後世に伝えたい吹奏楽オリジナル作品を挙げなさいと言われたとしたら、たとえばですけど、
ホルストの第一組曲、リードのオセロ・ハムレットへの音楽・エルサレム讃歌、ジェイガーのシンフォニアノビリシマや第三組曲、
ネリベルの二つの交響的断章・アンティフオナーレ、フサのプラハのための音楽1968・この地球を神と崇める、
チャンスの呪文と踊りや朝鮮民謡の主題による変奏曲、マクベスのマスク、スミスのフェスティヴァルヴァリエーションに
ダンスフォラトゥーラ、保科洋の風紋や復興、兼田敏のパッサカリア、パーシケッティーの交響曲第6番に仮面舞踏会、
バーンズのアルヴァマー序曲に呪文とトッカータに交響曲第3番、エリクソンの序曲「祝典」、スウェアリンジェンのインヴィクタ、
スパークのドラゴンの年や宇宙の音楽などなどとにかくたくさんの素晴らしい吹奏楽オリジナル作品が存在していると
思うのですけど、そうした膨大な吹奏楽オリジナル作品の中でも不朽の名作にして同時に吹奏楽オリジナル作品としては
既にバイブル的名曲という評価が既に定着している大人気吹奏楽オリジナル作品の一つがリードのアルメニアンダンスパートⅠ
だと思います。
そしてこの素晴らしい名曲の吹奏楽オリジナル作品のアルメニアンダンスパートⅠを吹奏楽コンクールではないですけど
高校の時の定期演奏会の演奏曲目としてノーカットで吹くことができたのは本当にありがたい事でもありました。
ちなみに高校一年の時の吹奏楽コンクールの自由曲がホルストの第一組曲だったのですけど、こうした
吹奏楽オリジナル作品としては古典中の古典の大変な名曲を演奏できたというのも今にして思うとたいへんありがたく
貴重な事でもありました。
私が高校生あたりの頃には既にリードの「アルメニアンダンスパートⅠとパートⅡは定着化された作品であり、
吹奏楽コンクールの自由曲としても演奏頻度の極めて高い曲であり大変人気の高い作品でした。
既にあの当時よりリードのアルメニアンダンスは「吹奏楽オリジナル作品の中でも特筆すべき名曲」として認知されていたと
思いますし、私も既にその当時から「リードのアルメニアンダンスは別格的存在」という認識は有していたと思います。
当時よく吹奏楽仲間内の噂では、
「リードは、実は、アルメニアンダンスパートⅢの構想を練っていて現在作曲中・であり、1980年代中盤に満を持して
発表されるのではないか?」という話がよく出回っていましたけど、結局、パートⅢとして発表される事はありませんでした。
結果として「アルメニアンダンス」と同様にアルメニア地方の讃美歌をモチーフにした作品が
「エルサレム讃歌!」というこれまたリードを代表する超大作となって歴史に残されることになりましたので、
あながちあの噂は単なるガセネタではなかったと言えるのかもしれないです。
アルフレッド・リードは生粋なアメリカ人ですし、特にアルメニアやエルサレムとの接点は無いはずなのに、
どうしてアルメニアンダンスとかエルサレム讃歌みたいなアルメニアに色濃厚な曲を残したのだろう?と
思ったことがあるのですけど、
アルメニアの音楽学者であるゴミタス・ヴァルタベッドという方が集めたアルメニアの民謡・聖歌を
「このまま歴史に埋没してしまうのは勿体無い・・」と感じた
イリノイ大学でゴミタスの研究をしているハリー・ビージャンという学者・バンド指導者が、
ゴミタスの集めた聖歌や民謡を使った作品をリードに委嘱したことがこれらの名曲が生まれたきっかけになっています。
そしてリードは、民謡を「アルメニアンダンス」で巧みに用い
7世紀頃のアルメニアのローマ教皇管区教会典礼聖歌集からキリストの復活を称えた讃美歌を
「エルサレム讃歌」で大変効果的に用いています。
リードのアルメニアンダンスはパートⅠとパートⅡと二つに分けて出版されています。
私自身リードの「アルメニアンダンス」を初めて知ったのは、高校入学後のその年の定期演奏会で
アルメニアンダンスパートⅠを演奏した時なのですけど、実はその時点ではパートⅠとパートⅡの間には特に関連性が
無いものなのかなと勘違いをしていたものですけど、
実はパートⅠとパートⅡは姉妹作と言うよりも組曲または一つの交響曲の中の楽章同士という位置づけでもありそうです。
5つのアルメニア民謡が続けて演奏される単一楽章のアルメニアンダンスパートⅠと、
同じくアルメニア民謡に基づく3つの楽章からなるアルメニアンダンスパートⅡの二つを合わせて一つの組曲または交響曲を
