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プロフィール

ぬくぬく先生 

Author:ぬくぬく先生 
開設当時は、1980年代吹奏楽コンクールの花輪・秋田南・就実・仁賀保・屋代等の素晴らしい演奏を後世に少しでも伝える事が出来ればいいなと思ってこのブログを始めたのですけど、いつのまにか「東方Project」がメインになってしまいました・・・
最近は「艦これ」も大好きです!!
吹奏楽も東方も自分が感じた事を少しでも後世の方に受け継がれるべきものが残せればいいかな・・と思っています。
ちなみに、「大好きプリキュア四天王」は、ドリーム・メロディ・ハッピー・ラブリーです。
ドリームとメロディは自分の中では既に殿堂入り状態ですけど、
現在はラブリー大好き!!のラブリー一辺倒です!!
リアル社会では、建築関係のクレーム&アフター責任者を専従し、毎日毎日クレーム対応に当たる日々です。
裏の顔は東方と吹奏楽とクラシック音楽一辺倒です・・・
特に特に大好きな作品は・・・プリキュア5とスイートとハピネスチャージです!!
ちなみに、奥様は・・・ミルキィローズとセーラームーン好きの管理人以上のおこちゃまです・・・
東方で大好きなキャラは、とにかく大好きキャラがてんこ盛りで、全員大好き!という感じなのですけど、特に、さとり様・ゆかりん(紫様)・早苗さん・こいしちゃん・アリスはお気に入りです!!
吹奏楽では・・ネリベルの「二つの交響的断章」と「アンティフォナーレ」、スパークの「ドラゴンの年」、リードの「オセロ」と第二組曲「ラティーノ・メキシカーナ」、パーシケッティーの「仮面舞踏会」、C・スミスの「ダンス・フォラトゥーラ」などが死ぬほど好きで、クラシック音楽では、ウォルトンの交響曲第1番と矢代秋雄の交響曲、プロコフィエフの交響曲第5番、アーノルドの交響曲第2番、第4番、ショスタコの交響曲第7番「レニングラード」、マーラーの交響曲第3番「夏の朝の夢」、ハンソンの交響曲第2番「ロマンティック」、ストラヴィンスキーの「火の鳥」、ベルクの「ヴァイオリン協奏曲」、ラフマニノフの「交響的舞曲」などが大好きです!!
クラシック音楽を吹奏楽にアレンジし、そのコンクールヴァージョンの演奏としては・・・
1982年の就実高校の「幻想舞曲集」と
1987年の習志野高校の「ダフニスとクロエ」第二組曲の演奏、そして、
1987年の雄新中の「エルザの大聖堂への厳かな行列」が
まさに私の「原点」です。
最後に・・・
私の吹奏楽との関わりの真の意味での「原点」は・・・
1979年の市立川口高校の神がかり名演としか言いようがない
「二つの交響的断章」に尽きると思います!!


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縞ニーソ・縞ニーハイとは、縞模様の長めのハイソックスの事であるのですけど、リアルでは最近は
黒ニーソ・白ニーソの若い女の子たちやJKさんも増えているように感じられるものの、縞ニーソ・縞ニーハイを
街中でお見かけする事は極めて少ないと言えるのかもしれないです。
縞ニーソは、横に縞模様が付いている事がほとんどで、縞の配色は白黒、白+有彩色、同系色、反対色と様々だと
思います。
とにかくあのカラフルなシマシマ模様は目に映えますよね~!
前述の通り、かなり人目を惹くためかリアルで着用している人を街中でお見かけする事は滅多になく、
希にコスプレイベント等でゴスロリの服装に黒×白、黒×紫、黒×赤などを合わせている皆様をお見かけする程度
なのかもしれないです。
二次元においても縞ニーソはまだまだ珍しい・・という属性といえそうですし、アニメやゲームでも縞ニーソを著用している
キャラはまだまだ少ないという事なのかもしれないです。
ただ少ないだけに縞ニーソ着用のキャラは大変貴重なものがあると思いますし、たまにお見かけするとやはりあの華やかで
人目を引く雰囲気には大変な見映えを感じます。

それでは具体的にアニメ作品・ゲーム作品において縞ニーソキャラを少し挙げさせて頂きますと・・

D.C.Ⅱ / 天枷美夏

ゆらぎ荘の幽奈さん / 雨野雲雀

ストライクウィッチーズ / リネット・ビショップ、パトリシア・シェイド、ウィルマ・ビショップ

リトルバスターズ! / 三枝葉留佳

艦隊これくしょん~艦これ~ / 島風

ロザリオとバンパイア / 白雪みぞれ

夢喰いメリー / メリー・ナイトメア

そういったキャラが思い浮かびます。

さてさて、本記事においてはフィギュア作品での縞ニーソ着用のキャラのレビューをほんの少しだけさせて頂き、
dream fantasy のアミグリさんが描かれた
縞ニーソキャラの中から何人か改めて転載&ご紹介をさせて頂きたいと思います。


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上記は2016年11月にグッドスマイルカンパニーから発売された「合金島風」です。

艦これの島風が合金を使用したアクションフィギュアとなって登場したのが上記のフィギュアで、
専用設計の可動部分は可動範囲を広く取り、アクションフィギュアとして「動かして楽しい」部分を追求しつつ、
プロポーションの美しさも両立したという作品として仕上げられています。
3体の連装砲ちゃんがそれぞれ展開し、頭部、腕部、脚部、背中の追加装甲とハンマーになるギミックを搭載している他に、
要所部位に合金を使用し、通常のアクションフィギュアとは違う質感が楽しめるというフィギュアになっています。

そうした島風のかっこいいとかわいらしさを追求した中でも島風のあの独特な縞ニーソも健在で、かわいらしさと異彩を
存分に発揮していると思います。


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上記のフィギュアは、「夢喰いメリー」よりメリー・ナイトメアです。

「夢食いメリー」はファンタジー系作品で、まんがタイムきららフォワードにて10年以上も長期連載がされていて、
今現在も連載が続いていますし、数年前にアニメ化も実現されています。

「夢喰いメリー」のヒロインのメリー・ナイトメアは、耳が尖っていて普段は髪と帽子で隠している事と
両目の下に逆三角形の模様がある事もそうですけど、
黒いアンダーウェアと白いスカートのへそ出しルックが最大の特徴的でもあり、その上からコートを身につけてもいます。
白のスカートの下には横縞のニーソックスを履いているのも大きな特徴です。

上記のメリーのフィギュアは2012年2月にアルターより1/8スケールのPVC塗装済み完成品フィギュアとして
制作・販売がされています。

空中を舞うような仕上がりや上目づかいにこちらを見る目はメリーらしい勝気な印象たっぷりに仕上がっていますし、
トレードマークである帽子や衣装も細部までこだわり抜かれていますし、縞ニーソの独特の異彩も十分すぎるほど
発揮されていると思います。


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続きまして、上記のフィギュアは「ハヤテのごとき!」よりメインヒロインの一人の三千院ナギです。

フィギュア自体は少し小さめですが、ナギ自身アニメの中ではそんなに大きな身体ではない事もあり違和感も特になく
見た目もとてもちびっこかわいいです!
そしてこのツインテールがふわりと舞っている雰囲気がナギらしいと思います。

ツインテの躍動感やピースサインのポージングや、子供っぽいというか換言するといかにもこのこのロリロリ~っとした
細くて華奢な足がナギのかわいらしさにうまく繋がっていると思いますし、
そうした華奢な足に縞ニーソが覆われていると、ロリロリ感が更にマシマシになると思います。





ここから先は既に恒例になっているのかもしれないのですけど、
dream fantasy のアミグリさんのすてきなイラストの
ご紹介コーナーです。
本記事においては縞ニーソ・縞ニーハイの美少女たちについて触れさせて頂きましたので、今回ご紹介させて頂く作品も
ジャンルは違えどアミグリさんが描かれたニーソ娘たちに的を絞ってレビューさせて頂きたいと思います。


上記のイラストはアミグリさんが2018年1月に描かれたアズールレーンのロイヤル陣営からのエレバスです。
エレバスの元ネタはイギリス海軍所属エレバス級モニター艦一番艦エレバスでして、更にここに
ヘクラ級臼砲艦エレバスの要素を加味して擬人化したキャラクターと言えると思います。
一番艦という事でエレバスにはテラーという妹がいたりもします。
分類としては砲艦に該当し、スキル発動時の決め台詞の「いっぺん、死んでみる?」 はエレバスを象徴する言葉なのかも
しれないです!
エレバスは死神っぽい雰囲気も多々あり、ちなみにエレバスという名前の由来は暗黒の神でもありますので、
全体的にはダークで悪魔っぽい雰囲気もあるのかと思います。

アミグリさんが描かれるエレバスは死神というよりも神秘的で神職みたいな雰囲気を醸し出されているように
感じられます。
ロイヤル所属ということでイギリス淑女みたいな雰囲気もうまく表現されていると思います。
そして艦装は黒と白を基調としていてどことなく生と死または天使と悪魔みたいなイメージもあるのですけど、
アミグリさんが描かれるエレバスはそうした天使・悪魔というよりはゴスロリっぽい現代的なかわいらしさをイメージされていて、
とてもかわいいしどことなく霊感を宿している少女みたいな雰囲気があると感じました。

この長い銀髪もすてきですし赤い目も魅力的ですね!
そして猫耳っぽいフードは獣耳っぽいものも感じさせてくれていると思います。
そしてこの縞ニーハイも一際異彩を放っていると感じられますし、エレバスの縞ニーハイは白黒という事もあり、
ゴスロリと神秘的要素の両方を伝えていると思えます。
そして同時に黒いマントも神秘的な雰囲気を醸し出しているようにも感じられます。


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上記でアズールレーンが登場してきましたので、ここは日本の艦これも負けていられないです。
そんな訳で続きましてアミグリさんが2015年7月に描かれた島風です!

島風(ファンの間では「ぜかまし」という愛称でお馴染みですね・・!)は艦これでも屈指の個性的なキャラだとも
思いますし、あの自由奔放なキャラは珍しい・・とすら感じてしまいます!
艦娘の中でも群を抜いた突拍子もない自由自在変幻自在の魅力的なキャラだとも思えます。

艦娘の公式としてのアンソロジー漫画の中でも、やはりあの自由奔放さと型破りなキャラ、あの個性の塊は、
個性豊かな艦娘の中でも異彩を放っていると思います。

大きなうさ耳リボン・縞ニーソ・超ミニスカート・ミニスカから出る黒の見せ下着などなど、その「あざとさ」は艦これ娘随一
なのかもしれないですね!

アミグリさんが描かれる島風は、そうしたちょっと危険な(?)自由奔放さとかあざとさをむしろ抑え気味にして、
アイスキャンディを楽しんでいるようにちょっとあどけなくておおらかな雰囲気の方を醸し出させている点は
相変わらずバランス感覚が優れているなぁ・・と感じさせるものがあると思います。

へそ出しもとっても可愛いと思います。

やっぱりあの大きなリボンは島風の特徴でもあるのですけど、アミグリさんもきっちりとその辺りを強調して描かれて
いるのですけど、一部の絵師様に見られるような過度なデフォルメや過度のエロさも控えめにされていて、
「可愛らしさ」をより少女らしく繊細な感じに仕上げられているのは「やっぱりアミグリさんらしい作品だよなぁ・・」と
感じさせてくれていると思います。


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続きまして上記の「ベルゼブブ嬢のお気に召すまま。」の登場キャラからベルフェゴールちゃんです!

