3.弘前第三中学校
A/交響詩「ローマの祭り」
この年の課題曲A/吹奏楽のためのカプリチオは・・・これって昔からよく言われる事ですけど、
吹奏楽コンクールの課題曲史上「最低の出来栄えの曲」という酷評がなされます。
ま・・・というか・・・この1982年の課題曲って、以前も書いたのですけど、恐らくは・・・・長い吹奏楽コンクールの歴史の中でも
「課題曲不毛の年」というか、要は・・・課題曲B/序奏とアレグロ以外は・・・・ほぼ全て「駄作」と切り捨てられても
ま・・・仕方が無いかな・・・という出来栄えの曲ばかりですね・・・
だけど・・・こんなしょーもない課題曲でも、各学校・職場・一般の吹奏楽団においては、半年程度も
こうした課題曲に取り組まないといけないから、
本当に課題曲の出来栄えが悪いと・・・指揮者も奏者も・・・まさに拷問ですね・・・・
でも改めてですけど・・・この年の課題曲Aは本当に「くだらない・・」としか言いようが無い曲で
本当にマジで・・・・中身が全然ない薄っぺらい曲です。
音楽評論家の故・上野晃大先生は・・・かつてこの年の東北大会の審査員を務めていた時にBJ評にて
この課題曲の事を
「どうして公募作品にも関わらずこんな内容が無いうすべったい曲が採用されたのか全く理解できない」と
かなり酷評されていましたけど、
それは・・・「まさに・・その通り!!」としか言いようがないですね・・・・(苦笑・・)
課題曲A/吹奏楽のためのカプリチオは、私自身、何度か吹いた事はありますけど、
(私の高校の課題曲はC/アイヌの輪舞を選択していました・・)
クラリネットパートから代表して意見を言わせて頂くと・・・
こんな吹きにくい曲は無い・・・というか、クラリネットの主要メロディーが・・・
シドーシドラレードシドラシソラソラーラソラシラーという感じのものですけど、これって中々クラリネット奏者以外には
伝わりにくいのですけど、
クラリネットの中音域の「ラ」は左手の人差し指のキー一本のみ・・・中音域の「シ」は両手の指を全て使う指使い・・
こんな・・ラとシを交互に音符に書かれても正直・・・困っちゃう・・・という感じでしたね・・
正直・・これは・・・「替え指」を色々と発掘しないで譜面通りにまともに吹いちゃうと・・・
多分相当もたつく演奏になるパタンーが多いと思います。
事実・・・・県大会や東北大会あたりでも、このクラリネットの指使いのやっかいさがそのまんま「音の不安定感」に
繋がっている演奏もかなり散見されましたよね・・・・
そしてこの課題曲でやっかいなのは・・・・ホルンの高音域なのかな・・・
あれは・・・
確かプロの奏者の方も・・・「これは少しやっかい・・」と確か言われていたような・・・?
何て言うのかな・・・・内容も無いし、正直・・・技術的にはそんなに難しい曲ではない・・・だけど・・・
一部のパートにとっては・・・・大変やっかいな技術的やっかいさがあるという・・・
コンクールとしては確かに「面倒な曲」というか、労あって実りが極めて少ない曲と言えるのかもしれません・・
この課題曲って何で「カプリチオ」=気まぐれというタイトルが付いているかと言うと・・・・
オーボエのゆったりとしたソロで開始され、ゆったりとした序奏から突如、ティンパニーの一撃から
アレグロに展開していくといのが理由なのですけど・・・
ハイドンが交響曲第94番「驚愕」第二楽章において、深い眠りにおちそうな聴衆を叩き起こすみたいな意図が
あったかどうかは定かではありませんけど、
第二楽章の静かな繰り返しの部分で、ティンパニーの一撃と全楽器のffで聴衆を「夢の世界」から叩き起こした・・・
そんな感じの意図が・・実は・・あの課題曲にもあったのかな・・・??
(多分・・ないない・・・苦笑・・)
それにしても・・・・この課題曲Aは人気が無かったですね・・・
全国大会でもこの課題曲を選択したのは9チームに留まり、そのうち5チームが結果的に銅賞と言うのも
なんか・・・あの課題曲の不毛振りを象徴している感じがします。
その中で・・・・この課題曲Aを選択して、全国大会で唯一金賞を受賞したのが・・この弘前第三中なのです。
こんな内容が幾分うすい課題曲でしたけど、逆に言うと・・・
そんな曲自体の内容の薄さがあまり伝わってこないほど、大変高い技術でまとめあげ、
前述のクラリネットやホルンの問題も難無くこなしていたという感じがあります。
ま・・・悪く言うと無難過ぎるという感じもします・・
この課題曲Aの場合・・・・「隠れた名演」というのが実は一つだけありまして、それはどこかというと・・・
間々田中学校なのだと思います。
ま・・・確かに・・・・ものすごーーくダーダー吹きというかすさまじいレガート奏法なのですけど、
とてつもなく美しいサウンドにあのベタベタ奏法が意外と合っていて、私は結構この間々田の課題曲Aは好きです・・・
結果論になるのですけど、このチームは、この年から1988年まで8年間同じ指揮者のもとで全国大会出場を
果たしているのですけど、
吹奏楽オリジナル曲で臨んだのは1981年のアルメニアンダンスバートにのみ・・・・
あとは全てアレンジものでコンクールに臨んでいるのですけど
あの素晴らしいアルメニアンダンスハートⅡを聴いてしまうと、
「出来れば他の吹奏楽オリジナル作品も聴いてみたいな・・・」という気持ちにさせてくれますね・・・
このチームは、吹奏楽コンクールにおいて、一つ特筆すべき痕跡を残しています。
何かと言うと、「ローマの祭り」を吹奏楽コンクール自由曲の定番中の定番にまで飛躍させたのは
私は、この弘前第三中の功績だと思っています。
ま、一応「ローマの祭り」は、駒澤大学とか兵庫高校が過去の全国大会で演奏していますけど
その演奏がきっかけとなって後年になって、「ローマの祭り」が吹奏楽コンクールでスタンダードになったかと言うと、
必ずしもそうとは言い切れない面があります。
だけど、1982年にこの弘前第三が「ローマの祭り」~チルチェンセス・主顕祭を演奏して以降、
爆発的にこの曲が吹奏楽コンクールの人気自由曲になっていったような気がしてならないのですよね・・・・
そして、確かに1982年の弘前南のローマの祭りは、誰がどう聴いても中学生の仕上がりとは思えない
素晴らしい爆演だと思うのです!!
チルチェンセスのトランペットの高音も確かにすさまじく鳴ってはいるのですけど、それが全然音が割れていないし
かなり美しく響いています。
主顕祭も・・・確かに現在の視点で聴いてしまうと・・・少しサクサク進展し過ぎ・・・という印象はあるのですけど、
それでも曲の盛り上がりは実に自然だと思います。
この弘前南の素晴らしい演奏を翌年の高岡商業が更に素晴らしい名演で受け継がれていき、
現在の流れにまでなっているような感じすらあります。
だから・・・その意味においてもこの年の弘前南の演奏は、大変歴史的意義が大きいのだな・・と改めて
感じてしまいますね。
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助さん格さんが悪代官一味と乱闘するシーンあたりの。
あれ?こんなに時代劇っぽい曲だったかしらん?
そんなしょうもないことを考えながら聴いておりました。
この曲、BJではそんなに酷評でしたか。知リませんでした。
私には、最近の課題曲Vのほうがわかりにくくて「ちょっとな〜」って感じです。