
東京MXの深夜アニメの充実は本当に素晴らしいものがありますし、話題作や最新作やちょっとエロ系の深夜アニメが
ここで放映される事が多々ありますし、実は私自身地上波で視聴しているアニメ作品の放映局は、東京MXとテレビ埼玉が
ほとんどです。
さてさて、その東京MXの再放送枠において、本日・・、4月6日より懐かしのアニメ作品の放映が開始されます。
その作品が何かというと、毎週日曜日に放映されていたアニメ・世界名作劇場の中で1979年から一年間放映されていた
「赤毛のアン」です。
赤毛のアンは、初期の頃のアンのとてつもない夢見る少女の脳内妄想の世界やアンのとてつもないおしゃべりに
いささか閉口したものもありましたけど、親友のダイアナのかわいらしさや養父みたいな存在のマシュウの「そうさのう・・」と
いったおっとりとした存在感やアン自身の成長もあり、夢見る少女のすてきな成長がリリカルに描かれていて、
とても好感を感じていたものです。
後にアン自身の伴侶となるギルバードに対して、ギルバートが初期の頃にアンの事をにんじんとバカにした事もあり、
アンがそれに対して怒りを覚え石板をギルバードの頭に叩きつけていたシーンも大変印象的でした!
世界名作劇場というとフランダースの犬・家なき子(母を訪ねて三千里)・あらいぐまラスカルなどが大変印象的ですし、
当時の吹奏楽経験者の皆様の視点で言うと、これらの作品のOPがミュージックエイト等より吹奏楽アレンジ版楽譜として
出版されていて、私自身も中学の頃の文化祭等で、母を訪ねて三千里とかトム・ソーヤの冒険とかペリーヌ物語を
演奏した記憶があります。
大学の吹奏楽団でもなぜかしりませんけど当時の世界名作劇場で放映されていたポリアンナ物語とか若草物語のOPを
演奏していた記憶もあります。
そうした世界名作劇場のOPのアニソンはすてきな名曲が揃っているのですけど、そうした中にあって異彩を放っていたのは
その「赤毛のアン」のOPとEDだったと思います。
赤毛のアンのOPとEDも吹奏楽にアレンジされていてスコアも出ていて、私自身も赤毛のアンのOPのアニソンは
演奏した事はありますけど、吹いていても「あれれ・・? 前作のペリーヌ物語や家なき子の曲の雰囲気とは明らかに一線を
画しているなんだか普通のアニソンとは異なる曲」というのは当時から実はなんとなく感じ取ってはいました。
余談ですけど、ペリーヌ物語のペリーヌはほんとうに素晴らしい美少女さんで、ペリーヌ物語は毎週楽しみに
視聴させて頂いておりました。
ペリーヌ物語の原作は「家なき娘」といって家なき子の姉妹作に近いものがあるのですけど、原作は母親の死の場面から
開始されますが、アニメの上では開始から三か月近くはインドからフランスまでのペリーヌと母親の旅を描いていて、
今にして思うと原作には存在しないアニメオリジナルストーリーといえるのだと思います、
赤毛のアンのOPとEDがそれまでの世界名作劇場のアニソンの作風と少し異なると感じられるのも実は当たり前の話
なのかもしれないです。
だって赤毛のアンのOPやEDを作曲されていたのは、当時は既に邦人クラシック音楽作曲界の大御所にして
桐朋学園大学の学長を務められていた三善晃です!
三善晃というと当ブログでもこれまで何度も何度も秋田南高校・大曲高校・新屋高校・習志野高校・神奈川大学・常総学院等の
名演でお馴染みの「交響三章」の孤高の世界を作曲された偉大な先生とか
吹奏楽コンクールの世界でも深層の祭り、クロス・バイ・マーチといった不朽の名作課題曲を後世に残された事で
その御名前が登場していましたけど、実は「赤毛のアン」のOPやEDの曲も残されていました!
赤毛のアンのアニソンのファンタジー感やアルトサックスのソロの扱いの巧みさは三善晃っぽい感じもありそうです!
