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プロフィール

ぬくぬく先生 

Author:ぬくぬく先生 
開設当時は、1980年代吹奏楽コンクールの花輪・秋田南・就実・仁賀保・屋代等の素晴らしい演奏を後世に少しでも伝える事が出来ればいいなと思ってこのブログを始めたのですけど、いつのまにか「東方Project」がメインになってしまいました・・・
最近は「艦これ」も大好きです!!
吹奏楽も東方も自分が感じた事を少しでも後世の方に受け継がれるべきものが残せればいいかな・・と思っています。
ちなみに、「大好きプリキュア四天王」は、ドリーム・メロディ・ハッピー・ラブリーです。
ドリームとメロディは自分の中では既に殿堂入り状態ですけど、
現在はラブリー大好き!!のラブリー一辺倒です!!
リアル社会では、建築関係のクレーム&アフター責任者を専従し、毎日毎日クレーム対応に当たる日々です。
裏の顔は東方と吹奏楽とクラシック音楽一辺倒です・・・
特に特に大好きな作品は・・・プリキュア5とスイートとハピネスチャージです!!
ちなみに、奥様は・・・ミルキィローズとセーラームーン好きの管理人以上のおこちゃまです・・・
東方で大好きなキャラは、とにかく大好きキャラがてんこ盛りで、全員大好き!という感じなのですけど、特に、さとり様・ゆかりん(紫様)・早苗さん・こいしちゃん・アリスはお気に入りです!!
吹奏楽では・・ネリベルの「二つの交響的断章」と「アンティフォナーレ」、スパークの「ドラゴンの年」、リードの「オセロ」と第二組曲「ラティーノ・メキシカーナ」、パーシケッティーの「仮面舞踏会」、C・スミスの「ダンス・フォラトゥーラ」などが死ぬほど好きで、クラシック音楽では、ウォルトンの交響曲第1番と矢代秋雄の交響曲、プロコフィエフの交響曲第5番、アーノルドの交響曲第2番、第4番、ショスタコの交響曲第7番「レニングラード」、マーラーの交響曲第3番「夏の朝の夢」、ハンソンの交響曲第2番「ロマンティック」、ストラヴィンスキーの「火の鳥」、ベルクの「ヴァイオリン協奏曲」、ラフマニノフの「交響的舞曲」などが大好きです!!
クラシック音楽を吹奏楽にアレンジし、そのコンクールヴァージョンの演奏としては・・・
1982年の就実高校の「幻想舞曲集」と
1987年の習志野高校の「ダフニスとクロエ」第二組曲の演奏、そして、
1987年の雄新中の「エルザの大聖堂への厳かな行列」が
まさに私の「原点」です。
最後に・・・
私の吹奏楽との関わりの真の意味での「原点」は・・・
1979年の市立川口高校の神がかり名演としか言いようがない
「二つの交響的断章」に尽きると思います!!


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それにしても連日暑いですね~
8月は酷暑、9月は残暑と言う事であと二か月ほどはまだまだ暑い日々が続きそうですけど、
皆様方におかれましては、この暑い日々をなんとか乗り切って頂きたいと思います。

こうした真夏の商店街・住宅街・ビジネス街等においては、クールビズのサラリーマンやOLさんやJKさんたちが
暑そうにされている光景を目にしますけど、真夏の女の子たちの薄着やちょっと涼しげな恰好は、世の男性の皆様たちに
とっては目の保養というのか瞬間的に暑さを忘れさせてくれる清涼感を感じさせてくれていると思います。
21世紀に入って以降の日本ではすっかりクールビズも定着し、昭和の真夏の暑い時期ですら日本の営業担当は
ネクタイを着用したりスーツの上着を着ていた時代はすっかり過去の遺物となりつつありますし、
夏場に男性がネクタイをしなくなったのはすっかり定着していると感じられます。
地球環境や節電のためにエアコンの夏場の室温を高めに設定する事もほぼ定着しているようにも感じられるのですけど、
男性の場合はノーネクタイだけでも随分と楽になっている側面はあると思うのですけど、
女の子の場合は、その点に関してはやや暑いオフィス内.にて、服装で調整をと言われてもどこまで露出していいものかは
悩みどころなのかもしれないですし、他人は自分をどう見ているのかも気になるところなのかもしれないです。

