「響け! ユーフォニアム」もあっという間に最終回を迎えてしまいましたね。
「浦和の調ちゃん」同様に、なんかあっという間の三ヶ月でしたけど、調ちゃん同様、是非是非第二期は
やってほしい!!と切に希望しております。
今回の第一期は、京都府大会突破というある意味ハッピーエンドで終わっているのですけど
原作を読む限りでは・・・・
北宇治高校の「真の意味での修羅場」は、むしろここからが始まりという感じがありますからね。
今回のアニメは、原作でいう所の一巻から第二巻の少しで終った感じもありますので、是非是非続編としての
第二期を大いに期待したいと思います。


改めて第12話を見てみると・・・・
感想は・・・一言で言うと、最終回直前にてやっと影の薄い主人公の久美子がやっと主人公らしくなってきた・・・という
感じなのかな・・・
ま・・・久美子は・・・・麗奈の百合要員という大事な(?)役割を担っているのですけど、
ここにきて、
「私は・・・とにかく・・・上手くなりたい!!」という久美子の強い思いが実にうまく描かれていたな・・と感じずには
いられませんでした。
久美子というと、緑輝(さふぁいあ)が言う通り、どちらかというと醒めている印象があり、
「なぜ、自分は吹奏楽部に所属しているのか」とか
「なぜ、自分は吹奏楽コンクールで上位入賞を果たし、県代表として支部大会で吹きたいのか」という「問い」に対して
必ずしも明確に自分自身でも分かっていないという印象が大変強く、
何となく・・・「姉が吹いていたから」とか「他にユーフォを吹く人がいなかったから」とか
皆がコンクールに向けて頑張っているから、つられて自分も何となく頑張っている振りをしているというような側面が
あったのも必ずしも否定できないと思います。
久美子の変化の兆しは・・・やはり第11話の麗奈のオーディションに触発されたという事なのかな・・・
物語もなんだかんだ言って京都府大会の10日前あたりまで進んでいます・・・
コンクール10日前というのは、私自身も何度も経験がありますけど、
「えーー、コンクールまでまだ10日もある・・・・あと10日もこんなきつい練習をしないといけないのか・・・」という
マイナスの気持ちと
「まずい・・・コンクールまでもう10日しかない・・・
ちっ・・・まずいな・・・・一応譜面上の音符は全て吹けるけど、まだまだ全然完璧じゃないし、
指揮者が求めている音・表現にはあまりにも程遠いものがある・・・・これはあと10日あまりで何とかしないと・・・」という
プラスの気持ちが交錯するものです。
そして、指揮者にとっても、
「どうすれば、奏者の力を100%、いやそれ以上の+αのものを引きだす事は出来ないか・・・・」と色々思い悩む時期でも
あったりもします。
滝先生にとっては、自由曲の158小節目あたりの全体を支える役割の低音セクションの重厚感が足りないと
判断したのかな・・・?
おそらくは、その部分は元々はユーフォニアムパートは休みなのかもしれませんけど、
その部分について、コントラバスのパートをユーフォニアムもユニゾンとして重ねて吹く事を指示します。
ま・・・これですけど、
厳密に言うと・・・・著作権法違反なのかな・・・??
