fc2ブログ

プロフィール

ぬくぬく先生 

Author:ぬくぬく先生 
開設当時は、1980年代吹奏楽コンクールの花輪・秋田南・就実・仁賀保・屋代等の素晴らしい演奏を後世に少しでも伝える事が出来ればいいなと思ってこのブログを始めたのですけど、いつのまにか「東方Project」がメインになってしまいました・・・
最近は「艦これ」も大好きです!!
吹奏楽も東方も自分が感じた事を少しでも後世の方に受け継がれるべきものが残せればいいかな・・と思っています。
ちなみに、「大好きプリキュア四天王」は、ドリーム・メロディ・ハッピー・ラブリーです。
ドリームとメロディは自分の中では既に殿堂入り状態ですけど、
現在はラブリー大好き!!のラブリー一辺倒です!!
リアル社会では、建築関係のクレーム&アフター責任者を専従し、毎日毎日クレーム対応に当たる日々です。
裏の顔は東方と吹奏楽とクラシック音楽一辺倒です・・・
特に特に大好きな作品は・・・プリキュア5とスイートとハピネスチャージです!!
ちなみに、奥様は・・・ミルキィローズとセーラームーン好きの管理人以上のおこちゃまです・・・
東方で大好きなキャラは、とにかく大好きキャラがてんこ盛りで、全員大好き!という感じなのですけど、特に、さとり様・ゆかりん(紫様)・早苗さん・こいしちゃん・アリスはお気に入りです!!
吹奏楽では・・ネリベルの「二つの交響的断章」と「アンティフォナーレ」、スパークの「ドラゴンの年」、リードの「オセロ」と第二組曲「ラティーノ・メキシカーナ」、パーシケッティーの「仮面舞踏会」、C・スミスの「ダンス・フォラトゥーラ」などが死ぬほど好きで、クラシック音楽では、ウォルトンの交響曲第1番と矢代秋雄の交響曲、プロコフィエフの交響曲第5番、アーノルドの交響曲第2番、第4番、ショスタコの交響曲第7番「レニングラード」、マーラーの交響曲第3番「夏の朝の夢」、ハンソンの交響曲第2番「ロマンティック」、ストラヴィンスキーの「火の鳥」、ベルクの「ヴァイオリン協奏曲」、ラフマニノフの「交響的舞曲」などが大好きです!!
クラシック音楽を吹奏楽にアレンジし、そのコンクールヴァージョンの演奏としては・・・
1982年の就実高校の「幻想舞曲集」と
1987年の習志野高校の「ダフニスとクロエ」第二組曲の演奏、そして、
1987年の雄新中の「エルザの大聖堂への厳かな行列」が
まさに私の「原点」です。
最後に・・・
私の吹奏楽との関わりの真の意味での「原点」は・・・
1979年の市立川口高校の神がかり名演としか言いようがない
「二つの交響的断章」に尽きると思います!!


アクセスランキング

[ジャンルランキング]
日記
30位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
会社員・OL
7位
アクセスランキングを見る>>

最新記事


最新コメント


最新トラックバック


月別アーカイブ


カテゴリ


カレンダー

06 | 2023/07 | 08
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -

検索フォーム


A.コープランドと言うアメリカの作曲家は、日本では知名度は今一つなのかもしれないです。
1900年に生まれて1990年にご逝去されましたので20世紀を目一杯駆け抜けた作曲家と言えるのかもしれないです。

実はコープランドは、日本とも結構深い関係にあり、
武満徹の音楽をアメリカ本土で紹介したり、武満徹の「地平線のドーリア」という曲の世界初演の指揮を振ったり
来日した際には、日本の管弦楽団にてシューベルトの未完成の指揮を振ったりとかなりの貢献をされている御方だと思います。
日本の吹奏楽コンクールにおいては「エル・サロン・メヒコ」とバレエ音楽「ロデオ」が今現在でもよく自由曲として
演奏されています。

