久しぶりに、クラシック音楽カテゴリの記事を書いてみたいと思います。
といっても、最近のこのブログの「クラシック音楽カテゴリ」は、
ハチャトゥーリアンの交響曲第2番「鐘」だのアーノルドの交響曲だのハンソンの交響曲第2番「ロマンティック」だの
マーラー/交響曲第7番「夜の歌」だのと・・・
とにかく・・・マイナーな曲ばかり書いているような気もするので・・・(苦笑・・・)
たまには・・・
ウルトラメジャーな曲の事も少しばかり・・・・書いてみたいと思います。
ラフマニノフの曲を聴くと・・・・これって色々な人が言っている通りだと思うのですけど、
どうしても・・・・「郷愁」とか「メランコラリック」という言葉が思い浮かんでしまいますね・・・・
でも、ラフマニノフは1900年代の中盤まで生きていた方なのに、その作風は恐ろしいまでに
「革新性」は全く無く、とても同年代にストラヴィンスキーとかプロコフィエフとかラヴェルとか
ウェーベルンがいたとは本当に信じられないです。
きっと「伝統」とか「自分のスタイル」をきっちりと生涯守り続け、頑なまでに自分のカラーというか
信念を曲げずに生きていた方なのでしょう。
この方は・・・・活動時期が20世紀中盤という事を考慮すると・・・・やはり、とにかく「超・超・超保守派」という印象が
大変強いですね。
ラフマニノフのモスクワ音楽院時代の一つ先輩に、スクリャービンという大変革新性に溢れた作曲家が
いたことを考えると、まさに・・・「同年代なか゜らもあまにりも方向性の対照性」というものを
極端すぎるほどほど感じてしまいますね。
余談ですけど、スクリャービンは「ピアノ協奏曲」という古典的なジャンルに対しても様々な実験的な切り込みを
図ろうとしたこともあり、
例えば・・ま・・、結局実現はしませんでしたけど、
音楽に「色彩」を持ち込もうとする意図から、ピアノの特定の鍵盤を押すと、舞台照明が特定の色を出したり
またまた・・・特定の鍵盤を押すとある特定の「香り」が漂ってきたりと・・・・
ま・・その「発想」は極めて大胆なのですけど、同時にとてつもない「自由さ」も感じてしまいます。
それと対比するとラフマニノフは・・・・
後で述べますけど自作の「ピアノ協奏曲第2番」のあの世界観を、「自分自身の生涯のスタイル」として確立し、
死ぬまで頑なに守り通した・・・・というのはある意味凄い・・と思います。
本当に・・・この人は・・・・生涯全くぶれなかった・・・・
そして・・・「ソ連亡命→アメリカでの慣れない生活」という道を選択しながらも、音楽の上では、
亡命以降も全くそのスタイルを変えなかったのは、とにかく・・・
悪く言うと・・・頑固・・・良く言うと・・・ぶれないお人・・・という印象が大変強いですね。
「亡命」という言葉は、ラフマニノフを語る上で一つのキーワードになるのかな・・・
プロコフィエフは一時的にソ連を離れて自由なヨーロッパの空気を吸った事で、当初のスキタイ組曲の
ような過激な路線から「適度な洗練」とも言える路線変更と言う「お土産」を貰ったような感じもしなくはないのですが、
ラフマニノフは、亡命以前も以降も作風的にはほとんど進化はしませんでした。
出世作のピアノ協奏曲第2番で、「自分の進むべき路線はこれしかない」と決意し、
それをアメリカに亡命以降も頑なに貫いた事は・・・むしろ・・・賞賛に値するのかも・・・??
このピアノ協奏曲第2番ですけど、
甘くてせつない第二楽章も素晴らしいし
(特に・・・フルートソロが素晴らしいし、ラスト近くのピアノソロの後のチェロのあのアンサンブルは・・・
まさに・・・この世のものとは思えない美的限界がありますね・・・・いやいやもあの幽玄の世界は・・・すごい・・・)
大太鼓とシンバルが加わり派手な響きが出てくるのだけど、やっばり甘くて切ない第三楽章も
格段にいいのですけど・・・
やはりこの協奏曲は・・・あの出だしが最高だと思います!!
