最近の記事の中で小川洋子の「六角形の小部屋」という小説を取り上げさせて頂き、
この小説について色々とグタグタと語っていたのですけど
その際改めて感じた事は・・・
小川洋子の小説は・・・限りなく透明・・・
音楽に例えると限りなくドビュッシーとかラヴェルの世界に近いのかな・・と思ったものです。
先日、夜中にホルストの組曲「惑星」を聴いていたら、最後の第Ⅶ曲・海王星(神秘の星)にて、
半分無調的に音が空間を彷徨い、最後はコーラスが静かに消滅していくかのように
最弱音で遠く無限の彼方に消えていくラストが大変印象に残り、
「あれれ・・・この消滅感というのか喪失感、誰かの小説の世界に近いな・・」と思い、
それがすぐに小川洋子/密やかな結晶という小説だという事を思い出しました。
それに何か触発されてしまい、ホルストの組曲「惑星」~Ⅶ.海王星については一つ前の記事で
書いてしまいましたけど
なんか小川洋子のこの小説については、既に一度かなり古い記事にて書いていたのですけど
ま・・・あれは簡単な紹介記事でしたので、
もう一度改めてこの小説について書いてみたいと思います。

まず・・・一つお断りしてきますが、この小説はとてつもなく長いです!! 400ページは悠に超えていたかな・・・
長いけど、例によって実に小川洋子らしく淡々と物語は進行していきますし、
登場人物たちの行動・心理はそれ程深くは探求されず、とにかく粛々と展開されていきますので
「長い!!」とは全く感じさせられずに
一気にさくさくと読むことは出来ると思います。
ま・・・確かに淡々と軽めに書かれているのですけど、
後で改めて一文一文をじっくりと読んでみると、実に巧みに書かれている印象もあり、
何て言うのかな・・・・
石垣を作っていく時のように、一つ一つの石を廻りとのバランスを考えながら少しずつ積み上げていき
最終的には何かとてつもないものが仕上がっている・・・・
そんな雰囲気すらあります。
一応・・・簡単にストーリーを簡潔に下記に記してみますと・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
舞台は周囲から孤立した島となっています。
この島では、一つずつ何かが消失していきます・・・バラとか香水とか・・・
モノが消えると、同時に島の人々の頭の中にあった記憶も消滅していきます。
やがてカレンダーさえも消え、冬以外の季節も奪われたように、冬のような日々が
延々と続く事になります。
この物語の世界観では、主人公の女性をはじめ、「段々と記憶を消滅していく人」と
「記憶を失わず、むしろ過去の記憶を取り戻そうとしている人達」に大別されます。
ま・・・島のほとんどの人達は前者なのですけどね・・・
主人公の女性は小説家で、彼女は声を失った女性を主人公にした小説を書いています。
主人公の母親も、同じように記憶を失わない後者タイプでしたけど、
そうした人達に対しては、常に「秘密警察」の記憶狩りの対象になってしまいます・・・
母親も「秘密警察」に連行され、二度と戻って来ることはありませんでした。
そうした日々の中、女性小説家のかつての編集担当者のR氏と言う方が登場し、そのR氏は母親と同様に
記憶を失わないタイプで秘密警察の追跡対象者となっていて
ひょんな事から彼女はそのR氏を自宅の秘密部屋に隠匿する事になってしまい、
ここから彼女とR氏の不思議な同居生活か始まる・・・
そんな感じの物語です・・・
だけどこの物語は容赦しない・・・
彼女には段々と「消滅」の影が迫り、
彼女の「小説」という概念すら・・・消滅しようとし、彼女の作品すら消滅する寸前になっていました・・
書きかけの原稿は、かろうじてR氏が密かに保管することになったものの
既に彼女には・・・小説の「言葉」そのものも失ってしまいます・・・
その次にやって来たのは、「左足」の消滅でした・・・
この場合、「消滅」というのは、消えてなくなったのではなく、
それは「腰から下に確かにくっついているとか体の一部であるという」機能も記憶も失われているという