コープランドの音楽は、カウボーイがインディアンを追いかけまわすみたいな西部劇のBGMになりそうな
軽い感じの音楽が多いようにも感じますし、軽薄すぎて胡散臭く感じることもあったりもします。
時にアメリカ商業主義に毒された胡散臭い作曲家のような側面も感じなくはないのですけど、
反面、晩年は無調音楽にも手を付けたり、難渋な作品を晩年近くに書いたりもしていますし、
バレエ音楽「アパラチアの春」のように神への祈りに通ずる清純な音楽を作曲されていたりもします。
アメリカというと、移民の国であらゆる価値観・文化・思想を拒絶することなく取り入れ
自分たちの文化として融合していった歴史がありますけど、コープランドの音楽にもそうした多様性が十分に感じられます。
そうした多様性の複合国家アメリカの象徴的存在の作曲家と言えるのかもしれないですし、そのあたりが
インチキ商業国家・アメリカの傲慢さ・胡散臭さをどこか代弁しているような作曲家にも感じられるのかもしれないですね。
コープランドが亡くなった年にバーンスタインも亡くなっていますけど、
コープランドの曲をよくレコード化していたバーンスタインにとっても盟友の友という感じだったのかもしれません。

コープランドの作品は、圧倒的に三大バレエ音楽が有名です。

〇ロデオ

〇ビリー・ザ・キッド

〇アパラチアの春

この中では、「ビリー・ザ・キッド」の銃撃戦とビリー逮捕の祝賀会という場面は目をつぶって聴いていると、
小太鼓と金管楽器で「ダダダダダダダ」と表現されている破裂音が、かなり実音に近い
ガンバトルを再現していて非常に面白いです。
「アパラチアの春」は逆に曲の中でほとんどffがない静かな内省的な曲なのですけど、
この曲の唯一の盛り上がりの部分「クエーカー教徒の讃美歌の主題による変奏曲」の部分の美しさと透明感は、
生で聴いても思わずハッと息を飲むほどの美しさがあります。

吹奏楽経験者にとっては、コープランドと言うとロデオやエル・サロン・メヒコ以外の作品では「戸外のための序曲」という作品を
思い浮かばれる方も多いのかもしれないです。
ちなみにこの曲は「野外序曲」と表記されることもありますし、元々は管弦楽曲として作曲されていましたけど、
コープランド自身によって後年吹奏楽アレンジ版として編曲された経緯があります。
日本においては、この曲は吹奏楽曲としてのイメージが強いのかもしれないですね。
戸外のための序曲は、序盤でトランペットの相当長いソロがありますけど、あの朗々と歌い上げられる長大なメロディーには
いつ聴いてもうっとりとさせられるものがあると思います。

私がこの曲を初めて聴いたのは、 1982年の全日本吹奏楽コンクール・東北大会、高校B部門の
岩手県代表・盛岡一高の演奏でした!
演奏が大変素晴らしく、底抜けに明るいこの曲を溌剌と演奏していましたし、
序盤のトランペットのソロもほぼノーミスで吹きこなしたトランペット奏者に大変感銘を受けたものです。
この曲は、1988年の全国大会・職場の部にてNEC玉川も自由曲として演奏していましたけど、残念ながらこの演奏の
感銘度は私にとってはかなり低いものでした・・

「戸外のための序曲」は8分程度で短いのですが、ファンファーレみたいな強奏で開始され、
トランペットの長いソロが延々と続きます。
展開部を経て一旦静まり、中間部でトランペットのソロの部分を全体で再現しラストで再び盛り上がり華麗に曲が閉じられます。

最近の吹奏楽作品の派手な色彩に比べると確かに地味に感じるかもしれません。
だけど、人の心にストレートに「楽しさ」・「躍動感」を素直に感じさせる曲と言うのは最近は少ないのかもしれませんし、
こういう「シンプル イズ ベスト」を立証した作品が最近ではあまり演奏されない事は少し寂しい感じはします。

この曲の吹奏楽コンクールでのベスト演奏をあげると1979年の玉川学園に尽きると思います!
玉川学園は、この年の前年までは、ドビュッシー・ラヴェル・古典主義時代のストラヴィンスキーなど
どちらかというと繊細な曲を得意としていましたが、 この年から、いきなり路線変更を展開し、
これまでのおとなしい感じの演奏から一転してワイルドな感じに変容しています。
そしてこのワイルド路線は、翌年のリードのアルメニアンダンスパートⅡで
更に進化を遂げ、歴史的名演(爆演?)を残すことになります。

