井上靖先生の小説というと、
敦煌・風林火山・天平の甍・蒼き狼・額田女王などのような歴史ロマン小説
しろばんば・あすなろ物語などのような自伝的小説
射程・氷壁などのような社会小説など
かなり多岐に渡っていますし、私としては・・・「あすなろ物語」・「敦煌」あたりが大好きな小説なのですけど、
実は・・・
井上靖の作品の中で一番好きな小説は「黒い蝶」というお話です。
この「黒い蝶」については、井上靖にとって最初のそして唯一の書下ろし長編小説という所以外
特に評価される要素も無く
正直、文壇からの評価もそれ程高い作品ではなくて、
今現在ではそうですね・・・正直「忘れられた作品」なのかもしれません。
この小説に関する評価を検索してみても・・・・うーーん、残念ながら、この小説自体ネットで取り上げられている事は
極めて稀ですし、
たまーに書かれていても、あまりいい事は書かれていないですね・・・
この記事の一つ前の記事がショスタコーヴィッチの交響曲第10番でしたけど、
この交響曲の背景の一つとなったのが1953年の当時のソ連の絶対的指導者・スターリンの死というものが
あるのですけど、
井上靖のこの「黒い蝶」もまさにその頃の時代背景をベースとしていて、
この小説にもしばしば、当時のソ連の政治状況とか当時の日本との関連性が興味深く描かれていて
一つ前のショスタコの10番の記事を書きながら、井上靖先生の「黒い蝶」の事を思い出してしまい、
この小説の事を書いている人もほとんどいないから、自分がほんの少しだけ書いてみよう・・・と思いつき
今回少し書かせて頂きたいと思います。
そうですね・・・
井上靖の他の格調高い作品を読んでしまうと、この小説は少し安っぽく感じてしまうかもしれませんし、
ま・・・要は・・・・ある一人の「ペテン師」みたいなお話ですからね・・・
文壇とか読者からの評価は確かに高いものではないのかもしれませんけど、
こうした「小説」というものは、
別に評論家とか世間の評価等は全く関係が無い・・・
要は・・・
読んだ本人が「これ、面白い・・」などのように「何か」を感じ取ってくれればそれでいいと思うのです。

この「黒い蝶」ですけど、とにかく無条件で面白いと思います。
小説の中で、バッハ・ベートーヴェン・協奏曲・演奏会・ストラディバリウス・ヴァイオリン等の
たくさんの「クラシック音楽」に関連するワードがてんこ盛り・・・というのも
私にとっては、この小説に共感を覚えた一つの要因にもなっていたと思えます。
この小説の概略を大雑把に書くと・・・・
主人公・三田村は、計量機器販売店を経営していたが、あえなく倒産・・・
軽い失意の中、ホテルで夕食を取っていると、唐突に三田村に
「あなたは正確に人の声を聞き分けることが出来るか・・・?」と訳の分からん質問をしてくる紳士が
登場・・・
その紳士は元々は江藤財閥の御曹司で、今は楽隠居の身、
その江藤には一人娘がいて病弱で、明日にでも亡くなってしまいそうな状態・・・そのひとり娘が
うわごとで「何か」を呟いているのだが、何を言っているのか自分にはよく分からない・・・
よかったら、そのうわごとを聞いて貰えないか・・・というかなり奇妙な申し出を受けます。
早速、江藤邸でその娘のうわごとを聞いてみると・・・「ムラビヨフ」と言っているようにも聞こえる・・・
その後・・・色々な経緯はあったものの、その「ムラビヨフ」というのは、
当時のソ連の著名なヴァイオリン奏者である事が判明し、江藤のその病弱な娘も、かつては
ヴァイオリン奏者であり、純粋にヴァイオリンを弾く事を愛してやまない少女なのですけど
亡くなる寸前までそのムラビヨフと会う事、ムラビヨフの演奏を自分の耳でしかと聴きたいという夢を
抱いていました・・・
しかし・・・江藤の娘も夢半ばにして亡くなってしまう・・・
江藤としては、本当に娘を想う純粋な気持ちから
「無理は承知だが、何とか是非ムラビヨフに日本に来て貰って娘の墓前で演奏をして欲しい・・・」と
考えるようになったものの、
当時の日本の状況は・・・
まだまだ「戦後の混乱」から必ずしも抜け切れておらず、アメリカの庇護のもとにおかれ、
当時・・・「冷戦」とか「鉄のカーテン」とも言われ、アメリカと敵対関係にあったソ連とは、国交すらも回復できていない状態・・・
だから・・・
こうしたムラビヨフ来日招聘という事自体・・・当時としては・・・・
かなりハードルが高かったという事実は、この小説を読む上での「基本条項」になると思います。
だけどこのお話は、そうした他人の亡き娘の「果たせなかった夢」を叶えてあげたい・・という
「純粋」な物語ではありません・・・
上記のような事を背景にし、三田村は・・・一体何をたくらんだのか・・??
