9.兵庫高校
A/交響詩「ローマの祭り」~Ⅳ.主顕祭(レスピーギ)
兵庫高校吹奏楽部というと、そうですね・・・最近と言うかここ20年近く「全国大会」からは遠ざかっていて
かつての吉永先生時代と松井先生時代のあのすさまじくアクの強い「個性的な」演奏が聴かれなくなっているのは
なんか寂しいものはありますね・・・
だけど・・・いつの日にか・・・
あのかつての「名門」が復活し全国大会のステージに帰って来てくれると
私・・・信じている!!
(By フレッシュプリキュア・山吹祈里・・・・→おいおい、ここはプリキュアカテゴリではないっちゅーに・・・!!)
私がこの「兵庫高校」と「吉永陽一先生」の名前を初めて耳にしたのは、高校の時なのかな・・・
高校時代の私は、仙台市内のとある田舎の県立男子高校の吹奏楽部にいましたけど、
ホルンの先輩に中学まで兵庫県在住だった方がいて
そうですね・・・
ま・・・とにかくドケチでおっかない先輩で
何かと言うと・・・
「なにしとんねん、ドアホが!!」
「このボケが、なにゆうとんねん!!」
「おまえはアホかっ!!」みたいなコテコテの関西弁で、とにかく、まーよく怒られていましたけど
とにかく後輩に対する面倒見はいい先輩で、
私なんかも結構この先輩から「過去の吹奏楽コンクールの素晴らしい名演」の事とか
1960年代~70年代の日本の吹奏楽コンクールを語る上では絶対に外すことが出来ない
西宮市立今津中学校の得津先生のあまりにもぶっ飛んだ数々の豪快なエピソードとか
自身の出身である兵庫県の吹奏楽事情とか
まー、とにかく色々な事を教わりましたし、
今にして思うと、自分の吹奏楽に関する知識の礎を築いてくれて方は、あのコテコテの関西弁の
あの先輩だったのかな・・・?とふと思ったりもしますね。
だけどな・・・
あのホルンの先輩も口を開けば・・
「親の転勤で神戸からこんなド田舎に引っ越す羽目になってしもうたが、
もしもあのまんま神戸におったら、兵庫高校か神戸高校みたいな進学校に進み、
吹奏楽部で全国大会に出場出来たはずやねん・・・
そして必ずや阪大や京大に進学できたとちゃうか・・・
どこをどう間違えたら、こんな田舎のポンコツ男子校に在籍せなあかんねん・・・」とか何とか言われていましたけど
そうですね・・・
あれは・・・
結構・・・自分達後輩から・・
「お前のカボチャ頭で京大や阪大に受かる訳ないじゃん・・・大体あいつのポンコツ頭で
兵庫県を代表するあの名門進学校の兵庫や神戸に受かる訳ないじゃん・・」とか何とか結構
陰口&悪口を叩かれていたものですね・・・(苦笑・・)
ま・・・いつの時代も先輩というものは、陰で後輩から悪口を言われるもんです・・・(苦笑・・)
その先輩の口からよく出ていたのが「兵庫高校」と「尼崎西高校」と当時兵庫高校を指導・指揮されていた
吉永陽一先生でしたね。
その先輩は吉永先生の事を「ヨーイチ、ヨーイチ」と随分となれなれしく呼んでいて
「中学の頃、一度だけヨーイチに講習会で指導を受けた事があるねん・・」とか言って
自慢げにされていたのが大変印象的でした・・・
そしてよくこの先輩が持っていたレコードの中から兵庫高校の
1974年のチャンス/朝鮮民謡の主題による変奏曲とか77年のネリベルの交響的断章とか
80年の「ローマの祭り」の演奏を聴かせて貰い、
そうですね・・・とにかく・・
当時まだ中学を卒業したばかりで音楽の事も吹奏楽の事もまだなんにも分かっていない私のココロの中に
凄まじく新鮮で強烈な息吹を吹き込んでくれたものでしたね・・・
まだ「何にも知らない」私みたいなひよっこに・・・・
兵庫高校のあのネリベルの「交響的断章」の世界はもあまりにも「毒」が強かったのかな・・・
たちまち、私はその後ネリベルの世界がはまってしまい、
最近の記事でも散々書きましたけど