1979年の玉川学園で一つ面白かったのは、大太鼓は普通のバスドラムを使用せずに
マーチングバンドみたいな、比較的小さく皮が透明な感じのものを使用し、
重厚感を回避させていたような意図が感じられる点が挙げられると思います。
演奏自体もコープランドの野性味と玉川学園の都会的で垢抜けたサウンドが絶妙にマッチしていて、大変素晴らしい名演を
後世の私たちに残してくれていたと思います。

玉川学園高等部というと、この翌年に5年連続金賞を達成した当時の名門チームです。
このチームは一般的には、フランス音楽みたいな印象派の音楽を得意とし
特に1976年のドビュッシーの「三つの夜想曲」が特に名演として高い評価を受けていますが、
私自身の感想・印象としては、印象派・新古典主義の抽象的な音楽よりも、1979年のコープランドや
翌年のアルメニアンダンスパートⅡのように、都会の明るく洗練された響き・元気溢れる演奏の方が本領を発揮したと思います!
1979年の前年の「かるた遊び」は、あまりにも抽象的で何を言いたいのかよく分からないうちに
終わってしまった演奏よりは、むしろ1974年の組曲「惑星」~木星のようにサウンドに威勢がある方が
魅力的に聴こえるような印象があります。
1979年の「戸外の序曲」は、一言で述べると、実にカラッとした演奏で、
雲一つない青空の下で、天真爛漫に気持ちよく吹いたという印象があり、実に伸び伸びとしています。
前年までのどこか「去勢されたような演奏」・「指揮者に言われた通り吹く優等生みたいな演奏」とは
明らかにサウンドが異なっているように感じられます。

翌年の1980年の玉川学園は、「アルメニアンダンスパートⅡ~ロリの歌」をなんとノーカットで一気に駆け抜け、
圧倒的勢いでもって「5年連続全国大会金賞」を達成しますけど、あの輝かしいサウンドとスピード感は、
この曲の演奏としては最高クラスの歴史的名演だと思います!

話を「戸外の序曲」に戻しますと、プロの演奏では、フェネル指揮/東京佼成も素晴らしいと思うのですけど、
ハンスバーガー指揮/イーストマンのライブ演奏の圧倒的ドライブ感を聴いてしまうと他の演奏が皆物足りなく感じてしまいます。
バーンスタインが1986年のタングルウッド音楽祭における野外ライブ演奏も素晴らしかったですね~♪
これは当時FMで聴いたものでしたが、演奏がライブ演奏という事で、
録音されたものではなく、CD化もされていないようですので、今となっては幻の演奏になっています。
ただ漠然と私の記憶の中で生きているのですけど、 いかにもバーンスタインのライブ演奏らしい躍動感あふれる名演でした。
残念ながら未CD化ですけど、あの演奏がCD化されたらとてつもなくテンションが上がりそうです。

40785ba7-s_convert_20180724125422.jpg

「響け! ユーフォニアム」第一期と第二期のトランペットパートから、香織先輩・優子・麗奈

鮗怜・・convert_20190325164508

高坂麗奈

コープランドの「戸外のための序曲」というとやはり序盤のトランペットのソロが大変印象的ですけど、
トランペットというと真っ先!に思い浮かぶキャラというと「響け! ユーフォニアム」の
一年生トランペット奏者の高坂麗奈に尽きると思います!

当ブログでもアニメ「響け! ユーフォニアム」の第一期が放映された2015年と第二期が放映されていた2016年においても
この麗奈は頻繁に登場していました。
「響け! ユーフォニアム」の主人公はユーフォニアムパートの久美子なのだとは思うのですけど、
特に第一期においては最終回とその一つ前の回以外では「主人公なのに影がうすいキャラ・・」と当ブログでも散々揶揄されて
いた久美子に対して、第一期の真の主役は誰がなんといっても高坂麗奈だと思いますし、
私自身「響け! ユーフォニアム」の中で圧倒的に大好きなキャラは麗奈です。

