チャイコフスキーの「イタリア奇想曲」は聴いていても大変爽快な曲だと思います。
これまで生の演奏会では2~3回程度しか聴いたことが無いですけど、
交響曲第6番「悲愴」の重さと深刻な雰囲気や一連のバレエ音楽みたいなファンタジーは皆無ですけど、
文句なしに楽しい曲だと思います。
この曲のポイントの一つは冒頭のトランペットファンファーレなのかもしれないです。あのファンファーレを聴くだけで
気持ちよさとか南欧のおおらかさが伝わってきそうです。
このファンファーレは、チャイコフスキーがイタリア旅行中に滞在先のホテル近辺の騎兵隊宿舎から毎朝聴こえてきた
ファンファーレがモチーフになっているそうです。
オーボエで奏でられる6/8のメロディーは、イタリア民謡「美しい娘」に基づいているとの事です。
随所にイタリア要素が盛り込まれていますが、 メンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」もそうなのですけど、
他国からきた旅行者が イタリアを訪れると、太陽サンサン! キュアサニーやで~!みたいに明るく陽気な曲を作る傾向に
あるみたいですが、それは何か分かるような気がします。
寒い国でもあるロシアのチャイコフスキーもそうでしたけど、ロシア以上に寒そうなフィンランドのシベリウスも
イタリア旅行をきっかけに曲の霊感や曲作りのヒントを得たというのも「なるほど~」という事なのかもしれないです。
私は残念ながらイタリアは行った事がありませんけど、 イタリアというと、真っ先に太陽とか陽気という言葉をついつい
連想してしまいます。
イタリアと言う陽気な気質が、普段はお高くむっつりされているエライ作曲家の先生達も
普段の自分という殻を打ち破ってしまう何かがイタリアの雰囲気にはあるのかもしれないです。
イタリアの作曲家の傾向として、深刻な交響曲よりは熱い歌の歌劇の方を伝統的に好むというのも国民性なのかも
しれないです。
チャイコフスキーは、交響曲第4番を作曲して交響曲第5番を作曲するまで約10年近くのブランクがありますけど、
その前後に自身の押しかけ女房による不本意な結婚→破綻・離婚→挫折と失望という人生の大きな試練があったのですが、
その癒しの旅としてイタリア旅行があったようですけど、離婚という大きなストレスから解放された喜びみたいなものが、
イタリアの風土・気質と融合して「イタリア奇想曲」みたいな大らかで楽しい曲が作られたのかもしれないです。
もっともこの頃は既にパトロンのメック夫人から、毎年莫大な額の年金(援助金)が懐に入っていて、
音楽院教授という一種のサラリーマン生活から解放され、音楽院の上司や周りの目を気にしないで自由に作曲が
できるようになったという要因も大きいのかもしれないですし、海外に色々と旅行する贅沢も可能になったという事なのだと
思います。
イタリア奇想曲なのですけど、中間部で、トロンボーンとトランペットの掛け合いの部分があるのですが、
結構この部分は奏者は大変だと思います。
生の演奏会で聴いた時も、トロンボーン奏者も必死でスライドさせていましたし、トランペット奏者も激しくピストンを
動かしていました。
全体的にタンバリンの音がどことなく南欧っぽいおおらかさが感じられます。
曲自体も15分程度の長さですし、管弦楽団の演奏会の一曲目として演奏するにはうってつけの一曲ともいえそうです。
この曲をCDやレコードで聴く場合、私にとって大変印象に残っている録音というと、
オーマンディー指揮のフィラデルフィア管弦楽団でした。
高校生の頃、このコンビのレコードは一枚1300円と当時としては破格の安さだったせいもあるのですが、
よくこの絶妙の組合せのレコードを聴いていました。
ダッタン人の踊りとかスペイン奇想曲とか、チャイコフスキーの三大バレエの組曲版とかこのイタリア奇想曲などなど
このコンビの華麗なる響きが素晴らしかったです。
オーマンディ/フィラデルフィア管のCDは色々と出てますが、昔のレコードの頃に収録されていて
CDには収録されていないという曲もありますので、当時の音源が復刻CD化して頂ければうれしいですね~
吹奏楽でも1970年代あたりまではイタリア奇想曲はコンクールの自由曲として定番曲の一つでしたね。
最近ではめったに演奏されなくなりましたけど、吹奏楽アレンジ版としてはウィンターボトム版とローランドゥ版のアレンジが
記憶に残っています。原曲は16分前後のため、吹奏楽コンクールで演奏する場合カットは必須ではありますけど、
どこの部分をカットすればいいのか?というのは指揮者にとっては結構悩ましい問題ではないかと思ったりもします。
イタリア奇想曲の吹奏楽コンクールでの名演というと1983年の出雲第一中学校を挙げたいですけど、それ以外に
2つほど印象に残っている演奏があります。
一つが1983年の中村学園です。
この年のBJの講評で、ある審査員が
「中村学園は女子高だけど、トランペット奏者が全員ガニマタ気味に吹いていたのが大変印象的である。
トランペットは本来立って吹くべきものだが、座って吹くと自然と足は左右に広がるものなので、
ああいうガニマタスタイルは理にかなっている」と大変面白い事を書かれていましたけど、言いたい事は分かる気はします。
当時の「日本の吹奏楽83」のレコードの裏ジャケットの中村学園のカラー写真を見ると「確かにそうなのかも・・」
という感じもあったりもします。
今現在の福岡県の名門女子高吹奏楽部と言うと、言うまでもなく精華女子高校なのですけど、
精華女子の演奏は私も何度もコンクールの生演奏を聴かせて頂きましたけど、見ている感じでは、
トランペットの女の子たちもそんなガニマタとかどこか力んでいるような感じとかは皆無に等しく