参考までにとあるアンケートによると「職場内の女の子のクールビズにおいてそれはアウトじゃ~ん!」と思われがちな一位が
肩出しであり、約8割がキャミソールとタンクトップはNGで、51%がノースリーブもよろしくないという意見なそうです。
そのNG理由として挙げられていたのが、1位 社会人のマナーで、
2位が「二の腕を出したくないから」、3位に「ワキを出したくないから」といった理由があったそうです。
肩出しやノースリーブは夏場に限ってはビジネスマナー違反というのはちょっと厳しすぎるのかも・・?と私的には
感じてしまいそうですし、そうした格好はむしろ涼しさや爽やかさを演出するのではないのかな・・?と思ったりもします。

ノースリーブには憧れるけどそれを着るには少し抵抗があるという意識のしては、建前では社会人マナーがあるものの
本音としては二の腕やわきを見せる事には抵抗があるという事の方がもしかしたら大きいのかもしれないです。
上記のアンケート結果においては「実は肩出しファッションをしてみたい」と回答したのが49.5%とノースリーブは
ビジネスマナー違反と回答されていた方とかなり拮抗していますし、ほぼ同数と判断しても間違いはなさそうです。
しかし職場内でノースリーブや肩だし衣装を実際に着ているのはというと4人に1人という事で、ここにはどことなく
理想と現実のギャップみたいなものがあるのかもしれないです。
実を言うと上記のアンケートにおいては「わきを出すことやわきを見せることに自信がありますか?」 という問いに対しては
ないまたはまったくない」と答えたのが76.5%にも上っていたとの事です。
ノースリーブの肩出し衣装が着たい・・だけど自信がないので着る事にためらいがあるという事がこのアンケート結果から
読み取れるような感じもありそうですし、同時に「女の子は幾つになっても大変!」という事なのだと思います。

上記の話は世俗に溢れた外界での話なのですけど、それでは常識に囚われてはいけない世界の幻想郷の世界においては
ノースリーブ・肩出し・わき見せ等はどんな感じになっているのでしょうか・・?
幻想郷の妖怪・妖精・天狗・亡霊・鬼などはそれぞれが自由な衣装を楽しんでいるし、それほどファッション自体に
強いこだわりは持っていない感じもありそうです。
ゆかりん=八雲紫様は真夏の暑い盛りでも確かに日傘は差されている事は多いものの、あのような派手で豪華絢爛なドレスを
身に纏って幻想郷内を闊歩されているシーンも多々ありましたけど、ゆかりんクラスの最強妖怪になると暑いとか寒いという
概念すらも超越した感覚になるのかもしれないですね。
幻想郷の人間ポジションというと、魔理沙は常に魔法使いの衣装ですし、そもそも論として肩だしはしそうにもないキャラですし、
咲夜さんはメイドさんと言う事で、肩だし・ノースリーブ衣装はご主人のレミリア様から
「私より刺激的な恰好しちゃだめ~」とNGを食らう事も予想されますし、小鈴・阿求は基本的には和装ですし、
輝夜は間違ってもそんな衣装はしそうもないですね~
それでは幻想郷の巫女さんのお二人はどうなのかというと、一般的に巫女さん装束というと礼装とかかしこまった正装とか
神聖な衣装というイメージがありそうなのですけど、さすが幻想郷は自由そのものですし常識に囚われてはいけない世界
と言うことで、霊夢も早苗さんは基本的には独特な袖形状に肩だしという巫女さん衣装をされているというイメージも
あったりします。
そして特に霊夢は、肩だし巫女またはわき見せ巫女というのは既に定着されているのかもしれないですけど、真夏でも
あの独特の袖は着用されている事は多い印象もあったりします。
アミグリさんもつなビィで指摘されていたように「東方三月精」にて霊夢が肩だし・ノースリーブの衣装をしていた事も
あったりします。

