一つ前の記事で、何か「死の香りが漂う交響曲」についてグタグタと書いていたら
なんか・・・
やたらと星新一のショートショート作品集/ようこそ地球さんの中に収録されている「処刑」と「殉教」という二つの作品が
頭の中を駆け巡っています・・・
そんな訳で・・
この星新一の作品を少し取り上げたみたいと思います。
この「ようこそ地球さん」ですけど、上記の二つの作品以外にも
「復讐」・「ずれ」・「セキストラ」・「天使考」・「桃源郷」などの素晴らしい作品もたくさん収録されていて
この本に収録された作品は全て昭和36年以前のものなのですけど、
正直・・・現在の視点・感覚で読んでみても全く「古い・・!!」と感じさせる事は全くありませんし、
何よりも・・・・その時代に星新一が既に感じていた「人類の未来に対する疑問点」というのが、
現代に至ってもほとんど解決できていないという事は
星新一のその「先見性の鋭さ」に脱帽せざるを得ません・・・・
だけど・・・・この「ようこそ地球さん」の中では、私にとっては群を抜いて・・・あの二つの作品が
大好きなんですよね・・
そしてこの二つの作品は、星新一自身の「死生観」を語る上でも多分・・・外すことは出来ない作品だと思います。

この「ようこそ地球さん」を初めて読んだのは確か中学生頃だったと思いますが、
当時家で星新一なんか読んでいると、自分よりも一回り程度年の離れた兄貴がやってきては・・・
「こんなしょーもない本なんか読んでいないで、もっと別の高尚な本でも読め」と必ず
上から目線でダメだしをするのが本当にイヤでした・・・
ま・・・正直に書くと、私と兄は、自分で言うのも何ですが、ホント昔からそりが合わないというか
感覚が合わないというか、
兄は自分と違って、頭が良い運動部系で、学校も、自分なんかは逆立ちしても入れそうもない頭のよい学校の
出身でしたし、当時は既に学校の先生になっていたせいもあるのですけど
自分みたいなこんな出来の悪い弟を見ると・・・
ついつい・・・職場での「出来の悪い生徒」に接するかのように
上から目線的態度・人を小馬鹿にしたような態度・自分の考え方とか趣向を一切認めないで
「俺が指示したようにやればいいんだ!!」みたいな接し方が
私にとっては大変「目の上のたんこぶ」みたいな存在であり、
とにかく・・・「反発」と「嫌悪感」の対象以外何物でも無かったという存在でした・・・・
本を読んでいると・・・→「そんな本はお前が読んでも分かる訳ない」
吹奏楽部所属の私が楽器を持ち込み家で吹いていると・・・→「うるさい! 家で吹くな!!」
勉強していると・・・→「そんな方法ではいつまでたっても成績上位に入れない・・・」
で・・・
とどのつまりは・・・
要は・・・「お前はバカだ!!」という上から目線的一言で終ってしまい・・・
とにかく当時から「むかつく対象」の一人でしたね・・・
そうなんだよな・・・・あの頃って・・・父親・兄・吹奏楽部の先生・・・
なんか接する大人・大人・・・のほとんどが
自分にとっては・・「反発の対象」だったな・・・・(苦笑・・)
とにかく・・・中学~高校の頃の自分って・・・
合法的に家を出る事、早期に自活できるようになる事・・・
その為には・・・
「この県内には自分が行きたい学校は無い」とよく分からん理屈を付けて、とにかく・・・
実家を離れて親元を離れて・・・
全てから開放されたい・・・
そんな事ばかり考えていましたね・・・・
自分としては、誰かに「自分と言う存在」を認めて欲しかったのかな・・・? あの頃は・・
そんな・・自分は確かに頭が良くないし、文化部系だし、兄と全然異なる感性&考え方をしていたけど
それも含めて認めて欲しかったんだと・・・・
今にして思うと・・・そう思いますね・・・
人間と言うものは、相手の目の中に確かに「自分」という存在が映っていると感じた時に
初めて心が開くものと思っています。
お互いがお互いを認め合うというのは、ホント難しいものですけどね・・・
話がそれてしまいました。
星新一に話を戻しますと、その「ようこそ地球さん」という本の中に「処刑」が収録されていました。
ストーリー的には、近未来、人が犯罪を犯し死刑判決を受けた場合の処刑方法として、火星に
送られて、水を人工的に作ることが出来る銀の形の機械だけを渡されるが、その機械は
アットランダムな時期に爆発を起こし、死刑が執行されるという話だったと思います。
何かこの話は色々示唆するものがあると思います。
ま・・・何よりも小説の中で「マスコミの被害者家族の怨恨の過剰報道→世間の厳罰化意識の高まり→刑の厳罰化」を
既に予知していたのはすごい・・・
現在の日本の確定死刑囚は、狭い拘置所に閉じ込められ、確実に「死」が来るのを分っているから
「死」に対して常に向き合って凄し、常に死の恐怖に怯えながら過ごし、
一定の恐怖心を持って最期の日まで過ごしているのかもしれません。
この「処刑」の話でも、「小さな丸い球形」というちっぽけな存在が常にそばにあるから、
水を機械から出すために、「銀の球」は使わざるを得ないし、嫌でもその存在そのものを
見てしまう事になる・・・
結局・・毎日毎日が・・・
「死」を常に感じざるを得ず、「死」の恐怖と日々戦う事になってしまう・・・
だけど自分達自身はどうなのでしょう・・・?
