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能面の一例
「能面」とは幽玄の世界でなんだか「恥の文化」の日本文化の一つの象徴なのかもしれないです。
そうした能面のおどろおどろしく幽玄な美の世界を管弦楽または吹奏楽として表現されたのが小山清茂作曲の
交響組曲「能面」です。
仮面(お面)というと東方ファンの皆様ですと私も含めて秦こころを思い起こす人も多いとは思いますが、
一般的にお面・仮面というと、
本来内省的に自分が有しているはずだけどそれを表にすんなりと出せない自分自身の隠れた側面を
仮面をあえて身に付ける事で表面的な自分を一旦表面上隠蔽した上で本来の自分を演じる事が出来ると言う事に
どことなく不思議な魅力を感じたりもします。
仮面と言うものは換言すると変身願望の一種なのかもしれないです。
自分が元々有している個性を隠蔽し、仮面を被り別の個性を演じる事で
「今までの自分とは違ったもの」を見出してみたいという意図が多少はあるのかもしれないですし、
この点が仮面自体にどことなく妖しさ・ミステリアスさを感じさせてくれているのかもしれないです。
そうした仮面・お面をモチーフにした古今東西の音楽というと、
ヴェルディの歌劇「仮面舞踏会」、ハチャトゥーリアンのバレエ組曲「仮面舞踏会」や
吹奏楽関連では大栗裕の「仮面幻想」、パーシケッティーの吹奏楽のための仮面舞踏会を思い起こしますけど、
日本の和の鄙びた感覚とか奥ゆかしさ・恥じらい等に繋がる音楽として名高いのは小山清茂作曲の交響組曲「能面」と
言えるのかもしれないです。
小山清茂が現代日本のクラシック音楽界と吹奏楽界において最も大きな貢献を残された作品と言うと
管弦楽のための(吹奏楽のための)木挽歌なのではないかと私的には感じていますし、この木挽歌という作品は
外山雄三の「管弦楽のためのラプソディー」と並んで日本人の心のふるさとともいえる作品ではないのかな?と思ったりもします。
この2曲は大変分かりやすい音楽から構成されていて、日本人であるならば間違いなくどこかで聴いたことがあるメロディーが
次から次へと登場してきますし、この曲を聴いてしまうと普段は自分が日本人である事を意識しないような人でも
多少は日本」意識させてくれる郷愁に溢れた作品と言えるのだと思います。
実際、小山清茂の管弦楽のための木挽歌は、外山雄三の管弦楽のためのラプソディーと並んで、
和をモチーフにした邦人作品としてはメかなりジャーな作品だと思いますし、現在でも演奏会で取り上げられる
頻度は比較的高い方だと思います。
小山清茂は管弦楽の分野でもそうですけど、吹奏楽の発展のために尽力し、吹奏楽のための木挽歌のように
そのいくつかの吹奏楽作品は今でもコンサートや吹奏楽コンクール等でも演奏され続けています。
1914年に長野県で生まれた小山清茂は幼い頃から民俗芸能の響きに囲まれて育ち、
日本の伝統的な響きを最も濃厚に受け止めた作曲家のひとりです
西洋楽器のための作品だけでなく、和楽器のためにも数多くの作品を残している事でも知られています。
主要作品に、管弦楽のための木挽歌、管弦楽のための鄙歌第1~4番、管弦楽のための信濃囃子、交響組曲「能面」、
管弦楽のための「もぐら追い」なとが挙げられると思いますし、
吹奏楽作品としては、1980年の全日本吹奏楽コンクール課題曲Aの吹奏楽のための「花祭り」、
吹奏楽のための「おてもやん」、 吹奏楽のための「琴瑟」、吹奏楽のための大神楽などが知られていると思います。
そして小山清茂の作品の中で木挽歌と同様に絶対に忘れてはいけない作品の一つとして交響組曲「能面」が
挙げられると思います。
大栗裕の「吹奏楽のための神話~天の岩屋戸の物語による」などのような凄まじい大音響とか劇的なドラマ性や
