音楽評論家や絵画美術評論家の皆様がたまに言われる言い廻しとして「神は細部に宿る」とか「神は細部に宿り給う」といった
ものがありますけど、これは一つの諺または格言とも言えますが、
私的にはこの格言の意味は、本当に些細で小さい変化なのかもしれないけど、それが以前の解釈や表現よりもより
新鮮に感じられるという意味なのかな・・?と思っていたら、実は微妙に異なっていて
本当に素晴らしい技術やこだわりは目に見えにくいことの例えであると同時に、本来の意味としては、
「細かい部分までこだわり抜くことで全体としての完成度が高まる」というのが一般的な解釈なそうです。
換言すると、全体や見た目ばかりを気にして細かい部分を疎かにすれば、結果として作品全体の完成度も落ちるし、
それだからこそ本物は細部に至るまで念入りにこだわりが貫かれている、ということを表現した言葉とも
言えると思います。
この格言の発祥については不明確で、一説にはフランスの作家ギュスターヴ・フローベールの言とされるそうですけど、
この言い廻しを有名にしたのが、ドイツの建築家であるミース・ファン・デル・ローエとドイツ美術史家のアビー・ヴァールブルク、オーストリア系ユダヤ人であるイギリスのエルンスト・ゴンブリッチだと言われているそうです。
美術品や特に建築物などは、見た目の印象に目を奪われがちですけど、一流の作者の最もこだわったものとは
一見しても分かりづらく、そしてとても細やかな仕事がなされてるという、素人目には判断しえない要素を
称賛した言葉だともいえそうです。
さてさて、この「神は細部に宿り給う」という言い廻しはたまに音楽評論家の先生たちが演奏会評やCD評の際に
用いたりしますけど、音楽はもちろん全体の流れや勢いも大切だけど、時にそうした全体の中でもある部分部分だけを
切り取ってその箇所だけを過剰に演出・表現を加えることも全然OKだと思いますし、特定個所だけ特に感情表現に特化して
極端にテンポを落すとか突然テンポルバートをかけてその箇所だけを過剰に浮き上がらせるという一つの表現も
全体の流れが止まらない限りは問題ないと感じたりもします。
そうした「神は細部に宿る」ということを実践されていた指揮者というと、既に故人となられていますけど山田一雄を
断然推したいです~♪
山田一雄というと最晩年の白髪を振り乱してまるで何かに取りつかれたかのような情熱的な指揮とか、若かりし日に
本番の公演中に指揮台から(いつものように)飛び跳ねてジャンプして指揮していた際に、うっかり着地に失敗して
客席まで転がり落ちてしまったものの、その後何事も無かったかのように指揮台に戻り普通に指揮をされていたという
エピソードに示唆されるように熱狂的で大げさでとんでもない大振りの指揮者の先生というイメージがあったりしますけど、
(上記の指揮台から転がり落ちたというエピソードは、NHK交響楽団の名古屋公演でレオノーレ序曲第3番を指揮した際の
出来事なそうです・・)
実は「神は細部に宿る」ということを誰よりも理解されていた指揮者なのかもしれないです。
私自身、生前の山田一雄さんを生の演奏会で見ることが出来たのは今にして思うと大変幸せな経験だったと思いますし、
山田一雄のあの大袈裟極まりない指揮だけど、よく見てみるとオーケストラの奏者一人一人に細かい指示や目配りを
されていて音楽の細部の細部にいたるまで微妙な表現の変化を要求していたような感じもありました。
山田一雄は、燃え立つような火山のようなエネルギーとパワーというか、いわば山田一雄というカリスマ性を最大限活用し、
オーケストラを叱咤鼓舞して駆り立て、全身からオーラを発しつつも、全く同時並行的にオーケストラの各パートに
それぞれ繊細で異なる指示を出し、常に各パートには微妙な表現の変化を求めていたのかもしれないです。
そうした全身で爆発的なエネルギーを発出して管弦楽団を煽って煽って煽りまくる一方で、一人一人の奏者には
繊細な指示を出すというのは一人の指揮者の指揮法としては矛盾そのものなのかもしれないですけど、
それを少しでも実現するために山田一雄は、指揮者の最大の役割でもある「正確に拍をふりおろす」という基本動作を
かなりはしょってしまい、その基本動作を奏者一人ひとりへの細かい指示に充当し、例えば、目配りとか口パクとか
肘・上腕部・肩などを微妙に駆使して音楽の細かい表情の変化の指示だしを伝えようとしていたという事になるのかも
しれないです。
そうした音楽の細かい所にまで繊細に神経を配るというまるで「神は細部に宿る」ということを実践しつつも、全身から
