12.野庭高校
D/吹奏楽のための組曲「ハムレットへの音楽」(リード)
最近の若い世代の皆様ですと、「野庭高校吹奏楽部」とか「中澤忠雄先生」と言われても
もうあんまりピンとこないのかな・・・??
だけど・・・私としては・・
勿論、花輪高校・市立川口・秋田南高校・就実・屋代高校・仁賀保高校・雄新中学校等の「伝説的名演」を
ずっとずっと後世に語り継いでいきたいのですけど
上記の学校以外でも、色々と後世の方達に何か「言葉」として受け継いでいきたいような演奏も
数多くあると思います。
その一つの学校が「野庭高校」なのだと思います。
そうですね・・・この学校に関しては・・・・正直・・・私の中では見解が二つに割れています。
アルメニアンダンスパートⅠ・ハムレット・オセロ・春の猟犬の頃のようにリードを主なレパートリーとしていた時代と
アパラチアの春以降、クラシックアレンジ路線に転じ、
「くじゃく」以外は・・・何だかすっかり去勢された様な牙を抜かれた様な演奏になってしまった時代を
何か同次元に扱って果たしていいのかな・・・・とも感じています。
これはあくまで「私の意見」というあくまで一個人の見解なのですけど、
本当の本音を書くと・・・・
私はリード等吹奏楽オリジナル作品を演奏していた頃の中澤先生=野庭高校は大好きなのですけど
クラシックアレンジ路線以降の野庭高校のサウンドはどうも魅力を感じません・・・
(例外は、1993年のハンガリー民謡「くじゃく」による変奏曲・・)
なんかいかにも生徒の首根っこを無理やり押さえつけ「型」にはめ、去勢された様なおとなしくて
消極的なあの演奏を聴いてしまうと・・・
「うーーん、アルメとかハムレットをやっていた頃の中澤先生=野庭高校は一体どこにいってしまったのだ・・・
こんな洗練され過ぎた控えめな演奏は野庭じゃない・・・」と
当時感じていたものです・・・
ま・・・現在の視点・感覚で改めて聴いてみると
「もしかして・・・中澤先生は吹奏楽の別の魅力とか可能性を感じていたのかな・・・
そして・・道半ばにして・・・彼岸の方になられてしまった・・・
先生としても・・・少し悔いが残られる中でこの世を去られたのかな・・・」としみじみ感じる事もあります。
そうですね・・・・
これはあくまで「個人の感じ方」の問題だと思うのです。
私のように・・・あの個性的で躍動的で・・・とにかく音楽というものをあんなにも楽しく生き生きと聴かせてくれた
中澤先生=野庭高校が大好きという人間もいれば、逆に・・・
音の洗練さ・静かな熱演を心掛けたと思われる1992年以降の中澤先生=野庭の方が大好き
という方も大勢いるでしょう・・・・
そうですね・・・・
どちらもそれは他ならぬ中澤先生=野庭高校の「軌跡」だと思うのです。
それを「こちらの方が好き」と感じるのはあくまで個人の感じ方の問題であって、
それを単純に好き嫌いだけで論ずることは出来ないのでしようね・・・
だけど・・まさに・・・野庭高校吹奏楽部の「軌跡」は本当に・・・「奇跡」なのだと思います。
だって・・・・
1980年代~90年代にかけてのあの激戦極まりない「関東大会」にて・・・・
あんな公立の無名校が・・・あんな強豪校がひしめく関東大会を何度も何度も勝ち抜け
全国大会であんな素晴らしい演奏の数々を聴かせてくれたのですよ!!
