18.城陽中学校
D/バレエ音楽「恋は魔術師」~パントマイム・火祭りの踊り
この年の中学の部は、金賞乱発の高校の部とは対照的に金賞はわずか6チームだったのですけど、
その数少ない金賞の一つに入りましたので、「さすが・・」という感じですね。
あくまで個人的な感想ですけど、上甲子園と粟野を金賞にするなら、伊丹東・石田・玄洋を金賞にした方が
良かったような気がします・・・・
(ま・・・審査は水物ですけどね・・・)
城陽中は結果的に、1980年から83年が4年連続金賞、そして「5年連続金賞」の王手が掛かった1984年は
まさかの銀賞・・・・
だけど・・・あの時は・・・正直驚きました・・・・
だってあんな素晴らしい「シチリア島の夕べの祈り」序曲をしっとり歌い上げ同時に大変ダイナミックスな
素晴らしい演奏を聴かせてくれたのに・・・・
あれで銀ですからね・・・
あの時の成績発表の際の普門館の会場の雰囲気は・・・ほぼ全員・・・「え・・・まさか・・・」という
感じでしたね・・・・正直、私も驚いた一人です・・・・
指揮者の神出先生は・・・・それ以降は、大阪信愛女学院に引き抜かれたのですけど
当時の関西大会の高校の部の「代表の座」に一角に食い込むことは結局できずに
1984年の全国大会を最後にあれから一度も全国大会であの雄姿を拝見する事が出来なかったのは
何か少し勿体無い感じはありました。
さてさて・・・1981年の演奏ですけど
課題曲D/行進曲「青空の下で」は、まさに「これぞマーチ!!」みたいな演奏で、特に気負いも重さも無く
「歩きやすい行進曲」みたいなスタンダードな感じでまとめていたと思います。
この課題曲はしつこいくらい「繰り返し」が多く、吹いている方もたまに「くどいな・・・」と
感じる事はあると思いますけど、そうした「くどさ」をあまり感じさせず
メロディーラインに微妙な変化を付けてそうしたくどさを回避していたのはさすが・・・という感じですね。
自由曲の「恋は魔術師」なのですけど、
当時、日曜の朝8時台に秋山紀夫氏の進行による「ブラスのひびき」というFM番組があり、
大抵1月~2月の放送では、その年の吹奏楽コンクールの金賞受賞チームの演奏をかけるのですが、
確か・・・・その時の城陽中の演奏は、なぜか「火祭りの踊り」のみが流され、
「パントマイム」は省略されていた記憶があります・・・・
だから・・・このチームの演奏は、長い間、「火祭りの踊り」しかやらなかったのかな・・・と思ったら
数年後にレコードでこのチームの演奏を聴いたら、ちゃんと「パントマイム」も演奏されていたので、
「そんなら、カットしないで全部放送してよ・・・・」と思ったものです・・・(苦笑・・・)
ま・・・あれは多分・・・・放映時間の枠の都合なのでしょうね・・・
余談ですけど、翌年の1982年の「ブラスのひびき」では、何と・・・全ての演奏を3分程度しか流さず
大抵、頭から開始して3分前後にフェイドアウトしてしまう・・・という感じで・・・・
当時・・・「日本の吹奏楽」の実況録音を収録したレコードを買うお金が無かった私を含め、
多くの吹奏楽人から多大な反発と顰蹙をかっていましたね・・・(苦笑・・)
更に余計な話ですけど・・・・
1984年の全国大会・中学の部では、吉原第一がやはりこの「恋は魔術師」~パントマイム・火祭りの踊りを
自由曲に選んでいましたけど、
確か・・・・私のぼんやりとした記憶の中では・・・
当日の開会式で
「吉原第一の自由曲は、プログラムでは、パントマイム・火祭りの踊りと記載されていますが
都合により、パントマイムを割愛します」と言っていたような記憶が・・・??
え・・・・そんな訳ないですよね・・・??
と言うか・・・、この年の吉原第一の演奏は一応当日普門館で聴いていたと思うのですけど
本当にパントマイムを演奏したかの記憶が無い・・・
しかもレコードも聴いていないので、
いまだにその辺りは・・・・私の中では「謎」となっています・・・・
またまた、話が脱線してしまいました・・・・
城陽の演奏は、特に「火祭りの踊り」のどす暗い雰囲気とかほのかな情熱の表現は大変
素晴らしかったですね!!
オーボエのソロも素晴らしいし、クラリネットのトレモロの雰囲気もお見事!!
ただ・・・この曲のアレンジとして、なぜか「タンバリン」が多用されていて、
当時はタンバリンも入る曲なんだ・・・と思っていたら、数年後・・・この「火祭りの踊り」の原曲には
使用されていないという事が分かり、
「なんだ・・・あれは吹奏楽用のヘンなアレンジだったんだ・・・」と思ったものです・・・・(苦笑・・・)
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ここから先は少し雑談・・・・
昔、中学生の時、給食の時間とか放課後の掃除の時間によくなぜか
ポールモーリアの曲がかかる事が多く、エーゲ海の真珠とかオリーブの首飾り・ペガサスの涙・
涙のトッカータなどの曲がかかっていましたが、その中で当時曲名は知らないのだけど
すごーく印象的で気になった曲が一つありました。
それが後に知ることになるのですが「火祭りの踊り」なのです。
高校に入って、吹奏楽部の仲間に、「このポールモーリアの曲、何て言うタイトルなの?」と
聴いたら、そいつが「ひのとり」とか言っていましたので、
自分自身は恥ずかしながら、約1年ほど、このファリアの「火祭りの踊り」を
ストラヴィンスキーの「火の鳥」と勘違いしてしまう事になるのです・・・
後日その勘違いに気が付いて、すごく恥ずかしかったです・・・
誤解の原因となったそいつに後で文句を言うと・・・
「俺は確かに火の踊りと言ったはずだ・・」と開き直っていましたが、
私がもしかしたら、「ひのおどり」と「ひのとり」を聞き間違えたのかもしれませんね・・・・(苦笑・・)
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ただ演奏に際しては一騒動あったのは事実で、静岡県吹連の記念誌に当時の指揮の先生が寄稿されてます
「第32回全国大会では許諾をとってない楽譜を使用しておりましたために普門館での演奏が危ぶまれ、急遽出版社チェスター・ミュージックへ電話を入れ不慣れな英語で実情を説明し、コンクールの前日午前10時に許諾を取り付けて無事に演奏しました・・・」
城陽も吉原も同じ編曲者のものだったと思いますが、それまで演奏してきたものが本番前に急にNG宣告されるとは不安で練習もままならなかったでしょうね