全体の雰囲気を統一する青を基調とする衣装の色彩やピンク色の髪も髪のリボンも縞模様のニーハイも
とってもとってもかわいく描かれていて、ベルゼブブ嬢とは別の意味で癒しかわいい~と感じますね!
(ベルゼブブ嬢との違いはやはりあのダイナミックボディーなのかもしれないですね・・汗・・)
背景に色を付けず花びらとケセランパセランをバックにされている事で、ベルフェゴールちゃんのかわいらしさを
一段と引き立たせているように感じられます。
縞ニーハイとスカートからほんの少しだけちらっと見えている絶対領域も絶妙のかわいらしさを醸し出されていると思います。
そう言えばアミグリさんが描かれた縞ニーハイキャラというとアズールレーンのエレバスもいましたけど、
ベルフェゴールちゃんもエレバスもとっても魅力的に描かれていると思います!

ベルフェゴールちゃんもベルゼブブ嬢同様に少女悪魔という設定なのですけど、
恥ずかしがり屋さんであがり症というのもベルゼブブ嬢以上の萌えギャップを感じさせる設定もすてきですし、
アミグリさんの描かれたベルフェゴールちゃんからも
少女の奥ゆかしさとかもじもじした感じがとても爽やかに表現されていると思います。
(もじもじというと過度に緊張するとおトイレが近くなってしまうというのはナイショですよね・・汗・・)


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続きまして東方キャラから、アミグリさんが2015年11月に描かれた「クラウンピース」です。

クラウンピースはヘカーティア様の部下で、その正体は地獄の妖精です。
純狐の力によってパワーアップを果たした訳なのですけど、
クラウンピース自体は妖精ではあるのですが、単なる妖精ではなくて、
月の民が嫌う「生命の象徴=穢れ」を有した妖精でもあります。
東方紺珠伝以降は、ヘカーティア様の指示で地獄を離れ、博麗神社の下の地下空間に居を構えているのですけど、
博麗神社というと、必然的に光の三妖精とタッグを組む流れになるのは必然性があり、現在連載中の「東方三月精」は、
実質的にいつもの三妖精にクラウンピースを加えた4人がヒロインという事になっていると思います。

アミグリさんが描かれるクラウンピースは、一般的なクラウンピースのイメージである。
アメリカン・星条旗・狂ったピエロといった気が狂った・狂気・大はしゃぎ・欧米かぶれといった感じではなくて、
アミグリさんのイラストからはどちらかというとかわいい妖精ちゃんといったイメージをより強く感じさせてくれていると思えます。
狂気よりもむしろ、可愛らしさとか 長い金髪とか星条旗を彷彿とさせるこの衣装等の 「チャーミングさ」の方が
より強く感じられ とってもかわいい~と感じさせてくれていると思います。
そしてクラウンピースが履いているタイツというのか超ロングソックスは、縞ニーソの概念すらも超越した独特のデザインも
とてつもなく斬新だと思います。
(右側が星、左側がストライプという設定になっています)


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続きましてアミグリさんが2018年2月に描かれたプリパラの南みれぃです!

南みれぃについて簡単に概略を説明いたしますと、
みれぃはパプリカ学園中学部に在籍し、大変な頭脳明晰&聡明さを誇っていますし、
学園の風紀委員長を務め、そして2年生に進級後は生徒会長も兼任するようになった才色兼備の持ち主とも言えます。
生徒会長としてのみれぃはポニーテールの髪型で真面目で近寄り難い雰囲気を醸し出しています。
しかしプリパラでは本来の性格とは真逆のポップではじけたアイドルに変身し、
声色も変わり、一人称も普段の「私」から「みれぃ」に変り、語尾に「ぷり」を付けるいわゆるぶりっ子キャラと化してしまう
あの変幻自在はすばらしいものがあると思います!
そふぃの梅干しが切れた際のあの干物女とプリパラとしてのそふぃのギャップも壮絶なものがありましたけど、
ソラミスマイルの中で一番変化が激しいのはやはり誰が何と言ってもみれぃと言えるのかもしれないですね~!

それにしてもアミグリさんが描かれたみれぃはとてもかわいいと思いますし、らぁらとそふぃ以上に
「アイドルの鑑」みたいな雰囲気も十分に醸し出されていると思います。
このアイドルそのもののフリフリ&キラキラ衣装はまさにみれぃそのものだと思います!
現実世界のみれぃのポニーテールの堅そうな雰囲気との違いも見事に表現されていて、やはりこの弾けっぷりが最高ですね!

みれぃの外見の特徴の一つとして髪型の「猫耳風お団子」があると思うのですけど、
アミグリさんが描かれたみれぃのお団子もとってもかわいいです!
角隠しみたいな雰囲気というよりは、むしろけものフレンズを彷彿とさせるかわいらしさとしての雰囲気が全然勝っていると
思いますし、「あのお団子をちょいとばらっとほどいてイタズラしてみたい・・」と感じさせるほどのぴっちぴちのかわいらしさが
ここには詰まっていると思います。

衣装のカラフルさもすてきですし、れみぃのこの屈託のない笑顔もまさにアイドルそのものだと思います!
カラフルなニーソも赤青と異なる髪のリボンもとてもかわいいと思います!
そして特筆すべきはスカートの多重構造のこのフリルの描き方の見事さだと思います!
このスカートのフリルのひらひら感とフリフリ感は素晴らしいですね~!
何度見ても決して飽きる事の無いみれぃだと思います!

そしてこのみれぃは本日ご紹介させて頂きました縞ニーソ娘の中でも特に抜きん出て縞ニーソの華やかさ・きらびやかさを
私たちに示していると言えるのだと思います!

上記のアミグリさんが描かれたエレバスやみれぃなどの権利は、みれぃ等の絵師様であるアミグリさんに帰するものであり
当ブログにおける転載とご紹介は事前に全てアミグリさんからご了解を頂いたものであり、
アミグリさんからのご厚意で転載をさせて頂いておりますので、
無断お持ち帰りや無断コピーは絶対NGですので くれぐれも宜しくお願い申し上げます。

アミグリさん、本当にいつもすてきなイラストの転載を快諾して頂きありがとうございます!!

皆様の中で「こんなにかわいいみれぃや神秘的なエレバスを描く人のブログってどんなもんなのだろう? 」などと興味がある方は
是非是非アミグリさんのブログ dream fantasy  を
ご覧になって頂きたいと思いますし、 宜しければ、当ブログだけではなくて、
是非アミグリさんの本家本元のブログ dream fantasy  に一度お越しして頂けると アミグリさんのブログをご紹介させて頂いている私もとってもとっても嬉しいです!

アミグリさんが定期的に作品を投稿され続けている →アミグリさんのpixiv にも是非一度足を運んで頂ければ幸いです!

アミグリさんのpixiv

それでは本記事を最後までご覧頂きありがとうございました!
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チャイコフスキーの交響曲は、マンフレッド交響曲を含めると計7曲あるのですけど、
1番~3番とマンフレッドは人気の上でも実演回数の上でも今一つなのかもしれないです。
(私自身は交響曲第1番「冬の日の幻想」はとても好きな曲です)
最後の交響曲第6番「悲愴」の人気がずば抜けて高く、次に人気なのが5番、そして4番という人気順なのかもしれないです。
実際、チャイコフスキーの交響曲は、生演奏会では6番と5番の演奏頻度はずば抜けて多く、
古今東西の人気ランキング・CD発売枚数・演奏会での演奏頻度は6番「悲愴」が頭一つ抜けているというイメージがあります。

私自身はチャイコフスキーの交響曲はいっちば~ん!大好きな曲は交響曲第5番です!

個人的な感覚なのですけど、チャイコフスキーの音楽は何となく「死」を漂わせる何かがあるような気もします。
それを最後の最後で究極の名曲にまで昇華させたのが交響曲第6番「悲愴」なのだと思います。
チャイコフスキーの音楽からは、「愛する二人は現世ではその愛を育むことが出来ないし、その愛を具現化させるためには
あの世へと旅立つしかない」とか
「この世では結局理想を語る事も実現化させる事は何もできない、理想を具現化出来るのは幻想の世界と死後の世界だけ」
といった「死のエコー」を感じさせるのものがあるのかもしれないです。
それを強烈に感じさせる部分は、バレエ音楽「白鳥の湖」~終曲であるとかピアノ協奏曲第一番第一楽章であったりとか
交響曲第5番第二楽章、そしていっちば~ん!に具現化させたのが交響曲第6番「悲愴」~第四楽章と
言えるのかもしれないですね。

チャイコフスキーの交響曲第5番は、音楽史的に大事なキーワードは循環主題なのかもしれないです。

第一楽章冒頭でいきなりクラリネットがこの交響曲の基本テーマとも言うべき主題を陰鬱に奏しますけど、
この基本テーマは、その後第二楽章でも表れ第四楽章でも冒頭やラストのコーダの大団円部分でも再現されています。
一つのテーマが曲全体を循環するように貫き、全楽章を統一する要素になっているから循環主題とも言われています。
この循環主題が顕著に表れている曲の代表例は、フランクの交響曲だと思いますし、邦人作品としては
矢代秋雄の交響曲なのだと思います。
チャイコフスキーの交響曲第5番の一つの聴きどころは第二楽章のホルンの長大なソロと言えそうです。
あの美しさと陶酔感とはかなさは、チャイコフスキーが残したメロディーの中でも
特に群を抜いた素晴らしい部分だと思います。
第二楽章では木管楽器も全般的に素晴らしい働きぶりを見せているのですけど
特にオーボエの美しさは絶品だと感じます。
ホルンとオーボエの掛け合いの部分は何度聴いても背中がゾクゾクとします!
美しくはかない第二楽章も、結構唐突に金管楽器の咆哮の中に打ち消されてしまう部分もあったりします。
(あれは結局は「人の美しく楽しい想いでは長続きしないという事を示唆しているのかもしれないです)
第三楽章は、第一楽章と第二楽章の暗い感じをうちはらうかのようなすがすがしいワルツが唐突に開始されます。
最初にチャイコの5番を聴いた時、この第三楽章の唐突なワルツに随分と戸惑ったものですけど
あの部分は「人生には深刻さと甘さが同居している」みたいな事を多少は意図しているのかもしれないです。
第二楽章までの陰鬱な雰囲気は第三楽章によって霧が晴れるように打ち消され
そしていよいよ第四楽章の行進曲的な大団円へと流れ込んでいきます!
第四楽章は一旦終わるような感じになるのですけど、
瞬間的な間があって次の瞬間にコーダの部分で力強く華麗で生きる喜びに溢れた大団円的行進曲が開始され、
第一楽章冒頭の陰鬱なテーマを終楽章では力強く明るく華麗に再現させていきます。

この交響曲第5番いっちば~ん!の聴きどころはどこにあるのかな・・?

やっぱり第一~第二楽章と第三~第四楽章の対比なのかもしれないです。
循環主題と言う事で同一の基本主題を扱いながらも片方は陰鬱に、そしてもう片方は明るく華麗に力強くという風に
使い分けている事がとても面白いと思います。
それは「幸せと不幸は縄目のごとく交互に訪れる」とか「幸せと不幸は二つで一つ」とか
「人生、悪い事ばかりではないし、いい事もたまには起きる」といった事を
メッセージとして伝えたかったかのようにも私には聴こえたりもします。

それにしても第四楽章は大団円ですね!
曲全体をとてつもない幸福感が貫いていると思いますし、この楽章だけを聴くと生きる活力や明るい希望を感じます!