動と静の凄まじいダイナミックスレンジの落差による表現という感じではなくて、どちらかというと日本人の心の奥底に潜む
和の鄙びた雰囲気という感じの曲と言う事で、最近の若い奏者の皆様にとっては今一つ演奏効果があがりにくい曲と
捉えられても仕方がないのかもしれないですけど、木挽歌以上にこの曲は後世の日本人に絶対に受け継がれていって欲しい
曲の一つだと思います。
小山清茂の交響組曲「能面」は、1959年に作曲されています。
渡辺暁雄指揮日本フィルハーモニー交響楽団により1959年11月5日に放送初演されています。
;この曲の音源として、渡辺暁雄指揮日本フィルハーモニー交響楽団によるビクターのレコードがあるのですけど、
多分この音源はCD化されていないと思いますので、あの素晴らしい名演を是非CDでも聴いてみたいです。
この曲の原曲の管弦楽版の生演奏は一度だけ聴いたことがありまして、1998年の都響の邦人作品シリーズとして
日本の作曲家シリーズ23<小山清茂作品集> というプログラムでこの能面のプロの管弦楽団によるライヴ演奏を聴く事が
出来たのは大変貴重な経験だったと思いますし、多分ですけど能面の管弦楽の生演奏としてはあの演奏が私にとっては
最初で最後のものになる可能性が高いくらい大変意義のある演奏会だったと思います。
あの時の指揮者は矢崎彦太郎で、曲目はオール小山清茂プログラムで、当日演奏していた曲目は、
管弦楽のための信濃囃子・管弦楽のための鄙歌第1番・管弦楽のための鄙歌第2番・交響組曲「能面」・管弦楽のための木挽歌
と言うものでした。
私自身日本フィルで鄙歌と木挽歌は聴いたことがありますけど、能面を聴く事ができるなんて生涯二度とないかもしれないと
思い、あの時はかつてやはり都響の「オール松村禎三プログラム」の時と同じように
「(存在しない)叔母が危篤」のため早退というガセネタで上野の東京文化会館まで聴きに行った事は今となっては
なつかしい思い出ですね~
小山清茂の交響組曲「能面」は下記の三楽章から構成されています。
Ⅰ.頼政 (よりまさ)
Ⅱ.増女 (ぞうおんな)
Ⅲ.大癋見 (おおべしみ)
ちなみに吹奏楽コンクールにおいては、Ⅲをベースに構成されている事が多いです。
この交響組曲「能面」を作曲していた頃の小山清茂は、能の面だけを眺めていてもなんだかイメージが掴めないと言う事で
実際に頼政の舞台を観て能の雰囲気を知った上で、
謡曲本を購入されそれを歌詞として歌曲の要領で作曲するなど試行錯誤しながら作曲の筆を進めたようです。
交響組曲「能面」は鄙歌・木挽歌・花祭りなどに見られたように曲自体に民謡や神楽囃子など日本の伝統音楽の
メロディとして使用している場面はほとんどないです。
能楽はよく「無駄を一切そぎ落とした究極のシンプルな音楽」と言われたりもするのですけど、
交響組曲「能面」はそうした能楽自体をかなり強くイメージさせる音楽であり、和の響きを大切にしながらも
仮面の下に隠された人間の感情の起伏の激しさを西洋の楽器を使いつつダイナミックスレンジの幅を音楽上の強弱というよりも
感情の起伏の激しさという意味で表現されている事は特筆に値しているのかもしれないです。
オーボエのグリッサンドは能管や謡いのイントネーションを意図し、
木管とヴィオラのグリッサンドを伴うピチカートは鼓の音をイメージし、
低弦楽器が靴べらで弦を弾く事によって生ずる音は薩摩琵琶の響きを彷彿とさせている点は、
曲自体は西洋楽器そのものを使用しながらも随所に日本的な和の響きを大切にしている事を強く意識していると
言えそうです。
Ⅰの頼政において、冒頭にオーボエ独奏により無伴奏で出る幽玄な第1主題は謡曲本をベースに作曲されたもので、
続いて弦楽器で出る第2主題は和歌の朗詠のイントネーションを思わせるものであり、
最後には2つの主題が同時に演奏されます。