何やらある意味怖い状況です・・
そして次の消滅は・・・右腕でした・・・
思うように動けなくなった彼女は、隠し部屋にいるR氏に守られて暮らすようになり、
ここでどうにか書きかけの小説を完成します・・・・
しかし・・
既に声も失っていて・・・・
閉じられた隠し部屋の中で、全て消えていった・・・・
そうしたお話です・・・
そうですね・・・・私自身、特に「消滅願望」とか「自殺願望」というものは・・・皆無に等しいと思います。
私自身・・・もしも・・自分自身の存在が消滅するというのならば、この小説のように
ひっそりと・・、誰からも気が付かれることもなく
誰にも迷惑をかけることもなく、
ひっそりとこの世から姿を消したい・・・という気持ちはどこかにあるのかもしれません。
よくニュースで高齢者の孤独死なんてことが報道されていますけど、
誠に不謹慎な表現になるかもしれませんが、少々違和感を感じるのも事実です。
他人に迷惑をかけてまで、他人に自分自身の生活の面倒を見てもらってまで
「生きたい」とは思えない…と言うのは、
お前がまだ健康だからそんな事が言えるんだ・・みたいな批判は重々承知しているのですけど、
他人に迷惑を掛けてまで生きるのだったら・・・
自分の意志が明確なうちに・・「密やかな結晶」ではありませんが、この世からフェイドアウトしていきたい・・
みたいにも思ってしまいます・・
他人に迷惑をかけて生きるのなら、
他人に自分自身の身の回りの世話まで委託するくらいなら、
小川洋子さんの小説ではありませんが、
ひっそりと自分自身を消滅させたいという感覚があるのも事実です・・・・
だけど同時に・・・心のどこかで「命ある限りはしぶとく生き続けたい!!」という思いもあるのも事実ですし、
その辺りは微妙ですね・・・・
だけど・・・
小川洋子のこの「密やかな結晶」のあの世界観に触れてしまうと・・・
青い空の下で雲がすーーーっと消え行く様に・・・まるで空に溶け込むように消えていくような
自分自身の最期というのも
「一つの理想的な最期」なのではないかとも思ってしまいます。
我が家は子供がいないものですので、二人暮らしという事になるのですけど、
うちの奥様も、基本的には・・生きているのか死んでいるのかよく分らないようなタイプなので、
休みの時に二人で家にいても、
家の中も「シーン」と静まりかえっている事が多いような気がします・・・
竹中直人主演の映画で「無能の人」という作品がありましたが、
(主人公は元漫画家で、現在は何もせず家でぼんやりとしている。作品の中では親子で拾ってきた石を
小屋で売っているが、当然そんなもの売れるわけもなく、ただひたすら小屋でじっーとしている)
そのワンシーンで、奥さんが
「何だかこうしていると世界で何が起きても私達はこうやって寂しく生きているのかしら・・」と
いったセリフがありましたが、
それに近い感覚を自分自身抱くこともあります。
正直今はいいけど、あと何十年かしたら、自分達二人はどうなっているのだろう・・・と漠然とした
不安を感じる事もあります。
そんな時にふと感じてしまうのが、あの小川洋子の「密やかな結晶」の世界なのです・・・
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どんなにお金持ちでも、ひとりで旅立って行かなくちゃいけないから…。
何も持たずにね。
子どもがいたらいたで、迷惑をかけたくないと思うの。
一人なら諦めもつくけど、人間、弱るとついつい甘えたくなるから、これはこれでなかなか辛いかも。
私はみんなの前で宣言して、自分にプレッシャーをかけてあります(笑)
娘は嫁に出さなくてはならないですからね。
私の周りにも夫婦だけっていうのが多いけど、そういったご夫婦は、ホントに仲がいいんですよね(笑)
お互いを尊重してるし…。
ぬくぬく先生のお宅も、きっとそうなんでしょうね。
実は、これから先の方が長いんですよ~。
退職して、毎日一緒にいるようになると判りますよ~(笑)
なかなかですからね~!!