6/8に帰宅すると、テレビを何気なく廻してみるとEテレでネーメ=ヤルヴィ指揮のN響の演奏会の模様が
流れていました。
息子のパーヴォ=ヤルヴィの名声と評価が高まっていますけど、父親の方も健在ですね。
グリーグの交響曲なんて、いかにもネーメ=ヤルヴィらしい選曲ですけど、
この方が過去から現在において残した膨大な録音の中では、
特に同じエストニア出身の孤高の作曲家トゥービンの交響曲集が素晴らしいですね。
私はこのヤルヴィのBISレーベルから出ている「トゥービン交響曲集」のCDを聴いて、すごーくトゥービンに
興味を持ち聴き始め、特に交響曲第3番がすごーく気に入っています。
だけどこのトゥービンの曲は日本では全く演奏されないし、
是非機会があれば、ヤルヴィが来日の際は取り上げて欲しい曲の一つです。
ネーメ=ヤルヴィのレパートリーは極めて広く、
1999年に日本フィルを客演した際は、シベリウスの2番という十八番だけでなく
ベートーヴェンの「運命」とかも普通に演奏していましたし、
1995年の東京フィルとの客演時には、何とショパンのピアノ協奏曲第二番まで指揮していました・・・
この方が本場ドイツものとかショパンなんて曲を指揮しても全然合わないのかなとも思ったものですけど
どんな曲でも無難にこなしてしまう「職人」、悪く言えば「何でも屋」みたいな感じはしますけど
私は大好きな指揮者の一人です。
そういえばデトロイト響の指揮者を務めていた頃は、バーバー・ビーチみたいなアメリカの作曲家の作品も
積極的に録音していましたね。
でも私にとって、ネーメ=ヤルヴィというと「ショスタコーヴイッチ」と「シベリウス」なんですよね・・・
特に1980年代~90年代に残したスコットランド国立管弦楽団との間に録音した
ショスタコの交響曲は、シャンドスから現在でも販売されていますけど、
素晴らしい名演ですね!!
5番から10番までこの組み合わせで出ていますけど
出来ればこの組み合わせで全曲録音をして欲しかったですね・・・
ネーメ=ヤルヴィは、11番と12番はエーテボリ響と録音を残していますけど、
確か13番以降は録音はしていなかったような・・・
ま、もっともヤルヴィは、13番とか14番みたいなメッセージ色が強いものとか15番みたいな難解なものは
元々パスと言う感じかな・・・?
ネーメ=ヤルヴィのショスタコの7番と10番は特に素晴らしい演奏を残してくれましたけど、
8番も中々見事な演奏です。
というか、ショスタコーヴイッチの交響曲第8番は、あまり知名度も演奏頻度も高くないのが
少し残念な感じもします。
よく音楽評論家の先生方が「ショスタコとマーラーの類似性」について述べられている人がいますけど、
実はマーラーの影響が一番濃厚と思われるのが
実はこの第8番ではないかと思う時もあります。
この曲は、稀にショスタコの「戦争三部作」と言われることもあり、
7番「レニングラード」はドイツ軍包囲下での戦況を描き、9番は、大戦勝利の讃歌という事で
発表されています。
(ま、9番は祖国とか戦争勝利というものを茶化したようにも感じられる軽い作品で、その事が
後にジダーノフ批判という事件の一因にもなりましたけど・・・)
その間に挟まれた交響曲第8番は、戦争中の作品です。
ゆえに、大変重苦しく「閉塞感」が至る所に伝わる作品です。
全体では60分程度の作品なのですけど、第一楽章だけで30分程度を占め、
バランスと言う点では非常に収まりが悪い感じもします。
第一楽章も重苦しく開始され、途中の盛り上がるアレグロを経て最後は再度重苦しいアダージョで
終わります。
第二・第三楽章は短いのですけど
非常に盛り上がり、特に第三楽章のオケの「大咆哮」はすさまじいものがあります。
その金管セクションの鳴りっぷりはマジで半端ないと思います。
そして第四楽章の思弁的なゆったりとした部分を経て
第五楽章に突入し、ここでは多少幸せな感じとかうきうきした雰囲気も多少は感じられるのですけど
最後は、静かにゆったりと閉じられます。
この交響曲第8番は、全体を通して聴いてみると
「戦争はまだまだ終わっていない、今後もどうなるか分からない・・・
本当に祖国が勝利するのか、ドイツ軍を撃退できるのか全然予想できない・・・
しかし、祖国が勝利を収めても戦後待っているのは、祖国勝利に調子こいたスターリンの更なる独裁と暴走・・
果たして自分達の幸せはどこにあるのだ・・・」という
当時のソ連国民が漠然と感じていた「不安」を歌い上げているようにも
聴こえます・・・
全体的な雰囲気としては、オケが大絶叫し大音量の嵐となる中間部の印象と
第五楽章の喜ばしい雰囲気があるので
「陰鬱」という感じはしません。
だけど第五楽章の静かなつぶやくように終わる感じが
いかにも「まだまだ自分達の苦労は続く・・・」みたいな現実を嫌でも反映しているように
聴こえてしまいます。
この部分からは、何となくですけど
「現在もこれからも大変な日々が続く。自分たちに幸せと言う感覚は永遠にやってこないかも
しれない・・・
だけどそれでも自分たちは後ろを向いてでも生きていかないといけない・・・」みたいな
メッセージをなぜか感じてしまいます・・・
だけどこういう曲は確かに戦時中という時代背景が無いと中々書けない曲なのかもしれませんね・・・
この曲は一度だけ生で聴いたことがあります。
1997年の飯森範親指揮/東京交響楽団でしたけど、
この演奏は自分がこの曲に対して感じていたイメージをそのまま音にして貰ったような感じもあり
すごく素晴らしい演奏でした。
ラストの第五楽章の「それでも自分たちは生きていく・・」みたいなメッセージも
十分に伝わってきました。
この曲の前半の曲は、シュニトケの「ピアノと管弦楽のための協奏曲」も
訳が分からない「混沌」とした感じがしていて、面白かったですけど
ピアニストが小山実稚恵さんでしたけど、
この方がこうした現代系の曲に挑むのも珍しいので印象に残っています。
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