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ぬくぬく先生 

Author:ぬくぬく先生 
開設当時は、1980年代吹奏楽コンクールの花輪・秋田南・就実・仁賀保・屋代等の素晴らしい演奏を後世に少しでも伝える事が出来ればいいなと思ってこのブログを始めたのですけど、いつのまにか「東方Project」がメインになってしまいました・・・
最近は「艦これ」も大好きです!!
吹奏楽も東方も自分が感じた事を少しでも後世の方に受け継がれるべきものが残せればいいかな・・と思っています。
ちなみに、「大好きプリキュア四天王」は、ドリーム・メロディ・ハッピー・ラブリーです。
ドリームとメロディは自分の中では既に殿堂入り状態ですけど、
現在はラブリー大好き!!のラブリー一辺倒です!!
リアル社会では、建築関係のクレーム&アフター責任者を専従し、毎日毎日クレーム対応に当たる日々です。
裏の顔は東方と吹奏楽とクラシック音楽一辺倒です・・・
特に特に大好きな作品は・・・プリキュア5とスイートとハピネスチャージです!!
ちなみに、奥様は・・・ミルキィローズとセーラームーン好きの管理人以上のおこちゃまです・・・
東方で大好きなキャラは、とにかく大好きキャラがてんこ盛りで、全員大好き!という感じなのですけど、特に、さとり様・ゆかりん(紫様)・早苗さん・こいしちゃん・アリスはお気に入りです!!
吹奏楽では・・ネリベルの「二つの交響的断章」と「アンティフォナーレ」、スパークの「ドラゴンの年」、リードの「オセロ」と第二組曲「ラティーノ・メキシカーナ」、パーシケッティーの「仮面舞踏会」、C・スミスの「ダンス・フォラトゥーラ」などが死ぬほど好きで、クラシック音楽では、ウォルトンの交響曲第1番と矢代秋雄の交響曲、プロコフィエフの交響曲第5番、アーノルドの交響曲第2番、第4番、ショスタコの交響曲第7番「レニングラード」、マーラーの交響曲第3番「夏の朝の夢」、ハンソンの交響曲第2番「ロマンティック」、ストラヴィンスキーの「火の鳥」、ベルクの「ヴァイオリン協奏曲」、ラフマニノフの「交響的舞曲」などが大好きです!!
クラシック音楽を吹奏楽にアレンジし、そのコンクールヴァージョンの演奏としては・・・
1982年の就実高校の「幻想舞曲集」と
1987年の習志野高校の「ダフニスとクロエ」第二組曲の演奏、そして、
1987年の雄新中の「エルザの大聖堂への厳かな行列」が
まさに私の「原点」です。
最後に・・・
私の吹奏楽との関わりの真の意味での「原点」は・・・
1979年の市立川口高校の神がかり名演としか言いようがない
「二つの交響的断章」に尽きると思います!!


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「ラーメン大好き 小泉さん」アニメ版第4話のBパート/赤or白のエンディングは小泉さんの
「そう! まさにラーメンは力の源!だと思いませんか?」というすてきなお言葉で閉じられるのですけど、
これはやはり原作漫画でもアニメ版でも何度か出てきた「ノーラーメンノーライフ」(ラーメンの無い人生なんて!)という
事なのだと思いますし、小泉さんにとってラーメンとは生きるチカラであり力の源であると言えるのだと思います。

この言葉は大澤悠が言っても全く説得力は無いのですけど、
(悠にとっては「小泉さんは私の力の源」という事なのかもしれないですね~)
ラーメンを命の次に大切なモノと考えている小泉さんが発するセリフだから説得力が全然違うのだと思います。

