3.間々田中学校
B/エル・サロン・メヒコ
プログラム2番の弘前第三の演奏も、とにかくサウンドが透明で美しいのが極めて印象的でしたけど
サウンドの「透明感・美しさ・清潔感」という意味では、
多分・・・・この年全国大会・中学の部に出場した25チームの中では、この間々田中が一番のようにも
感じられます。
その位、このチームの音の完成度は高く、とにかく高音になってもffになっても
全く音が割れることなく綺麗に清潔に美しく鳴り響くあのサウンドは・・・「お見事!!」の一言に尽きると思います。
このチームは、前年度の1980年もリードの「アルメニアンダンスパートⅠ」でこの年のほぼ同じように
美しく清潔な響きを聴かせてくれているのですけど
1980年も1981年も、全く話題にもならずに「銀賞」という評価だけで
人々の記憶から消え去ってしまうのは、本当に何か勿体ないようなものがあります。
だから・・・・
私は・・・・
声を大にして言いたいと思います!!
とにかく1980年~1981年の間々田中のサウンドは、美しく清潔な音色は本当に群を抜いていたと!!
余談ですけど、1982年の自由曲のドビュッシー/交響組曲「春」~第二楽章は・・・・
うーーん、あれは選曲ミスの典型ですね・・・・(苦笑・・)
この年の間々田の何がすごいかと言うと
自由曲のコープランド/エル・サロン・メヒコなのですけど、
あの管弦楽の原曲は・・・・
とにかく「元気なアメリカ大陸!!」とか「野性味たっぷり!!」とか「胡散臭いアメリカ」みたいな香りがプンプン漂い
曲はとにかく・・・・異国情緒と酔っぱらいの雰囲気とワイルドさに満ち溢れた曲だと
思います。
そんな野性味溢れる曲でも、間々田中のあの「美しすぎるサウンド」に掛ってしまうと・・・・
あら、不思議・・・
「え・・・この曲ってこんなにロマンチックな曲だったっけ・・・??」みたいに原曲とはまるで180度方向性の異なる
曲の感じになってしまうのは大変興味深いものがあると思います。
やっぱり、そうなんですよね・・・
これは以前から書いていますけど
私の場合、音楽の「基本」は「音色」なんですよね・・・
何て言うのか・・・
優しさも甘美さも厳しさも冷たさも厳粛感も楽しさも・・・・全ては「音色」から生まれるのだと思うのです。
その辺りを見事に立証してくれたのが間々田中の演奏であり、
「サウンドの美しさ」一つだけでも、こんなに曲の雰囲気すらも変えてしまう事が出来るという事なのだと
思います。
このチームの出だしからして既に秀逸・・・・
この曲を自由曲に選ぶと大抵のチームは、ガサツな滑り出しになってしまい、
冒頭のサスペンダーシンバルの音からして既に粗い・・・という感じがするのですけど、
間々田の場合、冒頭の金管の音もサスペンダーシンバルの音も、すべてが「まろやか・・・」という感じ
でしたね。
前半のトランペットの長いソロもミスる事なく見事に吹ききっていました。
この曲は本当に変拍子の連続で、指揮者としては「振りにくい曲」だと思うのですけど、
そんな変拍子の曲を少しもギクシャクすることなく楽に聴かせてくれたこのチームの演奏は、
やはり「凄い・・・」と思ってしまいますね。
本当に惜しい銀賞の一つだったと思います。
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ここから先は余談です。
コープランドと言うアメリカの作曲家は、日本での知名度は今一つなのかな・・・
1900年に生まれて1990年に亡くなったので、丁度20世紀を駆け抜けた作曲家の一人です。
実はコープランドは、日本とも結構深い関係にあり、
武満徹の音楽をアメリカ本土で紹介したり、武満徹の「地平線のドーリア」という曲の
世界初演の指揮を振ったり
来日した際には、日本のオケでシューベルトの「未完成」の指揮を振ったりと
色々と貢献をして頂いております。
コープランドの音楽は、
カウボーイがインディアンを追いかけまわすみたいな映画音楽のBGMになりそうな
軽い感じの音楽が多いようにも感じますし、
実に軽薄すぎて胡散臭く感じることもあったりもします。
反面、晩年は無調音楽にも手を付けたり、難渋な作品を晩年近くに書いたりもしていますし、
バレエ音楽「アパラチアの春」のように神への祈りに通ずる清純な音楽を
書いたりもしています。
アメリカというと、移民の国で、あらゆる価値観・文化・思想を拒絶することなく取り入れ
自分たちの文化として融合していった歴史がありますけど、
コープランドの音楽にもそうした「多様性」が感じられます。
要は、いかにも多様性の複合国家アメリカの象徴的存在の作曲家なのかもしれませんよね。
コープランドが亡くなった年に
バーンスタインも亡くなっていますけど、
コープランドの曲をよくレコード化していたバーンスタインにとっても
盟友の友という感じだったのかもしれません。
コープランドの作品は、圧倒的に三大バレエ音楽が有名です。
〇ロデオ
〇ビリー・ザ・キッド
〇アパラチアの春
この中では、「ビリー・ザ・キッド」の銃撃戦とビリー逮捕の祝賀会という場面は
本当に目をつぶって聴いていると、
小太鼓と金管楽器で「ダダダダダダダ」と表現されている破裂音が、かなり実音に近い
ガンバトルを再現していて、非常に面白いです。
「アパラチアの春」は逆に曲の中でほとんどffがない静かな内省的な曲なのですけど、
この曲の唯一の盛り上がりの部分「クエーカー教徒の讃美歌の主題による変奏曲」の
部分の美しさと透明感は、
生で聴いても思わずハッと息を飲むほどの美しさがあります。
吹奏楽経験者にとっては、
コープランドと言うと「戸外のための序曲」が有名なのかも・・
この曲、序盤でトランペットの相当長いソロがありますけど、
この部分をたっぷりと歌い上げることはかなり神経を使いそうですよね。
この曲、元々は管弦楽曲なのですけど、
バーンスタインが1986年の野外音楽祭でこの曲を取り上げましたけど、
この演奏が実に素晴らしい!!
