25.東海大学第一高校
A/二つの交響的断章(V.ネリベル)
このあまりにも異常にレヴェルが高いこの年の高校の部を締めくくるのに相応しい大変素晴らしい
演奏だったと思います。
ま・・あまりにもその「個性」が強すぎ、
そうですね・・・この時代としてはこういうあまりにも「剥き出しの個性・積極果敢な演奏・感情さらけ出しの演奏」は
まだ受け入れられる土壌が無かった・・・と言えるのもしれないです。
だけど、私個人としては・・・ネリベル大好き!!人間のこの私としては
とにかく、大好きな演奏であり、
ネリベルの「二つの交響的断章」の吹奏楽コンクールにおける演奏としては
いまだに・・・1979年の市立川口とこの年の東海大学第一の演奏を超えるものは存在しない!!という感じです。
とにかく・・・演奏の端々から「剥き出しの感情」・「すさまじいダイナミックスレンジの落差」・「アクの強さ」というものは
感じられ、
正直、聴く人によって「好き嫌い」がはっきりと分かれる演奏であり、
この演奏が嫌いと言う人は「こんなエゴ剥き出しの演奏は音楽ではない!」と一刀両断されると思いますし
私のように市立川口のような「ネリベルらしい凄まじい動と静の対比の落差」が大好きな人間にとっては
まさしく・・・「ネリベルのバイブル」とも言える様な演奏なのではないかと
思っています。
当時のBJやBPの記事なんかを読んでみても、そういう事は明確に伝わっていましたね・・・
本当に評価が分かれる演奏だと思いますし、その意味では審査員泣かせの演奏だと思います。
私個人としては、この年のあまりにもレヴェルが高い演奏の中では、確かに・・・「異端・・」・「少しヘン・・・」というのは
分かっていますし、
多分ですけど審査員の採点結果も相当割れたと思いますし
結果としてこの演奏はコンクールとしては銀賞という結果で終わっているのですけど
そうですね・・・
銀賞と言う結果は、ま・・・「審査は水物&審査傾向は保守的」という事情を考えると
ま・・・仕方ないね・・という感じなのですけど
聴く者に「何かとてつもないもの・・・」・「何か魔物みたいなもの」みたいな「何か」は確実に伝えていた・・・という
その「事実」だけで十分なのではないか・・・とすら考えてしまいます。
ホント、まさにこの年の高校の部をフィナーレを飾るのに相応しい演奏だったと思いますし、
こういう凄まじい「個性の塊り」で締めくくる事が出来たのは
ある意味、正統派対異端対剛柔・枯れた感覚対生命の躍動・内省的充実対外見的派手さなど
ヴァラエティーに富んだ素晴らしい数々の名演を生み出したこの年にあっては
そうした「個性」を象徴する意味でも、よかったな・・と思えますね。
まず、この演奏ですけど、レコード・カスタムテープ・後にCD化された二枚組の「東海第一から翔洋へ」を
聴いた際の印象としては
随分と低音が鳴っている・・
中音域セクションの音の透明感が素晴らしい
部分的にとてつもない「不協和音」をデフォルメ化したように強調している箇所があるのだけど
それが全然不自然に聴こえないし、
不協和音も考え込まれた結果の音作りであり、それが大変美しく響いているから
逆に「オルガン」みたいな音に聴こえる箇所もある・・
そんな感じでしたけど、特に印象的なのは、
「あれれ・・・なんかチューバ等の低音とティンパニがヘンな位置から聴こえてくる」というものでした。
これって後にレコードの中に封入されていた当時の白黒の演奏写真を見れば分かるのですけど、
楽器のセッティングも少しユニークな点があり、
チューバは舞台最上段にセッティングされていて、トランペット・トロンボーンのすぐ隣に位置しています。
また、ティンパニは、舞台右側の通常はコントラバスがセットされている位置に楽器がセットされていて、
これが、まさしく・・
「なんかティンパニがヘンな方向から響いてくる」事の原因になっていました。
課題曲A/花祭りですけど、そうですね・・こういう枯れた日本情緒みたいな曲は、
このチームのいかにも「アメリカ吹奏楽オリジナル曲が得意!!」みたいなカラーのチームとの相性は
極めて悪いような印象が強いですね・・・
「枯れた感覚」というよりは、「正確なリズム感」でグイグイ押してくるような感覚があり、
ま・・確かに好みの問題もあるかもしれないけど、こういうアメリカンな感覚の日本情緒漂う曲は・・・
例えて言うと・・・・
