世間一般的には、「月光」というとベートーヴェンのピアノ曲とか鬼束ちひろの曲が
圧倒的に知名度が高いのでしょうね。
だけど・・
私としては、「月光」と言うとB.ブリテンの歌劇「ピーター・グライムズ」の間奏曲としての「月光」が
とても印象的です。
ま、このブリテンの「月光」は、歌劇の中の間奏曲から構成された「四つの海の間奏曲」の第三曲という
事でもあります。
なんで、こんな唐突に「月光」について書いたかと言うと、
結構最近なのですけど、
仕事からの帰り道、何気なく夜空を見てみると、月が輝いていたのですけど
その月光が何か不気味・・・・
黄色というよりは・・・・何かオレンジ色っぽい・・・と言うのか、何か「血」みたいな色彩のヘンな感じなのです・・・
「うわわ・・・なんか少し怖いな・・・」と感じていたら
その数日後に例の関東を中心とする長時間船酔いみたいなヘンな揺れ方をした地震がありましたので、
今にして思うと、
あのヘンな地震を予告していたのかな・・・
それにしても・・・・最近は・・・全国至る所で火山が唐突に噴煙を起こしたり、5月とは思えない季節外れの猛暑が
あったりと、何かヘンな感じはしています・・・・
人間には、もしかして「二面性」みたいな所もあり、表の顔=昼間の顔=太陽というのと
裏の顔=夜の顔=月という二つの側面があるのかもしれません・・・
基本的には、人と言うものは、太陽の光をさんさんと受け止めて健康的に力強く前向きに生きていく生命体
なのでしょう・・・
しかし・・・それはあくまで建前の話であり、
建前あれば本音があるように、表向きがあれば裏向きもあり、
人間と言うものは、決して「太陽」のように健全に正気だけで生きてはいけない面もあるのかな・・・と
思いますし、
人間の裏側=心の深層には、後ろ向き・不健全・退廃的なものは・・・
多分・・・誰しもが持っていると思います。
人の健康的で表向きな側面を示唆するのが太陽とすると
人の不健康で後ろ向きで狂気な面を暗示するのは・・・やはり「月」なのかな・・と思います。
だからこそ・・・・あんな真夜中でただでさえ「狂気」を示唆する「月光」だというのに、それが更に「血」みたいに
不気味に赤く輝くというのは・・・・
何かやはり怖いというか「見たくないものを見てしまった・・・」みたいな感じですね・・・・
クラシック音楽でも「月」に関連する曲は色々とあると思いますけど
そうした人の狂気の側面をえぐったのがシェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」だと思いますけど
あれも怖いですよね・・・・
昼間、人を楽しく笑わせるピエロが・・・・月の光を浴びる中で・・・・
殺人・流血・死刑みたいな猟奇的幻想を抱き、次第に狂っていくさまを5人の器楽奏者と女声コーラスで
描いていますけど・・・
あれは・・・・まさに「人の裏側」そのまんまの世界ですね・・・・
そうしたシェーンベルクみたいな狂った世界ではないのですけど
ブリテンの歌劇「ピーター・グラスムズ」~四つの海の間奏曲 Ⅲ.月光も・・・・
ある意味怖い・・・・
確かに美しい音楽なのですけど、何か・・・とてつもない「孤独感」とか「憂鬱」とか「疎外感」も
感じてしまいます・・・・
部分的に登場しているシロフォーンの硬質な響きが、更にそうした感情を引き立たせているようにも
感じられます・・・・
改めてですけどこの歌劇「ピーター・グライムズ」について書いてみると・・・・
ブリテンの歌劇「ピーター・グライムズ」というと20世紀の中で作られた歌劇の中では
かなり成功した部類の歌劇の一つだと思いますし、
上演回数も相当高いと思われます。
原作が確か「町の自治」という戯曲だったと思いますが、これは結構現代日本にも通ずる問題を
色々とはらんでいて、考えさせられるべき内容を多種多様に含んでいると思います。
主人公ピーター=グライムズは、無愛想で不器用な性格ながらも漁師として日々の生活を
彼なりに真面目に厳格に生きていこうとしています。
しかし、近所付合いが下手で他人と妥協しない性格の故、近隣から「ヘンな奴」と敬遠されがちで
欧米では「安息の日」として勤労が認められない日曜日にも、船を出し漁をした事で