必然的に埼玉県の市立川口高校吹奏楽部による「二つの交響的断章」の演奏に私のココロは
見事にハートキャッチされてしまい、
それが今現在に至っているのですから、ま・・・そういう若い時の「感性」って本当に大切なんだな・・・と
ふと思ったりもしますね・・・(笑)
あ・・・なんか話が思いっきり脱線してしまいました・・・(苦笑・・)
この兵庫高校ですけど、私は勿論吉永先生時代の演奏も大好きですし、それと同じくらい
松井先生時代の演奏も大好きですね。
お二人の先生ともとにかく・・・アクが強いというか「個性」が漲っている先生でしたし、
吉永先生の場合は、
「下品でどこが悪いねん!! 音楽とはそんなお上品のものばかりとは限りまへんでぇ~!!」みたいな感じでしたし、
松井先生の場合は、確かに個性はとてつもなく強いのですけど
演奏と言うかその表現は、まさしく「ロマンティックな情緒」が漂っていてあのリリカルな雰囲気は
なんか・・・独特なオーラが漂っていましたね!!
松井先生時代の演奏としては、
特に1992年の「ロメオとジュリエット」の低音をバリバリと豪快に鳴らした演奏も大変素晴らしかったですし
1991年の「火の鳥」において、いきなりトロンボーンの強烈なグリッサンド&ティンパニのロールから開始したと
思ったら、次の瞬間「子守唄」の大変抒情的で瑞々しい響きになり、
そして「魔王カスチェイの凶悪な踊り」で一気にエキサィティングしていった演奏も忘れがたいですね。
93年の「シンデレラ」とか96年の「三つのオレンジへの恋」のプロコフィエフシリーズにおいても
あの独特のファンタジーは、本当に・・・私の胸をキュンキュンとさせてくれていました!!
一方・・・・吉永先生時代の兵庫高校ですけど、
やはり思った事は・・・
吉永先生は、クラシックアレンジものよりは「吹奏楽オリジナル作品」を選曲した方が
断然個性が光るという事なのかな・・・と思います。
ま、それはその後吉永先生の転任先の西宮高校でも全く同じ事は言える様な気はします。
兵庫高校時代の吉永先生のネリベル/交響的断章の世界は、本当にすさまじいものがありました。
そうですね・・・あの演奏は今現在の視点で聴いてしまうと「音の暴力」みたいな感じにも聴こえてしまうのかも
しれないのですけど、
あれは単なる「音の暴力」ではないと私は思います。
あれこそが・・・ネリベルらしい「緩急の凄まじい落差というダイナミックス」なのだと思います。
「交響的断章」というとどうしても愛工大名電というイメージが強いと思うのですけど、
私としては、確かに名電も素晴らしいけど、
ネリベルの本質に近い演奏はむしろ吉永先生指揮の兵庫高校なのだと思います、
面白いのは、吉永先生は、クラシックアレンジものを自由曲にした場合は、そんなに「けったいな」表現はしないで
むしろ・・・正統派に近いような演奏も聴かせてくれていたような感じもします。
その典型例が、1983年の全国大会の狂詩曲「タラス・ブーリバ」~Ⅲ.予言とタラス・ブーリバの死なのだと
思います。
いや~、あの演奏も私大好きなんですよね!!
あのスケールの大きさ、爽快さ・・・素晴らしかったですよね!!
あの演奏は、後年のガーディナー指揮のオケ版の演奏に近いような響きだったと思います。
あ・・・・なんか話がまたまた思いっきり脱線してしまいましたね・・・・(苦笑・・)
だって・・・吉永先生のあの個性が強い演奏、本当に聴いていて「生きるチカラ」を間違いなく貰えますし、
あの演奏は・・・
間違いなく聴く人に「何か」は伝える事が出来ると思います。
先日もこのブログで吉永先生の話題をちらっと出しただけでお二人の方より吉永先生に関するコメントを
頂けましたし、
やはり・・・いまだに吉永先生の人気は高いものがありますよね!!
