ハチャトゥーリアンの交響曲第3番「シンフォニーポエム」については、
既に何度かこのブログでも取り上げさせて頂きましたけど
この交響曲第2番「鐘」については・・・花輪高校の1980年の全国大会での演奏の中で少し触れた事は
あると思いますが、正式に書いたことは無いので
この交響曲に付いても、ごく簡単にではありますが、書いてみたいと思います。
というか・・・・この交響曲・・まず演奏されないのですよね・・・・
私もとにかく・・・・生きている内に一度でいいからこの交響曲を是非是非聴いてみたい気持ちで一杯です。
とにかく・・・「マイナーシンフォニー」として音楽史の中に埋もれてしまい、
人々の記憶から忘れ去られてしまうにはあまりにも勿体無い曲の一つと・・私は確信しています。
本当に・・・・
アーノルドの交響曲第2番・第4番、ハンソンの交響曲第2番「ロマンティック」、
ウィリアム=シューマンのヴァイオリン協奏曲、
ウォルトンの交響曲第1番、松村禎三の交響曲(第一番)、
コープランドの交響曲第3番などなど・・・
世間一般的には確かにマイナーなのだけど、もっともっと多くの人に聴いて欲しいクラシック音楽は
一杯いっぱいあると思いますし、
逆に私自身がまだ「知らない音楽」も数多くあると思いますので・・・・
とにかく・・・・「生涯、死ぬまで勉強、勉強・・」のつもりで、自分がまだ知らない音楽の事も
プリキュア以外の素晴らしいアニメも・・・・死ぬ瞬間まで・・・色々吸収し続ければいいな・・・とも
思っています。
さてさて・・・ハチャトゥーリアンの交響曲第2番「鐘」もそうした曲の一つですね・・・・
この曲は・・・確かに位置づけとしては「マイナーシンフォニー」というのは分かってはいるのですけど
とにかく・・・この曲の素晴らしさが一人でも多くの方に分かって頂ければ・・・
当時にこの曲を耳にする方が一人でもいたとしたら・・・・
このブログの管理人としては、こんなに嬉しい事は無いと思います。
ハチャトゥーリアンの交響曲第2番「鐘」ですけど、タイトルの「鐘」は正式なものではありません。
曲全体を通して「鐘」が効果的に使われているからという理由での俗称に過ぎないのですけど
私自身、確かに・・・・この曲は・・・「あれれ・・・そんなに鐘=チャイムが派手に使われていたっけ・・・?」みたいな
感じもあるのですけど、「鐘」という響きが何か個人的に大変気に入っているので
私は・・・「鐘」というタイトルについては大歓迎という感じです。
この曲が作曲されたのは1943年で、まさに第二次世界大戦というか、対ドイツ戦の真っ只中の影響が
濃厚で、正直・・・この交響曲には・・・例えば「ガイーヌ」で提示された様な「民族主義的」な香りは・・・・
あまりしません・・・
聴こえてくるのは・・・「まさに戦いの最中」という大変な緊迫感だと思います。
とにかく第一楽章から第四楽章に至るまで終始大変な緊張感に包まれています。
ま・・・その意味では、ガイーヌとか仮面舞踏会とかヴァイオリン協奏曲みたいに気軽に聴けるような類の曲では
無いと思いますし、
比較的親しみやすい作風のハチャトゥーリアンにしては・・・「リアルの悲劇」とか「劇的緊張感」をかなり意識し
決して気軽には聴くことは出来ない大変重厚感が漂う曲だと思います。
とにかく・・・この交響曲は・・・・「戦争中」という異常事態でないと多分書けそうにない・・・本当に「真に迫った音楽」
なのだと思います。
あ・・・言っておきますけど、この交響曲第2番は・・・・
交響曲第3番みたいな能天気な曲ではありませんからね・・・・キリッ!!