あれは・・本当に当時から・・「すごいな・・この学校は・・」と思っていたものでした。
確かに今現在は・・・学校統廃合により「神奈川県立野庭高校」の名前は消えています・・・
だけど・・・特に特に・・・あの伝説の名演・・・アルメ二アンダンスパートⅠとかオセロとか春の猟犬等の
数々の中澤先生が残してくれた名演は・・・
陳腐な表現で申し訳ないのですけど、永遠に私達の心の中に生き続けると思いますし、
あの素晴らしい演奏は・・・
後世の人達にも是非是非語り継いでいければいいな・・・とも思っています。
野庭高校が全国大会初出場そして初金賞を達成したのは1983年・・・
この年は私自身高校3年生で、
当時後輩達か部室で「日本の吹奏楽83 高校の部 vol.5」だったかな・・・野庭高校の
「アルメニアンダンスパートⅠ」が収録されているレコードを聴いていて、
私自身も最初にあの演奏を聴いた時の衝撃は・・・・これは多分・・・死ぬまで忘れないと思います。
そのくらい・・・大変個性的でインパクトが強く、とにかく・・・「躍動感」に溢れた生き生きとした語り口で
同時に表現が実に斬新・・・・!!
あの第ⅴ曲をpから徐々にあんなに盛り上げていく演奏はかつてなかったと思いますし、
とにかく一つ一つの音が「生命感」と「躍動感」に溢れていて・・・
「うわわわ、なんだこの素晴らしい演奏・・・これで全国大会初出場・・・
しかも・・・あの激戦の関東大会を公立の全くの無名校が勝ちぬけている・・・??
それに比べて自分達は・・・何とふがいない・・」と
しみじみ思ったものです・・・
ま・・・私自身、高校の定期演奏会でこの「アルメニアンダンスパートⅠ」を演奏する機会に恵まれたのですけど
残念ながら・・・・
楽譜を音にするのが精一杯で、とてもとても・・・野庭みたいなあんな「自由な表現」なんてできなかった・・・
本当に情けないな・・・
とにかく・・・圧倒的にそう感じさせるくらいの素晴らしい伝説的な名演だったと思います。
そうですね・・・あの野庭のアルメに関しては・・・・あんな個性的な演奏ができるチームは野庭以外今後も
出てこないと思いますし、
あの演奏を超える演奏は・・・・
そうですね・・・自分が知る限りでは、1987年の創価学会関西ぐらいかな・・
だけど音楽の躍動感・個性的な表現力において野庭を超える演奏は存在しない・・というのが
私自身の今の所の見解です・・・・
あ・・・・何か前振りが長くなってしまいました・・・・
そうした中で・・・・野庭はアルメの翌年もリードの「ハムレットへの音楽」で2年連続全国大会出場を果たし
そして2年連続の金賞を受賞します。
だから・・・私も・・・・とにかくこの野庭高校の演奏は、この年の大会の注目学校の一つでした。
とにかく・・・
期待して・・・胸が高まりながら・・演奏を聴いていました・・・
そしてその演奏は・・・・私の期待を全く裏切らないどころか、それ以上の「感動」を頂けたと
今でも思っています。
課題曲は大変オーソドックスなマーチ・・・全てが正攻法であり、チャーミングでしかも堂々としている・・・
そんな「相矛盾する要素」を楽々と表現出来ていたと思います。
そして圧巻は「ハムレットへの音楽」でした!!
何が素晴らしいかと言うと、確かに一部やり過ぎで演出過剰なんだけど
全然それが嫌らしく作為的に感じさせない所です。
音楽の流れが実に自然で、一つ一つの「表現」が
「なぜこの箇所で私達はこのように演奏をするのか・・」みたいな事が音楽を通して伝わってくるのが
生演奏で聴いてもビシビシと伝わってきて・・・・
まるで何かの「電撃」を食らったかのように・・・前身からビリビリと音楽的緊張感とか感情の流れが
伝わってくるのが自分でもよくわかりました・・・・
とにかく・・・・
プロローグの息の長いメロディーラインをあんなに緊張感を終始保ち続け、
奏者と指揮者がほぼ舞台上で完全燃焼し尽くした充実感さえ感じたほどです。
Ⅲの役者たちの入場も「鮮やか」という言葉しか出てこないです。
ラストの、クローディアス王の宮中も、
かなりチューバをバリバリと鳴らし、低音セクションを「これでもか!!」というぐらい煽り立て
トムトムとスネアドラムによる連打も加わり、
すさまじい大音量なのですけど、それが全然「うるさい」と感じさない表現力の幅の広さが
とにかく素晴らしかったです。
多分・・・この年の高校の部では・・・・
もしも「音楽的表現賞」というものがあったとしたら、断トツに野庭を一位に推したいです!!