ますます近隣からは「浮いた」状態となり、俗にいう「シカト」状態だったのだと思います。
そんな中、弟子として使っていた子供の船内での死亡事故をきっかけにますます孤独状態が深まり、
裁判所から「今後子供を雇う事は認められない」という判決が出たにもかかわらず
こっそりと子供を雇い、日曜日にも無理やり漁に出させていました。
そうした中で再度事件が起きます。
又もや徒弟の子供が海に転落し死亡してしまいます。
近所の人達は、
「ピーター=グライムズが子供を殺した。あいつは殺人鬼だ」
「あんな奴、自分達の街に住む事自体気にいらない。今すぐ出ていけ」
「あんな奴、いなくなればいいのだ、死ね」
「この街にあんなヘンな奴はいらない」
等々の罵詈雑言が浴びせかけられたかどうかは、物語なのでよく分りませんが、
そうした雰囲気はあったのでしょう。
結果的に、ピーター=グライムズは、海の男として責任を取る形で自分の船と共に
海の底に沈んでしまいます。
そして、町には、いつもの日常の日々が続いた・・・
そんなような感じのストーリーだったと思います。
でも戦後間もないイギリスの中にも、丁度現在日本が抱える問題と同じような事を既に
予想していた人がいるとは何か驚きです。
自分達とは少し考え方・意見・風貌が違うからといって、そうした異分子を排斥したり
シカトしたり、いじめの対象にする事は、何か古今東西変わりがない問題と言うか、
同じような病巣というものは、いつの時代にもあるものだとも思ったりもします。
ピーター=グライムズの場合、本人が真面目な分、その不器用さが、不器用に生きている様が
本当に痛々しく感じますし、
自分達と同化しない他者を排斥する社会、思いやりがない冷たい社会を既に
戦後間もないころに「予感」させられるものがあったのでしょうね。
ピーター=グライムズにし、エレンと言う未亡人をひそかに恋し、
「彼女との楽しい日々を過ごすためにも稼がないと・・・」という気持ちがありましたが、
お金を稼ぎたいためが故に、日曜日の漁などという
近隣との摩擦⇒孤独を深めるという側面もありました。
全体的に、社会的孤立・孤独・社会との絶縁・異分子を排斥する社会といった
テーマを抉り出している結構シビアな歌劇だと思います。
ブリテン自身の手で、この歌劇から「四つの海の間奏曲」という組曲も作られていますが、
これも歌劇の内容を示唆するようなメロディーのオンパレードで
結構聴いていて「痛い」とか「グサッとくる」感じもかなりします。
Ⅰ.夜明け ⇒ バルト海を彷彿とさせる荒涼とした雰囲気と雲に覆われた暗さがよく出ています。
Ⅱ.日曜日の朝 ⇒ クラリネットで「カモメ」の鳴き声がうまく表現されています。
Ⅲ.月光 ⇒ 美しい音楽ですけど、前述のように何か・・・「孤独」・「疎外感」が痛いほど伝わります・・・
Ⅳ.あらし ⇒ 荒れる海とピーターグライムズの救われない感じさがよく出ています。
ⅠとⅣが激しい描写もありますし、いたたまれないほどの「寂寥感」がにじみ出ていますので
やはり・・・Ⅲの「月光」が心に沁みます・・・
だけど・・・前述の通り、月光とはある意味人の裏側も暗示していますので
「人の孤独・疎外感」というものは・・・・生きている限りは永遠に続くという事を示唆しているのかもしれません・・・
やはり改めて考えると、「現代の孤独な社会」・「自分達と異なる異分子を容赦なく排除する
「一つの閉鎖的社会」・「自分達と同化しない人間を異分子扱いとする風潮」などについて
戦後間もない作曲時期にも関わらず、既に現代のこうした病巣を予知して、
こうした歌劇をもしかしたら作曲したとしたら
それはすごい事なのかもしれませんよね。
現在でもこの歌劇は20世紀歌劇のレパートリーとして完全に定着化していますし、
日本でもまれに演奏会形式として上演される事もあります。
この歌劇ですが、いじめ・ネット中傷・格差社会・個性を尊重しない社会という問題を
告発する作品として、何かもう少し現代風にアレンジして、映像化できれば
もっと面白い作品になる可能性もあるのではないのかなーとも
思いますけどね・・・
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