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プロフィール

ぬくぬく先生 

Author:ぬくぬく先生 
開設当時は、1980年代吹奏楽コンクールの花輪・秋田南・就実・仁賀保・屋代等の素晴らしい演奏を後世に少しでも伝える事が出来ればいいなと思ってこのブログを始めたのですけど、いつのまにか「東方Project」がメインになってしまいました・・・
最近は「艦これ」も大好きです!!
吹奏楽も東方も自分が感じた事を少しでも後世の方に受け継がれるべきものが残せればいいかな・・と思っています。
ちなみに、「大好きプリキュア四天王」は、ドリーム・メロディ・ハッピー・ラブリーです。
ドリームとメロディは自分の中では既に殿堂入り状態ですけど、
現在はラブリー大好き!!のラブリー一辺倒です!!
リアル社会では、建築関係のクレーム&アフター責任者を専従し、毎日毎日クレーム対応に当たる日々です。
裏の顔は東方と吹奏楽とクラシック音楽一辺倒です・・・
特に特に大好きな作品は・・・プリキュア5とスイートとハピネスチャージです!!
ちなみに、奥様は・・・ミルキィローズとセーラームーン好きの管理人以上のおこちゃまです・・・
東方で大好きなキャラは、とにかく大好きキャラがてんこ盛りで、全員大好き!という感じなのですけど、特に、さとり様・ゆかりん(紫様)・早苗さん・こいしちゃん・アリスはお気に入りです!!
吹奏楽では・・ネリベルの「二つの交響的断章」と「アンティフォナーレ」、スパークの「ドラゴンの年」、リードの「オセロ」と第二組曲「ラティーノ・メキシカーナ」、パーシケッティーの「仮面舞踏会」、C・スミスの「ダンス・フォラトゥーラ」などが死ぬほど好きで、クラシック音楽では、ウォルトンの交響曲第1番と矢代秋雄の交響曲、プロコフィエフの交響曲第5番、アーノルドの交響曲第2番、第4番、ショスタコの交響曲第7番「レニングラード」、マーラーの交響曲第3番「夏の朝の夢」、ハンソンの交響曲第2番「ロマンティック」、ストラヴィンスキーの「火の鳥」、ベルクの「ヴァイオリン協奏曲」、ラフマニノフの「交響的舞曲」などが大好きです!!
クラシック音楽を吹奏楽にアレンジし、そのコンクールヴァージョンの演奏としては・・・
1982年の就実高校の「幻想舞曲集」と
1987年の習志野高校の「ダフニスとクロエ」第二組曲の演奏、そして、
1987年の雄新中の「エルザの大聖堂への厳かな行列」が
まさに私の「原点」です。
最後に・・・
私の吹奏楽との関わりの真の意味での「原点」は・・・
1979年の市立川口高校の神がかり名演としか言いようがない
「二つの交響的断章」に尽きると思います!!


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オッフェンバックの喜歌劇「天国と地獄」(地獄のオルフェス)は冒頭部分とかクラリネットの華麗なカデンツァの部分や
美しい中間部のメロディーを耳にした事がないと感じる方でも、ラスト近くの「カンカン踊り」は、
クラシック音楽をほとんど聴かない人でも一度は必ずどこかで聴いたことがあるはずの非常に馴染み深いメロディーだと
思います。
昭和の頃の運動会やパチンコ屋さんのBGMとしては定番の音楽の一つだったと思います、
また文明堂のカステラのCMで使われるあの曲(カステラ1番、電話は2番……)といえば、「ああ、あの曲ね・・」とピンと
来られる方も多いのではないかと思います。

オッフェンバックは陽気でユーモアにあふれた音楽によってオペレッタ(軽い内容のオペラ)の分野で活躍し、
時代を代表するヒットメーカーとして19世紀後半にはスッペと共に大変な人気を誇っていました。
オッフェンバックのこうしたオペレッタや劇音楽は生涯に100以上作品を残しましたけど、今日ではほとんど忘れられていると
思います。
その中でも「ホフマン物語」・「美しきエレーヌ」などは今現在でも上演されているようですけど、オッフェンバックの生涯の
最大のヒット作品は喜歌劇「天国と地獄」といえるのかもしれないです。

「天国と地獄」はギリシア神話を元ネタにしていますけど、その内容は実はシャレと毒の利いたパロディ作品です。
元ネタとなっているのはギリシャ神話のオルフェオの物語で、
妻の死を悲しむ夫オルフェオが黄泉の国へ妻をとりもどしに行くというのが本来のストーリーです。
(似たような話としては日本の「古事記」にもそうし話がありました・・)
しかしオッフェンバックの作品では、オルフェオとエその妻の間柄は生前から既に冷え切っています。
夫も妻も共に浮気中で、今風にいうとダブル不倫という感じなのだと思います。
オルフェオは妻があの世へ旅立ち、「これであの毒妻から開放されて嬉しい~♪」とウキウキ気分になって
「これで気兼ねなく女遊びができる~」と遊びまくっていたら、さすがに世間から非難ごうごうのバッシングを受けてしまい、
世間体のために嫌々ながらしぶしぶ妻を取戻しにあの世に行くという大変毒のあるパロディーストーリーとなっています。
大人の男女のエゴと浮気心と大人の本音がむき出しになっている「天国と地獄」の音楽と序曲ですけど、
こんな毒のある曲が昭和の頃には純粋な子供たちの運動会で使われているというのも、結構シュールなものがあると
言えそうです。
天国と地獄のカンカン踊りの場面を自作のパロディーとして使用したのがサン・サーンスの組曲「動物の謝肉祭」の亀です。
カンカン踊りは速いテンポでどんちゃん騒ぎが展開されていくのですけど、サン・サーンスはわざととんでもないスローテンポで
設定し、オッフェンバックをあたかもドンカメ扱いしているかのような毒を効かせているサン・サーンス一流のウィットが
そこにはあるように感じられます。
言うならば元ネタのパロディーのそのまたパロディーといえそうです。
ショスタコーヴィッチの最後の交響曲の15番の第一楽章にてかなり露骨な形で執拗にロッシーニの歌劇「ウィリアム・テル」の
スイス軍隊の行進を引用というかパロディー化していますけど、1990年代前半のアリナミンVのCMに
そのショスタコーヴィッチの交響曲第7番「レニングラード」~第一楽章のパロディーが、シュワちゃんによって
「チチーン、プイプイ」とパロディー化されていたのと似たような話なのかもしれないですね~

妻を取り戻しに地獄に赴いたオルフェオですけど、「妻を取り戻したければ後ろを絶対に振りかえってはいけない」と
神々から言われるのは古事記と同様ですけど、後ろで雷が鳴った事でついつい後ろを見てしまった事で
妻は戻らないという事になってしまい、オルフェオはウキウキして喜んで現世に戻り、地獄の妻も地獄で既に神々と
いい仲になっていましたので、まさに双方ウィンウィンという事で、最後は全員揃ってのどんちゃん騒ぎで幕が閉じられ、
そのどんちゃん騒ぎで使用されているのが「カンカン踊り」という事になります。

オッフェンバックの喜歌劇「天国と地獄」の序曲は、実は二つ存在している事は意外と知られていません。
一つはオッフェンバック自身が歌劇の改訂版に付けた非常に冗漫で長大な序曲で、
こちらの方はあまりにも長すぎて面白くないため、今日では演奏されることはまずありません。
そしてもう一つが、ビンダーという人が、オッフェンバックの喜歌劇「天国と地獄」の中の主要なメロディーを
要領良く繫ぎあわせて構成したもので、こちらの方が、今日演奏会やCDで聴かれる「天国と地獄」序曲なのです。
一般的に知られる喜歌劇「天国と地獄」序曲は、オッフェンバック自身が完全に作曲したものではなくて
後世の人が上手にアレンジしたものと言えるのです。
オッフェンバックの作品?と言われている中にバレエ音楽「パリの喜び」があるのですけど、このバレエは後年、
ロザンタールという指揮者がオッフェンバックの作品の中からおいしい場面をピックアップし序曲と23の楽曲で構成した
作品でもありますので、この「パリの喜び」は一般的にはオッフェンバック作曲=ロザンタール編曲と表記される事が多いです。

喜歌劇「天国と地獄」序曲の冒頭は陽気にのびのびと開始され、聴いているだけで楽しさ満開です~♪
この部分が静まった後に出てくるクラリネットの完全ソロによるカデンツァの華麗さは素晴らしいですし、オーボエのしっとりとした
ソロも聴かせどころたっぷりだと思います。
哀愁はあるけど何となく間が抜けているのも面白い感じはします。
そして比較的長い中間部に入るのですが、この部分もたっぷりと抒情的に歌い上げられていきます。
そしてこの中間部が終わると、いよいよお楽しみのカンカン踊りが始まり、
カンカン踊りが炸裂していき、おちゃらけとバカ陽気の中、賑やかに曲が閉じられます。
演奏時間も8分程度で手頃という事もあり、ファミリーコンサートではしばしば演奏される曲の一つでもあります。
バレエ音楽「パリの喜び」の方も楽しい音楽の連続ですし、もちろんかンカン踊りも登場しますけど、
ホフマンの舟歌の美しい部分もラストに登場しますし、聴いていて飽きることはないと思います。
「バリの喜び」をCDで聴く場合、デュトワ指揮/モントリオール響という素晴らしい名演があります。
日本では、このバレエ音楽「パリの喜び」は吹奏楽コンクールでは定番の大人気自由曲の一つですけど、プロの管弦楽団の
演奏会ではなぜかあまり演奏されないです。
これまで唯一聴いたのが新日本フィルの演奏会です。
新日本の演奏で面白かったのは、首席トロンボーン奏者の宮下宣子さんが、なぜか部分的にトロンボーンの席から
打楽器のガラガラを掛け持ちしていた事です。
アマチュアの吹奏楽の吹奏楽部では、管楽器奏者と打楽器奏者のかけもち演奏はたまに見かけることはありますけど
まさかプロの世界でそうした打楽器との掛け持ちは大変珍しい事であり、大変印象的でもありました。
吹奏楽コンクールでは、「バリの喜び」は現在でもレパートリーとして完全に定着していますよね。
序曲~ワルツ~マーチ~カンカンを演奏するのですけど、元のバレエ音楽と異なり、カンカン踊りで終わりますので、
すっきりとした終わり方のようにも感じられます。

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喜歌劇「天国と地獄」序曲はたまにですけど、吹奏楽コンクールの全国大会でも自由曲として演奏されています。

この曲の名演というと多くの方は1999年の葛飾吹奏楽団を挙げられると思いますが、私しては1993年の
ヤマハ東京の方を推したいです。
ヤマハ東京は、葛飾吹奏楽団や1995年の伊予高校に比べると大変地味な演奏です。
冒頭近くのクラリネットソロや中間部におけるソプラノサックスの抒情的で長いソロのうっとりとした陶酔感や
大人の音楽づくりは素晴らしいものがあると思いますし、この年はヤマハ浜松が不出場という幸運?もあったと思いますが、
職場の部で金賞というのも当然だと思います。
ヤマハ東京以上にもっと地味な演奏ですけど、93年の基町高校の演奏も派手さは全く無いけど内省的な響きの充実感は
銅賞という結果で終わるにはもったいないものもあったと思います。

「響け! ユーフォニアム!」第一期の第一話にもこの天国と地獄の序曲がBGMとして流れてもいました~♪

実はこの曲は、麗奈と久美子が中学3年の時に臨んだ吹奏楽コンクールの自由曲でして、京都府大会で金賞を受賞
しながらもダメ金という事で関西大会代表に進めず、その際に麗奈は「口惜しくて死にそう・・」と涙を流すのですけど、
久美子は「本気で全国に行けると思っていたの?」と失言をしてしまい、麗奈からとんでもなくきつい眼差しを返され、
そうした一件が「響け・・」第一期序盤での久美子と麗奈のぎくしゃくした関係の遠因にもなっていたりもします。

久美子は第一期においては余計な一言ばかりついうっかりポロッ・・と口に出してしまい、一時は失言女王とすら揶揄されて
いたのも今となってはなつかしい話ですね~♪

夏祭り以降の麗奈と久美子の急速な接近と百合常態化も第一期の大きな見所の一つでもありました。
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BanG Dream!のテレビアニメやD4DJはブシロードも大変力を入れているせいなのか、この二つのアニメは
2020年~22年にかけてはほぼ毎期ごとに再放映または声優さんたちによるバラエティー番組や特番が東京MXで
放映されていて、その優遇ぶりはなんだかすごいものがありそうです・・

BanG Dream!の第三期アニメでは未登場でしたけど、BanG Dream!のゲームアプリ内においてMorfonica(もるふぉにか)という
ガールズバンドも登場していて、今後のメディア展開も楽しみですし、
今年の7月に夏アニメ特番としてMorfonicaをメインとしたお話も放映されていたのも面白かったです。
というか・・既に声優さんたちによるバラエティー番組ではMorfonicaはお馴染みになっているともいえそうです。
そしてMorfonicaの声優さんたちによるリアルバンドも既に始動していますけど、こちらの方の活動も今後の一層の活躍も
期待大です。

Morfonicaは、名門のお嬢様学校・月ノ森女子学園の一年生で結成されたガールズバンドグループなのですけど、このメンバー
5人の中では私的に大注目なのは、八潮瑠唯という BanG Dream!史上初のヴァイオリンパートを担当する
クールビューティの女の子です!
ドライな才媛JKさんですけど、ガールズバンドの中でのヴァイオリンという位置づけもサウンド的にもヴィジュアル的にも
とても大胆な起用だったと感じています。

ちなみにMorfonicaのメンバーの苗字(倉田・八潮・桐ヶ谷・広町・二葉)は東京都品川区の地名に由来していたりもします。
参考までに・・Pastel*Palettesのメンバーの苗字(丸山・氷川・白鷺・若宮・大和)は東京都中野区の地名に由来しています。
私自身、19~22歳の時に住んでいた町は中野区であり、1996~2000年の間にとある金融機関の西落合支店で
担当していた営業エリアは中野区でもありましたので、私にとってもPastel*Palettesのメンバーの名前は
それぞれなんだか懐かしい想いで一杯であったりもします。

いずれにしても、ガールズバンドの世界にヴァイオリンパートを新たに登場させた意義はかなり大きいようにも感じたりもします。

ピアノは地球上における全ての楽器の帝王とすると、ヴァイオリンは管弦楽団の中においては、奏者数も圧倒的にNo.1
ですし、管弦楽団のメインメロディーを一手に引き受けているあの君臨振りからすると、
管弦楽団の中のすてきな女王陛下と言えるのかもしれないです。

ヴァイオリンは、16世紀に現れた4弦の楽器であり、17世紀頃に制作された楽器の型が基本的には現在に至るまで、
ほぼその形のまま受け継がれています。

ヴァイオリンは地上でもっとも高価な楽器の一つとも言われています。

練習用の安っぽい量産楽器ですと一台1万円以下で買えますけど、例えば17~18世紀頃に制作されたストラディヴァリウス等の
名器は一台場合によっては数億~数十億程度になってしまうとてつもなく高価なヴァイオリンもありますけど、
この価格差は機能の差というよりはむしろ一種の美術工芸品的価値の領域なのかもしれないです。
年始に放映されるタレントの格付け番組で何度となく
「大量生産の安物ヴァイオリンとストラディヴァリウスの音の違いを聴き分けろ」という問題が出されることもありますけど、
正直、素人ではテレビから流れてくるその音からは両者の明確な違いはよくわからないです・・(汗)

冒頭で触れた通り、16世紀前半頃に今現在の姿へとまとまったようですけど、ヴァイオリンという楽器はよく言われる事ですが、
「この楽器の気品溢れる優雅で美しい形は女性のボディーを模したもの」と言われることはあながち間違ってはいないと
思います。
それが冒頭で記したヴァイオリン=管弦楽団における女王陛下、またはミューズ(女神様)という印象に繋がっているのかも
しれないです。
ヴァイオリンを人間のスリーサイズで表現すると、バスト16.5 ウエスト10.5 ヒップ20.6cmとヴァイオリンの胴体のバランスは
大変美しく調和されていて、見た目的に大変洗練されていて美しいです。
そうした意味では、ヴァイオリンという楽器は実は大変スレンダーな美人さん楽器なのかもしれないです。
その点、コントラバスやチューバといった大型楽器は言うまでもなく華奢とかスレンダーというワードとは全く無縁の存在
なのかもしれないです・・
(似たような楽器としてチェロもそうなのかもしれないですね・・但し、ヴァイオリンは発育途中の美少女であるのに対して
チェロは美しく成人した艶やかなお姉さん・・という感じなのかもしれないです。
東方で例えるとヴァイオリンは咲夜さんであり、チェロはゆかりん=八雲紫様なのかもしれないです)
ヴァイオリンの身長を60cmとすると、頭部に該当する糸倉が約10cmと言う事で、さすがに八頭身美人さんという訳では
ありませんけど、その調整されたバランスの良さは見事だと思います。

歴史的には、本体の形そのものは16世紀頃のヴァイオリンとほぼ同じですけど、付属部分は結構大きな変化も
あったりします。
棹の長さと胴体上に伸びている指板の長さはバロック時代以降に大きく延長され、
駒の高さ・指板の角度も高くなっています。
この改良の背景として、ハイポジションを弾きやすくし、楽器自体の音量を大きくする意図があると言われています。

吹奏楽の分野においては、ヴァイオリンは使用しない楽器です。
(吹奏楽に複数以上のヴァイオリン奏者を配置すると管弦楽団とほぼ丸被りになってしまいそうですね~)
吹奏楽コンクールにおいては、1981年にピアノとハープを使用する事が解禁となり、
その流れから一時期ですけど、ヴァイオリン・チェロ・ベースギター・エレキギターの使用が認められていた時期も実は
あったりもします。
吹奏楽にピアノを使用し、それが大変効果があったと実感させられたと初めて感じた演奏が、
1981年の東北大会で聴いた大曲高校の三善晃/交響三章~第二楽章でしたし、
ハープを最初に使用したチームは、恐らくは1981年の市立川口高校の「無言の変革~問い」だと思います。
ヴァイオリンを実際にソロ楽器として使用した初めての例は、1982年の仙台第一高校の組曲「グランドキャニオン」だと思います。
仙台第一はヴァイオリンの他にピアノやウインドマシーンも大変効果的に使用していたのも大変印象的でした。
市立川口の無言変革~問いは、演奏の途中で奏者が突然スタンドアップし体をくねらせながら法螺貝を吹いていた事は
当時大変な話題になっていたと思いますし、仙台第一も確かクラリネット奏者が自由曲の冒頭が鳴って、突然立ち上がり
楽器をヴァイオリンに持ち替え、全くの無伴奏状態で純粋にヴァイオリンの音だけを奏でていて、最初に地区予選で
あれを見かけた時は衝撃以外の言葉しか出てこなかったものです・・
チェロを使用した例は、96年の伊奈学園の「英雄の生涯」だったかな・・?
仙台第一は、1982年の東北大会でウォルトンの交響曲第1番終楽章を演奏して私に大変な感銘を与えてくれた花輪高校
すらも撃破して全国大会に初出場を果たしたものの、東北大会で前年の代表校の花輪と磐城を撃破して全国出場を
果たした時のあの素晴らしい感動はなぜか全国大会では再現されず、凡演で終わってしまい、
当時の私を思いっきりがっかりさせ「全国の普門館の聴衆に花輪のウォルトンの1番の名演を聴いて欲しかった・・」と
愚痴らせていたものでした・・(汗)
仙台第一の演奏は、地区予選・県大会・東北大会・全国と全て聴きましたけど、一番よかった演奏が地区予選で、
神がかりの感動を伴った演奏が東北大会でしたけど、全国ではソロ担当のヴァイオリンを筆頭にとてつもない凡演で
終ってしまった事は、やっぱり当時の普門館には甲子園同様の魔物が棲んでいたという事になるのかもしれないです。

1990年代後半あたりまでチェロとヴァイオリンまで使用OKというのが当時の吹奏楽連盟のコンクール規定でしたけど、
「管弦楽団とどこに違いがあるの・・?」みたいなツッコミも入りそうですし、
それは本来の吹奏楽の響きとは異なるような気もしますので、今現在の吹奏楽連盟のヴァイオリンとチェロの使用禁止は
むしろ当然だと思いますけど、
ベースギターの使用禁止の規定は以前のように使用可にして貰いたいですね~♪

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ここから先はdream fantasy2
アミグリさんが過去に描かれたかわいい絵のご紹介コーナーです。

上記でちらっとPastel*Palettesの話が出てきましたので、今回は丸山彩ちゃんを転載&ご紹介をさせて頂きたいと思います。

上記のとってもかわいい女の子は、アミグリさんが2019年2月に描かれたBanG_Dream!の丸山彩ちゃんです。

丸山彩ちゃんというと、Pastel*Palettesのボーカルなのですけど、他の極めて優秀で才能溢れるメンバーに対して
彩ちゃんは普通というのか音楽才能的には平凡な女の子という印象もある中で、いつも一生懸命で前向きで
努力を惜しまないあのひたむきな姿には、共感するものが大なのだと思いますし、
その辺りが丸山彩ちゃんの人気の理由なのかもしれないです。

アミグリさんの描かれた丸山彩ちゃんはとにかくとってもかわいいです!

ピンクのもふもふ~っとした雰囲気のツインテもとってもよくお似合いです。
彩ちゃんは髪を下した場面やツインテ以外のシーンもありましたけど、アイドルらしいこのツインテがよくお似合いだと思います。
ピンクのフリフリのアイドルっぽい衣装もピンク系プリキュアのかわいらしさを彷彿とさせるぐらいとてもよくお似合いで、
華やかさとかわいらしさを一段と盛り上げているように感じられますね~!
背景の淡い雰囲気もアイドルさんらしさも更に引き立たせているようにも感じられそうです。

とにかくツインテのこのやわらかそうなモフモフ感と笑顔のかわいらしさと
絶対領域の眩しさと華やかで明るい雰囲気は素晴らしいです!

上記のアミグリさんが描かれた丸山彩ちゃんの権利は、全て丸山彩ちゃんの絵師様であるアミグリさんに
帰するものであり、当ブログにおける転載とご紹介は事前に全てアミグリさんからご了解を頂いたものであり、
アミグリさんからのご厚意で転載をさせて頂いておりますので、
無断お持ち帰りや無断コピーは絶対NGですので くれぐれも宜しくお願い申し上げます。

アミグリさん、いつもすてきなイラストの転載を快諾して頂きありがとうございます!!

皆様の中で「こんなにかわいい丸山彩ちゃんを描く人のブログってどんなもんなのだろう・・? 」などと興味がある方は、
是非是非アミグリさんのブログ dream fantasy  を
ご覧になって頂きたいと思いますし、宜しければ、当ブログだけではなくて、
是非アミグリさんの本家本元のブログ dream fantasy  に一度お越しして頂けると
アミグリさんのブログをご紹介させて頂いている私もとってもとっても嬉しいです!

アミグリさんが定期的に作品を投稿され続けている →アミグリさんのpixiv にも是非一度足を運んで頂ければ幸いです!

アミグリさんのpixiv

クールビューティの八潮さんもすてきですけど、丸山彩ちゃんのかわいらしさもとっても素晴らしいと思いますね~♪
それにしても最近の物価高騰は困ったものであります・・

お給料はほとんど上がらないのに、ガソリン代をはじめとしてガスや電気といった公共料金のとてつもない値上げラッシュや
日々の生活必需品の値上がり続出(特にパン・麺類・油・ドレッシング・小麦粉・のり・ポテトチップのとんでもない価格高騰は
困ったものです・・)は、これから秋に向けて更に家計を直撃しそうですし、
もしかしたら・・? 私たち庶民の生活はますます苦しいものとなり嫌でも財布のひもを締めざるを得ないという事で、
給料が上がらない→物価高騰→節約モードに入り財布のひもを締めることによって消費にお金が回らない→景気低迷
→給料が上がらないという負のスパイラルに陥らないことを願うばかりです。

とにかく現況の物価高騰に対抗する術は出来る限りの節約と無駄なものは買わないという事なのかもしれないですけど、
節約という意味ではお昼ご飯については、高い外食やコンビニ等での高いお弁当を購入するのではなくて
比較的安めのスーパーやいわゆる安売り量販店で購入するのも一つの術なのかもしれないです。

そうしたコスパがよくてある程度おいしさもあり栄養もしっかり取れそうなスーパーや量販店でのお弁当をさいたま市内で
見つけたものを二つほどレビューしたいと思います。



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OKストアのOKストアの198円+税の「目玉焼きのっけのり弁当」

この「目玉焼きのっけのり弁当」には、ご飯の上にのりとおかかが乗せられていて、それだけでも十分にご飯が
食べられそうでもあるのですけど、おかずとして、きんぴらごぼう・鶏のから揚げ・白身肴フライ・ちくわのフライが
乗っけられている上にトドメを刺すかのごとく目玉焼きがどーんと乗せられています!
そしてこの目玉焼きの黄身は、半熟状のどろーっとした状態になっていて、まるで卵かけごはんを食べているかのようにも
感じられます。
そうそう、この目玉焼きのっけのり弁当には醤油ではなくてなぜかソースが調味料として付いているのですけど、
よく目玉焼きの上に掛ける調味料として醤油が相応しいのかはたまたソースがいいのか論争になる事も??稀にあるようですが、
OKストアの方針としては「目玉焼きはソースでしょ・・」という感じなのかもしれないですね。

ご飯の上に目玉焼きの半熟気味を潰してその上にソースを掛けると、なんだか洋風の卵かけご飯を味わっている様な
感じにもなりそうです。

一つ欠点を言うと、OKストアは一個49円のおにぎりもそうなのですけど、お弁当のご飯は正直冷えるとあまりおいしくないです。

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ロジャースの189円+税の「野菜炒め弁当」→OKよりもさらに9円安くてとてもおいしいです~♪(特にごはん)

ロジャースと記しても大半の方は「なんですか・・? それ・・」と感じられるのかもしれないですけど、埼玉県においては
大変認知度と知名度の高いお店です。
ちなみにロジャースとはさいたま市桜区に本社を置く北辰商事が運営する埼玉県内を中心に展開するディスカウントストアです。
新大宮バイパスと埼大通り(国道463号線)の交差点付近で開業したボウリング場「ロヂャースボウル」が発祥なのですけど、
このボーリング場が後に小売りの量販店に業態変更したのがロジャースな訳でして、
埼玉県内においては、安売り量販店というともちろんドンキーホーテが大手なのですけど、このロジャースも埼玉県内に
おいては大変高い知名度と実績があると思いますし、私も結構ロジャースは利用させて頂いております。
(品ぞろえの豊富さと価格の安さは魅力的ですし、ドンキーがまるで迷路になっているような商品配置であるのに対して、
ロジャースはすっきりとわかりやすい商品陳列です)
上記のとおりロジャースの発祥はボーリング場なのですけど、国道463号と新大宮バイパスの交差点付近のロジャースは
屋上にボーリングピンのモニュメントが2005年の大規模改築まで設置されていたものでした・・

ロジャースは惣菜やお弁当にも力を入れていて、かなり安めの価格設定の商品から少し高めの商品まで品揃えも
充実していますけど、今回レビューするのは一つ189円+税の「野菜炒め弁当」です。
そしてこの野菜炒め弁当は、ごはんに、ふりかけ・漬物・きんぴらごぼう、ソーセージがある他にメインの野菜炒めは
もやし・キャベツ・にんじん・ピーマン・玉ねぎと野菜がたっぷり入っているうえに豚肉もかなり大きめのものが4枚程度も
付いていて、毎回これを食べるたびに「これって・・コスパ良すぎ~! 本当に元が取れているの~!?」と感じさせるくらいの質量の
充実があると思います。
上記で触れたOKストアのごはんはさめるとあまりおいしくないのですけど、ロジャースの方は福島産のこしひかりを使用している
事もありますけど、冷めても温かくてもとってもおいしいですし、さらにふりかけまでついてくるのも
嬉しいサービスだと思います。

物価高騰に上がらない給料・・・ 私たち庶民はこれに対抗すべく節約とかコスパ重視の買い物も求められますけど、
このロジャースの野菜炒め弁当はある意味最強のお弁当なのかもしれないですね~♪


「プリパラ」のドレッシングパフェ

本日、8月24日は、バニラヨーグルトの日、歯ブラシの日、レンタルユニフォームの日、ポンペイ最後の日でもありますけど、
同時に「ドレッシングの日」でもあったりします。
ちなみに野菜記念日は8月31日なのですけど、ドレッシングは野菜の上にかける調味料ということで、各種調味料関連事業を
展開しているケンコーマヨネーズ株式会社が、カレンダー上では8月31日の前週にあたる8月24日を記念日に
と制定したものであったりもします、
また、ドレッシングの日(8月24日)〜野菜の日(8月31日)までの1週間はサラダウィークともされているそうです。