とてつもない熱量とオーラとエネルギーを発散してオーケストラを煽りまくり駆り立てていったカリスマ的な指揮をされたのが
故・山田一雄だと思いますし、そうした山田一雄の一つの歴史的名演とも言えそうな新星日響との
チャイコフスキーの交響曲第5番や伊福部昭の「日本狂詩曲」を聴く事ができた私は幸せ者なのかもしれないです。
(伊福部昭の「日本狂詩曲」はそのライヴ演奏がCD化されていましたけど、演奏終了後の聴衆の熱狂的なブラボーは
自然な反応と言えると思います)
上記は(私の大得意ジャンルでもある)音楽の観点からの「神は細部に宿り給う」なのですけど、同様な事は
いうまでもなく絵・工芸・彫刻などといった美術全般にも当てはまるものは多々あると思いますし、
「細かい部分までこだわり抜くことで全体としての完成度が高まる」という事を身近で試みをされていた絵師様が
dream fantasy2 の
アミグリさんと言えるのだと思います。
本記事の後半において、
dream fantasy2 のアミグリさんがここ数年内で描かれた東方のレミリア様と霍青娥(青娥娘々=にゃんにゃん)の最初の一枚と
それを後日描き直された一枚をご覧頂き、その2枚の絵は確かに一見すると「どこが変化したの・・?」と感じるくらい
その変化はごくわずかなものなのですけど、だけどそのわずかの変化によって全体的な印象の変化にも繋がるものが
あると感じたりもしますので、そうしたわずかな変化というのが「神は細部に宿り給う」という事なのだと思いますし、
アミグリさんご自身の細かい部分へのこだわりという事なのかもしれないです。

それでは、まず東方の霍青娥(青娥娘々=にゃんにゃん)の最初の絵と加筆修正後の1枚をご覧頂きたいと思います。
上記の絵は2021年2月にアミグリさんが描かれた霍青娥(青娥娘々)の最初の絵です。
とても美しい霍青娥(青娥娘々)で、まるで羽衣伝説に基づく天女さんみたいな雰囲気を有されていると思います。
邪仙とか元人妻といった設定すらも 超越してしまうような清楚で可憐で美しい羽衣でふわふわと浮いてしまいそうな天女さん
みたいに感じられますし、とても幻想的だと感じます。
そのように感じてしまうのは、背景も含めて全体をうすいブルーの色調で統一され、このうすいブルーが美しさ・幻想感を
高めている効果が ありそうですし、このかわいい笑顔・淡いブルーのウエーブがうっすらとかかった髪、
青と白のコントラストがまぶしい衣装とあわさって 清楚なかわいらしさに結びついているように感じられます。
こうしたまるで少女そのものの霍青娥を見てしまうと 本当にこの御方は邪仙なの・・? と思ってしまいますし、
見方によってはスター☆トゥインクルプリキュアの青キュアでもある羽衣ララちゃんみたいな可憐さすらも感じてしまいそうです。
仙人というと華扇もそれっぽい雰囲気もありますけど、華扇のピンクっぽい色調と青娥娘々さんのブルーの色調で
この二人揃って「ふたりは仙キュア」みたいなことをやってもいいような 雰囲気すらありそうです~♪
ちなみにですけど「スター☆トゥインクルプリキュア」の序盤の回でも、ひかるの突拍子もない発言が発端となって
みんなで映画製作という展開になってしまった事もあるのですけど、この回の中でララちゃんは、
アミグリさんが描かれた絵のように手に羽衣を手にされていてそれが本当に天女のように感じたものですけど、
アミグリさんの描かれた霍青娥も天女の可憐さ・清楚さの雰囲気が見事に伝わっていると思います~♪

続きまして、上記の霍青娥(青娥娘々=にゃんにゃん)に対しての2021年6月に描かれた加筆修正版です。
ちょっとした変化の修正加筆というのはまさに「神は細部に宿りたもう」という事になるのだと思います。
確かにこの2枚の絵は劇的な大きな変化はないのかもしれないですけど、具体的にどこに修正が施されたのかと言うと、
まず真っ先に感じたのは髪の色の変化と目元がハイライトの調整ということで、
よりくっきりと浮かび上がった事により眼力の強さを感じた事と
羽衣のふわふわ感と透明感が増した事でより強く幻想感が伝わったという事になるのだと感じたものでした。
線画の調整やハイライトの変化と調整、色合いの変化は確かにちょっとした変化と修正なのかもしれないですけど、
より強く長く生きてきた仙人としてのミステリアスさが見ている側に伝わってきていると 感じてしまいそうですね~♪
本当にすてきな変化だと思います。
こうしたわずかな修正・加筆・変化ではあるのですけど、それがアミグリさんの「細部までのこだわり」なのだと感じますし、
