍しいですよね・・ 
  しかも・・・作曲家はあのマクベスですよ!!
  うーーん、当時の吹連としては・・・少しと言うかかなり気まずい雰囲気だったのかも・・・??
  ま・・中には、例えば・・・
  85年のC/シンフォニックファンファーレとマーチとか87年のC/コンサートマーチ87とか
  89年のC/行進曲「清くあれ、爽やかなれ」とか、ま・・その後も色々とありましたよね・・
  そうそう・・・83年のD/キューピッドのマーチの不人気ぶりも凄まじいものがありましたよね・・・(苦笑・・)
  だけど・・・・
  上記の曲は、それでも・・・ほんの数チームですけど一応は・・・全国大会で演奏されています。

  だけど・・・

  本当に…1978年の課題曲B/カントは、全国大会では1チームたりとも演奏されていません!!

  しかも・・・この課題曲Bですけど、支部大会でもほとんどというのか・・滅多に演奏されていません。

  実はですね・・・

  この「カント」ですけど、私自身も今現在に至るまで、生の演奏を聴いたことが一度もない・・という
  大変珍しい課題曲とも言えると思います。
  カントは・・聴いていても「さくら、さくら」がやたら引用される何を言いたのかさっぱり分からん曲・・・
  という感じでしたね・・・

  ま、それだけ・・・この年に関しては、ジェイガーの「ジュビラーテ」が素晴らしかった!!という事でしょうね。

  この「ジュビラーテ」なのですけど、
  「カント」と違って大変親しみやすく分かり易い曲です。
  強烈な木管のトリルから開始され、A-B-Aの三部形式を取っているのですけど
  特筆すべきは、
  この中間部が大変美しい・・・・とてもうっとりとしますし、吹いていてもそのメロディーラインのあまりの陶酔感に
  思わず茫然としてしまう・・・・
  みたいな感じもありました・・・・
  オーボエのソロも良かったしユーフォニウムのたっぷりとした歌い方も良かったですね。
  全体的によく練り込まれてある課題曲ですし、
  やはりコンクール史上の一つの「名作課題曲」だと思います。

  この中間部のBが終わるとトランペットのソロからAとコーダへと展開していくのですけど、
  自分の学校のトランペット奏者は、
  練習中も毎回毎回このソロを外しまくり、
  実際の本番でも、やはり思いっきり外していました・・・
  改めてこの部分のトランペットのソロを聴いてみても、
  正直「技術的に難しい」とか「高音域で音が出にくい・・」という訳ではありません・・・・
  全国大会でもこの課題曲Aは何チームも演奏していましたけど、あの部分を外した演奏は、ほとんど
  聴いたことがない・・・・
  自分自身、地区予選・県大会で他校の演奏も聴いたけど、やはりほとんど外していない・・・
  高校に入って、同級生のトランペット奏者に
  「ジュビラーテのトランペットソロって難しいの・・・?」と聞いたら
  「え・・・、あんなの全然楽勝じゃん・・・」とか言っていましたので、
  うーーん、自分が在籍した中学のあのトランペット奏者はよっぽとポンコツだったのかな・・・
  それだったら、他の奏者にすればいいのに・・・・とも思ったのですけど、
  ま、あの奏者は部長でもありましたから
  「ソロが決まらないから別の奏者に変更・・・」というと部長の面目丸つぶれだから、
  そういう計算もあったのかな・・・・??

  あ・・・なんか話が思いっきりそれてしまいました・・・

  話を浜松工業に戻しますと、とにかく一言で言うと、聴いていて気持ちの良い演奏です!!
  高校生らしい「まっすぐな感じ」・「ストレートさ・・「素直な感情」がのびのびと表現されていると思います。
  課題曲も全く不安感はありませんし、聴いていても、リズム・ビート・メロディーラインがほぼドンビシャ!!
  中間部も本当にたっぷりと歌いこまれていますし、
  まさに理想的な課題曲Aの一つだったと思います。
  そうですね・・こういうまっすぐな演奏スタイル路線は、翌年の課題曲A/フェリスタスでも遺憾なく同様に
  表現されていました!!
  そして圧巻は自由曲でした!!
  これはまさにも―――「名人芸」の領域に達しているとすら思えてしまいます。
  ま・・・チャイコの4番という当時の吹奏楽コンクールでは定番中の定番の曲でしたし、
  曲自体が最初から最後まで終始「どんちゃん騒ぎ」の曲でしたから、表現はしやすい曲だったと思うのですけど、
  やはりあそこまでストレートに「情熱」とか「熱さ」とか「まっすぐさ」を音楽で表現されてしまうと、
  「いやいや・・何も言う事はありません・・へへぇーーーー」みたいな感じになってしまいますよね。
  あえて一つだけ指摘しておくと・・・・
  後半近くで部分的に息切れ気味だったような感じもありましたけど、
  ラストの追い込みはお見事でした!!