個人・団体がスコアを購入時に、演奏会・コンクールでその曲を吹く「使用料」みたいなものもそのスコア代の中に
入っている事が多いと思うのですけど、
その代わりに、一般的には、作曲者がスコア上で指示していない事、
例えば・・・・
スコア上では、トランペットが吹く事を指定されているのに勝手にその部分をホルンに変更したりとか
あるパートがそのメロディーラインを吹く事が指定されているのに、勝手に他のパートの音をユニゾンとして
追加させたりする事は・・・・
多分・・・厳密に言うと著作権法違反なのかも・・・・
ま・・・これはあくまでアニメという架空のお話ですので、そんな細かい事はどうでもいいのですけど、
だけど、実際、吹奏楽の現場ではこれに近い事は日常的に行われているような気もします。
私の場合ですけど、通常、クラリネットパートというものは、ソロ・ファースト・セカンド・サードとパート内で更に
細かく分かれるのですけど、
例えば・・・ファーストが担当する箇所が、指使いが苦手とかうまい替え指が無いとか
この高音を出すのが苦手とか、ま、理由は色々とあると思うのですけど、
どうしてもうまく吹けない場合は、パート内同士で話をつけて、
145小節から152小節のファーストの××が本来担当する箇所については、その部分だけセカンドの△△が
代りに吹くとか
本来は高音域の伸ばしのユニゾンなのだけど、全員がその高音域を吹いてしまうと、
何か首を絞められた絶叫のように聴こえてしまうから・・・という理由で、半分程度のメンバーは、
一オクターブ下げた音域で吹くとか
ファーストクラが吹くと「悲鳴」のようにしか聴こえない高音域の箇所を代わりにE♭クラ(エスクラ)が吹くとか
ま・・・、色々と現場では、歴代の先輩達の悪知恵(?)を色々と駆使したものです・・・・(苦笑・・)
どうやってスコアに書かれている事を吹くか・・・もしくはどうしても出来ない場合、どうやって審査員・聴衆に
ばれないように巧みに誤魔化すか・・・・
とにかく・・・・指揮者も大変だけど、奏者も大変なのです・・・・
そうそう・・・今回の「響け・・」の自由曲の例の158小節目あたりのユーフォニアムがコントラバスと重ねて吹くように
指示された個所なのですけど、
ああいう速いパッセージをユーフォが吹くのは相当難しいと思います。
ユーフォニアムは、基本的にはピストンの上下とブレスの強弱によって音を奏でるのですけど
ああした速いテンポでの演奏は、素早いピストン上下の操作とか息遣いの強弱とかかなり難易度は高いのかなと
思います。
最近ですけど、久しぶりに楽器店のスコア売場を覗いてみたのですけど、その中に
F.シュミットの「ディオニソスの祭り」とかクロード・スミスの「ダンス・フォラトゥーラ」とかスパークの「宇宙の音楽」の
譜面があったのですけど、
やはり難しいですよね・・・・
特に・・・・「宇宙の音楽」をクラリネットで吹けと言われても・・・・現役時代の自分でも・・・多分吹けそうにない・・(苦笑・・)
そして・・・「ディオニソスの祭り」とか「ダンス・フォラトゥーラ」のユーフォニアムのパート譜をちらっと見て
驚愕したのですけど、
これって・・・・
ピストン上下式の金管楽器なのに・・・・まるでクラリネットみたいな運指の連続・・・・!!
え・・・・これ・・・・クラリネットで吹いても相当厄介なのに、こんな速いテンポであの難解な16分音符の連続は・・・
ユーフォ奏者にとっては、まさに「災難」以外の何者でも無いですね・・・・
今回の久美子は、例の自由曲の158小節目あたりの弦バスとのユニゾンを相当苦戦していましたけど
あれ、苦戦する気持ちはよく分かりますね。
ああいう速いパッセージを練習する場合、第12話で久美子が野外の個人練習でやっていたように、
指定テンポよりかなりゆったりとした遅めのテンポでまずは指使いとか息遣いを慣らしていき、