ただ最近の幻想郷は外界の最近の天候異変や極端に暑い夏と寒い冬という異常気象に見舞われている事もありますので、
さすがに無双巫女の霊夢もあの真夏の暑さには「これなんとかならないの~!?」と愚痴っているのかもしれないですし、
「只でさえこの暑苦しい正装の巫女装束の負担をなんとか少しでも軽減できないのかな~!?」と考えているのかも
しれないです。

そうした霊夢のご苦労をなんとかしてあげたい~と思われたすてきな絵師様もいらっしゃいます!

それが「暑いのでノースリーブの霊夢を描きました」と言われていたdream fantasyのすてきな管理人さんのアミグリさんなのでした!

冒頭のとても涼し気で夏らしい巫女装束の霊夢は、dream fantasyのアミグリさんが2019年6月に描かれた「ノースリーブの霊夢」です!

この霊夢に関しては後ほど改めてご紹介をさせて頂きたいと思います。

霊夢というと肩だし&わき見せという印象が強いですけど、最近のアニメキャラでわき見せという印象が大変強いのは
一部で「ヨハ腋」と言われているラブライブ! サンシャイン!!の津島善子であったりもします。

それではどうして善子のわきが注目されるのかその理由として

〇主に中二病ポーズでわきを見せる事が多い

〇善子のステージ衣装はノースリーブ率が高く、わきを見せるような振り付けも多い

〇アニメ版の浦の星女学院夏服が一年生だけノースリーブに変わった

〇袖付きの服(伊豆・三津シーパラダイス制服や体操着など)を着ていても袖自体をまくりあげるシーンも散見され、
 この状態で頭の後ろに腕を組みわき晒すシーンもあったりする

そういった事が挙げられたりもしていました。

そして善子のわき見せ確立の極みとも言える例が、3rdシングル「HAPPY_PARTY_TRAIN」のステージ衣装であり、
トップが半袖か長袖で構成されるのが基本のこの衣装で、ついに善子だけがノースリーブ衣装になっていました~!
その一方ボトムの方はそこそこ丈が長めの半ズボンに黒タイツと最もガードが固く、
「まるで善子の色気はわき見せに集約されている」と言わんばかりの挑戦的なデザインいるといえそうですし、
こうしたわき見せ衣装はずら丸ちゃんやルビィではなくて善子が着るからこそ意義があるといえるのかもしれないです!


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それにしても冒頭のアミグリさんが描かれたノースリーブの霊夢は美少女の極限に達しているほどの美しさがありますし、
この涼しげな雰囲気は夏にふさわしいものがあると思います。

さてさて、実はなのですけど、アミグリさんは冒頭のノースリーブ霊夢を描かれる前に
「そろそろ夏で暑そうなのでノースリーブの早苗さんを描いてみました~♪」と言う事でノースリーブの早苗さんも
描かれています。
このノースリーブの早苗さんは二週間前の当ブログの「釣り目とたれ目」記事においても転載&ご紹介をさせて頂いて
おりますが、今回は「ノースリーブ」という事にスポットを当てたという事でこのノースリーブの巫女装束の早苗さんにも
再度ご登場をして頂きたいと思います。

霊夢と早苗さんはライバルキャラでもありますし商売敵と言う事でもあるのですけど、早苗さんがノースリーブを着用
されていたとすると霊夢にもノースリーブを着せてあげないと
東方の絶対的主人公といえる霊夢がむくれてしまうのかもしれないですね~(汗)