  浜松工業と言うと、内省的な邦人作品をしっとりと表現するという一面も持っていましたけど、
  1977年の「ハーリ・ヤーノシュ」から79年の「アルメニアンダンスパートⅡ」の3年間は、
  いかにも男子校らしい豪快さ+やんちゃな感じに満ち溢れていましたけど
  これはこれで立派な音楽の表現だと思います。
  ま・・・77年のハーリ・ヤーノシュに関していうと、
  「ちょっといくらなんでも鳴らし過ぎ・・・」みたいな感じもするのですけど、78年~79年の演奏は、
  そうした豪快さに加えて、洗練さ・バランス感の良さも加味されていきましたので、
  更に良好!!みたいな演奏になっていたと思います。
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コメント

カント・・・

いやぁ。懐かしい時代の記事ですね^^

さて、課題曲Bの「カント」ですが、実はアノ曲、マクベス氏が勘違いして作曲したらしいです。

マクベス氏は、「吹奏楽コンクールの課題曲」というのを、「ぶっつけ本番で、初見演奏するもの」だと本気で思って作曲したのが「あの」カントだったそうです。

大昔、自衛隊の音楽隊時代に、「酔っ払った」岩井直溥先生から直接お聞きしたお話です。
全国大会のときは、課題曲の作曲者全員で飲みに行ったらしいのですが、マクベス氏だけは欠席されたそうです。。。

あと、私は実は「カント」の名演を聴いたことがあります。
当時の愛媛県の課題曲講習会の際、松山市民吹奏楽団がモデルバンドで「カント」と「かぞえうた」を演奏したのですが、さすが大編成。ド迫力の「カント」を聴かせていただきました。
講師の大橋幸夫先生(国立音楽大学クラリネット科教授)が大絶賛した講習会となりました。

ウマくハマればおもしろい曲なんですけどねぇ。。。

連投申し訳ありません><

浜松工業の演奏を初めて聴いたのは、1977年の「バーレスク」でした。

もちろん生ではなく「日本の吹奏楽77」なんですが・・・
個人的にはヤマハや阪急より好きな演奏です。

79年の「フェリスタス」は、残念ながら聴いたことがないんです><

全国出場団体で聴いたことがあるのは関学、ヤマハ、、今津中、豊島十中。

豊島十中がとても残念な演奏だったのが記憶にあります。さすがの酒井先生も、「結果は覚悟しなさい」と言われたとか・・・

関学の演奏が結構気に入ってたのですが、主様の以前の記事で私のコメントの返事を読ませていただき、是非浜松工業の「フェリスタス」を聴いてみたい!と今でも思っています。

ジュビラーテについては、四国大会での菊間中学校の名演が今でも忘れられません。
ウチも「かぞえうた」で出場していましたが、完膚なきまでに叩きのめされました。
ちなみに、菊間中なんですが、実は県大会までは男子部員が1人だけいたんですよねw

県大会終了後に事故で怪我をして、残念ながらそのまま退部してしまったそうです。

昔の古きよき時代(なのかどうかはわかりませんがw)の名演をまた聴いてみたいものです。

カント

なおりパパ 様


いや―――、これは大変貴重な情報でした!!

まさに「目からウロコ・・」とか「初めて知った・・びっくらぽん・・」という感想です!

いつも本当に素敵な情報をありがとうございます!!

「カント」がまさかマクベスの勘違いだったとは・・!!
マクベスだけ唯一、飲み会欠席というのもわかる気はしますね・・・
もしかして、かなりプライドが傷ついたのかも・・??

「カント」は参考演奏の音源しか聴いたことがないもので、
松山市民の演奏はかなり貴重なものがありそうですね。
話は違うのですけど、1988年の松山市民の課題曲D/カーニバルのマーチの
打楽器奏者が歩きながらのパフォーマンスは、
大宮ソニックの全国大会で聴いた時は、まさにびっくらぽんでした!!

連投大歓迎です!!