この曲は、CDよりも生の演奏会で聴いた方が理解が早いような気もします。
私が過去に聴いた実演の中で大変印象に残っている演奏というと、佐渡裕指揮/新星日本交響楽団と
小林研一郎/日本フィルの演奏だと思います。
特に1996年の佐渡さんの演奏はまさに「神がかり」の感動的な演奏だったと思います。
CDで聴く場合お勧めの盤は二つほどあります。
一つは、バーンスタインのニューヨークフィル
(このCDはカップリングの幻想序曲「ロメオとジュリエット」も素晴らしい出来だと思います!)
もう一つが1990年のサントリーホールでのライヴ演奏を収録したスヴェトラーノフ指揮/ソ連国立交響楽団です。
スヴェトラーノフの演奏では、特にオーボエの音色はまさに奇跡的としか言いようがない素晴らしい音色ですし
ライブ感満載の「生命力とスピード感の切れ」は最高ですね!!
ちなみにですけど、スヴェトラーノフ指揮/ソ連国立交響楽団の演奏は終始ずっとなにかぶ~んという異音が収録されて
いますけど、この音は指揮台の前に設置された扇風機の音との事です。

ここから下記は吹奏楽の話になります。

今現在ではほとんど演奏されないのですけど、1970年代においては全日本吹奏楽コンクールの全国大会においても
チャイコフスキーの交響曲第5番~第四楽章は吹奏楽にアレンジされて演奏されたことが何度かありました。
山王中学校・横手吹奏楽団・秋田南高校と秋田県に集中しているのも興味がもてそうな話でもありますね。
(1975年の秋田南高校の演奏は、山王中の木内先生のアレンジによるものだったとは実は最近知りました・・)

秋田南高校の1975年の二度目の全国大会出場において、課題曲C/吹奏楽のための練習曲と
自由曲はそのチャイコフスキーの交響曲第5番~第四楽章を演奏していたのですけど、
結果的に「銅賞」という事になっていますが、私的にはこの「銅賞」は全然納得いかないですね!!
課題曲は正攻法の演奏で実にスタンダードな名演を聴かせてくれ
自由曲も翌年の「ペトルーシュカ」を彷彿させるような屈折した明るさ+生きる生命感+躍動感に満ち溢れていると思います。
特にコーダ以降の展開は大団円に相応しい終わらせ方だと思いますし、
聴いていて本当に「生きるチカラ・生きる歓び」に溢れていると感じます。
「よーーし、今は大変だけどもう少し頑張ってみよう!!」みたいな勇気みたいなものも貰えるような感じすらあります。
1975年の全国大会・高校の部は19チーム中10団体が銅賞という1976年に匹敵する激辛審査だったのですけど
「いくらなんでもこの演奏が銅賞はないでしょ・・」と文句を言ってやりたい気持ちはいまだにあったりもします。

チャイコフスキーの交響曲第5番のアレンジャーは当時の山王中の大御所の木内先生ですけど、
そのアレンジはかなり面白いもはあると思います。
例えば、コーダの部分に原曲には存在しない「小太鼓」を終始ロールとして入れたり
原曲には配置されていない大太鼓・シンバルを結構派手に鳴らしたりとか
中間部でグロッケンを装飾音符的に流暢に響かせてくれていたりと色々やらかしてはくれているのですけど、
それはそれで面白いアレンジ&解釈という事にここでは留めておきたいと思います。
ちなみにですけど、1977年に同じくチャイコフスキー/交響曲第5番~第四楽章で全国大会に出場した阪急百貨店は
原曲に近いアレンジと言えると思います。
(原曲の打楽器はティンパニのみですけど、秋田南は小太鼓・大太鼓・シンバル・グロッケンを追加したアレンジであるのに
対して阪急百貨店は曲のラスト近くでシンバルを一回だけ鳴らすという事に留めています)
余談ですけど、77年のBJの講評で
「今回の阪急百貨店の演奏の不調は、阪急ブレーブスが日本シリーズに進み、その応援等で多忙を極め
思うように練習が出来なかったことが原因である」と
当事者でもない人が勝手に主観で決めつけていたのも何か面白かったです・・(汗)

ベルリオーズ前後の管弦楽曲・交響曲ですと、打楽器はティンパニのみしか使用しない事例が多いですので
そうした曲を吹奏楽用にアレンジする際
「打楽器セクションを練習中にヒマ死にさせる訳にもいかないし、演奏効果は確かにあるし・・」という事で
原曲のスコアには無い、小太鼓・大太鼓・グロッケン等を登場させる事も多々ありますけど
1975年の秋田南はそうした演奏効果を意図したのかもしれないです。
結果的にそうした打楽器の使用による効果以外の金管セクションの輝かしい躍動感によって
生命力溢れる演奏が実現できたと思います。
これは私の感じ方かもしれないのですけど、例えばドヴォルザークならば、
豊島十中の交響曲第9番「新世界から」でいうと、シロフォン・シンバル・太太鼓などを入れてきましたけど
正直違和感を感じます。
だけど石田中・阪急などの交響曲第8番を聴くと
原曲には入っていないシンバル・大太鼓・小太鼓が意外と曲に合っているような感じもあり
私はあの演奏結構大好きだったりもします。

1975年の秋田南高校の演奏は、ストラヴィンスキーと邦人作品路線が見事に花開き全国大会5年連続金賞に輝いた
1976~80年の演奏の一年前の演奏ということになるのですけど、
あのチャイコフスキーの生きる力に溢れた躍動的な明るさは換言すると「屈折した明るさ」ということになると思いますし、
そうした屈折した明るさは1976年のペトルーシュカの演奏を先駆けるものであり、
秋田南高校吹奏楽部は1976年に突然の飛躍的な覚醒を果たした訳ではなくて、その飛躍は既に前年度から示唆されていた
ということになるのだと思います。
秋田南の全国大会初出場は1974年の交響組曲「シェエラザート」~Ⅱ.カレンダー王子の物語なのですけど、
この時はどちらかというと特に個性も秋田南らしい点もまだ少なく感じられ、演奏としては無難という感じにまとまっているのは
少し意外でもありました。
秋田南は確か1973年の東北大会だったと思いますが、自由曲にショスタコーヴィッチの交響曲第5番「革命」から
吹奏楽コンクールでおなじみの定番レパートリーになっている終楽章ではなくて第一楽章を選んでいるのも実に
高橋紘一先生らしい話だと思いますし、16分程度のあの第一楽章のどの部分をカットし、どの部分を演奏したかというのは
この演奏の音源が全くない事もあり大変興味津々です!

最後に余談ですけど、上記でショスタコーヴィッチの話が出てきましたけど、
私がショスタコーヴイッチの曲を聴いたのは、実はあのあまりにも有名な交響曲第5番「革命」ではなくて
交響曲第10番というのも、いかにも私らしい話なのかもしれないです。
しかも、それは管弦楽としてではなくて吹奏楽アレンジ版という変化球として聴いています。

それが何かと言うと、1981年の山形県で開催された全日本吹奏楽コンクール・東北大会の
高校B部門の秋田西高校の素晴らしい演奏だったのです。
でもあの演奏は本当に素晴らしかったです!!
わずか35人の編成とは思えない重厚感漂う演奏であり、特に後半のアレグロのスピード感溢れる展開は
小編成の限界を超越した演奏だとも思えます。
BJの演奏評では「孤独・不安・寂しさの雰囲気はうまく出せていたけど、ソロがプレッシャーのため緊張感を持続
出来なかったのは惜しい。アレグロも素晴らしかったが、もう少し重厚感が欲しい、どちらかというと祝典序曲みたいな
キャラクターの演奏になってしまった」と記されていましたけど、
うーーん、ちょっと違うのかも・・・?
私の印象では、ソロの雰囲気も寂寥感と不安を見事にキープしていたと思いますし、アレグロ以降の展開も
悲壮感と明るさが混在した洒落っ気と重さを両立した素晴らしい演奏だったと感じたものでした。
後年、佐藤滋先生は母校のあの吹奏楽の超名門・秋田南に赴任されましたけど、
高橋紘一先生という存在は大きかったみたいで、結果的に秋田西高の時のような名演を残せないまま
秋田南を静かに去られていたのはなんか気の毒・・みたいな感じもありました。

考えてみると、この秋田西高校の演奏をきっかけに、
「あれ、ショスタコーヴィッチという作曲家はどんな背景があり、他にどんな曲を作曲したのだろう・・?」
「何か交響曲第5番がやたら有名みたいだけど、どんな曲なのかな・・」
「丁度スターリン体制化のソ連時代と生涯が被っているけど、どんな背景がこの曲にあったのかな・・」などと
ショスタコ―ヴィッチについていろいろ興味を持つようになり、
私がショスタコ―ヴィッチを聴くようになった大きなきっかけを作ってくれたようにも思えてなりません。

その意味では、この秋田西高校の演奏と指揮者の佐藤滋先生には、「感謝」の言葉しかないです
本当にありがとうございました。
佐藤滋先生が普門館で指揮された1987年の秋田南高校の風紋と交響詩「ローマの噴水」は、それまでの秋田南の
硬さ・陰鬱さを打破したそれまでにないカラーを追及した演奏のようにも感じますし、
私個人はあの演奏を生で聴いていてもあのカラッとした演奏はすてきだと思いましたし、結果的にこの年の銅賞は
かなりの激辛評価といえそうです。



最近の回転寿司の充実ぶりは目を見張るものがあると思います!

昭和の頃の回転寿司っていかにも「安かろう、悪かろう」の典型みたいな雰囲気もあったと思いますし、
レーンにから流れてくるネタってそんなに高級ではないし劇的に美味しい訳ではないし、ひどいときには乾燥して
ネタもシャリもパシャパシャしているというのも珍しくもなんともなかったと思います。
「一皿100円前後で寿司が食べられる」という理由だけで回転寿司屋に行っていたのかもしれないですね。

21世紀に入ると時代はそうした回転寿司屋を許さなくなったばかりでなく、とにかくネタもシャリもその管理技術も
昭和の頃とはありえないほど劇的に改善され、正直今現在の回転寿司屋というのは、
それほど味にこだわらない人の舌程度ならば「いわゆる廻らないお寿司屋さんとネタ的にも美味しさ的にも
全然遜色ない・・」という程度にまで素晴らしく進化を見せてくれていると思います。
ネタの充実もさることながらネタの新鮮さ、一定の時間を経過したらレーンから取り去る等の管理の徹底もそこには
あるのだと思います。

そして最近の回転寿司で更に素晴らしき進化を見せているものは寿司本体だけに留まらず
「サイドメニューの充実」なのだと思います!
以前ですと回転寿司のサイドメニューというとせいぜいメロン・ショートケーキ・プリン・紙パックジュース・茶碗蒸し・味噌汁
程度だったと思うのですけど、最近の回転寿司のサイドメニューの充実ぶりは目を見張るものがあり、
例えば、ラーメン・カレー・そば・イベリコ豚丼・海老天うどん・フライドチキン・エビとブロッコリーのタルタルサラダ・天丼・鰻丼・
ティラミス・濃厚チョコバナナパフェなどなど、
「え・・これって本当に回転寿司店なの・・? まるでファミレスみたい・・」と感じさせるものは多々あると思います。
古い感覚の人ですとついつい「回転寿司と言えども寿司屋なんだから寿司で勝負しろ!」と一言言いたいのかもしれない
でしょうけど、そこにあるのは回転寿司店の戦略なのかもしれないです。
つまり最近の回転寿司が目指している方向は「寿司のコンビニ化」または「寿司店のファミレス化」と言えるのかも
しれないですし、やはりここにあるのは消費者の嗜好の多様化という事に他ならないと思います。
そして特にサイドメニューがすてきに充実しているのは、くら寿司とはま寿司なのかな・・?と思ったりもします。