アニメ版第4話のBパート/赤or白の話には、実在するラーメン店の一風堂も登場しています。
一風堂の吉祥寺店を舞台に、小泉さんが一風堂看板ラーメン白丸元味を食べているシーンや店内、
メニューブック、街並みなど全てにおいて細部まで丁寧に描かれていたことでアニメファンからもラーメン好きの皆様からも
大変評価の高い話としても知られています。
本記事においては、その一風堂さんが昨年・・2018年12月末に東京ビックサイトで開催されたコミケ95での出展に続いて、
2019年のコミケ96でも「ラーメン大好き 小泉さん」とのコラボを展開していますので、
それについて少しばかり触れさせて頂きたいと思います。
そして合わせて、アニメ版「ラーメン大好き 小泉さん」 第4話 : 赤or白の振り返りもさせて頂きたいと思います。


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コミックマーケット(コミケ)とは、毎年夏・冬の年2回開催される世界最大規模のサブカルチャー・イベントで、
3日間で世界中の漫画・アニメファン約57万人の集客をしております。
「コミックマーケット94」ではじめて「ラーメン大好き小泉さん」と「一風堂」限定コラボグッズが展開されていて、
2018年12月29日~12月31日に、東京ビッグサイトで開催されたコミックマーケット95でも同様のイベントが展開されていました。
コミケ95の一風堂さんのブースでは、新作「とんこつカレーラーメン」が限定販売されていましたし、小泉さんをデザインした
パッケージのお土産用ラーメンセットが限定販売もされていました。
このお土産用3個セットには赤丸・からか・限定パッケージの白丸が入っていて、
先着購入特典として「ラーメン大好き小泉さん」限定ポストカードもプレゼントされていたそうです。

そして昨年末のコミケ95においてはグッズ販売に留まらず、ラーメンの実食も実現されていて、
コミケ95の一風堂さんブースで販売されていたラーメンは、普通のとんこつラーメンではなくて、
とんこつカレーラーメンというのもある意味すてきなチャレンジ精神だと思いますし、この積極果敢な攻めの姿勢は
素晴らしいと思います。
アニメ版第4話でも大澤悠は「私はいつだって攻めの姿勢で行くよ!小泉さん!!」と言っていましたけど、
その攻めの姿勢を具現化したものがとんこつカレーラーメンなのだと思います。

そしてコミケ94と95の流れを受け継ぐかのように、今回も
2019年8月9日(金)~8月12日(月)に東京ビッグサイトで開催される「コミックマーケット96」にて、
コラボ限定セットやTシャツを企業ブース<2442 竹書房>で販売されています!

今回のコラボレーションでは、原作の主要キャラクター4人娘が登場しています。
小泉さん=白丸、悠=赤丸、美沙=からか、潤=高菜という4種類のおみやげラーメンセットが、
今回のコラボ96のコラボグッズのために原作者の鳴見なる先生描き下ろしによる限定パッケージで登場しています。
そして自宅でも「ラーメン大好き小泉さん」と「一風堂」の世界観を身近に感じて欲しいと言う事もあり、
麺の茹で時間を記したバリカタタイマー(キッチンタイマー)やオリジナルの箸が含まれるおみやげラーメンセットの
販売がこの竹見書房のブースで、一風堂さんとのコラボという形で行われています。

さらに、2018年のコミケ94と95において、連日完売したコラボTシャツも限定販売されているそうです。

コミケ96は8/9~8/12の四日間開催なのですけど、この四日間は残念ながら私自身は出勤と言う事で、参加できないのが
とっても残念です・・(泣・・)
この時期は大抵の企業が夏休み又はお盆休みに入っている事がほとんどだと思うのですけど、
住宅業界はGWやお盆はむしろ集客のかき入れ時でもありますので、今回も大変貴重な小泉さんグッズを購入できそうも
ないのは小泉さん大好きの私にとっては痛恨の極みと言えそうです。


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コミケ96における小泉さん関連グッズの「小泉さんLOVES一風堂 4人娘セット」は8,500円のセット価格なのですけど、
一風堂さんで販売されているラーメンを再現した麺が入っていますし、トートバック・箸・タイマー等の
小泉さん関連グッスが入っているのは素晴らしいです~♪