なおりパパ 様


いえいえ・・・コメントの連投は大歓迎ですので
是非是非今後とも宜しくお願いします!!
そしていつも素敵なコメントをありがとうこざいます!! 本当にいつも感謝しております!

浜松工業の演奏は、邦人の時のようなしっとりとした演奏と
アルメやチャイコみたいに豪快な時と
その年の奏者のキャラを反映させたような柔軟さが感じられ、男子校としては模範校みたいな位置づけだったと
思います。
浜松工業の「フェリスタス」は日本の吹奏楽79のレコードにも収録されていましたよね。
豊島第十なのですけど、酒井先生の「覚悟しなさい・・」のコメントは当時のレコード裏面のコメントに
記されていましたけど、
あの演奏はどちらかというと自由曲の「海」が不調でしたね・・・

菊間中の唯一の男子部員は気の毒でしたね・・・

ありがとうございます。

主様の記事にはいつも感謝しております。

前回のコメントにも書きましたが問題なのは演奏順(笑)
78年は天理高校の後、79年は秋田南の後!!

私達には何かに「罰ゲーム」かと感じるぐらいプレッシャーになりました。演奏順が3番と言う事で演奏が終わってから先生と部長・学生指揮者だけは普門館に残りその他の生徒は浜松に帰りました。
当時は勿論、メールなんて無い時代ですから電話連絡で金賞を知りました。
だからって訳では無いですが金賞を取ったって感動がイマイチ湧きませんでした。(贅沢ですいません)

邦人作品については、先輩から聞いた話ですが76年の時点で「邦人作品では金賞は取れない」と先生がお話されていたそうです。
これは74年が東海大会落ち、75年が銀賞、76年が銅賞になった事が大きく影響していると思います。特に74年は課題曲「高度な技術への指標」で完璧に近い演奏をしたにも関わらずダメ金!

因みにこの東海大会で演奏が終わり結果発表の前に名電の生徒さんが話し掛けて来て「浜工さんに負けました」と言っていたそうです。しかしフタを開ければ結果は残念賞!

そして翌年は「若き人々」でリベンジのコンクールも銀賞。更に翌年は秋田南と玉川学園に挟まれて銅賞!
ホントにどうしようもない結果に先の言葉が出てきたのかも知れません。

因みに「ハーリ・ヤーノシュ」そんな事で自由曲に選ばれたのかも知れません。(私達が入学した時には既に自由曲にきまってました)
だけど77年の全国大会の終了後、バスの中に駒沢大学の上埜先生がいらっしゃって「SAXソロサイコー!」って温かい言葉を掛けて頂きました。この年は上埜先生にも何度か御指導を頂き感謝・感謝でした。



邦人作品

カリオストロ 様


いえいえ・・こちらこそこんな拙いブログにいつも来て頂き、コメントまで頂きありがとうございます!!

当時は現在のような「入替え制」ではありませんので、出番が早いチームは結果発表まで
待ち時間が長くて大変だったでしょうね。
前の演奏団体が上手な伝統校だとやはり色々とプレッシャーはありそうですよね。
78年の天理ですけど、こちらのブログでも書いた通り、正直感銘度はそれ程高くは無い演奏でしたので、
客観的に聴いても浜松工業の方が技術的にも音楽の仕上がりとか聴衆への衝撃度という意味では
天理よりも上だと私は思います。
その位まさに「目が覚めるような演奏」だったと思います。

当時の邦人作品に関する興味深いエピソードも教えて頂きありがとうございます!
確かに当時は現在のように邦人作品が幅広い支持を得られていた訳では無い時代でしたから
遠山先生のご苦労も相当なものがあったのだと思います。
だけど70年代において、あんなに積極的に邦人作品に光を当てられた方って、ヤマハ浜松の原田氏と
遠山先生ぐらいしか見当たりませんので
やはり遠山先生の「偉大さ」を改めて感じてしまいますよね!!

(」゚ロ゚)」(」゚ロ゚)」(」゚ロ゚)」オオオオオッッッ

あの88年の松山市吹の演奏を生でお聴きになったとは・・・
当時の指揮者(背のちっちゃいアノ人ですねw)は、私の高校の1年先輩で、当時はまだ若かったw

その当時は確か松山東高の先生(但し吹奏楽部の顧問ではなかったです。当時、松山東は矢野慶三先生の全盛期だったので><)をやってたと思いますが、後に母校の吹奏楽部顧問となり、今では県吹奏楽連盟の副理事長なんぞやってますw

高校時代は日曜日の練習のお昼休憩のときに近所のラーメン屋や、ウチの店(洋食屋ですw)にちょくちょく一緒にツルんで食べに行ってました。
懐かしい思い出です。

まさかお知り合いだったとは・・・!!