ではここまで各社がサイドメニューに力を入れている理由って何なのでしょうか・・?
多分ですけどそこにありそうなのは、
1.魚介原材料高の高騰
2.多様な消費者層の多様な嗜好
あたりなのかもしれないですね・・

回転寿司業界全体の課題として、マグロやいわしなどのように以前は比較的安い価格で簡単に入手できた
食材が不漁や規制強化等で高級魚化してしまい仕入れ価格の高騰が全体的に散見されたり、
原価の高騰や円安による輸入費用の増加で利益率が低下している上に、
日本社会の近年の傾向、すなわち人手不足というものも影を落としてるような感じもあります。
更にここ数年の傾向として、来店客が回転しているレーンの寿司を食べなくなってきていて、
直接厨房に対してオーダーすることが多く、職人が足りなくなっている傾向があると思います。
ロボットがシャリ玉をつくり、その上にネタを乗せて握ったふりをしている寿司は消費者に避けられる傾向にありますし、
数が減っている寿司職人を雇うためには高い人件費が必要となるため、そうおいそれとは人数を増やせません。

さてさて・・どうしたものだろう・・? 寿司のネタは高騰傾向だし人件費も上がる一方で寿司職人の確保も難しい・・
そして回転寿司というか外食業界の最大のライバルとも言えるコンビニ各店の扱うメニューの多様化も気になるし・・
という所で目を付けたのが「回転寿司におけるサイドメニューの充実化」という事なのだと思います。
サイドメニュー開発に各社が力を入れている背景には、新規客層の開拓や話題性を狙う以外に、
すし職人ではなくてもつくれるメニューを増やし人件費を抑えつつ客単価を上げたいという狙いがあるようですし、
サイドメニューを増やす事でファミリー層の来店も促したいという狙いもそこにはあるのかもしれないです。

そしてその結果として顕著になってきたのが「ファミレス化する回転寿司業界」という事なのかもしれないです。

サイドメニューが充実した回転寿司店に行った方が価格が高くて味もイマイチのそのへんのファミレスに行くよりも
全然充実感があると思いますし、回転寿司のサイドメニューって価格的にも財布に優しいですからね~
しかも最近の回転寿司店は、スイーツもドリンクも充実していますし、2001年当時にとある回転寿司で感じた
「お茶以外ドリンクが無い・・店員にドリンクと尋ねても冷淡に店内にある自動販売機のコーラやコーヒーをどうぞ・・」と言われた
ような顧客満足度の低さというものは、最近の回転寿司では全く感じないですね。

景気が回復基調はまだ続いているとか賃上げ増加とか色々と巷では言われているようですけど、
実感的には「まだまだ節約モードなのかも」と感じている一般家庭において、
「たまには外食して美味しいものでも食べよう」と思った際は、価格が高めのファミレスに行くよりは、
本格寿司がリーズナブルで食べられてサイドメニューも充実して、しかも価格が明朗会計という回転寿司に行った方が
いいのかも~と感じているのかもしれないですし、回転寿司店にとってもサイドメニュー充実の狙いと言うものは、
ファミリー層の取り込みというのが大きいのかもしれないですね。

そして回転寿司店におけるサイドメニューの一つでもある「ラーメン」のレヴェルは驚異的に高いと思います!
以前ですと、例えばかっぱ寿司のうどんやラーメンなんて「いかにも冷凍食品を解凍しましたぁ~」みたいな味と雰囲気
だったと思いますけど、かっぱ寿司のラーメンも最近では随分と美味しくなってきましたし、
特にはま寿司・くら寿司のラーメンのレヴェルはとてつもなく高くて、しかも寿司店と言う事で「海鮮系ラーメン」が
特に美味しいと感じてします。しかも価格的に一杯280~450円前後と街のラーメンではとてもじゃないけど食べられない
価格と味が両立しているのは素晴らしいと思いますし、一例を挙げると
スシローの濃厚えび味噌ラーメン・鯛だし塩ラーメン・コク旨まぐろ醤油ラーメンもとてつもなく美味しいと思います!
埼玉というとどちらかと言うとかっぱ寿司の店舗が多くて、スシロー・くら寿司の店舗がちょっと少ないようにも感じられ、
私がよく立ち寄る回転寿司もかっぱ寿司が多いのですけど、かっぱ寿司は皆様ご存じの通り、回転寿司業界で
画期的とも言える「食べ放題」を導入するなどどちらかというと質より量路線みたいな感じもするのですけど、
くら寿司は、すし本体もそうですし、ラーメンをはじめとするサイドメニューの充実と美味しさは素晴らしいものがありますし、
特にラーメンの場合はお寿司屋さんらしい海鮮系の出汁の旨みがやはり際立っているようにも思えますね!
このレヴェルの高さは素晴らしいものがあると思います。
これはうかうかしていると街のラーメン店さんも「他業種だから・・」と対岸の火事みたいな感じで見ていると
足元をすくわれかねないような美味しさが回転寿司のサイドメニューにはあると思えますね~!

さてさて、そうした中においてもはま寿司の期間限定メニューなのですけど、2016年頃あたりより提供を開始している
「博多とんこつラーメン」も380円+税であのおいしさをを実現できているとは驚異的な事だと思いますし、
あのとんこつラーメンを一度食べてしまうと「これはラーメン専門店だってうかうかできない味」と感じられる方が多いのは
間違いではないと思います。
ただ残念なことにあのはま寿司の博多とんこつラーメンはあくまで期間限定もので、一年を通して常時あるサイドメニューで
ないのが少し勿体ない感じもあったりします。


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はま寿司の博多とんこつラーメンは 2016 年の最初の販売から毎年お客様に大変ご好評いただき、
過去には約 3 カ月で190 万杯以上の販売を記録したはま寿司の人気商品でもあるそうです。
スープにこだわり本場の豚骨スープならではの香りやコクを再現し、
豚骨をじっくり炊いた旨味が凝縮されたスープを使い、背脂を加えることでコク深い味が実現できていると思います。
そして改めてですけど、あの味が中華専門店やラーメン店で提供されているのではなくて、回転寿司店で提供されている事が
驚異的な事だと思います。
トッピングは、チャーシュー・ゆで卵・ねぎのみとシンプルになっていて、
追加のチャーシューやネギなどのトッピングも可能との事です。
但し元々紅ショウガときくらげがトッピングされていませんので、本場の皆様にとっては「これはとんこつラーメンでは違うばい」と
感じられるのかもしれないです。

全体的な味は、過度なとんこつ臭も無く変なクセもないさっぱりしておいしいとんこつスープだと思います。
感覚としては関東流にアレンジされたとんこつラーメンと言えるのかもしれないです。
はま寿司のHPの説明では濃厚と記されていますけど、食べた感じとしては濃厚というよりはクリーミーですっきりとした味と
言った方がいいのかもしれないです。
はま寿司の博多とんこつラーメンは細麺なのですけど、はま寿司の他のラーメンのサイドメニューにおいても
塩ラーメンも味噌ラーメンなどもほとんどの麺はとんこつラーメンの時と同じく細麺ですので、スープの違いによって麺は変える
といった変化は必要なのかもしれないです。

だけど博多とんこつラーメンにはこのぐらいの細麺がジャストフィットしていると感じられます。

ちなみにこのはま寿司の博多とんこつラーメンの提供期限は7月下旬までとなっていますので、一度食べてみたいと
思われた方は早めに行かれた方が宜しいのかもしれないです。


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アニメ版「ラーメン大好き 小泉さん」の第10話にも回転寿司店のサイドメニューとしてのラーメンが登場しています。

その回転寿司店はいかにもスシローという雰囲気でした・・

大澤悠がお兄ちゃんと寿司を仲良く食べていたら、悠が「小泉さんに似ている人がいるなぁ・・」と感じていたら、本当に
小泉さんが来店していました。
どうしてラーメン好きのあの小泉さんが回転寿司に来店しているの・・? 小泉さんもたまにはラーメン以外のメニューが
食べたくなることもあるのかな・・?と感じられる方もいるかもしれないですけど、
小泉さんの目的は言うまでもなく回転寿司店のサイドメニューのおいしいラーメンがお目当てだったのでした!

小泉さんがパネルで注文していたのはまるで「ラーメン寿司定食」みたいな感じでしたね!

海鮮ラーメンに握り寿司というのは同じ「魚」系と言う事で決してヘンな組み合わせではないですし、むしろ両者の
美味しさを融合していると思いますし、私自身も回転寿司店でこうした寿司と海鮮ラーメンを食べた事がありますけど、
ラーメンのスープの味と寿司ネタとシャリ飯の相性は抜群だと思います。

さすが、小泉さんは目の付け所が違う!という感じでもありましたね~!

話はそれますけど、高校の学食に当時「ラーメン定食」というものがあり、醤油ラーメン・ごはん・たくわんだけという
大変シンプルなメニューでしたけど、ラーメンのスープって立派なご飯のおかずになるのでは・・?と感じさせるくらい、
ラーメンのスープ自体とご飯の相性はすてきなものがあると思います。
そしてご飯とスープを一緒に味わいながら、麺とたくわんを頂くと、これはこれで立派な定食になるものだと
当時感じていたものでした。
そうした観点からも、小泉さんが海鮮スープと麺、そしてシャリ飯に寿司ネタというのは「ラーメン定食」に
感覚は大変近いものがあるのだと思います。

小泉さんはお約束通り(?)回転寿司店でもあの「ふはー」をやってくれていて、あのふはーを見るたびに
「小泉さんはヘンだけどすてきな美少女だなぁ・・」と感じさせてくれますね~!


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ここから先は既に恒例になっているのかもしれないのですけど、
当ブログが本当にいつも大変お世話になっている dream fantasy の管理人様のアミグリさんが描かれたイラストのご紹介コーナーです!

上記のアミグリさんが描かれた小泉さんは、先月の当ブログの通算小泉さんカテゴリ100記事到達の記念イラストとして
アミグリさんにリクエストをさせて頂き描いて頂けた記念作品です!

小泉さんを小泉さんたらしめている外見的要素は1.ミステリアスな雰囲気 2.無愛想 3.流れるように美しい長髪の金髪
だと思うのですけど、アミグリさんが描かれた小泉さんは1~3を全てを兼ね揃えられていますし、
全体から伝わってくる小泉さんの冷徹な女神様のようなクールビューティさが素晴らしいですし、
そこから感じ取れるのは無愛想というよりはむしろ「私は自分のラーメン道を歩むだけ」という小泉さんの
意思の強さといえるのかもしれないです。
アミグリさんが描かれた小泉さんもそうした全く動じずぶれない小泉さんの強さを立派に表現されていると言えると思います。

アミグリさんが描かれた小泉さんは、金髪ロングとボニテールという「一枚の絵で二回楽しめる」事も提示されていて、
大のポニーテール好きの私にとっても粋な計らいを見せてくれてといると感じたものでした。
小泉さんの髪を束ねているリボンもとてもかわいいですし、小泉さんによくお似合いだと思います。


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「ラーメン大好き 小泉さん」の眼の色は碧眼ではなくて、東方でいうとうどんげちゃんのような紅い瞳でもあるのですけど、
小泉さんの紅い瞳は、小泉さんのラーメンに対する情熱を示唆しているのかもしれないですし、はたまたとんこつラーメンの
トッピングとして欠かせない紅ショウガを提示しているのかもしれないです。

続きまして、上記の作品はアミグリさんが2016年6月に描かれたアニメ「あんハピ♪」のはなこちゃんです!