西洋人が日本古来の伝統芸である「能」とか「文楽」を演じているような違和感を
どうしても感じてしまいます。
これを言ってしまうと、「あれれ、このカテゴリは吹奏楽カテゴリであって東方projectじゃないでしょ・・」みたいに
言われるかもしれないのですけど、
東海大学泰一高校の演奏スタイルは、この年も含めて、どちらかというと
「クラウンピース」というアメリカンな感じの「狂ったピエロ」みたいなイメージが自分の中には
あったりもしますね・・・(苦笑・・)
その「狂った感覚」がいい方向に出ればいいのだけど、マジでトチ狂った方向に流れると・・・
誰も手出しが出来ない・・・
なんかそんな雰囲気がある学校でしたね・・・・
自由曲の「二つの交響的断章」は本当に素晴らしい演奏を後世の私達に残してくれています。
ま・・・個人的な感想としては
前年度の市立川口高校の圧倒的名演の前には、正直・・この東海第一ですら霞んでしまうのですけど、
この年の東海大学第一は、市立川口よりも幾つか優れている点があると思います。
一つは、市立川口は5分半という大変短いカットで強引にまとめてしまっている感じも無くはないのですけど
東海第一は7分半程度の演奏時間で市立川口よりも2分程度長めに演奏をしています。
そのためカットもそれほど強引という感じもありまんし、特に第二楽章の金管と木管の掛け合いの部分を
大変音楽的にまとめているので、曲としての完成度はむしろ東海第一の方が高いようにすら感じてしまいます。
それと東海第一の素晴らしい点は、第一楽章の鍵盤打楽器の鋭角性ですね!!
市立川口は比較的洗練されてゆったりとした鍵盤打楽器の響きにも聴こえなくもないのですけど
東海第一の場合は、とてつもなくシャープで鋭い響きを聴かせてくれています。
それと・・・やはり第二楽章を長めに演奏しているせいもあるのですけど、第二楽章の
オルガン的な響きを耳につんざくような不快な響きではなくて
「響かせ方によっては不協和音も美しく響かすことが出来る」という音楽的理論を大変忠実に実現しているようにも
感じられます。
欠点は・・・・市立川口はほぼノーミスでしたけど、
東海第一は、部分的にトランペットセクションがぐしゃ・・・と潰れたり音を外したり、
勿体無いミスも散見されています。
だけど・・・全般的に、大変難しいアメリカンな吹奏楽オリジナル曲を
単なる音の強弱のダイナミックス性という表面的効果だけに終わらせず、
不協和音の響かせ方を含めて、ここまで聴く者に「何か・・・とてつもなく畏敬なもの・・」みたいな「何か」を
間違いなく感じさせたその音楽性の高さには本当に心の底から敬意を表したいと思いますし、
とても全国大会初出場のチームとは思えない大胆不敵な演奏だった事は
特筆に値すると思います。
だけど、意外な事に翌年の東海第一は、保科洋/カタストロフィーを大変薄口で表面的な演奏だけで
終わってしまった事は・・・
そうですね・・・
実力の継続性が大変難しいスクールバンドみたいな話ですよね・・・
それと・・ここから先は余談ですし、一部の方には大変不快に感じられる話ですけど・・
この演奏から22年後に東海第一の指揮者の榊原達氏は、生徒に対するセクハラ&猥褻パワハラ等で
逮捕され、既に裁判で有罪は確定しているのですけど
記録によると・・・
既にこの時代前後から、こうした行為は散見されていたそうですね・・・
大変悲しい事です・・・
吹奏楽指導者としては大変有能で実績もあるし、
1990年代後半よりメキメキと頭角を現してきて、全国でも何度も金賞を受賞し、
学校名も第一から翔洋と校名が変り、音楽科も新設され、その学科の首席指導者に就任し
「さて・・これから!!」という登り調子の頃の事件でしたので
「何て言う愚かな・・」という事では済みそうもないですよね・・・
結局・・・
こういうスクールバンドの指導者は、実績&結果がある程度付いてくると、周囲も「先生、先生・・」と
おだててしまうので、
指導者本人も・・・本来の指導者たる本分をすっかり見失ってしまったという事なのでしょう・・・
本人も多分・・・今現在も「吹奏楽」には相当の未練はあるはずです。
だけど「返り咲き」が許されるほど日本の社会は甘くはない・・・
本人にとっても悔やんでも悔やみきれない事なのでしょうね・・・・
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