このブログにおいてだけは、イギリスの作曲家、マルコム=アーノルドは大変メジャーな存在ですけど、
ま・・・・クラシック音楽の愛好家の皆様たちの視点から眺めてみると・・・
「え・・・、アーノルドって誰・・・??」
「戦場にかける橋みたいなB級映画音楽で有名になった人でしょ・・・」
「え・・・この人・・・9曲も交響曲を残しているんだ・・・だけど一つも知らない・・・(苦笑・・・)
とまあ・・・・そんな反応ばかりになってしまいそうですね・・・
このように・・・
アーノルドは、中々日本に限らず、イギリス以外の世界各国においても、残念ながら
少なくともメジャーな作曲家では無い事だけは・・・・どうも確かなようです・・・
私から言わせて頂くと・・・・「うーーん、何か勿体無い・・・、交響曲第2番や第4番、組曲「女王への忠誠」とか
組曲「第六の幸運をもたらす宿」とかを知らないで死んでしまうのは・・・・とてつもなく勿体無い・・・」と
思うのですけどね・・・・
ま・・・でもいいんです・・・!!
特に・・・交響曲第2番・第4番あたりは・・・私だけの楽しみとしてこの曲を聴く喜びを独占させて頂きたいと
思います・・・・(苦笑・・・)
アーノルドと言うと・・・・最近はさすがに一時のブームによる人気のピークは過ぎたと思いますけど、
日本の「吹奏楽コンクール」と言う「非常に狭い世界」ではかなりの有名人だと思います。
特に日本の吹奏楽コンクールでは、「第六の幸運をもたらす宿」と後述しますけど序曲「ピータールー」の存在で、
アーノルドは・・
日本の吹奏楽の世界においては、一気に有名な方になったのかもしれませんよね・・・
ま・・・だけど・・
管弦楽の世界では・・・いまだに・・・残念ながら「知る人ぞ知る」という領域なのかも・・・??
アーノルドと言うと一番有名なのが、映画「戦場にかける橋」の映画音楽を作曲した人という
事なのでしょうけども、その中で特に「ボギー大佐」のアレンジが一番ポピュラーなのでしょうね。
だけど・・・・
日本の吹奏楽において・・・アーノルドの知名度がここまで飛躍的に高まったのは・・・
何と言っても、
序曲「ピータールー」の存在なのかな・・・??
この9分近い曲は、とにかくイメージ易い曲だと思います。
黙って目を瞑って聴いていると・・・・
「あ・・・・この部分は、抗議する群衆に発砲する騎兵隊の横暴さを描いているんだ・・・」
「騎兵隊によって一旦は鎮圧され、武力に屈した屈辱感と寂しさを表現したのは、このオーボエのもの哀しいソロの部分だ・・」
「権力者たちは・・・いつかこの日の報いを受ける時が来る!!
必ずや・・・・自分達が求めた参政権・選挙権を得る日がやってくる・・・
自分達の正義はいつの日にか歴史が証明してくれるはずみたいな正義感・高揚感を示唆したのは
ラストの高らかなトランペットのファンファーレとチャイムの響き」
「小太鼓三台を用いた響きは・・・あれは・・軍隊の横暴さと進撃を暗示したもの・・」
「安らかで穏やかに開始された序奏に、唐突に乱入してくる小太鼓のロールの響きと荒々しい金管の響きは、
権力者たちの地位を守る為なら、多少の民間人の犠牲はやむを得ない・・・みたいな
権力者たちの無慈悲振りを見事に暗示している・・・」
みたいなイメージが、本当にいとも簡単に脳裏に思い浮かんでくるのですけど
やはり・・・・それは・・・
そういうイメージを「音楽」という物語で私達の脳にすーーーっと染み込ませてくれるアーノルドの「作曲家としての腕の確かさ」
なのだと本当に改めて感心します・・・・
いやいや・・・実はこれは凄い事だと思います。
第二次世界大戦後の作曲家の先生たちは・・・・みな、「技巧」・「音符の並べ方」にどちらかというと神経を注ぎ、
肝心要の・・・
「誰かの心にすーーーっと何かを伝える事が出来る力=音楽」という事を忘れた理屈っぽい人が
多いようにも思える中、
こうしたアーノルドの「分かり易さ」は、本当に特筆に値するものと思います。
序曲「ピータールー」は、こうしたあまりにも分り易い構造・派手な響き・ラストを高らかに歌い上げる事が
コンクールにピッタリとマッチングするせいか、特に1990年代後半において爆発的に流行した
時期があります。
実は・・・・
「ピータールー」が流行する5年ほど前から、この曲の素晴らしさに既に気が付いていた私としては
「嬉しい」と思う反面、「うーん、自分だけのピータールー」であって欲しかった・・」という
二律背反の少しくすぐったいような面があります(苦笑・・・)
この曲が初めて全国大会で登場したのは、1993年のJSB吹奏楽団なのですけど、
この曲が大ブレイクするきっかけは・・・やはり1995年の浜松交響と文教大学の功労だと思います。
ちなみに・・・この曲の吹奏楽初演は・・・・
もしかして・・・・川口アンサンブルリベルテなのかな・・・・??