はなこちゃんの瞳の色も小泉さんと似たような赤っぽい瞳であったりもします。

「あんハピ♪」に登場する5人のJKさんたちは「歩く不幸」とか「負の連鎖」を背負ったような
不運を絵に描いたような女の子たちなのですけども、
アミグリさんが描くはなこちゃんからは、設定の不幸のオーラみたいな香りは全く感じさせませんし、
むしろこのすてきなイラストからは「前向きさ・ひたむきさ」という「幸せの連鎖」とか「ハッピー」をとてもよく
一枚のイラストとして伝えていると思います。

頭のお団子がとってもキュートですね!
白いリボンもとってもよく似合っていますし、この金髪のショートヘアがとにかくめちゃくちゃかわいいと思いますし、
赤の瞳も髪のリボンも金髪と合わせて小泉さんとすてきな共通項があるといえそうです。

はなこちゃんは、運のない女の子で、特に水運が悪く、度々川落ちしたり水を被ったりすることも多いのは
とっても気の毒でしたけど、それを全く気にしないあの「ひたむきさ」がとっても素晴らしかったです!
アミグリさんが描かれるこのはなこちゃんからもその「健気なひたむきさ」がストレートに伝わってきて、
見ている私もこのイラストからは「アンハッピー」ではなくてやっぱり「すてきなハッピー」が伝わってきますね!

上記のアミグリさんが描かれた小泉さんとはなこちゃんは、小泉さんたちの絵師様であるアミグリさんに
帰するものであり、当ブログにおける転載とご紹介は事前に全てアミグリさんからご了解を頂いたものであり、
アミグリさんからのご厚意で転載をさせて頂いておりますので、
無断お持ち帰りや無断コピーは絶対NGですので くれぐれも宜しくお願い申し上げます。

アミグリさん、本当にいつもすてきなイラストの転載を快諾して頂きありがとうございます!!

皆様の中で「こんなにもすてきなクールビューティの小泉さんを描かれる方のブログってどんなもんなのだろう? 」などと
興味がある方は、 是非是非アミグリさんのブログ dream fantasy  を ご覧になって頂きたいと思いますし、 宜しければ、当ブログだけではなくて、
是非アミグリさんの本家本元のブログ dream fantasy  に一度お越しして頂けると アミグリさんのブログをご紹介させて頂いている私もとってもとっても嬉しいです!

アミグリさんが定期的に作品を投稿され続けている →アミグリさんのpixiv にも是非一度足を運んで頂ければ幸いです!

アミグリさんのpixiv




先日なのですけど、ちょっとやらかしてしまいました・・(汗)

駅前のツタヤとスーパーには駐車場が無いため自宅から自転車で行ったのですけど、その帰りになんと
自転車の鍵をどこかで紛失したことに気がつきました・・(汗)
ちなみに自転車の鍵は数年前にやはり紛失したことがあり、それ以降スペアキーを使用していたのですけど、
そのスペアキーを紛失という事は、これは為す術がないですよね~

さてさて、こうした自転車の鍵を紛失した場合にはどうすればいいのでしょうか・・?

最近はスマホという大変便利なツールがありますので、別に自宅に戻らなくてもその場でその対処方法のヒントを探る事が
出来るというのは大変ありがたいものでもあります。
ざっと検索しただけでも随分とヒントになる事が書かれていてとても参考になりました。

その対処方法についてはまとめてみると下記の四つばかりが挙げられるのではないかと思います。

1.自分自身で自転車の鍵をこじ開ける

ビニール傘を開けるために押す部分のパーツ(平たい棒状のもの)を分解して取り出し、
それを鍵穴に入れて、少し動かすと後輪に付いているシリンダキーの馬蹄錠であれば開けることができます。
これはマイナスドライバーでも代用可能との事です。
但しこの方法は自宅前だと特段人の目も気になりませんけど、今回のように駅前で人目に付く場所ですと、
そうした方法をやって無理に自転車の鍵をこじ開けようとしていると、
「あの人、自転車盗もうとしている~」みたいな感じで通報される危険性もありますので、これはこれで要注意なのかも
しれないです。

2.最寄りの交番・警察署に行く

交番に行き、事情を説明すると、自転車の鍵を壊してくれる場合もあるそうです。

警察署や交番には鍵を開錠するときに必要なボルトカッターやワイヤーカッターなどの道具が置いてある場合が多いそうです。
一般的な自転車の鍵である馬蹄錠・ワイヤーロックであるならば比較的簡単に壊してくれます。

但し、この場合、自転車に防犯登録のステッカーが貼られている事が絶対条件になります。
警察側としては、「鍵を無くしたので開けてください」と言われて開錠した自転車が盗難されたものであった場合
犯罪に手を貸したことになってしまいますからね・・(汗)
そうそう、この際には自宅住所を証明するような免許書等の身分証明書も必要になります。
交番等でその防犯登録の番号を照合して、身分証の自宅住所と照らし合わせて一致すれば問題なく鍵を壊す処理に
入ってくれますけど、もしも不一致の場合は「もしかして盗難自転車・・?」という疑いをかけられ、かなり面倒な事になりそう
ですので注意は必要ですね。

3.鍵屋・自転車販売店の出張サービスを利用する

この場合は作業代の他に出張料も発生します。

価格の相場としては、壊すだけなら2000~3000円程度、壊したうえで新しい鍵を付けた場合は大体5000円前後は
見た方がいいです。

4.自力で自転車店に持っていく

結果的に私は最も無難なこの方法を選びました。

というか駅前という事でいくつか自転車店があるのが分かっていたからです。

私自身、仕事の関係で休みは平日なのですけど、この時は月曜という事で最寄りの自転車店が定休日で、
結果的に800m程度後輪を浮かした状態で自転車を別のお店まで持っていく羽目になってしまいました・・

鍵の取り外し自体は10秒程度で終わり、代金は300円でした。
(鍵は当面はワイヤーキーを使用します)
取り外しの様子を見ていたら、マイナスドライバーを鍵を差し込む口に入れ、左右に引っ張っていたら簡単に
ロックが解除されましたので、それを見て
「こんなに簡単に開錠できるというならば、世に自転車泥棒が多発するのもなんとなくわかるのかも・・」と妙に
悟ったような気持ちになったものでした・・

日本と言うか、埼玉県は比較的というかかなり治安が良くて
(この話は何度も書いて恐縮ですけど、山梨県在住の6年間の間に、私は鍵を付けた自転車を7台も盗まれています!)
山梨県時代と違って鍵を掛けていても掛けていなくても自転車を盗まれた事は一度もありませんし、
自転車のかごに商品を乗せたまま、他店で買い物に行っても、戻ってきて商品が盗まれていたという事も一度もありません。
こうやって見ると「日本って(一部のエリアを覗いて)治安がいいところだなぁ~!」としみじみ感動を覚えたりもします。
自転車の鍵は意外と簡単に開錠できることが今回の件でわかりましたけど、それでも23年間ほどの埼玉在住の間でも
一度も自転車盗難に遭わないという事は、埼玉の暮らしやすさを物語っているのかもしれないです。



ロープウェイというとロープウェイの中から見る景観は迫力がありますし壮観だと思います。

そうしたロープウェイと言うと山梨の身延山ロープウェイが大変印象的です。
身延山ロープウェイは、身延町の日蓮宗総本山・身延山久遠寺の裏に設置されています。
このロープウェイは、定員45名、片道所要時間約7分間で、山麓・久遠寺駅と山頂・奥之院駅とを結び、
全長は1,665mで、その高低差は関東一の763mを誇る三線交走式ロープウェイです。
私自身、この身延山ロープウェイは山梨在住時に何度か乗った事がありますけど、天気が良ければ富士山も見れますし、
11月中旬の紅葉の季節に眺める景色は本当に大変美しくて迫力があり、乗っているだけで十分運賃の元が
取れそうな気がします。
この山頂には展望台や売店がありますけど、この展望台から見下ろす景色も素晴らしいものがあると思います。
山頂売店には、身延山ロープウェイ名物「みのぶだんご」が販売されていますし、
展望食堂には、甲州ワインビーフ牛めしおこわ・身延庵ゆばそば・身延庵ゆば塩ラーメンといった看板メニューも
あったりします。
もしもこの身延山ロープウェイに「ラーメン大好き 小泉さん」の小泉さんが訪れたとしたら、間違いなく身延庵ゆば塩ラーメンを
注文されておいしそうに完食されて「ふはー」とされるのかもしれないですね。


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さてさて、東方の幻想郷にはそうしたロープウェイというものは本来は設置されている訳はありませんし、
元々ロープウェイが設置される理由も必然性もないはずなのですけど、
実はつい最近、人里と早苗さんたちがいる妖怪の山の山頂に建立されている守矢神社を繋ぐ運送手段として
ロープウェイが設置されていたりもします。
ちなみにこのロープウェイのエネルギー源は当初は、お空の能力を利用した原子力に由来する電力だったはずなのですけど、
様々な諸事情から電力源は断念し、単純に水車的な動力というのか川の水の高低差を利用したものとなっているそうです。

それではどうして守矢神社と人里を結ぶロープウェイが設置されたのかと言うと、そこに見え隠れしているのは
守矢神社の二社の一人である八坂神奈子の思惑があるのだと思われます。
早苗さん・八坂神奈子・諏訪子は元々は外界にいたJKさんと神様たちなのですけど、外界では信仰が得られそうにないし、
信仰が得られないと神々である自分たちが消滅しかねないという危機感から外界から幻想郷に移住を果たした経緯があり、
幻想郷に移住してきたからにはこの地で妖怪・人間から信仰を得られないと後が無いという事でもありますので、
幻想郷に元々存在している霊夢の博麗神社に対しては、当初から並々ならぬ対抗意識を有していたのだと思われます。
「東方風神録」において霊夢によって叩きのめされた事もありますし、
博麗神社は「博麗結界」という幻想郷の存在の根幹となっている神社であり、霊夢=博麗神社を消滅させることは
幻想郷自体が消滅してしまう事でもありますので、
博麗神社を生かさぬように殺さぬようにした程度にした上で、幻想郷における神社の役割をある程度は博麗神社から
奪取し、守矢神社の存在感を高めたいという思惑があるのだと思われます。
そして最終的な目標は、もしかしたら・・、幻想郷の主導権をゆかりん+霊夢から自分たちの守矢神社に移すという野望
なのかもしれないです。
しかし、守矢神社の設置されている場所は妖怪の山と言う天狗・河童・さまざまな妖怪がうじゃうじゃいますので、
元々が人里の人間が守矢神社にお詣りや妖怪退治やお祓い等の相談をしたくても出来ない状況にあったりします。
そこで神奈子が画策した方法とは、安全に人里の人間たちを守矢神社にまで導く事であり、そのための手段として
考え出されたのがロープウェイでもあったりします。

八坂神奈子がその計画において最も頭を悩ませていたのは、天狗に邪魔されることもなく無事にロープウェイを
開通させることであるのですが、本来は大変保守的で閉鎖的でよそ者を排除する事に余念がない天狗にとっては
ロープウェイ開業というのは、人間が妖怪の山に入ってくる事を意味するので、
元々はロープウェイ開業にいい顔をするはずはありません。
そこで八坂神奈子としては天狗・河童といった妖怪の山に暮らす妖怪たちや守矢神社の本来は商売敵でもある
霊夢の博麗神社とどう両立させるのかという事を考えた際に導き出した結論というのは
「ロープウェイに関連するみんなにメリットを享受させ、ロープウェイを開通させることで実はこんなにもすてきな特典が
あるのですよ!」という事を提示させ、利害関係者全員がロープウェイ開通に反対しない環境をどうやって作り出していくのか
という事だったのだと思います。