早苗さんの本来の風祝の衣装は長袖装束でもあるのですけど、今現在のこうした真夏の暑い盛りは
ノースリーブ巫女さん衣装の早苗さんはとっても爽やかだと思います。

冒頭のノースリーブ霊夢は肩だし・ノースリーブ・わき見せという事でもあるのですけど、
早苗さんの方はわき見せはされていないと言う事で、少しだけ気品のようなものも感じたりもします。
普段よりは少しだけタレ目に描かれているあたりからは、早苗さんのフレンドリーで親しみやすい雰囲気を
見事に表現されているようにも感じましたし、
ノースリーブ+肩だし+たれ目の早苗さんは温厚さと話しかけやすい雰囲気を霊夢以上に感じたものでした。

アミグリさんが描かれた上記の早苗さんは
フレンドリーで気さくで明るい早苗さんをアミグリさんの感覚としてすてきに表現されたものと言えるのだと思います。
そして改めて2017年3月の早苗さんと比べてみると、改めて「目が人に与える印象度の違い」というものを強く私達に
感じさせてくれているのだと思いました。





上記でちらっと2017年3月の早苗さんの話が出てきましたので、
アミグリさんが2017年の「3月5日は巫女の日」に描かれたれいさなの霊夢と早苗さんのツーショットのイラストも
改めてご紹介をさせて頂きたいと思います。
幻想郷の二人の巫女さんが揃い踏みの貴重な作品だと思います。

上記の霊夢と早苗さんは、ノースリーブ&わき見せではなくて肩出しのお二人なのですけど、
この二人の巫女さんイラストは素晴らしい幻想郷の巫女さんの二人だと思います!
霊夢の髪がキラキラ輝いている様子とか肩だしがとてもお似合いだと思いますしキュートな霊夢だと思います!
いつも描かれる霊夢以上に目の大きさが強調されているようにも感じられますし、
こうしたウインク霊夢も逆に目の大きさとキラキラ感がより強調されていてとてもかわいいと思います!
そして手をきちんと合わせている様子は、やはり「霊夢は巫女さんなんだぁ・・」と改めて感じさせてくれると思います。
早苗さんも霊夢以上に肩だしを強調されているようにも感じられますし、なによりも早苗さんのこのすてきな笑顔には
心から癒されるものがあると思います!
早苗さんの水着痕らしきものにもなんだかドキッ・・とさせられるものがありそうですね~!

チーム紺珠伝としてのお二人もとてもすてきでしたけど、アミグリさんが描かれた二次元イラストの霊夢と早苗さんも
とてもかわいいと思いますし、見れば見るほど幻想郷の二人の巫女さんの違いがよく伝わってきていると思います。
霊夢と「赤」と早苗さんの「緑」の対称性もすてきに表現されていますし、違いだけではなくて、お互いに相手の美点を
引き立てあう効果も見事に発揮されている素晴らしい名作であると思います。

そしてなによりもお二人の肩だしもドキッ・・とさせられるものもあるのですけど、全体的にはとても気品に満ち溢れていて
美しさと上品さが漂っているのが改めて素晴らしいと感じます。


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それでは改めて冒頭のアミグリさんが描かれた「ノースリーブ霊夢」を皆様にお披露目させて頂きたいと思います!

見た瞬間に「なにこれ、とってもかわいい~♪」と感激してしまったほどですし、ノースリーブの早苗さん以上に
存在感を強く感じさせるものがありました。
確かに正式な巫女装束としての神聖な側面や神様と人間を繋ぐ大切な役割を担っている神職としての荘厳さも
感じ取れるのですけど、それ以上にこのノースリーブ霊夢からはお年頃の普通の女の子としてのかわいらしさを
より強く感じ取りますし、このノースリーブ霊夢の美少女振りは最高だと思います。

ノースリーブ早苗さんとの違いとして、へそだしがとっても際立っている事と
わき見せ巫女さんぶりをかなり強調しているようにも感じたものでした。
そしてこの霊夢は酷暑の中のけだるい美少女というファンタジー感も十分感じさせるものがあると思います。
さすがに無双巫女の霊夢も最近のこの暑さには敵わないという感じなのかもしれないですし、
森近霖之助に頼んで「夏用のノースリーブ巫女服を作って~」とせがんだのかもしれないですね。
涼しげですし背景の水滴も夏らしさがさわやかに伝わっていると思います。
アミグリさんによるとこのノースリーブ霊夢は以前展開されていた「夏らしいイラストを描こう」企画に近いものがあるとの
事ですけど、まさに夏らしい雰囲気に溢れた霊夢なのだと思います。
通常アミグリさんが描かれる霊夢は二重フリルのスカートと言う事が多いのですけど、この霊夢は暑そうと言う事で
そうした多重フリルを回避し、1段で軽やかさ重視で描かれたというのもアミグリさんらしいやさしい気遣いといえそうです~♪