とにかくこの年の野庭は、「音楽的感銘度」が素晴らしく高かったのが大変印象的です。
ま・・・こっそりと書くと・・・・
当時の自分のプログラム余白の採点では・・・・この年の高校の部の
1位は・・・・圧倒的に花輪高校
2位が・・・野庭
3位が・・・淀川工業でした・・・・
淀川工業が銀賞という所が、なーんかこの年イマイチ審査員と自分自身の感性が合わなかった事を
如実に物語っていますね・・・・

そうそう・・・最後に「ブラパン・キッズ・ラプソディー」という野庭高校を取材した1991年刊行のノンフィクション作品を
簡単に取り上げたいと思います。
そうですね・・・
この本については、近いうちに改めてじっくりと語ってみたいと思います。
そうした中で一つ印象的なエピソードを一つ・・・
この本を読むと分かるのですけど、中澤先生は・・・相当の短気&怒りんぼうだったのですね・・・
だけど生徒に対する「熱い気持ち」は本当に胸を打たれるものがあります。
あの1983年のアルメでの初出場のウラでは・・・ま・・・色々と見えないドラマはあったものですね・・・
そうですね・・・
初期の頃は・・・中澤先生と生徒達の関係は一対一の対等なパートナーという感じもなくはなかったのですけど
段々と野庭高自体が「吹奏楽有名校」としてマークされ
他校の追い上げが段々ときつくなる中で・・・徐々に・・・対等な関係から
幾分上から目線の奏者対圧倒的なカリスマと実績を誇る指揮者みたいな弱者対強者みたいな関係に
変わっていったのかもしれませんよね・・・
(多分・・実態はそうではないとは思いますけど・・)
それを象徴しているのが・・・・94年以降の普門館の舞台への入場方法の特殊性かな・・・
なんかあれは・・・悪く言うと・・・先生からの無理矢理押し付け・・・
何か客席から見ていると・・・
「この生徒さん、そんなに中澤先生がおっかないのかな・・」みたいな何かヘンな雰囲気はあったようななかったような・・・??
例えば・・・この「ブラバン・キッズ・ラプソディー」を読むと・・・
1990年の結果的にダメ金になった関東大会のエピソードとして・・・
関東大会の前日に・・・
トランペット奏者が自由曲で使用する掛け持ち用のコルネットを学校に置き忘れ、
部長もその奏者も中澤先生に中々報告できずにいて、
ついに練習中にそれが発覚し、中澤先生が大激怒したというエピソードが語られていますけど、
当時は既に中澤先生は大御所だったから、生徒も中々悪い報告はしにくいという
雰囲気はあったのかもしれませんよね・・・
実は・・・1990年の市川市で開催された関東大会は私も聴いていたのですけど
野庭の演奏は・・
綺麗なんだけど・・・なんかおとなしい・・・・
飼い馴らされた羊・・・みたいな感覚もあったのですけど
それは・・・・
前日のあの事件がひきずられたままだったのかもしれませんよね・・・
こうしたスクールバンドというものは・・・・時に色々と「変遷」はしていくものですけど
野庭の場合、特にそれが顕著のような感じもあるので
なんかその辺りの事は・・・部外者としては知る由もないのですけど
何となく・・・興味はありますね。
- 関連記事
-
スポンサーサイト
オデッセイの方を復刊した時に読みましたが、当時の苦労がひしひしと伝わって来ますね(>_<)
最初の頃は中澤先生も野庭高校の生徒さんもパワーが有り余るから本当に勢いがある高校生らしいサウンドですね(^^)
(初期のリード作品はそんな感じですね)
途中中澤先生が癌が発覚してからサウンドも内省的で奥深いサウンドに変わって来ましたね(^^)
(確かに80年代まではとにかく鳴らせ!の時代でしたが、90年代以降はブレンドの時代に変わって来ていますね)
サウンドに元気感があるバンドも余り聞かなくなりましたね(>_<)
そういう意味では貴重な財産なのかも知れませんね(^^)