その結果として各利害関係者のメリットとは何かと言うと・・・

1.天狗 

 「天狗風を自分たちはいつでも起こすことが出来るぞ!」とか「こんなロープウェイは自分たちの胸三寸でいつでも停止に
 追い込むことが出来るのだぞ!」という事を人間たちに知らしめることで自分たちの権威と威厳を示す。
 これによって人間たちに「妖怪の山に入る事が出来ても、それはあくまで守矢神社内だけの話であって
 妖怪の山に迂闊に立ち入ると天狗によって大変な目に遭ってしまい二度と人里に戻れなくなってしまう・・こわいこわい・・」 
 といった事を骨の髄まで叩き込むことができる。
 そして守矢神社の参拝客によるお賽銭とか御守り等グッズ販売の売り上げから、ロープウェイ警護という名目で
 寄付金として上納させる事で天狗社会にもメリットを与える。

2.河童

 ロープウェイの待機所にて飲食物や河童が発明した各種便利品を出店する事によって売上が期待できる。
 ロープウェイそのものを作り上げたのは河童たちなので、そのメンテナンスの費用を守矢神社に請求できる。

3.守矢神社

 今まで全く人里の人間の参拝客が無かったのに、ロープウェイ開業という事で、人里の人間が大勢参拝に来ることが
 見込まれ、お賽銭やグッズ販売収入が見込める。
 またロープウェイの運賃という収入も今後期待できる。
 そして最大のメリットは何かと言うと、幻想郷の人里の人間たちに
 「今までは妖怪退治とか異変解決といった場合は霊夢の博麗神社以外依頼できるところはなかったけど、今後は
 真面目な巫女さんがいる守矢神社にも相談や依頼が出来る」という事を認識させ、
 異変解決等の報酬も期待できるし、幻想郷における主導権を霊夢の博麗神社に代って握れる可能性がある。
 また天狗風を八坂神奈子が退治し「ロープウェイの安全宣言」をした事で、八坂神奈子の風神としての威厳を
 人間たちに見せつける事が出来た。

4.博麗神社

 とにかく目先の売り上げが大事・・!?

 守矢神社の敷地内とも言えるロープウェイ待機所にてお饅頭等を守矢神社の参拝者に販売する事で
 目先の現金収入がある程度見込めるのかも・・?
 長い目で見ると「異変解決の際の報酬が早苗さんの守矢神社にさらわれる可能性がある」とか
 「幻想郷の根幹神社が博麗神社から早苗さんの守矢神社に取って代わられてしまう可能性がある」という事を
 霊夢がきちんと認識しているかどうかは現時点では不明ですし、その辺りは霊夢は特段何も感じていないし、
 むしろ異変解決や妖怪退治といった面倒な厄介ごとを早苗さんたちが引き受けてくれるというのならばむしろ大歓迎と
 考えているのかもしれないです。

だけど「それで霊夢は本当にそれでいいのか・・?」と大変心配し、
「このままでは霊夢の役割が幻想郷から無くなってしまい、場合によっては博麗結界が緩んでしまう危険性もあるし、
霊夢の存在感が弱まる事で霊夢の将来が悲観的なものになってしまう」と憂えているのは華扇であったりもします。
そして霊夢の保護者でもあるゆかりんはどのように考えているのかは全く不明という感じでもあったりします。

こうした1~4の各自のメリットを考えた時、ここから導き出される結論というのは、
既に華扇も薄々感づいていたのですけど、これはもしかしたら天狗と八坂神奈子による
「壮大なやらせ」と言えるのかもしれないですね。
河童は儲かり、霊夢はそのおこぼれにあずかり、天狗は妖怪としての存在を高め、守矢神社は神格を高める・・
それぞれ得をするように全てにおいて天狗と八坂神奈子の協議の中で、最初から出来レースだったと
言えるのかもしれないです。
華扇は当初は「天狗と河童にいいようにぼったくられている守矢神社」という懸念を持っていたのですけど、
さすが八坂神奈子は伊達に神様やっていませんし、そうした策略というのは昔から得意中の得意だったのかもしれないですね!
そして神奈子・諏訪子・早苗さんといった守矢神社組は、外界を捨ててまで幻想郷にやって来て
「後が無い・・」という事もありますし、元々決断力と実行力には備わっていたと言えるのかもしれません。
その辺りが古くから幻想郷にいる博麗神社との違いなのかもしれないです。
霊夢は外界の資本主義の経験がありませんので、早苗さんと違って
「どうやって生き残りを図っていけるのか・・」とか「自分たちが生き残るためにはどうすればよいのか」という発想自体が
元々備わっていないのかもしれないです。

そして結果的に無事に人里と守矢神社を結ぶロープウェイも開通し、既に通常営業をしております。

ロープウェイ開設に当り、事前の神奈子と大天狗の密室談合(?)と隠されたブラックボックス密室協議により(?)
天狗と守矢神社の間に何やら怪しい協定書・覚書みたいなものが取り交わされたような痕跡もあり、
その結果として、ロープウェイが稼働している間は、天狗たちが責任をもって他の妖怪たちがロープウェイの運行を妨害
しないように警護に務めるみたいな話になっているようでして、この場合、そうした警護を実質的に担うのは
やはり白狼天狗という事で、椛たちと思われます。
そうなると、椛にとっては「将棋をさしている時間が少なくなってしまう・・」と愚痴っているのかもしれないですし、
神奈子や諏訪子や早苗さんたちに対して「余計な事しやがって・・、私たちの余計な仕事を増やしやがって」と
思っているのかもしれないです。


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ここからは既に恒例になっているのかもしれないのですけど、
dream fantasy の管理人様のアミグリさんの
すてきなイラストのご紹介コーナーです!
今回は上記記事でも登場していた華扇と椛を改めて転載&皆様にご紹介をさせて頂きたいと思います。

上記の華扇はアミグリさんが2019年3月に描かれた作品です。

背景を入れない事で華扇のかわいらしさを強調していると感じますし、ちょっときょとん・・とした表情もとてもかわいいです!
導師服がとってもよくお似合いだと思います。
ゆかりんや隠岐奈の導師服はロングスカートなのですけど、華扇はミニスカという事で
黒ニーソとの合せ技ともいえる絶対領域がとてもお美しいです!
華扇は雰囲気的には霊夢・魔理沙のお姉さん的な印象と役割があるのですけど、
そうしたすてきなお姉さんがミニスカ・黒ニーソ・絶対領域を纏われていると
キュン!とときめくものがありそうです!
ゆかりん・隠岐奈・華扇の3人は共通して象徴的な装飾の付いた導師服の前掛けを着用していますけど、
この中では最も少女らしい雰囲気を残しているのが華扇ですけど、
アミグリさんの描かれる華扇はそうした少女の面影を大切にされているという印象を強く感じたものでした。

華扇の髪の色って実は作者様も色々と試行錯誤をいまだにされているようでして、
初期の頃は赤髪っぽい華扇もあったようですけど、アミグリさんが描かれたような赤みを帯びたピンク色の髪の色が
とても可愛らしく華やかに感じられます。
華扇というと最大の特徴はツインのお団子とそれを隠すシニヨンキャップで、
上記で書いた通り華扇の真の正体である鬼としての角を隠すためのものなのかもしれないですけど、
鬼とか角隠しとか抜きに考えて普通のお団子ヘアとして見てみると、少女らしさがより強く感じられると思います。



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続きまして2017年12月にアミグリさんが描かれた犬走椛です!

アミグリさんが描かれた椛は、とてもかわいいしとても美しいと思います!
椛は公式の雰囲気では生真面目・不器用みたいな事も言われていたと思いますけど、
「そうした公式設定も過去の私もぜ~んぶ乗り越えて今の私がここにある!!」みたいな事を椛が言っているかのように
全てを吹っ切った状態の輝かしくて眩しいばかりの椛がここに登場したように思えてなりません!
かわいく美しいのですけど、どこか神々しさすらも感じさせる気品もあるように感じられます。
どうして気品みたいなものを感じるのかと言うと、紅白のすてきな巫女の霊夢ではないのですけど、
赤と白ってやはり「巫女さん」とか「聖職」みたいな雰囲気があると思いますし、そうした紅白を見事に使い分ける事で
鮮やかさも演出していると思いますし、全体的に美しく神々しいといった印象を私達に与えてくれているようにも感じられます。
とても可愛くビューティフルで、何よりも椛ちゃんのこの笑顔に癒されます!
獣耳もとても可愛いですし、霊夢みたいな肩だし衣装もよくお似合いだと思います!

本当に素晴らしいですね~! 圧巻の仕上がりです!!

幻想郷内の妖怪の山を実質的に支配している「天狗」はどちらかというと階層社会であり、色々な種類の天狗が、
それぞれに課せられた役割を担って生活をしているのですけど、
文ちゃん・はたては鴉天狗であり、犬走椛は白狼天狗という位置づけになります。
イメージで言うと鴉よりは白狼の方が強そうで、鴉の上に君臨しているのが白狼みたいな感じもあるのですけど、
妖怪の山においては、実は椛が属する白狼天狗は「下っ端」という位置づけになっているのは面白いものがあると思います。
ちなみになのですけど、二次創作でもそうなのですけど、実は公式設定においても文と椛は「不仲設定」というものがあります。
元ネタが白狼である椛としては「なんで私がカラスの下で働かないといけないんだ・・なんか面白くない!」
みたいな感覚があるのかもしれないですね。
なにかと暴走しがちな文ちゃんであるのに対して生真面目な苦労人タイプの椛は「お互いの性格の不一致」
というものがもしかしたらあるのかもしれないです。
実際公式設定でもあのコミュニケーションの高さと誰とでも仲良くなってしまう文ちゃんにしては珍しく
「私は椛が少し苦手かも・・」と言っていたりもします。
私の解釈としては「昔は不仲だったけど今はね・・」とか「そんな時期もあったかもしれないけど、今は普通の関係ってとこかな?」
といったな説を採用したいです!

アミグリさんの描かれた椛からは、「今では文とも普通のお友達として接しているよ~」みたいな明るさ・吹っ切れた感じが
改めて見られそうですね~!

そうそう、椛の普段の仕事は、妖怪の山の警護という事で侵入者がないかどうかを確認しているという事なのですけど、
換言すると侵入者が無い場合はかなりの閑職とも言えると思います。
それと改めて指摘をさせて頂きますと、こうやって常に白狼天狗たちによって警護&監視されている妖怪の山を
誰からも気づかれることなく山頂にまで登りつめてしまったこいしちゃんは、やはり「すごい・・!」としか言いようが
無いと思います。
そんな訳で日常的にはかなりヒマなものがある椛にとってヒマつぶしは「将棋」というのも面白いものがあると思います。
この将棋については、後に文ちゃんから文々。新聞にてインタビュー記事が掲載されていて
「いつか外の世界に行って将棋がどのようになっているのか見てみたい」というような事を述べていたのが大変印象的です!
そうですね・・是非ぜひ椛に外界に来て頂き、羽生永世名人やひふみん、藤井7段と対局してほしいですね~!
上記でも触れたとおり、最近の椛は守矢神社のロープウェイ開通に伴う警護の仕事がかなり増えていると思われますので、
そうした将棋をさす時間が少なくなっているのは椛としても不本意なのかもしれないです。

上記のアミグリさんが描かれた華扇と椛はその権利は全てアミグリさんに帰するものであり、
当ブログにおける転載とご紹介は事前に全てアミグリさんからご了解を頂いたものであり、
アミグリさんからのご厚意で転載をさせて頂いておりますので、
無断お持ち帰りや無断コピーは絶対NGですので くれぐれも宜しくお願い申し上げます。

アミグリさん、本当にいつも素敵なイラストの転載を快諾して頂きありがとうございます!!