そして徐々にテンポを上げていくというのがアマチュア吹奏楽の基本的な練習方法なのでしようね。
そういう私自身も・・・・
スペイン奇想曲とか幻想交響曲とか絵のような風景なんかも、
出来ない部分は、まずゆったりとしたテンポで指使いを叩きこみ、段々とテンポを上げていくといった
地道な反復練習は・・・・
もう・・・嫌になる程やりましたね・・・
ま・・・その場合、メトロノームは必需品ですけどね・・・
またまた話が脱線しますけど、
私が高校1年の時のコンクール課題曲がA/イリュージョンだったのですけど、この課題曲本当に冒頭が大変薄く書かれ
奏者泣かせで、
ユーフォニアムの二度の和音とチューバの単音で開始されるのですけど、
思えば、あの時・・・・ユーフォ奏者は、練習時に5回の一回の割合でこの冒頭の薄い部分を外し、
指揮者から毎回毎回お小言を頂戴していて、
そのユーフォ奏者も朝とか練習終了後、よーく一人音楽室に居残り、あの部分を何度も何度も繰り返し
一人孤独に個人練習していたのが、なんか・・・・久美子とついつい・・・被って見えてしまいます・・・・
ま・・・当時の私はそのあたりのデリカシーが全く無く
(デリカシーが無いのは今も同じか・・・だから・・・プログを15日も閉鎖してしまうのですよね・・苦笑・・・)
そのユーフォ奏者に向かって、よーく
「よ!! 下手くそユーフォ!! 今日の全体練習も冒頭から外しまくりか・・・!!」とからかって、時にそいつから
怒りのスコアを挟んだ厚めのスクラップ帳の頭部直撃叩き付けを食らって脳がフラフラ状態になっていましたけど、
ま・・・それは自業自得でしたね・・・・(苦笑・・)
ちなみに・・・・久美子が個人練習時になんで膝元にハンカチを敷いているかと言うと
ユーフォニアムは、楽器底部のツバ抜きから定期的に溜まったツバを抜かないと音がこもるから、
そうしたツバをハンカチで吸収するという意味合いがあったりします。
クラリネットの場合、楽器の一番下部のベルの部分から、勝手にツバがしたたり落ちるのですけど、
指揮者なんかは・・・
床に落ちたツバの量から、本当に個人練習をちゃんとしていたのかを見抜く・・・・なーんていう人もいましたね・・・
とにかく・・・
今回の話の久美子の必死の形相で炎天下、鼻血を出したことにも気が付かない集中度で練習に取り組んでいたのは、
久美子自身の「成長」の証しなのでしょうね。


でも・・・・吹奏楽部は・・・・ある意味運動部と同じくらいの「集団競技」みたいな側面があり、
本人の日々の努力が結果的に実を結ばない場合もありますし、
時にコンクールと言うものは・・・・本人にとって残酷な結果を突き付ける場面もあったりします。
(その一つの例が、前回・前々回のオーディションなのですけどね・・・)
滝先生が、トロンボーンの秀一に
「練習で出来ない事は本番でも出来ない」とか「出たしがずれるという事は本番でも同じくずれてしまい
結果的に全員に迷惑を掛ける」みたいな結構キツイ事を言っていましたけど、
それって・・・・
現役奏者の頃なら「なーに、言ってんだ!!」みたいに反発するかシュン・・・となってしまいがちになるのですけど
今現在の視点で考えてみると、
滝先生は、当たり前の事を言っているようにも思えてなりません。
私自身も不思議な事に、中学・高校・大学の指揮者からほぼ共通して
「あなた達は、コンクールの課題曲・自由曲、別に少しぐらい間違えても大勢に影響がないと甘い事を
考えているのかもしれないけど、
もしも、コンクールメンバー50人の中で、全員が一つずつ間違って吹いたとしても、それは結果的に
12分間の演奏の中で何と、50箇所のミスを発生させているという事だ。
12分間の演奏の間に、50箇所ミスを発生させたら、それはどうな演奏になるのか君達は本当に分かっているのか!!
なんで、わずか12分間の課題曲・自由曲の演奏に全神経と気合を集中できないのか・・・!!