どちらかというと敬遠されがちな生野菜サラダもドレッシング一つで劇的に味が変化するのは面白いものがありそうです。

以前ですと生野菜に掛けるドレッシングというと、ちょっと酸っぱい味覚のセパレートタイプとか白ドレッシングばかりという
印象もあり、私個人の味覚としては、
「そんな酸っぱいものを野菜にかけてもよけいに生臭く感じるじゃん」という感じであまり好きではなかったのですけど、
それを劇的に変えたのが、シーザードレッシングの登場だったと思います。
最初にシーザードレッシングで生野菜サラダを食べた時の感想は、
「生野菜ってこんなにも美味しいものだったの・・・!?」という新鮮な感動と驚きでしたので、
生野菜サラダというものは、その付け合せとも言えるドレッシング一つだけで劇的に変る事が出来るという事なのかも
しれないですよね~♪
その後、シーザードレッシングの他にも、わさび醤油ドレッシングとかゴマドレッシングとかゆず胡椒ドレッシングなどなど
掛けるだけで一気に生野菜が美味しく感じられてしまうドレッシングが色々と出てきて
「生野菜サラダがあまり好きではない人にとっては助かるよなぁ・・」と感じずにはいられませんし、
たとえば、キューピーの緑キャップシリーズのようにフルーティーなドレッシングもたくさん登場してきていますので、
その選択肢の幅の広さも大変ありがたいものがありそうです。

さてさて、ドレッシングというと「プリパラ」のたくさんのユニット・神アイドルの中では「ドレシングパフェ」が大変印象的で
あったりもします。
ドレッシングバフェの正式表記は「DressingPafé」であり、らぁら達そらみスマイルの永遠のライバルという立ち位置で
あったりもします。
元々は「打倒そらみスマイル」で意気投合したシオンとドロシーの間をスカウトマスコットのウサギが取り持って
結成された経緯があったりもします。
そらみスマイルがいかにも女の子そのもののかわいいアイドルというイメージであるのに対して、ドレッシングバフェは
相当な個性派チームともいえそうです。
というのもメンバーがそれぞれ漢女、ボクっ娘、男の娘という個性派揃いであり、
そらみスマイルが「和」を重んじるチームだとすれば、ドレッシングバフェは「個」を重んじるチームと言えそうです。
もちろんプリパラにはたとえばノンシュガーのように個性重視でメンバーのキャラが3人バラバラという事例ももちろん多々
あるのですけど、ドレッシングパフェほど個性が際立ち多様性が目立つチームはないという評価も成立しそうです。

本日は冒頭で記した通り「ドレッシングの日」なのですが、プリパラの「ドレッシングパフェ」のドレッシングというワードの
由来ですけど、ドロシーの「ド」、レオナの「レ」、シオンの「シ」の3文字と
特にシオンとドロシーが水と油のように相容れない者同士のユニットであると言う2つの意味を合わせた「ドレッシング」といえのが
由来であったりもするのですけど、やはりそこにはサラダのドレッシングの素材の水と油からきているというのも
なんだか楽しいものがありそうです。
またドレッシングバフェのパフェについては、
フランス語で「完璧」を意味する"parfait"がその由来でもあったりするそうです。

メンバー3人の個性がドレッシングパフェと同様にバラバラで個性に富んでいるのが上記で書いた通りノンシュガーだと
思いますけど、メンバーは、らぁらの妹の真中のん・月川ちり・太陽ペッパーで構成されていますが、
慌てん坊の姉とは対象的なしっかり者であるのんと
プリパラ内では普段の弱気な雰囲気とは全く異なり「頭が高ーーーい!そこにかしこまりなさい!」という高飛車なお嬢様キャラ
に変貌してしまうちりにアプリカのサパンナで、雌ライオンに育てられた野生アイドルというペッパーの
「この3人で一体どうすれば一つのユニットとしてまとまるの~?」というバラバラさで構成されているのは
ドレッシングパフェ以上に一つの奇跡ともいえるのかもしれないです。
ちりのギャップは個性として扱われているて、現実のちりも話が進むにつれのん・ペッパーに助けられる形でプリパラ内
の自分を受け入れ内気な性格も少しずつ改善されていったのはとてもよかったと思います。



ここから先はdream fantasy2
アミグリさんが過去に描かれたかわいい絵のご紹介コーナーです。

上記の作品は、2018年2月に描かれた「かしこまっ!」でお馴染みの真中らぁらです!

アミグリさんが描かれたらぁらはとってもかわいいですし、なによりも今この瞬間に「かしこまっ!」と言っていそうな雰囲気が
すてきに漂っていると思います!
明るい雰囲気に満ち溢れていて、見ているだけで元気やパワーをこのらぁらから分けて貰えそうですね!
らぁらの外見というとなんといっても初音ミクを彷彿とさせるあの巨大ツインテールなのですけど、
紫のツインテのかわいらしさもすてきですし、衣装もアイドルそのものでとってもキュートでかわいいなぁ・・と思いま。。
らぁらが小学生であるとは今でも信じられない話でもあるのですけど、
「小学生は最高だぜぇ!」と思わず言いたくなってしまいそうなすてきならぁらだと思います。

このピースサインもウインクもすてきな笑顔もまさに「正統派アイドル」そのものだと思います!!
そしてらぁらのフリルの描き方も細かく丁寧に描きこまれていて、この完成度の高さは素晴らしいものが
あると思います。
だけどそれ以上にもっと素晴らしいのが、そうした技術的な難しさを見ている人に「難しそう・・」とあまり感じさせずに
純粋に「このらぁら、とってもかわいいね~!」と自然に感じさせるアミグリさんの絵師様としての腕に脱帽!という感じの
仕上がりだと思いました!

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続きましてアミグリさんが2018年2月に描かれたプリパラの南みれぃです。

それにしてもアミグリさんが描かれたみれぃはとてもかわいいと思いますし、アイドルの鑑みたいな雰囲気も
十分に醸し出されていると思います。
このアイドルそのもののフリフリ&キラキラ衣装はまさにみれぃそのものだと思います!
現実世界のみれぃのポニーテールの堅そうな雰囲気との違いも見事に表現されていて、やはりこの弾けっぷりが最高だと
思います。

みれぃのプリパラ内での外見の特徴の一つとして髪型の「猫耳風お団子」があると思うのですけど、
アミグリさんが描かれたみれぃのお団子もとってもかわいいです!
角隠しみたいな雰囲気というよりは、むしろけものフレンズを彷彿とさせるかわいらしさとしての雰囲気が全然勝っていると
思いますし、「あのお団子をちょいとばらっとほどいてイタズラしてみたい・・」と感じさせるほどのぴっちぴちのかわいらしさが
ここには詰まっていると思います。

衣装のカラフルさもすてきですし、れみぃのこの屈託のない笑顔もまさにアイドルそのものだと思います!
カラフルなニーソも赤青と異なる髪のリボンもとてもかわいいと思いますし、特筆すべきはスカートの
多重構造のこのフリルの描き方の見事さだと思います。
このスカートのフリルのひらひら感とフリフリ感は素晴らしいですね~♪

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最後に・・アミグリさんが2018年3月に描かれた「そらみスマイル」の3人の集合絵です。

らぁらがメインに位置していますけど、そふぃもみれぃもとってもかわいいと思います!

みれぃのネコ耳っぽいお団子もらぁらの髪にちょこんと乗ったシルクハットもとってもかわいいものがあると思いますし、
プリパラの中でも王道中の王道のこの三人が勢揃いしたそらみスマイルの集合絵は、とても華やかで
見ているだけでもハッピーな気持ちになれてしまいそうなすてきな集合絵だと改めて感じたものでした。

アミグリさんの絵は、どちらかというとキャラ一人を描く傾向が強い中、こうした集合絵というか複数キャラを描かれる作品も
大変珍しいものがありますので、そうした意味においても大変貴重な作品と言えるのだと思います。

最近のアニメでもアイドル系はたくさんありますけど、その中でもプリパラの個性の際立ちは改めて素晴らしいな~と
感じてしまいそうです。


漬物=お新香の一例

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浅漬けきゅうりの一例

以前の記事で高齢化?に伴う味覚や嗜好の変化について記しましたけど、最近は漬物もそうなのかもしれないです。

以前は漬物というと例えば定食についてくる箸休めみたいな感じとか
別になくてもいいけどあればあったでおかずの一品が少し増えた感じという印象がありましたけど、最近は
漬物自体が一つの立派なご飯のお供というか白いご飯のおかずという印象もあったりします。
それにどうしても普段の食生活においては野菜不足になりがちですし、この野菜不足をサラダだけで
補おうと思ってもかなり無理があると思いますし、そうした時にこのお漬物は野菜不足解消の一つの策にもなりうると
思いますし、お漬物によって栄養補給が可能ともいえそうです。
漬物は効率よく栄養を摂取できる食品で、ビタミンCなどの水溶性ビタミンは水に溶けやすく熱に弱い性質を持っていますが、
漬物にすることでビタミン等の栄養価を失うことなく摂取できます。
漬物の発酵は乳酸菌によるものであり、特に植物性乳酸菌と呼ばれているいます。
乳酸菌はヨーグルトや味噌などの発酵食品に欠かせない菌であり、体の調子を整え健康をもたらすため善玉菌と言われて
いますが、 漬物に含まれる植物性乳酸菌は酸に強いため、胃液により死滅することなく、
生きたまま腸まで届きやすく、生きた乳酸菌は腸で乳酸を作り出し、腸内を酸性化させるたりもします。

こうした意味ではお漬物というのは大変貴重な効能があると思いますけど、採り過ぎによる塩分超過だけは
留意する必要もありそうです。

さてさて、上記でお漬物と表示しておりますけど、お店によっては漬物の表記を「おしんこ」または「お新香」と記す店も
あったりします。

それでは漬物とお新香にはどこに違いがあったりするものなのでしょうか・・?

お新香とお漬物は呼び方が違うだけで実はまったく同じものを表しています。

お新香は香の物とも言われ、漬物の香りを表しそう呼ばれるとされているそうです。

お新香とお漬物は、野菜から作る作る伝統のものであり、呼び方が違うだけで、同じものを表しています。
お漬物のことを上品に言うとお新香になるとも言われており、これはお漬物の香りを表しているともいえそうです。

ただここに「浅漬け」という概念を含めて考えると少し変わるようにも感じたりもします。

•お新香・・・お漬物の中で短時間で浅くつけてあるもの、浅漬けと同じ、発酵させない、漬物の上品な呼び方として使う人もいる

•浅漬け・・・お新香と同じ

•漬物・・・お新香を含めた全般的なものを指す、発酵させるものも漬物に含まれる

厳密に見るとお新香は漬物の中でも浅くつけてあるものを特に指し、そうした意味では、
お新香と浅漬けは同じ意味ということになります。
漬物は発酵させるものも含みますが、お新香・浅漬は発酵をさせません。

いわれてみると・・、昔実家で食卓に出されていたいわゆるぬか漬けのきゅうりやなすの漬物は少しすっぱくて
いかにも長期保存した発酵食品という感じでもありましたけど、
例えば吉野家などのセットメニューの「お新香」はそうしたすっぱさや長期保存という感じではなくて、いかにも
作ったばかりの浅漬けみたいなものですという感じてもありますよね~

それに最近ではスーパー等でも浅漬けの素はたくさんの種類が販売されていますし、カットした野菜をそうした浅漬けの素に
つけるかはたまたビニールで一緒に入れておいてそれをもみもみするだけで、あんなにも美味しい浅漬けが
できてしまうのもとてもありがたいものがありそうです。
チーカマ(チーズかまぼこ)は魚肉ソーセジと並んでよく給食に出ていたものですけど、
これは以前プリキュア記事の「プリキュアソーセージ」でも書いた事でもあるのですが、私は実はあんまり魚肉ソーセージが
好きではなくてあのどちらかというと生臭い味と臭いに抵抗を感じていたものでした。
その点、チーカマは違っていました、
中にチーズが入っているというという事で味に関しては元々絶対的な安心感があったと思いますし、
例えばちくわの穴の中に挟んだチーズ巻きがとても美味しいのと同じ理屈で、このチーカマも元々チーズとかまぼこの相性が
よくて、魚肉ソーセージと異なり「とっても美味しい!」という印象しか無かったです。
関東では「かまぼこ」というと小田原がとても有名だと思うのですが、以前日帰りのバス旅行で熱海に行った際に
小田原のお土産屋センターにも寄ったものですけど、かまばこの中でも変りダネとしてチーズは定番商品だったと
思いますし、実際に試食とかしてみても「やっぱりチーズとかまぼこの相性は抜群だね!」という感じになっていたと思います。

給食でも魚肉ソーセージはやはりあまり人気が無かったのに対してチーカマはかなり人気がある一品だったと
思います。
そうそう・・、学校給食で出されるチーズには二種類あり、三角形のアルミで包まれたチーズは普通に美味しいと
思うのですけど、チーカマとか魚肉ソーセージの形状みたいに薄いビニールで包装されていたチーズはなぜかあまり
美味しいとは感じられなかったです・・

それにしてもチーカマの手軽さと美味しさは今も昔も魅力的だと思います。
手軽におつまみにもおやつにも素敵なお料理にもなってしまう素敵な素材だと思いますし、そのまんま食べても
とっても美味しいですしひと工夫加えても美味しいと思います。
そしてチーカマの大きな魅力として挙げられるのは、実はカロリーもあまり高くないという事でもありますので、
ダイエット中の方にもお勧めの一品だとも思います。
チーカマ(チーズかまぼこ)というと色々なメーカーから出ていますし、最近ではコンビニでもコンビニとしてのPB商品として
店内に置かれているのも珍しくはないと思うのですが、
「チーカマ」と呼ぶ事が出来るのは、丸善のチーズかまぼこのみとの事らしいです。
(私も詳しいことはよく分からないのですがそれは商標の関係なのかな・・?)
丸善の「チーかま(4本パック)」について、1本(45g)あたりの栄養成分は、

カロリー 55kcal
たんぱく質 5.2g
脂質 1.3g
炭水化物 5.6g
とけっこう高たんぱくな割には意外と低カロリーというのがやはり一つの魅力と言えそうですし、やはりダイエット中の方にも
お勧めできる商品と言えるのかもしれないですね。

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このチーズかまぼこの包装なのですけど、学校給食の時もそうでしたけど、最近の商品においても
魚肉ソーセージのようなフィルム包装自体に切り込みが入っていない事も多々あり、
このフィルム包装が中々うまく開けられずイラッ!とする事は結構あったりするのかもしれないです・・・
あれって酷い時は、自分の歯で食いちぎって開けてしまう事もあったりして、これだけ利便性が高い商品が揃っている
日本においては今時珍しい包装商品なのではないのかな・・?と思ったりもします。

チーカマみたいな薄いフィルムを楽に剥がす方法って何かないものですかね・・?

私の場合ですと、やはりうまく開けられなくて、鋏を使ってフィルムに切り込みを入れるとか
やはり歯で食いちぎるという方法が一番多く採用しているのかもしれないですね・・

一般的にはこのフィルムの先端に赤いテープが付いている事が多いのですけど、これをはがして開けるというのは
理屈では分かっているのですけど、あれが中々剥がしにくくて毎回苦戦しているような気もします。
せっかく剥がしてもちょっとキズが付いただけで、そこに爪を入れてはがそうとしてもうまくいかない事も
結構多かったと思います。

これなんですけど、色々と調べてみると結構いい方法があるものです。

まとめてみるとその手順として最も適しているのかな・・?と思う方法は、

1.まず赤いテープを剥がす

2.赤いテープと反対側に先端をグイッと反らせる

3.フィルムがここでパカッと割れる

4.そのまま下に引くと、つなぎ目に沿ってフィルムが自然に切れて中身が出せるようになる

あたりなのかな・・と思ったりもします。この方法は今度自分でも確かめてみたいと思います。

他に私自身が試した方法としては、チーカマの端の金具部分につま楊枝を刺して、
反対側に貫通したら軽く横に回すと自然にフィルムがきれいに取れるというのもアリな方法だと思います。
つま楊枝が無かったらフォークで代用しても問題ないと思います。

最後に・・・

チーズかまぼこはもちろんそのまま食べても美味しいのですけど、
チーカマの炙り焼き・チーカマの生ハム巻き・チーカマ巻卵焼き・
チーカマを海苔とご飯で巻き寿司にしたサラダ巻きなどもとっても美味しいと思います。
単純にきゅうりにこのチーカマを詰まるだけでもとても美味しいと思いますし、ここに辛子明太子とマヨネーズを和えたソースを
たらしても美味しいと思います。

多分ですけどこのチーカマのレシピは思いつくと思いますし、素材にはしやすいと思います。
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dream fantasy2のアミグリさんが
描かれた当ブログ開設10周年記念絵としてリクエストさせて頂いた東方Projectの霊夢

本日、8月15日は太平洋戦争(第二次世界大戦)の終戦記念日であると同時に当ブログ・・「受け継がれるべきものの
開設10周年でもあります。
皆様のおかげをもちまして本日当ブログは2012年8月15日に開設したこのブログを無事に10周年を迎えることができました。
ここに改めていつも当ブログをご閲覧して頂けている皆様や時に温かい拍手やコメントを頂戴している皆様に改めて
感謝の気持ちをお伝えさせて頂きたいと思います。

本当にこの10年間ありがとうございました。

おとといも既に同じようなことを記しましたけど、
当ブログを語るうえで絶対に外す事のできない存在が「dream fantasy2」のアミグリさんなのですけど、
アミグリさんには本当にいつも心の底から感謝と敬意の気持ちでいっぱいで、
当ブログがなんとか10年も続けることができたのはアミグリさんの存在なしにはありえないと思います。

そしてアミグリさんにはこうした当ブログの節目記事や記念記事の際にはいつもリクエストをさせて頂き、いつも
素晴らしいイラストを描いて頂いておりまして改めて「いつもすてきな絵を描いて頂きありがとうございます」と
最大限の感謝の気持ちをお伝えさせて頂きたいと思います。

冒頭の東方Projectの霊夢はアミグリさんに事前に開設10周年の記念絵としてリクエストをさせて頂き、そして描いて
頂けた大切な記念作品です。

アミグリさんご自身のこの霊夢についてのコメントですけど、
「今回の霊夢ですが、髪と服のすそとスカートのフリルは2段にして、華やかな雰囲気を目指してみました。
黒ニーハイにするか少し迷いましたが、白ニーハイは清楚な印象があるので、白ニーハイにしました。
袖のリボンや髪をなびかせて描くのは楽しかったです♪
背景は、暖色系ですが、寒色系で外をふちどって、少しでもメリハリのある背景になってたらいいなと思います」との事でした。

なるほど! 確かにあのフリル2段は大変気合が入っていますし、髪がたなびく巫女さん霊夢はとっても美しいですし、
この霊夢ほど当ブログ10周年記念作品に相応しい作品はないと言えますし、
霊夢は東方の絶対的エースですし、紅白巫女はやはり見ている人に神聖な印象を与えてくれるだけに、この霊夢を
見ればみるほど「この10年間のほぼ毎日記事更新」という事に対するご褒美をアミグリさんという天からの女神様から
授かったような気持ちにすらなってしまいそうです。

とってもかわいくて美しい霊夢であり、当ブログの来月の開設10周年記念絵としてこれ以上相応しい絵はないのではないか・・!?とも感じましたし、それだけ大変完成度の高い霊夢だと思います。
リボンや髪が風でふわっとたなびく様子もとても清楚ですし、霊夢の後ろ手に組み
膝を少し曲げたポージングもとても女の子らしいですし、
幻想郷の素敵な巫女さんという印象よりも外界の完璧な美少女という雰囲気すら
宿しているようにも感じられそうです。
フリルの多層構造の華やかさも素晴らしいです!

当ブログは2012年8月15日に「自分がこれまで感じたことや生きてきた軌跡をなにか形に残るものとして
残しておきたい・・、特に吹奏楽コンクールで自分が感銘を受けた花輪高校・秋田南高校・就実・屋代高校などの演奏を
後世へ残せるような記録として何か綴っておきたい・・」みたいな感じで開設させていただき、
そうした吹奏楽関連は結構早い段階で「これで書きたいことは既に書いておいた」みたいな感じになっていたと思いますが、
せっかく開設したブログをそのまま放置というのもなんだかちょっと格好がつかないと感じ、
当時大好きだったプリキュア関連ネタを適当に書き始めたことから始まり、その後「dream fantasy2」のアミグリさんの美しい絵を見て感銘を受けたことに
起因して東方Project・艦これ・アズールレーン、ご注文はうさぎですか??など興味関心の対象が広がっていき、
そしていつの間にか埼玉ネタ・食べ物ネタ・ラーメンネタというか小泉さん関連ネタとカテゴリが広がり、
テキトーに記事を書いていたらいつの間にか10年が経過してしまったという事ともいえそうです。

そうした意味においては当ブログの存在は「dream fantasy2」のアミグリさん無しにはありえないものであり、
アミグリさんには本当に心の底から感謝しても感謝しきれないものがありますし、本日もこうやってすてきな霊夢の記念絵も
描いて頂けたことと合わせて、心から「これまでありがとうございました」という感謝の気持ちを改めてお伝えさせて
頂きたいと思います。

もっとも・・最近の当ブログは明らかにマンネリ気味で停滞傾向で、過去記事の焼き直し記事ばかり目立っていて
「ブログを続ける意義」に少しばかり疑義を感じたりもしていて、
一年間毎日記事を書くという皆勤賞とか「質より量」みたいな感じにもなっていて、そうした「毎日何か書かないと・・」みたいな
ヘンなプレッシャーみたいな自縛状態にもなっていなくもないとも自覚もしていたりもしますので、
そのあたりはこの節目以降はブログを続ける意義や当初の目的の「自分が生きてきた軌跡ってなんなの・・?」みたいな事も
検証しつつ、できればもう少し楽な気持ちで書くことができればいいかも・・と感じていたりもします。
そして、2022年に入って以降は冬の頃までは特に問題はなかったのですけど、やはり寄る年波には勝てないのか・・?
仕事が急に忙しくなってきたり、体力の低下がブログを毎日書いてみようという気力の低下もあった中で、
5月末の3回目ワクチン接種の異様な副反応の大きさの後遺症や尿路結石による背中とわき腹の尋常ではない激痛や
今年の異様な酷暑による夏バテ気味な体力低下といった体調不良も重なってきたこともあり、
「さすがにこれ以上はこれまでこだわってきた毎日記事更新はさすがに限界が来たのかも・・」と感じるようにもなってきました。
そうした意味においては今後の更新頻度はかなり下がるかもしれないですし、基本的には週に1~2回程度の更新に
留めるつもりでおりますし、場合によっては
一時休止みたいな事もあるのかもしれないですけど、
「自分が生きてきた軌跡を形のあるものとして何か残す」という想いに変わりはありませんので、
どうか今後とも当ブログを何卒宜しくお願いしますし、皆様からのあたたかい眼差しで今後ともご覧になって頂ければ
とてもうれしいです。

また記事の更新頻度は下がったり毎日のブログ管理はやらなくなっても、皆様のブログを拝見させて頂いたり、
時にコメントさせて頂くことは続けたいと思いますし、
当ブログの大きな根幹ともなっているdream fantasy2のアミグリさんが描かれた美しい絵のご紹介はこれからもずっと続けていきたいと
思います。

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最後に・・dream fantasy2
アミグリさんが描かれた霊夢をもう一枚お披露目して本記事を〆させて頂きたいと思います。

上記の霊夢は冒頭霊夢をアミグリさんが加筆修正した作品です。

アミグリさんによると
「巫女さんらしさが足りなかったような気がしたので、今回のイラストでは、
お祓い棒と陰陽玉を描いてみました。
前回のイラストよりも東方の巫女さんっぽい雰囲気になったでしょうか?

背景のグラデーションも幻想的な色合いをイメージしました」とのことですけど、

手にお祓い棒が、背景に陰陽玉が加わると幻想郷の清き正しき正統派の 巫女さんという雰囲気が強くマシマシになりそうです。 本当にこの霊夢はかわいくて美しい正統派の巫女さんだと思います。
東方キャラで普段手にしているモノというと、ゆかりんだったら扇子、レミリア様だったら日傘、
文ちゃんだったらカメラと団扇とメモ帳、魔理沙だったら箒、妖夢だったら刀という事になりそうですけど、
霊夢のお祓い棒はいかにも巫女さんという感じですので、改めて陰陽玉とお祓い棒が加わると幻想郷のすてきな巫女さんという
雰囲気が濃厚になりそうです。

また背景もとっても美しくて幻想郷の巫女さんに催行に相応しいシチュエーションのように感じたりもします。

今回の10周年もアミグリさんには本当に気合と気持ちの入った霊夢を描けて頂けたことに改めて感謝の言葉を
お伝えしたいと思います。

前述のとおり、明日からの当ブログは当面は週に1~2度程度更新の不定期更新になりますけど、それでも自分が生きている
証として「何か」を発信させて頂くことは続けていきたいと思いますし、
また気力や体力が戻ってきたら少しずつ更新を増やしていければいいかな・・とも思っています。

この10年間は本当にありがとうございました。

これからも何卒宜しくお願いいたします。
現在はお盆期間中というかお彼岸真っ只中です。

お盆期間中はご先祖の皆様たちの供養というよりも、どちらかというと「ご先祖様・・特に生前に親交やお付き合いのあった
故人のことを思い出してあげて偲んであげて故人との思い出を懐かしむ」という事の方が
ご先祖様や故人の皆様にとってはうれしいことなのかもしれないです。

西洋のクラシック音楽ではそうした死者のための音楽というとたとえばヴェルディやモーツアルトなどの作品でもお馴染みの
レクイエムなのかもしれないですけど、
(日本の大作曲家でもあり既に彼岸の彼方に旅立たれた三善晃の「レクイエム」という戦争を告発する作品も決して忘れては
いけない邦人作品の一つだと思います)
お彼岸と吹奏楽オリジナル作品というとなかなかそれに合致する曲もないとは思うのですけど、その中でそれらしい曲
ということで、本日は稲垣卓三の管楽器のための組曲という知る人ぞ知る陰鬱な超マイナー作品を簡単に
レビューさせて頂きたいと思います。

私自身、生まれて初めて購入したクラシック音楽のレコードは、ショスタコ―ヴィッチの交響曲第5番「革命」でした。
そして2番目に購入したレコードがオーマンディ指揮・フィラデルフィア管弦楽団の「ロシア名曲シリーズ」で、
ダッタン人の踊り・スペイン奇想曲などが収録されていました。
3番目に購入したレコードがシベリウスの交響曲第1番だったと思います。

それでは吹奏楽関連において私が一番最初に購入したレコードにはどんな曲目が収録されていたのでしょうか・・?