普通の感覚ですと、こんな美少女がへそ出しにわき見せにミニスカッぼい巫女さん衣装なんてあぶないじゃん・・と
感じるのかもしれないですけど、
霊夢の場合は無双巫女と言う事で、こんなかわいい霊夢をナンパしようとしたり襲い掛かってくる妖怪や人里の男どもは、
軽くあしらって成敗されるのかもしれないですね~

上記のアミグリさんが描かれた霊夢と早苗さんの作品は、全て上記作品の絵師様であられるアミグリさんに
帰するものであり、当ブログにおける転載とご紹介は事前に全てアミグリさんからご了解を頂いたものであり、
アミグリさんからのご厚意で転載をさせて頂いておりますので、
無断お持ち帰りや無断コピーは絶対NGですので くれぐれも宜しくお願い申し上げます。

アミグリさん、本当にいつもすてきなイラストの転載を快諾して頂きありがとうございます!!

皆様の中で「こんなにもかわいいノースリーブ霊夢を描かれる方のブログってどんなもんなのだろう? 」などと興味がある方は、
是非是非アミグリさんのブログ dream fantasy  を
ご覧になって頂きたいと思いますし、 宜しければ、当ブログだけではなくて、
是非アミグリさんの本家本元のブログ dream fantasy  に一度お越しして頂けると アミグリさんのブログをご紹介させて頂いている私もとってもとっても嬉しいです!

アミグリさんが定期的に作品を投稿され続けている →アミグリさんのpixiv にも是非一度足を運んで頂ければ幸いです!

アミグリさんのpixiv

まだまだ暑い日々が続きますので、あと一ヶ月半程度暑さを耐えて、秋到来までなんとか頑張っていきましょう~!
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ショスタコーヴイッチの交響曲は、何と言っても圧倒的に交響曲第5番が有名ですし、
この交響曲第5番の人気&演奏頻度&録音頻度は突出していると思います。
ショスタコーヴィッチの交響曲で五番(革命)の次に有名で演奏頻度やCD録音が多いのは交響曲第7番「レニングラード」
なのかもしれないです。
交響曲第5番はどちらかというとオーソドックな内容で、解釈によっては苦悩→歓喜という内面的側面を描いた曲とも
言えそうですけど、
交響曲第7番の方は、どちらかというと外面的効果の方が強いような印象もあったりしますし、
分かり易さとか演出効果という観点では、7番の方が際立っているような感じもあったりします。
ちなみにですけど、私自身がショスタコーヴィッチの交響曲で5・7番以外で大好きな交響曲と言うと、
演奏時間が25分と短いのですけど、まるでおもちゃ箱をひっくり返したかのような可愛らしさと楽しさと毒に
溢れている9番とか、ショスタコーヴィッチの当時のソ連を牛耳っていたスターリンに対する恨みつらみを
辛辣に表現したとも言えますし、同時に「人間の死は本来悲しいものなのに、スターリンという人物が死なない限り
ソ連の人民に幸せはやってこない・・」という矛盾を見事に表現した交響曲第10番も素晴らしいものがあると
思っています。
それとショスタコーヴィッチがわずか19歳の時に作曲した交響曲第1番の純音楽として純粋に音楽と音の響きを
作曲者自身が自由に追求した作品も素晴らしいと感じます。