確かに確定死刑囚のように日々「死」を意識した緊張状態にある訳でもない・・
「爆発⇒死」の根幹である球を常に意識している訳ではない・・・
人はある日突然事故に巻き込まれたり、大地震等の災害に巻き込まれたり、ガン告知を受けたりして
初めて「死」を意識するものです。
つまり、「死」という存在があまりにも巨大すぎて身近にあるものではないから、
普段は日常的には「死」を意識する事は少ない・・・
だけど最終的には「死」というものは、確定死刑囚や「処刑」のように身近な小さい距離だから
敏感に感じやすいか、あまりにも巨大すぎるから普段は意識しないだけの違いだけであって、
結局は誰にでもいずれは関わるもの・・・
それだからこそ、
いつ「死」の瞬間を意識したとしても、その時に「後悔」しないように
その時点での自分のベストは尽くしておこうという事がこの「処刑」のテーマなのかもしれません・・・
実際、その「処刑」という話は・・・
火星の銀の球は小さく、そして気になる・・・だけど地球での生活は・・・
それがあまりにも大がかり過ぎて誰も気にしない・・・
それだけの違い・・・
別にこの火星と地球の間に何が違うんだ・・・?という事に気がついた時に、初めて「幸福感」を味合う事が
できた・・
そんな感じで閉じられています。
さてさて・・・一方「殉教」という話は、星新一が「処刑」で提示した「死生観」が更に際立っているような
作品にもなっていると思います。
「処刑」の場合・・・
その根幹となっているのは人間の「死への恐怖」なのだと思います。
逆に考えると・・・
人はどうして生きるのか?→人はどうして簡単に死のうとしないのか・・→どうして人は生き続けるのか?
→生き続けようと思うその力、逆に生きる事を停止させる事を必ずしも良しとしないその根幹にあるものは
何なのか・・・?
という事を提示しているようにも思えます。
ま・・・簡単に言うと・・・・
人間と言うものは、「死後の世界」というものが何一つ分からないから・・・
自分が死んだらどうなるのか・・・??という事がまるで分からないから・・・とりあえずは生き続けている・・・
そんな側面があるのかもしれません。
もしも・・・よく宗教で提示されているように・・
「生きている間に何か悪行を働いても死後の世界で、閻魔さまとか地獄の悪鬼どもに永久的に責められ続ける・・」
みたいな事が
本当にあるのかないのか・・・という事がよく分かっていないから・・・
死んだらこうなる・・・という事が科学的事実として判明していないし、
要は・・よくわからないから・・・
とにかく・・・「死ぬのは嫌・・怖い・・」という感覚になるのだと思いますし、
それをうまい具合に利用したのが宗教とも言えますし、
ひいては・・・
「人は生きている間は悪い事をしてはいかん!!」みたいな「倫理観」にも繋がっているのだと思います。
だけど・・・・
もしも・・・
この星新一の「殉教」で提示されているように・・・・
実は・・死後の世界が本当に実現していて、それが本当に・・本当に・・・「パラダイス」だったとしたら・・・
人間は果たして・・・
現世で「生き続ける必要はあるのか・・」という問いに直面する事にもなってしまうと思います。
人間の「死への恐怖」という一つの抑止力が外れた時・・・「死に対して怖い」と感じなくなった瞬間に
どうなるのか・・・
それを見事に描いた作品だとも言えます。
そうした事がこの「殉教」のテーマになっています。
この「殉教」を簡単にストーリーを記すと・・・
死後の世界と対話できる機械を発明したある技術者がとある小ホールに登場・・・
その場で、いまは亡き最愛の妻を呼び出し、対話したのち、観客の面の前で自殺をしてしまう・・・
その直後、機械の中から、その技術者の音声がはっきりと聞こえる・・
そう、死後の世界はあったのです・・・!! そして・・この上もなくすばらしいパラダイスが・・・!!
その後・・
機械の前に人々が並び、天国にいる誰かと会話します。
「なんだ、こっちよりいいところじゃないか! 素敵じゃないか! じゃあ生きている意味なんてないんじゃないか……!!」
そして死体の山が重なっていくのです・・・
そして、その機械は次から次へと日本各地を転々とし、やがて世界にも広がっていき、
挙句の果てには・・・
教会の牧師さんも・・・(キリスト教では禁じられている)自殺の道を選んでしまう・・・
人々は・・・
「ふん・・どうせ、イエス=キリストと会話でもしたんだろう・・・」と・・嘲り笑います・・・
でも・・・この話・・・ホント、こわいですよね・・・
「人はなんで生きているのか・・・」その問いに対する一つの答えが「死への恐怖」、つまり人は死んだらどうなるかが
わからないから何となく生き続けるという事なのだと
思うのですけど・・・・
もしも・・・あの世が本当に天国で
そうしたあの世と現世を繋ぐ機械がもしも・・将来発明されたとしたら・・・
それでも人は生きていく必要があるのか・・・!!
否、それて゛も人が生きていく「価値」って何なの・・・・!!という事を抉り出した作品だと思います。
そしてこの物語のエンディングが実に秀逸だと思います・・・
宗教も科学も人間も、死も・・・そして何よりも自分自身すら信じられない一部の人間達だけが
生き残り・・・・
そうした人達で「新しい社会」を作っていく・・・
そんな感じで閉じられていたと思います。
そのラストシーンで女性が語った一言・・「ノアの方舟に乗り遅れた気分」というのが
実にいい味を出していると思います。
果たして自分なんかはどつち側なんだろう・・・・
何もかも誰もが信じられず生き残る側なのか、誰か一人ぐらいは・・「信じる人」がいる側なのか・・・・
うーーん・・・正直・・・よく分からないです・・・
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で、この懐かしい星新一氏のショートショートの記事を見つけて
嬉しくなってしまいました^^
ところが、ですね、私星新一氏のショートはほぼコンプしてるはずなのに
本棚を探してみたのですけど、どうしても「ようこそ地球さん」だけが
見当たらないのですよ><
気になってしょうがないので、明日にでも書店で探そうと思います(#^.^#)