そのレコードは「東京佼成ウインドオーケストラ 第1集と第2集」でして、

・演奏団体:東京佼成ウインドオーケストラ
・指揮者:秋山和慶
・発売元:(株)佼成出版社
・出版年:1979年3月

という内容だったと記憶しています。このレコードはフェネルが東京佼成の常任指揮者に就任する前の収録されたものであり、
フェネルの華やかさとは別にいかにも秋山さんらしい真面目で端正な仕上がりの曲ばかりだったと思います。
2集の方に収録されていたのがいわゆるロシアものの吹奏楽アレンジ作品でして、確か収録されていた曲が
1.歌劇「コラ・ブルニヨン」序曲 2.組曲「道化師」 3.バレエ音楽「ガイーヌ」~剣の舞・子守歌・レスギンカ舞曲
4.バレエ音楽「スバルタカス」~スリーダンスエピソード
という大変充実していまして、特に組曲「道化師」は、私自身が1982年の時の高校の定期演奏会で演奏した曲で、
かなりの部分参考にした記憶があります。
ガイーヌは、この当時はまだあの名アレンジの誉れ高い林紀人先生の版ではなくて、藤田玄播または稲垣卓三による
アレンジが主流だったのは今現在との大きな違いかもですね。

そしてこのシリーズの第一集に収録されていた曲目は、大変メジャーな曲目と超マイナーな曲目の吹奏楽オリジナル作品の
組合せという事で、当時からかなり注目度は高いレコードだったような記憶があります。
この第一集の収録曲目は、

【Side A】

1.交響曲第2番「三法印」/ロバート・ジェイガー
 1楽章 諸行無常 
 2楽章 諸法無我 
 3楽章 涅槃寂静 

2.天使ミカエルの嘆き/藤田玄播 

【Side B】

1.シンフォニア・ノビリッシマ/ロバート・ジェイガー 

2.管楽器のための組曲/稲垣卓三
 1楽章 プロローグ 
 2楽章 仏前にて 
 3楽章 影 
 4楽章 夢 
 5楽章 行進曲 

という内容でしたけど、ジェイガーのシンフォニアノビリッシマと藤田さんの天使ミカエルの曲は今現在でも
時折ですけど吹奏楽コンクール等でも演奏され続けている息の長い作品ですけど、
ジェイガーの三法印と稲垣卓三の組曲は知る人ぞ知る曲という扱いになっているのは否定できないと思います・・
ジェイガーの吹奏楽のための交響曲(第1番) は大変な人気作品であったのに対して、2番の三法印に不人気ぶりは
ある意味際立っていたとも思えます。
私もこの三法印は何度も聴いてみましたけど、この曲のどこに魅力があるのかいまだにさっぱり分かりません・・
1980年に京華学園が自由曲とした以外は、どのチームも吹奏楽コンクールでは演奏されていない事実こそが
その不人気ぶりを見事に象徴しているとも言えます。
同じく稲垣卓三の「管楽器のための組曲」も三法印以上に人気がない曲でありまして、
この曲は吹奏楽コンクールにおいては支部大会以上ではなんと一度も演奏された事すらありません。

稲垣卓三というとどちらかというと東京佼成のコントラバス奏者または吹奏楽作品のアレンジャーというイメージの方が
強いと思います。
上記でもちらっと書いていますけど、ガイーヌ・歌劇「運命の力」序曲、歌劇「ウィリアム・テル」序曲の稲垣さんのアレンジは
かなり優れていると思いますし、ガイーヌも林紀人アレンジ版が出るまではかなり演奏されていたような気がします。
稲垣さんは指揮者としても東京佼成の地方公演を何度かされていて、そこで管楽器のための組曲・三つの日本民謡といった
自作自演もされていたような記憶もあります。

そしてこれは後日の話なのですけど、1980年代後半以降急速にレコードからCD化が普及した際に、
秋山さんが指揮された東京佼成ウインドオーケストラ のレコードがCD化されて再販売されていた頃、
稲垣卓三の「管楽器のための組曲」は割愛されてしまい、CDとしては未収録のまま今現在に至っていますので、
この東京佼成ウインドオーケストラ 第1集のレコードはかなり貴重なものがあるといえそうです。

以前当ブログで兼田敏の「ウインドオーケストラのためのファイブイメージス」という曲は、まるで新ウィーン楽派みたいな
抽象的で難解な作品と記したことがありますけど、
稲垣卓三の「管楽器のための組曲」もその抽象的な内容と曲の難解さは、兼田敏のファイブイメージスに決して
見劣りしないと思います。
私もこの組曲は何度か耳にしましたけど、やはり三法印・ファイブイメージス以上にさっぱりわからないです・・
ファイブイメージスの方はまだどこなくカラっ・・としたあっけらかんさみたいなものもなくはないと思うのですけど、
稲垣卓三の組曲は、和の陰々滅々みたいな雰囲気が濃厚で、全体的に「死と夢」をテーマにしたようにも感じられなくも
ないように感じられたりもします。
特に第Ⅴ曲の「行進曲」は、「この陰鬱な雰囲気のどこがマーチなの~!?」という感じなのだと思いますけど、
あの陰気な世界は、新ウィーン楽派のベルクの初期作品でもある「三つの管弦楽曲~Ⅲ.行進曲」の雰囲気と
かなりの点で被るようにも聴こえたりもします。
その中で唯一イメージしやすい楽章がありまして、それが第二曲の「仏前にて」だと思います。
(というか曲のタイトルに仏前というワードが入っている事自体すごい話なのかも・・?)
この「仏前にて」は黙って目を閉じて聴いていると、いかにもご逝去した方をしのんでその御仏壇に、
チーンチーンと鐘を鳴らしたり焼香をしたり、お線香をつけたりといった「死者への弔い」が日本的なお線香・手を合わせるという
動作として表現されているようにも聴こえたりして、
全体的には大変抽象的でわかりにくい音楽なのですけど、仏壇の前にて手を合わせるという具体的なイメージが
なぜか必然的に湧いてくるという意味では大変面白いものを感じたりもします。

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我が家はお彼岸とは別に毎年毎年11月になるとお墓参りに行く事が多いです。
というのも、なぜか11月にご逝去された身内の方が非常に多いというのもなんだか不思議なものも感じたりもします。
うちの奥様のご両親さんもお二人とも11月にご逝去されていましたし、お墓に刻印されている命日を眺めていると
11月に亡くなられた故人の皆様が多いというのもなんだか偶然ではないような気もしますし、うちの奥様自身も
そのせいかしりませんけど「私が死亡するとしたらそれは11月なのかも・・?」と縁起でもない事をたまに
口にしているようです。
年に何度かお墓参りに行ったり我が家の御仏壇にお線香を付けたり手を合わせるといった動作をしていると、
不思議とこの奇妙な感覚としか言いようがない稲垣卓三の「管楽器のための組曲」~仏前にてを思い出してしまいます。

2018年の冬アニメの「色づく世界の明日から」のヒロインの月白瞳美も未来に帰った際に、(過去において一時期学校生活を
共にしたクラスメイトまたは身内の)お墓参りに行かれていましたけど、
現在も未来もこうした先祖や亡くなった方を偲ぶ気持ちというのは時が流れても変わりがないのかもしれないです。

先日もとある顧客がご逝去され、葬式後と言う事でご自宅にお悔やみ訪問とお線香をあげにお伺いさせて頂きましたが、
遺影を前にお線香をつけて手を合わせた瞬間に、改めてですけど
「人が亡くなるという事とはこうした雰囲気なのだ・・」という事を感じたものですし、
同時に正座をしてお線香をつけて仏壇に手を合わせるという日本的な作法みたいな事をわかりにくい音楽で抽象的に
表現したのがこの「仏前にて」という曲なのかな・・?とふと感じたものでした。

日本のお葬式とか仏壇を表現した曲って多分ですけどそんなにはないと思いますので、そうした意味では大変貴重なものが
ありそうなのかもしれないです。

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ここから先はdream fantasy2
アミグリさんが過去に描かれた絵の転載&ご紹介コーナーです。

今回ご紹介させて頂く絵はさきほど記事内でちらっと話が出ていた「色づく世界の明日から」のヒロインの月白瞳美です。

アミグリさんの描かれる月白瞳美は、とても繊細で神秘的な印象を与える美少女のように感じられます。

まるで東方のさとり様のようにどことなく心、ここにあらずのようなもの寂しげな様子が伝わってきますし、
瞳美が今にも感極まって泣き出しそうな感じさえする「儚くてせつなくて、まるで砂糖菓子のように
ちょっと触れただけで壊れそう・・」といったとてつもなく繊細なものがとてもよく伝わっていると思います。

髪の繊細な描かれ方も素晴らしいですし、
左耳のアズライトの耳飾りも神秘的な雰囲気を高めているようにも感じられます。
ちなみにアミグリさんが描かれた瞳美の制服は、2018年時点での南ヶ丘高校の制服ではなくて、
2078年時点の南ヶ丘高校の制服でもあったりします。
同じブレザー制服も祖母の琥珀が着るとやんちゃな雰囲気もあるけど、一応は孫の瞳美が着ると
繊細なJKさんという印象を受けたりもします。
(60年後のおばあちゃんになっていた琥珀はいかにも落ち着いた雰囲気の女性になっています・・)
この寂しそうな視線を見るとなんだか見ている私までもがせつなくて甘酸っぱい気持ちにもなったりしますし、
こうやってたった一枚の絵なのですけど、見ている人に色々な感情をきちんと伝えることができている作品を拝見させて
頂くと本当に心の底から内省的な充実感を感じたりもします。

「色づく世界の明日から」のお話は長崎を舞台にしていて、アニメでも長崎の風景が随所に登場していたのは
大変印象的です。
長崎の大浦天主堂や女神大橋の再現度も素晴らしいと思いますし、何よりも作品全体の美しさが大変際立っていたと思います。
あの背景や風景描写の美しさは大変見映えがしましたし、あの映像としての美しさを味合うだけでもこの作品は存分に
役割を発揮していると感じたものでした。
長崎は日本三大夜景(神戸、函館、長崎)、世界新三大夜景(香港、モナコ、長崎)に数えられるほど
有名な夜景の名所でもあるのですけど、そ景としての長崎の美しさも丁寧に描写されていたのが大変印象的でもありました。
長崎という異国情緒あふれる街並みや坂の多い地形という「長崎らしさ」をこんなにも美しく描かれていた事に
驚きを感じさせてくれますし、一つだけあえて強調させて頂きますと、アニメシーンの中にほんの数秒程度でしたけど
雨に濡れた石畳が描きだされていましたけど、あのシーンの美しさはアニメとしての美的限界に迫るものは
間違いなくあったと思います。

「色づく世界の明日から」の物語ですけど、実はこのお話の元々の始まりは現在ではありません。

実はそのはじまりは2078年という近未来であり、その2078年から60年前にタイムスリップしてきた女の子がメインヒロインでも
あります。
そしてこの作品の世界観として、2018年においても2078年においても「魔法」というものは人々の日常生活に溶け込んでいる
というものが大きな特徴でもあったりします。
主人公の月白瞳美は、2078年時点では17歳のJKさんです。幼い頃に色覚を失い感情の乏しい女の子になってしまった事を
とても心配し、 瞳美の将来を憂えた祖母・月白琥珀は自身の魔法でもって
「60年前の高校生の頃の私に会ってきなさい」とある意味無茶振りをし、瞳美ちゃんは問答無用で唐突に
60年前にタイムスリップをさせられてしまいます。
(瞳美ちゃんは60年前の自宅に立ち寄った際に、結果的に瞳美の曾祖母に該当する月白瑠璃や瞳美の高祖母でもある柚葉
たちから未来に戻る方法が確定するまではホームスティし高校に編入する事を勧められ、琥珀と共に高校生活を
過去でも送る事になります)
ストーリーも「色が見えない」という事でモノログの世界の中にいる瞳美ちゃんがなぜか葵唯翔の描く絵だけは
カラーに見えるというのもすてきなファンタジーがあると思います。
ファンタジー要素を生かしつつ、思春期男女の繊細な心の揺れ動きや成長を絶妙に描かれている作品だと思いますし、
写真美術部のメンバーとの関わりを通して瞳美ちゃんの心の変化を存分に繊細に優しく楽しむ事ができる作品であると
言えます。
ネタバレになりますのであまり細かい事は書けないのですけど、最終的に瞳美ちゃんは自身の色の感覚を取り戻し、
60年後の未来に戻る事になるのですけど、瞳美と葵唯翔は瞳美のマジカルスティの間に互いに恋愛感情を抱くようになり
最終回で想いを伝え合っていたりもします。
瞳美ちゃんのクラスメイトで同じ写真美術部の部員でもある風野あさぎの淡い恋心もとても絶妙に描かれていたと思います。
最終回で無事に未来に戻った瞳美ですけど、未来の一場面にて瞳美ちゃんはお墓参りをされています。
そのお墓で眠る人は一体誰なのか・・?というのは描かれていませんけど、オーソドックスに考えると月白瑠璃または柚葉なの
でしょうけど、葵唯翔であるという可能性も決して否定は出来ないと思いますし、物語的には「多分葵唯翔なのかな・・?」と
感じさせるような雰囲気はあったようにも感じられます。

上記のアミグリさんが描かれた月白瞳美は、その権利は全てこの瞳美の絵師様であるアミグリさんに帰するものであり、
当ブログにおける転載とご紹介は事前に全てアミグリさんからご了解を頂いたものであり、
アミグリさんからのご厚意で転載をさせて頂いておりますので、
無断お持ち帰りや無断コピーは絶対NGですので くれぐれも宜しくお願い申し上げます。

アミグリさん、本当にいつもすてきな絵の転載を快諾して頂きありがとうございます!!

皆様の中で「こんなにもせつなそうな瞳美を描く人のブログってどんなもんなのだろ・・? 」などと興味がある方は、
是非是非アミグリさんのブログdream fantasy2  を ご覧になって頂きたいと思いますし、 宜しければ、当ブログだけではなくて、
是非アミグリさんの本家本元のブログdream fantasy2 に一度お越しして頂けると
アミグリさんのブログをご紹介させて頂いている私もとってもとっても嬉しいです!

アミグリさんが定期的に作品を投稿され続けている →アミグリさんのpixiv にも是非一度足を運んで頂ければ幸いです!

アミグリさんのpixiv

それでは皆様方も各自のお墓参りの際に少しでも故人を思い出してあげて偲んで頂きたいと感じたりもします。
ショート告知記事です。

当ブログの開設は2012年8月15日ということで、あさって・・8月15日は当ブログの開設10周年という事になります。

当ブログは基本的には「毎日記事更新」をこの10年間ほぼ実践できていたと思うだけに
「我ながらよく続いたものだ・・」と自画自賛してもおります・・

10年も続くとさすがに「そろそろ書くネタがない」とか「もう十分書きたいことは記したと思える」とか
「他にやりたいこともあるし、続けることに意義を感じない事もあったりするし体力的にも結構大変だったりするので
ブログ活動自体そろそろ潮時なのかも・・」と感じることも多々あったりしますので、
もしかしたら・・? 10周年を一つの節目としては毎日記事更新はやめているかもしれないですし、
ブログ自体の卒業という事も十分ありうる話だと実は思っていたりもします。

だからそうした意味においてはあさっての開設10周年というのは一つの大きな節目ともいえそうですし、
そうした大きなイベントというのももしかしたら最後になるのかもしれないです。



当ブログを語るうえで絶対にはずすことのできない存在が「dream fantasy2」のアミグリさんなのですけど、
アミグリさんには本当にいつも心の底から感謝と敬意の気持ちでいっぱいで、
当ブログがなんとか10年も続けることができたのはアミグリさんの存在なしにはありえないと思います。

そしてアミグリさんにはこうした当ブログの節目記事や記念記事の際にはいつもリクエストをさせて頂き、いつも
素晴らしいイラストを描いて頂いておりまして改めて「いつもすてきな絵を描いて頂きありが゛とうございます」と
最大限の感謝の気持ちをお伝えさせて頂きたいと思います。

上記のとても美しいアリス・マーガトロイドも当ブログの2018年の開設6周年記念作品として描いて頂けた作品です!
本当にこのアリスは何度見てもその美しさと気品に見とれてしまいそうです。

さてさて、あさっての当ブログの開設10周年の記念作品として実はアミグリさんに東方のあるキャラの絵を依頼
させて頂いておりまして、当日はその記念絵もお披露目させて頂きたいと思いますので、
そのすてきな作品にもご注目していただければありがたいと思います。

それではあさっての当ブログの開設10周年も何卒よろしくお願いいたします。
コンビニって改めてですけど本当に便利ですよね~♪

私自身、コンビニでよく利用するのはファミマとセブンイレブンだと思いますけど、ファミマは惣菜とおにぎりの美味しさ、
セブンはオリジナル商品の魅力とコンビニとしての幅広い充実したサービスが大変魅力的です。

私が東北の田舎の実家を離れて埼玉の大宮で一人暮らしを始めた際にはコンビニ自体が今ほど店舗数も無く
当時は24時間営業と言うお店の方が少数派だったような印象もあります。
あの頃のセブンイレブンは名称の通り、朝7時開店、夜11時閉店という感じでしたけど、それでもなんという便利な形態と
感じていたものです。
当時のコンビニは今現在のような惣菜コーナー・ホットスナックコーナー等も無く、今でいう美味しいコンビニスイーツ
のようなものも少なく、お弁当とサンドイッチとおにぎりが種類も少なく控えめに売られている様な感じだったのだと思います。
当時のコンビニは、コピーすらも設置されている店舗も無く、
例えば公共料金や税金の支払いとか宅急便の受付とかチケットの予約とか本・DVD等のグッズの注文と受け取りとか
写真の現像とかFAXとかスキャナとかアマゾンや各種ショッピングサイトでの代金支払いとか
はたまた(住基カードの提示が前提ですが)住民票の発行も取り扱い自体が無かったです。
当時のコンビニはスーパーよりもかなり価格が高いものをスーパーよりは多少遅い時間まで開けているという程度に過ぎず、
そこに置かれている商品も別に個性も何も無く、純粋に普通の商品を普通に売っている店という印象に過ぎませんでした。
だけどそう思っていたわずか数年後にはあっという間にコンビニの世間認知度が広まっていき、商品の品揃えも豊かになり、
そのサービスもコピー機設置にはじまり写真現像などどんどんコンビニで利用可能なサービスも増えていき、
同時にコンビニオリジナルブランドのおにぎり・弁当・惣菜・冷凍食品・飲み物・スイーツ等のおいしい食べ物も
次から次へと登場し、 その「進化」には目を見張るものがあると思います!
コンビニで大変ありがたかったサービスの登場としては、90年代前半になって登場してきた電気・水道・ガス等の
公共料金の支払いがコンビニでも出来るようになった事でしたね!
80年代の頃ですら、そうした公共料金の支払いは郵貯と銀行でしかできなかったですし、
いちいち銀行等に行って長い待ち時間を経てようやく公共料金の支払いが出来たという不便さから解放された
あのコンビニでの公共料金支払いサービスはありがたいものがあったものです。

1980年代中盤のコンビニにおいて初めてコンビニの良さを実感した私でしたけど、そこから更に数十年後において
アマゾンのようなありとあらゆる商品が何でも揃っているショッピングサイトが出来て、
その代金支払いも商品受け取りもコンビニ一つで完了してしまう時代が到来するなんて当時の私には
夢にも思っていませんでしたし想像もしていませんでした。
最近では通販サイトで購入した商品の支払いも銀行決済や振り込みを利用しなくてもコンビニで指定された決済番号を
レジで言うと自動的に支払いができるようなサービスはもはや普通ですし、
例えばセブンイレブンでも「セブンミールサービス」という店頭受け取り型の惣菜等の商品受け取りサービスも品揃えは
かなり充実していますし、最近ではファミリーマートでもコインランドリー併用の店舗もあったり、
コンビニコーヒーの安くておいしいあのサービスぶりは本当に感心させられるばかりですし、今日において
コンビニのない生活というものは成り立たないのかもしれないです。

そうそう、最近のコンビニはアマゾンのごとく書店でも取り扱いが少ないような書籍・雑誌の取り扱いもできるようになり、
書店で書籍を探す手間も省けるのは大変便利なものがありますし、
最近の雑誌はおまけというのか景品がかなり豪華になっているのはよく知られている事ですが、例えばリラックマの電子メモ帳
といった一般書店では取り扱いがされていないコンビニ限定販売の雑誌の取り扱いもあったりします。

そうしたコンビニのサービスの充実ぶりは目を見張るものがあると思うのですけど、ただ一つ、「これはちょっとね・・」と
感じてしまうのがセブンイレブンの「セブンミールサービス」というカタログに記載されてある商品を電話またはPCから申込み、
事前登録しておいたお店で指定された時間に受け取るというサービスです。
(お届けもありますけどそれは有料扱いとなります)

正直このセブンミールと我が家はなんだか相性がイマイチでもあり、個人的にはセブンイレブンは好きだけどセブンミール
だけは×~!と感じてしまうことも多々あったりします。

具体的にどのあたりがちょっとね~と感じてしまうのかというと・・

1.電話で申し込みをする場合、とにかく予約センターになかなか電話がつながらず5~10分程度待たされてしまうことは
 日常茶飯事である。
 コロナ禍でデリバリサービスが増えたこともそれに輪をかけているし、特にGW中とか日曜祝日とか年末年始は
 予約センターへの電話は混雑が極まっている。

2.セブンミールのカタログは郵送してもらうことも可能だが、郵送は最低でも三か月に一度何かを注文しないと
  郵送すらも断られる。
  リアル店舗にカタログを貰いに行っても店舗に置かれていないことも多々あるし、例えば5月のセブンミールのカタログが
  4月末はおろか5月に入っても店頭ラックに置かれていないことも多々ある。

3.季節限定商品や人気商品は品切れが早い

4.ある日突然規定が変更となり、その規定変更を了承しないとサービス提供が受けられないと通知されたのはいいとしても、
  その了承方法はウェブでは不可能で、受付センターに了承の電話をかけないといけないのだけど、
  その電話自体がなかなかつながらなくて、あの時は20分近くも待たされたしまった・・

などなどあったりしますけど、最もなんか面倒くさい・・と感じることは
リアル店舗でセブンミールでの注文品を受け取りに行く際にレジで
「先日注文したセブンミールサービスの受け取りに来ました・・」と言っても店員さんが
「なにそれ・・?」みたいな顔をされる事も結構何度かあり、
なかにはタバコのセブンスターを持ってこられた店員さんもいたものでした・・
そして毎回毎回受け取りに行っても店舗内で待たされることが結構多いうえに、時折ですけど、指定時間が到来しているのに
その品物自体が店舗に届けられていないこともあったりして、その際はもう一度来店しないといけないこともあったりして
「面倒くさいな・・」と感じることもあったりしたものでした。

以前の話なのですけど、うちの奥様からの遠隔操作?によりセブンミールサービスに注文の電話を
したのですけど、その注文した商品の一つに純米吟醸「冬のさんぽ」という日本酒が含まれていました。
彼女はアルコールを口にする事はほとんど無いのですけど、これはお酒が飲みたいというのではなくてどうやら
瓶のかわいらしい雪うさぎが気に入っただけのようでした・・
そして注文が完了し電話を切ろうとしたその時に、唐突にいかにもマニュアル口調みたいな雰囲気で
「お客様が注文した商品の中には酒類が含まれます。酒類取扱いの法律に従いご案内をいたしますが、
今電話をされている人は成人ですか? そしてこの種類を受取りに店頭に来店される方は成人ですか?」と
聞いてきましたので、「確かにお酒だからね・・」という感じでしたので、普通に「成人男性です」と答えました。
するとそのオペレーターの方は、またまたいかにもマニュアル文書そのままみたいな雰囲気で、
「これは酒類取扱いの法律に従ってのご案内ですが、その受取りに行く店舗の酒類取扱い責任者の氏名を
教えてください」と聞いてきます。
え・・、というか私別にセブンイレブンの店員ではないのだから、受取り店舗の酒類取扱い責任者の氏名なんて知る訳
ないと思うのですけど、それでも続けざまに同じことをマニュアル通りなのか不明ですけど聞いてきます。
「私、セブンイレブンの社員や店員ではないから酒類取扱い責任者の氏名なんて知る訳ないでしょ・・」と言っても
そこでまた例のあの「酒類取扱いの法律が・・」と切り返してくるもので「困ったな・・」と思っていたら、
「受取り店舗の酒類取扱い責任者の氏名は××という者ですので、何か不備がありましたら、
その責任者に確認を取って下さい」と何やらまたまた妙な事を言いだしていましたので、
一応注文は完了したようでしたし、
「さきほどは受取り店舗の酒類取扱い責任者の氏名を教えてくれといってきたのはあたなの方でしょ・・
それをどうして唐突にその酒類取扱い責任者の氏名をいきなり私に伝えてくるの・・? なんか支離滅裂じゃん・・!」と
感じたものですけど「面倒だからいちいちそれを指摘するのも面倒くさい」と思い、そこで電話を終わらせました。



コンビニは確かに便利なんだけど、時折実店舗や電話注文のオペレーターにヘンに頭が固いと言うかマニュアル至上主義
みたいな人がいたりもして時に「面倒くさいな・・」とか
「それだったらネット通販の方が人を介さないからむしろストレスなく発注できるのかも・・?」と
感じたほどでもありました。

2019年放映のスター☆トゥインクルプリキュアの宇宙人キュアのララの母星は惑星サマーンという高度に科学技術が
発達した星でもあるのですけど、サマーンにおける販売形態はおそらくはAIによって管理された通信販売が主流であり、
現在の日本のようにどこかでヒトを介するような販売形態は、ミスがあったりコミュニケーション上の意思疎通がうまく
図られないことも結構あったりするので、ララもその面倒くささに思わず「オヨ~! こんな面倒な商品受取サービスは
かえってストレスが溜まりそうなのルン・・」と言われてしまいそうなのルン・・
人間というものは年を取ることによって嗜好の変化というものはよくあることであり、食べ物や飲み物の
好みの変化もその一例の一つであり、例えば以前だったら不通に砂糖を入れていたコーヒーや紅茶は
ブラックコーヒーや無糖茶でないと飲めなくなったり、ラーメンだったら、以前は大好きだったこってりとんこつ醤油は
あまり食べなくなりどちらかというとあっさりとした塩ラーメンやあっさり薄味の東京醤油ラーメンばかり食べるようになったとか、
はたまた肉よりは魚料理の方を好んで食べるようになってきているとか
甘いシュークリームやケーキよりはみたらし団子や桜餅・柏餅の方が好きになってきたというのもそうした嗜好の変化の一つと
いえそうです。

そして牛丼・豚飯など丼モノにおいても「高齢化??による嗜好の変化」もあったりします。

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吉野家の牛丼

吉野家の牛丼はとってもおいしいですし私も大好きです~♪

過去記事で書いたことがありますけど、例えばですけど「もしも24時間以内に唐突に地球滅亡が決定的となり、
24時間以内に頂く最後の晩餐メニューを10挙げなさい」と言われてとしたら、
舌が鈍感で安上がりの私は、ラーメンと餃子・カレーライス・生姜焼き定食・さんまの塩焼き・明太子などと合わせて
「吉野家の牛丼」も確実にその最後の晩餐メニューの候補になることは間違いないと感じていた時期もあったりしたものでした。

私自身、東北で生まれ育ったこともあり、どちらかというと牛肉というと関西や三重、豚肉というと関東以北という
感じもいますけど、そのせいか実家ではすき焼きのお肉も牛肉ではなくて豚肉でしたし、ステーキや焼肉というと
トンテキや豚の生姜焼きという感じで、なんとなくですけど子供の頃の私にとってはお肉というと豚肉であり、牛肉というと
ちょっと高級感があり普段はあまり食べない食材というイメージもあったと思います。
そうした牛肉を手軽にお手軽の価格で食べられ身近な存在にした役割があったと言えそうなのがもしかしたら吉野家の
牛丼だったのかもしれないです。

そうしたおいしいおいしい吉野家の牛丼ですけど、実はここ数年はその吉野家の牛丼を食べる機会はぐぐっと少なくなってきて
いると感じたりもします。
その一番の要因は価格の高さですね・・
2022年現在の吉野家の牛丼並盛の価格は388円(税込426円)であり、これにたとえば生野菜サラダやおしんこといった
サイドメニューを追加注文すると価格は550円以上となり、吉野家の牛丼は生野菜とセットすると既にワンコインでは
食べられなくなってしまった・・というある意味値上がりショックは大きいようにも感じたりもします。
私が高校を卒業し初めて都内近郊(最初の一年間は埼玉県の大宮、2年目以降は東京都中野区)で一人暮らしを
開始したのは1984年でしたけど、1984年当時の吉野家の牛丼並盛の価格は400円でした。
(当時はまだ消費税が日本では導入されていなかったので、今から振り返ると買い物パラダイスみたいな感じでした・・)
38年前の価格と今現在の価格にそれほど大きな差がないというのは吉野家の企業努力の賜物なのかもしれないですけど、
吉野家は狂牛病騒ぎの前のデフレ路線時代には牛丼並盛が一杯280円であり、生野菜をセットしても税込で
400円程度であった事に比べるとやはり最近の値上がりは庶民にとっては「お財布的にはやさしくないのかも・・」と
感じてしまいますし、それが吉野家から足が遠くなった一因として挙げられそうです。

そして価格以上に大きいのが冒頭で触れたように自分自身の嗜好の変化なのかもしれないです。

昔は吉野家の牛丼のちょっとしつこいと感じる程度の適度な脂身がおいしさの一つの要因とも感じていたものですけど、
最近はそうした牛肉の脂身自体が「なんだかちょっとしつこい・・」と感じるようになってしまい、
胃がもたれてしまいそう・・と感じてしまうのはやはり自分自身の高齢化による嗜好の変化も多少はあるのかもしれないです。

ここ最近はたとえばTカード利用店舗でレジでの会計時に「吉野家で食事をしたら30ポイントTポイントを贈呈」という
クーポン券が発券された時ぐらいしか吉野家には行っていないような気もします。

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吉野家の代わりに行く機会が増えたようにも感じられるのが松屋ですね~

松屋はどちらかというと以前から丼物よりも多彩な定食モノに魅力がありましたけど、2022年に松屋において
10年振り近くの「豚めし」の復活があったのはとてもよかったです~♪
ただ現在は松屋の豚めしは期間限定メニューという事で、現在のメニューから消えてしまったのはとても残念ですけど、
またいずれ機会があれば復活してほしいです。

松屋では以前も豚めしというメニューがあったのですけど、2022年のリニューアルの際にはその豚めしは以前の豚めしよりも
かなり変化があり、豚肩ロースの赤身肉を使用し、さっぱりとした味わいになったのが売りとの事で、
玉ねぎの甘みを感じながら、豚肉のふわっとした食感を楽しめそうです。