Ⅱの増女は、気高く神聖なイメージの女性を表現した楽曲です。
2つの主題のうち、1つはⅠの頼政の主題に似せ、2つ目はⅢの大癋見の主題に似せることにより
両端楽章をつなぐ役割を果たしています。
Ⅲの大癋見は、天狗の怒った表情を表す面で、瞬間表情の面であるため、主題も荒々しいもの1つのみとなっています。
最後には、低弦のピチカートとティンパニによる特徴的なリズムに乗っかる形でクライマックスが形成されていきます。
ラスト近くのティンパニの幽玄な連打が大変印象的です。
この交響組曲「能面」は吹奏楽コンクールの全国大会では2022年時点で今の所2回ほど全国大会で演奏されています。
そのうちの一つが1978年の前橋商業なのですけど、大木隆明先生時代の前橋商業というと小山清茂の自由曲が
大変印象的ですし、特に1978年の能面、79年の木挽歌、80年の鄙歌第2番の三年間は鄙びた和の世界を吹奏楽として
見事に表現された名演だと思います。
特に1980年の課題曲A / 吹奏楽のための花祭りは小山清茂作曲の作品でもありますので、この年は課題曲も自由曲も
小山清茂の和の鄙びた世界を完璧に表現された演奏として私もあの「枯れた感覚」の演奏はとっても大好きですし、
かなり強い共感を感じます。
CDが普及する以前の吹奏楽コンクールの音源はレコードでしたけど、
ソニーの「日本の吹奏楽」というLP盤において、このレコードジャケットの裏ページの1978年~81年前後は
出場チームの部長等のコメントが記されていました。
そのコメントの中で大変印象的なコメントが1979年の前橋商業でして、その中に
「私達も年に何度かアメリカのオリジナル作品を演奏する事もあります。だけど、吹いていると
何かこれは自分達が目指している音楽ではないみたいな雰囲気になり、練習するのを止めてしまいます。
こうやって毎年毎年泥臭い邦人作品を演奏し続けるチームが全国に一つくらいあってもいいのではないでしょうか」
といった事が記されていましたけど
この言葉にこそ前橋商業高校吹奏楽部が象徴されているのだと思います。
1978年の前橋商業の自由曲が能面で、課題曲がAのジュビラーテでしたけど、
この年の課題曲Aは上記のコメントではないですけど、アメリカのオリジナル作品を絵に描いたようなジェイガーの作品
でしたので、当時の前橋商業とアメリカ作品の相性の悪さは言うまでもないという感じの演奏だったと思います。
私自身は78年の前橋商業の課題曲と自由曲はカスタムテープとして聴いたのですけど、
奏者達はジュビラーテという課題曲はあまり好きではないと言う事が手に取るように伝わってきています。
勿論、技術的にはとっても上手くて技術的な問題は全くありません。
巧いけど伝わってくる音楽からは「私達はこの課題曲が好き!」という気持ちは全く伝わってこないです。
というか、かなり無機質にさくさく進行しています。
中間部の表情も確かにユーフォニアムの裏メロとかたっぷりと歌っているし、トランペットとフルートの掛け合いも
ほぼ完璧に決まってはいるのですけど、演奏自体にすきま風が吹いていて音楽に違和感を感じてしまいます。
だけど自由曲の小山清茂の能面に入るとこの雰囲気が劇的に変ります。
サウンドが粘っこい音に変り、情感たっぷりの音楽に変容します。
一言で言うととってもおぞましい音楽という形容なのかもしれないですし、
見てはいけないものを見てしまったみたいな感じの音楽を怨念たっぷりに歌い上げた雰囲気に満ち溢れています。
そこから感じ取れるのは、人間の嫉妬・焼きもち・ねたみ・隠してしまいたい心の本音・恨みつらみ・怨念等のマイナスの感情を
能面という一つの仮面に隠すことで、自分の心の奥底の心の闇を隠して建前で生きることでどうにかこうにか現世を