ああいう交響曲第3番「シンフォニーポエム」のようなとにかく・・・「明るい・・すべてが明るい!!」みたいなノーテンキな
曲ではありませんし、
特に・・・第一楽章の重厚感と悲壮感はとにかく聴いているだけで・・・何か周囲を壁で囲まれた様な「圧迫感」すら
感じますし、
第三楽章の悲劇的アダージョの金管セクションとドラの哀しみに満ち溢れた咆哮は・・・・とにかく
胸がギューーーッと引き締まる気持ちで一杯になってしまいます・・・
第四楽章も決して「救済」の音楽ではありません・・・
ま、確かに出だしは「明るいファンファーレ」で開始され、途中「生きる希望」を示唆する部分もあったりするのですけど、
最後は・・・・やはり・・・陰鬱に終わり・・・
「ああ・・・戦争はまだまだ続いているんだ・・・」みたいな事を見事に暗示していると思います。
結果的にソ連は第二次世界大戦の戦勝国となり、
1945年前後には・・・色々な作曲家が祝典的な交響曲を発表するのですけど
例えば・・・・当時のソ連を代表する3人の作曲家のそうした交響曲へのアプローチが三者三様なのは
大変興味深いものがあります。
例えば・・・・
プロコフィエフ/交響曲第5番
→曲の全てが霊感と瑞々しさに満ち溢れ・・・戦争終結とは関係なく、とにかく20世紀の名交響曲の一つ
ハチャトゥーリアン/交響曲第3番「シンフォニーポエム」
→オルガンに金管奏者15人のバンダを含む、とにかく・・・・明るく華やか過ぎる能天気な祝祭音楽・・・
ショスタコーヴィッチ/交響曲第9番
→そんな「国家のめでたい事・・・私には興味はありません」と・・・
スターリンからの「派手で祝典的な曲を・・」との要請を見事にすっぽかし、
軽い「おもちゃ箱」みたいな曲を作り、スターリンの激怒を招く・・・・
ま・・そのあたりは・・・各人の「個性の違い」というのも相当あるのかもしれませんよね・・・・
さてさて・・・ハチャトゥーリアン交響曲第2番「鐘」に話を戻します・・・
この交響曲は四つの楽章から構成され、演奏時間も50分を越すかなりの大作です。
ハチャトゥーリアン自身が「戦いの主題」と呼ぶ緊迫した主題をベースにしながら、とにかく・・・暗く劇的な
緊張感に満ちた第一楽章・・・
ガイーヌみたいな民族舞曲の要素もあるのだけど、硬質な響きのピアノが派手に乱入したり、
打楽器が大活躍を見せたり、感じとしては・・・・「戦争真っ只中のハードなスケルツォ楽章」
みたいな感じの第二楽章・・・
深刻で重厚で重々しいアダージョの楽章なのだけど、
途中で・・・こうしたアダージヨ楽章としては極めて異例とも思える
凄まじい大音量の金管とドラの咆哮が乱入し・・・・
とにかく聴く者の心を鷲掴みにしてしまう第三楽章なのですけど、
途中で・・・・アルメニア民謡に基づくテーマがグレゴリオ聖歌の「怒りの日」のあのメロディーと
組み合わさり・・・・
「怒りの行進曲」みたいな感じとして展開されるのが大変印象的です。
ラストの第四楽章は・・・・部分的に明るいし、確かに「凱旋行進曲」のように聴こえなくもない個所もあるのだけど
最後は・・・・悲劇的雰囲気のまま終わり・・・・
「まだまだ戦争は継続していく・・・」みたいな得体のしれない緊張感と不安感で終るところが
実に・・・・逆に20世紀の交響曲らしいと思います。
ラストの壮絶な不協和音がそれを見事に象徴していると思います。
とにかく・・・・確かに「埋もれた名作」なのですけど、
とにかく・・・誰かには聴いて欲しい交響曲なのです!!