高坂麗奈というと原作者の設定によると、
艶のある長い黒髪とこぼれ落ちんばかりの大きな瞳が目を引く自信にあふれた美しい容姿の少女とされていて、
アニメ版としても、容姿端麗・頭脳明晰な黒髪の美少女で、そのクールな印象とは裏腹に胸の内ではトランペットに対して
熱い想いを抱いていて一見して他を寄せ付けぬような雰囲気を放つというのが基本設定になっています。
原作のライトノベルを読んで頂けると分かる通り、麗奈の基本パーソナリティとして、
周囲と同じであることを良しとせず、「特別な存在になりたい」と願うストイックな性格の持ち主で、
当初は他人との間に距離を取り、特定の誰かと一緒にいることを嫌う「孤高の存在」でもあるのが大きな特徴なのだと
思います。
麗奈の不屈の精神やトランペットに対するプライドは半端ではない強さであり、
いかなる周囲の状況も我関せずといった具合で周囲から孤立しようがお構いなしで、孤高の存在と言えそうです。

第一期においては自由曲の「三日月の舞」で登場するトランペットのソロを巡って、3年生の香織先輩と
部員全員を巻き込むあのギスギスのオーディションをやってでも
「私が一番だし、私は絶対に他の人には負けたくないし、私は特別な存在である」という事を立証するために
そのオーディションを勝ち抜き、結果的に関西大会と全国大会でも立派にソロを務めあげていました!
それにしてもあのオーディションに際しても、言いがかりを付ける2年生の優子に対しても
「だったら何だっていうの? 滝先生を侮辱するのはやめてください。なぜ私が選ばれたか、そんなのわかってるでしょ? 
香織先輩より、私の方が上手いからです!」と毅然として言ってのけ
優子が「アンタねえ! 香織先輩がどれだけ気を遣ったと思ってるのよ!?」と詰め寄っても麗奈は
「ケチつけるなら、私より上手くなってからにしてください」と 優子をはじめ周りの部員に対して決然と言い放っていた光景は
確かにとんでもないギスギス場面なのだけど、「響け! ユーフォニアム」屈指の名場面の一つだったと思います!
スポンサーサイト



tenn.jpg

マーラーの交響曲第7番「夜の歌」でお馴染みのテノールホルン

繝エ繧。繝シ繧ー繝翫・_convert_20140804202505

ワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」・ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」などで効果的に使用される
ワーグナーチューバ

2021年7月26日の当ブログの記事が「ユーフォニアム・テノールホルン・バリトンの違い」に関するものでしたけど、
本記事はその補足記事みたいなものでして、今回はテノールホルンに見た目が大変よく似ているけど、その音色は
全然異なる「ワーグナーチューバ」について簡単に取り上げさせて頂きたいと思います。

テノールホルンとワーグナーチューバは外見上は大変よく似ていると思います。

ワーグナーチューバとテノールホルンとの違いは、ベルの向きが左右逆であり、換言すると管の巻きが逆である事と、
テノールホルンはトロンボーンのマウスピースを使用するのに対して、ワーグナーチューバはホルンのマウスピースを使用して
吹く事が挙げられると思います。
そして共通点はどちらの楽器も超マイナー楽器であり、管弦楽作品として使用される事は極まれであるという事と
いえそうです。

テノールホルンはロータリー・バルブを備えていて、ユーフォニアムよりもやや管の形状は細く、見た目的には前述の通り
ユーフォニアムというよりはワーグナーチューバに似ていると思われます。
もともとはトランペット型でテノール音域の楽器でしたけど、次第にトランペット型から卵形やチューバ型に移行したよう
ですが、この楽器がオーケストラや吹奏楽団で使用される事例は極めてまれです。
そしてその極めて稀な事例がマーラーの交響曲第7番「夜の歌」~第一楽章ですけど、私が実際に聴いた演奏会の中には、
テノールホルンを使用せずユーフォニアムで代用していたケースもありました。
ちなみにですけど、プロの管弦楽団がマーラーの7番を演奏する場合、ユーフォニアムで代用されるケースもありますし、
トロンボーン奏者がテノールホルンを持ち替えする場合もあります。
どうしてトロンボーン奏者なのかというと、上記で書いた通りテノールホルンにはトロンボーンのマウスピースを使用するので、
指遣いさえわかればトロンボーン奏者でも演奏可能なそうです。
日本の大作曲家、柴田南雄先生は、その「グスタフ・マーラー」という著作の中で、テノールホルンの音色について
「容易にプカプカと音が出てしまう楽器、上品さと深みに欠ける」みたいな事を述べられていましたけど、確かにあの音は
吹奏楽のユーフォニアムに極めて近くて柴田先生ではないですけど確かに安っぽい響きは感じられそうです。