ショスタコーヴィッチが残した15の交響曲の中から一つだけ選びなさいと言われれば、
私が迷うことなく選ぶのは交響曲第7番「レニングラード」なのだと思います。

交響曲第7番「レニングラード」を少し歴史的に見てみると・・・

この交響曲は第二次世界大戦という戦時中の大変緊迫した局面で生み出された曲なのです。

第二次世界大戦中、序盤の段階で優勢に戦局を進めていたヒットラー率いるナチス軍は
ソ連への侵攻をも決定し、序盤はかなりの成果を収め、あとわずかでレニングラード陥落という所まで
ソ連軍を追い詰め、レニングラードというソ連の第二の首都と言うべき街を完全包囲してしまいます。
「レニングラード」は、ドイツにとってもソ連にとっても防衛上・経済上の大事な拠点であり、
ナチス・ドイツにとっては、「このレニングラードを占領できれば、ソ連崩壊は時間の問題」という認識であったと思われますし、
ソ連にとっても「レニングラード攻防戦は、ソ連の生命線」という事で、
両軍の歴史に残る熾烈な激戦が繰り広げられていったのでした。
そして戦闘開始早々にナチスドイツ軍は、レニングラードを包囲し、ソ連軍を追い詰めていったのでした。

ナポレオンのロシア侵攻と同様に、ナチス・ドイツ軍はロシアの冬将軍と言うべき寒気とも戦わなくてはいけなかったのです。
そして、ドイツ本国からの援軍も乏しい中で、結局はナチスドイツ軍の降伏という結果になったのでした。
そしてこのドイツ軍のレニングラード包囲失敗と降伏は、第二次世界大戦全体の転記ともなり、この後はドイツ軍は
坂道を転げ落ちるように敗北を繰り返し、無条件降伏という完全敗北という結果で第二次世界大戦はようやく終焉を
迎える事になります。

当時、ショスタコーヴイッチは、このレニングラードにて音楽院の教授をしており、
激戦のレニングラードにて、そしてナチスドイツ軍によるレニングラード完全包囲の中で、
交響曲第7番「レニングラード」を作曲していたという事になるのです。
ちなみに、それは本当に歴史的事実でして、ショスタコーヴイッチ自身、戦火の際に消防士の格好をして
この第二の首都を防衛している写真も残されています。

交響曲第7番「レニングラード」のある意味異様とも思える高揚感というのは、
作曲者本人が直接、戦争に関わっていたからという事に他ならないと思います。
こういう緊張感の漂う異常な迫力のある音楽というのは、恐らくは戦火の最中で無いと書けないような気もします。
同じようなケースとして、
ハチャトゥーリアン/交響曲第2番「鐘」とかプロコフィエフの交響曲第5番にも言えるのかもしれないです。
こうした曲は「戦争」という一種の極限状態でないと書けないような雰囲気は間違いなくあると思います。

それにしてもこの交響曲第7番「レニングラード」の演奏時間はとてつもなく長いです。

全四楽章構成ですけど、演奏時間は軽く75分を超えます。
第一楽章だけで27分程度を要します。
この交響曲を私自身が生の演奏会で聴いたのは平成に入って以降でして確か1990年の
東京文化会館で開催された都響の定期演奏会だったと思います。
(指揮は井上道義でした)

この交響曲を生で聴いてみると、CDでは分からないような事も色々と分かり大変面白かったです。
実は第二楽章以外の全ての楽章で、バンダ(別働隊)が加わるという事も生の演奏会を聴いて初めてわかりました。
このバンダは、特に第四楽章で効果的に使用されていたと思います。
また、CDで聴く限りでは、この交響曲で使用される「小太鼓」(スネアドラム)は一台だと思っていたら、
なんと3台も使用していたのですね!
原曲のスコア上の指定は小太鼓は2台ですけど、その後何回かこの交響曲の生演奏会を
訊いた感じでは、2人の場合もありましたし、3人の場合もありました。

