既に6月22日の「まもなく七夕」記事の中で似たようなことを書いていますけど、本日は正真正銘の7月7日の「七夕」
でもありますので、またまた同じようなことを書いてしまいます・・
先月の記事は七夕とか「星に願いを・・」といったものでしたけど、この星に願いをというワードにぴったりと該当しそうな
アミグリさんが過去に描かれた絵というと2015年1月に描かれた妖夢でもありましたけど、
本日はアミグリさんご自身がpixiv上では「七夕」とタイトルをつけられた、まさに七夕の日に「星に願いを・・」みたいな雰囲気で
祈りを捧げているオリジナルの美少女絵も妖夢とは別に改めて本日の七夕の日の記念絵として
皆様に改めてご覧いただきたいと思います。
人間と言うものは案外それ程強くない生き物なのかもしれないです。
人が生きていく上では目の前の不安、将来の不安、漠然とした不安、具体的な事柄への不安、はたまた死後に対する不安
などとにかく目に見えそうな不安や抽象的な不安など色々とあるのだと思います。
そうした不安に対して生涯付き合っていくしか無いものなのかもしれないです。
もちろん人によってはそうした不安という感情に対してあまり縁がない精神的に強い方もいるとは思いますし、
とてつもなく鈍感な人もいるとは思います。
私たちが生きている間には、こうした不安には色々な方法はあるとは思うのですけど、向き合い対処していくしか
ないのかなぁ・・と思ったりもします。
不安というのは換言すると「孤独」という事も多少は関係するのかもしれないですけど、こうした孤独・不安という
「心のすきま」を埋めるために私たちは、それを家族の絆とか友達とか人間関係に求める人もいるとは思いますし、
(心のすきまの埋め合わせをあまりにも他人に依存しすぎると逆にストレスという新たな不安を抱え込んでしまうというのも
ある意味人間らしい話なのかもしれないです・・)
本や趣味といった事に求める人もいるでしょうし、スポーツや体を動かす事で発散される方もいるかとは思いますし、
中にはアルコールやギャンブルに求めちゃう人だっているのかとは思うのですけど、
とにかくこうした不安や孤独という事に対してはできるだけなにかすてきな方法で埋めていければいいですね・・
6月の記事でもちらっと似たようなこと書きましたけど、
人間が常に抱える「不安」に対して、何かにすがりたい・・すがれないと生きていられないという気持ちというものが
「宗教の原点」と言えるのかもしれないです。
そして人間が脳内妄想とか脳内幻想で色々と生み出していったのが神や仏という存在なのかもしれないです。
私達人間も本当にヤバい時とか困難に直面して自力ではどうにもならないような時についつい「神頼み」をしてしまうのも
そうした事なのかもしれないです。
そして神や仏にすがらざるを得ないという気持ちの一つの表れが「祈り」という事なのかもしれないですね。
神様や仏様の視点で人間達のそうした祈りというものは、
「そんな無茶な事を私にすがらないで自分で努力して自分で何とかしなさいよ!!」という感じなのかも
しれないですけど、同時に神や仏というものはこんな事も考えていたのかもしれません・・・
「そんな無理なお願いをしたって私には何も叶えてあげられない・・
だけど、人と言うものは、そんな無駄な事と最初から分かっている事でも何かにすがらないと生きていけないものなのだ。
神や仏が基本的には何人たりとも救わないという事は本当は人間達は分かっていながら
それでも、何かに誰かに救いを求めざるを得ないのだ・・
こうした誰かに救いを求めざるを得ないとか私は神様仏様にすがらざるを得ない・・という気持ち自体が
人にとっての救いではないのか・・?
