1988年というと大学を卒業し、社会人になった年でもあり
私にとっては忘れる事が出来ない一年です。
この一年は、今までの怠惰な学生生活から初めて「社会人」としてスタートをした年ですし、
企業人としての厳しさ、会社内の人間関係の難しさ、顧客とのお付き合いなど
見る事聞く事初めての経験ばかりでしたので、
この年は毎日毎日が何か「緊張」の毎日であり、
同時に毎日毎日が学習と勉強の日々であり、
一日一日が大変「重たい」ような印象がとてもあります。
だから何か知らないけど、この一年間の事ははっきり覚えているのですよね・・・
1988年当時は、銀行員としての社会人第一歩を切ったのですけど、
銀行業務って色々と専門的な事があり、色々と独自に勉強をしないといけない事もあり、
また札勘(紙幣の数え方)やATM故障時の機会の直し方など技術面でも学ぶことが多々あり、
ほーんとあの頃は毎日毎日がとてつもない「ストレス」の日々だったと思います・・・・
ま、だからこそあれから26年程度経過しているのに
あの新社会人の頃の記憶・印象って鮮明なのかもしれませんよね・・・
(ま、これまで何度か書いている通り、この銀行は2001年に破綻解散し、
今現在は影も形もありませんけどね・・・・)
記憶と言うか鮮明な印象度と言うと、
1984年に仙台から上京し初めて一人暮らしを始めた年も何か妙に記憶が鮮明なのですよね・・・
やはり人間と言うものは「初めて経験する事」の記憶の印象度は全然違うのかも
しれませんね。
事実、1989年以降自分が銀行業務に慣れてから以降の記憶と言うか、印象度は
1988年に比べると何か「希薄」なんですよね・・・・
1990年以降営業担当として甲府市異動以降の方が仕事としてははるかに大変で熾烈を極めた
のですけど、やはり後日の記憶としては1988年の方が印象度が強いというのも
何か自分自身妙なものを感じたりもします。
そうした中でのこの年の吹奏楽コンクール全国大会なのでした・・・・
この年は、大学・職場・一般の部が大宮・ソニックシティーで開催されたこともあり、
普門館での中学・高校の部と共に
この大宮での大会も聴くことが出来ました。
この年は、一般・大学・職場の三部門が一日で審査されていましたけど、
さすがに大変だという事で、1992年以降は、大学の部が日程から分離されていましたね。
だけど古い話なのですけど、
1977年~78年のように、大学・職場・一般の部は、
中学と高校の部が終わった後に、同日付け足しのようにひっそりと開催されていた時代もある事を
考えると、随分と扱いが良くなったような気もします・・・・(笑・・)
〇札幌市民交響吹奏楽団
D/歌劇「タンホイザー」より
札幌には当時この札幌市民交響と札幌吹奏楽団の二つの極めて優秀な吹奏楽団が存在していて
この二つのチームが当時の北海道の一般の部を牽引していたような印象もあります。
特に札幌吹奏楽団は、82年の「絵のような風景」と90年の「四季」の演奏が抜群に素晴らしく
印象的です。
一方、札幌市民交響の方は、正直札幌吹奏楽団と比べると
少し水準が下がるというか、
確かに人数も多く、サウンドも重厚な感じもするのですけど、
毎年どちらかというと「印象の薄い音楽」を展開していたような気もしますし、
「あれだけの人数とサウンドを持っていながら何かくすぷっている印象があり、
モヤモヤして勿体ない・・・」という感じも外部からは感じていたものです。
だけどそんな中、この年の札幌市民交響は全然違いましたね・・・・!!
正直言って今までの希薄な印象が嘘のように素晴らしい演奏を聴かせてくれました。
これって何が原因なのかな・・・と思ったのですけど
原因は一つです・・・
よくアマチュアの世界では、
「優秀な指揮者、優秀な奏者が一人加入しただけでサウンドが嘘みたいに変化することがある」と
言われる事もありますけど
札幌市民交響はその典型的事例だと思いました。
このチームのユーフォニウム奏者は、本当にプロ級の奏者が一名いて
この方が自由曲の「タンホイザー」の中間部にて、
ハープの伴奏に支えられて、約1分半程度朗々とソロを聴かせてくれて
(しかもバックの伴奏もほとんどなく、ハーブ程度・・・完全なソロの世界です・・・)
しかもこのソロが実に上手い!!!!
ユーフォニウム奏者のソロであんなに感銘を受けたのは後にも先にもこの時ぐらいなものです・・・
※厳密に言うと、1993年の乗寺泉の「ディオニソスの祭り」のユーフォニウム奏者も凄かったけど・・・
プログラム一番という事で、正直不安はありましたし、
冒頭が少し音が固かったので「大丈夫かな・・・」とも思ったものでしたけど
徐々に乗ってきて大変楽しい「カーニバルのマーチ」を聴かせてくれましたし、
(打楽器のウッドブロックの固い響きとリズムの悪さはマイナス点かな・・・・)
圧巻は「タンホイザー」でしたね。
ゆっくりとした序奏から開始され、ホルンの雄叫びの部分が実に粒が揃っていて良かったですし
響きも重厚感がよく出ていて素晴らしかったし、
それに続く盛り上がり部分も実に自然な謳わせ方で聴いていてとても気持ちが良かったです。
その後のユーフォニウムの長大なソロが抜群に良かったし
当日の「ソリスト賞」があるとすれば確実に受賞できたと思えるほどの素晴らしさでした。
その後の夢見るようなファンタジー感溢れる歌い方も良かったし
ラストのタンホイザー序曲のラストとほぼ同じような終わらせ方も実に秀逸で
これまでの札幌市民交響の「上手いけど何かモヤモヤ」している印象を完全に払拭する
素晴らしい演奏だったと思います。
私はこの演奏は当然金賞だと思っていましたけど、実際の審査結果は銀賞で
「えーー、まじかよ・・・コンチェルトエロイカと市川に金賞を与えるなら
こちらの方が技術的にも音楽の内容の面からも全然上なのに・・・と
当時感じたものです。
このユーフォ奏者は、1992年の「カルミナ=プラーナ」と94年の「カルメン」でも
素晴らしいソロを聴かせてくれています。
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