この先生、本当に勿体無いのは活躍の舞台が「関西」である事なのかな・・・
だって・・・関西ブロックは、関東と並んで有数の激戦区でして、
淀川工業・天理という二大大御所がでーーーんと構えていて「三番目の代表の椅子」を巡って
洛南・兵庫・御影・神戸・明石北・西宮・尼崎西などの学校が虎視眈々と代表の座を狙っていましたので
吉永先生自体は、大変意外なのですけど、全国大会への出場は兵庫高校時代と西宮高校時代を含めて
6回に留まっているのですよね・・・
うーーん、これ絶対にもったいないと思います!!
私としては・・・この吉永先生指揮の演奏はもっともっと多くの聴衆に・・・出来れば普門館の聴衆に
聴いて欲しかったですね!!
ほんとな・・もしも吉永先生が中国とか四国の学校に在籍していたら・・・
毎年のように全国大会に出場出来たのは間違いないと思うのですけどね・・・
今現在、吉永先生は吹奏楽コンクールからは勇退されていて、確か・・神戸山手大学の教授をされていたと
思いますけど、
そうですね・・たまーには一般の部にでも出場して欲しいものですね・・・
吉永先生は、あれだけ数多くの素晴らしい演奏を聴かせてくれているのに、全国大会で「金賞」を
受賞されたのは実は一度だけです・・
(ま・・・コンクールにおいては確かに・・ああいう独特な解釈&表現は評価が分かれるのかな・・??)
この唯一の金賞が、1980年の演奏だったのです。
あ・・・やっと本題に入れましたね・・・・(苦笑・・)
1980年の演奏は、吉永先生の指揮としてはかなりオーソドックスな部類に入ると思います。
課題曲Aですけど・・・・
そうですね・・・こういう日本情緒溢れる鄙びた曲は・・・・吉永先生としては、苦手な部類なのかな・・・?
なんかそういう感じもする演奏でした。
吉永先生のキャラクターに合っていそうな課題曲はA/花祭りではなくて、むしろ・・・
課題曲D/オーバー・ザ・ギャラクシーだったかも・・・?
課題曲は、そうですね・・・一言で言うと「ドライ」な演奏です。
前橋商業みたいな「枯れた感覚」というわびさびの世界とは全くかけ離れた演奏で、どちらかというと
高岡商業のやはり割り切ったようなドライな演奏に限りなく近いような印象もあります。
私の印象としては、「情緒」よりも「計算・分析」という感じですね。
音の強弱とかテンポの緩急を「数学的理論」で推進しているみたいな演奏だったと思います。
だけど・・ソロの奏者は抜群に上手いですね!!
課題曲でやや抑制された「鬱憤」を全て自由曲の「ローマの祭り」で遺憾なく晴らしてくれたと思います。
いやーー、あの「ローマの祭り」はまさに圧巻でしたね!!
今現在のコンクールでは「ローマの祭り」は定番中の定番の大人気曲なのですけど、
この当時はほとんど演奏されない大変な難曲なのですけど、
兵庫高校の演奏は、そうした技術的な難しさは全く感じさせず、なにか「余裕」を持ってこの曲を完全制覇していたと
思います。
その意味では、兵庫高校の演奏は、今日の「ローマの祭り」の大人気ぶりの先駆的存在と言えるのかも
しれないですよね。
とにかく・・最初から最後までよく鳴っている!! そんな感じなのですが、確かに凄まじいくらいの音量なのですけど
それが全然「やかましい!!」と感じさせないのは
音楽的盛り上げをよく計算しているというのかきちんと演出しているというのか
とにかくただ「喧騒」という感じではなくて、部分的にテンポを落としたり、強弱のダイナミックスをきちんと
付けていたりと、
豪快な曲の中にも「変化」をきちんとつけていた事が大きいのかな・・と思ったりもします。
とにかく・・・・
聴いていて「気持ちいい!!」と感じさせてくれた素晴らしい演奏でした!!
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