とにかく・・・この12分間に集中しろ!!」と
同じような言葉を言われたものです。
でも・・・それって、確かにその通りなんですよね・・・
上京後、そして就職してからも全国大会とか支部大会・県大会と色々と吹奏楽コンクールは聴いてきましたけど
確かに・・・・
ミスが多い演奏は・・・・集中度に欠くような雰囲気もあるものです。
勿論、人間なのだから、時にコンクールと言えども「ミス」は大いにあり得る事で、別にミスは誰にも責める資格は
無いと思います。
だけど・・・・
コンクールで良い演奏をしたいのなら・・・・上位入賞&支部や全国への代表を勝ち取りたいのなら、
ミスは・・・・当然ない方がいいに決まっています。
今回の話は、知らない人が見てしまうと、
「滝先生は・・・なんていう冷たい先生」とか「コンクールのためには当人の努力も無視して冷徹に対処する非情な人」
みたいな印象を持たれがちなのかもしれませんけど、
それは・・・ちと・・・筋が違う・・・・
滝先生は、
「そこ、難しいですか? 本番までに出来るようになりますか?」
「本番で出来ないということは、全員に迷惑をかけるということになりますよ・・」と諭した上で
久美子の「出来ます!」という言葉を引き出し、
結果的に一度はチャンス=猶予を与えている・・・・
だけど・・・結果的に久美子は滝先生が求めるレヴェルには至らなかった・・・・
それゆえ・・・・
「そこは・・・・田中さん一人で吹いて下さい・・・」というある意味残酷な結果を久美子にもたらしている・・・
ま・・・・この辺りは・・・・
京都府大会で関西大会代表を掴むには少しの妥協やヘンな音は許されないという滝先生の気持ちも
よーーく分かりますし
久美子のこれまでの頑張りを見てしまうと、久美子の気持ちも痛いほど分かります・・・・
本当に・・・・この場面は・・・・見ているだけで本当に痛々しかったですし、
どちらの気持ちも分かるだけに、私としては・・・・とにかくいたたまれない気持ちでした・・・
ホント、見るだけでストレス倍増のこのアニメの中でも屈指の痛い場面でしたけど
同時に大変「せつないもの・・」も何か感じてしまいました・・・・
以前書いたと思うのですけど、練習中の指揮者からの「はい、それでは一人ずつ・・」という言葉、
これは私の周囲ではよく「晒し」と呼んでいましたけど
あれは・・・・本当にプレッシャーがかかるものですよね・・・・
だけど・・・・
それ以上に・・・
「この部分は・・・・あなたは(ヘタで全体に迷惑が掛るから)吹かなくていい」と皆が見ている前で宣告されてしまうのは・・
久美子にとっては・・・・
屈辱なんだけど
同時に・・・・その悔しさの矛先は・・・・「自分自身」しか結局のところ存在しない・・・・というのが大変つらい面が
ありますよね・・・
だけど、その「あなたはそこは吹かなくてもいい」というある意味戦力外通告は・・・・
これを食らう方の気持ちを考えると・・・・本当に胸が痛みますし、大変せつないものを感じずにはいられません。
久美子が・・・・
人ごみの中を・・・・
「上手くなりたい、上手くなりたい、上手くなりたい!!」と絶叫しながら・・・号泣しながら駆け抜けていくシーンは・・・・
この「響け・・・」の中でも屈指の印象深いシーンだと思います。
今までは・・・・ただ漫然とのほほーんとユーフォを吹いていた久美子が、
麗奈のオーディションを契機に真剣にユーフォと向き合い、そして・・・この「屈辱」の中で・・・・
更に・・・・「もっと上手くなりたい!!」という気持ちに向かっていくその心理描写が実に巧みに描かれていて
本当に・・・京都アニメーションのクオリティーの高さには本当に脱帽した思いです。
私自身も現役奏者の頃は・・・・とにかく久美子と同じだったかも・・・・
とにかく・・・
「上手くなりたい!! 少しでも他人より上手く吹きたい!! そして・・・・自分自身を認めて欲しい!!!」
そんな気持ちだったのかも・・・・
だからこそ・・・・久美子の気持ちは痛いほどわかる・・・・
