13.秋田南高校
A/交響三章~第三楽章(三善晃)
まずは・・・・
このブログにおいて「吹奏楽コンクール」の事を記事にするのは、なんと・・・三週間振りくらいだと
思います。
思えば・・・プログラム12番の中村学園の事を記事にして以降、随分と放置したものですね・・・(苦笑・・)
いや、これね・・・理由がありまして、
このブログ自体12月は更新が途絶えがちでありましたし、
基本的に私・・・プリキュアと東方以外の記事は、一つの記事辺り15~30分程度でささっ・・・と書く傾向に
ありまして、
吹奏楽コンクール記事も大体30分程度ではばっ・・と書いちゃう傾向にあります。
だけど・・・
それが出来ないチームが幾つかあって
どうしてもそのチームに対する「思い入れ」が大変強くて、
書く事にものすごーーく慎重になってしまい、
中々記事に出来ない事かあります。
ま・・・具体的に言うと・・・・花輪高校と秋田南高校と就実高校なのですけど、
中村学園の事を記事としてupすると、次は・・・プログラム13番の秋田南高校・・・
しかも・・・
この年の秋田南は、まさに奇跡的なウルトラ超名演を残してくれていますので
どうしても・・・書く事自体大変なエネルギーを必要としますので、
ついつい・・・・放置してしまった・・・という感じでしたね・・・・
ま・・・ですけど、無事にこうやって本年度の御用納めも無事に迎えることが出来ましたので
たまには、吹奏楽コンクールの事も記事にしないと、なんかこのプログの本筋を外してしまうような感じも
ありましたので、
この秋田南高校の素晴らしい演奏について改めて語らさせて頂きたいと思います。
あとその前に・・・・
この一年はこの「吹奏楽コンクール」関連記事に本当に多くの皆様より多数のコメントを頂けた事に
改めて感謝申し上げたいと思います。
しかも・・・
2012年~13年の頃のあんな拙い内容の記事にも、本当に多くの皆様より素敵なコメント&情報を頂けた事に
感謝の意を表したいと思います。
本当に色々とありがとうございましたっ!!
それと・・
このブログの一つの特徴だと思うのですけど、その頂くコメントの大半は、このFC2の方ではなくて
他サイトとかブログを有しない方からのものでした。
こうやって・・・FC2以外の外部から色々な方にこの吹奏楽関連記事を見て頂きコメントを頂けた事は
本当にありがたい事でした!!
しかも・・・!!
以前から何度も語っている通り、
このブログの開設目的であると同時に私自身の「音楽に対する向き合い方」の全てを一瞬で変えてしまった
1982年の東北大会における秋田県立花輪高校のウォルトン/交響曲第一番終楽章の
あまりにも素晴らしすぎる圧倒的な名演について
あの日あの時同じ会場内で
あの時の「私」と全く同じ「思い」を「共有」されていた方が存在していた・・・という事も
このブログを通して分かりましたので
とにかく・・・
こうした「ブログ」というものは・・・とにかく素晴らしい交流なんだな・・・という事を痛感させられた一年でも
ありました!!
さてさて・・・1980年の秋田南高校ですけど
とにかくとてつもない「研ぎ澄まされた圧倒的な名演」を後世の私達に残してくれています。
ま・・確かに曲の内容がああいう難解な内容ですので、
とても気楽に聴く事は出来ないジャンルだと思うのですけど
ああした一瞬一瞬に「漲る緊張感と劇的な内省的な高ぶり」をあそこまで緻密に完璧に演奏した事例は
長い吹奏楽コンクールの長い歴史の中でも多分・・・そんなにないと思います。
そうですね・・・・
1991年の埼玉栄高校のシュワントナー/・・・・・・そして、どこにも山の姿はない・・・ぐらいしか
思い浮かばないですね・・・
秋田南高校は、この年は「5年連続金賞」という偉業が掛った大変プレッシャーのある年だったと思いますし、
それまでの過去4年間のあまりにも素晴らしすぎる奇跡的な名演の数々を
「少しでも超えないと・・・それが無理ならば少しでも近づける様な演奏を・・・」みたいな思いは相当あったと
思いますけど
結果論から言うと・・・
この秋田南の「栄光の五年間の軌跡」の中では
勿論異論があるのは百も承知なのですけど、「最高の演奏」だと私は思っています。
もちろん・・・・76年のペトルーシュカ、77年の春の祭典、78年の三善晃/管弦楽のための協奏曲
79年の矢代秋雄/交響曲
どれも「とにかく・・・素晴らしい!!」以外の言葉しか出てきませんし
特に特に・・・76年のペトルーシュカのあの屈折した明るさと躍動感、78年の「精密な設計図」みたいな
冷静さと熱さが巧みに融合した名演とか
とにかく・・・!!