アメリカのマーチ王のスーザが開発・考案した金管低音楽器がスーザフォンなのですけど、
それと同様に作曲家が開発・考案した金管低音楽器が「ワーグナーチューバ」という楽器です。
ワーグナーは自作の楽劇だけを専用に演奏する劇場をバイロイトに建設し、そのこけら落しの作品として
自作の「ニーベルングの指環」四部作の作曲を急いでもいました。
その際にニーベルングの指環という北欧神話に基づく総合芸術としての楽劇が従来の歌劇とは違う事を聴衆に
印象付けるために「今までとは異なる重厚な低音の音色が欲しい」という動機で開発されたのが
ワーグナーチューバという楽器です。
テノールホルンもワーグナーチューバも楽器の構造が似ているという事もあり、音色もなんとなく近いようにも聴こえますけど、
テノールホルンは甲高い高音を軽いノリで吹いているという印象があるのに対して、ワーグナーチューバは
なんとなくですけど地の底から湧き上がるような少しミステリアスで不気味な雰囲気を感じたりもします。音色自体は
ワーグナーチューバは少なくてもテノールホルンよりは低音ボイスという感じです。

もう少し歴史的な流れでワーグナーチューバを見てみると、
バイロイト祝祭劇場の構造が管弦楽をすっぽりと舞台下に収められるスタイルになっていましたので、
この劇場のこけら落としとしてお披露目される楽劇の新楽器の音色としてワーグナーは、
湧き上がるような荘厳と壮大な響きとしては「一種の混合楽器がいいのではないか」と考え、その結果考案されたのが
ホルンと同系のマウスピースを持ち、ホルンとチューバの中間とも言える形状をし、縦に長い楕円形の形状で
3つまたは5つのロータリー式バルブを備えた金管楽器ともいえるワーグナーチューバだったのでした。
見た目はチューバまたはユーフォニアムとよく似ていますけど、演奏自体はホルン奏者が掛け持ちする事が多いです。
音色はまるくて柔らかい響きのホルンと鋭く力強く響くトロンボーンの中間という感じもあり、両楽器の音色の特色を
一つの楽器で発揮しているという感じもあります。
全体的には前述のとおり少し不気味でミステリアスな音色という印象もあります。
音程が少し不安定という欠点もあり、ホルンの場合音程や音色の微調整はベル部分に入れた手や指先でなんとか
なったりもするのですけど、ワーグナーチューバはそうした事ができないので、楽器としては少し扱いにくい楽器という
感じでもありそうです。
またホルン奏者が掛け持ちして吹く事が多いため、ホルン奏者がワーグナーチューバを吹く時には
「ホルンを吹いている時とどこか感触が違う・・」と違和感を感じがちというのも考えてみれば当たり前の話といえそうです。
私自身、まれにクラリネットとバスクラを一つの曲で掛け持ちで吹いた事もありましたけど、クラリネットからバスクラに
持ち替えた時は「あれ・・なんかいつもと全然感覚が違う・・」とやはり違和感は常に感じていたものです。

ワーグナーチューバの威力と効果は楽劇「ニーベルングの指環」四部作で堪能することが出来ますが、
残念ながらこの楽器そのものはオーケストラの楽器として定着する事はありませんでした。
但し、ワーグナーを崇拝していたブルックナーは交響曲第7~9番でこのワーグナーチューバを使用していますし、
後世でも、R.シュトラウス・ストラヴィンスキー・バルトークなどが使用しています。
バルトークにおいては「中国の不思議な役人」でも使用されていますし、
ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」~長老の行列の部分でもすさまじい威力を発揮しています。

この「春の祭典」ですけど、私自身この20世紀の不滅の名曲にして問題作のこの素晴らしい楽曲に初めて触れたのも
1977年の秋田南高校の吹奏楽コンクールの歴史的名演によるものというのも実に私らしい話ですけど、
あの秋田南の名演を聴いて「このストラヴィンスキーの春の祭典って原曲はどんな感じなのだろう・・?」と興味を持ち、
私自身が初めて管弦楽曲として聴いたレコードは、ドラティ指揮のデトロイト交響楽団の超名盤でした。
春の祭典はその後、ブーレーズ指揮のクリーブランド管弦楽団やコリン・ディヴィス指揮といった名盤も耳にしましたけど、
個人的には春の祭典の一番の名盤はやはりドラティ指揮が最高かな・・?と思ったりもします。