(滝先生の立ち位置もよく分かるけど・・・)
低音の支えの補強という重要パートを振られる久美子だったけど、
努力を重ねてきたが(現時点では)応えられなかった・・・・
この流れの中で自然と久美子の口から飛び出した言葉が・・・
「悔しくて死にそう」
そう・・・・これはまさしく第一話での麗奈の言葉と被ります・・・
これは努力しきった人間だから出せる言葉ですし、過去の麗奈の気持ちとここではっきりと重なり合うのです。
そうした二人の関係性と心情をここまで鮮やかに自然に出せるアニメは、実に稀有な存在だと
思います。
とにかく「素晴らしい!!」の一言に尽きると思います。
「私はユーフォが好き!!」、この気持ちだけで突っ走れる久美子が素敵でしたし、
まさに・・・・
この第12話は、久美子の久美子による久美子のための第12話と言っても過言ではないと思います。

今回の話を見ていて、何か私自身の中学の頃の吹奏楽コンクールでの嫌な記憶が蘇ってしまいました。
中一の時の地区予選で、本番直前のチューニング室での出来事だったのですけど、
テナーサックスの先輩の音がかなり高め・・・・
マウスピースとコルクの位置を調整しても中々音が下がらないし、チューニングが合わない・・・
イライラした指揮者の先生は・・・その時・・・
「もう、お前は吹かなくていいから空吹きしていろ!! 代りに県大会でこの屈辱を埋めろ!!」と指示し
そのテナーサックスの先輩は、地区予選は空吹き・・・
あ、「空吹き」とは、吹いているマネだけで、本番中は一音も出さない事を指します。
でも、これって・・・久美子が感じた以上の「屈辱」ですよね・・・・奏者にとっては・・・・
ま、だけど・・・この地区予選は・・・・これまでの記事で書いている通り、
結果は・・・・タイムオーバー失格・・・・
だから・・・、その空吹きを命じられた先輩の傷も「地区予選落ち」というそれ以上の屈辱に消される形で
何とか広がらずに済んだのですけど・・・・
翌年の県大会で・・・・
何と・・・前年同様に、チューニング室で音が合わず、またまたそのテナーサックスの先輩だけ
指揮者の先生から「空吹き」を命じられていました・・・・
これは・・・・さすがに・・・いくらなんでも2年連続はまずい・・・
さすがに・・・・教育的配慮に欠けていたのかも・・・・
そのテナーの先輩は中三でしたので、これが最後のコンクール・・・・
当時の部長が指揮者の先生に色々と取り成しをしていたのですけど、先生は全く聞く耳を持たず・・・・
雰囲気が最悪に近い形で本番のステージを迎えてしまい、
この話は以前の記事でも書いたのですけど、
練習時では、2拍振ってから課題曲を始める所をなぜか・・・本番で1拍で始めてしまい、
課題曲C/幼い日の思い出の冒頭から既にメロメロの崩壊状態・・・・
そして・・・・結果的に2年連続コンクールの本番で空吹きを命じられたテナーサックスの先輩は・・・・
ずっと号泣していました・・・・
ま・・・・そうした事が・・・・この数か月後に発生する私の代の「大量の退部者」を生み出す事件の一つの背景に
なっていたのかも・・・・
指揮者の立場は本当に辛いもの・・・・
それはよく分かります。
だけど私の中学の頃のあの先生は・・・・そうしたデリカシーには明らかに欠けていた・・・
その点、「響け・・・」の滝先生が「あ、いいな・・」と思う事は、
滝先生のさりげない優しさと配慮・・・
滝先生のラストの場面の久美子に対する
「吹けなかった所、練習しておいて下さい」
「あなたの出来ますという言葉を、私は忘れていませんよ」の言葉は・・・・
本当に・・・あれは・・・じーーんとくるものがありました・・・・
うーーん、自分の中学の頃とは何と言う違い・・・・
こういう先生に一度でいいから指導を受けてみたかったな・・・・
最後の(恒例の)久美子の麗奈の百合シーンもよかったけど・・・・
やっぱり今回の話は、久美子に尽きましたね!!
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