確かに・・実食してみると脂身はほぼ皆無であり、上記で書いた通り吉野家の牛丼で感じた脂身のしつこさみたいなもたれは
全く感じず、赤身肉のみという事でサクサクと食べられる印象があったものでした。

やはりそれも年を重ねたことによる味覚の嗜好の変化の表れとも言えそうです。

しかも松屋の豚めしは税込みで350円というのも大変ありがたい価格設定と言えますし、2022年の値上げラッシュにあっては
庶民にとっては頼もしいメニューともいえそうです。
だけど・・残念ながら松屋の豚めしは期間限定メニューだったようで、現在は取り扱いがされていないのが
とても残念ですし、できればいずれは復活というか・・常態メニュー化してほしいです。

豚めしは、牛めし以上に紅ショウガとの相性が良い点も高評価です。
しかも吉野家と違ってもともと味噌汁付というのもありがたいです。

さらに言うと、吉野家の生野菜はドレッシングが1パックしか付かず、正直ドレッシングの量が全然足りないと感じたものですけど、
松屋の野菜サラダのドレッシングはボトルに入っているモノを使いたい放題ですので、その点も大変魅力的です。

たまに外食チェーン店で食べる際には節約のためにもこの松屋のコスパ最強みたいな豚めしもいいのかもしれないですね~♪

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2018年夏アニメの「女子高生の無駄づかい」でもバカ・ヲタ・ロボの3人が松屋にて、丼もの・定食を食べているシーンも
ありましたけど、感覚としては牛丼単品は吉野家、定食系は松屋がいいかも・・と感じてしまいます。
もしもロボが吉野家で牛丼を食べたり松屋で豚めしを食べた際には、
「このおいしさの秘密は何なのか・・」という永遠の?テーマを一週間家に籠って解明しそうな雰囲気もありそうです。
本日、8月10日は、ライオンの日・ハートの日・かっぱえびせんの日・スヌーピーの日・道の日・バトントワリングの日・
羽毛布団の日・ハーゲンダッツの日・帽子の日・鳩の日・ハイボールの日・はとむぎの日・バネの日・発炎筒の日などでも
ありますけど、同時に「よさこいの日」・「やきとりの日」でもあったりします。

「よさこい」とは、もとは高知県高知市で行われる「よさこい祭り」のことであり、それが発端となり
全国各地で同じような祭りが開催されるようになってきています。
青森のねぶたや徳島の阿波踊りなどを彷彿とさせる集団での熱狂的な踊りはとてつもないエネルギーを感じさせますしパワーを
感じるのですけど、私個人の感想としては「むさくるしい男たちが集団で熱狂的に踊り狂う様子は確かに迫力満点だけど、
今一つ華がないよね~」という感じでもあるのですけど、美少女たちやお姉さまたちや美熟女たちがすてきな衣装を身に纏って
集団で舞い踊る様子は「美しさの極限!」とすら感じてしまいますし、鳴子を手に持って一心不乱に統一感を持って舞い踊る
様子は素晴らしい!の一言に尽きると思います。

1990年代において、高知のよさこい祭りに魅せられた北海道の大学生達が、第1回「YOSAKOIソーラン祭り」を開催し、
それが発端となり全国各地に同様の祭りが開催されるようになり、結果的に本場高知よりもYOSAKOIソーランの方が
有名になってしまうほど発展し、日本東西で「高知風」と「ソーラン風」の二流派が存在するまでに至っています。
その後、よさこい祭りの自由性の高い特性が特に若者の間で人気を集め、日本全国であらゆるよさこい祭りが
開催されるようになってきています。

後述しますけど、埼玉においてよさこいで特に名高いのは毎年10月に開催される「坂戸よさこい」なのだと思います。

「よさこい」の特徴を挙げてみると・・・

鳴り物:手に鳴子などを持って鳴らしながら踊る

曲:地元の伝統民謡、又はご当地ソングを5分程度にアレンジした曲に合わせて踊る

衣装:おもに和風にアレンジされたデザインのチームオリジナルの衣装を着る他に連続衣装チェンジがあったりもする。

化粧:歌舞伎・日本舞踊・バレエ・等の舞台化粧があり自由度がかなり高い

演舞:各チームごとに独特の振り付けを織り交ぜた集団での踊り

全体的には「和」の雰囲気を大切にしながらも自分達のチームに合わせた踊りや衣装やアレンジされた演舞曲目などを
自由に選ぶことができて各チームの個性がかなり強く発揮されるという事が大きな特徴といえそうですし、特に
それが美少女たちの集団演舞はとにかく華がありかわいくて美しくてなおかつエネルギーが伝わりとても素晴らしいと思います。

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よさこいをテーマにした漫画・アニメ作品もあり、その中でも特に大人気なのが2014年に待望のアニメ化もされていた
「ハナヤマタ」なのだと思います、

「ハナヤマタ」はよさこいを背景にした5人のメインヒロインを中心にした物語であり、
原作は「まんがタイムきららフォワード」で2011年6月号から2018年4月号にかけて連載された漫画であり、
よさこいに青春を捧げる女子中学生を描いた物語が展開されていきます、
2014年夏アニメとしてテレビアニメも放映され、2020年の7~9月においては東京MXにおいて再放映も
されていました。
(きらら系で似たような感じの作品というと埼玉ご当地アニメでもあった「ヤマノススメ」も大変印象的で、2022年においては
東京MXの再放送枠として放映されていましたし、本年度においては第四期の放映も既に決定しています)

ハナヤマタは勉強もスポーツも特に秀でたところも無く普通の中学生生活を平凡に過ごしていた関谷なるがこの作品の
メインヒロインなのですが、なるが月光の下で和装で舞う妖精のような異国の少女と出会い、
そのアメリカ人の少女、ハナ・N・フォンテーンスタンドに一緒によさこいを踊らないかと誘われ、
自分自身をチェンジさせたいという想いと「よさこい」という非日常的な幻想的力強さに魅了され、
学校内によさこい部を作った事がこの物語の始まりともいえると思います。
アニメとしてのハナヤマタは原作をほぼ忠実にアニメ化したものですけど、原作にはなくてアニメ化で描かれた
夏祭り前の合宿のお話は、その後漫画の原作者がアニメのエピソードをとても気に入ってしまい、
自身の原作でも取り入れたとの事です。

それにしても関谷なるちゃんは本当にかわいくて素直ないい子でしたね~♪

メインヒロイン5人のうち2人は生徒会の会長と副会長を務め、ヤヤは学業成績優秀な美人さんでガールズバンドのドラムスを
担当していて、ハナヤマタの物語が動き出すきっかけを作ったのがアメリカからの金髪美少女留学生のハナでしたので、
ここから見てもなるちゃんは本当にその辺にいる普通の子という印象です。
なるちゃんは14歳のJCさんでも容姿、学業成績、芸術、運動のいずれも普通な女の子で、
物語に出てくるようなヒロインに憧れながらも普通の毎日を抜け出す勇気を持てないでいたものの、
月夜に踊っていた異国の少女ハナと出会ったこととハナから「一緒によさこいをやりませんか?」と強く勧誘され、
「自分も輝きたい」とよさこいの世界へと踏み出すという子であったりもします。
正確は気弱であり大勢に見られることが苦手でしたけどもよさこい部の仲間とともに失敗を乗り越えて成長していくという事で、
「ハナヤマタ」はなるちゃんの成長ストーリーさも換言出来そうです。
もちろん随所によさこいの解説もはさまれていますし、「よさこいって何それ聞いた事も無い・・」という方にとっては
よさこい入門編という作品とも言えそうです。とにかく私自身はなるちゃんのあの普通っぽい感じがとっても大好きでした~♪
とにかくハナヤマタは主要キャラが金髪外国人・ツンデレ・真面目・おっとりお嬢様・普通の子といかにも萌属性てんこ盛りという
感じでもありましたけど、やっぱり私的にはなるちゃんが最もお気に入りのキャラでした~♪
(ツンデレで自信過剰気味だけど意外とメンタル面で弱かったりもするヤヤもよかったです!)

そうしたよさこいですけども埼玉のよさこいというと坂戸よさこいが有名だと思います。

元々は市制施行25周年の記念として2001年に始まり、それが今現在に至っています。
埼玉でもよさこいはいくつか開催されていますけど坂戸よさこいは規模の面でも埼玉最大のよさこい祭りと言えそうです。
開催時期は毎年8月の下旬でしたけど、2015年の第15回よさこい祭りからは毎年10月に開催されることとなったそうです。
演舞場は市内中心部の道路を用いて200~350mの会場を複数設け、
反時計回りにほぼ一周するようにつながっていて地方車と呼ばれる音響設備搭載車両が100mを約4分で進みながら
チーム演舞を引っ張るパレード形式を採用しているのが特徴で、
ステージ会場を除いたほぼ全ての会場が、ルーピングと呼ばれる楽曲を連続して再生する流し踊りを展開しています。

私自身一度だけ坂戸よさこいを見たことがありましたけど、あの集団熱狂の迫力は素晴らしかったです。

ただここ数年の坂戸よさこいは実は開催されていません、

2019年の第19回は台風接近で中止となり、2020~21年は新型コロナウイルスの蔓延という事で中止になり、
2022和4年10月8日(土)、9日(日)に開催を予定されていた「第22回坂戸よさこい」は、
新型コロナウイルスの状況や参加チーム、協賛企業等の現状を鑑み今年も中止となりました ...

結果的に4年連続で坂戸よさこいは中止と言う事になっています。

来年度はなんとか5年振りに坂戸よさこいを開催して欲しいものです。

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埼玉のすてきなB級グルメの一つでもある東松山市~坂戸市でおなじみのやきとりの一例

余談ですけど、坂戸よさこいが開催される埼玉県坂戸市の隣接市の一つが東松山市なのですが、坂戸~東松山で
名高い名物グルメが「やきとり」です!

埼玉県東松山市は、北海道室蘭市や愛媛県今治市と並び「日本三大焼き鳥」のひとつとも言われています。
人口1万人あたりの焼き鳥店舗数は7.2軒と3都市の中で最も多く、全国屈指の焼き鳥の街とも言えそうです。
一般的に焼き鳥というと、そこで使用する具材は鶏肉ですし、だからこそ焼き鳥と称されるのですけど、
埼玉の東松山近辺の「やきとり」で使用しているのは、もちろん鶏肉もありますけど、東松山のご当地グルメといえるやきとんの
最大の特徴は使用具材は豚肉であり、串に刺して焼いた豚のカシラ肉(ホホやこめかみ)に辛味の効いたみそだれをつけて
食べるのが東松山流の食べ方と言えます。
みそだれは白味噌ベースで、唐辛子やニンニク、果物など10種類以上のスパイスから作られているのが一般的です。

東松山流の表記は「焼き鳥」ではなく「やきとり」というのが大きなポイントでもあります。
東松山市ではヤキトリを「焼き鳥」と表記せず、あえて「やきとり」と平仮名で表記しています。
その理由は鶏肉を使わず主に豚のカシラ肉を使用している事が挙げられます。
これはあくまで東松山~坂戸周辺でのローカルルールなのかもしれないですけど、焼き鳥関連のお店で
鶏肉か豚肉を使用しているのか見極めたい場合はそのお店の看板に注目して頂きたいと思います。
「焼き鳥」と書かれていれば鶏肉、「やきとり」であれば豚のカシラ肉なそうです。

一般的な焼き鳥とは言うまでもなく鶏肉を焼き上げたものですけど
埼玉県東松山市周辺では鶏肉ではなく豚肉を串にさし、炭火でじっくり焼いたものをやきとりと言います。
(繰り返しになりますけど、一般的に既に定着している「焼き鳥」と区別すると言う事で、東松山では豚肉を使用しているのに、
あえて平仮名で「やきとり」と表記しています)
ちょっとややこしいのですけど、東松山の近隣エリアでは、豚肉を串刺しにしたものを「やきとん」と表記されることもあり、
埼玉の一部のエリアではやきとんとやきとりという名称がが混在しているようにも感じられます。
厳格な定義というものは別にないようですけども、豚肉を使用した「やきとん」のことを「やきとり」と称するものの
「焼き鳥」と称することだけはまずないとの事です。
豚肉を串焼きとして商品は当初は「やきとん」として売りだした事もあったようですけど、
今一つしっくりこないとの事で、すでに定着していた「焼き鳥」にあやかって、平仮名表記の「やきとり」にしたとも
言われているそうです。

なんだかゴチャゴチャしてきましたけど、要約すると埼玉の東松山で食べられているご当地グルメの「やきとり」は、
基本的に使用している素材は豚のカシラであり、それを味噌だれにつけて食べるというのが東松山のご当地流と言う事なのだと
言えそうです。

よさこいでおなじみの坂戸の駅前にも串に刺して焼いた豚のカシラ肉を辛い味噌だれをつけて食べるやきとりのお店も
いくつかあったと思いますし、坂戸よさこい開催時には屋台でそうしたお店の出店もいくつかあったと思います。

坂戸よさこいを楽しみながら、東松山名物のやきとりを味合うのもすてきな楽しみといえそうですね~♪

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ここから先はdream fantasy2
アミグリさんが描かれた絵の転載&ご紹介コーナーです。

今回ご紹介させて頂く作品はいうまでもなくハナヤマタ関連であり、アミグリさんが2014年9月に描かれたハナヤマタの
西御門多美・・、多美お姉ちゃんです~♪

アミグリさんが描かれた西御門多美ですけど、
多美はなるよりは一つ年上の昔からの幼馴染で、なるは幼少の頃より「素敵なお姉さん」的な憧れの感情を
有していますし、昔も今もなるは多美のことを「多美おねえちゃん」と呼んでとて慕っています。
多美は温厚な性格であり、容姿端麗・頭脳明晰で大和撫子を地で行くようなキャラなのですけど、
厳格で大好きな父親が「おまえはこうしなさい」と言われたから、特に疑問も無くそれに従うといった感じの優しい女の子
なのですけど、なる達がよさこい部を作って一生懸命練習している様子に心を打たれ、
「自分もいつまでも父親頼みの生き方ではつまらないし、父親に縛られず自分らしい事をやってみたい!」と決断し、
父親にそうした意思を決然と伝え、よさこい部に参加する事になります。

アミグリさんの描かれた多美お姉ちゃんは「優しい慈愛に溢れたお姉さん」という雰囲気に溢れていると思います!

とても大人っぽく描かれふんわりと仕上げられているのですけど、力強さの雰囲気も伝わってくるのも
多美お姉ちゃんのそうした決然とした意志が示唆されているせいなのかもしれないです。
やさしさを内在しながらも自分が一度決めた事は必ずやり抜くという決然とした雰囲気を感じさせつつも、ふんわりおっとりとした
別の面もしっかりと一枚の絵の中に表現されていると思いますし、なによりもとってもかわいいです~♪

上記のアミグリさんが多美お姉ちゃんの権利は多美の絵師様であるアミグリさんに
帰するものであり、当ブログにおける転載とご紹介は事前に全てアミグリさんからご了解を頂いたものであり、
アミグリさんからのご厚意で転載をさせて頂いておりますので、
無断お持ち帰りや無断コピーは絶対NGですので くれぐれも宜しくお願い申し上げます。

アミグリさん、いつもすてきなイラストの転載を快諾して頂きありがとうございます!!

皆様の中で「こんなにかわいい多美お姉ちゃんを描く人のブログってどんなもんなのだろう・・? 」などと興味がある方は、
是非是非アミグリさんのブログdream fantasy2  を ご覧になって頂きたいと思いますし、宜しければ、当ブログだけではなくて、
是非アミグリさんの本家本元のブログ dream fantasy2  に一度お越しして頂けると アミグリさんのブログをご紹介させて頂いている私も
とってもとっても嬉しいです!

アミグリさんが定期的に作品を投稿され続けている →アミグリさんのpixiv にも是非一度足を運んで頂ければ幸いです!

アミグリさんのpixiv

やっぱり何かに夢中になる女の子たちはとてもすてきですね~♪

来年は5年ぶりに埼玉の坂戸よさこいも開催してほしいものですし、よさこいを見物しながらやきとりを堪能するのも
すてきなことだと思います。
ディヴェルティメントというとクラシック音楽好きの皆様の感覚ですとモーツアルトという事になるのかもしれないです。

ディヴェルティメントを邦訳すると喜遊曲または嬉遊曲という事になり、
要は楽しく軽妙に親しみやすく作られ、極力悲しい部分や深刻な部分は避けるという事がお約束になっていると思います。
よく「ディヴェルティメント」と「セレナーデ」との違いは何という事が問題になる事もありますけど、
正直特に違いはありません。
強いて言うと、室内用に作られたのがディヴェルティメント、屋外用がセレナーデという所なのかもしれないです。
このディヴェルティメントという音楽形式は、ハイドンやモーツァルトの頃に盛んに作曲されていたものの
19世紀以降は急速に廃れていったような気もします。
(20世紀の作品としてはイベールやバーンスタインの作品が今現在でも演奏されていると思います)

吹奏楽作品でディヴェルティメントというと思い浮かぶのはパーシケッティーだと私的には思うのですけど、
(皇帝への頌歌でおなじみのモリセイにも同名の作品があったりもします)
知る人ぞ知る作品で、全国大会はおろか支部大会でも1980年の福岡工大付属高校以外は演奏実績がない曲ではありますが、
増田宏三の喜遊曲「踊る行列」は、どちらかというと「ディヴェルティメント」というと洋というイメージがある中、
和の鄙びたイメージを吹奏楽オリジナル作品として盛り込んだ楽曲が既に1980年代以前に作曲されていた事は
驚きでもあるように感じられます。
増田宏三という御方は、作曲家という側面も勿論あるのですけど、どちらかというと作曲理論とか国立音大の作曲理論の
先生というイメージが強く、踊る行列以外の作品や管弦楽作品を調べようと思っても全然検索に引っかからないというのが
実態でして、正直この喜遊曲「踊る行列」についての情報はほぼ皆無としか言いようが無いように感じられます。
増田宏三の吹奏楽作品というと、1976年の浜松工業の自由曲の「朝の歌」の作曲者でもあるのですけど、この朝の歌も
支部大会以上では浜松工業以外演奏実績もありませんので、増田宏三について語るにはあまりにも情報が無さすぎるという
事なのだと思われます。
強いて言うと、バンドジャーナル1984年の特別号の「今注目の邦人作品特集」の中にこの喜遊曲「踊る行列」も紹介されては
いますけど、内容的に特段新しい情報も書かれていませんし、この曲の作曲の経緯とか背景とか作曲の意図等については
何も書かれていませんので、私自身もこの曲に関しては、福岡工大付属高校の1980年の演奏のイメージでしか
書きようがないのが少し歯がゆい感じでもあります。
バンドジャーナル1984年の特別号のわずかな情報として、南国の熱狂的な数日間にわたる祭りをイメージして作曲
されたと記されていますけど、そういう意味では、例えば福岡の博多どんたくとか徳島の阿波踊りとか
はたまた沖縄の琉球舞踏をイメージして作られた音楽と言えるのかもしれないです。

喜遊曲「踊る行列」は上記で触れたとおり、2019年末時点では全国大会・支部大会での演奏実績は今のところは
1980年の福岡工大付属高校(現・福岡工大付属城東高校)のみに留まっています。
(県大会クラスではいくつか演奏実績はあるようです)
だけどその1980年の福岡工大付属の演奏が大変素晴らしくて、正直に書いてしまうと
「この演奏を超える演奏は多分だけど絶対に出てこないだろう・・」と感じさせるものは間違いなくあると思われます。
1980年の吹奏楽コンクールの全国大会の高校の部はとにかく驚異的なハイレヴェルの演奏が続出していて、
これは嘘偽りなく今現在の視点・感覚で聴いても全く遜色ないものがあると感じられます。
勿論使用されている楽器や演奏技術は今現在の方が圧倒的に高いのは紛れもない事実ではあるのですけど、
音楽的感性というのか表現力の多様さや音楽的掘り下げの深さにおいては今現在の吹奏楽コンクールのレヴェルすらも
凌駕しているような感じすらあると私には感じられたりもします。
就実・東海大学第四・花輪・秋田南・市立川口・銚子商業・前橋商業・玉川学園・兵庫・天理・淀川工業・高岡商業といった
金賞チームの演奏は一つの音楽的限界の壁すらも超えた名演と言えると思いますし、
東海大学第一・名古屋電気・福岡工大付属等の銀賞チームも金賞チームに決してひけを取らない名演だったと思います。
そしてその中でも、秋田南の三善晃の交響三章、福岡工大付属の踊る行列、淀川工業の大阪俗謡による幻想曲の
3チーム続いた邦人作品による自由曲の演奏には、今現在改めて聴いても、その新鮮な音楽的な切り口に
ゾクゾクとさせられるものは確実にあると言えると思います。
1980年と言うと邦人作品が自由曲として選ばれる事自体が少し珍しいという時代でしたので、
3チーム連続邦人作品の演奏というのは当時としては奇蹟と言えるのかもしれないです。
邦人作品が大人気で全国大会の自由曲の半数近くが邦人作品という昨今のコンクール事情という視点で見ると
「そんなのは別に珍しくもなんともないよね~」という事になってしまうのは時代の変化と言えるのかもしれないです。

上記で書いた通りその邦人作品を選んだ3チームがそれぞれ全て素晴らしい演奏を後世に残してくれていて
この演奏は今現在の視点・感覚で聴いても全く色褪せてはいないと思います。
私の個人的な見解ですけど、三善晃の「交響三章~第三楽章」に関しては、
あれだけ多くのチームがその後この曲を自由曲に選びながらも1980年の秋田南を超える演奏はいまだに存在していないと
思いますし、あの秋田南の音楽的小宇宙空間ともいえる濃厚な世界は、あそこまで完璧に内面的に完全燃焼し尽くした演奏と
いうのは今後も不世出のような感じすらあるように思えますし、後日あの名演を作曲者の三善晃が絶賛されたという
エピソードも当然だと思われます。
(1978年の秋田南の三善晃の「管弦楽のための協奏曲」も高校生のレヴェルをとっくに超越していると思えます!)
大栗裕の「大阪俗謡による幻想曲」は、その後丸谷先生が「いい加減マンネリ!!」と言われ続けながらも
2年に一回はこの曲を自由曲に選んでいるにも関わらず
丸谷先生自身が1980年度の自身のこの演奏の壁をいまだに超えられていないような感じすらあります。
というかそろそろ淀川工科の丸谷先生もダフニスとクロエと大阪俗謡による幻想曲以外の自由曲で吹奏楽コンクールに
臨んでほしいと感じたりもしますし、丸谷先生のコンクールでの有終の美はこの2曲以外の曲でもって新鮮な感覚で
臨んで頂きたいと願ったりもしますけど、それは期待するほうがもう無理なのかもしれないですし、コンクールにそうした
あまりにも保守的で頑迷な考えで臨むというならばそもそも論として吹奏楽コンクールに出場しなければいいのに・・という
考えも部外者としては感じたりもします。

秋田南と淀川工業に挟まれる形になっているのですけど、福岡工大付属の演奏も大変素晴らしいものがあると思います。
審査結果としては、秋田南と淀川工業は金賞に輝いているのですけど、福岡工大付属は残念ながら銀賞に留まっています。
個人的な見解ですけど、福岡工大付属の銀賞は少し厳しすぎるようにも感じられます。

上記で書いた通り増田宏三の喜遊曲「踊る行列」はいかにもという感じの和風な喜遊曲だと思います。
感覚としては兼田敏の「シンフォニックバンドのための交響的音頭」の世界に近いものがあるようにも感じられます。
兼田敏のような泥臭さはあまり感じず、鄙びた情感は伝わるもののどちらかというと洗練されている感覚もあったりします。
兼田敏の世界は「辺境の地の田舎鄙びた盆踊り」という感じなのかもしれないです。
そうそう「踊る行列」というタイトルだけを見てしまうと、 團伊玖磨の「ブラスオーケストラのための行列幻想」の
Ⅰ.男の行列 Ⅱ.女の行列 Ⅲ.そして男と女の行列に近いものがありそうですけど、
團伊玖磨の曲は鄙びた感じとか和の雰囲気はあまり感じさせず、どちらかというとモダンとか都会的な洗練された雰囲気を
感じ取ってしまいそうです。

増田宏三の喜遊曲「踊る行列」は、打楽器の遣い方も大変効果的で、チャンチキとか和太鼓等の和楽器を
曲の最初から最後までかなり巧みに使用されていて、曲としての面白さは十分アピール出来ていたと思いますし、
ユーフォニアム・クラリネット・オーボエ等の少しおどけたようなソロも大変ユニークなものがあったと思います。
ホルンの少しとぼけた雰囲気は合いの手という感じもありそうです。
そして曲のラスト近くに登場するチャンチキ・和太鼓・シンバル・ティンパニのみによる打楽器だけのアンサンブルは、
この曲の「熱狂さ」とか南国的雰囲気を遺憾なく伝えているようにも感じられます。
曲全体としては最初から最後まで和の打楽器という特殊楽器の音の響きに頼り過ぎているような感じもあり、
確かに全体的には熱狂と言う雰囲気も伝えつつも、テンポ設定の変化や曲全体の壮大なクライマックスが少なくて
福岡工大付属の演奏も確かに上手いし、聴かせどころも心得ているし、ソロも上手いし、
全体の響きも申し分ないしという印象はあるのだけど
ワンパターンとか変化に乏しいという印象も感じさせてしまうのは、演奏の良し悪しというよりは曲自体の構造的な課題点
だったのかもしれないです。

そのあたりが福岡工大付属が1980年は銀賞に留まってしまった理由と言えるのかもしれませんし、
そうではないのかもしれないし、正直何とも言えません。
私個人としては、聴いていて大変面白いと思いますし、ラスト近くの打楽器のみの掛け合いの部分から曲のエンディングまでの
熱狂はこれがこの曲の壮大なクライマックスと言えるのかもしれないですし、
この曲は終結部と曲のクライマックスと最大の盛り上がりがイコールの曲と言えるのだとも今更ながら感じたりもします。

確かに評価は分かれる演奏かもしれないですけど私は大好きな演奏の一つですし、たまにはどこかのチームが
自由曲として演奏して欲しい気持ちは間違いなくあると思います。



増田宏三の喜遊曲「踊る行列」は最初から最後までチャンチキや和太鼓が大活躍し、曲全体のリズムをリードしていますけど、
ららマジの器楽部の打楽器パートの中で和太鼓を担当しているのは、実はJKさんではなくて、JCさんの中学3年の
神田茜という元気はつらつとした下町娘というのもとてもすてきですね~♪

神田茜は粋でいなせな下町少女で、とにかく祭りが大好きで落ち着きがない性格というのも
なんだかやたらと喧嘩早そうな粋な江戸っ子みたいなものなのかもしれないです。
だけどそうした元気溌剌で落ち着きがなく常に何かを絶えず精一杯表現しようとするその姿勢に相応しい楽器こそが
日本の伝統的和楽器の一つの「和太鼓」と言えるのかもしれないです!
お祭りや神社の奉納の舞の際の櫓の上には、いつも神田茜が元気一杯和太鼓を叩き鳴らしているのだと思いますね~♪
中学生と言う事でまだ小柄な体格ですけど、小さ目な体をダイナミックに躍動させるそのエネルギーに見ている人たちを
感動させるのかもしれないですし、神田茜はポニーテール娘と言う事で、叩くたびに髪の束が揺れるのもとてもかわいくて
粋なのだと思います。

ららマジ器楽部による喜遊曲「踊る行列」の演奏も聴いてみたいですし、神田茜による和太鼓の演奏にも興味津々で
あったりもしますね~♪

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神田茜は私服もとってもかわいいですね~♪

神社でお参りしている様子もいかにも和風少女という雰囲気があると思います。

埼玉の大宮駅の次の駅のさいたま新都心は、さいたまスーパーアリーナという全国的に著名な最大37,000席を使用できる
国内最大級の多目的アリーナがあるのですけど、
このさいたまスーパーアリーナ内には、「すわんど」という国内最大級の和太鼓スクールもあったりします。
そしてこのすわんどは、テレビ埼玉のローカルテレビCMとしては埼玉県内ではお馴染みなのかもしれないです。
すわんどでは通常の宮太鼓や締太鼓はもちろん、希少性の高い大太鼓も複数台完備し、どんなレッスンにも対応可能
という事で、様々な世代の皆様がレッスンに通われている和太鼓の専門スクールでもありますので、
ここにはもしかしたら・・? ららマジのすてきな和太鼓奏者の神田茜がレッスン生または講師として東大和市から
来ていただくという脳内妄想もアリなのかもしれないですね~♪
ヨハン・シュトラウスⅡ世というとニューイヤーコンサート等でおなじみのとおり「ワルツ」というイメージが強く、
美しく青きドナウ・ウィーンの森の物語・皇帝円舞曲などの傑作ワルツで日本でも大変馴染み深い作曲家ですけど、
ワルツ王としての側面以外でも「オペレッタ」においても大変人気が高く傑作作品もたくさん存在しています。
そうしたシュトラウスⅡ世が残したオペレッタにおいて特に人気が高くて傑作の誉れ高い作品が「こうもり」だと思います。