当時・・・三田村の耳には、
「とある石鹸会社が債務を抱えて倒産寸前、だけど機械も技術も従業員もちゃんといる・・・
その会社経営者は、債務も丸ごと会社を全て誰かに売却して、自分はさっさと手を引きたい・・・
だれかこの石鹸会社を引き受け経営を軌道に乗せてくれる人はいないか・・・」という話ばかりが焼き付き
何とか・・・この話を受けたい・・・
そして自分も確かに最近計量機販売店を潰してしまったが、経営者としてもう一花咲かせたいし儲けたい・・と
思っているものの・・・
残念ながら・・・「買収費用」が全く算段が付かない・・・・
さてさて・・・どうしたものか・・・と思っている時に・・・・ひらめいたのが・・・
そう・・・江藤をペテンにかける事でした・・・・
そして・・・・
江藤邸を訪れた三田村は・・・・
「自分なりに色々と調べたが、国交のないソ連であっても民間人としての音楽家を日本に呼ぶことは
可能と判断した・・・・
あなたの亡き娘のために、私は是非一肌脱ぎたい・・・
だけど・・・その運動費用とか外交ルートの活用とか裏ルートの活用とか、何かとお金は掛る・・・
自分も頑張るから何とか費用の方は・・・少しは協力できないだろうか・・・?}」と心にもない事を申し出ます・・・
この時点では、三田村には本気でムラビヨフを呼ぶという意志は・・・全くありませんでした・・・
そして、三田村はかなりの資金を江藤から引っ張る事に成功し、そのお金を当然ながら
石鹸会社買収の費用に充当し、江藤から巻き上げたお金は全て使い果たしてしまいます。
ここでもう一人・・・この小説を語る上で絶対に外せないヒロインが登場してきます。
それが誰かと言うと、江藤の妹で、今は・・・バツイチの出戻りとして江藤と共に暮らしているみゆきという女性
なのです。
でも、このみゆきさんですけど、とっても魅力的な方というか・・・
単純にお人よしで堅物の江藤とは全く異なり、天真爛漫・自由人・型にはまらない・色っぽいなど
ヒロインらしい要素を見事なまでに内在しています。
みゆき自身は・・・・
実は、初めから三田村を全く信じていなかった・・・胡散臭いとさえ感じていた・・・
初めから・・・「こいつ・・・私の兄をだます気満々なんだな・・・」と見抜いていたと思います。
だけど・・・・みゆき自身がいつのまにか・・・・こうしたペテン師としての三田村にどんどん魅かれていったのは
事実なのかもしれません・・・
(ま、その辺りの描写は少しぼやかし気味に書かれていますけどね・・・)
でも・・・三田村のやや強引なみゆきへのキスシーンとかダンスシーンとか、結構あの微妙な場面は
好きでしたね・・・
そして物語の中盤頃・・・・
三田村はみゆきから「今日のあなたは嫌い・・・・あなたは私に三つの嘘をついた・・・」と告げられ・・・
その三つ目の嘘というのは・・・
そう・・・言うまでも無く、三田村自身は、最初からムラビヨフを日本に呼ぶつもりは全く無く
最初から江藤は単なる金づるとしか利用価値を見出していなかったという事なのですけど、
だけど・・・
この小説が面白いのは、ここを起点に物語が大きく動きだし、
みゆきから「三田村の本音」を見抜かれた三田村自身が逆に意地になり、
「よーし、この女は俺の事をペテン師としか思っていないようだが、本気で自分がムラビヨフ招聘に
動き出したらどうなるか・・・目にモノを見せてやる!!」とばかりに・・・
愛する女性への「意地」から
ムラビヨフ招聘に向けて真剣に取り組み始める三田村の心理変化が実に巧みに描かれていると思いますし、
このあたりは・・・
さすがに百戦錬磨の小説家らしい素晴らしい腕の見せ所だったと思います。
そして・・・ここから先は・・・ムラビヨフ招聘のために色々と奮戦する三田村がかなりリアルに描かれ、
またここから先の展開は・・・新聞社とかスポンサーとか政治家とかソ連との交渉とか色々困難な場面が続くのですけど
そのあたりの話の進め方と言うのか「仕事の段取り」というか
いかに国際的著名人を招くとはどういう事なのか、どんな準備が必要かとか