残念ながら未CD化ですので、是非このライヴ演奏を再度聴いてみたいものです。
さて、コープランドの出世作というと、冒頭の間々田中の自由曲でもあります「エル・サロン・メヒコ」です。
日本語に直すと、「酒場メキシコ」ですので、メキシコのバーの雰囲気を音楽に
したものなのでしょう。
この曲の醍醐味というか聴きどころは、序盤のトランペットの長ーいソロだと
思います。
この部分は技術的にもかなり大変で、
プロでも奏者はかなり緊張すると思います。
事実、1999年5月にサントリーホールで聴いた新星日響の定期でも
結構奏者はボロボロで、会場の雰囲気も一気に白けてしまいましたけどね・・・
古い話ですけど、全日本吹奏楽コンクールでこの曲を自由曲に選ぶチームも結構ありまして、
1985年の出雲高校のように、ソロが壊滅状態というケースもありますし、
1995年の愛工大名電のように完璧に決まる場合もあります。
ま、だけど音楽は「生き物」だし、演奏中の事故は付き物ですしね・・・
「エル・サロン・メヒコ」はどうしてもトランペットのソロばかりに目が行きがちですが、
よーく聴いてみると、
トランペット以外にも、クラリネット・ファゴット・オーボエにも重要なソロがありますし、
ティンパニー奏者にも大太鼓奏者にもソロ的見せ場があり、
奏者にとっては10分程度の曲ながら
結構緊張する作品だと思います。
さてさて・・・・
コープランドと言うと、一番好きな曲は、バレエ組曲「ロデオ」かな・・・・
1986年にサントリーホールが完成し、そのこけら落とし公演が開催されている時、
確かその最後のこけら落としの演奏会が、当時「ニューヨーク・フィラデルフィア等数々の名門オケを
抑えて、堂々全米第二位にランキング」とか言って騒がれた
「スラットキン指揮/セントルイス交響楽団」だったと思います。
曲目が
バレエ組曲「ロデオ」
メンデルスゾーン/ヴァイオリン協奏曲(独奏/五嶋みどり)
ショスタコの交響曲第5番
だったのですが、
ロデオの一番最初の出だしの音があまりにも強烈だったりと
サントリーホールの残響音があまりにも素晴らしいため、
この第一音だけで心身ともにメロメロになってしまった事は懐かしい思い出です。
「ロデオ」は、正直それほど高級なバレエ音楽ではありません。
何かいかにもアメリカっぽい「大らかさ・うさん臭さ・大衆迎合的商業主義」の香りが
プンプンと感じられ、
どちらかと言うと、リズム感がやたら強いイージーリスニングや映画音楽のようにも
聴こえてしまいます。
だけど、結局はそれがいいと思うのです。
ホント、この曲は聴いていて楽しいし、第一曲「カウボーイの休日」のけたたましさ・
第二曲「牧場のノクターン」みたいな抒情性
第三曲「サタデーナイトワルツ」のスローバラード
ラストの「ホーダウン」のけたたましさの再現など
魅力は尽きない曲だと思います。
コープランドと言うと、この他にも・・・・
短い曲なのですけど「市民のためのファンファーレ」がとても華麗で素晴らしい曲だと思います。
そしてこの「市民のためのファンファーレ」は・・・何と・・・・
コープランドの交響曲第3番第四楽章の冒頭で、そのまんま転用されています。
最初聴いた時は正直驚きました。
「そのまんまやねん」と関西弁で突っ込みを入れたくなるような感じなのですが、
ま、同じ作曲家なので仕方がないのでしょう・・・
だけど・・・・
このコープランドの交響曲第3番は・・・・実は・・・20世紀の「隠れた名曲」の一つだと私は思っています。
この交響曲には特にタイトルは無いのですけど
思わす゛・・・「アメリカ」とタイトルを付けたくなってしまうくらい
「アメリカンドリーム」としての「希望溢れるアメリカ」が実に堅実に表現されていると思います。
「努力すればできない事は何もない、いつかはその夢が叶う」というキャッチフレーズが
似合いそうな音楽だと思います。
最近、このブログでウィリアム=シューマンの事を書きましたけど、
ウィリアム=シューマンも「アメリカ」を溺愛した作曲家だと思いますが、コープランドも
同じくらい「アメリカ」を愛していた作曲家なのかもしれませんよね。
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