ピアノの和音がどこか遠いところから響きはじめ、それが段々と近づいてきて、やがてアルペッジョになって、
管弦楽が大変息の長いメロディーラインを重厚に謳い上げていく・・・・
あれは・・・まさに・・幽玄で重厚でうす暗く、ほのかな情熱も感じるのだけど、同時に「過去への後悔」みたいな
感情も感じられ、
まさにあの世界は・・・・チャイコフスキーの「ロシア的哀愁」の世界に他なりませんよね・・・
あの第一楽章のあの出だしだけで・・・・
私は、この協奏曲は聴く価値があるのではないか・・・とすら思ってしまいますね・・・・
この曲は、初演当初から、「後ろ向き」・「20世紀の作品なのに内容はチャイコフスキーの時代の19世紀みたいなもの・・」
「前向きな所が無く過度にロマンティック過ぎ」・「前衛さの微塵も無い・・」とか
「甘すぎるし感傷的」とか「多分すぐに忘れ去られてしまう」とか
色々言われはしましたけど、
21世紀に入ってもこれだけ愛され続け、演奏会でも重要なレパートリーになっている事を考えると、
「別に後ろ向きだっていいじゃん!! 要はどれだけ人の心にまっすく゜に何か思いが伝わるかという事だ・・」とも
思ってしまいますね。
別に音楽は「人に何かを伝える」というメッセージ性だけではないと思います。
何か「美しい」とか「甘い」とか「優しい」といった漠然とした形容詞みたいなものを音楽を通して
感覚で伝えてるのも、それはそれで素晴らしい事だと思います。
ま・・・最近、それと全く同じ事をハンソンの交響曲第2番「ロマンティック」でも言いましたけどね・・・・
あれれ・・・こうして考えてみると、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番とハンソンの交響曲第2番の方向性は・・・
ほぼ同じなのかもしれませんよね・・・
ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を語る際、必ず出てくる話が、交響曲第1番なのかな・・・・
ちなみに・・・・全体的に超保守派でその音楽にはほとんど猟奇的趣味が無いラフマニノフですけど
唯一の例外がこの交響曲第1番なのかも・・・
この曲、確かに・・・結構悪趣味・・・
何か聴き方によっては・・・
「蛇が・・・うごめいている・・」みたいな「音のうねり」は結構炸裂していると感じます・・
それにしてもラフマニノフの交響曲第一番は、よく言われる事ですけど
「初演が完膚なきまでに大失敗した曲」としても大変名高いものがありますよね・・・・
ま、この初演の大失敗の主要因は、
初演の指揮を振ったグラズノフというロシアの中堅作曲家の曲に対する無理解と
オケのやる気の無さなのだと思います・・・
(あまりにもやる気がなくて、初演の際は、アルコールが入り過ぎ酔っていた・・・という説すらあります・・)
この初演の大コケと評論家たちの酷評は、
繊細なラフマニノフのメンタルを大いに傷つけてしまい、
結果的に、初演の失敗から数年近く半分ノイローゼ状態に追い込まれてしまい、
ほとんど作曲が出来ない状態が続いたと言われています。
結果的にこのノイローゼ状態を救ったのはダーリ博士による暗示療法と言われていますけど、
実際はどうだったのかな・・・??
本当に暗示だけで「心の闇」が本当に救えるものなのかな・・・??
やはりラフマニノフ自身の「何とかしないと・・・」という強い気持ちの方が勝っていたせいなのかな・・・??
だけどダーリ博士の
「君は素晴らしいピアノ協奏曲を書ける」という暗示の下、世に生み出されたのが
前述の20世紀の不滅の名曲の一つである「ピアノ協奏曲第二番」なのですから、
ま、勿論歴史に「もしも・・・」があってはいけないのですけれど、
もしも交響曲第一番の初演が成功していたらとか
もしもダール博士の暗示療法を受けていなかったら、
もしかしてあの「ピアノ協奏曲第二番」はこの世に生み出されていなかった可能性も
あるかもしれませんよね・・・・
ラフマニノフは・・・・多分ですけど・・・生涯、自身の苦い交響曲第1番の思い出とそれを救ってくれた
ピアノ協奏曲第2番の世界を忘れる事はなかった・・・
いや・・それどころか、それを生涯ずっと貫いた・・・という人なのかもしれませんよね・・・
私は・・・・個人的には、ラフマニノフと言うと、「交響的舞曲」が一番好きなのですけど
やっばり・・・こういうピアノ協奏曲第2番みたいに、かぎりなく・・・甘く切ない曲も・・・時にはいいもんた゜な・・と
感じてしまいますね。
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7月30日付の記事からここに飛んでコメント致します。
ラフマニノフの心象風景をこんなに語れる繊細さをお持ちの方にクレーム担当のお仕事は針の筵かと思います。が、人の気持ちを巧みに汲み取る聡い方とお見受けしました。ご本人は大変でしょうが、誰にでも出来る仕事ではありません。こういうご時勢では何よりも必要とされていると言ってもいいでしょう。ですから、頑張ってくださいね。
ラフマニノフ、私も大好きです。ピアノ協奏曲2番もいいですし、最近は交響曲2番の3楽章を聴きながらブログを書くことも多いです。