我が家のリビングには、昔も今も時を刻み続けている掛け時計があります。
これって電波時計なんですけどね・・
電波時計というのは、標準電波を受信して誤差を自動修正する機能を持つ時計のことなのですが、
当たり前の事ですけど、
乾電池が無くなったり、電池切れ寸前だと、
時間は狂いまくりです。
実は、先日も電池切れを起こしてしまい、時計の針は止まったままになってしまいました。
こういう場合、電波時計と言うのはやっかいな面があり、何かと言うと、
前述の誤差の自動修正と言うのが大変時間が掛る点です。
長針と短針が正しい時間に同時にびったりと移動してくれると簡単なのですけど、
例えば正確な時間を16:00として、止まっている時間が18:00とすると、18:00→16:00へとずーーっと短針がクルクルと
廻り続けて正しい時間になるまでずーーっとクルクルと動いている状態が延々と続くため、
自動修正が終わるのは2時間程度毎回掛っているのかな・・・
ま・・・もっとも最近の電波時計と言うのはもっと性能がよくなっていると思われますので、
全ての電波時計がこんな感じとは思えないです。
(ま・・、よく分からないけど・・・)
我が家の電波時計もそんな感じでやっと元に戻った訳ですが、
実はこの掛け時計は、コチコチと音は一切立てていません。
本当は、「振り子」というものが下についていて、この振り子を付けるとコチコチと音を立てる仕組みになっているのですけど、
うちの奥様が・・・
人気がない所で時計だけがコチコチと音を立てているのはイヤ!!と妙な駄々をこねるため、
仕方なくこの振り子はわざと外しています・・・
うーーん、なんか勿体無いような気も・・・・
ま・・・・私の自室には・・・例によって・・(?)「プリキュア時計」なるものが・・・三つもあるおかけで
年がら年中コチコチと音を立てていますけどね・・・・(苦笑・・・)
ま・・・こういうのって、気になる人は私のように全然気にならないのだけど
気になる人はどうしても気になってしまう・・・という感じなのかもしれませんよね・・・

さてさて・・・・
実はクラシック音楽の「交響曲」のジャンルにも時計のコチコチという音に似ているから「時計」みたいな
タイトルが後世の人達によって付けられた曲もあったりします。
それがハイドン作曲、交響曲第101番「時計」なのです。
その「時計」の表題の由来なのですけど
19世紀の人が、この交響曲の第二楽章のリズムが、何となく「時計」の規則正しい刻みを彷彿とさせるものが
あるから・・・という理由で付けられたものとの事です。
そうですね・・・・
この交響曲は何度か生の演奏会で聴いた事がありますけど、
うーーん・・・正直、そのように言われなければ何も気にする事なくスルーしてしまいそうなほど
特に際立った特徴もないように感じるのですけど
18~19世紀の人たちにとっては、重奏低音がポンポンと規則正しいリズムを正確に刻み続けただけで
「おおーーーっ」と何か感動を生んでしまったのかもしれませんよね・・・
そうですね・・・
全く同じ事はハイドンの交響曲第94番「驚愕」第二楽章にも言えるのかもしれません。
あの交響曲の第二楽章は、出だしで単調なメロディーラインが二回繰り返されたところで
聴衆がうつらうつら・・・居眠りをしそうなところを叩き起こすためという俗説もあるほど、
唐突に全楽器とティンパニの打撃音が強烈な一撃を食らわしてくれるのですけど、
そうですね・・・正直・・・21世紀に生きる私達が今現在この楽章を聴いても・・・・
「あ・・べつに・・大したことない・・」みたいな反応で終るのかもしれないですね・・・(苦笑・・・)
ま・・・そんだけ・・みんな耳が肥えてきたというのか、
ちっとの事で驚かなくなったという「慣れ」があるのかもしれませんよね・・・・
この交響曲第101番「時計」も前述の通り、普通に低音が規則正しいリズムを展開するだけですから
現在の感覚・視点で聴くと・・
「これのどこが時計なの・・・?」と思ってしまうのかもしれませんよね。
だけど・・・
この曲の第二楽章は、多分・・・・どこかで聴いたことがあるように懐かしいメロディーが展開されますので、
例えば・・・
私がかつて聴いた1993年のGWのサントリーホールでの東京フィルの名曲コンサートにて
この「時計」が演奏された際、第二楽章が始まった際の会場の雰囲気は・・・
「あ・・・なんかこの曲知ってるしってる・・」みたいな空気が一瞬さーーっと流れたような気もします。
ハイドンの交響曲ってたまーーになんかヘンなタイトルがあったりもします。
例えば・・交響曲第83番「めんどり」は第一楽章の第二主題がめんどりの鳴き声に何か似ているからというのもありますし、
交響曲第82番「くま」は、第四楽章のメロディーがなんか「くま」みたいな感じがするという
何か今一つ良く分からない理由で付けられてもいます・・
この「時計」ですけど、
第一楽章は意外と・・・神秘的な感じで開始されるのが大変印象的です。
第三楽章の絢爛豪華なメヌエットも素晴らしいですし、
第四楽章も音楽が大変自由な感じがします。これから翔び立とうとする前向きな第1テーマと、
たおやかに羽ばたくような第2テーマが縦横に展開されて、堂々たるエンディングを迎えるのが
実に素晴らしいと思います。
最後に余談ですけど・・・
ハイドンの交響曲みたいに「吹奏楽」とは相性が悪そうな曲でもって吹奏楽コンクールの全国大会にまで
進んだチームもかつてはありましたね・・・
確か・・100番「軍隊」と104番「ロンドン」だったと思いますが、
さすがに現在は・・・そうしたあまりにも古典的な曲を自由曲にする無謀なチームはほとんど・・・ないですね・・・
ま・・・・かつて岡山学芸館がブラームスの交響曲第1番第四楽章を自由曲にした際は・・・
少し驚きましたけどね・・・・
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歌の中だけになりつつありますね~。
私はあまり気にならないタイプです。
ハイドンの曲に「時計」という曲もあるのですね。
「めんどり」はインパクトで覚えていますが、
「くま」って(笑)
クラシックて本当面白いですよね~。
今聞くときっと寝ちゃいそうですが(笑)