私自身、吹奏楽に関しては、
どちらかと言うと・・・
クラシック音楽のアレンジものよりは「吹奏楽オリジナル作品」を好む傾向にありまして、
その最たる例が・・・
例えば・・・ネリベルの「アンティフォナーレ」・「二つの交響的断章」とか
C.スミスの「ダンス・フォラトゥーラ」・「フェスティヴァル・ヴァリエーション」とか
スパークの「ドラゴンの年」・「宇宙の音楽」とか
リードの「オセロ」・「ハムレットへの音楽」
などではないかと思っています。
だけど、そうした吹奏楽オリジナル作品の中には、何度聴いてもさっはり分からない複雑な曲も結構あったりして、
そうした曲の一つが
このシュワントナーの「・・・・・そして、どこにも山の姿はない」という曲だったと思います。
この曲、長い間日本の吹奏楽では演奏される事が皆無で、吹奏楽マニアの間では「幻の名曲」みたいに
言われていた時期もあったとの事です。
この曲なのですけど、作曲自体は1977年で、翌年にはイーストマン・ウインド・アンサンブルによる初演&世界初録音も
行われていて、確か・・・私の記憶では、1982年頃に当時日曜日の朝に放送されていた「ブラスのひびき」という
吹奏楽番組の中で取り上げられていたと思います。
だけど・・・
当時高校生だった私が最初にこの曲を聞いた印象は・・・・
「何を言いたいのかさっぱり分からん・・」という感じだったと思います。
この辺りは自分自身、大変興味深いですね・・・
同じく難解な吹奏楽オリジナル作品でも、
ネリベルの「アンティフォナーレ」とかフーサの「プラハのための音楽1968」は理解できても
このシュワントナーの曲は、まるで理解できなかったのですよね・・・
ネリベルの場合は、曲の「叫び」、フーサの場合は曲からのメッセージ性でやはり「何か」は伝わったと
思うのですけど
シュワントナーの場合、あまりにも曲自体が漠然とした抽象的なものであるので、
やはり・・・当時の私には理解できなかったのでしょうね・・・・
そして、この曲ですけど、
1990年にハンスバーガー指揮/イーストマン・ウインド・アンサンブルが来日した際、大阪公演で
この曲を演奏し、
その演奏はライヴ録音としてCD化もされ、
私自身もそのCDは購入したのですけど、やはり・・・シュワントナーのこの曲はさっぱり分かりませんでした・・・
だけど・・・・この曲の真価を初めて認識出来たのは、その翌年1991年の吹奏楽コンクール全国大会・高校の部での
埼玉栄高校の歴史的名演の演奏のおかげでした・・・・
この埼玉栄の演奏で、初めて・・・・
「あ・・・この曲はこういう意図があったんだ・・・」みたいな事をおぼろげながら何となく分かったのですけど
やはり・・・
FM放送とかCDでは中々伝わりにくいのかな・・・
特にこの曲は後述の通り、特殊楽器を数多く要しますので、そうした特殊楽器の音色をライヴ感覚で聴くことにより
初めてこの曲の意図が何となく分かったのではないかと思っています。
だけど・・・
実際、埼玉栄のあの演奏は・・・普門館の聴衆を完璧に呑み込みノックアウトさせてくれましたね・・・
あの曲を初めて聴いた人は、多分全聴衆の9割くらいだと予想しますけど
埼玉栄の演奏が静かに閉じられても誰も拍手をしないのが・・・何よりも驚きましたね・・・
ま、勿論・・・初めて聴く曲ゆえにその「閉じられ方」が分かっていない人ばかりなので
「本当に演奏終ったのかな・・・・ここで拍手をしても本当にいいのかな・・」と迷った聴衆がほとんどだったようにも
感じられました・・・
あの日・・・私も普門館の会場にいましたけど、
確かにほとんどの聴衆は・・・・完璧に埼玉栄の演奏にノックアウトされ、
「一体・・・いまのはなんだったんだ・・」みたいにポカ――――ンとした顔がほとんどであったのが
今となっては大変印象的です。
この曲なのですけど、
キャロル・アドラーという女流詩人が書いた「アリオーソ」という詩の一節から霊感を受けて