全てが「長い吹奏楽コンクールの中でも永遠不滅の5年間」としか言いようがない演奏を私達に
残してくれているのですけど
私は・・・
この年、1980年の三善晃/交響三章~第三楽章の演奏がとっても大好きですし
とにかく・・・この演奏を聴く度に
「本当に・・まさに歴史的名演!! 聴く者に絶対に何かを伝えている・・・・これは・・まさに一つの宇宙みたい・・」という
思いは本当に強く感じますね!!
あ・・・もちろん・・・現在の吹奏楽コンクールの驚異的水準の視点から聴いてしまうと
この演奏は色々と難点はあると思いますよ・・・
例えば・・・
ま・・これは仕方がない事なのですけど
当時は「ピアノ」が解禁される前の演奏ですので、「交響三章」は結構ピアノが暗示的展開という意味では結構重要な
位置づけをされていると思うのですけど
秋田南はピアノが無いから「マリンバ」で代用しているので
そうですね・・・
なんか少しネリベルっぽく聴こえてしまいますし、
曲のクライマックスの所でトランペットがかなり大きく音を外してしまい、これは・・・CDでもはっきりと収録されていて
少し勿体無いな・・・とも思ったりもしますし、
1989年の習志野と比べると・・・低音セクションの鳴りが不足しているようにも感じられます・・・
だけど・・・・そんなつまらん事は「どうでもいい・・」とすら感じさせてしまうのが
この年の秋田南だと思います。
とにかく・・・
暗示的な冒頭部分から最後の弱音で閉じられるところまで
「研ぎ澄まされた内面的空間」が伝わってきます!!
それが・・・まさに「ビリビリ・・・」とた感じの張りつめた空気として伝わってきます・・・・
三善晃の交響三章~第三楽章の音楽は、とてもとても気楽に聴けるような類の曲ではないのですけど
その「内面の劇的緊張感」だけは・・・
当時の普門館の会場にいた人達とか
「レジェンダリーシリーズ」に収録されているCDとして聴いても・・・
間違いなく伝わってくると思います。
いやいや・・・これを演奏しているのが普通の県立高校の高校生と言うのが絶対に信じられない
素晴らしい演奏だと思います。
しかも・・・これ・・・管弦楽ではなくて「吹奏楽」なんですよ・・・
うーーーん・・・・ありえない・・・
たまたま使用した「楽器」が「管楽器+打楽器」だった・・・としか言いようが無いです。
これは・・・まさしく「一つの宇宙」だと思います。研ぎ澄まされた空間だと思います。
課題曲A/花祭りも、素朴な味わいが伝わってきて、見事だと思います。
ソロも含めて各楽器の「透明感」は群を抜いていると思います。
そうそう・・・この課題曲の演奏中に・・・一つの「事件」が起きたようですね。
確かその事は後日のBP(バンドピープル)の記事の中に書かれていましたけど、
花祭りの終結部近くでオーボエが朗々とソロを吹く手前で、
拍子木が二回ほどカチッカチッとソロとして音を立てる場面があるのですけど、
なんと・・・
本番中なのに(緊張したのかな・・・・)
この拍子木を担当する打楽器奏者が、ソロの直前で片方の拍子木を落としてしまうというハプニングに
直面したとの事です。
それを拾う時間がないため、咄嗟のその打楽器奏者の判断で
片方の拍子木を急遽・・確か・・・譜面台だったかな・・・
打ち付けたけど・・スカッ・・とした音で不発・・・
二発目を・・・咄嗟の判断で今回は・・・・和太鼓の側面部分に叩き付けた所、それは成功・・・
そして結果的に・・・
「音が何も入らない空白」を回避できた・・・
そういう事件もあったそうです・・・
やっぱり・・・普門館のドラマは・・・色々と興味深いものがありそうですね・・・
最後に・・・・余談ですけど
この演奏の一年後の山形市で開催された東北大会において、やはり三善晃/交響三章のとてつもない名演が
生まれていました。
だけど・・・
その演奏ですけど、1982年の花輪高校同様、なぜか・・・ダメ金で終ってしまい、
全国大会に進むことが出来ず、あの素晴らしい演奏を東京の普門館の聴衆の皆様に聴いて頂く事が
出来なかったのは本当に惜しまれます!!