なおりパパ 様


まさか・・・・なおりパパ 様があの藤澤氏とお知り合いと言うのかまさか先輩後輩の間柄だったとは・・!!

なんか世間って広いようで狭いものですよね・・・(笑)

それにしても88年の「セント・アンソニー・ヴァリエーション」は元気溢れる演奏でした!
この年は全く同じ自由曲を習志野ウインドが演奏していましたけど、
あまりの演奏スタイルの違いに当時は驚いたものです。
それにしても松山市吹の課題曲の打楽器のみのあの中間部のパフォーマンスは、
大宮ソニックの聴衆の度胆を抜いていたと思います。
私は・・一人心の中で爆笑していました・・・

話は違うのですけど、
1981年にアルメニアンダンスパートⅡで全国大会に進んだ「松山交響吹奏楽団」と「松山市吹」は
同じ団体なんでしょうか・・?
もしもご存じでしたら、是非教えて頂けると嬉しいです。

あれは・・・

全く違う団体です。
松山交響吹奏楽団は現在は名称変更して
「愛媛交響吹奏楽団ウェーブ」という名前になっています。
もちろん松山市民吹奏楽団は現在も健在ですよ^^
ウェーブは藤澤先輩が音楽監督をしておりましたが、かなり離れた高校に異動になってしまいましたので今後はどうなるか・・・
また全国大会に出て欲しいものですねぇ。

先生は

地域のバンドの育成にも力を入れていました。

その為に浜松市の学生による選抜バンド・世界音楽コンクールでは静岡県選抜バンドを作り指導をされていました。
海外にも積極的に視察に赴き勉強もされていた様に思います。
79年は夏休みに一カ月掛けて海外に視察に行ってました。帰って来たのは県大会の招待演奏の2~3日前(笑)

さすがに先生との指揮と演奏のバランスが合わず当時の学生指揮者が「私に指揮をさせて下さい」とお願いに行った位です。
ここで凄いのは先生は「分かった」と一言で私達に全てを任せてくれたことです。

この一言で79年はバンドがひとつにがっちり固まったんだと思います。浜商時代は判りませんが当時の浜工は学生が部の運営を全て任されていて毎日の練習のスケジュールや課題曲・自由曲の大きなまとめは生徒達がコンクールの2~3週間前に遠山先生が細かな部分の指導をしていました。

普段の練習は生徒各自が各々のやりたい練習をしていて結構自由にやってました。私はチューナーを使いロングトーンと音合わせを意識して練習をしていましたがこれに関しては一度だけ嬉しい出来事が!!

「フェリスタス」の課題曲講習会に豊島十中の酒井先生が浜工にいらした時にモデルバンドとして演奏をする前にバンドの音合わせ指導をして頂き、なんと酒井先生が私の音を基準にしてくれた事です。

私個人は豊島の「協奏的序曲」の大ファンでしてこの時は失神しそになるぐらい嬉しかったです。

こんな思い出を作ってくれた遠山先生にはホントに感謝しています。

そうだったのてすね!

なおりパパ 様


今回も色々と教えて頂きありがとうこざいます!

そうなんですね・・・松山交響が名称変更して愛媛交響吹奏楽団ウェーブという名前に
なったのですね!

実は、私、87年の豊田市での全国大会・一般の部も聴いているのですけど
確かに藤澤氏は、楽しそうにエネルギッシュに指揮されていたのが大変印象的でした。
音楽もかなり熱かったと記憶しております。

遠山先生

カリオストロ 様


いつも大変貴重な情報を教えて頂き本当にありがとうこざいます!!