交響曲第7番「レニングラード」の最大の特徴というか聴きどころは何と言っても第一楽章だと思います。

冒頭は、幾分快活に始まっていくのですけどすぐに悲痛な感じが随所に表れてきます。
何となくイメージとしては、「祖国のために戦ってこよう!」と勇ましく戦場に出かけた兵士が、戦争という実際に
流血と死が向かい合わせの場所と直面し、
「本当にこれでよかったのか・・・、自分の選択は間違っていなかったのか?」などと思い悩むようにも感じられます。
それはベトナム戦争を背景にした映画「プラトーン」の主人公と同じような感覚なのかもしれないです。
曲が開始され、6分が経過した辺りから、突如、小太鼓が一定のリズムを延々と叩き始め、その小太鼓のリズムに乗っかる形で
様々な楽器がメロディーを担当し第一楽章を展開していきます。

第一楽章は、ある意味において、ラヴェルの「ボレロ」を参考にしているようにも感じられます。
小太鼓が終始一定のリズムを叩く中で、オーボエ・ファゴット・フルート・クラリネット等の管楽器のソロを
交えながら徐々に高潮していくスタイルを取っていて、
ボレロをパクったというよりはボレロのコロンブスの卵的なアィディアを新しい感覚で応用したとも言えるのだと思います。
オーボエとファゴットの掛け合いの部分が私的には大変気に入っています。
ボレロの場合、優雅に静かにゆったりと徐々に徐々に盛り上がっていくのですけど、
レニングラードの場合、かなり早い段階から金管セクションが咆哮し、小太鼓もいつの間にか2台目、3台目と加わっていき、
テンポもどんどんヒートアップしていき、最後は破綻するかのように全音で爆発していき、ボレロの部分は終焉を迎えます。
ラストは、小太鼓のボレロのような繰り返しのリズムが弱奏で刻まれる中、
ミュートを付けたトランペットの幾分寂しそうな感じというのか、
「まだまだ戦争は続いている」といった暗示のような感じで静かに閉じられるというのが
ショスタコーヴィッチとしてのリアルティー表現と言えるのかもしれないですね。
ラヴェルのボレロは、最後の最後で、それまで保っていた形式美を崩壊させるといったラヴェルの悪趣味を感じさせてくれます。
ショスタコーヴィッチの場合はそうした悪趣味というよりは、戦時中でないと書けないみたいなリアルティーの方が強いと
感じられます。

小太鼓がある一定のリズムを刻み、これに管楽器・弦楽器が絡んでいき盛り上がっていくというボレロの手法を用いた曲として、
交響曲第7番「レニングラード」~第一楽章以外の楽曲にも吹奏楽オリジナル作品や管弦楽曲でも珠に見られる事もあります。
少しばかり一例を挙げてみると・・

〇橋本國彦/交響曲第1番第二楽章

〇アーノルド/組曲「第六の幸福をもたらす宿」~Ⅲ.ハッピーエンディング

〇兼田敏/ シンフォニックバンドのための交響的音頭

〇ヨハン・デ・メイ / 交響曲第1番「指輪物語」~Ⅴ.ホビットたち

などか挙げられるのかもしれないです。

この交響曲は第一楽章だけで既にお腹一杯・・という感じもあったりします。

第二楽章と第三楽章は、比較的静かな感じの音楽です。
第二楽章のもの哀しいオーボエのソロが印象的なのですけど、
唐突に小太鼓やら金管セクションが乱入し、突如曲は激しく高揚します。
瞬間的に「平和」が来たけどまだまだ戦火は続いているといった現実の空気の重さを反映しているようにも聴こえます。
第三楽章は、とにかく清らかで美しいと思います。
「この美しい国土を穢す事は許されない」といった悲壮感も漲っていると思います。
そして第三楽章から休みを挟むことなく第四楽章に繋がっていき、
最後は、高らかに讃歌が歌い上げられていき感動的に曲は閉じられていきます。