このセットの内容としては・・

・白丸元味 オリジナルパッケージデザイン 1箱(1食分)
・赤丸元味 オリジナルパッケージデザイン 1箱(1食分)
・からか麺 オリジナルパッケージデザイン 1箱(1食分)
・辛子たかな オリジナルパッケージデザイン 1箱
・小泉さんイラスト入り 箸
・小泉さんイラスト入り バリカタタイマー
・オリジナルデザイン トートバッグ

といったセット内容です。

「小泉さんLOVES一風堂 4人娘Tシャツ」は4000円で限定販売されていますけど、昨年同様に発売と当時に
瞬殺で完売となるのは目に見えていそうです。
そのくらい小泉さんファンは世の中に意外と多いと言えるのだと思います。


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「ラーメン大好き 小泉さん」 第4話 : 赤or白は、仲良く買い物に出かけた悠と美沙が「帰りになんか食べよう~」という流れで、
美沙が食べたがっていたスイーツではなくて、小泉さんにすっかりラーメン洗脳されてしまった大澤悠のお好みで
二人ともラーメンを食べに行く事になったものです。
そして二人が食べに行ったお店がとんこつラーメンとしては九州の雄ともいえる一風堂さんだったのです。

悠 : で、なに食べる?

美沙 : 美沙、辛い奴。超特辛で!

悠 : おお…即答。えっと、じゃあ私は…赤か白か・・原点の一杯と革新の一杯か…こういうの凄く迷うー!

美沙 : 早くしてね

悠 : そういや前に小泉さんが…

小泉さん : 初めての店ではまず基本メニューから

悠 : となると原点の味…白か・・

悠 : でもこうも言ってた…

小泉さん : 敢えて初回から気になるメニューを攻めるのもアリ

悠 : となると革新の味…赤か・・

悠 : 赤…かな。私はいつだって攻めの姿勢で行くよ!小泉さん!

美沙 : はいはい赤ね赤

大澤悠のこの「私はいつだって攻めの姿勢で行くよ!小泉さん!」はすてきな名言の一つなのかもしれないですね~!♪

昨年の一風堂さんのコミケ95の出店メニューのとんこつカレーラーメンはまさしく
大澤悠が言う「私はいつだって攻めの姿勢で行くよ!小泉さん!」という積極果敢の姿勢そのものと言えそうですね~!


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上記は美沙が注文した「からか麺」です!

激辛好きの美沙を満足させる刺激とおいしさが詰まっていそうなラーメンですね!


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上記は悠が注文した「赤丸」です!

アニメの中でピリ辛もやしのトッピングについても触れていましたけど、食べている途中に味の変化を求めたい場合は
そうしたトッピングピリ辛もやしをちょい足ししてもいいのかもしれないですね。


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そしてこのシーンの最後は言うまでも無く悠と美沙の感極まった「ふはー」で締められます!

やっぱりラーメンというのは冒頭の小泉さんではないですけど、「力の源」なのだと思います!

そして二人が店を出た後に来店された御方が、すてきなラーメンの女神様ともいえそうな小泉さんだったのでした!


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小泉さんがオーダーされたのは白丸元味と明太子ご飯です。

悠は攻めの気持ちと言う事で赤丸をオーダーしていましたけど、すてきなラーメンの女神様の小泉さんは
言うまでも無く既に何度も原点の一杯の基本的な白丸も革新的な攻めの気持ちの赤丸もどちらも堪能されていると
思われますので、小泉さんとしては「革新よりも原点」という気持ちの方が勝っていたのかもしれないですね。


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小泉さんが麺をすすりスープを飲み干すシーンは何度もありましたけど、こうやってご飯を食べているシーンは
家系ラーメンの話とか回転寿司店の話等限られていましたので、珍しいシーンと言えるのかもとれないです。

そして小泉さんは白丸と明太子ごはんをおいしく「ふはー」と完食されて、またまたあの大食漢振りを発揮され、
「すいません、替え玉とひとくち餃子追加で」と追加オーダーされていたのは小泉さんらしい話でもありました~!
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昨日のセカンド記事がショスタコーヴィッチの交響曲第7番「レニングラード」で、8/8の当ブログでは、
同じくショスタコーヴィッチの交響曲第9番にも触れさせて頂きましたので、ここは10番にも触れない訳には
いかないのかもしれないです。