構成すると考えた方が宜しいのだと思います。
この場合第一楽章がアルメニアンダンスパートⅠに相当し、第二~第四楽章がアルメニアンダンスパートⅡに相応するとも
いえそうです。
大変奇妙な事に、その理由と背景はよく分からないのですけど、パートⅠとパートⅡの出版社は全然別の会社であり、
そうした事がパートⅠとパートⅡは全然関連性がない曲であるとかつての私が誤解をしたように勘違いをされている方も
決して多くは無いという理由になっているのかもしれないです。
ちなみにですけど、パートⅠとパートⅡで使用される楽器編成も微妙に異なっていて、パートⅡの方が打楽器は、
パートⅠでは使用されなかったドラ・コンサートチャイム・トライアングルが追加されたり、ハープも加わるなど
そうした違いを味わってみるのもこの曲の楽しみ方の一つなのかもしれないです。
後述しますけど、
アルメニアンダンスパートⅠの誰もが認める歴史的名演は、1986年の淀川工業と1987年の創価学会関西を
推される方は大変多いとは思うのですけど、私自身最も大好きな演奏は、そう・・! 言うまでもなく
1983年の野庭高校のあの個性的で歌心たっぷりの演奏に尽きると思います!
(隠れた名演という事では、とにかく音質がクリアで清楚なサウンドで響きがとてつもなく美しい1980年の間々田中も
推したいと思います)
リードのアルメニアンダンスパートⅠは下記の五つの部分から構成されています。
Ⅰ.あんずの木
冒頭は大変華やかな全草者による強奏から開始され、特に冒頭のシンバルの一撃で既にノックアウトされそうです・・
しかし曲調自体は憂愁を帯びたシリアスなものであったりもします。
Ⅱ.やまうずらの歌
Ⅰとは一転して一転して慈愛とやさしさにに溢れ、どこかユーモラスで癒される愛らしい歌が続きます。
特にオーボエのしみじみとした歌が大変印象的です。
Ⅲ.ホイ、私のナザン
この部分は実際に吹いたことがある者の感想としては変拍子の扱いが大変難しくて最も難しい箇所だと思います。
変拍子で同時にエキゾティックなリズムが強く印象付けられ、最後の「行け、行け」と共に聴かせどころの一つだと
思います。
Ⅳ.アラギャズ
Ⅱと同様に抒情的な歌が朗々と響きわたります。
Ⅴ.行け、行け!
活力に満ちた終曲であり、強力なダイナミクスとエキサイティングなリズムで締めくくられます。
ラスト近くのホルンの壮絶な雄叫びも聴かせどころの一つだと思いますけど、クラリネット奏者にとっては細かい音符の
連続であり、リズム処理と合わせてⅢの部分と同様に大変な技術力が求められると思います。
やはりⅢとⅤが全体の中心であり、間に挟まれるⅡとⅣのしみじみとした抒情的な歌がさらにこの曲の深みと味わいが
高まるともいえそうです。
この曲は私の母校の中学校が私が卒業した年のコンクール自由曲でもあったのですけど、なんと、こともあろうに
全体の一つの中心でもあり聴かせどころのⅢを全てカットし、快活に動く部分は最後のⅤだけ・・というありえないカットを
したこともあり、サウンドもこの曲に求められる清潔な音色ではなくてべったりと重たいサウンドでもあり、結果的に
創部以来初めての県大会銅賞という屈辱的な結果になっていましたけど、
前年度の部長でもあった私の感想は「自業自得だね・・」という感じのものでした。
この曲はⅢとⅤが盛り上がりを形成している側面もあるので、Ⅲをカットしてしまうことはありえないと感じたものでしたし、
大変古い表現でいうと「クリープのいれないコーヒーなんて・・」という感覚に近いものがありそうです。
もっとも私自身が高校一年の時定期演奏会で演奏したアルメニアンダンスパートⅠも、決して褒められる演奏では
ありませんでしたし、全体的には消化不良で終わってしまいましたし、奏者としては不満の残る演奏でもありました・・
リードのアルメニアンダンスパートⅠは2022年時点でこれまで全国大会で22回も演奏されている大人気自由曲ですけど、
全国大会では2002年の雄新中を最後に演奏されていないのはさびしい限りです。
22回も演奏されていますけど、意外とこの曲の名演は少ないです・・というか野庭・創価学会関西・淀川工業の
三大名演があまりにも突出しすぎた歴史的名演であり、この3チームを超越する名演は多分ですけど今後も出ないような
気すらします。
1983年の野庭高校の演奏はクセが大変強くて好みの分かれる演奏なのかもしれないですけど、私は大好きです!