そしてバレエ音楽「春の祭典」を初めてプロの管弦楽団による生演奏を聴いたのは、関東に移り住み確か東京文化会館で
聴いた都響の定期演奏会だったと思います。
(春の祭典は後半のプログラムでしたけど、前半で演奏された楽曲や指揮者は全然記憶にないです・・)
そして「春の祭典」を生演奏で初めて聴いた時はカルチャーショック以外の何物でもなくて
「この世にはこんなにも過激な名曲があったりするものだ・・」と感動したのははっきりと覚えています。
この曲はレコードで聴いた際には全然気が付かなかったことが多々あり、それこそが生演奏のライブとしての醍醐味なのかも
しれないです。
例えばですけど、この春の祭典は管楽器奏者の持ち替えが頻繁に行われているとか
(例/クラリネットはバスクラリネットと持ち替え、ファゴットはコントラファゴットに持ち替え、オーボエはコーラアングレに持ち替え)
使用されている打楽器は聴いた感じのリズムの激しさにしては種類としては意外と少なめで、
ティンパニ・大太鼓・ドラ・シンバル・タンバリン・トライアングル・ギロ程度に留まっているけど、ティンパニ奏者は
実は2人必要とか、レコードで聴いた時に感じた「あのティンパニの高音はありえない」という疑問は、実はティンパニの一台は
ピッコロティンパニを使用していたとか
ホルン奏者は全部で8人必要だけど、首席奏者は全ての箇所を吹いている訳ではなくて、春の祭典はあまりにもホルンの
負担が大きいということで部分的に首席奏者は休ませていて、ここぞ!という時をメインに首席奏者が吹き、
その分をエキストラ奏者が補っているとか、いろいろとレコードではわからない発見もあったものでした。

だけどあの日の最大の発見は、第一部/大地礼讃の第六曲の「長老の行列」という箇所の中で、ホルン奏者2名が
唐突に楽器をホルンからなにやら見た目には吹奏楽ではお馴染みのユーフォニアムらしき楽器に持ち替えたのに
気が付いたことであり、あの時は「えーー、あの個所の野太いミステリアスな音色はチューバではなくてホルン奏者が
持ち替えたユーフォニアムだったの~!?」と誤解をしていたものでした。
だけどどう聴いてもあの音色は安っぽい??ユーフォニアムの響きではありませんでしたし、楽器もユーフォとは微妙に
異なるものだし「あれれ・・あの個所で使用していた楽器はなんだったのかな・・?」というのが演奏終了まで
実は頭を離れませんでした。
今現在だったらその場でスマホからネット検索し、春の祭典・長老の行列・楽器・ホルンが持ち替えといったワードで
検索を掛ければ即効であの楽器はワーグナーチューバという正解に辿り着けると思うのですけど、
当時はスマホもガラケーもパソコンすら何も無い時代でしたので、翌日市立図書館で調べてみても正解に辿り着けず
翌々日に東京文化会館の音楽資料室にて全てがようやく判明した・・という事になったのでした。
こういうところにも「時代の変化」というものは感じますよね・・

ただそれにしても最初に春の祭典を生演奏で聴いた時の衝撃度は相当なものがありましたし、特に全体を貫く
あの驚くべき精緻なリズムの叩きつけとソロ楽器としての管楽器の使い方の巧みさにも感銘を受けましたけど、
それよりもなによりもホルン奏者2名が演奏途中に突然ユーフォニアムらしき楽器(正解はワーグナーチューバ)に
持ち替え地底から響くようなミステリアスな響きを朗々と奏でていた事のインパクトはあまりにも大きかったです。