ショスタコーヴィッチの交響曲第10番は、正直長いし陰気だし重たいし、決して人をハッピーにさせる曲では間違っても
無いと思いますし、とにかく閉塞感が漂う曲です。

私はこのD.ショスタコーヴィッチ/交響曲第10番は昔から意外と大好きであったりもします。
ショスタコーヴィッチの交響曲はあのあまりにも有名な第5番すらも録音も演奏もしていないカラヤンは、なぜかこの10番のみ
ショスタコーヴィッチの交響曲としては唯一音源を残していますけど、カラヤン指揮の演奏よりは、
私としてはスヴェトラーノフ指揮の演奏が大好きで、この音源はいまだにレコード盤として所有していたりもします。

ショスタコーヴィッチは、第二次世界大戦終結後に作曲された交響曲第9番が、世間の空気や
当時のソ連の指導者スターリンが求めた「第二次世界大変に勝利した歓喜の交響曲を作るべき」という期待を見事に
裏切り、比較的軽いノリのシンフォニーを作ったために、スターリンやソ連の音楽官僚達の逆鱗に触れてしまい、
結果的にジダーノフ批判という大バッシングを受けてしまいます。
私自身は、この交響曲第9番は、大好きな曲です。全体を通して、おもちゃ箱をひっくり返した
ような聴き所満載の曲です。特にファゴットの悲壮なソロから一転して、「なーーんちゃって」
とアッカンベーするような第五楽章への転換部分は本当に面白くてたまらないです。
その結果なのかどうかは分かりませんが、ショスタコーヴィッチ自身は、1953年にスターリンが死亡するまで
約8年間、交響曲作曲の筆を一時断筆し、スターリンが死亡したと同時に、この謎めいた交響曲第10番を
発表するのです。
スターリン逝去の発表前にはインタビューで「次の私の仕事は歌曲である」と明言していたにも関わらず、
スターリン逝去の方と同時に短期間で一気にこの長ったらしい交響曲を完成させたことに対しては、当時から色々と
憶測は飛んでいたものですし、ショスタコーヴィッチの長年のスターリンに対する恨みつらみが、一気に爆発したと
言えるのかもしれないです。
(ちなみに、スターリンが亡くなった日と全く同日にプロコフィエフも逝去しています。これは結構すごい偶然かもしれないです)

D.ショスタコーヴィッチ/交響曲第10番は明らかにバランスが悪いです。

重苦しくて陰鬱な第一楽章が長過ぎるからそう感じるのかもしれません。
各楽章の時間的構成として、第一楽章約23分 第二楽章5分 第三楽章18分 第四楽章10分となっていて、
第一楽章と第二楽章の時間的配分のアンバランスさは初演当時から何かと批判はされていたようです。
第一楽章だけを聴いてしまうと、とにかく何の救いも見えてこないし、生きている事自体が本当に嫌になってしまいそうな
重苦しい楽章です。
そして、第一楽章とは対照的に明らかに短すぎる第二楽章が極めて印象的です。
作曲者自身の言葉では、この第二楽章は「スターリンの肖像」と記されていますが、
暴力的で粗暴な曲の雰囲気は、確かにそうなのかもしれません。
そして、第三楽章は、一番謎めいていますし、何となく脱力めいた部分もあります。
曲が盛り上がってくると、ホルンのファンファーレみたいなメロディーの断片がそれを遮るという感じがします。
専門的な話になってしまうのでここではあまり深く掘り下げませんが、
そのメロディーラインの遮りこそが、実は「DSCH音型」という大変やっかいなものなのです。
ショスタコーヴィッチ自身のドイツ式の綴りのイニシャルから取った「DSCH音型」という四つの音型パターンが
この交響曲の至る所で登場し「DSCH音型」が登場しない第二楽章は、スターリンの独断場を示唆し、
その音型が頻繁に登場してくる第三・第四楽章においては、
「スターリンが死んでやっと自分は解放された・・これからは・・・スターリンの目を気にする事なく
自分が作りたい曲を作曲したいし、もう誰にも文句は言わせない。
自分が作曲したい音楽を誰からも指示されずに自由に作曲したい」といったメッセージを提示しているようにも感じられます。
第三楽章の中で、かなり乱暴で粗野な強奏の部分が登場し、「とてつもなく盛り上がってきた」と聴衆に思わせておいて
次の瞬間に前述のDSCH音型がその流れを断ち切り、それが何度か繰り返されると
聴いている方としても「またかよ・・」みたいな妙な脱力感を感じてしまいますし、
唐突に背後の人間から膝かっくんを食らった様な感覚にすらなってしまいます。

