メディアの瞑想と復讐の踊りは、ギリシア悲劇「王女メディア」を題材にした作品です。
王女メディアのストーリーを素材にして20世紀のアメリカの作曲家、サミニュエル・バーバーが作り上げた音楽が
バレエ音楽「メディア」であり、そののバレエ音楽を更に単一楽章的にギュギュ~っと濃縮した音楽が
「メディアの瞑想と復讐の踊り」でもあります。
この曲は、一言で言うと、内面的心理ドラマの世界です。
本来は優しい女性であったはずのメディアがなぜここまでやらなければいけなかったのかその心の葛藤を描いた
心理的交響詩みたいなものだと思います。
前半は、静かな内面の葛藤の世界であるのに対して後半は、何かが弾けて「狂」の世界に突進していくメディアの狂気の世界を
見事に表現していると思います。
全体的に14分間程度に渡って最初から最後まで緊張の糸がピーンと張りつめられていると思いますし、この曲を聴くと
「弦楽のためのアダージョを作曲している人らしい緊張感と内面的葛藤に溢れた曲」と感じずにはいられないです。
このドラマのストーリーを簡単に記すと・・・
メディアは太陽神の末裔の女魔術師でありコルキスの王女でもあります。英雄イアソンと駆け落ちしてコリントに赴き、
そこで子供を授かり、平和に暮らしていました。
その後野心が捨てきれないイアソンは、リントの王女と結婚し、メディアをあっさりと捨ててしまいます。
嫉妬と復讐に燃えたメディアは、結婚の贈り物として毒をしこんだドレスを王女へ送り、
コリントの王女を殺害してしたばかりでなく、最後には自分の子供すらも殺してしまい、
竜に引かせたチャリオッツ(戦闘用2輪車)でコリントを去るというお話です。
これは午後1時台で放映されている昼ドラのドロドロや韓国の愛憎ドラマを超える位凄まじいドロドロ劇だと思います。
自分を捨てた夫に対する復讐として、その相手の女を殺すというパターンは古今東西よくある話だと思うのですが、
己の復讐のために自分の子供にまで手をかけてしまう点が母性を超えたメディアの狂気ともいえそうですけど、
メディア自体も決して喜んで我が子を殺した訳ではなくそこに至る経緯にはさまざまな心理的葛藤があったと思いますが、
そうした背景を認識したうえでメディアの瞑想と復讐の踊りを改めて聴くと
何となくその葛藤や経緯やメディアの決意が分かるような気がします。
冒頭からして既に緊張感たっぷりで、大変静かな開始なのですが、シロフォーンの不気味な表現が既に狂気を
醸し出しています。
中盤から後半は狂気の音楽が全開で、復讐に燃えたメディアの狂気が炸裂し迫力満点のスピード感あふれる音楽が
展開されていきます。
演奏時間は14分前後ですが、非常に音楽的中身が濃い曲なので、「長い」と感じ事は絶対にないと思います。
バーバーは、どららかというと内省的的な曲とか美しい抒情的な曲を得意にしたようにも思えますが、抒情的というと
その代表的な曲はヴァイオリン協奏曲なのだと思います。
この協奏曲はとても20世紀に作曲されたとは全く思えないロマンチックと美しさに溢れていて、
悪く言うと完全に時代遅れなのですけど、20世紀と言う
現代音楽という訳のわからん無調音楽が幅をきかせていた時代だからこそ、こうした純粋に美しい曲は、
かえって20世紀には光り輝くのかもしれません。
そうした事と同様な事は、協奏曲で言うと
〇ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第2番
〇コルンゴルド/ヴァイオリン協奏曲
にも言えるのかもしれないです。
バーバーの「ヴァイオリン協奏曲」は、第一楽章の出だしを聴くだけでも価値があると思います。
冒頭から、ため息ものの美しい音楽が静かに流れていきます。
第一と第二楽章は非常に静かで内省的な音楽なのですけど、この曲が更にユニークなのは第三楽章にありまして、
第三楽章は3分程度であっという間に終わってしまうのですけど、
第一・第二楽章とは全く対照的に、終始せわしく落ち着きなくあっという間に駆け抜けていきます。
何となくリムスキー・コルサコフの「熊蜂の飛行」みたいにハチがブンブン飛び交うような雰囲気の音楽です。
第一~第二楽章と第三楽章が全く正反対ですし、そのギャップがこの協奏曲を聴く一つの醍醐味なのかもしれませんね。
最後に・・余談ですけど
本記事にて久しぶりにバーバーの名前が出ましたので、バーバーの曲としては正直あまり知られていないのは
大変もったいなく感じる歌曲でもある「ノックスヴィル~1915年の夏」について簡単に記したいと思います。
この曲は、派手な部分は皆無です。
終始ゆったりとした音楽が展開され、ソプラノがゆっくりと管弦楽をバックに抒情的に淡々と歌い上げる音楽です。
全体でも20分程度の作品です。
元々は、ジェイムズ=エイシーという方の「ある家族の死」という長い散文詩にバーバーが曲を付けたものですけど、
一言で言うとノスタルジーを強く感じさせます。
遠い昔に家族で過ごした時間を、大人になって 「ああ、あの時の自分は実は幸せだったのだな・・・」と振り返るような
感覚の音楽です。
聴けば分かるのですが、この曲に葛藤もドラマも派手に盛り上がる部分も演出も派手な効果も何もありません。
過剰な期待をして聴くと、 あまりにも何もない淡々とした展開に落胆すると思いますが、
この「淡々とした何も無い感じ」に憂いとメランコリーさを感じます。
バーバー自身生まれたのが1910年ですけど、1915年と言うと5歳の頃だと思われます。
自分自身の子供の頃の記憶と原作の詩が何かリンクするものがあったのかもしれないです。
この曲に関しては、指揮者・管弦楽団で選ぶよりは ソプラノのソリストで選んだ方が断然いいと思います。
個人的には、ドーン=アップショー(ジンマン指揮)がいいと思います。
この曲は一度だけ生の演奏会で聴いたことがあります。
確か1995年頃だったと思いますが、東京交響楽団の定期演奏会で、指揮者は秋山和慶でした。
前半がこのバーバーの歌曲で 後半のメインがマーラーの交響曲第4番「大いなる喜びへの賛歌」でした。
マーラーの4番の第4楽章だけ、ソプラノが入りますけど、
この部分だけに高いギャラを払ってソプラノを呼びのも非効率と考えたのか(?)
前半にバーバーのこうしたウルトラマイナーな曲をカップリングしたのかもしれないです。
この曲、生で聴くといい子守歌というか即効で眠たくなりますね~♪
スポンサーサイト