一週間前の記事にて浦田健次郎のプレリュードについて少しばかり触れさせて頂きましたけど、
浦田健次郎というと、吹奏楽コンクール課題曲や「Ode」の作曲家として認知されている方も多いと思われますし、
それ程演奏される頻度は高くない曲ですし、最近ではほとんど演奏されない曲ではあるのですが、
「バラード・フォー・バンド」(吹奏楽のためのバラード)という曲も大好きな曲です。
この曲はかなり地味な曲ではあるのですけど
日本人の感覚で無いと絶対に分からないような抒情性というのか素朴なノスタルジーみたいな雰囲気が漂い
こういう曲こそたまには吹奏楽コンクール・小編成の部で演奏されて欲しいものです。
浦田健次郎は合唱曲も幾つか作曲されているようです。
その中でも「星空はいつも」と「風の中の青春」は結構有名な作品だと思います。
先日の記事でも書いた通り、この御方が作曲された吹奏楽コンクールの課題曲は、1979年の課題曲B/プレリュードが
圧倒的に有名だと思うのですけど
1984年の課題曲D/マーチ・オーパス・ワンも爽やかな素晴らしい作品だと思います。
「マーチ・オーパス・ワン」の際立った特徴として一つ指摘したいのは、
この曲以前のコンクール課題曲のマーチは、ほぼ例外なく出だしから最後まで終始テンポが一定に保たれている
パターンが多かったと思いますが、この課題曲の場合、
冒頭のトランペットによる「ゆったりとしたテンポから開始されるファンファーレ的部分」とその後に展開されるマーチの
部分を明白に分離されている事は大変興味深いものはあります。
そうしたファンファーレとマーチを区分している曲として
このオーバス・ワン以降、例えば・・・1985年の「シンフォニックファンファーレとマーチ」とか2001年の「栄光を讃えて」などが
あると思いますけど、今にして思うとそうした曲の先駆者的な役割も担っていたような気もします。
冒頭のゆったりとしたファンファーレに続いて軽快なマーチの部分に展開されていくのですけど
このマーチのメロディーが本当に可愛らしいくてキュートでしたし、同時に大変流麗みたいな勢いもありましたし、
スコアを見る限りではそれほど難しい個所も無く、
指揮者にとっても奏者にとっても吹き易くて演奏するのが大変楽しい本当に素敵な作品だったと思います。
演奏時間は3分程度の短い曲なのですけど、内容的にはかなり充実していますし、
スコア上の平易さが少しも手抜きとは感じさせず、むしろ、「シンプル イズ ベスト」を立証しているようにも感じられます。
だけど、浦田健次郎というとやっぱり・・・
1979年のあのウルトラ超難解現代作品の「プレリュード」(1979年 課題曲B)というイメージも強いですけど、
忘れてはいけない吹奏楽オリジナル作品が シンフォニックバンドのための「Ode」だと思います。
浦田健次郎はヤマハ吹奏楽団浜松から委嘱を受けて、
シンフォニックバンドのための「Ode」というこれまた素晴らしい作品を私達に提示してくれるのですけど、
この作品もプレリュードと同様に劇的な雰囲気、凄まじい静と動の落差に満ち溢れていて
聴く者に間違いなく「何か」を伝えてはいると思います。
Ode(オード)というのは歌とか頌歌という意味なのですけど
少なくとも楽しくてウキウキするような歌ではない事は確かです。
どちらかというと歌は歌でも悲歌に近いような感覚もあるのですけど、それは少し違うかな・・・?