こうもりは音楽史的にはオペレッタというジャンルに属し、オペラよりも相当程度笑いの要素を強調して派生したとも言え、
別名、喜歌劇とも呼ばれています。
喜歌劇としてはレハールの「メリーウィドウ」と並んでオペレッタの双璧作品とも称えられていて、その評価は
既に揺るぎないものになっていると思います。
オペレッタはクラシック音楽業界では、歌劇に比べると軽いとか軽薄とか言われがちであり、扱いは歌劇よりは格下というか
大衆用音楽劇とも思われがちなのかもしれないですし、通常オペレッタはミラノ・スカラ座、ウィーン国立歌劇場といった
名門オペラハウスでは上演されることはまずありえないのですけど、こうもりだけはその例外扱いでして、
ウィーン国立歌劇場では毎年12月31日に上演されることになっています。
オペレッタの中では別格の扱いを受けているオペレッタの最高作品ともいえますし、ウィーン国立歌劇場以外でも
特にドイツ語圏の歌劇場では年末年始の定番レパートリーの一つとして既に定着しています。

私自身、このシュトラウスⅡ世のこうもりは、その序曲を吹奏楽アレンジ版として初めて触れたのですけど、
恥ずかしい話、当初はこうもりというと獣としての蝙蝠の方を連想してしまい、森の動物たちをモチーフにした作品なのかな?と
勘違いをしていたものでした。
こうもりという題名の由来は、物語の軸が「こうもり博士の笑いの復讐」という事と思われます。
言うまでもなく獣の蝙蝠が主役でもなんでもなくて、人間喜劇のドタバタ作品というのが大まかな概要です。

喜歌劇「こうもり」のおおまかなストーリーは下記のとおりです。

その前に、このオペレッタの前段階の話として、今風にいうとコスプレ衣装という事もあるのかとは思います。
(コスプレというと今年の冬アニメであり埼玉ご当地作品でもあった「その着せ替え人形は恋をする」を思い出します・・)

とある仮面舞踏会の帰り道、アイゼンシュタインは酔っぱらった友人ファルケ博士をこうもり姿のコスプレ衣装のまま道ばたに
置き去りにしてしまい、その醜態を多くの人たちに見られてしまい、その結果ファルケはみんなから「こうもり博士」と
呼ばれてしまっていて、ファルケはいつかアイゼンシュタインに仕返しをしたいと考えていたというのがこの喜歌劇の大前提
でもあったりします。

第1幕:アイゼンシュタイン邸の居間

ある年の大晦日、アイゼンシュタインは公務員を侮辱した罪で、五日間ですけど拘置所に収容される事になります。
ファルケ博士がそこにやってきて、「ロシアのオルロフスキー公爵邸で舞踏会が今晩開催されるので、しばしそこで楽しみ、
その後に拘置所に出向いて収監されればいい」とアドバイスします、
喜んだアイゼンシュタインが舞踏会に出かけた後、家に残された妻ロザリンデのところに元恋人のアルフレートがやって来ます。
ロザリンデは嫌がりながらもまんざらでもない様子でしたけし、アルフレートはロザリンデが自分の妻であるかのように
振る舞っています。
ちょうどそこに拘置所の所長フランクがアイゼンシュタインの収監にやってきます。
ロザリンデはこの人は実は自分の夫ではないと言いだせずにいて、結局アルフレートはアイゼンシュタインではないのに
収監されてしまいます。

第2幕:オルロフスキー公爵邸の舞踏会場

オルロフスキー公爵の舞踏会にアイゼンシュタインが来てみると、仮面を付けた美しいハンガリーの貴婦人を見つけ、
アイゼンシュタインはその貴婦人を口説きに掛ります。
実はこの舞踏会の参加者全員がグルでして、ファルケからの頼みによってみんなでアイゼンシュタインをだまそうとしている
状態でもありました。
その美しいハンガリーの貴婦人の正体はロザリンデでして、すべてはファルケ博士の仕組んだワナでもありました。
ロザリンデは口説かれるふりをしながら、アイゼンシュタインの懐中時計を奪います。
そしてこれが浮気の動かぬ証拠となる訳なのです。

第3幕:拘置所所長フランクの部屋
 
舞踏会の翌日、アイゼンシュタインが拘置所に出頭してみるとすでに見知らぬ男(アルフレート)が自分の代わりに
収監されている事に気が付きます。
拘置所の所長フランクから「昨晩、自宅で奥さんと一緒にいたこの男を連行して収監した」と聞いたアイゼンシュタインは、
ロザリンデの浮気を暴こうと弁護士に成りすまして様子を探ることにしました。
そこにロザリンデがやって来てアルフレートを拘置所から出してほしいとアイゼンシュタイン扮する弁護士に相談を始めます。
怒ったアイゼンシュタインが正体を明かし、妻・ロザリンでを責め立てると、「浮気には浮気を・・」みたいな感じで
ロザリンデは昨夜奪ったアルゼンシュタインの懐中時計を見せます。
浮気がバレて頭を抱えるアイゼンシュタインでしたけど、そこへファルケ博士が舞踏会の参加者とともに現れ、
すべては自分の仕組んだ芝居であった・・それはあの時のこうもりコスプレ放置事件に起因するちょっとした復讐劇ですよ・・と
事の顛末が明らかになり、
アイゼンシュタインは、とっさに「全てはシャンパンのせいだから赦して欲しい・・ロザリンデ」と言いだし、
なんとなく丸く収まったところで最後はロザリンデの歌う「シャンパンの歌」を全員で合唱してエンディングを迎えるというのが
大まかなあらすじです。

こうもりはオペレッタ全曲同様、序曲も大変有名です。単独でも頻繁に演奏されている素晴らしい名曲です。
序曲の演奏時間は8分ぐらいですので、管弦楽団の演奏会の一曲目としてうってつけといえそうです。
快活で明るい雰囲気の序奏に続くようにオーボエがやわらかなメロディを演奏します。
その後もオペレッタの中のたくさんのワルツが接続曲として続々と登場してきます。
曲の途中で6回響くチャイムの音やワルツやポルカ風音楽が展開され、楽しく明るい雰囲気で曲が閉じられます。

喜歌劇「こうもり」序曲はカイリエ等による吹奏楽アレンジ版も1970年代よりコンクール自由曲として演奏されていますけど、
最近ではオペレッタの音楽全体からおいしい部分をピックアップしたセレクト版も出版されていて、どちらかというと
序曲を演奏することよりはこのセレクト版の方が演奏機会が多いのかもしれないです。
最近の吹奏楽コンクールの全体的な傾向としては、邦人作品と歌劇からのセレクトといった事も挙げられそうですけど、
歌劇・オペレッタのセレクト版の先駆的意味合いとしては、1999年の北海道代表の大麻高校吹奏楽部による
プッチーニの歌劇「トゥーランドット」からのセレクト版なのかもしれないです。
あの演奏以降最近に至るまで、歌劇・オペレッタの抜粋版の自由曲の人気が続いている事を考えると、大麻高校の
トゥーランドットのあの素晴らしい名演の意義は現在に至るまで続いているようにも感じられます。
オペレッタのセレクト版としては、こうもり以外ではレハールの「メリーウィドウ」や「微笑みの国」なども印象的です。

喜歌劇「こうもり」序曲のカイリエ等による吹奏楽アレンジ版ですけど、この序曲は実はクラリネットパートに関しては
難曲中の難曲であり、あのあまりにもテンポが速い中での16分音符の炸裂は相当なテクニックが要求されますし、指使いは
大変難しいと断言できます。
私自身はこうもり序曲は幸い(?)演奏したことはありませんけど、カイリエアレンジ版のクラリネットのパート譜を見た限りでは
「とてもじゃないけど自分のこんな未熟なテクニックでは吹けそうにもない・・」とため息がでてしまうほどの難しさは
あると思います。
管弦楽作品の吹奏楽アレンジ版においてヴァイオリンパートのメロディーラインを主に担当するクラリネットパートの
16分音符等の速い動きが極めて難解で難しい曲の代表的事例として、たとえばプロコフィエフの
バレエ音楽「ロメオとジュリエット」~タイボルトの死、ショスタコーヴィチの交響曲第5番~終楽章、
ラヴェルのバレエ音楽「ダフネスとクロエ」第二組曲~全員の踊り、ハチャトゥリアンのバレエ音楽「ガイーヌ」~レスギンカ舞曲
など多数挙げられますけど、こうもり序曲の木管セクションの難しさは特に際立つものがあると思います。
たとえばですけど、タイボルトの死やショスタコーヴィチの5番あたりは、クラリネットセクションも音楽の勢いに乗れてしまえば
指も意外とスムーズに動いてくれますし、なによりもこうしたロシア系の曲は金管セクションが派手にとてつもない音量で
鳴らしていることも多々あり木管の細かい指の動きに多少難があってもあまりばれないという感じでもありますけど、
シュトラウスのこうもり序曲の場合は金管がそれほどがなりたてる曲では全くありませんし、クラリネットパートの細かい指の
動きはウインナワルツ的な優雅さと洗練さをなによりも求められますので、クラリネットのワルツの動きが少しでも
もたつくと即演奏崩壊につながりかねませんので、とにかくクラリネットパートには熟練した名人芸みたいなものを
求められる曲であったりもします。
この曲は私自身も吹奏楽コンクールで崩壊した演奏を何度も耳にしましたけど、クラリネットパートの指の細かい動きの
難しさがそのまま客席にまで伝わり、奏者だけでなくなんだか聴衆すらもオロオロしてしまうような演奏もかなりあったと
思います。

吹奏楽コンクールにおいて喜歌劇「こうもり」序曲の素晴らしい名演というと二つほど挙げたいです。
そしてこの二つの学校の演奏がいずれもコンクール評価としては銀賞で終わっていたことは、審査結果は水物であることと
日本の吹奏楽コンクール自体の驚異的なレヴェルの高さを意味しているのだと改めて感じたりもします。
そしてその二つのすてきな名演はいずれも1985年の全国大会でした。

広島の基町高校は、一部のオールド吹奏楽ファンの間では「基町トーン」という言葉で語られる事もあるのですけど、
柔らかいサウンド・優しい語り口・決して乱暴に鳴らさない・丁寧な音楽作り・温かい雰囲気というのが
その一つの特徴なのかなとも感じるのですが、
そうした「基町トーン」が最高潮に達した演奏が、1981年の序曲ハ調なのであり、85年のこうもり序曲と
いえるのだと思います。
1982年の歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲でもって長年に渡ってこの基町高校を指導・指揮されてこられた
増広先生の勇退の年という事になってしまい、全国大会の評価としては銀賞に留まりましたけど、
あのいかにも「おじいちゃんが優しい語り口で孫たちに民話を語っているような」温かい雰囲気が曲の随所から
感じられて、最後の普門館としては大変満足がいかれた演奏になっていたと思います。
あの優しくて温和な手作り雰囲気は、まさに増広先生=基町高校吹奏楽部のコンビによる「基町トーン」の
素晴らしい有終の美に相応しい演奏だったと思います。
惜しまれつつも増広先生は1982年の普門館を最後に勇退されましたが、
日本のスクールバンドの場合、往々にして長年実績を積み上げてきた優秀な指導者がその学校を離れてしまうと、
後任の先生がご苦労され、なかなかそれまでのような実績が上げにくいとか
中々いい演奏ができないとか、結果的に支部大会とか県大会で散ってしまうとか
後任の先生にとっては色々と悩まれる事も多いものだと思われます。
自分の個性というかカラーは早く出したいけど、なかなか前任の先生のカラーとか伝統みたいなものが立ちはだかってしまい、
自分としてのカラーが出せないまま、いつの間にかコンクールの表舞台から姿を消すという事例は珍しい話ではないと
思ったりもします。
そうした意味においては、基町高校の指揮者交代は公立学校としては理想的なものもあり、
増広先生の後を受け継いだ土居先生の演奏スタイルは「基町トーン」そのものであり、
それが遺憾なく発揮されていた演奏が85年の喜歌劇「こうもり」序曲だったと思います。
とにかくあのワルツは聴いていてとっても楽しかったし心地よかったです!
基町高校のこうもり序曲はテンポ設定が極めて良好で、過度に煽ることもなく平穏に楽しく優雅にワルツを心地よく
聴かせてくれていたことは本当に素晴らしかったです。
土居先生はその後何度か普門館での全国大会でその演奏を聴く事ができましたけど、いつ聴いても
「変わらぬ基町トーンをキープし続けていて、自分たちのサウンドはこれだっ!というものを持っていて
それが長年ずっとこうやって継承つれ続けているのはすごいものだ・・」と当時感心していたものです。
普門館のようにあんなにも広い会場でも、決して大音量とか過剰な表現はせずに、大変理性的で且つ
温かみが感じられる素敵な音楽を増広先生同様に全国大会でも聴衆に伝え続けていた事は大変立派な事だと
思いますし、まさに公立高校の鑑だと思います。

そして同年・・、1985年の中学の部においても雄新中学校による吹奏楽コンクールにおける決定的名演ともいえる
素晴らしいこうもり序曲の演奏が出ています。

1985年の中学の部は正直ちょっと停滞気味で84~85年の2年間の中学の部のレヴェルはちょっと下がり気味でもあったと
思います。
85年の中学の部においては、金賞の今津・出雲第二・大月東・湊など素晴らしい演奏もありましたけど、
例えば玉川学園中等部・伊勢崎第三・永山・津幡あたりは「この演奏が金賞なの・・?」と当日普門館で生演奏を聴いていた
私としてはそう感じてしまうほど、全体のレヴェルはちょっと低下傾向で特に銅賞チームの演奏は
「1960年代あたりにまでタイムスリップしたのかも・・??」と感じさせるものも多少はあったのかもしれないです。
そうした中、キラリ!と光る演奏がプログラムの最後に出現し、それが四国代表の雄新中学校でした!
課題曲Cの「シンフォニックファンファーレとマーチ」の中学生らしいのびやかさとチャーミングさとはつらつした雰囲気も
最高でしたけど、それ以上に自由曲のこうもり序曲の完璧な木管の驚異的テクニックとウインナワルツの楽しさと
オーボエのソロの美しさや全体にキビキビと躍動している溌溂とした明るさは「この日最高の演奏!」と感じさせるものは
間違いなくあったのになぜか審査結果は銀賞であり、「どうしてあの素晴らしい演奏が銀賞で、玉川学園みたいに
技術的未消化が目につき音楽的盛り上げに難があるあの演奏が金賞なの・・!?」と審査結果に納得いかないものを感じ、
「こうしたコンクールの審査結果は水物である・・」という事を実感させられたものでした。

雄新中学校なのですけど、鈴木清先生時代にこんなにも素晴らしい演奏を聴かせてくれているのに評価的には必ずしも
高い評価を受けていないのは私的には全然納得いかないです・・
もう少し高い評価を得ていても決しておかしくはないと感じています。

「雄新中にしては少し消極的な演奏なのかも・・」とも感じてしまう1984年の「運命の力」は金賞で、
表現が積極果敢で各奏者のソロが素晴らしい1982年のスペイン奇想曲が銅賞で、演奏が情熱と楽しさ・明るさ・清涼感に
満ち溢れている1985~87年の3年間の演奏が銀賞という結果に終わっているのは、改めてコンクール審査は水物であると
感じざるを得ませんし、審査員の価値観・好き嫌いで随分と評価も変わってしまうものなのかもしれないです。

雄新が特に光り輝いていたのは、鈴木清先生時代の1985年~1987年の3年連続銀賞の頃なのかもしれないです。

1985年 課題曲C 自由曲/こうもり序曲

1986年 課題曲B 自由曲/ローマの謝肉祭序曲

1987年 課題曲E 自由曲/歌劇「ローエングリン」~エルザの大聖堂への厳かな行列

あの3年間は、本当に素晴らしい演奏を聴かせてくれていたと思いますし、評価は全て銀賞なのですけど、
私の中ではあの3年間の演奏は金賞以上のものがありますし、
何よりも「人の心にまっすぐと伝わる何か」は間違いなく残してくれていたと今でも確信しています。

その中でも特に1987年の「エルザの大聖堂への厳かな行列」は本当に素晴らしかったです!
あそこまで素晴らしい演奏を聴かせてくれたのに、あの演奏が審査結果で「銀賞」と発表された時は、心の底より
「審査員、全員くたばってしまえ!」とか「どういう耳を持ってどんな聴き方をすればあの演奏に金賞という評価をつけないのか
全く理解できない・・」と感じたものでした。



喜歌劇「こうもり」序曲の吹奏楽アレンジ版におけるクラリネットパートの指使いの難しさとハイテクニックは、
現役奏者の頃の私でも「演奏不可能・・」みたいな結論にならざるを得ないですけど、ららマジ器楽部のクラリネット担当の
綾瀬凛だったら余裕で楽々と吹きこなしそうです~♪

自分にも他人にも厳しい綾瀬凛ですけど、こんなかわいいJKさんだったら、私も是非ぜひ綾瀬凛からこうもり序曲の
とてつもないハイテクニックの指使いを教わってみたいです!

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怒っている綾瀬凛はいつもの綾瀬凛なのかもしれないですけど、一緒にこうもり序曲を練習していて
「一体いつになったらまともに吹けるのよ~!」と激怒されているのかもしれないですし、はたまた綾瀬凛自身が
カイリエ編曲の吹奏楽アレンジ版のクラリネットのパート譜を見て
「こんな大変な曲まともに吹ける訳ないじゃん!」とご機嫌ナナメになっている時なのかもしれないですし、
はたまたオペレッタのストーリー的には、妻がありながらも浮気ばかりしているアイゼンシュタインに対して
「この浮気者が~!!」と激高されているのかもしれないです。

なんだかこの雰囲気の綾瀬凛は、東方で例えると地獄の閻魔様の四季映姫様による地獄のお裁きで
「断罪~!!」とか「地獄行き!」の判決を下している時の雰囲気にも似ていそうです。

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綾瀬凛の普段のかわいらしさと怒っている時のギャップにも「すてきだね~♪」と感じてしまいそうです!
本日8月7日は花火の日・鼻の日・立秋・バナナの日・東京ばな奈の日・花やしきの日・オクラの日・花丸うどんの日などでも
ありますけど、「花の日」でもあったりします~♪
一般的には七夕というと7月7日という印象がありそうですけど、小学3年から高校卒業まで仙台で過ごした私にとっては
七夕というと毎年8月6~8日に開催されるとにかく派手で豪華な仙台七夕という印象もあったりします。
とにかく仙台七夕のアーケード街の七夕飾りは絢爛豪華だと思いますし、あの華やかさは東北三大祭りにカウントされるのも
当然だと思いますし、今現在そうしたイベントがなされているかは不明ですけど、私が仙台在住の頃は「動く七夕」という
パレードが開催されていて、陸上自衛隊の吹奏楽団と地元の中・高校生から編成される合同の吹奏楽チームも
パレードに参加する事も多々あり、私自身も一度だけこの動く七夕のパレードに吹奏楽団として参加させて頂いた事は
大変貴重な経験だったと今でも感謝しております。

さてさて、本日は「花の日」でもあるのですけど、歴代プリキュアで「花のプリキュア」として最も相応しいのは
2011年のハートキャッチプリキュアの花咲つぼみ=キュアブロッサムともいえそうですし、
つぼみは2020年のヒーリングっとプリキュアの花寺のどかと共にやさしい癒しのプリキュアともいえそうです。
関係ない話ですけど、2022年の春アニメは近年にないとてつもなく充実したシーズンになりましたけど、その中でも
特に印象的だったのが歌と音楽と癒しといった音楽療法をテーマにした「ヒーラーガール」でもありましたけど、
この「ヒーラーガール」に対して同じく2022年の春アニメでもあり、「ヒーラーガール」に対するある意味強烈なアンチナーゼ作品
でもあった「このヒーラー、めんどくさい」もとっても楽しく見ることができました~♪
同時期放映アニメということもあり、この両作品はコラボ企画をしていたこともありましたけど、「ヒーラーガール」に対して
あの作品をぶつけてくる製作スタッフの皆様のある意味強烈な悪意??をこめたお茶目さもとても面白いものが
あったと思います。

東方で花に関連した御方というとひまわりでもお馴染みの風見幽香なのかもしれないです。

風見幽香は、幻想郷を一年中何処かしら花が咲いているところへと放浪している妖怪という事で、
花を操る程度の能力を有しています。
それだけ見ると、幽香は花を愛している優しい妖怪さんなのかな・・?と誤解をされてしまう方も
多いのではないのかなと思うのですけど、その実態は、
幻想郷内でも最強クラスの妖怪の一人で、危険度は極高・人間友好度は最悪という評価を阿求からも受けています。
阿求からは同時に「人の精神を逆撫でするのが大好き」とまで評されています。
設定の上では、「弱いものいじめ」が大好きで、人間や妖精どころか幽霊や妖怪にまで
片っ端から虐めるのが日課との事なので、やっぱり幻想郷でも屈指のドSキャラと言えるのかもしれないですね・・
その一方で、幻想郷でも若年キャラで強さは最弱とも評されるメディスンの保護者ではないのか・・といった憶測もあったりして、
メディスンを保護しているのはメディスンが操る毒が欲しいからという推測もありそうですし、
幽香も年々性格が穏和になりメディスンを守ることに生きがいを感じているからという説もあったりしますので、
実際のところ、幽香については「よくわからない」という感じなのかもしれないです。

「東方花映塚」においても、幽香はあの地獄の閻魔様の四季映姫様に対しては「誰が一番強いのか白黒はっきりつけてやる!」
と喧嘩を売っていますし、四季映姫様からも「そう、あなたは少し長く生きすぎた・・」とか
「貴方は少しおかしくなっているのかもしれない」とまで言われる始末でもあったりもします。

そうした幽香ですけど、実は元々は妖精だったのではないのかみたいな説も以前から根強くあり、どちらかというと
これが今では定説になりつつあるのかもしれないです。
今現在のあの幽香のドSぶりとおっかなさを見てしまうと
「ほんとかな? いくらなんでもあの幽香が元は可愛いかわいい妖精ちゃんの訳はないでしょ・・・」と思う方が
大半なのではないかと感じます。
花を操るとか花を愛しているとか花が咲いているところをあちこち放浪しているというキャラ設定が
「花をこよなく愛する者に悪い人は本来はいないんじゃないの・・・?」みたいな想像が
そうした「幽香妖精説」の根底になっているのかもしれないです。
チルノやルナチャイルドといった妖精キャラが「実は既に妖怪化しているとか妖怪への道を辿っている・・」みたいな話というのも
幽香が実は元は花の妖精で、妖精が妖怪に変容してしまった先駆例があるからなのこそなのかもしれないです。
常識的な事が通用しないのが幻想郷という世界観においては、
本来可愛いかわいい妖精ちゃんが、「妖怪」になるという話も決してありえないという事ではないかもしれないです。
幻想郷で最も罪深いことの一つが人間が妖怪になってしまう事なのですけど、幻想郷においては妖精が妖怪に変容
したとしても罪に問われないし、「それはよくある話の一つ・・」という扱いになってしまうのかもしれないです。

風見幽香はもしかして・・? 妖怪化する前はチルノや大ちゃんたちと花が咲き誇る丘や広場にて他愛も無く無邪気に
遊んでいたのかもしれないですし、そうした過去の記憶が幽香は恐怖のドS妖怪なのだけど
どことなやさしさ」みたいなものも秘めていると思われていそうな要素にもなっているのかもしれないですね~♪

人は年を取ると丸くなるとか温厚になるとか角が取れて人当たりがよくなるという話もあったりしますけど、
四季映姫様がいわれるように「長く生き過ぎた」と評される風見幽香もご長寿によって少しず温厚に丸くなってきて、
妖精時代のやさしさや癒しみたいなものも思い出されているのかもしれないです。

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ここから先はdream fantasy2
アミグリさんの絵の転載&ご紹介コーナーです!!
今回転載&ご紹介させて頂く二つの作品は言うまでもなくアミグリさんが描かれた風見幽香です。

上の風見幽香はアミグリさんが2013年1月に描かれた作品です。

この幽香は、眼光鋭いドSの妖怪としての幽香ではなくて、花の妖精のイメージに相応しい優しい幽香のイメージに
近いと思います。
もちろん妖怪みたいなちょっとトチ狂った幽香もすてきですけど、
「その真の正体は実は花の妖精・・?」みたいな説を示唆するようなアミグリさんが描かれる幽香もとても素晴らしいと思います。

この幽香の絵を「dream fantasy2
」内で掲載された時のアミグリさんのコメントは、
「笑顔が似合うと思います!」
「夏っぽいさわやかな絵になったかなーと思います!」
でしたけど、確かにアミグリさんが描かれた幽香は、笑顔が可愛いさわやかな幽香だと思いますし、
花の妖精に相応しいとっても可愛いかわいい明るい幽香だと思います~♪

背景のひまわりもとっても爽やかで夏らしいと思います。
ちなみにですけどこのひまわりはアミグリさんがアナログで描かれたものです!

アミグリさんのブログの企画で夏場に何度か「夏らしい絵を描こう!」というとってもすてきな企画が展開される事もありましたけど
この幽香は、そうした「夏らしい絵」に相応しい一枚だと思います。

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上記の幽香は、アミグリさんが2019年5月に描かれた作品であり、同時に当ブログの東方カテゴリ600記事到達の
記念絵でもあります。

アミグリさんの描かれる東方キャラは、フランちゃん・こいしちゃん・妖夢・咲夜さん・霊夢・アリス・魔理沙といった美少女キャラも
素晴らしいのですけど、それと同じくらい、例えばゆかりん・ゆゆ様・白蓮さん・文ちゃん・レティさんといったお姉さまキャラも
アミグリさんとしての個性・感性を大切にされながらもかわいらしさ・美しさもとことん追い求められている点がとても
魅力的なのですけど、幽香も東方お姉さまキャラとして、大人っぽい雰囲気・年長キャラらしいやさしさや慈愛も見事に
表現されていて、見た瞬間に「こんなやさしそうな慈愛に溢れた大人っぽい幽香は他の東方絵師様でもあまり見たことがない」と
感じさせてしまう程のアミグリさんとしての個性や感性が瑞々しく表現されていて、一目見た瞬間に「これは素晴らしい!」と
感じたものでした。

幽香というと東方キャラとしては珍しく頭に帽子や飾りなどをつけていない事もあり、
アミグリさんの描かれる幽香も髪そのものの美しさが大変見映えがされていると強く感じたものです。
緑の色彩の髪はこいしちゃん・早苗さんに近いものがありますけど、幽香=花を司る妖怪=草木=グリーン=自然の美しさという
図式を髪の色そのもので表現されている感じもありますし、
また他の絵師様の幽香は気が強そうな性格を反映してなのか釣り目がちですけど、
アミグリさんの描かれる幽香は以前描かれたレティさんのような少しタレ目でもありますので、
この目の雰囲気もやさしさや親しみやすさを感じます。
チェックのスカートもスカートの花のワッペンもとってもよくお似合いだと思いますし、
背景のひまわりもとてもキラキラしていて夏らしい雰囲気を醸し出されていると思います。

上記のアミグリさんが描かれた風見幽香の権利は、
全て上記作品の絵師様であられるアミグリさんに帰するものであり、当ブログにおける転載とご紹介は事前に全て
アミグリさんからご了解を頂いたものであり、アミグリさんからのご厚意で転載をさせて頂いておりますので、
無断お持ち帰りや無断コピーは絶対NGですので くれぐれも宜しくお願い申し上げます。

アミグリさん、本当にいつもすてきな絵の転載を快諾して頂きありがとうございます!!

皆様の中で「こんなにかわいい幽香を描かれる方のブログってどんなもんなのだろう? 」などと興味がある方は、
是非是非アミグリさんのブログdream fantasy2を ご覧になって頂きたいと思いますし、 宜しければ、当ブログだけではなくて、
是非アミグリさんの本家本元のブログdream fantasy2に一度お越しして頂けると アミグリさんのブログをご紹介させて頂いている私もとってもとっても嬉しいです!

アミグリさんが定期的に作品を投稿され続けている →アミグリさんのpixiv にも是非一度足を運んで頂ければ幸いです!