余談ですけど・・・・
日本が世界に誇る若手指揮者の一人、下野竜也氏は・・・・まだ無名時代の1991年に前述のJSB吹奏楽団を指揮され、
初めて同団を吹奏楽コンクール全国大会にまで導いていますけど
佐渡裕氏も・・・まだ無名の1986年には・・・・龍谷大学を指揮されて、この大学を全国大会初出場に
導いています・・・
もしかして・・・
日本の吹奏楽コンクールの指揮者の中から・・・今後、佐渡死下野氏のような世界的指揮者か
輩出される可能性もあるのかも・・・・??
だけど、確かに「ピータールー」は20世紀中盤以降、無調音楽とか偶発性音楽とか
コンピューター音楽とか、訳のわからん「現代音楽」が闊歩する中でも、
こんなに描写がはっきりしていて、メロディーが分り易くて、
メッセージ性が強いし、何を言いたいのかがはっきり伝わってくる音楽が存在していた事だけでも
驚きを感じます。
さてさて・・・・この曲の背景なのですけど・・・・
1819年8月16日にイングランド・マンチェスターのセント・ピーターズ・フィールドで発生した事件をベースにしていて
まさに「歴史的事実」に基づいた曲なのです。
この広場で選挙法改正を求めて集会を開いていた群衆に騎兵隊が突入して鎮圧を図り、
多数の死傷者が出る大惨事・大虐殺を招いたという大変な事件なのですけど、
(当時の日本は、同じ頃に「大塩平八郎の乱」が起きています・・)
ま・・・両方とも時の権力者に対する「怒りの声の代弁」という意味では、かなり共通した要素が
ありそうな感じもあります。
出だしのゆったりとした平和的なテーマに突然、小太鼓三台による乱入が始まり(厳密に言うと一台は途中から加わります・・)
政府の武力的鎮圧を象徴するような激しい音楽が展開されていきます。
その激しい部分はドラのゴワワーーンという大音量と共に閉じられ、
一旦静まるのですけど、
その後に続くオーボエのもの哀しいソロが大変印象的です・・・・
「自分達はこんな暴力に絶対にに屈しない!!」というテーマが高らかに鳴り響き、
誇り高く閉じられます・・・
曲は本当にシンプルなもので、難しい表現とか過激な不協和音はほぼ皆無です。
だけど・・・既に前述の通り、
ここはデモ隊と政府軍の激突シーン、
デモ隊の撤収とか手に取るようにその場のシーンを容易に想像できることがすごいと思います。
「音の絵巻」と言っても差し支えはないと思います。
小太鼓三台のロールというのは視覚的にも聴覚的にも相当のインパクトはありますが、
要所要所でピアノがピシっとリズムを決めている箇所があり、相当全体を引き締めている役割が
あると思います。
特に・・・・前述のあまりにももの哀しいオーボエのソロが開始される前のピアノの
無表情な打撃音は・・・・痛々しいのだけど、ある意味大変無機質で効果的なのかも・・・
ラスト近くのチャイムの響きも、「それから後の自由を求めていく戦いの継続」を予感させるような
ものであり効果的です。
序曲「ピータールー」の吹奏楽版は腐るほど聴いた事がありますが、
管弦楽の原曲演奏は、2006年のオペラシティの東京交響楽団しか聴いた事がありません。
是非是非、アーノルドの交響曲と共に・・・この素晴らしい序曲も
生の演奏会で演奏して欲しいと切に感じています!!
この曲をCDで聴く場合・・・・
ヴァーノン・ハンドレイ/BBCコンサート管弦楽団が断然素晴らしいと思います。
また、バーミンガム市響によるアーノルド本人による自作自演の演奏も実に明確な意図が伝わり
「さすが・・・」と思いますね。
ちなみに・・ハンドレイの後半のテンポの遅さは・・・・すごいものがありますし、いかにもたっぷりと歌い上げている
感じは濃厚ですね。
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佐川聖二さん、後半のテンポが思いっきりゆっくりで
演奏が終わった後、奏者の大半が後ろにのけ反ってました(笑)
しかし、この曲の後半は、ゆっくりやればやるほど
感動が生まれる素晴らしい曲だと思います。
ちなみに…
佐川聖二さん指揮で
ピータールーの前年は「宇宙の音楽」
後年は「巨人 第4楽章」と
奈良県の一般バンド有志は、果敢(無謀かも)にチャレンジしました(^^;