Ⅴの「行け、行け」の部分をpから徐々にあんなに盛り上げていく演奏はかつてなかったと思いますし、
とにかく一つ一つの音が生命感と躍動感に溢れていて、とにかく音楽が新鮮でした。
課題曲C/カドリーユもダーダー吹きに近い、音をわざと押した様な感じのする少し変わった表現です。
あのレガート奏法を極端にしたような感じの解釈は、明石北高校の解釈にも近いような感じもあったと思います。
課題曲も自由曲も、共に演奏が非常に新鮮で、全く違った方向からアプローチをかけてきた若々しい楽しさが
随所に散らばっています。
88年の春の猟犬もそうでしたけど、野庭のアルメニアンダンスパートⅠの特にⅤ・Go! Go!においては、前述のとおり
急激なpからffへの唐突感すらも感じられる急激なクレッシェンドとか、
ppからffへと一気に駆け上っていく爽快感は、やはりとてつもなく新鮮なものがあると思います。
普通はあれだけ個性的な表現を取ってしまうと演出過剰とかやりすぎ・・みたいに感じてもしまいがちなのですが、
それが少しも不自然に感じられない自然なさわやかさがあるのも事実だと思います。
1986年の淀川工業(現・淀川工科)も正攻法の素晴らしい演奏です。
過去に何度も名演を生み出したアルメニアンダンスパートⅠという不滅のオリジナル名曲を新しい感覚で新しい視点から
表現してみようという意欲とフレッシュさが至る所から伝わり、聴いていてこの曲の何か新しい面を新たに発見できたような
感じでした。
音楽に勢いがあり、サックスセクションの上手さも光り、全体としても「とにかく楽しい!」という感じで一杯の素敵な演奏でした。
淀川工科は現在の自由曲は大阪俗謡による幻想曲とダフニスとクロエの二択しかないようですけど、
どうせ過去に繰り返しやっている曲をやるのだったら、リードのアルメニアンダンスの新しい解釈という事も踏まえて
演奏した方が宜しいのかもしれないです。
1987年の創価学会関西のアルメニアンダンスパートⅠの演奏はコンクールにおけるこの曲の決定打に相応しい
素晴らしい演奏だと思います。
表現が全てにおいてしなやかで大人の演奏であるけど、Ⅴのホルンの爆演的雄叫びなど随所に面白さもあり、
文句のつけようがない名演だと思います。
ただこのビッグ3以外の演奏というと意外と名演が少なくて、90年の玉川学園や89年の駒澤高校、79年の遠軽や
88年の盛岡シティブラス・89年の吉富中などのように個性の乏しい凡演が多かったような印象もあります。
その中でも面白かったのは1986年の関東第一だと思います。この年の関東第一は課題曲の変容も自由曲も冒頭が
かなり表現が自由自在であとの展開に期待もあったのですけど、課題曲も自由曲も中盤以降は音楽の精密さが
持続できずもったいない印象もありましたし、特にアルメニアンダンスはカットがかなり強引な印象もあり、印象としては
かなり悪かったような記憶もあります。
カットというと1991年の八戸第三中学校の新鮮な演奏は大変交換を持てて金賞に輝いてはいましたけど、やはり
アルメニアンダンスのⅤの最後の最後で強引すぎるカットがみられ興ざめしてしまったのはとても残念でした。
音色が大変美しく全体的に清潔感が漂う演奏だったのは1980年の間々田中学校だったと思いますし、あの演奏は
現在では誰も語る人はいないですけど、私はとてもいい演奏でありサウンドであったと思います。
サウンドや個性という意味では地味ですけど、1987年の下松高校もいかにも公立高校の普通の先生と生徒たちによる
手作りみたいなあたたかいサウンドはとても印象的でもありました。

リードのアルメニアンダンスパートⅠは本当に不滅の素晴らしい吹奏楽オリジナル作品だと思いますし、
この曲だけは忘れることなく後世にまで残していってほしい曲の一つだと思いますし、
今現在の感覚でもってこの曲の新しい魅力が発見される名演の出現に期待したいものです。
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