生きていくという人間の裏の感情・心の奥の怨念といったものをとにかく粘っこい音色で歌い上げています。
私自身、この前歯商業の能面を一番最初に私が聴いた時の感想は、おどろおどろしいとかおぞましいという感情しか
無かったのですけど、今現在の視点で聴き直してみると禁断の愛とか秘密といった言葉がしっくりきそうな感じがあります。
幽玄な雰囲気を情感たっぷりに表現しているけど、あのおどろおどろしい雰囲気をここまで吹奏楽として表現出来ている事は
当時としては特筆に値するものがありそうです。
出だしのフルートソロから既にこの曲の幽玄さというのか心の奥底の怨念が炸裂しています。
序盤はとにかく不思議な静けさにも溢れているのですけど、展開部に入って更に驚くことになります。
何かと言うと、原曲にも存在していない男声コーラスで「おーおー」という不思議なハミングの響きが更に
幽玄さを醸し出していきます。
あの部分を聴くと、何となくですけど人の心に潜む妬みみたいな暗黒なものをついつい妄想してしまいます。
そして後半部分はティンパニが大活躍をします。
前橋商業の生演奏を見た訳ではないので、実際何人で叩いたかはわからないのですけど、
1984年に東海大学吹奏楽研究会が都大会と全国大会でこの小山清茂の「能面」を演奏していて、
私自身は都大会の演奏を生で聴いたのですが、この際は5台のティンパニを4人の奏者で演奏していたと記憶しています。
多分ですけど前橋商業も3~4人でティンパニを叩いていたと思うのですけど、
あのティンパニの響きがとっても印象的ですし、とてつもなく幽玄な香りがしますし、
おぞましい香りに溢れていたと思います。
あの迫力はとにかく凄まじいものがありますし負のエネルギー」に満ち溢れていたと思います。
一つ残念だったのは演奏終了後の間髪を入れないブラボーでしたね・・あれは少し興醒めでもありました・・
そしてもう一つの「能面」の演奏は1984年の東海大学吹奏楽研究会です。
東海大学というと今現在では2011年以降にアンサンブルリベルテの福本信太郎先生を招聘されて以降は
全国大会金賞の常連というイメージが既に現在の現役奏者の皆様の間では定着していると思うのですけど、
東海大学と言うと、個人的な話で申し訳ないのですけど、私的には上原圭詞先生というイメージが大変強いです!
1984~1987年当時は自分の大学が都大会予選会を突破し、普門館で開催される都大会本選に進むためには
東海大学・創価大学・東洋大学・明治大学などの都大会本選銀賞~銅賞チームを超える演奏をしないと到底不可能という事で
私も当時はかなり東海大学の存在は意識したものですし、私自身の「普門館での演奏」という夢の実現のためには、
東海大学などには負けられないという気持ちの方が強かったです。
反面個人的には、当時の東海大学は上原圭詞先生という大変マニアックな選曲を独特の世界観で演奏される
大変個性の強いチームでもありまして、私自身は、自分自身のコンクールという事は抜きにして
上原先生在籍当時の東海大学のサウンドは大好きでしたし、上原先生の大ファンでもありました。
当時の上原先生=東海大学は、
どちらかというと、花輪高校の小林久仁郎先生の路線と少し被るような側面もあり、
当時の私としては、花輪の小林先生、東海の上原先生という吹奏楽界の二大偉人という独特の世界観&解釈をされる
お二人の先生を深く深く尊敬していたという事は間違いないと思います。
上原先生は今でも現役で指揮をされ続けていますし、その後活躍ぶりには本当に頭が下がる思いです。
(2017年のコンクールは出場されていましたけど2018年は欠場という事で実は少しばかり心配もしていたりもします・・)
東海大学時代の上原先生の選曲は素晴らしくマニアックだったと思います。
1979年 B/ローマの祭り
1980年 C/交響曲第四楽章(矢代秋雄)
