12.中村学園女子高校
B/歌劇「ウインザーの陽気な女房たち」序曲(ニコライ)
今現在ですと、精華女子高校に代表されるように、安城学園・光が丘女子・玉名女子等数々の素晴らしい
「女子高チーム」が本当に素晴らしいまさに「名演」の数々を生み出していますし、
ま・・・・自分自身の母校がかつては男子校時代は慢性的な部員不足・クラリネット奏者不足に
泣かされ続けていたのが、学校統廃合によって男女共学となって以降は、ほとんど「女子高チーム」みたいな
編成になってしまった事に象徴される通り、
現在の吹奏楽コンクールの中学・高校の部に関しては・・・
多分ですけど、部員の80~85%は女の子ですので、
実質的には・・・
どのチームもほとんど「女子高」みたいなものだと思います。
1970年代~80年代初期の頃ですと・・・
そうですね・・・今現在の視点で見てしまうと全くありえない事なのだと思うのですけど
とにかく・・当時は「女子高チーム」自体が大変珍しい存在だったのかな・・・と思います。
そういう意味では・・・
精華女子とか安城学園等の先駆け的存在と言うのかその「パイオニア」としての役割を
1979年代後半~80年代前半にかけて一心に担った中村学園と就実高校の二つの学校の歴史的意義は
大変なものがあると思います。
ま・・・このブログでは、就実高校の「ル・シッド」とか「幻想舞曲集」の歴史的怒涛の名演に関しては・・・
かなり過去記事で語っていましたね・・
多分ですけど・・・
日本の吹奏楽コンクール・全国大会において「女の子だけのチーム」が出場したのは
世間一般的には1978年の中村学園という風に思っている方も多いと思うのですけど、
実は・・・
1960年代に既に・・・
中国地方代表の職場の部の「林兼産業女子吹奏楽団」というチームが
何度か全国大会出場を果たし、
歌劇「ローエングリン」~エルザの大聖堂への厳かな行列においては、確か・・職場の部で第三位を
受賞していたと思います。
これは凄いですよね!!
まさに・・・中村学園・就実を超える「真のパイオニア」なのかもしれないですよね。
それと・・・重箱の隅をつつくような感じになりますけど、
1978年に「展覧会の絵」で全国大会出場を果たした菊間中学校も・・男子部員はゼロですので、
実質的には「女子校」みたいなものです・・
中村学園は伝統的に、「分かりやすい親しみやすいクラシック音楽の編曲もの」を自由曲にする事が多く、
特に・・1984年~87年のバレエ音楽シリーズはとても素晴らし内容でした!!
(ま・・個人的には・・84年のロデオはちょっとね・・86年の「バリの喜び」は、中村学園を代表する名演だと思います!!)
初期の頃は、シャブリエの狂詩曲「スペイン」とかR.コルサコフの「スペイン奇想曲」みたいに
スペインものの曲を選ぶ傾向もあり、
その点は・・・
やはり女子高チームの就実がスペインものをかなり得意にしていた事は、
なんか・・・意外な共通点があるのかな・・とも思ったりもします。
ま・・・中村学園はどちらかというと外見的な派手さ、就実は内省的な感じでして、
目指す方向性は対照的だったようにも思えますけどね・・・
中村学園の全国大会初出場は1978年のショスタコーヴィッチの「祝典序曲」なのですけど、
これ・・・今現在の視点で聴いてみると・・・
うーーん、申し訳ないのですけど「凡演」に近いと思います。
なんか「勢い」と「パワー」だけで金賞をかっさらっていったような気もしないではないのですけど、
一つ特筆すべきことは、課題曲C/ポップス変奏曲「かぞえうた」の冒頭を聴くとよーーく分かるのですけど
彼女たちがしっかりと「腹式呼吸」を徹底しているのがよーーく聞き取れます。
出だしのゆったりとした部分において、金管奏者ほぼ全員、フレーズの間で「すぅーーーーーっ」と大きく息を
吸い込んでいる音がはっきりと・・・収録されています。
それと・・・演奏終了後には・・・
「ブラボー!!」ではなくて、なぜか知らないのですけど
「やったね!! 日本一」という掛け声が思いっきり普門館の会場をこだましているのが
なんか・・・とっても微笑ましいです・・・(笑)
翌年の狂詩曲「スペイン」は78年の演奏から更に飛躍的に進歩し、実に鮮やかな演奏を聴かせてくれていました。
だけど・・・・
ショスタコの「祝典序曲」もそうですし、シャブリエの狂詩曲「スペイン」もそうなのですけど、
なんか・・リズムが甘いのですよね・・・
何て言うのかな・・・俗にいうダーダー吹きみたいな奏法のせいか、全体的にリズムがベタベタしているように
聴こえる感じがあったりもします。
ま・・それは指揮者の松澤先生の「好み」なのかな・・?
1987年を最後に松澤先生は中村学園を去ってしまうのですけど、松澤先生が指揮をされていた頃の中村学園は
どちらかというと、そういう「ベタベタ演奏」が多かったような印象もありますけど
まさに、あれこそが中村学園らしい演奏なのかも・・??
だけど、そうした「ベタベタ演奏」がちょっと悪い方向に出てしまったのが、1980年の演奏だったのかも
しれないです。
課題曲Bは何となくですけど、サクサク進行しすぎて強弱の変化に少し欠けているようにも
感じられましたし、
自由曲のこういう木管主体の曲は今一つ中村学園の個性には合わないようにも感じられました。
木管、特にクラリネットはほとんど休みなく細かい♪に追われ続ける曲ですし、金管も木管を支えるような役割の
曲でもありますし、
やはり・・・木管、特にクラリネットセクションのダーダー吹き、少しレガート奏法を強調しすぎたような吹き方が
なんか気になってしまい、
同時に曲の表現としてもサクサクと進行しすぎてしまい、
正直、印象としては希薄な感じです。
自由曲は、全体的にはチューバ・低音木管セクションの「全体を支えるような感じ」がとっても効果的に
威力を発揮していたようにも感じられたのが大変好印象です。
あ・・・・そうそう、
この課題曲B/南の島からは、曲の途中に「はぁ~! ヤッ!!」みたいな掛け声が入るのですけど
この課題曲Bを全部門を通して女子校チームが演奏したのは中村学園だけだと思います。
大変古し話ですけど、
私が大学生頃辺りには・・・国生さゆり・工藤静香等が一世を風靡したあの「おにゃんこクラブ」がテレビ界で
大活躍をしていた頃と完璧にリンクしているのですけど、
この中村学園の課題曲Bのあの「はぁ~! ヤッ!!」の掛け声は、
「あれこそ元祖おニャン子クラブだ!! 」な~んておバカな事を言っている男子団員が結構いたと
思います・・(苦笑・・
大学の同期の団員で、関西出身で中村学園の大ファンという奴は、どこから入手したのかよく分かりませんけど
確か・・・1986年頃の中村学園の定期演奏会を録音したテープを持っていて、
ポップスステージの中の余興の一つとして「中村学園おニャン子合唱隊による歌コーナー」とかいって
部員がバックの吹奏楽に合わせてたしか・・・おニャン子の歌を歌っている場面があったような記憶が
あります・・・・
ま・・・どっちにしても大変古い話であり「おニャン子クラブ」なんて・・・「死語の世界」ですからね・・(苦笑・・)
- 関連記事
-
スポンサーサイト
自分が現役の時には、もうすでに過去の楽団といったところでしょうか?
あと、某大学におにゃン子のメンバーの弟がいたことは内緒(笑)