1981年当時の私は・・・吹奏楽の事も音楽の事もなーーんにも分からず
秋田南とか花輪とか弘前南等の学校の事も全然知らない・・・という感じでしたので
逆に言うと・・・
81年の東北大会は・・・なーーんの先入観とか予測性とかを持たずに
純粋に真っ白の気持ちで聴くことが出来た大会でした。
その大会においては・・・・
そうですね・・・正直に言うと・・・・
結果的に5年連続金賞が掛っていた弘前南は全然上手いとは思わなかったです・・・
(全国大会での演奏は・・・まさに完璧・・・という仕上がりでした・・・)
この年の全国大会への代表は、あくまで当時の私の「予想」としては、
磐城と花輪・・・そしてあと一校は・・・
そう・・それこそが前述の三善晃/交響三章を演奏した大曲高校なのではないのかな・・と確信していました。
そのくらい、この年の大曲高校の演奏は神がかりでした!!
ちなみにですけど・・・
1981年の大曲高校は、秋田南のような第三楽章ではなくて第二楽章の方を演奏しています。
この大曲高校ですけど、
当時の東北大会を聴いた人ならば多分同じ事を言うと思うのですけど
とにかく・・・・
この年の全国大会、支部大会を通して「最高の課題曲B/東北地方の民謡によるコラージュ」だったのではないかと
思います。
あの・・・奏者と指揮者が完全に内面的に燃焼し尽くした大変緊張感が強い演奏は・・・
とにかく・・・これまで聴いた事がない「コラージュ」でしたし、
聴いているだけで体の底からゾクゾクしてくる凄まじい内省的な張りつめた空気がビシビシと伝わってくる演奏でした。
そして圧巻は・・・自由曲の三善晃/交響三章~第二楽章・・・
あの演奏もとにかく・・・聴く者に「絶対的な圧迫感」というのか「張りつめた空気」というのか「すさまじい内省的緊張感」を
伝えさせてくれていたと思います。
あれは・・・前年の秋田南とは全然違う意味で衝撃的な演奏でしたけど
残念ながら、ダメ金で終ったのは・・・本当に勿体無い感じはありました・・・
あの時の大曲の音源・・・どこかに残っていないかな・・・・
特に・・・あの課題曲は・・あまりにも「神の領域」すぎて・・・ここで語るのもなんか大変失礼なようにも
感じてしまう圧倒的な名演でした!!
1981年の大曲のあの名演を語る人なんて聞いた事がないものでして・・・
ついつい・・・語ってしまいました・・・・
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しかし、吹奏楽仲間で大曲高校の演奏を聴いた人たちいわく「あまりにも素晴らしすぎた」と言ってましたし、確かバンドジャーナルの読者ページで課題曲を絶讚していた記事があった記憶があります。「なぜ、大曲高校は全国大会に行けなかったんだ…」と言っていた人もいました。
全国大会はLP時代から全国発売されてますが、こと県大会・支部大会だといくら名演でも出演団体にしか発売されないんですよね…。
演奏を聴いてないので一概には言えませんが、もしこのときに大曲高校が全国大会に出場していたら、秋田また東北の高校の吹奏楽の地図・勢力図が今とは若干違ってたかもしれませんね。