国交の無い国との交渉はどのように進めるべきなのか・・・というかなりリアルティーある話にもつながり
後半は・・・むしろかなりキビキビと心地よく物語が進行していきます。
だけどこの小説面白いですね・・・
主人公の三田村は、ある意味とんでもない「詐欺師」とも言えるのですけど
小説家がついつい力んで「悪とは・・・」・「善悪の狭間とは・・」とか「現実と理想の落差とは・・・」みたいな
青臭い事に力点を置かず、
「一度は確かに江藤を騙してしまったけど、その贖罪として・・・」みたいな事は全く考えないで
とにかくひたすら「自己」のためだけを考えて・・・
そして一度は「愛した女性」のために意地でも一度自分が決めた事をやり抜いてしまう
三田村の「リアルティー」に本当に心の底から、共感を感じてしまいますし、
三田村のヴァイタリティーには、思わず「頑張れ・・!!」とエールを送りたくもなってしまいます。
そうですね・・・・井上靖の小説に「射程」という長編小説があるのですけど、
この「黒い蝶」と少しだけ類似点があります。
何かと言うと・・・・一度は愛した女性のためについつい意地を張り、
「射程」の方は・・・・無理に無理を重ねた結果事業を破綻させ、最後は己自身の命を自ら絶ってしまうという
カタストロフィーで終ってしまうのですけど、
対照的に・・・「黒い蝶」は、愛する女性のために意地を張り、その結果として・・・・
本人すら全く予想だにしなかった「ムラビヨフの日本への招聘成功」という意外な成功をもたらした事で
小説が閉じられます。
ま・・・確かに・・・「人としての倫理観はどうなのか・・・」とか
「詐欺師がこういう成功体験を勝ち取り、やがては・・・更に実業家としてのステップを重ねていく事の妥当性」は
いかがなものかという問題があるのは分かりますけど
この小説は、そんなつまらん倫理観が問題なのではない・・・
あくまで・・・三田村のヴァイタリティーと
「愛する女性」への意地が意外な成功すらも生み出すという、「人生の意外さ・皮肉さ」をきちんと描き切れている事の方が
私は素晴らしいと思います。
余談ですけど、みゆきも意外と人が悪い面があったりして・・・
結構な序盤から「三田村=ペテン師」という事はとうに御見通しなのに、ある意味わざと三田村を泳がし、
兄が三田村に出資したお金を
みゆき自身が「お小遣い」的に使ってしまったり、
みゆき自身が・・・三田村に
「兄からお金をせしめようと思うのなら、少額ずつチビチビといのはダメ・・・大金を巻き上げるのならば
一気に一度に巻き上げないとダメ」とかアドバイス(?)をしてしまうのも・・・・
うーーん、みゆき自身・・・「悪女」としての素描があるのかな・・・?
あと・・・そうですね・・・三田村自身が招聘のスポンサーとして大手新聞社に声を掛ける場面があるのですけど、
どの新聞社も・・・
当時はまだアメリカの占領下に置かれた日本という感覚が強いせいか、ソ連からの音楽家招聘は
二の足を踏んでしまう中、
右系と目された新聞社だけがそれに応じてしまうというのは・・・
何か面白い話ではありました。
冒頭でも書いた通り、この小説は、ショスタコーヴィッチが「スターリン逝去」に際して交響曲第10番を作曲した頃と
時代背景は重なると書いたのですけど
「黒い蝶」の中でも、スターリンの後継者のマレンコフ首相の辞任とか鳩山首相の就任とか
当時のソ連と日本の政治状況も色々と出てきます。
その辺りは・・・現代の視線で読むと中々理解が難しいのかもしれませんけど、
とにかく・・・・こうした当時の歴史を踏まえた上で、この小説を読むのも決して悪いものではないと
思います。
あ・・・なんか私がこうした「小説」をネタにするのも珍しかったですね・・・・(苦笑・・・)
中沢けいの「楽隊のうさぎ」と小川洋子の「密やかな結晶」以来かな・・・
ま、たまには・・こうした話も悪くは無いのかも・・・??
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