こうしたお話というのは、正直、部外者の私達には全くわからない事であり、そうしたお話はとっても
ありがたいです。
いつも本当に素敵なお話をありがとうこざいます!
本当に感謝しております。

遠山先生の学生指揮者を信頼して全てを任せたエピソードあたりは遠山先生のお人柄をしのばせますよね。
それにしても酒井先生とのエピソードは生涯の素敵な「心の財産」だと思いますし、
とってもうらやましいお話ですよね。

遠山先生は1992年の浜松商業を最後にコンクールからは一線を引かれたという事になっていると思いますが、
実は・・
1993年の東海大会の職場の部にて、天方吹奏楽団を率いて「トッカータとフーガ」の素晴らしい演奏を
聴かせてくれていたのがとっても印象的でした。
93年の長野で開催されたあの東海大会が結果として私が最後に聴いた遠山先生でしたけど、
本当に後世の私たちにとっても素敵な演奏を一杯残していただいた素晴らしい先生だと思います。

こちらこそ感謝です。

主様の記事を読んでいて忘れていた記憶が甦って来ます(笑)

遠山先生は今年「文部科学大臣賞」(違ったらごめんなさい)を受賞して、毎年浜松で行われている高校選抜大会終了後に近くのホテルで受賞記念パーティーをしていました。

知り合いのFBを見ていたら一緒に写っている方々が凄過ぎました。
柏高校の石田先生、淀高の丸谷先生を始め全国のトップクラスの指導者の皆様と本当に嬉しそうに写真を撮られていました。

遠山先生は交友が広く丸谷先生とは昔から相談したりされたりの仲だったと記憶しています。

指揮者の汐澤安彦先生は78年の定期演奏会の指揮者として御指導して頂いて、その縁で翌年の自由曲「アルメニアンダンスパート2」を紹介して頂きました。

遠山先生の人としての大きさは高校生の時には判りませんでしたが自分自身が大人と言われる年齢になった時に初めて判ったような気がします。

なおりパパ様、是非浜工の「フェリスタス」聞いて下さい。

それから主様、私共のお客様に花輪高校の吹奏楽部出身の方がいらっしゃいます。仕事柄いつ会えるか判りませんが年齢的には私よりも3~4年下になると思います。いつになるか分かりませんがお会いできたらこのブログの事をお伝えしときます。

いえいえ、こちらこそいつもありがとうございます!!

カリオストロ 様


今回も素敵なコメントを頂きありがとうございます。

名電の松井先生とか富山商業の坪島先生が既に彼岸の方になられている中、
こうやって就実の村松先生とか浜松工業(商業)の遠山先生がお元気でいらっしゃるお話は
とっても嬉しいものがあります。
こうした全国大会で素晴らしい実績を残されている先生というのは、指揮者としてという事も当然大きいと思うのですけど、
それ以上に「指導者」としてのお人柄というのが大きいのかもしれないですよね。

このブログでは何度も書いている通り、
私が吹奏楽・・クラシック音楽に目覚めるきっかけを作って頂いたのが
1982年の東北大会の花輪高校のウォルトンの交響曲第1番の神がかり的名演なのです。
こんな拙いブログで宜しければ・・・アニメと吹奏楽のごった煮ですが・・・(笑)
是非宜しくお願いいたします!!

多分ですけど・・私自身はカリオストロ様の四つ下かな・・と思います・・(笑)

私は、

昭和36年生まれです(笑)

だけど、中学・高校の吹奏楽界をリードされて来た先生方が亡くなられていくのは寂しい限りですね。

中学・高校生は指導者で限りなく成長出来る年頃だと思います。今津中学の得津先生、豊島十中の酒井先生は60年代~70年代に残された音楽は今の時代の基礎を作られた偉大な業績ですよね。
同時代にこの二つの学校は間違いなく世界中で1番輝くスクールバンドで有り、そこに追いつけ、追い越せで出雲一中・山王中が、日本の吹奏楽界が大きく前進したのだと思います。

主様のブログはその事を再確認させられる素晴らしいブログだと思います。

これからも楽しい・明るい・音楽に真摯な記事を楽しみにしています。

いえいえ・・・私なんぞ・・・

カリオストロ 様


過剰にお褒めのお言葉ありがとうございますっ!!

あ・・・だけど私自身は、確かに「普門館」は夢見ていましたけど、実態は・・・・
全国はおろか支部大会・都大会予選すら一度も進んだことがない典型的なポンコツ部のポンコツ部員
でしたので・・(笑)
それに過去記事で散々愚痴っている通り、中学時代は、顧問の先生の圧倒的上から目線のご指導により(?)
すっかり音楽嫌いになってしまったのですけど、
高校・大学で「学生指揮」の部に入る事で、
音楽を自分達の手で作り上げる事とか自主性とか音楽を作り上げる楽しさに目覚めていったのだと
思います。
そしてやはり一番大きかったのは、繰り返しになりますけど、
1982年の東北大会の花輪高校のあの素晴らしい名演に巡り合ったという事なのかなとも
思っています。

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