_convert_20191029175707.png

mukai_convert_20210704025513.jpg

30人の美少女たちが大活躍する
ららマジ器楽部において、「ワーグナーチューバ」という知る人ぞ知るマイナー楽器を奏でる美少女も登場しています~♪

それが向井春香という高校2年のJKさんでして、のんびりした性格の先輩で「なのです。」という
まるで艦これに出てくる暁型四番艦の電という駆逐艦娘みたいな語尾で話すのがなんともとてもかわいいです~♪
かわいくて童顔でホワホワした雰囲気に反してスタイルは良く、かなり胸が大きいというギャップもすてきですね~
そして向井春香のツーサイドアップの髪型もとってもかわいくてキュートだと思います。

最近の吹奏楽少女の間で人気が以前よりは出てきたユーフォニアムではなくて「ワーグナーチューバ」を担当する
というそのマニアックさもたまらないです~♪

向井春香のワーグナーチューバによるミステリアスな音色によるバレエ音楽「春の祭典」第一部~長老の行列も
是非聴いてみたいです!

-繝帙Ν繝ウ_convert_20191029175811

召喚カードにおける 向井春香が手にしている楽器はワーグナーチューバではなくて普通のホルンですけど、
上記で触れた通り、一般的にプロの管弦楽団の演奏会において、ワーグナーチューバが出てくるときはホルン奏者が
掛け持ちする事が多いので、向井春香がホルンを吹いているのもある意味妥当なのだと思います。

ららマジは特殊楽器が多いのですけど、まさかワーグナーチューバという超マイナー楽器が登場してくるとは
その意外性もまたすてきですね~♪
クラシック音楽の世界で楽曲のタイトルで国名が出てくる作品の中で最も多そうなのが「スペイン」といえそうです。
(イタリアも多いと思います)
スペインやイタリアは南欧諸国ということで暖かい日差しに夏の光線や海や情熱の発散に陽気な国民性など、
ドイツやイギリスといった真面目な?国民性の諸国やロシアや北欧諸国の寒い国からの視点で見ると開放的な風土や国民性
というものは大いに魅力に感じそうですし、作品を書く上では大いなるインスプレーションを与えそうなのかもしれないです。
スペインというタイトルがついた管弦楽作品というと例えば、ラヴェルのスペイン狂詩曲、シャブリエの狂詩曲「スペイン」、
リムスキーコルサコフのスペイン奇想曲、ラロのスペイン交響曲、アルベニスのスペイン組曲、
ファリアの交響的印象「スペインの夜の庭」などが挙げられますし、
スペインとポルトガルを含めたイベリアという観点では、ドビュッシーの管弦楽のための映像(第三集)~Ⅱ.イベリア、
アルベニスの組曲「イベリア」などがあるかとは思います。
ラヴェルのスペイン狂詩曲とシャブリエの狂詩曲「スペイン」ですけど、タイトルは大変良く似ていますが、
タイトル的には狂詩曲が後に来るか前に来るかだけの違いで、特段形式的な違いはありません。稀にですけど、
演奏会のプログラムの表記や吹奏楽コンクールのプログラム表記でもシャブリエの狂詩曲「スペイン」はスペイン狂詩曲と
表記される事もあったりします。

ラヴェルのスペイン狂詩曲はシャブリエの狂詩曲「スペイン」は表記こそ似ているものの楽曲の雰囲気も世界観も
全然違うように感じられたりもします。
シャブリエの狂詩曲「スペイン」の方は、作曲者のスペイン旅行の印象を見たまま聴いたままストレートにそのまま音に
したような直線的な印象があるのに対して
(シャブリエの狂詩曲「スペイン」は特に中間部の粋なトロンボーンソロが大変ユニークで面白いです!)
ラヴェルのスペイン狂詩曲は直接見聞きした印象ではなくて、一種の心理描写曲というのか「私はその風景を見て
そのように感じた」という心のモノローグを音にしたという印象の方が強く、
シャブリエの狂詩曲「スペイン」は客観的な描写曲であるのに対して、ラヴェルのスペイン狂詩曲は主観的な感性の曲というのが
両曲の大きな違いといえそうです。

ラヴェルはよくオーケストラの魔術師とか管弦楽法の天才とか言われますけど、実は意外かもしれませんけど、
構想段階から純粋に、最初から演奏会用管弦楽曲として作曲された作品は実はこの「スペイン狂詩曲」だけです。
ラヴェルの管弦楽曲は、ほとんどはバレエ音楽としてのものかピアノ曲を管弦楽にアレンジしたものばかりなのです。
ちなみにボレロや舞踏詩「ラ・ヴァルス」は元々はバレエ音楽として構想されたものです。