それが連なる「より高い完成度を追求していく」という事になるのだと思われます。
アミグリさんご自身の見解として言われていた事も大変印象的です。
「前回描いた娘々のイラスト(※2021年2月に描かれた作品)は、個人的に気に入っていなかったので、
加筆や色合いの調整をしたいと思っていましたので、今回、色合いを調整して加筆したイラストを載せてみました。
髪の色合いは、ほかのイラストを描いているときでも悩むことが多いですが、
今回のほうが娘々の色合いに近づいたかなー?と思っています。
目も、影やハイライトを調整しました。
羽衣は、線画の色を明るくして柔らかい感じを、ハイライトを追加してふんわりした感じを目指してみました。」との事ですが、
こうした細かいこだわりとより完成度の高い絵の追及が上記の加筆修正版として実を結んだと言えますし、
そこにあるのはアミグリさんの東方絵師としての執念といえるのだと思います。

続きましてのアミグリさんの「神は細部に宿る」の例としてレミリア様を転載&ご紹介させて頂きたいと思います。
上記の絵はアミグリさんが2019年1月に19年のオープニングイラストとしてアミグリさんが描かれたレミリア様です。
このレミリア様はカリスマでもカリスマブレイクでも無い 普通の幻想郷キャラとしてかわいらしさと楽しさに満ち溢れた
まるで楽園の主のようなレミリア様といえそうです~♪
アミグリさんが描かれたこのレミリア様は、
威厳とカリスマとして周囲の者達を屈服させる感じではなくて、人徳として廻りの人たちを心服させるような
やさしさ・マイルドさ・寛容さに包まれたレミリア様という印象を受けました。
背景無しと言う事でレミリア様の存在感を際立たせていると思われますし、
赤のバラのブーケは、昨年のアミグリさんの頑張りに対して
逆にレミリア様から「おめでとー!」というお褒めの贈り物なのかもしれないです!
ピンクのふわっとしたフリル付ミニスカと黒ニーハイが
もたらす絶対領域もとてつもなくかわいいものがあると思いますし、この柔和で温和なレミリア様からは
すてきな癒しを感じさせてくれます。
そして黒のニーハイにもかわいいフリルが付いているのはポイントが高いと思います!
雰囲気的にはフランちゃんのすてきなたった一人のお姉さまというやさしさ・寛容さがあるのかもしれないです。

それでは最後にもう一枚、アミグリさんが描かれたレミリア様です。
このレミリア様は上記のレミリア様に対して影の変化及び髪の色を微妙に変化させたヴァージョンとなっていますし、
これもまたアミグリさんとしての「神は細部に宿る」なのだと感じられます。
レミリア様の髪の色の変化は、確かにちょっとした変化なのですけど、その違いはぱっと見ただけでも
「少し違った印象になるのかもしれない」というのは私自身、この二枚のレミリア様を拝見させて頂いた時から
感じていたものでした。
私の気のせいなのかもしれないですけど、冒頭のレミリア様に比べると上記のレミリア様は髪の色が
冒頭よりも青みが強いせいもあり、冒頭のレミリア様よりも少しだけ紅魔館のご主人様らしいオーラが
増しているような雰囲気もあるように感じております。
わずかな色の違いなのかもしれないけど、そのわずかな違いで全体の雰囲気に変化を生じさせているのは、
それは絵師様としてのアミグリさんの腕の見せ所の一つだったと思われますし、それが上記のにゃんにゃんと同様に
アミグリさんとしての絵師様としての「神は細部に宿る」と言えるのではないかと感じたりもします。
上記のアミグリさんが描かれたにゃんにゃんとレミリア様は、上記作品の絵師様であるアミグリさんに帰するものであり、
当ブログにおける転載とご紹介は事前に全てアミグリさんからご了解を頂いたものであり、
アミグリさんからのご厚意で転載をさせて頂いておりますので、
無断お持ち帰りや無断コピーは絶対NGですので くれぐれも宜しくお願い申し上げます。
アミグリさんが定期的に作品を投稿され続けている →
アミグリさんのpixiv にも是非一度足を運んで頂ければ幸いです!
→
アミグリさんのpixivそれにしても音楽も絵もより高い完成度を目指して、常に進化と変化は続いていくものだと思いますし、そのためにも
他者からは「そこまでしなくても・・」と感じてしまいがちではあるのかもしれないですけど、より細かい細部へのこだわりを
徹底・追及していく事で、より完成度の高さが近づくのかもしれないです。
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