とてもナチュラルに吹いていて、見た目も大変洗練されていてスマートに吹いているみたいな印象も感じ受けたものです。
中村学園のイタリア奇想曲の冒頭のトランペットのファンファーレは少し外し気味で、そのとちった感じがむしろ昭和の頃の
おおらかさみたいなものも感じられます。
中村学園の課題曲も自由曲はファンファーレで開始されるのですけど、
課題曲も自由曲もその部分が決してカッチリと決まっていた訳では無く、どことなくあやふやな部分が感じられ、
部分的にトチっていたのは、前年の82年の中村学園は欧州遠征で吹奏楽コンクールに未参加でしたので、コンクールの勘が
少し鈍っていたのかもしれないです。
自由曲のイタリア奇想曲は、1980年のウィンザーの陽気な女房たち序曲で感じさせた中村学園の当時の弱点でも
ありそうな音とサウンドのべたべたしたような感じが前面に出てしまい、全体的に太陽サンサンのカラッとした雰囲気ではなくて
じめっとした感じでもあったのが惜しまれます。
課題曲の中間部は、アルトサックスのソロも含めて大変しっとりとした抒情的な香りも伝わり、その点はとてもよかったと
思いますが、アレグロ部分はもう少しスピード感を演出して欲しかったと感じます。
自由曲も決して下手な演奏ではないのですけど、どこか「ほわん・・」とした演奏になっていて
中間部のトランペットとトロンボーンの掛け合いの部分もどことなくモサッ・・とした雰囲気のまま曖昧な感じで
展開されていたのは中村学園らしくもないな・・とも感じていたものでした。
ただそうした弱点は翌年以降は見事に解消されていて、むしろキビキビとしたキレの良いスピード感が発揮され、
それが85年のコッペリアと86年のパリの喜びの歴史的名演につながっていったような印象もあります。
二つ目は1993年の伊予高校です。
93年の伊予高校の演奏と「銅賞」という審査結果を聴いてふと感じた事は、毎年変わる審査員による評価の判定基準の
一貫性とは果たして何なのかという事でもありました。
伊予高校は1991年にB/パリの喜びで念願の初金賞を受賞したのですけど、その演奏と評価は正直評価は分かれると思います。
ある人は「やり過ぎ・・・表現過剰、追い込み過ぎで煽り過ぎ」というマイナス評価をされる方も いると思いますし
ある人は「絶えず何かを精一杯伝えようとする表現の積極性は素晴らしい」とプラス評価をされる人もいると思います。
結果として1991年は金賞に輝いたのですけど、
1993年の演奏は、91年と93年の両方の演奏を聴いた人間の客観的な感想としては、
「どちらもほぼ同じような傾向の演奏で、技術的にもどちらの年も大差がない。プラスもマイナスもどちらの要素も持っている演奏」という感じでした。
結果的に91年は金賞、93年は銅賞という事になりましたけど、
吹奏楽コンクールの場合、毎年毎年審査員が変わり 少なくとも明確な「審査基準」が定まっていないから、
同じような傾向の演奏でも、年によって、審査員の好みによって 評価は変わるものはいかがなものかという事でも
あるかとは思います。
ちなみに私自身の感想・評価は91年も93年も文句なしの銅賞と言う感じではありました。
音楽というものに絶対的な価値基準は存在しない、人によって感想・捉え方・解釈は異なるという事を立証したような
演奏だったと思います。

イタリア奇想曲の最大のポイントはやはり冒頭のトランペットの高らかなファンファーレと言えそうです。
「ららマジ」のトランペット担当は、亜里砂・エロイーズ・ボー=ボガードです。
フランス生まれのクォーターで高校2年生のJKさんで、金髪ツインテールがとてもよくお似合いだと思います。
担当楽器はトランペットで、腕前はプロ並で、自分のかわいさが分かっているかのような小悪魔チックな振る舞いをするような
性格もまたまたとってもかわいいですね~♪
公式では「亜里砂・E・B」と略される事が多いです、
バトル時においてはトランペット型のアサルトライフルを武器とします。
ららマジ器楽部内には浅野葉月というコルネット奏者もいますので、ぜひぜひ亜里砂と葉月の二人による
イタリア奇想曲の冒頭のファンファーレを聴いてみたいものですね~♪

チャイコフスキーの「イタリア奇想曲」とショスタコーヴィッチの「祝典序曲」の最大のポイントであり聴かせどころは
トランペットによるファンファーレ だと思うのですけと、
ららマジのトランペット奏者でもある亜里砂・エロイーズ・ボー=ボガードと
トランペットと見た目は大変良く似ているけど、実際は楽器の構造も音色もトランペットとはちょっと異なる楽器のコルネットの
奏者である浅野葉月によるそうした華麗なるファンファーレはぜひ聴いてみたいですね~♪
ららマジの浅野葉月はコルネットを担当している高校2年生のJKさんで、トランペットも兼任しています。
トランペットとコルネットは楽器の構造がまるで違うので、確かに見た目はよく似ているのですけど、
似て非なる楽器と言えそうです。
そして吹奏楽コンクールやプロの管弦楽団の演奏会等でも、部分的にコルネットを使用する場合は、トランペット奏者が
曲の途中で楽器を持ち替えることがほとんどです。
浅野葉月がトランペット兼任という設定は当然という事なのだと思います。
この二人による華麗なるファンファーレは相当見映えがしそうですね~♪
ららマジの器楽部におけるトランペットパートは実質的に浅野葉月と亜里砂・E.Bの二人と言えますけど、
浅野葉月は亜里砂・エロイーズ・ボー=ボガード(略して亜里砂・E.B)の隠れファンらしいという事で、浅野葉月にとっては
「あこがれの子と実質的に同じパートなんて大感激・・♪」という感じなのかもしれないです。
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