その詩の雰囲気をベースにして作曲されたとの事です。
その詩の一節とは・・・
アリオーソ、鐘
セピア色
月の光
午後の太陽は西に白ける
そしてどこにも山の姿はない
響きがもどってくる
音と無音の鐘
うーーん・・・・正直・・・私には・・・ちんぷんかんぷんです・・・(苦笑・・)
この「・・・・そして、どこにも山の姿はない」ですけど、
楽器編成が既にヘン・・・いや・・かなり特殊です・・・
フルート6 オーボエ4 クラリネットはわずか2本のみ(→普通の吹奏楽作品では絶対にありえない・・・)
ファゴット 4 ホルンとトランペットとトロンボーンは各4 チューバとコントラバスは各1
ピアノ 1 そして・・・打楽器はティンパニ奏者を入れて6人
ま・・・最大の特徴は、打楽器はティンパニ以外の奏者5人で合計46の打楽器を使用する事で
その中には、シロフォーン・グロッケン・ヴィヴラフォーン・マリンバ・チャイム・鈴・
ウォーターゴング(小型のドラを水槽に浸したり引き上げたりすることで音色の変化を意図・・・)
巨大タムタム(ドラ)・シンバル多数・3台の大太鼓なども含まれます。
また、ヴィヴラフォーンの鍵盤の淵とかドラの淵をコントラバスの弓でこすって不思議な共鳴音を発したり、
ハミング等の声や口笛まで入り、
本当に・・・「奇妙で不思議な音楽の空間」が生まれる事になってしまいます・・・・
この曲の冒頭は、打楽器の強打から開始されるのですけど
その後・・・・いきなり・・・
不思議で神秘的な響きがこだまします・・・
1991年の普門館で最初に埼玉栄のあの演奏を聴いた時・・・・
「え・・・なに、このヘンな音は・・・一体どんな楽器を使用しているのだ・・」と多分・・誰しもが感じたと
思うのですけど、
その答えは・・・
「グラス・ハープ」という楽器でした・・・・

この「グラス・ハープ」ですけど、
グラスの縁を指でこすって音を発することで楽器として使用するものでして、
口径・腰径の異なる複数のグラスを大きさ順に並べて、基本的には、
水で濡らした指先をガラスの縁に触れさせる摩擦によって、共鳴するガラスからの音で音楽を奏するという
特殊楽器です。
シュワントナーの曲の場合、7つの水が入ったグラスを用意し(水量・グラスの大きさにより、あらかじめ七つの音に
調音する必要があるとの事・・)
そのグラスを4人のオーボエ奏者がふちをなでる事でわおーーーんという不思議な共鳴音を出していきます。
埼玉栄の演奏では、オーボエ奏者が作曲者のスコア上の指示通り、このグラス・ハープと兼任したか
どうかは・・・残念ながら記憶にありません・・・・
それとこの曲は、部分的に小節と拍が意図的に書かれていない所もあり、これは・・・スコア上の指示では
「秒」で指定がされています。
うーーーん、一体何て指揮者泣かせの曲でしょうね・・・
でも・・・途中の声と言うかハミングは不思議な効果がありましたね。
ピアノの使い方も実に巧みだと思います。
途中でホルンによるすさまじい雄叫びが聴こえてきますけど
あれは・・・意図としては「山の偉容」を示唆しているのかな・・・・??
ま・・・とにかく感覚的で技術的にも大変難しく、これまで全国大会でもわずか3チームしかこの曲を
自由曲に選んでいませんけど
それはよく分かりますね・・・
だけど・・・あの不思議な感覚をCDではなくて、もう一度ライヴ感覚として聴きたいものですね・・・
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埼玉栄の初演の演奏を聴いた時、なんだこれ?ってなりましたね(>_<)
ホントに一言で言うと、音楽に酔うって感じになりましたね(>_<)
あれよあれよと曲が進んで、終結部になっても、あれっ?って感じでしたね(>_<)
(でもたった一人の拍手が余韻を壊してしまったのはとても残念です(>_<))
でも高校生がこんな凄い演奏を残しているのは、ホントに凄いの一言ですね(^^)