赤毛のアンの音楽担当は毛利蔵人なのですけど、毛利蔵人は三善晃の弟子に相当し、三善晃自身が赤毛のアンの
アニメ内のBGM担当作曲家として毛利蔵人を推薦し、結果的に一つのアニメ作品としてクラシック音楽作曲家の師弟コンビが
担当するという凄い結果になりました。
三善晃自身は「赤毛のアン」の中では、オープニングテーマ「きこえるかしら」とエンディングテーマ「さめないゆめ」、
挿入歌「あしたはどんな日」と同じく挿入歌の「森のとびらをあけて」・「花と花とは」を作曲しています。
挿入歌の「涙がこぼれても」と「忘れないで」と「ちょうちょみたいに」は毛利さんの作曲となっています。
1979年当時は既にたくさんの大胆で前衛的な作品を数多く発表されていた三善晃ですけど、「赤毛のアン」においては、
夢見る少女・アンにふさわしいロマンチックなアニソンを書かれています。
子供向けの単純な音楽に終わることはなく、他のアニソンとは一線を画する卓越した手法が用いらていて、
特に衝撃だったのは、アニソンなのにそのOP楽曲においては、小休止をはさんでいたり、アルトサックスという管楽器に
間奏中のソロの役割を与えていたことが挙げられると思います。
当ブログにおいて、私自身10年間の吹奏楽生活において中三の一年間のみアルトサックスを吹いていたと記しましたけど、
そのアルトサックス時代にはいうまでもなく「赤毛のアン」のOPの間奏のアルトサックスのソロを吹きましたけど、
吹いていても「なんという壮大でロマンチックな曲!」と感じていた反面、
従来のアニソンというと例えば宇宙戦艦ヤマトやマジンガーZ等の勇壮なイメージとは全く逆の面も有していて
「なんという個性的な曲!」と感じていたものでした。
但し、当時の私には赤毛のアンの作曲者の三善晃がどういう御方でどれだけ偉大な御方であるかという認識は微塵も
有していなくて、私自身が三善晃の偉大さを初めて知る事になったのは、その2年後の吹奏楽コンクール・東北大会で
大曲高校吹奏楽部が自由曲として演奏していた三善晃の「交響三章」がきっかけでもありました。
(「交響三章」の特に第一・第三楽章における「亡びの美学」のわびさびの響きは何度聴いても飽きることは全く無いです!)
それにしても「きこえるかしら」は今聴いても色褪せない斬新な曲想だと思います。
フランス近代音楽を思わせる色彩的な和声と楽器法もそうですし、現代音楽ではお馴染みであったものの
一般にはなじみが薄いテンプルブロックによるアクセントを意図的に強調していたり、
ピアノとハープ、チェレスタの雰囲気を大切にしていたり、はまた世界名作劇場シリーズとしては初めてアルトサックスを
使用していたりと、只者ではない雰囲気がアニソン一曲からも窺い知る事ができると思います。
EDではチェレスタとピアノの二重協奏曲かと錯覚するほど16分音符がスコアの両パートを埋め尽くしているのも
凄い・・としか言いようがないと思います。
クラシック音楽作曲家がアニソンも手掛けるというのは今現在は珍しくもなんともない話であり、例えば和田薫や
天野正道などでもお馴染みだと思います。
ちなみに天野正道はまだ無名時代に実は映画「うる星やつら1 オンリーユー」の音楽を担当されていますし、
「犬夜叉」の音楽等でもお馴染みの和田薫の奥様は「フレッシュプリキュア」のキュアパインでお馴染みの中川亜希子さんで
あったりもしますルン~♪
三善晃が「赤毛のアン」というアニソンを作曲されていたのも当時は意外だったのかもしれないですけど、私的にもっと
ぴっくりしたのは、三善晃が1988年に全日本吹奏楽コンクールの課題曲を作曲されていた事でもありました!
技術的に難解であると同時に音楽の内容の点で大変優れている課題曲の一つとして
大いに推したい課題曲が三善晃作曲1988年の課題曲A/吹奏楽のための「深層の祭り」です!
最初に三善晃が吹奏楽コンクールの課題曲を書き下ろしたと耳にした際は「え~、すごーい!」と感じたものでした。
(それは間宮芳生も全く同じでした)
三善晃というと1988年時点では既に日本のクラシック音楽作曲家の重鎮の一人であり、とてつもない大物先生であり、
交響三章・響紋・夏の錯乱・レクイエム・協奏的決闘・変容抒情短詩・管弦楽のための協奏曲や数多くの合唱曲を既に
作曲されていて、「そんな恐れ多くてこんなアマチュアを対象にした吹奏楽コンクールの課題曲を委嘱するなんて怖いかも・・」
といった雰囲気もあったと思いますけど、逆に言うとそれだけこの当時の吹奏楽コンクールは既に
大変なレヴェルの高さを有していましたので、こうした大御所の作曲家の先生に課題曲作品を委嘱しても
全然問題ないという感じだったのかもしれないです。
それにしてもこの吹奏楽のための「深層の祭り」はあまりにも奥が深くて音楽的内容が充実した素晴らしい名課題曲だと
思います。
演奏時間4分程度の決して長くは無い曲なのですけど、この4分程度の時間にはぎゅ~っと凝縮した
音楽的緊張感と張りつめた内省的充実感が漲っていると思いますし、
確かに聴いていて「楽しい」と感じる部類の曲では全然ないのですけど、あの精神的にピンと張りつめた空気が醸し出ている
曲だと思いますし、発表した場がたまたま吹奏楽コンクールの課題曲だったという感じでもあり、
この曲はブロの管弦楽団の定期演奏会の一曲目として(管弦楽と打楽器だけで)演奏しても全然遜色のない曲
なのだと思います。
「赤毛のアン」の再放送をご覧頂けた場合は、その音楽にも着目して頂けるととてもありがたいです!