ショスタコーヴィッチが作曲した曲の中で、最大の自分の敵=スターリンとショスタコーヴィッチ本人が自作作品の中に
登場するとは、ショスタコーヴィッチの自己顕示欲は意外と強かったのかもしれませんし、
同時に、時の権力者=スターリンが生きている間は、粛清・政治犯の収容所送りが怖いから何も言えず
ただ時の経過をひたすら待ち、そしてスターリンが死んでしまったら、これまでの鬱憤を晴らすように、
交響曲の中に、スターリンは登場させて自分自身も登場させる等とやりたい放題が出来るようになり、
当時の権力者の死によって、ようやく一つの自由を得たと言えるのかもしれないです。
自作作品に作曲者本人が登場する曲の一つとしてR.シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」がありますけど、
シュトラウスの場合は英雄という抽象的概念にたまたま自作を重ね合わせたという印象があるに対して、
ショスタコーヴィッチのDSCH音型の自作作品への乱入というのは、過剰な自意識というよりは、
「自分は決して御用作曲家ではないし、自分の内面と信念に従った作品を残したいし、時の権力者すらにも時に抵抗した
自分と言う存在は決して忘れないでほしい」というメッセージのようにも聴こえたりもします。

交響曲第10番は第四楽章が私としては一番興味深いです。

冒頭はとにかく哀しい雰囲気から開始され、オーボエの哀しさ溢れるソロの雰囲気は、クラリネット・フルート・ファゴットに
受け継がれていき、 不安・寂寥感・孤独・哀愁みたいな雰囲気が序盤は濃厚です。
クラリネットのソロ以降のアレグロの展開部では、幸福感すらも感じさせる曲の雰囲気になってしまいます。
それにしてもこの楽章のラスト10小節前辺りのティンパニのソロは格好いいと思いますし、あのソロをかっちりと決める事が
出来れば、ティンパニ奏者冥利に尽きると思います。
確かに第四楽章全体の雰囲気は明るいのですけど、交響曲第10番全体をトータルで捉えてみても
第四楽章の中盤~後半以降の明るさだけでは交響曲第10番全体の陰鬱さ・暗さを解決するものではないようにも感じます。
やはり第一楽章の重苦しさが曲全体のイメージを支配している傾向が大変強く、 そこに第三楽章の陰気さと脱力感も加わり、
第四楽章後半のアレグロだけでは、何の解決にもならないという印象は残ってしまいます。

結局、この交響曲第10番でショスタコーヴィッチは何を伝えたかったのでしょうか・・?

本来「人間の死」というものは、哀しく荘厳なものであるものなのかもしれないです。
ショスタコーヴィッチの祖国(旧、ソ連)では、時の指導者スターリンが死亡しない限り国民全体の開放感や幸福は訪れないと
いった矛盾を皮肉を込めて作曲したのかもしれません。