皆様の中で「こんなにかわいい椛や華扇を描く人のブログってどんなもんなのだろう・・? 」などと興味がある方は、
是非是非アミグリさんのブログ dream fantasy  を
ご覧になって頂きたいと思いますし、 宜しければ、当ブログだけではなくて、
是非アミグリさんの本家本元のブログ dream fantasy  に一度お越しして頂けると
アミグリさんのブログをご紹介させて頂いている私もとってもとっても嬉しいです!

アミグリさんが定期的に作品を投稿され続けている →アミグリさんのpixiv にも是非一度足を運んで頂ければ幸いです!

アミグリさんのpixiv

それでは本記事を最後までご覧頂きありがとうございました!



私的にはカップ麺の焼きそばとしては、まるか食品のぺヤングソース焼きそばと日清のUFOの二つが抜きんでた存在
なのかな・・?と思ったりもします。
(人によっては明星の一平ちゃんシリーズを推される方も多いとは思うのですけど、ちょっとこってりとした風味とか
調味料のマヨネーズが今一つ合わないのかも・・と感じてはおります)
そしてこのカップ麺の焼きそばもチョコ味とかイチゴショートケーキ味とか既にたくさんの変化球の味も商品化されては
いるものの、定着しないですぐに消滅しているのは当然なのかもしれないですね・・

そうした中、ぺヤングシリーズの中から、今年の6月に新しいシリーズが新商品として登場していました!

日本人にとって、そばやうどんはラーメンと並んで日本人のソウルフードの一つになっていると思うのですけど、
そうしたそばやうどんとしてお馴染みの味の一つとしてたぬき・きつね・カレー南蛮があると思われますが、
ぺヤングから、そうした「そばやうどんの味を焼きそばとして再現してみよう」という試みが新商品として登場していました。
それがペヤング きつねやきそば・ペヤング カレー南蛮やきそばと同時発売された「ぺヤング たぬきやきそば」です!


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別添袋は、ソースと後入れかやくの2袋で、後入れかやくには揚げ玉やねぎが入っています。
具材として揚げ玉のみという感じで、非常にシンプルというのかしょぼい感じになっています。
ソースはカツオ出汁の効いためんつゆベースの味付けとのことで、和風だしを効かせたしょうゆ味の
まるでめんつゆのようなソースです。
結論から書くと、焼きそばというよりはマルちゃんシリーズの中の醤油味をベースにした焼きうどんにどちらかというと
近い印象があり、ソースの風味というよりは醤油の風味が明らかに勝っているように感じられます。
これを焼きそばとして食べると正直「うーーん・・」という感じになるのかもしれないですけど、限りなく焼きうどんに近い味として
食べると「これもありなのかも」という感想になるのかもしれないです。
そぱの風味というよりは甘たれの醤油の風味といえそうです。
味はかなり甘みが強いと思いますので好き嫌いははっきりと分かれそうな感じもあります。

このソースなのですけど、実は同時発売のきつねやきそばと同じソースで、以前発売されていたかきあげ味やきそばとも
同じものだと思われます。
たぬきやきそばときつねやきそばの違いは、かやく(具)のみということになるといえそうです。
考えてみると、たぬきそばもきつねそばもつゆ自体は全く同じ味ですので、これは仕方がないのかもしれないですけど、
焼きそばシリーズとして考えと、もう一工夫あっても宜しいのではないかと感じたものでした。

かなり大量に揚げ玉とねぎが入っており、揚げ玉の香ばしさと甘いしょうゆ味のソースの相性自体は
決して悪いものではないと思います。
全体的には焼きそばの具材が揚げ玉のみという感じですので、やっぱりしょぼいというか商品自体のインパクトの弱さは
感じてしまいます。


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すなおし 具


具材が揚げ玉のみというカップやきそばというと、麺のスナオシから今現在も製造販売が続けられている
ソースやきそぱが大変印象的です。
具材は、肉・野菜は一切入っていませんし、シンプルに揚げ玉とアオサだけです。
麺は細麺ですので、ソースに大変絡みやすいです。
このソースは液体ではなくて粉ソースとなっていますので、袋麺の日清のソース焼きそばみたいな感じで、
昔ながらの懐かしい感じがあったりもします。
全体的になにかとっても懐かしい味みたいな感じなのがとてもいいいと思います。
ソース自体は少し甘めですけど、上記のぺヤングのたぬきやきそばよりソース感はしっかりと伝わっていて、
むしろこちらの麺のスナオシの方が焼きそばとしての存在感は強いようにも感じられます。
お祭りの屋台でお好み焼きを食べているような感覚に少し近いのかな・・・?とも感じたりもします。

ぺヤングのたぬきやきそぱはひとつ128円前後ですけど、麺のスナオシのソースやきそぱは一つ58~68円ですので、
単純に揚げ玉が具材のソース焼きそばを食べたいのならば、麺のスナオシの方がお得感が強いようにも感じられます。

ちなみにですけど、ぺヤングのカレー南蛮やきそばは、今回発売された三つの新商品の中では最も美味しいようにも
感じたものでした。


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「ラーメン大好き 小泉さん」のラーメンに対する柔軟性というかストライクゾーンの広さはすばらしいものがあると改めて
感じたりもします。
それをいっちば~ん!に示唆していたシーンは「つけ麺はラーメンではないと・・」と小泉さんが大澤悠に対しての
怒りの感情を露にしていた場面なのかもしれないです。
小泉さんの大澤悠に対するあの壁ドンは、残念ながらアニメでは未登場でしたけど、
そのシーンは原作漫画4巻の最終ページに 掲載されています。

小泉さんは悠の「小泉さんもつけ麺というラーメン以外のモノも食べるんだね~」という言葉に思いっきり反応してしまい、
「つけ麺はラーメンではないと?」と悠に対して壁ドンをやらかしていたのですけど、
ああいう小泉さんは音楽で言うと「静かな熱演」というのか、静粛な怒りの雰囲気というのが伝わってきていて、
静かなあの迫力はまさに大澤悠を凍りつかせる大変な迫力があったと思います~!

漫画版の「ラーメン大好き 小泉さん」においては、第5巻にて二話に分けて小泉さんが悠たちに対して
「ラーメンとつけ麺の違いとその魅力」について熱く語る話がありましたけど、あの時の小泉さんは
「ラーメンとつけ麺の違いがいまひとつよくわからないよ~」という悠に対して珍しく(?)
「ぜひお話したいことがあります・・」とメールを送りつけ、悠たちに対して熱いレクチャーをしていた話は大変印象に残るものが
ありましたし、小泉さんの「ラーメン愛」が炸裂していたお話でもありました~!
そしてその際に実例として提示していたつけ麺のお店が埼玉県川越市のお店であったのも埼玉県民としては
「ちょっと嬉しいのかも・・!?」というのがあったものです!

小泉さんのラーメン観というのは、アニメ版もそうですし原作漫画においてもその柔軟性は素晴らしいと感じますし、
ラーメンの無限の多様性と可能性を常に意識されているのが小泉さんのすてきなラーメン観と言えるのかも
しれないです。
私自身も小泉さんを知るまでは、
「ラーメンって醤油・みそ・とんこつ・塩が主流なんでしょ・・?」ぐらいの初期の頃の大澤悠程度の貧困なイメージしか
持っていなかったと感じるのですけど(汗・・)
「ラーメン大好き 小泉さん」を深く知れば知るほど「ラーメンの世界」の奥深さと多様性と無限の可能性を改めて
再認識させられたものがあったと思います。

大澤悠の意識としては「つけ麺はラーメンとは違う食べ物なんじゃん」という感じだったと思いますけど、
それに関する小泉さんの反応はあの小泉さんにしては異例とも感じられる激高の反応みたいなものがありましたが、
ラーメンに対する多様性を感じている小泉さんにとっては
ラーメンを単純に定義付けするのは大変困難であるし、つけ麺はもちろんの事、最近流行の油そば・混ぜそば・
汁無し坦々麺だって広い意味ではラーメンと言うるのは間違いないし、
とんこつラーメンを焼いたものとも言えそうな焼きラーメンすらも広義的にはラーメンの亜種といえるのかもしれないですし、
それを言ったら「それでは焼きそばだってラーメンの一種じゃん!と言えなくもないのかもしれないです。

これはネタバレになってしまうため、ここではあまり書けないのですけど、原作漫画第5巻のつけ麺を巡る話の中で、
実は小泉さん自身も「どこまでがラーメンなのか私にもよく分からないし、そもそも厳密にそれを定義づける必要も
ないのかもしれない・・
つけ麺をラーメンでは無いという事も可能なのかもしれないし、焼きラーメンや混ぜそばをラーメンの亜種と言う事も
十分可能なのだと思う」と言われている事から分かる通り、
ラーメンの奥深さとその多様性は本当に素晴らしいものであり、今後も未来永劫私たち日本人はラーメンの多様性と
無限の可能性を追い求めていくものだと思われますし、そのゴールは実は存在しないと言えるのかも
しれないです。

そうした意味では、ぺヤングのたぬきやきそばも広義の意味ではラーメンの亜種というかラーメンの仲間であることは
間違いないのかもしれないですね。



ブランド総合研究所が毎年秋に発表する「都道府県魅力度ランキング」において6年連続最下位となったのは、
埼玉県ではなくて(汗・・)、実は茨城県です。
茨城県は、2013~2018年の6連続最下位のほか、2009、2010、2011年の合計9回にわたり最下位を記録しています。

茨城県と言うと西日本方面にお住いの皆様の感覚としては、
「茨城って水戸納豆に水戸黄門という大変な人気ブランドを持っているじゃん! それなのに何も無い無いの埼玉よりも
魅力が乏しいというのはどういう事なの~!?」と思われるのかもしれないです。
そして「ガールズ&パンツァー」のファンの皆様の視点ですと、茨城には大洗というガルパンの聖地もあるし、
あんこうだってあるじゃん!と言われるのかもしれないです。
東京・千葉・埼玉・神奈川・茨城・栃木・群馬という関東において、最も魅力があるのは東京都と神奈川が常に1位と2位を
独占するのは当然の話なのですけど、それではそれに次ぐのはどこなのか?という論争が起きると、大抵の場合
千葉県民と埼玉県民の低次元の争いとか、埼玉・千葉に次ぐ第五勢力の争いとして栃木VS群馬というより不毛な(?)争いも
あったりしそうですけど、なぜかこの種のネタに茨城が入ってくる事はほぼ皆無なのかもしれないです・・(汗)

茨城県に大きな魅力がない理由として他県に比べて有力な観光地が少ない事と温泉が少ないことが挙げられるのかも
しれないです。
当ブログではよく「埼玉は何も無い無い、な~んにも無い」と自嘲する事が多々ありますけど、当ブログの埼玉ネタで
これまで熱く語っているように埼玉には実は誇れるものが多々あったり、これぞ埼玉銘菓!といえるものを
多数ご紹介させて頂きましたし、千葉・栃木・群馬のすてきな魅力や名物についても当ブログではかなり語らさせて
頂いたつもりではあります。
だけど改めて考えると「茨城って水戸納豆と水戸黄門様とガルパンとあんこう以外になんかあったっけ~??」と
ついつい感じてしまいますし、
「もしかして茨城って埼玉以上に何も無い無いというところなのか~!?」とすら感じてしまいそうですね・・(汗)
ネモフィラやノキアで有名になった国営ひたち海浜公園、水戸の偕楽園、袋田の滝、筑波山などが主な茨城の観光地として
挙げられますが、栃木県や群馬県・千葉県と比べるとかなり持ち駒が寂しいのが実情だと思いますし、観光ネタの乏しさ
と言う意味では埼玉と大して変わりがないのかもしれないです。
全都府県で唯一県域民放テレビ」と県域民放FM局が存在しないとか新幹線が通っているにも関わらず止まらない唯一の県
といったネタもありますけど、
茨城県に人々を運ぶのは常磐線の特急ひたちやときわ号ですけど、車窓から見える景気は水戸まで海はほとんど見えず、
田園や畑が広がるばかりという平坦さもあると思いますし、海岸線も単調で、例えば宮城の松島のような複雑で美しい景観が
ある訳でもなく、山も標高が低い山ばかりという事情もあったりしますし、何よりも痛いのは温泉が少ないと言う事なのかも
しれないです。
山が低いということは地底の火山活動が活発ではないという事であり、茨城県は有名な温泉地が少ないことも特徴と
言えそうですし、私の経験においては、栃木や群馬・千葉はたくさんの有名温泉があるけど、茨城の温泉は
五浦温泉以外は入った事すらないという感じだと思います・・(汗)

ここまで書くとなんだか茨城って本当に魅力がないように感じられるのかもしれないですけど、そうした
茨城=魅力が乏しいというイメージを払拭しようではないか~!という試みも既に始まっています!