アミグリさんのpixiv

現在は真夏真っ盛りという事で皆様方におかれても夏バテや食中毒、熱中症等には十分お気をつけ頂き、
すてきな真夏をお過ごしいただきたいと思いますし、
本日は花の日でもありますので、花をうっとりと見つめながらやさしさや思いやりを胸に秘めて頂ければありがたいと思います。
本日8月7日は花火の日・鼻の日・立秋・バナナの日・東京ばな奈の日・花やしきの日・オクラの日・花丸うどんの日などでも
ありますけど、「花の日」でもあったりします~♪
一般的には七夕というと7月7日という印象がありそうですけど、小学3年から高校卒業まで仙台で過ごした私にとっては
七夕というと毎年8月6~8日に開催されるとにかく派手で豪華な仙台七夕という印象もあったりします。
とにかく仙台七夕のアーケード街の七夕飾りは絢爛豪華だと思いますし、あの華やかさは東北三大祭りにカウントされるのも
当然だと思いますし、今現在そうしたイベントがなされているかは不明ですけど、私が仙台在住の頃は「動く七夕」という
パレードが開催されていて、陸上自衛隊の吹奏楽団と地元の中・高校生から編成される合同の吹奏楽チームも
パレードに参加する事も多々あり、私自身も一度だけこの動く七夕のパレードに吹奏楽団として参加させて頂いた事は
大変貴重な経験だったと今でも感謝しております。

さてさて、本日は「花の日」でもあるのですけど、歴代プリキュアで「花のプリキュア」として最も相応しいのは
2011年のハートキャッチプリキュアの花咲つぼみ=キュアブロッサムともいえそうですし、
つぼみは2020年のヒーリングっとプリキュアの花寺のどかと共にやさしい癒しのプリキュアともいえそうです。
そして花というと同じく2011年のハートキャッチのキュアサンシャインもイメージ的には夏の花=ひまわりというイメージも
大変強かったです、

東方で花に関連した御方というとひまわりでもお馴染みの風見幽香なのかもしれないです。

風見幽香は、幻想郷を一年中何処かしら花が咲いているところへと放浪している妖怪という事で、
花を操る程度の能力を有しています。
それだけ見ると、幽香は花を愛している優しい妖怪さんなのかな・・?と誤解をされてしまう方も
多いのではないのかなと思うのですけど、その実態は、
幻想郷内でも最強クラスの妖怪の一人で、危険度は極高・人間友好度は最悪という評価を阿求からも受けています。
阿求からは同時に「人の精神を逆撫でするのが大好き」とまで評されています。
設定の上では、「弱いものいじめ」が大好きで、人間や妖精どころか幽霊や妖怪にまで
片っ端から虐めるのが日課との事なので、やっぱり幻想郷でも屈指のドSキャラと言えるのかもしれないですね・・
その一方で、幻想郷でも若年キャラで強さは最弱とも評されるメディスンの保護者ではないのか・・といった憶測もあったりして、
メディスンを保護しているのはメディスンが操る毒が欲しいからという推測もありそうですし、
幽香も年々性格が穏和になりメディスンを守ることに生きがいを感じているからという説もあったりしますので、
実際のところ、幽香については「よくわからない」という感じなのかもしれないです。

「東方花映塚」においても、幽香はあの地獄の閻魔様の四季映姫様に対しては「誰が一番強いのか白黒はっきりつけてやる!」
と喧嘩を売っていますし、四季映姫様からも「そう、あなたは少し長く生きすぎた・・」とか
「貴方は少しおかしくなっているのかもしれない」とまで言われる始末でもあったりもします。

そうした幽香ですけど、実は元々は妖精だったのではないのかみたいな説も以前から根強くあり、どちらかというと
これが今では定説になりつつあるのかもしれないです。
今現在のあの幽香のドSぶりとおっかなさを見てしまうと
「ほんとかな? いくらなんでもあの幽香が元は可愛いかわいい妖精ちゃんの訳はないでしょ・・・」と思う方が
大半なのではないかと感じます。
花を操るとか花を愛しているとか花が咲いているところをあちこち放浪しているというキャラ設定が
「花をこよなく愛する者に悪い人は本来はいないんじゃないの・・・?」みたいな想像が
そうした「幽香妖精説」の根底になっているのかもしれないです。
チルノやルナチャイルドといった妖精キャラが「実は既に妖怪化しているとか妖怪への道を辿っている・・」みたいな話というのも
幽香が実は元は花の妖精で、妖精が妖怪に変容してしまった先駆例があるからなのこそなのかもしれないです。
常識的な事が通用しないのが幻想郷という世界観においては、
本来可愛いかわいい妖精ちゃんが、「妖怪」になるという話も決してありえないという事ではないかもしれないです。
幻想郷で最も罪深いことの一つが人間が妖怪になってしまう事なのですけど、幻想郷においては妖精が妖怪に変容
したとしても罪に問われないし、「それはよくある話の一つ・・」という扱いになってしまうのかもしれないです。

風見幽香はもしかして・・? 妖怪化する前はチルノや大ちゃんたちと花が咲き誇る丘や広場にて他愛も無く無邪気に
遊んでいたのかもしれないですし、そうした過去の記憶が幽香は恐怖のドS妖怪なのだけど
どことなやさしさ」みたいなものも秘めていると思われていそうな要素にもなっているのかもしれないですね~♪

人は年を取ると丸くなるとか温厚になるとか角が取れて人当たりがよくなるという話もあったりしますけど、
四季映姫様がいわれるように「長く生き過ぎた」と評される風見幽香もご長寿によって少しず温厚に丸くなってきて、
妖精時代のやさしさや癒しみたいなものも思い出されているのかもしれないです。

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ここから先はdream fantasy2
アミグリさんの絵の転載&ご紹介コーナーです!!
今回転載&ご紹介させて頂く二つの作品は言うまでもなくアミグリさんが描かれた風見幽香です。

上の風見幽香はアミグリさんが2013年1月に描かれた作品です。

この幽香は、眼光鋭いドSの妖怪としての幽香ではなくて、花の妖精のイメージに相応しい優しい幽香のイメージに
近いと思います。
もちろん妖怪みたいなちょっとトチ狂った幽香もすてきですけど、
「その真の正体は実は花の妖精・・?」みたいな説を示唆するようなアミグリさんが描かれる幽香もとても素晴らしいと思います。

この幽香の絵を「dream fantasy2
」内で掲載された時のアミグリさんのコメントは、
「笑顔が似合うと思います!」
「夏っぽいさわやかな絵になったかなーと思います!」
でしたけど、確かにアミグリさんが描かれた幽香は、笑顔が可愛いさわやかな幽香だと思いますし、
花の妖精に相応しいとっても可愛いかわいい明るい幽香だと思います~♪

背景のひまわりもとっても爽やかで夏らしいと思います。
ちなみにですけどこのひまわりはアミグリさんがアナログで描かれたものです!

アミグリさんのブログの企画で夏場に何度か「夏らしい絵を描こう!」というとってもすてきな企画が展開される事もありましたけど
この幽香は、そうした「夏らしい絵」に相応しい一枚だと思います。

20190520-yuuka-02_convert_20190520185309_convert_20190520201302.png

上記の幽香は、アミグリさんが2019年5月に描かれた作品であり、同時に当ブログの東方カテゴリ600記事到達の
記念絵でもあります。

アミグリさんの描かれる東方キャラは、フランちゃん・こいしちゃん・妖夢・咲夜さん・霊夢・アリス・魔理沙といった美少女キャラも
素晴らしいのですけど、それと同じくらい、例えばゆかりん・ゆゆ様・白蓮さん・文ちゃん・レティさんといったお姉さまキャラも
アミグリさんとしての個性・感性を大切にされながらもかわいらしさ・美しさもとことん追い求められている点がとても
魅力的なのですけど、幽香も東方お姉さまキャラとして、大人っぽい雰囲気・年長キャラらしいやさしさや慈愛も見事に
表現されていて、見た瞬間に「こんなやさしそうな慈愛に溢れた大人っぽい幽香は他の東方絵師様でもあまり見たことがない」と
感じさせてしまう程のアミグリさんとしての個性や感性が瑞々しく表現されていて、一目見た瞬間に「これは素晴らしい!」と
感じたものでした。

幽香というと東方キャラとしては珍しく頭に帽子や飾りなどをつけていない事もあり、
アミグリさんの描かれる幽香も髪そのものの美しさが大変見映えがされていると強く感じたものです。
緑の色彩の髪はこいしちゃん・早苗さんに近いものがありますけど、幽香=花を司る妖怪=草木=グリーン=自然の美しさという
図式を髪の色そのもので表現されている感じもありますし、
また他の絵師様の幽香は気が強そうな性格を反映してなのか釣り目がちですけど、
アミグリさんの描かれる幽香は以前描かれたレティさんのような少しタレ目でもありますので、
この目の雰囲気もやさしさや親しみやすさを感じます。
チェックのスカートもスカートの花のワッペンもとってもよくお似合いだと思いますし、
背景のひまわりもとてもキラキラしていて夏らしい雰囲気を醸し出されていると思います。

上記のアミグリさんが描かれた風見幽香の権利は、
全て上記作品の絵師様であられるアミグリさんに帰するものであり、当ブログにおける転載とご紹介は事前に全て
アミグリさんからご了解を頂いたものであり、アミグリさんからのご厚意で転載をさせて頂いておりますので、
無断お持ち帰りや無断コピーは絶対NGですので くれぐれも宜しくお願い申し上げます。

アミグリさん、本当にいつもすてきな絵の転載を快諾して頂きありがとうございます!!

皆様の中で「こんなにかわいい幽香を描かれる方のブログってどんなもんなのだろう? 」などと興味がある方は、
是非是非アミグリさんのブログdream fantasy2を ご覧になって頂きたいと思いますし、 宜しければ、当ブログだけではなくて、
是非アミグリさんの本家本元のブログdream fantasy2に一度お越しして頂けると アミグリさんのブログをご紹介させて頂いている私もとってもとっても嬉しいです!

アミグリさんが定期的に作品を投稿され続けている →アミグリさんのpixiv にも是非一度足を運んで頂ければ幸いです!

アミグリさんのpixiv

現在は真夏真っ盛りという事で皆様方におかれても夏バテや食中毒、熱中症等には十分お気をつけ頂き、
すてきな真夏をお過ごしいただきたいと思いますし、
本日は花の日でもありますので、花をうっとりと見つめながらやさしさや思いやりを胸に秘めて頂ければありがたいと思います。
幻想郷にはとてもすてきな巫女さんが二人もいらっしゃいます。

その二人の巫女さんの霊夢と早苗さんはとても魅力的でかわいいと思います~♪

霊夢も早苗さんも「巫女さん」という共通項があるのですけど、例えば、その育ち・背景・性格・考え方とか
はたまた二人の保護者ともいえるゆかりんと神奈子&諏訪子の立ち位置の違いなど
二人の間には明確な違いがあると言えるのだと思います。
袖なし・脇見せという似たような感じの巫女服を二人が纏っていても、霊夢が赤、早苗さんが緑というカラーの違いも
ありますけど、二人の印象の違いは一目瞭然という感じでもあると思います。
初期の頃は、「霊夢の2Pカラーが早苗さんである」みたいな事を言っている人もいたような気がしますけど、
最近はこの二人の違い・対照性がほぼ明確になっているという事もあり、そうした事は今ではほとんど言われなくなったことは
「早苗さんのキャラの確立」という事を見事に示唆しているものじゃないのかな・・?とも思ったりもしています。

幻想郷に移住して間もない頃の早苗さんは、
慣れない幻想郷での暮らしとか幻想郷内のルールとか色々と不慣れな面も多々あったと思いますし、
今更ながらとんでもない所にやって来たとか、外界の両親とか学校の同級生は今頃何やってんのかなとか
果たして霊夢の博霊神社とうまくやっていけるのかとか
妖怪の山の神社として認められはしたけど、本当に河童とか天狗みたいな海千山千みたいなあの妖怪たちと
うまくやっていけるのかとか八雲紫という妖怪は危険な香りが漂っているとか早苗さんなりに色々と
悩まれていた時期もあったのかもしれないです。

進化論という話は耳にするのですけど、それは
種族として生き残っていくためには強さというよりも「環境の変化に対応できる適応力の有無」の方が
必要不可欠という話なのだと思います。
早苗さんは、元々育ってきた外界の考え方や経験に囚われる事も無く一度霊夢の博麗神社に敗北を喫し叩きのめされると、
「それでは自分たちが今後幻想郷内で生き残るためにはどうすればいいのか・・? 現況何が足りなくて
今後何を身に付けていく必要があるのか・・?」という事を常に頭の片隅に置き、
外界→幻想郷という「凄まじい環境の変化」にきちんと順応していき、
「幻想郷で生き残るためには、自分はどのように変化をしないといけないのか」という事を
実践していった早苗さんは本当にすてきだと改めて感じてしまいます。

外界時代の記憶をそのまま持っていながらも「昔に戻りたい・・」等の泣き言も一切言わずに、幻想郷と言う新しい世界に
果敢に飛び込み見事に適応していった早苗さんは、霊夢共々幻想郷のすてきな巫女さんという事なのだと思います。

幻想郷に棲みついている妖怪たちはそれぞれ一様にキャラが濃厚で個性的で、基本的には「私が、私が・・」みたいに
他者との協調よりは自分の存在をどうやって他者に知らしめることができるのかといった事に力点が置かれている様な
感じも無くは無いと思うのですけど、
(早苗さん自身も東方茨歌仙にて「わたし、わたし!」とやらかしています)
「東方非想天則」にて幻想郷の多くの皆様たちから「どう、ここでの生活は慣れた・・?」と声を掛けられているのは、
少しばかり意外な感じもありましたし、
霊夢のすてきな保護者でもあられるはずのあのゆかりん=八雲紫様すらも早苗さんに対しては労いの言葉を
掛けている事には、幻想郷の妖怪たちの懐の深さみたいなものを示唆させるものでもあると感じましたし、
同時に早苗さんにとっても、「本来はよそ者のあるはずである私をここまで心配してくれてありがとう!」と感じているのかも
しれないですし、幻想郷の多くの皆様たちより早苗さんの存在をきちんと認められている事が
早苗さんにとっては嬉しい!と感じていたのかもしれないです。

それでは下記において少しばかり具体的に「東方非想天則」にて幻想キャラの皆様たちが早苗さんにどのように気遣いの
言葉を掛けてくれていたのか見てみたいと思います。

譌ゥ闍励f縺九j繧点convert_20181002194431

ゆかりんは早苗さんに対して、
「どう? もう慣れたかしら?」とゆかりんにしては大変珍しく(?)優しいお言葉を掛けているのですけど、
人によっては「何か裏があるようだし、またまた何か悪だくみを仕掛けているのではないのか・・?」と解釈する人も
いるのかもしれないですね・・

外の世界からやってきた早苗さんを気遣うようなゆかりんのセリフは、可能性的に幻想郷の創始者の一人でもあるかもしれない
ゆかりんとしての配慮みたいなものを示したかったのかもしれないです。

譌ゥ闍励&縺柔convert_20181002194402

咲夜さんは早苗さんに対して、
「どうですか? 幻想郷の暮らしは中々、飽きさせないでしょう?」と早苗さんを気遣うセリフを言われています。
ゆかりんだとなんだか胡散臭く聞こえるセリフでも咲夜さんが言うと、本当に心の底から心配してくれているのだな・・と
感じさせる面は多々あると思われます。
咲夜さんも確かに色々な出生の説はあるようですけど、基本的にはレミリア様と共に外界の吸血鬼が暮らすお城から
幻想郷に移住してきたと経緯もあり、ある意味で早苗さんと似た境遇といえ無いこともないですので、
咲夜さんとしては早苗さんの気持ちもよく分かるという事なのでしょう。

縺セ繧翫&縺ェ_convert_20181002194515

魔理沙も早苗さんに対しては
「随分と妖怪退治業が板に付いてきたな」と東方星蓮船~東方神霊廟で自機を務め数々の妖怪退治を実践してきた
早苗さんをきちんと認めている辺りは霊夢との違いを感じさせたりもしそうです。

この当時の早苗さんは、はっちゃけとか張り切り過ぎているといった声もあったようにも思えるのですけど、
それを意識しているのかどうかは不明ですけど、魔理沙はその後のセリフで
「妖怪退治ばっかりしていると自分が妖怪に近づくんだぜ」と警告を発してもいます。

これは妖怪退治の先輩としての助言とも取れるセリフだと思えますし、魔理沙のやさしさが読み取れるセリフであるようにも
感じられます。
魔理沙にしても霊夢にしてもなんとなくですけど、人間の味方でも無いし敵でも無いし、逆に妖怪サイドの味方でも無いし
敵でも無い・・というスタンスがあるのかもしれないですし、それゆえのセリフであるとも解釈できるような
感じもありそうです。

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続きましてチルノなのですけど、さすがに⑨のおバカさんのチルノらしい言葉が飛び出してきています。

霊夢に対してチルノは「おっと、最近巫女が増えたけど区別する気無いよ!」と言っていて
早苗さんに対してチルノは「また巫女ね!巫女は妖怪退治しかしないのよ!」というセリフを発しています。

チルノのそもそも論としての巫女認識というものは、巫女の区別とかどうでもいいのかもしれないです。
一応は「巫女=妖怪退治」という役割分担は認識しているのだと思いますし、東方風神録以降は幻想郷内に
巫女が一人増えたという認識も一応は有しているようですけど、
チルノにとっては霊夢も早苗さんも大して違いは無いし、そんなの妖精の私にはそんなに関係が無いと感じているという
事なのかもしれないですね。

だけどそうした二人の巫女に対する認識は、チルノよりももっと脳が鳥頭と言われているお空に掛ってしまうと
もっと惨憺たる認識になってしまいます・・

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お空は、霊夢を見ても「あ、巫女だ! 巫女の区別が付かないよ」と言っていて、
同時に早苗さんを見ても「あ、巫女だ! 巫女の区別が付かないよ」とまさかの同じ事を言っています。

お空にとっては、巫女の区別は付かないものという事なのかもしれないですね。
もしかしたら八咫烏を体内に取り込んだ副作用として更なる記憶力の低下というものを招いたのかもしれないですね・・

余談ですけど、紅魔館の居眠り門番の美鈴は、霊夢と早苗さんに関して
「あれ?東の巫女とは何が違うのかしら?」という事を言っているのですけど、
博麗神社は幻想郷全体の東に位置していますので、東の巫女=霊夢という美鈴の認識は間違っていないのは
さすが!という感じですね~!

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ここから先はdream fantasy2
アミグリさんが過去に描かれたすてきな絵の転載&ご紹介コーナーです。
今回ご紹介させて頂く絵はいうまでもなくアミグリさんが描かれた早苗さんです~♪ そして今回は2016年の早苗さんと
2021年3月に描かれた早苗さんを改めてご紹介させて頂きますので、2枚の早苗さんの違いを感じ取って頂ければ幸いです。

上記の早苗さんはアミグリさんが2016年1月に描かれた作品です。

描かれた当時のアミグリさんのお声として
「アナログ(鉛筆)で描いた線画をスキャンして、SAIで塗り塗りしました。
加工にクリップスタジオペイントもちょこっと使用しました」との事ですけど、
アミグリさんの絵師様としてのご苦労が垣間見えるのではないかと思われます。
ちなみにですけど、2021年の早苗さんや2020年のお燐ちゃん等は、SAIからクリスタに変えられたということでもありますので、
今回取り上げた「おとなっぽい雰囲気」というのはこうした描き方の違いというのもあるのかもしれないです。

アミグリさんが描かれた早苗さんは風祝としての早苗さんに相応しく、風がさーーーっと吹いてきて
早苗さんのスカートがふんわりと舞っているようにも感じられるのはとても爽やかだと思います。
緑の巫女とも言えそうな緑のロングヘアもとても美しいと思います!
かわいい中にも「颯爽とした雰囲気」というのか「若き巫女のさわやかな雰囲気」というものを
大変凛とした空気の中に描かれていると思います。

早苗さんが手にしているのはお祓い棒ですけど、ファンの間ではあれは「はんぺん棒」という愛称もありますけど、
アミグリさんが描かれた早苗さんのお祓い棒からもどことなく気品のようなものを感じさせてくれているのは
すてきですね~!
早苗さんがこのはんぺん棒を手にされていると霊夢とは別の形での「妖怪退散!」とか「妖怪退治」を実践されそうな
雰囲気が感じられたりもしそうです。
白のハイソックスも外界の現役JKさんの名残みたいなものも感じさせてくれていて、とてもお似合いだと思います。

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上記の早苗さんはアミグリさんが昨年・・2021年3月に描かれた早苗さんです。

とても美しい早苗さんですね~♪ アミグリさんの描かれた早苗さんというと上記の2016年のはんぺん棒をてにされた
凛々しい感じの早苗さんや巫女の日記念の霊夢とのツーショットの際の早苗さんやコスプレ化した早苗さんなどが
とても印象的で、あの早苗さんは どちらかというと溌剌とした外界のJKさんみたいな雰囲気もありましたけど、
2021年3月に描かれた早苗さんは女子高生を卒業したJDみたいな早苗さんみたいな感じもしますし、
少し大人になった情感あふれるしっとりとした早苗さんのように感じたりもします。
長い髪もサラサラしていてとても美しいですし、慈愛に溢れたようなやさしい眼差しにも魅かれますし、手を顎に当てている
何気ない仕草にもはっ・・とさせられそうな美しさに思わずドキッ・・とさせられそうです。

2016年の早苗さんは外界のJKさん時代の早苗さんの様子を色濃く残し、どちらかというと幻想郷に移住して間もない頃の
はっちゃけた早苗さんみたいな雰囲気といえそうですけど、
2021年の早苗さんは幻想郷の生活にも慣れ、幻想郷の人間・妖怪からも「山の神社の巫女さん」という認識が定着し、
余裕をもったようにも感じられますし、それが大人になった早苗さんをもたらしているのかもしれないです。
2016年の早苗さんの長髪もすてきですけど、2021年の早苗さんの長髪はこの流れるような美しさと繊細さは
アミグリさんの絵師様としてのすてきな進化と変化なのだと思います。

上記のアミグリさんが描かれた早苗さんは、早苗さんの絵師様であるアミグリさんに帰するものであり、
当ブログにおける転載とご紹介は事前に全てアミグリさんからご了解を頂いたものであり、
アミグリさんからのご厚意で転載をさせて頂いておりますので、
無断お持ち帰りや無断コピーは絶対NGですので くれぐれも宜しくお願い申し上げます。

アミグリさん、本当にいつもすてきな絵の転載を快諾して頂きありがとうございます!

皆様の中で「こんなに美しい早苗さんを描かれる方のブログってどんなもんなのだろう・・? 」と興味がある方は、
是非是非アミグリさんのブログdream fantasy2 を ご覧になって頂きたいと思いますし、 宜しければ、当ブログだけではなくて、
是非アミグリさんの本家本元のブログdream fantasy2  に一度お越しして頂けると アミグリさんのブログをご紹介させて頂いている私もとってもとっても嬉しいです!

アミグリさんが定期的に作品を投稿され続けている →アミグリさんのpixiv にも是非一度足を運んで頂ければ幸いです!

アミグリさんのpixiv

やはり早苗さんはすてきで魅力的な幻想郷のもう一人の巫女さんキャラですね~♪
先日の記事でも書いた通り、5月末~7月上旬にかけて尿路結石が原因の背中・わき腹・太ももの痛みといった症状に
悩ませられ、当時は仕事や日々の日常生活を過ごすことが精いっぱいであり、ブログの管理なんてとてもじゃないけどできない・・
という状況の日々でしたけど、今にして思うとあの頃の体調不良というものは、もちろんそうした背中などの激痛も
大きかったのですけど、ああやって体の痛みが恒常的に続くと食欲がほとんどなくなり、食べ物をあまり食べなくなり、
そうした食欲低下→食べ物を食べない→体力低下→さらに体調悪化という悪循環を招いていたようにも感じられます。
あの当時はもちろん暑かったこともありますけど、昼ごはんも夕ご飯もざるそば・そうめん・とろろ飯ぐらいしか喉を通らず
栄養が極度に体内でも足りていない感じでもありましたので、改めて「食べないと人は元気になれないし、健康を維持できない」と
感じたものでした。

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常におなかがすいていて、絶えず食べ物を口にしていないと倒れてしまいそうなハナ・・

2021年秋アニメであり私の2021年のマイベストアニメ作品でもあった「見える子ちゃん」は、もちろんヒロインは
みこですし、この物語はみこの視点から描かれる事が多く、
幽霊やこの世のものではない異形のバケモノたちが日常的に見えてしまうみこが決めたことはそうしたバケモノたちを
全て無視し見なかった事にして普段の日常や学校生活を過ごすというホラーコメディーでもあります。

「見える子ちゃん」の物語はもちろんみこが絶対的なヒロインであるのは言うまでも無いのですけど、
みこの親友でもあるハナの存在は極めて大きなものがあったと思います。
(ハナの胸の大きさはスイカなんてものではなくてとてつもなく巨大すぎて、あれは現役JKさんの許容範囲を超越
し過ぎているのかもしれないですね~♪)

ハナには尋常ではない
生命力オーラを強烈に日常的に放っていて、そのオーラの強さはゴッドマザーによればかなり強力な部類との事です。
そしてハナのそうした強烈な生命力オーラそのものが霊や化け物たち異形の存在を本人無自覚のまま
引き寄せてしまっているともいえますし、ハナに取り憑いている霊や化物たちががハナの生命オーラを消費し続けているため、
ハナは霊たちに消費されてしまった生命オーラを維持するためにそのエネルギーの代償として「生きる源」、すなわち
食べることでその強いオーラの回復と維持を図っているものと推察されます。
ハナが特段食いしん坊とか異常食欲と言う訳ではなくて、ハナに憑りついている霊たちがハナに内在する生命オーラという
相当量エネルギーを使用しあまりにも毎回毎回エネルギーを使用するので
そのエネルギー維持のために生きる源、すなわち・・食べることでそのエネルギー補填を行っているともいえそうです。
みこによれば、幼いころからハナはすでに食いしん坊であったことから、このオーラは生まれつきのものとも考えられそうです。
ハナの腹が減りやすい体質というか・食いしん坊体質はそれが原因とも言えそうです。

ハナの大食いはみこも呆れるほどですが、実はハナの大食いは霊や化け物たち異形の存在に生命オーラを
消費されていたからに他ならず、消費されたエネルギーを満たすため常に食べているという感じです。

「見える子ちゃん」のハナの強烈な生命力オーラの源は「食べること」とも言えるのですけど、同時に常に食べている事で
生命力の強烈なオーラを維持し続けているとも言えそうです。
実際、この場面はアニメ化はされていませんでしたけど、原作漫画にて、とある地縛霊が原因でハナが川に飛び込み
びしょ濡れとなり風邪を引いた時に、またまた例によってかなりヤバい霊や化け物たちがハナの体内に憑りついて
しまった時、お見舞いに来ていたみこやユリアは、ハナが食べることで例のその生命力オーラを回復し一時的に
元気になることに気が付いていたりもしましたけど
(ハナが「もう食べられない・・」と食べ物を口にしなくなるとどんどん霊たちにハナの体が取り込まれていってしまう
という事でもありました・・)
その時、ハナに憑りついていた霊・化け物たちを退治したのが三回問題でお馴染みのあの狐たちなのですが、その時に
みこが「もう一度あの神社にお参りしてきちんとお礼の気持ちを伝えないといけない」と考え、単独でお詣りを決行した事が
原作漫画6~7巻で展開されていたもっともっとヤバい事態の背景にもなっているのですけど、
その辺りを書くとネタバレになってしまいますので、あとは各自で原作漫画をご覧頂ければと思います。
以前過去記事にて「ハナがダイエットに励み食べる量を今の半分以下に抑制させてしまえば
ハナの生命力オーラも半減し、ハナが引き寄せてしまっているかもしれない異形の存在がハナのオーラに引き寄せられる事も
少なくなるのかもしれない」と記しましたけど、それは同時にハナが食べる量を抑制して生命力オーラを抑制させてしまうと、
ハナに憑りついていた霊・化け物たちがハナの体内でエネルギーを使い切らないままハナにそのまま憑依してしまう事も
ありえない話ではないと思われるだけに、ハナが食べる量を抑制することはハナにとっても決して良い結果を招くとは
いえそうにもないです。
かといってこのままハナが無限に食べ続け、ハナの発する生命力オーラを保ち続ける事にも限界があるようにも
感じたりもします。
ハナにとっても食べ続けることも食べる量を抑制してもどららにしても無理が生じてハナ自身に破綻が生ずる可能性も
あるのかもしれないです。
ハナが食べ続けてしまうと生命力オーラが霊や化け物たちを引き寄せてしまうし、逆に食べないと霊や化け物たちが
ハナに憑りつこうとした際にそれを排除できないという事で二律背反的なことになってしまうのかもしれないです。



見える子ちゃん」のハナの強烈な生命力オーラの源は「食べること」であり、生命力オーラを消費した時のその補填の
パワー源が「食べること」に他ならない訳ですが、
「ラーメン大好き 小泉さん」アニメ版第4話のBパート/赤or白のエンディングは小泉さんの
「そう! まさにラーメンは力の源!だと思いませんか?」というすてきなお言葉で閉じられるのですけど、
これはやはり原作漫画でもアニメ版でも何度か出てきた「ノーラーメンノーライフ」(ラーメンの無い人生なんて!)という
事なのだと思いますし、小泉さんにとってラーメンとは生きるチカラであり力の源であると言えるのだと思います。

こうやって考えてみるとハナにとっても小泉さんにとってもたとえ食べるものがラーメンであったりパンやおしりだいふく餅で
あったとしても「食べること、それすなわち生きるチカラ」という事になるのかもしれないです。

どちらにしても人というものは食べることでエネルギー=パワー=生きるチカラを得ているという事なのだと思いますね~♪


既に2022年夏アニメも4~5話程度が放映され、かなり盛り上がっているようにも感じられます。

春アニメは世間一般的にはSPY×FAMILYの評価高そうですけど、私的には「ヒーラーガール」で決まりです!
(「ヒーラーガール」は地上波では東京MXでしか放映されていませんでしたし、あのミュージカルみたいな歌いまわしや
セリフは人によってはかなりの賛否両論がありそうですけど私は大好きな作品でしたし、埼玉ご当地アニメでもあった
「その着せ替え人形は恋をする」と並んで2022年のマイベストアニメの有力候補になりそうな作品でもありました)

そして夏アニメも盛り上がっていますね~♪
私的にはリコリス・リコイル、プリマドール、Engage Kiss、 Extreme Hearts、てっぺん!!、異世界薬局、氷雪帝国、
ラブライブ! スーパースター、咲う アルスノトリア すんっ!、連盟空軍航空魔法音楽隊ルミナスウィッチーズがお気に入りですし、
意外とプリマドールの絵柄のかわいらしさと話の深刻さのギャップが 大好きだったりもします。
再放送枠ではヤマノススメ、エスタブライフ グレイトエスケープが お気に入りです。
というか・・どうして私、エスタブライフ グレイトエスケープを 見ていなかったのかな・・?? あの面白さはヤバいです・・
そしてこの中では特にお気に入り作品が「リコリス・リコイル」ですね~♪
この作品は完全オリジナル作品ということで原作がないようですので、先の展開が全く予想できず、原作に囚われずに
冒険しようとしている意欲が大変好感を持てます。
なによりも二人のメインヒロインのJKさん・・特に私的には千束が大好きであったりもします!