ショスタコーヴイッチ自身も、交響曲のジャンル一つとっても、様々な矛盾を内在しています。
例えば、交響曲第11番「1905年」とか交響曲第12番「1917年」は、
明らかに時の音楽官僚等に対するごますり・ご機嫌取りみたいな御用作曲家みたいな側面を見せながらも、12番以降以降の
交響曲第13番「バービィ・ヤール」などのように反体制家と評されても仕方がない曲も残している事を考えると、
人間と言うものは時に内在した矛盾を抱え込ん生きざるを得ないという事を示唆しているのかもしれないです。
ショスタコーヴィッチ自身もその時の心情によって自身の考えも色々と変容し、
ある時は「スターリンを満足させたり、国家を発揚させる曲を書いてみよう。自分も国家の一員として国に貢献したい」という
気持ちもあったかもしれませんし、逆に「スターリンのタコ!! パーカ!!! 少しは自分にも自由に作曲できる場を与えて欲しい。
おまえなんかくたばっちまえ!」という気持ちも大いにあったのかもしれないです。
ショスタコーヴィッチの一場面での発言のみを殊更大げさに強調し、
「だからショスタコーヴィッチは所詮はソ連の御用作曲家に過ぎない」とか
「ショスタコーヴィッチは時の権力者に迎合しながらも内面においては反骨精神や反発心を隠してはいなかった」と
決めつけるのは決して宜しくは無いと思いますし、時に権力者の手先として、時に権力者に抵抗勢力として
振り子のように右に左に不安定に動いていた・・否、顔色を見ながら動かざるを得なかったという事なのかもしれないです。
そしてショスタコーヴィッチの生涯の足かせ・重しとなっていた当時の指導者・スターリンの死によって、ショスタコーヴィッチ自身
の心の足枷が一気に取れてしまい、これまでの抑圧の反動として
「スターリンに対する私自身の心情の推移」というものを交響曲としてまとめあげたのが交響曲第10番と言えるのかも
しれないです。

この交響曲第10番は、「雪解け」という小説にも登場するそうです。
この曲をラジオで聴いた小説の主人公が、「数字だ、無限の数字だ」とつぶやくシーンがあるそうですが、
それはさすがにちょっと違うのかも・・と感じてしまいます。
日本でのこの交響曲の初演は上田仁指揮の東京交響楽団なのですけど、実は元々初演予定はN響だったそうです。
ところが本番直前になってN響の客演指揮者が交響曲第10番の演奏を拒絶し、代わりにプロコフィエフの交響曲第5番を
演奏したのですが、その演奏が理由や意図は不明ですけどカットだらけの演奏で、これは当時の聴衆・評論家からも
大ブーイングだったそうです。

この話は最近も書いているのですけど(汗)
私がショスタコーヴイッチの曲を聴いたのは、実はあのあまりにも有名な交響曲第5番「革命」ではなくて
交響曲第10番というのも、いかにも私らしい話なのかもしれないです。
しかも、それは管弦楽としてではなくて吹奏楽アレンジ版という変化球として聴いています。

それが何かと言うと、1981年の山形県で開催された全日本吹奏楽コンクール・東北大会の
高校B部門の秋田西高校の素晴らしい演奏だったのです。
わずか35人の編成とは思えない重厚感漂う演奏であり、特に後半のアレグロのスピード感溢れる展開は
小編成の限界を超越した演奏だとも思えます。
BJの演奏評では「孤独・不安・寂しさの雰囲気はうまく出せていたけど、ソロがプレッシャーのため緊張感を持続
出来なかったのは惜しい。アレグロも素晴らしかったが、もう少し重厚感が欲しい、どちらかというと祝典序曲みたいな
キャラクターの演奏になってしまった」と記されていましたけど、
うーーん、ちょっと違うのかも・・・?
私の印象では、ソロの雰囲気も寂寥感と不安を見事にキープしていたと思いますし、アレグロ以降の展開も
悲壮感と明るさが混在した洒落っ気と重さを両立した素晴らしい演奏だったと感じたものでした。
当時、秋田西高校を指導されていた佐藤滋先生は、後年に母校のあの吹奏楽の超名門・秋田南に赴任されましたけど、
高橋紘一先生という存在は大きかったみたいで、結果的に秋田西高の時のような名演を残せないまま
秋田南を静かに去られていたのは少し気の毒みたいな感じもありました。