私としては、むしろ祝祭的な歌にも聴こえたりもします。
この曲をよく知っている方からの意見としては、「え・・・祝祭だって・・・!? それは絶対違う!! あの陰気な曲は祝典ではない」
みたいに多分言われそうですが、
私の感覚としては、混沌の中の光とか怒号が飛び交う中での一筋の光が差し込むみたいなイメージがあったりもします。
改めて聴くと、この曲は前半と後半の落差の対比は凄まじいものがあります。
前半はソロ楽器ほメインにした静粛な部分なのですけど、この部分のクラリネットが果たす役割の大きさは
半端無いものがあると思いますし、あの長大なソロは奏者冥利に尽きると思います。
そしてやっぱのあの静粛な感じは、「やっぱりこの曲はプレリュードの作曲者なんだな・・・」と思ってしまいます。
この「Ode」ですけど、面白い事に曲全体のテンポは終始ゆったりとしたテンポ設定がキープされています。
後半はかなり激しい音楽となり、「カタストロフィー」(悲劇的結末)を暗示させるようでもあるのですけど、
そうした激しい部分の音楽もテンポ上では、ゆったりとしたテンポを維持していますから、その辺りは大変面白いと思います。
ああやってゆったりとしたテンポ設定の中でも激しさとか打楽器の乱打&強打とか劇的緊張感とか凄まじい音量を
表現した邦人作品って当時としては珍しかったのかもしれないです。
後半は、終始マリンバが低音のリズムを刻んでいるのですけど、あの不気味な低音のリズムがとにかく効果的でした。
後半は打楽器が大活躍なのですけど、特にトムトムの効果的な使用とかチャイムの響かせ方は
当時としてはかなり斬新なものがありました。
曲のエンディングの数小節前は打楽器のみの掛け合いになるのですけど、ああいうパーカッションだけの強奏も
当時としては珍しかったようにも感じられます。
金管セクションのとにかく息の長いフレーズは、奏者泣かせだったと思いますけど
そうした金管に乗っかる形での打楽器の響きはとにかく圧巻でしたし、ああいう感じが
個人的には「この曲は祝祭的・・」と感じてしまった一因なのかもしれないです。
この「Ode」は、ヤマハ浜松からの委嘱と言う事もあり、
1985年の全国大会でヤマハ浜松がこの曲を自由曲として選び、当時の聴衆の度肝を抜いています。
尚、この時代は、まだブラボーコールが喧しくない時代でしたので、
こんな素晴らしい演奏が終わっても、聴衆の皆様は紳士淑女で、大きな拍手だけで済んでいました。
この曲は1992年に都立永山が自由曲に選んでいますけど、確かに若さ爆発!という感じなのですけど、
後半は熱すぎて、どこがメロディーラインでどこが副旋律なのかよく分からん・・みたいな感じになってしまい
メロディーラインが埋もれてしまっていたみたいな演奏になっていました。
だけど演奏自体は大変な気迫が伝わってきます。
都立永山の演奏以降、全国大会においてはどのチームもこのOdeを自由曲として演奏していませんけど、
どこかのチームがこの埋もれた名曲を演奏してくれると嬉しいものがあります。

先週も似たような事書いていますけど、
吹奏楽コンクールの難い曲の歴史の中で、ティンパニが主役といえる曲は浦田健次郎のプレリュードと
1985年の課題曲AのOverture FIVE RINGS゛と思います。
とにかくあのティンパニの連打というのか乱れ打ちは聴衆の視線を釘付けにすると思います。
パーカッションセクションのパート譜をよく眺めてみると、実はあのティンパニも一見連打とか乱れ打ちとか
高度な技術のように聴こえたりもするのですけど、
ティンパニは、基本的には実は2小節単位の同じ旋律を繰り返しているだけ・・というのも凄いものがあると思います。
ああいう単純な繰り返しをとてつもなく難解なように感じさせるのも立派な作曲上のテクニックのような気もしますね・・
ティンパニ奏者のテクニックは相当難しいものが溢れていると思いますし、
両手の交差が入るなど、二刀流で暴れ放題に暴れているという印象もありますし、あの豪快な暴れっぷりは
今現在で言うとエンゼルスの大谷選手が二刀流でもって大暴れしているのに少しと雰囲気が似ている様なものも
あるのかもしれないです。
Odeは打楽器はかなり目立っていますけど、ティンパニはどちらかというと伴奏的な役割を担っているようにも
感じたものですけど、ティンパニの低音のリズムに乗っかる形で他の打楽器や管楽器を響かせているようにも
感じたものでした。
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1985年のヤマは浜松はそれまでの原田氏から森田氏へ指揮者が変わり、それまでのヤマハカラーを一新させる斬新な選曲であり演奏であったと思います。
思えばこの年からヤマハ浜松の委嘱シリーズが開始され、ここから南の空のトーテムポールやメトセラⅡ・かわいい女・アルプスの少女などすぐれた作品が生まれていきましたので、
ヤマハ浜松にとっても転機となった選曲と
いえそうです。