ラヴェルのスペイン狂詩曲を最初に聴いたのは確か高校生の頃あたりだったと記憶していますけど、当時はⅣの祭りの
情熱とけだるさと対極がとても面白く感じたものでしたし、Ⅳの中間部のいかにもだるそうなコールアングレの朗々としたソロに
とてつもない魅力を感じたものでした。
この曲は何と言ってもあのかったるいだるさが私的にはとても大好きな所です。
吹奏楽コンクールでもこの曲は既に1970年代から出雲一中などが取り上げていて、一時期著作権の問題で演奏できない事も
ありましたけど、1989年に常総学院による超歴史的名演によりこの曲の魅力が再度ブレイクしたように感じられます。

この「スペイン狂詩曲」は下記の四曲から構成されています。

Ⅰ.夜への前奏曲

Ⅱ.マラゲーニャ

Ⅲ.ハパネラ

Ⅳ.祭り

ⅠとⅢがけだるくてだるい感じで、いかにも夏の午後のポケッとしたかったるさが全面に出されているように感じられます。
Ⅱもだるい音楽ですけど、曲が終始細かくめまぐるしく変化している感じもあり、その変化が面白いです。
Ⅳは、唯一、エネルギッシュな感じもするのですけど、Ⅳの中間部のあのコールアングレの長いソロはだるさの象徴と
言えそうです。
あのコールアングレのソロは、とにかくエキゾチックで同時にひたすら眠気を誘う音楽で実に魅力的なメロディーだと思います。
Ⅳのシロフォーン・タンバリン・カスタネットのあの響きはまさにスペインなのだと思います。

「祭り」というと、吹奏楽コンクールに毒された(?)私は、どうしてもレスピーギの交響詩「ローマの祭り」~Ⅳ.主顕祭みたいな
ドッカーーンみたいなものをついつい連想してしまいますけど例えば、ラヴェルとかドビュッシーの「祭り」となると、
表現方法は全然異なって聴こえます。
レスピーギは関西弁で言うと「まさにそのまんまやねん・・」みたいなストレートな描写であるのに対して。
ラヴェルの場合は、ラヴェルが心の中で祭りに対して感じたイメージを音楽にしたものといえそうでして、
必然的に音楽自体もかなり漠然としたイメージになってしまうようにも感じられます。
ドビュッシーの場合は、例えば、管弦楽のための映像(第3集)~Ⅱ.イベリアや三つの夜想曲~Ⅱ.祭りのように
何となくモデルとした場所が分かるような気もする具体的な感じもあったりします。
それに対してラヴェルのスペイン狂詩曲の祭りは、全体がとてもモヤモヤして聴こえますけど、ドビュッシーの祭りは何となく
具体的なイメージが可能のようにも聴こえたりもします。
それがラヴェルとドビュッシーの同じ「祭り」という素材を使用しながらも違いなのかもしれないです。
ドビュッシーの夜想曲~祭りは、
トランペットのミュートを付けた部分は、遠くから祭りのお囃子が聴こえてくるという感じであり、
トランペットのミュートを外し小太鼓が加わると、近くでお祭りの屋台のざわめきが聞こえるみたいな感覚も私の中では
あったりもしますけど、どちらにしてもラヴェルよりは少しだけイメージがしやすいという感覚もあったりします。





ラヴェルのスペイン狂詩曲のCDとしては、断然、ブーレーズ指揮/クリーヴランド管弦楽団がいいなと思います。

この曲のアレンジ版としては吹奏楽コンクールで言うと、前述のとおり1989年の常総学院のあの素晴らしい名演に
尽きそうですけど、他にも1993年の習志野高校の演奏や2002年の天理高校の演奏も素晴らしい演奏でした。

面白いアレンジとしてはピアノ+打楽器版の演奏があります。

ザードロという打楽器奏者がアレンジし、ピアノがアルゲリッチの演奏なのですけど、すごく斬新で面白いと思います。
音がむき出し状態なのだけど、その分この曲の狂気とかエネルギーが垣間見えるような気もしますね~♪

 | BLOG TOP |