それがひいては神や仏を信ずるという事ではないのか・・・?」
そうした「誰かにすがらざるを得ない気持ち」というものが一つの「救い」でもあるのかもしれないですし、
そうした気持ちの一つの意思表示が「祈り」と言えるのかもしれないです。
人と言うものは生きている間は多分ですけどずっと不安を抱え込まざるを得ないのだと思います。
そうした不安に対して不安でもって対処するのが現代人のドライな生き方なのかもしれないですけど、大部分の人は
そうしたドライな割り切りは出来ずに「誰か私を助けて・・」とか「誰かにすがらざるを得ない」という気持ちを
持ってしまうと思うのですが、その一方で「溺れる者藁をもつかむ」という諺が示唆する通り、
誰かにすがりつきたい・・誰かに救いを求めたい・・と思う気持ちこそが「救い」なのだと思いますし、そこに「祈り」という
気持ちが発生していくものなのかもしれないですね。
祈りは別に宗教的行為ではなくて、人間誰しもが感じる共通の感情と言えるのかもしれないです。

上記にて「祈り」とか「誰かにすがらざるを得ない気持ち」みたいな事をグタグタと書いてしまいましたけど、
そうした人間の祈りという本来は透明な感情であり、決して現世利益だけを求めるものではないばずだと思うのですが、
人の祈りといった「神との対話」みたいな神聖なイメージをもって描かれたのかなぁ・・と思う絵というのも
古今東西色々とあったとは思うのですけど、
dream fantasy2の
管理人様のアミグリさんが
2011年7月に「オリジナル」とタイトルが付けられたこの幻想的なイラストもそうした「祈り」がテーマに
なっているのかもしれなですね。
ちなみにですけど、アミグリさんのブログの
dream fantasyにおいては「オリジナル」とタイトルが付けられているのですけど、pixivのほうでは「七夕」というタイトルに変更されています。
私としては「七夕」とか「七夕の日に神聖な祈りを捧げる女の子」というタイトルのほうがいいのかも・・と感じてしまいそうです。
私自身はアミグリさんが描かれたこのイラストから「神聖なる祈り」といったイメージを感じました。
夜空を背景とした幻想的な作品なのですけど、この純白の衣装の少女の雰囲気は私にとっては
「祈り」そのものと言えるのかもしれないです。
月の光に照らされる真夜中に少女が一人そこに孤独に佇み、 一人物想いに耽っているみたいなシーンを想像してしまいます。
紫のトーンが幻想的光景をナチュラルに演出しているとも感じられます。
少女の両目を閉じているのもそうしたイメージに合致していて とても美しいと思います。
さてさて・・この少女は、どんな思いを巡らしているのでしょうか・・?
皆さんはどのようにお感じになりますか・・? 私、とても気になります・・・
ちなみにアミグリさんご自身はこの作品を掲載時に
「下書きの時点から背景は夜空にしようと決めていました。
だけどこれ、夜空に見えますかね?
とにかく幻想的な絵が描きたかったんです。
影の色を全部紫にしたので統一感はあるかな?と思います・・・。」と解説をされていますけど、
夜空の背景が紫のトーンというのはとても神秘的で幻想的なのだと思います。
見ればみるほどこの幻想的な背景と女の子にひきこまれていく・・という雰囲気に溢れているのだと思います。
上記のアミグリさんが描かれたオリジナルの「七夕」は、その権利はアミグリさんに帰するものであり、
当ブログにおける転載とご紹介は事前に全てアミグリさんからご了解を頂いたものであり、
アミグリさんからのご厚意で転載をさせて頂いておりますので、
無断お持ち帰りや無断コピーは絶対NGですので くれぐれも宜しくお願い申し上げます。
アミグリさん、本当にいつもすてきなイラストの転載を快諾して頂きありがとうございます!!
アミグリさんのブログ「
dream fantasy2」は、東方・艦これ等の版権作品の二次創作作品や上記のオリジナル作品など
すてきなな作品が一杯いっぱい詰まっている宝石箱みたいなとっても素敵なブログです!
宜しければ、少しでもアミグリさんとかアミグリさんの作品に興味を持てた方がいらっしゃいましたら、
dream fantasy2を
一度見て頂けれましたら、とっても幸いです!
こうやって七夕の日に織姫伝説に思いを巡らせながら、お一人おひとりがどこかしらで感じている「不安」に対して
自分の心の中で向き合いながら、そっと祈りを捧げることも七夕の日だからこそできる事なのかも
しれないです。
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