だけど、この交響曲は、決して勝利を祝う曲ではないなと感じます。

勿論、ドイツ軍によるレニングラード包囲網を撃破したという事実はあるにせよ、
戦争はまだまだ続いているという感じが漂いますし、第一楽章もそうなのですけど、第四楽章を聴いてしまうと、
何となくですけど、「助けて! 、この閉塞的な状況から自分達を開放して!!」といったようなSOSのサインというのか
内面の叫びのようなものを感じ取ってしまいます。

「ショスタコーヴイッチの証言」と言う口述形式の自伝を読んでみると、
「このレニングラード交響曲とは、スターリンが破壊し、ヒットラーがとどめの一撃を加えたレニングラードの悲劇」と
言っていますけど、それとはまた違うような感じがあったりもします。
(あの「証言」という本自体、偽作・創作という評価しいまだに拭い去られていません)

どうして人間と言うものは、いつまでたってもこんな愚かな行為を繰り返しているのだ・・
少しは過去の歴史から学習しなさいといった教訓的メッセージも感じとりますし、
確かにこの戦争には勝利を収めたものの、それがいったいどうしたというのだ・・この戦争で失ったものはあまりにも大きい・・
そうした心の空虚感をどうすればよいのだ・・という内面の叫びというのか、
当時のソ連の国民の心の本音を交響曲に託したと言えるのかもしれないです。
スターリン時代のソ連には「戦争に勝つには勝ったけど、その代償はあまりにも大きいし心に埋める事が出来ない喪失感を
もたらしてしまった・・」という国民の本音は口する事が出来なかったし、それをうっかりポロッ・・といった事が
密告によってばれてしまうと強制収容所送りになってしまう危険性もあったとは思うのですけど、
そうしたソ連全体に流れていた閉塞感を、交響曲第7番「レニングラード」はまだ戦時中の作品なのですけど、
もしかしたらそうした戦後の閉塞感を既に予感してショスタコーヴィッチは作曲の筆を勧めていたのかもしれないです。
第一楽章のボレロの部分の迫力と第四楽章の圧倒的讃歌による大音響とか外面的効果を追求した作品という評価が
言われがちでもあるのですけど、実際はむしろ内省的な交響曲と言った方が宜しいのかもしれないです。

この交響曲第7番「レニングラード」を通してショスタコーヴィッチが後世に伝えたかったこととしては、
「侵略してきたヒットラーも悪いのだけど、スターリンだって、レニングラード攻防戦等全体の指導力とカリスマ的采配は
一定の評価をすべきなのかもしけないけど、この戦争開始以前にスターリンがソ連国内で行ってきた粛清の
悲惨さはあまりにも凄惨過ぎて言葉すらも出てこない。
戦争が起こった事で、スターリンの怒りの矛先がヒットラー=ドイツ軍に向けられ、国内の粛清は
収縮の傾向があり、その意味においては皮肉の話だが、戦争がソ連国内においてはある意味救いみたいな
側面もあったのかもしれない。
その意味において、ヒットラーも犯罪者だがスターリンだって決して英雄ではないし、むしろヒットラーと大して変わりが
ない犯罪者なのだ!」という事を言いたかったのかもしれないです。

音楽之友社から出版されている「名曲解説全集」において、このレニングラードの解説を担当されていた戸田邦雄氏は、
「外面的音楽効果に頼り切っていて大音響の表面的効果にばかり依存している」みたいな事を
書かれていたと思うのですけど、
私としては「それは違うでしょ・・」と感じざるを得ないです。
この交響曲は、決して大音響・ボレロ形式の借用・バンダといった表面的効果だけを意図した曲ではないと思います。
上記でグタグタと書いた通り、
内省的な側面とか作曲者の意図・裏読みが窺えしれる曲であり、決して単純明快でわかりやすい祝典的な
戦勝気分の曲では無いという事なのだと思います。

この曲をCDで聴く場合、
前述のSOSサインみたいな感覚を求めたいのならば、ゲルギエフ指揮が合っていると思いますし、
勧善懲悪の如く「ヒットラー軍を撃破した!」みたいな感覚を求めたいのならば
バーンスタイン指揮やネーメ・ヤルヴィ指揮をお勧めしたいと思います。

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