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リコリス・リコイル

リコリス・リコイルの二人のメインヒロインは10代の美少女JKさんということで、これだけで既に私のツボに入っています。
二人の職業は秘密組織「DA(Direct Attack)」のエージェントで、犯罪を未然に防ぐため、誰にも気づかれないよう犯罪者を
処分する役目を担っています。
千束たちはかわいらしい制服姿で街を歩いていますけど、これは一つのカムフラージュであり、
二人の通学カバンの中には銃や銃弾が詰まっており、いつでも戦えるよう武装しています。
第2話「The more the merrier」の中のセリフ・・「JKの制服は都会の迷彩服というわけか」というのはこの物語を
象徴するものとも言えそうです。
他にも、平和のシンボルになっている崩壊した電波塔、暗躍するテロリストなど物騒な描写もあり、
一見平和な世界とハードボイルさが大きな魅力になっていると思います。
千束とたきなの二人の性格の違いも面白いですし、二人がどうやって絆を深めていくのかというのも見どころの一つと
いえそうです。
また、これは既に一部で話題になっていますけど、第4話での二人のスカートの中ののぞきあいのシーンは
最高に素晴らしかったです~♪
JKさんのスカートの中だったらたとえそれが実はトランクスであったとしても全然OKなのかもしれないです。

だけど2022年夏アニメの中で最も驚いたのは埼玉ローカルショートアニメの「浦和の調ちゃん」の第二期というか続編とも
いえる「むさしの!」がなんと! 浦和の調ちゃんの放映が完了して7年後に忘れた頃になって思いがけずに
放映が始まっていたことです。

「埼玉は暑い」というか・・今年のテレ玉(テレビ埼玉)は異様に?盛り上がっていて、
2015年に放映されていた「浦和の調ちゃん」の続編ともいえる「むさしの!」がなぜか・・?唐突に放映決定の告知がされ、
既に7月より放映が開始されています。
「むさしの!」の主要メンバーは浦和の調ちゃんのメンバーも登場していますし、さらに浦和のライバル?でもある大宮勢の
新キャラも既に登場していたりもしていて、
2017年に「むさしの!」制作決定という告知が一度話されていたのに、同年に延期発表がされ、そのままずるずる5年近く
放置されていた経緯があるだけにこの放映開始はこの夏最大のサプライズともいえそうなのルン~♪

「むさしの!」は「浦和の調ちゃん」の続編アニメでもあるのですけど、むさしの!に登場する聖大宮女学院の5人の新キャラたちは
なにかにつけて調や常盤たち浦和第三高校鉄道部に挑発をしてくるのですけど、
これはいうまでもなく埼玉県の浦和と大宮は実は昔から仲が悪い・・という事に基づいているのだと思います。

埼玉県以外の方は何のことやらわからないのでしょうから、少し解説させて頂きますと、
同じ「さいたま市」でも、「さいたま市浦和区」と「さいたま市大宮市」の旧浦和市と旧大宮市は
昔からあまり仲が宜しくないという事情もあったりします。
目クソ鼻クソを笑うの領域なのでしょうし、埼玉県以外の方の視点では
「別にどちらも冴えない埼玉なんだし、大宮も浦和も大して変わりがないじゃん!」みたいな感じになってしまうのかも
しれないです。
旧大宮市の視点からは「新幹線が停車するのは大宮駅」と言うのでしょうし
旧浦和市の視点からは「浦和レッズと大宮アルディージャでは圧倒的にレッズの方が強い」と
言うのでしようね・・・
その辺りは、限りなくさいたま市南区に近い川口市民の私にとっては別にどうでもいい話なのかもしれないです・・

「むさしの!」も大宮と浦和のご当地エピソードをはさみながらライバル校同士のバトルという事で展開されていくよう
ですけど、埼玉県民としては応援したくなってしまうご当地アニメだと思いますし、しっかりとエールを送らさせて
頂きたいと思います。

それにしても7年前の「浦和の調ちゃん」の頃よりも特に、調・常盤の二人の美少女化がとまらなーい!という
感じでもありそうですね~♪
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井村屋さんで現在も販売されているメロンボール

既に8月ということで連日蒸し暑くてかなわないです・・

気温が高いというのもあると思うのですけど、じと~っとした不快指数の高さが何とも言えないだるさをもたらしていると思います。

こうした暑さを瞬間的に忘れさせてくれる夏の素敵な冷たいお菓子といえば言うまでも無くアイスやソフトクリームだと
思いますけど、カップ麺やコンビニスイーツと同様に新商品の登場と既存製品の廃番が繰り返し行われていて
「あのアイスまた食べてみたいな~」と思っていても翌年には既に廃番になっていたというのはよくある話なのかも
しれないです。
こうしたアイスの世界にも「祇園精舎の鐘の声・・」みたいに栄枯盛衰みたいな「もののあはれ」みたいな世界も
容赦なく襲い掛かっているのが現代資本主義の世界なのかもしれないです。
昔は定番商品という事で人気がありそこそこの売上貢献も果たしてくれたはずのあのアイスすらも
「売れなければ容赦なく撤退・・市場から退場して貰う」という事で商品自体がいつの間にか姿を消してしまうというのは、
最近では珍しい事ではないのかもしれないです。
それを示唆していたのがカールの関東以北の撤退という事なのかもしれないですし、2017年頃の話ですけど、
森永乳業のロングセラーアイス商品「ダブルソーダ」の販売がさりげなく終了していたという事なのかもしれないです。
1983年の発売以来、手頃な価格と変わらぬ味で幅広い世代から人気を集めてきたアイスバーでしたけど、
34年の歴史がいつの間にかひっそりと閉じられていました・・
このダブルソーダアイスの最大の特徴は、一つのアイスに木の棒が2本付いている点だと思います。
幅広の形をしたアイス部分は縦に「パキッ」と2つに割ることができ、家族や友達、彼女彼氏などと半分ずつシェアして
食べることができたという点でもなかなか画期的だったと思います。
この商品が発売された年は、私は高校生で当時の夏場は日々吹奏楽コンクールに向けての練習の日々でしたけど、
練習が終わった際に、同じクラリネットパートの仲間とこの「ダブルソーダ」を二つにバカッと割って分け合って食べていた・・
というのは我ながら「なんか青春していたよなぁ・・」と感じてしまいそうです。

以前はよくスーパー等で見かけていてよく食べていたのに、
最近「あんまり見なくなったよなぁ・・もしかしてダブルソーダのようにいつのまにか商品が消滅してしまったのかな・・?」と
思えるアイスの一つがメロンの形を模倣して作られた容器に入っていたメロンシャーベットだと思います。
あれはメロンの容器がとてねかわいかったですし、メロンシャーベットもおいしくてふんわりとした柔らかい食感で
真夏のスイーツとしては理想的なのかもしれないです。
私が小学生~高校の頃あたりまでは町のいわゆる駄菓子屋さんには一個50円程度で普通に売られていましたし、
(当時は消費税もなにもない買い物天国の時代でもありました・・)
大変リーズナブルで私も大好きだったのですけど、最近、コンビニ・スーパー・町の駄菓子屋さん等でもあまり見かけなくなった
ような印象もあったりします。

ちなみにその商品名は井村屋さんの「メロンボール」との事ですけど、確かにあまり見かけなくなりました・・

だけどそのメロンボールは埼玉でも探せばいくつかのコンビニやスーパー等で現役で販売されていることが最近分かりました。
他にも井村屋さんの商品ではありませんけど、シャトレーゼがオリジナルの容器にはいったメロンシャーベットも
取り扱いがなされていますし、100円ローソンでも二個入りとか四個入りのメロンシャーベットが置かれてあるお店も
あったりします。
埼玉県さいたま市~川口市周辺でメロンボールが置かれているお店としては、私が見た限りでは、
イトーヨーカドー・マルエツ・ドンキホーテ・ヤオコー・業務用スーパー・OKストア・コスモスなどではメロンボールが
置かれているお店もあったりします。

先日久しぶりに購入してみましたけど、メロンの容器がとてもかわいいですし、とてもやわらかくて甘くておいしくて
すんなり喉に入りますし、しばし夏の暑さを忘れさせてくれる清涼感があります。
ちなみにですけど、井村屋さんのメロンボールのメロンシャーベットは色は緑ですけど、
ローソン100で販売されているメロンシャーベットは中身のシャーベットは緑色ではなくてオレンジ色というのは
どことなく夕張メロンを彷彿とさせてくれていると思います。
味ですけど、100円ローソンのメロンシャーベットも井村屋さんのメロンボールも味自体は大きな違いがないような気もしますし、
とにかく甘くて食べやすくてとても美味しいです~♪
ちなみに井村屋さんのメロンボールには姉妹商品としてスイカボールもあったりします。

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当ブログにおきまして「メロン」というワードが登場すると必ず出てくるキャラが艦娘のメロンちゃんこと夕張ちゃんなのですけど、
せっかくなのでメロンシャーベットとコラボさせて頂いた夕張ちゃんフィギュアを掲載させて頂きたいと思います。

夕張ちゃんはやっぱりとっても可愛いですね~♪

夕張メロンの果実そのものも素敵ですし、夕張メロンジュースもメロンシャーベットもみんなとっても美味しくて大好きですけど、
やっぱり艦娘の夕張ちゃんが最高です!

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夕張ちゃんフィギュアというとスケートモードの夕張ちゃんも素晴らしいです!

両手を思いっきり左右に振って躍動・ダイナミックさを演出していると思いますし、スカートが風でひるがえっている様子も
とても上品に洗練された雰囲気で立体化されていると感じられます。

スケートをしている夕張ちゃんは、ファイナルグランプリやオリンピック等でお馴染みの華麗なスケート衣裳ではなくて
いつもの艦装の衣装と言うのも大変素晴らしいものがあると思います。
ここでスケートを楽しむ夕張ちゃんは艦娘としての普段通りの夕張ちゃんとも言え、とってもリラックスした楽しい雰囲気が
フィギュアからも大変見事に伝わっていると思います。

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ここから先はdream fantasy2 のアミグリさんが過去に描かれた絵のご紹介コーナーです。

本記事のテーマがアイスまたはメロンシャーベットということで、
アミグリさんが描かれたアイス関連のイラストとかわいいかわいい夕張ちゃんを転載&ご紹介をさせて頂きたいと思います。

上記のポケモンイラストの「デデンネ」はアミグリさんが2016年7月に描かれた作品です。

上記のイラストをご覧になった方の中には「なんでここにサーティワンアイスが出てくるの・・?」と思われるのかも
しれないですけど、当時において
「ポケモン総選挙720で、デデンネが31位になったので、おめでとう!ということで描きました」との事で描かれたそうです。

これはなかなか楽しい作品ですね~♪

31→サーティワン → サーティワンのアイスというアミグリさんのちょっと粋で楽しい発想がとてもすてきだと思います!

アミグリさんのブログにおいては、結構早い段階からデデンネのイラストが登場していて、既に何点かのテデンネを発表されていて
アミグリさん曰く「デデンネはポケモンで一番大好きなキャラ!」と言う事で、
ここにもアミグリさんの素敵な「デデンネ愛」がストレートに伝わってきていると思います。

このデデンネ、とっても可愛い!と思います。

この複数のデデンネの表情がまたまたバラエティーに富んでいて、どのデデンネもとっても可愛いと思います。

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上記の夕張ちゃんは、2019年12月26日の当ブログの艦これ&アズールレーンカテゴリ通算100記事到達の記念絵として
描いて抱きましたアミグリさんが2019年11月に描かれました作品です。

右手を口にあてるさりげない仕草・ポニーテール・メロンちゃんらしいメロン色に溢れた配色・かわいいおへそに
黒タイツと全てがかわいらしさと萌え要素に溢れていると思います~♪

夕張ちゃんのシルエットが背景として巧みに用いられている事も絵画的美しさとして感じられますし、
おへそがかなり大胆に描かれていて、このへそ出しがキューティー夕張ちゃんを醸し出していると思いますし、
黒タイツの素晴らしさも光っていると思います。

私服の夕張ちゃんもすてきですけど、艦装としての夕張ちゃんもとてつもない正統派美人さんとして描かれていると思います。

艦娘の夕張ちゃんもメロンボールもメロンシャーベットもみんな大好きですし、8月の厳しい暑さはメロンボールで
おいしさと共に少しでも涼んで頂ければと思います。
未完成の状態で後世に残された交響曲は古今東西存在します。

どうして未完成の音楽作品が存在するのかと言うと、作曲半ばでその作品の完成を断念した事例や
作曲半ばで作曲者本人がご逝去された事例もありますし、事情はそれぞれあるのかもしれないです。
そうした未完成の状態で残された交響曲作品の中でも、例えばシューベルトやブルックナー・マーラーのように
「形式としては未完成だけど一応1つの作品として解釈できなくもない状態まで仕上げられている作品」と言う事で
現在もプロの管弦楽団の演奏会におけるプログラムとして定着している作品もあれば、
「形式的にも音楽的内容の上でも全然物足りないし仕上がってもいない」と見なされ、演奏もほとんどされないという曲も
多数あったりします。

そうした未完成の音楽作品の中で一番有名なのは、何といってもシューベルトの交響曲第7番「未完成」ではないかと思います。

この曲は、後世の人が断片的に残された第三楽章のスケッチをベースに色々と補作完成させようとした事もありましたけど、
(往年の名作映画の「未完成交響楽」においても第三楽章の断片的スケッチを効果的に流していたのが大変印象的です)
結局は、神秘的としか言いようがない美しすぎる第二楽章だけでそっと終わらせるのが一番ベストだと思いますし、
その後にどんなスケルツォ&フィナーレが鳴ろうとも正直どうでもいいような感じさえします。
シューベルト自身、この美しい第一・第二楽章に続く楽章をどうすべきなのか悩んだ挙句
結局何もしないという結論に達したようにさえ感じます。
シューベルトの交響曲には未完成以外でも未完成状態の作品がありますので、シューベルトの交響曲観としては
「完成しない交響曲があってもそれはそれでいいのかも・・」という考えだったのかもしれないです。

他に完成していない交響曲と言うと、ブルックナー/交響曲第9番をあげたいと思います。
この交響曲は、終楽章は結局は完成していません。
ブルックナー自身、死の床でも何とか完成させようと色々と努力はしていたようです。
「テ・デウム」という合唱曲を終楽章に代用させようとした事もあったみたいです。
この交響曲自体、第一楽章と第三楽章がアダージョ 第二楽章がアレグロと言う事で、構成的に、緩ー急ー緩のシンメトリーを
形成していますし、何よりも第三楽章の完成度が極めて高いので、シューベルトの未完成と同様に、
音楽の形式としては未完成状態なのだけど、音楽の内容的に全然支障がないようにも感じますし、
あくまで形式的に交響曲として完成していないというだけの事であって、感覚的に完成したという解釈でも全然問題ないと
思ったりもします。
1984年の朝比奈隆指揮/読響の定期で、このブルックナーの9番が演奏されましたが、前半に「テ・デウム」を演奏していました。
改めて聴くと、第三楽章だけで十分で「テ・デウム」を終楽章に持ってくる必要はないという印象を当時強く感じたものです。
あの時の演奏会は演奏終了後のスタンディングオペレーションがすさまじくて、朝比奈さん自身も満足そうに何度も
舞台と舞台裏を往復されていて聴衆の声援に満足そうに応えられていたのは大変印象的でした。

マーラーの交響曲第10番もブルックナーの9番と同様の感覚もあり、第一楽章と第三楽章はほぽ完成し、
それ以外の楽章のメモも多数現存という事で、クックが補筆完成させていますが、
これはこれで十分マーラー自身の作曲とという事で通用すべきレベルだと思いますし、交響曲第10番を聴かずして
マーラーをかたる事なかれ・・と感じてしまいます。
マーラーが完全な形で完成させた最後の交響曲は交響曲第9番なのですけど、この曲は諦観・死への悟り・
この世の未練の浄化等が感じられる透明感溢れる一方で、死の予感に溢れた曲でもありまして、この交響曲第9番に
慣れ親しみすぎると、交響曲第10番を聴くとなんだか「一度死んだ人間がこの世に蘇ってきた・・」とか
「一度死んだ人間から見た現世の姿」みたいな感覚を感じたりもします。

未完成状態の交響曲で「これはちょっと通用しそうにも無いかな・・?」と感じるのがボロディンの交響曲第3番だと思います。

生前ボロディンがピアノで交響曲第3番のスケッチという事でグラズノフ達に聴かせ、ポロディンの死後、
その時の記憶をもとにグラズノフが第一楽章として構成し、第二楽章は、ボロディンの別の作品をグラズノフが
アレンジしたものですので、事実上、グラズノフ作曲のものとして聴いたほうがいいのかもしれないです。
エルガーの交響曲第3番も断片的なメモをベースに、ペインが無理やり補筆完成させたものですので、
これも実体はペイン作曲と言っても過言ではないかもしれないです。
チャイコフスキーの最後の交響曲と言うというまでもなく交響曲第6番「悲愴」ですけど、実は未完成作品ではありますが
交響曲第7番という作品もあったりはします。
交響曲第5番の次の交響曲として作曲が開始されのましたけど(曲のタイトルは「人生」というそうです)
途中でチャイコフスキーの気が変わり、ピアノ協奏曲という形式で作品を残そうとしています。
結局ピアノ協奏曲としても第一楽章のみ完成と言う事で未完成に終わり、この第一楽章だけ残された作品は
ピアノ協奏曲第3番と言う事で今でも稀に演奏・録音がされることもあるようです。
交響曲としては、ピアノ協奏曲第3番第一楽章を第一楽章に充て、残りの三つの楽章は他の作品を転用・補作したものを
当てていますけど、率直な感想としては「チャイコフスキーの交響曲は6番までとマンフレッド交響曲があればそれで十分」と
感じさせるものは間違いなくあると思ったりもします。

作曲家も、自分の「死」を意識したら、生前の間に過去の作品はきちんと整理をすべきなのかもしれないです・・
(シベリウスは交響曲第8番という作品も完成直前まで仕上げていたそうですけど、結局は生前に破棄したそうです)

シューベルトの「未完成」なのですけど、実はこの交響曲は、昭和~平成初期の頃のプロの管弦楽団の演奏会でも
CDの解説においても交響曲第8番「未完成」と表記されていました。
しかし今現在は8番と表記されることはほとんどなく、交響曲第7番「未完成」と表記されることが一般的です。
そして現時点では一応シューベルトの最後の交響曲とされている「ザ・グレート」交響曲に至っては、諸説入り混じっていて
第二次世界大戦前あたりまでは交響曲第7番と呼ばれていて、人によっては交響曲第9番説を唱えていたり、
はたまた「実はザ・グレートは交響曲第10番である」という事を唱えている人もいたりもします。
どうしてこんな事になったのかと言うと、シューベルトには未完成状態の作品が多い事に加えて、シューベルト自身が
手紙で「こんな交響曲を書いた」という言及があるものの、肝心の楽譜そのものが発見されず、
幻の存在とされてきた「グムンデン・ガスタイン交響曲」という謎の存在があったりするからです。
シューベルト自身もあの世で、自分の残してきた未完成作品と手紙のおかけで後世の音楽研究家の皆様にこんなにも
大混乱を引き起こしていたとは・・と苦笑いをされているのかもしれないです。

シューベルトの交響曲の表記は、交響曲第1番~6番までは何の問題もありません。

上記で触れたとおり、シューベルトの交響曲「ザ・グレート」は現在では交響曲第8番「ザ・グレート」として認識されていますが、
この交響曲は過去においても今現在でも諸説多々あるようでして、7番説・8番説・9番説・10番説が唱えられています。
7番説ですと、交響曲として完全な形で残された1~6番までを成立順に並べ、やはり完成されたザ・グレイトを
7番目の交響曲として位置づけし、シンフォニーの概念としては未完成状態である未完成交響曲を交響曲第8番として
解釈したという考え方です。
9番説というのが、交響曲第6番作曲後に作られ、一応全ての楽章のピアノスコアは現存し、ほんの一部だけ
オーケストレーションされたその後放棄された作品を交響曲第7番として認め、未完成交響曲を交響曲第8番とし、
「ザ・グレート」を交響曲第9番とする考えです。この説は平成前半まで日本の管弦楽団でもプログラム表記の際の
根拠になっていたと思われます。
そしてある意味珍説とも思われる第10番説なのですけど、これはシューベルト本人が手紙でその存在を示唆していて
幻の存在とされてきた「グムンデン・ガスタイン交響曲」という謎の存在を、その調性も作曲時期すらも明確になっていないけど
未完成交響曲の後にくる第9番として認定し、「ザ・グレート」を10番とするという説です。
現在においては、そのグムンデン・ガスタイン交響曲をその存在自体を疑問視する見解もありますし、
「ザ・グレイト」を作曲する前段階の下書的作品ではないのか・・?という意見も根強くありますので、この10番説を唱える人は
極めて少ないといえそうです。
(補足しますと、グムンデン・ガスタイン交響曲らしき作品と思われる筆写譜が後日発見されて、その曲の主題も長さも
ザ・グレートとよく似ているそうです。但しその筆写譜自体、偽物か本物かは意見が分かれているそうです・・)
1978年の国際シューベルト協会の見解としては、全ての楽章のピアノスコアは現存し、ほんの一部だけオーケストレーション
されその後放棄された作品と幻のサン品とも言えるグムンデン・ガスタイン交響曲の2曲をシューベルトの番号付交響曲から
外し、未完成交響曲を正式に交響曲第7番「未完成」とし、「ザ・グレート」を交響曲第8番と定め、これが今現在の
オーケストラのプログラム表記における根拠とされています。

シューベルトにしてみたら、放棄した作品や何気なく記した手紙の一節で後世の人たちがこんなにも苦労するとは
思ってもいなかったという事なのだと思います。

シューベルトの「ザ・グレイト」は多分ですけどシューベルト最後の交響曲であるとは思いますけど、
上記のマーラーの交響曲第9番でもちらっと触れましたけど、作曲家の場合、
「もしかしたらこの交響曲は自分の現在の体力や創造力等を考慮すると、これが最後の作品になってしまうのかもしれない」と
意識してしまうと、 何かしら死を意識した作品になってしまうのはある意味当然なのかもしれないです。
その最後の作品に何を伝えたいのかというそうした「ダイニングメッセージ」を意識して、その作曲家の最後の交響曲を
聴くという事は意外と興味深いのかもしれません。
自分自身の最後の交響曲に「死」の香りをプンプンと残して旅立った作曲家と言うと、チャイコフスキーとマーラーが
その典型例といえそうですし、私だったらここにマルコム・アーノルドを加えたいです。

私の感じ方としては、マーラーの交響曲第9番は、死を受け入れたとか、死に対しては諦観の感覚を持ち、
諦めの気持ちをもって潔く死を受け入れたから未練はないという感じがあったりもします。
特に第一楽章の冒頭の低音とミュートを付けたホルンとハープのあの独特な響きとか
そ第四楽章の「全ては空の下・・すべては消えてなくなる」みたいな音楽を聴いてしまうと
一度死んだはずの人間が何かの間違いで生き返ってしまい、
死者の感覚として「現世=この世」を見てしまう・・みたいな感覚も感じたりもします。
チャイコフスキーの場合は、いかにもこの世に未練たっぷりで、
「死にたくないよ、死にたくないよ・・、まだ自分にはやるべき事が残っているというのに・・」といったチャイコフスキーの
心の叫びがエコーしてくる感覚があります。
死の意識を自身の最後の交響曲に反映させたと思われる21世紀に逝去された、現代人・アーノルドの感覚は
どのようなものだったかと言うと、それは痛々しいとしか言いようがない音楽だと思います。
その点は、同じくイギリスの作曲家のヴォーン=ウィリアムズと何か近いものがありそうな気がします。
アーノルドもV.ウィリアムズも、共に交響曲第一番第一楽章冒頭で「高らかな希望」を謳い上げる事で作曲家生活を
スタートさせたのですけど、最後の交響曲第9番においては、二人とも長い道程の中で果たし得なかったものを思う苦渋、
または断念という気持ちを感じたりもします。
V.ウィリアムズの場合は、それが何とも言えない寂寥感を感じさせてくれます。
アーノルドの場合は少し違うような気がします。
第四楽章はずっと沈鬱で陰々滅々としたギスギスした荒涼感に閉ざされた音楽が20分以上延々と展開され、
正直聴くだけで自殺したくなるほど「痛い音楽」がかすかに鳴り響きますけど、ラストのラストで光がさーーっと
差し込んでくるように聴こえます。
最後にアーノルドが渾身の力を振り絞って希望の光を楽譜に残したような感覚があります。

同じ「死」を意識した交響曲でも、作曲者よって違いは相当出てくるものだと思われます。

最後に・・余談ですけどデンマークの偉大なる作曲家、ニールセンはその生涯に6曲の交響曲を残しました。
(日本においては、交響曲第4番「不滅」がやたらと有名です)
そしてニールセンの最後のシンフォニーは交響曲第6番「素朴なシンフォニー」という不思議な曲です。
上記で触れた通り、最後の交響曲というと、例えばマーラー/交響曲第9場番とかチャイコフスキーの「悲愴」のように
「死」を意識しがちなのかもしれないですけど、ニールセンの6番からは不思議とそうした死の要素はあまり感じさせません。
むしろ、音楽の楽しさ・軽快さというものを最後の最後で表現したかったのかもしれませんけど
重厚感・重苦しさ・悲痛さというものはあまりなく、気取らない自然さみたいな部分が非常によく出ていると思います。
一言で言うと無邪気な交響曲という感じなのかもしれないです。

この曲は以下の四楽章で構成されています。

Ⅰ.グロッケンで曲が開始され、大変愛くるしいです。

Ⅱ.ユーモレスク

Ⅲ.アダージョ

Ⅳ.変奏曲

この交響曲第6番の最大の特徴は第二楽章だと思います。
第二楽章は管弦楽のシンフォニーなのに、なんと使用される楽器は管楽器と打楽器のみで弦楽器は全く使用されません。
この楽章をCDで聴くと一目瞭然なのですけど、(当たり前ですけど)「吹奏楽の響き」のように聴こえます。
第三楽章の悲痛なアダージョも陰鬱という感じではなくて、死を言意識させる要素はあまりないようにも感じます。
そして第四楽章も、ラストは唐突にファゴットの持続音で閉じられます。

このラストのファゴットの響きを聴くと、唐突という感じもあるけど
一人の作曲家として「何かやり残したものがあった」みたいな何か少し後悔の念みたいなものは少しだけ伝わってくるような
気もします・・・

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上記にてニールセンの交響曲第6番「素朴なシンフォニー」終楽章の最後は唐突にファゴットの持続音で閉じられていて、
とてつもなく奇妙な感じがするし、自分の生涯において少しばかり「やり残したことがある・・」という未練の感情が
このファゴットの音からは感じられると記しましたけど、ららマジにおいてファゴットを担当されているのは、
サックス奏者の橘アンナの双子の妹の方の橘レイナです。

橘レイナの雰囲気は、姉のアンナ以上にクールでミステリアスな美少女だと思います~♪

そしてそうしたミステリアスな雰囲気は、ニールセンの交響曲第6番終楽章におけるファゴットの奇妙な持続音だけで
閉じられるという雰囲気につながるものがありそうです。

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シューベルトの交響曲第7番「未完成」の美しさはこの世のモノとは思えないのですけど、
特に第一楽章のフルート・オーボエ・クラリネットの木管アンサンブルの美しさは何度聴いてもゾクゾクさせられるものが
あります!

