16.天理高校
D/ストーンヘンジ交響曲~Ⅰ.夜明け Ⅲ.いけにえ(ホヘアー)
1979年に谷口先生から「天理高校の指揮者」という大変重たいバトンを受け継いだ新子菊雄先生ですけど、
この先生の偉業はあまりにも素晴らしすぎて
なんかこうやって言葉にする事自体おこがましい感じすらあります。
特に・・・・1981年のオセロとか84年のフェスティヴァルヴァリエーションとか
85年のセント・アンソニー・ヴァリエーションとか88年のディオニソスの祭りとか
79年のハムレットへの音楽は・・・・
まさに・・・「神の領域」にすら達したような正統派の圧倒名演を後世に残してくれていると思います。
特に特に・・・81年の「オセロ」なんてまさに・・・・神がかった演奏としか言いようがないです・・・
だけど・・それにしても吹奏楽部指揮者の新子先生は凄いと思います。
今現在は後任に道を譲られ第一線からは退いているようですが、
1979年に前任者からバトンタッチされてすぐに「ハムレットへの音楽」で全国大会金賞を
受賞されてから、退任までの間、全国大会では金賞以外受賞した事がありません。
銀賞・銅賞が一つもないというのは、
これだけレベルが上がり、各代表の演奏に大差がない中で、これだけの実績を維持し続ける事は
並大抵の事ではありませんし、
本当に頭が下がる思いです。
新子先生のように、複数回以上出場で全国大会で金賞以外受賞した事がない方って、
せいぜいブリジストン久留米の小山氏とヤマハ浜松の原田氏くらいなのかも・・・
だけど両氏とも80年代前半には既に第一線を退いているから、つい最近まで現役だった
新子先生は凄すぎる・・・感じてしまいます!!
ホント、心から敬意を表したいと思います。
一つ勿体無いな・・・と思う事は、新子先生は全国大会は通算14回の出場なので、後一回出場すれば
「永年勤労指揮者」として吹連から表彰を受ける事が出来るのですけどね・・・
興味をそそられるのは、新子先生といえども万能ではないというか神ではないというか
結構厳しい時代も経験しているという事です。
例えば、1983年と1991年には、関西大会でまさかの予選落ちを経験していますし、
何よりも1996年~2001年の約5年間は「冬の時代」というか、
毎年関西大会で代表を逃し、関西大会でも金賞を取れない時期もあったようです。
だけどそれを乗り越え、2002年以降は、再度「天理の栄光」を取り戻し、
普門館に戻って全国での金を奪還したのはさすがとしか言いようがないです。
勿論・・・・、全国大会というかコンクールでの金賞が全てではありませんけどね。
栄光の時代と不遇の時代の両方を経験している指導者なんてのは、そうざらにいるものではありませんけど、
だからこそ「天理高校」の栄光と伝説は不滅のものなのだと思います。
新子先生の凄い所は、オリジナル曲・アレンジもの、両方に対応できている所です。
オリジナル曲では、前述の通り、オセロ、フェスティヴァル・ヴァリエーション、セント・アンソニー・ヴァリエーション、
ディオニソスの祭り、ハムレットへの音楽等で名演を残し、
アレンジものでは、海・ダフニスとクロエ・中国の不思議な役人・スペイン狂詩曲などに名演を残しています。
だけど、個人的には新子先生=天理高校はクラシックアレンジものだと確かにサウンド・音色は
「美的限界」に達するとてつもない洗練さがあるのですけど、
表現がオリジナル曲の時と比べるとどうしても消極的になってしまうような傾向にあると思います。
ま、それでも・・・
1994年以降8年振りに全国大会出場を果たし「名門・天理の復活」を高らかにアピールした2002年の
「スペイン狂詩曲」~Ⅳ.祭りの演奏は、本当に鬼気迫るものが感じられ
あの演奏は私も大好きでした!!
さてさて、1980年の天理高校ですけど、
長い天理の栄光の歴史の中でも、この年は少し異色のものを感じさせてくれます。
ホヘアーの「ストーンヘンジ交響曲」という大変な力作で多種多様な打楽器・特殊楽器を使用する
吹奏楽オリジナル作品を取り上げています。
このストーンヘンジ交響曲は、支部大会でも全国大会でもほとんど演奏されたことがないマイナー作品と
言えるのですけど、
そうですね・・・この曲は吹奏楽版「春の祭典」といっても差支えがないほど、ストラヴィスキーのあの「原始主義」みたいな
香りが漂う凄まじい曲で、ほとんど演奏されないのが勿体無く感じるほどの
「隠れた名作」だと私は思っています。
この交響曲、木村吉宏指揮/大阪音楽団の演奏で「吹奏楽・交響曲シリーズ」として発売された時は・・・
本当に私は狂喜乱舞したものです。
だって・・・あんな知る人ぞ知る埋もれたマイナー名曲シンフォニーをああやって「陽の目」を当ててくれたのですから・・・
天理の選曲はどちらかというと、スタンダードで正統派の曲を真正面から正攻法で捉えるパターンが
多いと思うのですけど、
そうした天理の歴史の中でも、こういうマイナーなんだけど「埋もれた名作」を取り上げてくれることは
今にして思うと大変貴重だったのではないかと思います。
課題曲D/オーバー・ザ・ギャラクシーは正統派の演奏です。だけど気になる事が幾つかあり、
音質がかなり硬質に感じられます。
そして、トランペットセクションのメロディーの中で、二番・三番ばかりの音が聴こえ
一番の主旋律がかすんでしまっている事はなんかマイナスのようにも感じられます。
ま、だけど・・・・リズムとビートはドンピシャ!!という感じです。
そうですね・・・好みの問題もあるかとは思いますが、「オーバー・ザ・ギャラクシー」の演奏に関しては
私としては福岡工大付属の温かみのある演奏の方が好感が持てます。
ホヘアーのストーンヘンジ交響曲は、メカニックな側面というか、機能的な側面が遺憾なく
発揮された演奏だと思います。
天理の「圧倒的な演奏技術の高さ」がまさに・・・一つの極限にまで達したようにすら感じられます。
全体を通して、「情緒」というものよりも、何となく「機械的表現」重視という感じもするのですが、
極めて冷静に知的に処理していたと思います。
技術的には一つの完成と言っても過言ではないと思います。
この自由曲は、前述の通り、吹奏楽版「春の祭典」といってもいい曲なのかもしれませんけど、
いかにも「いけにえの踊り」という感覚をよく表現していたと思います。
課題曲同様、金管の音が少々硬いものの、全体的に精密な設計図を
寸分違わず施工しているという感じがします。
クライマックスのすさまじいfffもお見事!!