この曲を聴く場合・・・・CDとしては・・・断然、ネーメ=ヤルヴィ指揮のスコットランド国立管弦楽団が
素晴らしいと思います。
さてさて・・・ここから先は、エピソードというか余談として聞いて欲しいのですけど、
このハチャトゥーリアンの交響曲第2番「鐘」を吹奏楽コンクール用にアレンジして
全国大会で見事に金賞に輝いたチームがあります。
それが1980年の秋田県の花輪高校なのです。
プログラム上では・・・
ハチャトゥーリアンの交響曲第2番「鐘」第一楽章と表記されていますが、
実態は、第一楽章のおいしい部分+第四楽章ラストの混成創作アレンジと言っても
過言ではないと思います。
実際、自分自身もこの演奏を聴いて、
「えー、第一楽章でこんなに劇的に終わらせて、この後の展開はどうなってしまうのだろう・・」と
感じたものですが、上京して、上野の東京文化会館五階の音楽資料室で
原曲を聴いた時、ぶったまげたものです。
「えーー、花輪の演奏は、小林先生の創作アレンジじゃん・・」と・・・
だけど小林先生の編曲の素晴らしさ・構成の素晴らしさには、ある意味感服いたします。
演奏は、本当に迫力十分です。
小太鼓の素晴らしい撥さばき、金管セクションの重厚な咆哮、花輪の一つの頂点だと思います。
でも花輪高校は、こうしたロシアのマイナーシンフォニーがよく合っていると思います。
後年、「バッカスとアリアーヌ」とか「チェックメイト」・「三角帽子」を演奏していましたが、
花輪にこうしたフランス音楽やメジャーな音楽はあまり似合わないような
気もいたします・・・
でも花輪のこの演奏のラストの高まりは、
「さーて、この後自分達はどうなってしまうのだろう、どこへ向かっていくのだろう、
誰にも分らない、不安だ、まずい・・・」という悲壮感・切迫感が本当によく
出ていたと思います。
ま・・・結果的に・・・・ハチャトゥーリアン自身も・・第四楽章ですらその答えは明確に提示せず、
交響曲第3番「シンフォニーポエム」のあまりにも明るすぎる世界観で・・・
ある一つの方向性を出していたのかもしれませんよね・・・
さてさて・・・
花輪高校は翌年も大体似たような事をやってくれています・・
曲は、プロコフィエフの交響曲第3番第一楽章なのですけど、
花輪の演奏は、第一楽章から主に構成し、ラストの悪魔的な響きは第四楽章から構成されています。
つまり・・・花輪の演奏は、泰一楽章と第四楽章から構成されたものなのでした。
花輪の終わらせ方が妙に劇的というか悪魔の歯ぎしりみたいな終わらせ方をしているのですけど、
原曲は、第一楽章は静かに回顧的に終わらせています。
ま・・・あれも結果的に小林先生のアレンジの上手さと言うか、曲の構成の素晴らしさが光っているとも
言えるのかもしれませんよね。
(原曲の雰囲気を壊しやがって・・・みたいな批判も当然あると思います・・・)
最後に・・・極めてマニアックなエピソードを・・・
私・・・・実はつい最近まで知らなかったのですけど、長い間東北学院大学を指導されていた淀彰先生・・・
昨年ご逝去されていたのですね・・・
先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
東北学院大学は、1970年代初めより全国大会に出場していて、私が中学の頃は、
大学の部の東北支部は、東北学院か岩手か・・という感じだったと思いますが、淀先生指導前の1980年代前半は・・
結果的にかなり低迷期がありました・・・
そのどん底が1982年だったかな・・・
1982年の東北学院大学のコンクールは、課題曲B(序奏とアレグロ)、自由曲が・・・
このハチャトゥーリアンの交響曲第2番「鐘」第四楽章でした。
東北学院大学はこの年の3年前の1979年には全国大会まで駒を進めていたので分かる通り、そこそこ実力は
あったと思うのですけど、
1982年は・・・・確か・・・・東北大会はおろか県大会にすら進めず、仙台市内地区予選で
まさか、まさかの・・・・地区予選だったと思います。
うちの高校の吹奏楽部のOBも当時東北学院に進学し、この年のコンクールに出ていた方もいましたけど、
このまさかの地区予選落ちの結果に・・・・
相当凹んでいた方もいて・・・母校に来ては・・・
「だから・・・・俺は・・こんな難解な自由曲は反対だったんだ・・・」と愚痴られていたのが何か印象的です・・・・
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