大栗裕と言えば、誰が何と言っても
「吹奏楽のための神話~天の岩屋戸の物語による」・「仮面幻想」・「大阪俗謡による幻想曲」が
3大メジャー作品なのでしょうね。
特に神話と大阪俗謡の人気は衰えることなく
現在も支部大会・全国大会で演奏され続けている事は本当に凄い事ですよね。
確かに現在の吹奏楽コンクールは「邦人作品」がかなりの頻度で演奏されていますけど、
果たして10年後にどれだけの曲が継続して演奏され続けているかと言うと
正直かなりの疑問もあります・・・・
ま、確かに耳に心地よいし演奏効果としては抜群なんだけど、
「後世に受け継がれていく曲としてはどうなのかな・・・」と少し疑問に感じる事もあったりはします。
ま、その辺りは今後注視していきたいと思いますし、
10年後の「吹奏楽の近未来」も非常に楽しみですよね。
だって例えば、
田中賢の「メトセラⅡ」とか天野正道の交響組曲「GR」なんか一時はあれだけ人気曲として
当時かなりの演奏頻度があったのに、
最近ではメトセラⅡなんて、とっくに忘却の彼方・・・・という感じですからね・・・・(苦笑・・)
ま、そういう「吹奏楽コンクール」の流行り廃りはスピードがとても速い・・・・
だけど、30年~50年程度と言う中長期の視点から眺めてみると
初登場から30年程度経過しても、その曲が飽きられることなく演奏され続けているという事は
その曲に何らかの魅力があり、
「名曲」として認知されたという事でもあるのかな・・・・?
そういう意味では、大栗裕の「神話」とか「大阪俗謡による幻想曲」は
凄いですよね・・・・
確か「神話」の全国大会初登場は1975年の富田中ですから、それから実に40年程度経過しても
この曲の魅力は全く色褪せていないし、
毎年毎年魅力的な演奏とか、新しい演奏解釈とか表現スタイルが生まれているのは
やはり曲自体の魅力が大きいのだと思います。
大栗裕の作品の中には、
吹奏楽のためのバーレスクとか吹奏楽のための小狂詩曲といった吹奏楽コンクール課題曲として
作曲された曲もありますけど、
前述の不滅の名曲3曲とか課題曲以外にも
いくつか吹奏楽の作品は残されています。
そうした曲としては、「巫女の詠えるうた」という大変不思議な曲もあったりもします。
この「巫女の詠えるうた」は、コンサートや吹奏楽コンクールでは
滅多に演奏されませんよね。
ま、確かに全体的にもやもやした曲で、
一見聴くと「何を言いたいのかさっぱり分からん曲・・」みたいに誤解されちゃう側面もかなり強いと
思われます。
そうですよね・・・
この曲のメロディーラインはいまだによく分かりませんし、
神話みたいな劇的ドラマとか
大阪俗謡や仮面幻想みたいな分かり易い演奏効果というのも皆無ですね・・・
ま、確かに今一つ人気が無いのもよーく分かるのですけど
その「もやもやした感じ」とかいかにも「古き日本人の心の源流」みたいな感覚は
神話みたいに世界観が明瞭な曲と対比してみると
意外な魅力もあるのかもしれません。
「巫女の詠えるうた」は、
青森県下北半島恐山のカルデラ湖を8つの霊峰が囲む奇観と、
霊場に集まるイタコが死者の霊を呼び寄せる口寄せを描いています。
尼崎市吹奏楽団の委嘱で1979年7月1日に完成して、
翌年3月26日、同団第15回定期演奏会で初演を果たしています。
生前、山歩きが趣味だった大栗裕は、何度か恐山に足を運んだとの事ですけど
この恐山の「ゴツゴツとした岩肌」とか霊感に満ちてピンと張りつめた空気に多分何かを
感じたのかもしれませんよね・・・
中盤のピッコロとクラリネットは、巫女が祖先の霊を呼び出す祝詞を、
トロンボーンのグリッサンドは、巫女が呪文を唱えながら、梓弓をビンビンと叩く様子を表現しているのかも
しれません。
ラストは、祖先の霊がたおやかに語りかけて
霊を鎮め、遺族たちを慰めている様子を描いているようにも感じられます。
うーーん、だけど
中々イメージしにくい曲なんですよね・・・・
「神話」みたいな分かり易さが全くない曲だから
結局「聴き手に自由に印象を委ねている」ようにも感じられます。
何というのかな・・・・
何回かじっくりと聴いてみて初めて何となく分かるような曲というのか
「するめ」のように噛めば噛むほど味わいが出てくる曲なのかもしれません。
ま、このイメージのしにくさが、
吹奏楽コンクールにおいては人気が今一つの理由なのかもしれませんよね・・・
事実、この曲が全国大会で演奏されたことは一度もありません。
惜しかったのは、
1986年に、この曲を元々初演した尼崎吹奏楽団が自由曲として演奏しているのに
関西大会でスカ金に終わり、全国で演奏されなかった事ですね・・・
関西大会の尼崎の演奏は、後日ブレーン社のカスタムテープで聴いたけど
やはり印象は「モヤモヤしてよく分からない・・・」という感じかな・・・??
1992年に高松市役所がこの曲を自由曲に選び、四国大会で全国大会代表となったのですけど
なぜか全国大会の出場は辞退していますから
この「巫女の詠えるうた」が全国大会で演奏される事はありませんでした・・・
うーーん、今にして思うとかなり勿体ない話・・・
私自身、この曲の生演奏は一度しか聴いたことがありません。
確か1992年頃だったと思いますが、関東大会B部門で聴いた韮崎高校の演奏くらいかな・・・・
この演奏、かなり面白くて
演奏技術はかなり低いのだけど、何か妙に聴くものに「何か」を訴えるものがあり、
「霧の湖の中に何か魔物が潜んでいる・・」みたいなイメージは何となく伝わってきました。
現在では大阪市音楽団による素晴らしい「大栗裕作品集」のCDが出ていますので
この曲の魅力もこの一枚だけでも十分に伝わっていると思います。


話は全然違うのですけど
どーも、ここ一年ほどは「巫女さん」というと
「ハピネスチャージプリキュア」のクイーンミラージュの前世でもある巫女さんを
色々と想像してしまいますね・・・・(苦笑・・)
ま、ミラージュは結局ブルー様に振られてしまい
そのショックのためか(?)闇堕ちしてしまい、現在は悪の組織の親玉になってしまっているのですけど、
何かこの方は、いつの日にか元の優しい姿に戻りそうな予感もありますね・・・
だけど、巫女時代の優しくふわっとした感じと
現在のクイーンミラージュとしての「極悪振り」のそのギャップが実にたまらないのですけど、
何でそこまで極端に変わってしまったのか、その理由と経緯が現段階では
今一つモヤモヤしているので、
そうした「モヤモヤ感」が
この「巫女の詠えるうた」にも繋がるようにも感じられ、何かこの曲の新しい魅力のようにも
感じられます。
というか、これはさすがに「こじつけ」なのかな・・・・(苦笑・・)
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