ラストの静粛も息を秘める緊張感が漲っていたと思います。
それにしても・・・・ウインドマシーンとか数台のタムタムとかドラとか多様な打楽器をかなり効果的に駆使
していたと思います。
トランペットの音は確かに少し硬質なのですけど、あんなハイトーンでも全然破裂音にならないで
自然に聴かせてくれている所はまさに脱帽ですね!!
曲がすさまじく盛り上がりドラがごわわわーーーんと凄まじい轟音を立てて以降は
大変静かな展開になるのですけど
この静かさも「ppの熱演」をきちんと聴かせてくれていたのも素晴らしかったです。
終結部のオーボエソロも大変素晴らしい!!
惜しいのは・・・・ウインドマシーンをもう少し効果的に鳴らしてもよかったのかな・・・とも思います。
だけど・・・とにかく・・超高校生級の圧倒的な名演でした!!
天理の前の秋田南~福岡工大付属~淀川工業の「邦人作品」の連続したあの独特な雰囲気を
見事に木端微塵に砕いた演奏とも言えるのかな・・・とも思ったりもします。
最後に・・・・
ホヘアーの「ストーンヘンジ交響曲」について少し補足をいたします。
そうそう・・・12/22は「冬至」だったのですね。
寒さはこれからが本番なのでしょうけど、
一年で一番昼の時間が短い冬至を通過したという事は、これか「春」に着実に向かっていく
という事なのでしょうね。
「冬至」というと前述のホヘアーの「ストーンヘンジ交響曲」がついつい頭を過ぎってしまうのですけど、
この曲以前は「ストーンヘンジ交響曲」と表記されていましたが、
その後交響曲第2~4番が作曲されて、
交響曲第1番「ストーンヘンジ」というタイトルに変更されたみたいです。
ホエアーという作曲家は、もう日本の吹奏楽界では忘れられた作曲家になってしまうのかな・・
私が中学~高校の頃は、
〇ペレロフォン序曲
〇セレブレーション21⇒1981年の都大会で瑞穂青少年吹奏楽団の超名演があります・・
〇エルシノア城序曲
といった曲は結構演奏されていたと思いますけど、今ではすっかり「忘却の彼方」という感じですね・・・
ストーンヘンジ交響曲は、
イギリスの平原の中にあるサークル上の巨石遺跡をテーマにした交響曲なのですけど、
どちらかというと、具体的なイメージに基づく音楽的風景と言うものではなくて、
イメージとか雰囲気に基づいた曲と言えます。
ストーンヘンジ遺跡は、夏至の日の太陽がまっすぐに祭壇石を照らすと言われていますけど、
そうした太古の昔の人達の儀式とかを抽象的に描いた作品とも言えます。
この曲は、以下の三つの楽章から構成されます。
Ⅰ.冬至の日の夜明け
コンクールのプログラムや文献では、
「冬至」と書かれていたり、「夜明け」と表記されたり
「冬至の日の夜明け」と記されていたり、不統一な感じもします・・
Ⅱ.招魂
Ⅲ.いけにえ
曲全体を一言で言うと、とにかく打楽器の数が多い!!そして打楽器が全般的に大活躍!!
そしてミステリアスな部分と金管楽器が咆哮する大変スケールの大きな部分の落差と言うか
ダイナミックがすさまじく、
全体的に躍動感が素晴らしい曲だと思います。
個人的には、「非常にメカニックな曲」と感じています。
抒情的な部分はあまりないけど、
迫力と明暗の対比を音楽に求めるならば、これほどうってつけの交響曲はないと
思います。
第一楽章と第三楽章のラストで「ウインドマシーン」が登場し、
曲全体のラストもウインドマシーンによる風の音で静かに閉じられますけど
この「寂寥感」が何とも言えないと思います。
第三楽章「いけにえ」の躍動感溢れるリズムの歯切れ良さと金管楽器の爆発は、大変迫力が
あります。
ま、やはり・・・冬至の日は、第一楽章前半とか第三楽章のラストが
やはり何か雰囲気にあっている感じはしますね。
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