考えてみると、この秋田西高校の演奏をきっかけに、
「ショスタコーヴィッチという作曲家はどんな背景があり、他にどんな曲を作曲したのだろう・・?」
「何か交響曲第5番がやたら有名みたいだけど、どんな曲なのかな・・」
「丁度スターリン体制化のソ連時代と生涯が被っているけど、どんな背景がこの曲にあったのかな・・」などと
ショスタコ―ヴィッチについていろいろ興味を持つようになり、
私がショスタコ―ヴィッチを聴くようになった大きなきっかけを作ってくれたようにも思えてなりません。

その意味では、この秋田西高校の演奏と指揮者の佐藤滋先生には、「感謝」の言葉しかないです
本当にありがとうございました。
佐藤滋先生が普門館で指揮された1987年の秋田南高校の風紋と交響詩「ローマの噴水」は、それまでの秋田南の
硬さ・陰鬱さを打破したそれまでにないカラーを追及した演奏のようにも感じますし、
私個人はあの演奏を生で聴いていてもあのカラッとした演奏はすてきだと思いましたし、結果的にこの年の銅賞は
かなりの激辛評価といえそうです。

ちなみにですけど、全日本吹奏楽コンクールの全国大会では2018年時点でまだ一度も自由曲として、
ショスタコーヴィッチの交響曲第10番が演奏された事はないのですけど、勿来工業・磐城高校・湯本高校等を指揮して何度も
全国大会で素晴らしい名演を残されている藤林二三夫先生は、平商業を指導されていた2016年に
D.ショスタコーヴィッチ/交響曲第10番~第四楽章を自由曲として選びながらも、残念ながら東北大会ダメ金で終わって
全国大会でこの曲をお披露目できなかったことは大変惜しい・・と感じたものでした。

最後に、改めてこのショスタコーヴィッチの交響曲第10番ですけど、恨みつらみも含めて、
副題に「スターリンと私」 みたいな感じが似合いそうな曲だと思います。
この曲は前述の通り、何度聴いても圧倒的にバランスが悪いと感じざるを得ないですね。
悲劇的な感じの第一・第三楽章、に対して第四楽章は、前半がそれまでの悲劇的雰囲気を継承し、
幾分幸福感が見えてくるのは、中盤以降のアレグロ展開のみですし、
暗い感じが圧倒的に長くて「救い」的な部分があまりにも短か過ぎますし、
第四楽章の後半のアレグロがショスタコーヴィッチの「祝典序曲」のあの健康的な明るさすらも感じてしまうのですけど
そこに至る経緯がとてつもなく唐突という印象がある事が
やはりこの交響曲自体を何か「とっつきにくいもの」にさせているのかもしれないです。
例えば、交響曲第8番・交響曲第10番・チェロ協奏曲第2番・ヴァイオリン協奏曲第1番などのような
ショスタコーヴィッチの曲の中でも重苦しい曲を聴いた後で
「祝典序曲」・ジャズ組曲とかバレエ音楽「ボルト」や、編曲作品ですけど「二人でお茶を」みたいな
軽妙な曲を聴いてしまうと、「本当に交響曲第10番を書いた方と祝典序曲を書いた人は同一人物なのか!?」と
心の底から感じてしまうものです。
人間の心の多様性や人は決して一つの感情だけで動くものではないという事を示唆していると感じられます。

ショスタコーヴィイッチのこうした明るく軽い曲と深刻で悲劇的な曲を書けてしまう「二面性」は
高校の頃には、既に何となく気が付いていました。
この事を吹奏楽部の同期で同じくクラリネットを吹いているメンバーに聞いてみると、
「それは中島みゆきも同じだよね~
あんなジメジメと陰々滅々とした曲を書いてしまう人か、オールナイトニッポンのDJではあんなに弾け飛んでしまうからね」と
いかにも中島みゆきファンらしいコメントを発していたのが、何か今でもとても印象に残っていますし、
意外とショスタコーヴィイッチの本質を突いているのかもしれないですね・・・

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