フルートの結城 菜々美は、チェロの阿達悠花、胡弓の有栖川 翼、グロッケンシュピールの神代 結菜、箏の橋本 ひかりと並ぶ
ららマジ屈指の美少女の一角だと思います~♪
(というか、ららマジに出てくるJCさん・JKさんはみんなとってもかわいいですよね~♪)
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能面の一例

「能面」とは幽玄の世界でなんだか「恥の文化」の日本文化の一つの象徴なのかもしれないです。

そうした能面のおどろおどろしく幽玄な美の世界を管弦楽または吹奏楽として表現されたのが小山清茂作曲の
交響組曲「能面」です。

仮面(お面)というと東方ファンの皆様ですと私も含めて秦こころを思い起こす人も多いとは思いますが、
一般的にお面・仮面というと、
本来内省的に自分が有しているはずだけどそれを表にすんなりと出せない自分自身の隠れた側面を
仮面をあえて身に付ける事で表面的な自分を一旦表面上隠蔽した上で本来の自分を演じる事が出来ると言う事に
どことなく不思議な魅力を感じたりもします。
仮面と言うものは換言すると変身願望の一種なのかもしれないです。
自分が元々有している個性を隠蔽し、仮面を被り別の個性を演じる事で
「今までの自分とは違ったもの」を見出してみたいという意図が多少はあるのかもしれないですし、
この点が仮面自体にどことなく妖しさ・ミステリアスさを感じさせてくれているのかもしれないです。

そうした仮面・お面をモチーフにした古今東西の音楽というと、
ヴェルディの歌劇「仮面舞踏会」、ハチャトゥーリアンのバレエ組曲「仮面舞踏会」や
吹奏楽関連では大栗裕の「仮面幻想」、パーシケッティーの吹奏楽のための仮面舞踏会を思い起こしますけど、
日本の和の鄙びた感覚とか奥ゆかしさ・恥じらい等に繋がる音楽として名高いのは小山清茂作曲の交響組曲「能面」と
言えるのかもしれないです。

小山清茂が現代日本のクラシック音楽界と吹奏楽界において最も大きな貢献を残された作品と言うと
管弦楽のための(吹奏楽のための)木挽歌なのではないかと私的には感じていますし、この木挽歌という作品は
外山雄三の「管弦楽のためのラプソディー」と並んで日本人の心のふるさとともいえる作品ではないのかな?と思ったりもします。
この2曲は大変分かりやすい音楽から構成されていて、日本人であるならば間違いなくどこかで聴いたことがあるメロディーが
次から次へと登場してきますし、この曲を聴いてしまうと普段は自分が日本人である事を意識しないような人でも
多少は日本」意識させてくれる郷愁に溢れた作品と言えるのだと思います。
実際、小山清茂の管弦楽のための木挽歌は、外山雄三の管弦楽のためのラプソディーと並んで、
和をモチーフにした邦人作品としてはメかなりジャーな作品だと思いますし、現在でも演奏会で取り上げられる
頻度は比較的高い方だと思います。

小山清茂は管弦楽の分野でもそうですけど、吹奏楽の発展のために尽力し、吹奏楽のための木挽歌のように
そのいくつかの吹奏楽作品は今でもコンサートや吹奏楽コンクール等でも演奏され続けています。
1914年に長野県で生まれた小山清茂は幼い頃から民俗芸能の響きに囲まれて育ち、
日本の伝統的な響きを最も濃厚に受け止めた作曲家のひとりです
西洋楽器のための作品だけでなく、和楽器のためにも数多くの作品を残している事でも知られています。
主要作品に、管弦楽のための木挽歌、管弦楽のための鄙歌第1~4番、管弦楽のための信濃囃子、交響組曲「能面」、
管弦楽のための「もぐら追い」なとが挙げられると思いますし、
吹奏楽作品としては、1980年の全日本吹奏楽コンクール課題曲Aの吹奏楽のための「花祭り」、
吹奏楽のための「おてもやん」、 吹奏楽のための「琴瑟」、吹奏楽のための大神楽などが知られていると思います。

そして小山清茂の作品の中で木挽歌と同様に絶対に忘れてはいけない作品の一つとして交響組曲「能面」が
挙げられると思います。
大栗裕の「吹奏楽のための神話~天の岩屋戸の物語による」などのような凄まじい大音響とか劇的なドラマ性や
動と静の凄まじいダイナミックスレンジの落差による表現という感じではなくて、どちらかというと日本人の心の奥底に潜む
和の鄙びた雰囲気という感じの曲と言う事で、最近の若い奏者の皆様にとっては今一つ演奏効果があがりにくい曲と
捉えられても仕方がないのかもしれないですけど、木挽歌以上にこの曲は後世の日本人に絶対に受け継がれていって欲しい
曲の一つだと思います。

小山清茂の交響組曲「能面」は、1959年に作曲されています。
渡辺暁雄指揮日本フィルハーモニー交響楽団により1959年11月5日に放送初演されています。
;この曲の音源として、渡辺暁雄指揮日本フィルハーモニー交響楽団によるビクターのレコードがあるのですけど、
多分この音源はCD化されていないと思いますので、あの素晴らしい名演を是非CDでも聴いてみたいです。
この曲の原曲の管弦楽版の生演奏は一度だけ聴いたことがありまして、1998年の都響の邦人作品シリーズとして
日本の作曲家シリーズ23<小山清茂作品集> というプログラムでこの能面のプロの管弦楽団によるライヴ演奏を聴く事が
出来たのは大変貴重な経験だったと思いますし、多分ですけど能面の管弦楽の生演奏としてはあの演奏が私にとっては
最初で最後のものになる可能性が高いくらい大変意義のある演奏会だったと思います。
あの時の指揮者は矢崎彦太郎で、曲目はオール小山清茂プログラムで、当日演奏していた曲目は、
管弦楽のための信濃囃子・管弦楽のための鄙歌第1番・管弦楽のための鄙歌第2番・交響組曲「能面」・管弦楽のための木挽歌
と言うものでした。
私自身日本フィルで鄙歌と木挽歌は聴いたことがありますけど、能面を聴く事ができるなんて生涯二度とないかもしれないと
思い、あの時はかつてやはり都響の「オール松村禎三プログラム」の時と同じように
「(存在しない)叔母が危篤」のため早退というガセネタで上野の東京文化会館まで聴きに行った事は今となっては
なつかしい思い出ですね~

小山清茂の交響組曲「能面」は下記の三楽章から構成されています。

Ⅰ.頼政 (よりまさ) 
 
Ⅱ.増女 (ぞうおんな)
 
Ⅲ.大癋見 (おおべしみ)

ちなみに吹奏楽コンクールにおいては、Ⅲをベースに構成されている事が多いです。 

この交響組曲「能面」を作曲していた頃の小山清茂は、能の面だけを眺めていてもなんだかイメージが掴めないと言う事で
実際に頼政の舞台を観て能の雰囲気を知った上で、
謡曲本を購入されそれを歌詞として歌曲の要領で作曲するなど試行錯誤しながら作曲の筆を進めたようです。
交響組曲「能面」は鄙歌・木挽歌・花祭りなどに見られたように曲自体に民謡や神楽囃子など日本の伝統音楽の
メロディとして使用している場面はほとんどないです。
能楽はよく「無駄を一切そぎ落とした究極のシンプルな音楽」と言われたりもするのですけど、
交響組曲「能面」はそうした能楽自体をかなり強くイメージさせる音楽であり、和の響きを大切にしながらも
仮面の下に隠された人間の感情の起伏の激しさを西洋の楽器を使いつつダイナミックスレンジの幅を音楽上の強弱というよりも
感情の起伏の激しさという意味で表現されている事は特筆に値しているのかもしれないです。
オーボエのグリッサンドは能管や謡いのイントネーションを意図し、
木管とヴィオラのグリッサンドを伴うピチカートは鼓の音をイメージし、
低弦楽器が靴べらで弦を弾く事によって生ずる音は薩摩琵琶の響きを彷彿とさせている点は、
曲自体は西洋楽器そのものを使用しながらも随所に日本的な和の響きを大切にしている事を強く意識していると
言えそうです。
Ⅰの頼政において、冒頭にオーボエ独奏により無伴奏で出る幽玄な第1主題は謡曲本をベースに作曲されたもので、
続いて弦楽器で出る第2主題は和歌の朗詠のイントネーションを思わせるものであり、
最後には2つの主題が同時に演奏されます。
Ⅱの増女は、気高く神聖なイメージの女性を表現した楽曲です。
2つの主題のうち、1つはⅠの頼政の主題に似せ、2つ目はⅢの大癋見の主題に似せることにより
両端楽章をつなぐ役割を果たしています。
Ⅲの大癋見は、天狗の怒った表情を表す面で、瞬間表情の面であるため、主題も荒々しいもの1つのみとなっています。
最後には、低弦のピチカートとティンパニによる特徴的なリズムに乗っかる形でクライマックスが形成されていきます。
ラスト近くのティンパニの幽玄な連打が大変印象的です。

この交響組曲「能面」は吹奏楽コンクールの全国大会では2022年時点で今の所2回ほど全国大会で演奏されています。

そのうちの一つが1978年の前橋商業なのですけど、大木隆明先生時代の前橋商業というと小山清茂の自由曲が
大変印象的ですし、特に1978年の能面、79年の木挽歌、80年の鄙歌第2番の三年間は鄙びた和の世界を吹奏楽として
見事に表現された名演だと思います。
特に1980年の課題曲A / 吹奏楽のための花祭りは小山清茂作曲の作品でもありますので、この年は課題曲も自由曲も
小山清茂の和の鄙びた世界を完璧に表現された演奏として私もあの「枯れた感覚」の演奏はとっても大好きですし、
かなり強い共感を感じます。

CDが普及する以前の吹奏楽コンクールの音源はレコードでしたけど、
ソニーの「日本の吹奏楽」というLP盤において、このレコードジャケットの裏ページの1978年~81年前後は
出場チームの部長等のコメントが記されていました。
そのコメントの中で大変印象的なコメントが1979年の前橋商業でして、その中に
「私達も年に何度かアメリカのオリジナル作品を演奏する事もあります。だけど、吹いていると
何かこれは自分達が目指している音楽ではないみたいな雰囲気になり、練習するのを止めてしまいます。
こうやって毎年毎年泥臭い邦人作品を演奏し続けるチームが全国に一つくらいあってもいいのではないでしょうか」
といった事が記されていましたけど
この言葉にこそ前橋商業高校吹奏楽部が象徴されているのだと思います。
1978年の前橋商業の自由曲が能面で、課題曲がAのジュビラーテでしたけど、
この年の課題曲Aは上記のコメントではないですけど、アメリカのオリジナル作品を絵に描いたようなジェイガーの作品
でしたので、当時の前橋商業とアメリカ作品の相性の悪さは言うまでもないという感じの演奏だったと思います。
私自身は78年の前橋商業の課題曲と自由曲はカスタムテープとして聴いたのですけど、
奏者達はジュビラーテという課題曲はあまり好きではないと言う事が手に取るように伝わってきています。
勿論、技術的にはとっても上手くて技術的な問題は全くありません。
巧いけど伝わってくる音楽からは「私達はこの課題曲が好き!」という気持ちは全く伝わってこないです。
というか、かなり無機質にさくさく進行しています。
中間部の表情も確かにユーフォニアムの裏メロとかたっぷりと歌っているし、トランペットとフルートの掛け合いも
ほぼ完璧に決まってはいるのですけど、演奏自体にすきま風が吹いていて音楽に違和感を感じてしまいます。
だけど自由曲の小山清茂の能面に入るとこの雰囲気が劇的に変ります。
サウンドが粘っこい音に変り、情感たっぷりの音楽に変容します。
一言で言うととってもおぞましい音楽という形容なのかもしれないですし、
見てはいけないものを見てしまったみたいな感じの音楽を怨念たっぷりに歌い上げた雰囲気に満ち溢れています。
そこから感じ取れるのは、人間の嫉妬・焼きもち・ねたみ・隠してしまいたい心の本音・恨みつらみ・怨念等のマイナスの感情を
能面という一つの仮面に隠すことで、自分の心の奥底の心の闇を隠して建前で生きることでどうにかこうにか現世を
生きていくという人間の裏の感情・心の奥の怨念といったものをとにかく粘っこい音色で歌い上げています。
私自身、この前歯商業の能面を一番最初に私が聴いた時の感想は、おどろおどろしいとかおぞましいという感情しか
無かったのですけど、今現在の視点で聴き直してみると禁断の愛とか秘密といった言葉がしっくりきそうな感じがあります。
幽玄な雰囲気を情感たっぷりに表現しているけど、あのおどろおどろしい雰囲気をここまで吹奏楽として表現出来ている事は
当時としては特筆に値するものがありそうです。
出だしのフルートソロから既にこの曲の幽玄さというのか心の奥底の怨念が炸裂しています。
序盤はとにかく不思議な静けさにも溢れているのですけど、展開部に入って更に驚くことになります。
何かと言うと、原曲にも存在していない男声コーラスで「おーおー」という不思議なハミングの響きが更に
幽玄さを醸し出していきます。
あの部分を聴くと、何となくですけど人の心に潜む妬みみたいな暗黒なものをついつい妄想してしまいます。
そして後半部分はティンパニが大活躍をします。
前橋商業の生演奏を見た訳ではないので、実際何人で叩いたかはわからないのですけど、
1984年に東海大学吹奏楽研究会が都大会と全国大会でこの小山清茂の「能面」を演奏していて、
私自身は都大会の演奏を生で聴いたのですが、この際は5台のティンパニを4人の奏者で演奏していたと記憶しています。
多分ですけど前橋商業も3~4人でティンパニを叩いていたと思うのですけど、
あのティンパニの響きがとっても印象的ですし、とてつもなく幽玄な香りがしますし、
おぞましい香りに溢れていたと思います。
あの迫力はとにかく凄まじいものがありますし負のエネルギー」に満ち溢れていたと思います。
一つ残念だったのは演奏終了後の間髪を入れないブラボーでしたね・・あれは少し興醒めでもありました・・

そしてもう一つの「能面」の演奏は1984年の東海大学吹奏楽研究会です。

東海大学というと今現在では2011年以降にアンサンブルリベルテの福本信太郎先生を招聘されて以降は
全国大会金賞の常連というイメージが既に現在の現役奏者の皆様の間では定着していると思うのですけど、
東海大学と言うと、個人的な話で申し訳ないのですけど、私的には上原圭詞先生というイメージが大変強いです!

1984~1987年当時は自分の大学が都大会予選会を突破し、普門館で開催される都大会本選に進むためには
東海大学・創価大学・東洋大学・明治大学などの都大会本選銀賞~銅賞チームを超える演奏をしないと到底不可能という事で
私も当時はかなり東海大学の存在は意識したものですし、私自身の「普門館での演奏」という夢の実現のためには、
東海大学などには負けられないという気持ちの方が強かったです。
反面個人的には、当時の東海大学は上原圭詞先生という大変マニアックな選曲を独特の世界観で演奏される
大変個性の強いチームでもありまして、私自身は、自分自身のコンクールという事は抜きにして
上原先生在籍当時の東海大学のサウンドは大好きでしたし、上原先生の大ファンでもありました。

当時の上原先生=東海大学は、
どちらかというと、花輪高校の小林久仁郎先生の路線と少し被るような側面もあり、
当時の私としては、花輪の小林先生、東海の上原先生という吹奏楽界の二大偉人という独特の世界観&解釈をされる
お二人の先生を深く深く尊敬していたという事は間違いないと思います。
上原先生は今でも現役で指揮をされ続けていますし、その後活躍ぶりには本当に頭が下がる思いです。
(2017年のコンクールは出場されていましたけど2018年は欠場という事で実は少しばかり心配もしていたりもします・・)

東海大学時代の上原先生の選曲は素晴らしくマニアックだったと思います。

1979年  B/ローマの祭り

1980年  C/交響曲第四楽章(矢代秋雄)

1981年  B/バッカナール(黛敏郎)

1982年  B/交響曲第2番「鐘」第一楽章(ハチャトゥーリアン)

1983年  B/交響曲第一楽章(松村禎三)

1984年  B/交響組曲「能面」

1985年  B/第七の封印

1986年  B/神の恵みを受けて

1987年  B/ローマの祭り

1990年  A/バレエ音楽「まりも」(石井歓)

1991年  B/舞踏曲「サロメ」(伊福部昭)

どれもこれも素晴らしい選曲&演奏だったと思います。

私、これらの東海大学の過去の演奏を聴くために、
当時世田谷区にあったトラヤというカスタムテープ制作会社(既に倒産)に大人買いというか、
「東海大学のみの演奏を収録したカスタムオリジナルテープ作成」を依頼したくらいでもあります。

1981年のバッカナールは課題曲のコラージユと合せて大変高いレヴェルとテンションが高い名演でありまして、
当時の東京支部は、亜細亜&駒沢という超名門チームが闊歩していましたので、
あの名演が全国でも聴けなかったのはとても勿体ない気がします。
黛敏郎の「バッカナール」というと吹奏楽に詳しい方ですと「初演は秋田南高校」と言われるのかもしれないですけど、
実際は秋田南の全国大会での演奏よりも既に4年前に東海大学が演奏をしていたりもするのです。
ハチャトゥーリアンの「鐘」は花輪高校の1980年のカットをそのまま使用した感じで、
第一楽章をメインに演奏し、ラストは第四楽章の「咆哮」を使用するというパターンです。
上原先生はもしかしたら花輪の小林先生からの何かしらの影響は多少はあったのかもしれないです。
圧巻は松村禎三の交響曲でして、とにかく内面的緊張感の持続は戦慄さえ感じます・・・・
前年に屋代高校がこの交響曲の第三楽章を全国で演奏していますけど、
東海大学の第一楽章も前半とラストの静粛さと中間部の緊迫感の壮大な対比が極めて素晴らしいです!
84年の「能面」は、78年の前橋商業とほぼ同じカット&男性コーラスを用いていましたけど
前橋商業に比べて、サウンドの透明感・洗練さを感じさせるため
おどろおどろしい印象よりは都会的なスマートさという印象があります。
1987年の都大会の「ローマの祭り」は気持ちよいほど豪快に鳴らしてくれていて、あの爆演は聴いている方も大変心地よい
ものがありましたけど、実際は指揮者と奏者は快感の極致といえるのかもしれないですね~♪
90年のまりもも本当に素晴らしい演奏だったと思います。
前半の内面的緊張感、中盤の踊り、ラストのたっぷりとした歌い方は、全国大会代表・金でも全然おかしくない演奏でしたけど、
なぜか都大会の評価としては銅賞で私は客席でぶーたれていたものでした。

小林先生が指導されていた花輪高校と上原先生が指揮されていた東海大学は、そのあまりにも強い個性と
アクの強い演奏のためなのか、吹奏楽コンクールという審査の場では多分ですけど、審査員の好みもはっきりと分かれていた
ような気もしますし、それが結果的に「少しばかり不当に低く評価されている」ような印象に繋がっているのかもしれないです。

最後に話を小山清茂の能面に戻しますと、1984年の東海大学の演奏は、課題曲B / 土俗的舞曲のエネルギッシュな明るさと
自由曲の能面という緊張感・人の心に奥深く潜んだ恥じらい・奥ゆかしさに満ち溢れた曲を
内在的エネルギーを内に秘めながらも、比較的カラッとした都会的洗練さを感じさせる表現に仕上げられていて、
78年の前橋商業とは少しばかり全体的な構成や指揮者が意図している点は被る点はあるのかもしれないですけど、
その目指している方向性はむしろ真逆というのも大変面白いものがあると思いますし、同じ素材を用いながらも
全く違った解釈・方向性を楽しむ事ができる吹奏楽コンクールというものは、やはりとてつもなく興味深い場であるのは
間違いないと言えるのだと思います。
深井史郎の「パロディー的四楽章」は正直知る人ぞ知る曲です。
数年前に、ナクソスレーベルから「深井史郎作品集」のCDがリリースされ、
この曲が少しだけ陽の目を見ることになったのは大変嬉しいものがあります。
(以前は山岡重信指揮/読売日本しか音源がなかっただけにとっても資料しても価値があると思います)

改めてこの「パロディー的四楽章」を聴いてみると、「すごい!」としか言いようがないです!
とてもとても、1930年代の帝国主義・軍国主義が蔓延し、委縮気味で自由の空気が薄い世相の中で、
こうした才気煥発で音楽が自由自在で、知的好奇心に溢れモダンな曲が作られていたことに驚きを感じずにはいられません。
この曲を現在の感覚で聴いても全く違和感がないほど、モダン感覚溢れる斬新さを感じ取ります。
全体的にピアノを非常に効果的に使用しているのが極めて印象的です。

この曲は、作曲者の深井氏の言葉を借りると、
「外国の作品の影響が及ぶことを恐れて、外国の優れた作品を学ぼうとしない者達への風刺と警告を兼ねた作品」
との事ですが、この言葉通り、曲の至る所に、当時の諸外国の大御所の作品の断片が引用されたり、
曲のモチーフから発展させたりしています。
深井氏としては「最初は別に優れた外国作品の模倣から始めもいいじゃん!」という感覚だったのかもしれないですし、
模倣から始めて、徐々に自分たちの個性を出していってもそれはそれでいいのかもというお考えだったと思いますし、
私はそれは大変すてきな考え方だと思います。

この曲は四楽章から構成され、

第一楽章 ファリア

第二楽章 ストラヴィンスキー

第三楽章 ラヴェル

第四楽章 ルーセル

と名付けられ、各楽章でタイトルの作曲者の作品が引用されたり、モチーフとして使用されています。
元々この曲は当初は五楽章構成として構成され、二楽章と三楽章の間に、マリピエロという楽章があったのとことですが、
結局削除されました。

この曲は第二楽章と第四楽章が圧倒的に面白いです。
(正直、第三楽章は少々だるいです・・・)
第二楽章・ストラヴィンスキーは、最初に聴いた時は、春の祭典と幻想曲「花火」をパロディーにしたのかなと思っていたら、
春の祭典は正解だったものの他には第二組曲が使用されているとの事でした。

第四楽章は、さらに面白くなり、
タイトルは「ルーセル」となっていますが、実際にパロディーとしてのモチーフとして使用したのは、
バルトークの「舞踏組曲」です。
だけど、舞踏組曲のどの部分をパロディーにしたかは、実をいうと私にとってはいまだに分からないです・・
それにしても、バルトークの曲をパロったのに、タイトルがどうして「ルーセル」に転化したのでしようか?
とてつもなく思いっきり謎です・・
それもこの曲の一つの持ち味というか、茶目っ気なのかもしれないです。

この第四楽章は、ルーセルの曲を何一つモチーフにしてもいないのに、タイトル名だけルーセルの名を使用し、
バルトークの「舞踏組曲」をモチーフにしたと作曲者は言っているのですが、
実はこの楽章において、真の主題は、実は日本の「さくら、さくら」という、日本人ならばほとんどの人が知っている
あのメロディーでもあったりします。
中間部の前において盛り上がる部分とか、ラスト近くでは、この「さくら、さくら」のメロディーは
かなり執拗に引用されていて、思いっきり日本のメロディーをパロディ化しています。
そうですね・・この曲の真意は、もしかして・・
「外国の作品の勉強をして、影響を受けても構わないけど、
最終的には、あなた達自身の故郷の日本の事も忘れては駄目ですよ・・」みたいなメッセージを
後世に作曲家の人達に伝えたかったのかな・・?とふと思ったりもします。

それにしても本当に面白い曲です。

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私がこの曲を知るきっかけとなったのが、
1982年の全日本吹奏楽コンクール・東北大会において、秋田南高校がこの第四楽章を演奏した事でした。
勿論吹奏楽アレンジバージョンですし、原曲で大活躍するピアノの代わりに
シロフォーン・ヴィヴラフォーン・マリンバといった鍵盤打楽器を大胆に使用し、
途中で、チャイニース風の音楽を展開するような才気煥発里自由さも見せてくれました。
こうした天野正道のアレンジこそが深井史郎が求めていた「風刺と警告」をきちんと受け止めた一つの結果と
言えるのかもしれないです。
この演奏は、ブレーン社から出ている 「レジェンダリーシリーズ・秋田南高校編」の中に収録されています。

秋田南の「パロディ的四楽章」の演奏は、金管楽器、特にトランペットセクションの硬質な音の響きが
個人的には引っかかるものがありますが、 それを埋めて帳消しにするほどの知的さというのか
練りに練られた音楽の巧みな構成感は感じられます。
演奏が知的好奇心の塊りというのか才気煥発みたいな雰囲気濃厚の演奏だったと思います。
全体的には、秋田南の演奏は端正なつくりで堅実なのですけど、何か妙に明るい感じもあったりします。
明るいというよりは「屈折した明るさ」なのかもしれないです・・・
何か素直になれない明るさというのか、開き直った明るさというのか
そんなものも何か感じ取ってしまいます。
このヘンな明るさは、やはり原曲のすこーし(?)ヘンなところに由来するものなのかもしれないです。

私自身、このブログでは何度も語っている通り、1982年の全日本吹奏楽コンクール・東北大会高校の部A部門の
全国大会代表3チームは、ウォルトンの交響曲第一番~終楽章を高らかに演奏した花輪高校と
矢代秋雄の交響曲~第四楽章を透明感溢れるスピード感満載の奇跡的名演の仁賀保高校と
グローフェの「グランド・キャニオン」を演奏した仙台第一が代表校だろうと、当時あの大会を生で一日聴いていた私が
感じた率直な感想であり、「パロディ的四楽章」~Ⅳ.ルーセルを演奏した秋田南高校は、
端正で屈折した明るさは魅力的だけど、東北大会ではどちらかというと窮屈で音楽的にも音質的にも硬いという印象が
濃厚で、当時の私の感じた印象としては「秋田南はダメ金で仕方ないかも・・」と感じていたものですけど、
全国大会では、大化けしてくれて深井史郎らしい才気煥発さとあの屈折した明るさを見事に普門館の聴衆に
聴かせてくれていたと思います!

秋田南高校は、こうしたユニークな作品を実に生き生きと知的に聴かせてくれました。
「さくら、さくら」の引用も中々功を奏しています。
原曲は、前述のとおりピアノが大活躍をしていますが、天野氏の吹奏楽アレンジ版では、
ピアノの代わりに、シロフォーン・マリンバ・ヴィヴラフォーンの鍵盤打楽器をかなり効果的に使用し、
部分的にはなぜか「チャイニース風」な響きも出しています。
原曲には無い「ドラ」を使用しているのも、意外と華があったりしてとても面白いと思います。
 
全体的には、秋田南の演奏は堅実なのですけど、何か妙に明るい感じもあったりします。
「明るい」というよりはそれは「屈折した明るさ」なのかな・・??
何か素直になれない明るさというのか、開き直った明るさというのかそんなものも何か感じ取ってしまいます。
このヘンな明るさは、やはり原曲のヘンなところにも由来するものなのかもしれませんよね。

1976年に秋田南は、ストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」を自由曲に取り上げていましたけど
この時も何か「妙に屈折した明るさ」を感じたものでした。
秋田南は、当時は、矢代秋雄・三善晃といった法人作品に果敢に挑戦し見事な演奏を後世に残してくれましたが、
そうした際は、どちらかというと「暗い陰鬱な表情」を見せてくれました。
この「パロディー的四楽章」とか「ペトルーシュカ」は、「屈折した明るさ」を全面に出していたと思います。

秋田南と言うと、比較的「陰鬱なドロドロとした世界」を感じさせてくれる演奏が多いのですけど
こうした「屈折した明るさ」が感じられる演奏も大好きです。

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