1981年 B/バッカナール(黛敏郎)
1982年 B/交響曲第2番「鐘」第一楽章(ハチャトゥーリアン)
1983年 B/交響曲第一楽章(松村禎三)
1984年 B/交響組曲「能面」
1985年 B/第七の封印
1986年 B/神の恵みを受けて
1987年 B/ローマの祭り
1990年 A/バレエ音楽「まりも」(石井歓)
1991年 B/舞踏曲「サロメ」(伊福部昭)
どれもこれも素晴らしい選曲&演奏だったと思います。
私、これらの東海大学の過去の演奏を聴くために、
当時世田谷区にあったトラヤというカスタムテープ制作会社(既に倒産)に大人買いというか、
「東海大学のみの演奏を収録したカスタムオリジナルテープ作成」を依頼したくらいでもあります。
1981年のバッカナールは課題曲のコラージユと合せて大変高いレヴェルとテンションが高い名演でありまして、
当時の東京支部は、亜細亜&駒沢という超名門チームが闊歩していましたので、
あの名演が全国でも聴けなかったのはとても勿体ない気がします。
黛敏郎の「バッカナール」というと吹奏楽に詳しい方ですと「初演は秋田南高校」と言われるのかもしれないですけど、
実際は秋田南の全国大会での演奏よりも既に4年前に東海大学が演奏をしていたりもするのです。
ハチャトゥーリアンの「鐘」は花輪高校の1980年のカットをそのまま使用した感じで、
第一楽章をメインに演奏し、ラストは第四楽章の「咆哮」を使用するというパターンです。
上原先生はもしかしたら花輪の小林先生からの何かしらの影響は多少はあったのかもしれないです。
圧巻は松村禎三の交響曲でして、とにかく内面的緊張感の持続は戦慄さえ感じます・・・・
前年に屋代高校がこの交響曲の第三楽章を全国で演奏していますけど、
東海大学の第一楽章も前半とラストの静粛さと中間部の緊迫感の壮大な対比が極めて素晴らしいです!
84年の「能面」は、78年の前橋商業とほぼ同じカット&男性コーラスを用いていましたけど
前橋商業に比べて、サウンドの透明感・洗練さを感じさせるため
おどろおどろしい印象よりは都会的なスマートさという印象があります。
1987年の都大会の「ローマの祭り」は気持ちよいほど豪快に鳴らしてくれていて、あの爆演は聴いている方も大変心地よい
ものがありましたけど、実際は指揮者と奏者は快感の極致といえるのかもしれないですね~♪
90年のまりもも本当に素晴らしい演奏だったと思います。
前半の内面的緊張感、中盤の踊り、ラストのたっぷりとした歌い方は、全国大会代表・金でも全然おかしくない演奏でしたけど、
なぜか都大会の評価としては銅賞で私は客席でぶーたれていたものでした。
小林先生が指導されていた花輪高校と上原先生が指揮されていた東海大学は、そのあまりにも強い個性と
アクの強い演奏のためなのか、吹奏楽コンクールという審査の場では多分ですけど、審査員の好みもはっきりと分かれていた
ような気もしますし、それが結果的に「少しばかり不当に低く評価されている」ような印象に繋がっているのかもしれないです。
最後に話を小山清茂の能面に戻しますと、1984年の東海大学の演奏は、課題曲B / 土俗的舞曲のエネルギッシュな明るさと
自由曲の能面という緊張感・人の心に奥深く潜んだ恥じらい・奥ゆかしさに満ち溢れた曲を
内在的エネルギーを内に秘めながらも、比較的カラッとした都会的洗練さを感じさせる表現に仕上げられていて、
78年の前橋商業とは少しばかり全体的な構成や指揮者が意図している点は被る点はあるのかもしれないですけど、
その目指している方向性はむしろ真逆というのも大変面白いものがあると思いますし、同じ素材を用いながらも
全く違った解釈・方向性を楽しむ事ができる吹奏楽コンクールというものは、やはりとてつもなく興味深い場であるのは
間違いないと言えるのだと思います。