そうした試みの一つが、2018年8月に日本国内の自治体公認としては初のVTuber「茨ひより」の登場なのだと思います!

前述の通り、茨城県は全国で唯一民放の県域テレビ局が存在していません。
その代わりにいち早く運営を開始したのが、約7年前に開局したインターネット動画サイト「いばキラTV - IBAKIRA TV -」で
あったりもします・
茨城県の魅力発信を掲げてスタートしたこのサイトは、チャンネル登録者数9万3,000人を超え、
都道府県が運営する動画サイトとしては動画掲載本数・総再生回数・チャンネル登録者数で3年連続の日本一に輝いている
実績が既にあったりします。

茨 ひより(いばら ひより)は、いばキラTVが運営するバーチャルYouTuberでして、その愛称はひよりんであったりもします。

もともとは2015年から茨城県職員として県庁で3年間働いていましたけど、人事異動によって「茨城県 バーチャル広報課」に
配属され、茨城県の魅力をネットを通じて全国にどんとん発信していこう!という大変大切な役割を担っていると
言えるのだと思います。
茨城県知事が直に辞令を交付したことも各メディアで取り上げられ話題となっていたと思います。

VTuberをご存じない皆様もいらっしゃると思いますので、VTuberについて簡単に説明をいたしますと、
VTuber(バーチャルYouTuber)は人間がメインではなくて仮想キャラクターが主役となっています。
3DCGのキャラクターが人間のように出演しYouTubeの配信を行います。
キャラクターは二次元ですが、声は人間が担当していることが多くよりリアルなキャラクターへと仕上がっています。
主に美少女系のキャラクターが、まるで本物の人間さながらの動画配信を行っているのが大きな特徴です。
現時点で最も有名なバーチャルYouTuberというとキズナアイと思われるのですけど、
キズナアイは既に登録者数が150万人を超えるほどの人気ぶりで海外からも注目されています。
2016年後半あたりからじわじわと広がりを見せてきたバーチャルYouTuberは、
今後YouTuber界の一大ジャンルとなる可能性を秘めているのかもしれないです。
今現在はキズナアイの人気が群を抜いていますけど、キズナアイ以外でもミライアカリ・輝夜月・シロなどが
かなり人気を集めているようにも感じられます。

茨ひよりも既に茨城県の魅力を発信するキャラとしてその活動も活発に展開されていますけど、ひよりん自身も
「茨城県の魅力は?」という問いに対しては、
「海もあり、山もあり、食べ物もおいしいところです。袋田の滝の氷瀑とか、食べ物だといちごやメロンもそうですし、
あんこう鍋、干しいもなどがおすすめですよ! 想像するだけでお腹が空いてきちゃいますね……!」と
言われています。


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メロンというと、私的には「夕張メロン」がすぐに頭に思い浮かんできそうですけど
(艦これのメロンちゃんでお馴染みの夕張ちゃんもとても印象的ですね~)
あま~い果汁がしたたる高級果実の代表格とも言えそうなメロンですが、その生産量日本一は実は茨城県であったりもします!
全国シェアはなんと約25%!
(ちなみにいちごの生産量日本一は栃木県です!)

茨城県は20年連続生産量日本一を誇る、メロンの大産地です。
メロンというと、表面に網目が張り巡らされたネットメロンが印象強く、高級品というイメージがありましたが、
品種改良や栽培技術の進歩により、以前はガラス温室で栽培されたネットメロンもパイプハウスでの栽培が可能になり、
リーズナブルに手に入るようになっています。
茨城県では豊富な種類のネットメロンが栽培されていて、出荷時期は4月から11月と長い期間、
その時期の旬のメロンを味わうことができます。

イバラキングは茨城県が開発したオリジナル品種で、4月から5月にかけて収穫でき、肥大性や食味が優れた品種です。

2010年に品種登録されたばかりのまだ新しい品種で、その名称の由来として
全国一のメロン生産量を誇る茨城県のメロンの王様(キング)として茨城の顔になってほしいとの願いが込められているとの
事です。
イバラキングの大きな特徴は、果実の肥大性と言う事で、5月中旬以降の品種として普及している主力品種よりも
1割以上果実が大きく、4月下旬から5月上旬の早期出荷で肥大性の良い早生品種と比べても同等以上に大きくなるそうです。
さわやかな甘さと滑らかな肉質が特徴で、甘さも日持ちの良さも申し分ないとの事です。

そしてこのイバラキングを使用したスイーツも既にたくさん作られていて、先日、埼玉のイオンの店舗にても
イバラキングを使用したメロンパフェも売り出されていました!


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先日のとあるイオンの店舗内で茨城県フェアが開催されていて、このフェアの中でイバラキングも販売されていましたし、
このイバラキングを使ったスイーツのメロンパフェも売り出されていました。

このメロンパフェは見た目も涼しそうですし、なによりもとても美味しいです!

そしてこの茨城県フェアとイバラキングとメロンパフェの宣伝キャラとして登場していたのが、上記の茨城県の
公式VTubeの茨ひよりでした!

これからも茨城県の魅力UPの第一線としてひよりんの活躍を期待したいと思います!


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VTuberとかキズナアイという言葉自体は聞いたことがあるものの、あまり流行っている実感がないとか詳しいことは
よく分からないという方が多いと言うのが現在の全体的な実情なのかもしれないです。
そうした中、誰もが知っている超有名企業がVTuberを活用するという事例も登場してきていたりもします。

その代表例が根羽清ココロ(ねばせいこころ)というロート製薬公式のバーチャルYouTuberだと思います。

ロート製薬の制服をイメージした衣装は可愛いだけでなく、製薬会社ゆえの清楚で清潔感をもったものであり、
顔立ちも切れ長の目で大人っぽいイメージだと思います。
清楚でかわいいけど、スカートと黒ニーソが醸し出す絶対領域も大変魅力的だと思います。

普段は標準語で話していますけど大阪出身と言う事でたまに関西弁を喋る事もありますけど、
そうした方言女子というのも一つの萌え要素と言えそうですね~

名前の由来がロート製薬のスローガンであるNever Say Neverというのもとても面白いと思います。

今後のココロの活躍にも乞う期待ですね~!


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上記にてメロンの話が登場しましたけど、当ブログではメロンというワードが登場してくるとほぼ100%の確率で登場してくるのが
艦これのメロンちゃんこと、夕張ちゃんなのだと思います!

当ブログをいつもご覧になっている皆様からは「またかよ~」と思われるのは目に見えてますけど(汗・・)
当ブログの管理人は、艦これにおいては夕張ちゃん・翔鶴お姉さま・白露お姉ちゃん・愛宕・川内・吹雪・睦月などが
特に大好きでもあったりしますので、夕張メロンの話が出てきたら、夕張ちゃんのかわいいフィギュアをレビューさせて
頂くのはいまやセオリーになっているのかもしれないです! (汗・・)

夕張ちゃんの外見的特徴は言うまでもなく、緑がかった銀髪のポニーテールと黒のセーラー服に
緑色のミニスカートとへそ出しルックだと思うのですけど、こうしたプライズ系フィギュアでもそうした特徴が
あますところなく伝えているのは素晴らしいものがあると思います。

それにしても黒のセーラー服に緑のミニスカートにオレンジのリボンは、色彩的にも素晴らしい組合せだと思います。

夕張ちゃんは私的にはポニーテール娘」という印象が強いのですけど、ちらっと見えているおへそもとってもかわいいです!


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ここから先は既に恒例になっているのかもしれないのですけど、
dream fantasy のアミグリさんのすてきなイラストの
ご紹介コーナーです。

上記の夕張は、アミグリさんが2016年4月に「どう、似合っている?」というタイトルを付けられて描かれた作品です。
この夕張ちゃんは当ブログでも何度か転載&ご紹介をさせて頂きましたので、当ブログをいつもご覧頂いている皆様にとっても
お馴染みの作品の一つなのかもしれないですね。

アミグリさんが2016年に描かれた夕張は、タイトル通り公休時のお休みの際の至福と言うイメージなのだと思います。

この私服の夕張もとっても可愛いですね!! いかにも「休日中の夕張」みたいな感じで、
のびのびとお休みを楽しんでいるみたいな雰囲気が とってもよく伝わっているようにも感じられます。
アミグリさんが描かれた夕張ちゃんはおしゃれをすてきに楽しんでいるみたいな雰囲気が伝わってきていると思います。
スカートや袖のフリルがとっても乙女っぽくて可愛いです! 黒ストッキングは夕張ちゃんの大人っぽい雰囲気を巧みに
表現していると思いますし、
この髪のリボンがまたまたフリル付でとっても可愛いです! そしてこの髪のリボンにも細かいフリルが付いていて
夕張ちゃんの可愛らしさを更に引き立たさせていると思います。

上記のアミグリさんが描かれた夕張ちゃんは、夕張ちゃんの絵師様であるアミグリさんに
帰するものであり、当ブログにおける転載とご紹介は事前に全てアミグリさんからご了解を頂いたものであり、
アミグリさんからのご厚意で転載をさせて頂いておりますので、
無断お持ち帰りや無断コピーは絶対NGですので くれぐれも宜しくお願い申し上げます。

アミグリさん、本当にいつもかわいいイラストの転載を快諾して頂きありがとうございます!!

皆様の中で「こんなにかわいい夕張ちゃんを描く人のブログってどんなもんなのだろう・・? 」などと興味がある方は、
是非是非アミグリさんのブログ dream fantasy  を
ご覧になって頂きたいと思いますし、宜しければ、当ブログだけではなくて、
是非アミグリさんの本家本元のブログ dream fantasy  に一度お越しして頂けると
アミグリさんのブログをご紹介させて頂いている私もとってもとっても嬉しいです!

アミグリさんが定期的に作品を投稿され続けている →アミグリさんのpixiv にも是非一度足を運んで頂ければ幸いです!

アミグリさんのpixiv

それでは最後まで本記事を読んで頂きありがとうございました!
先日実施された健康診断なのですけど、今回も昨年同様に「血圧高め、要経過観察」と診断されてしまいました。
私自身、10~20代の頃はどちらかというと低血圧の傾向があり、あの頃は吹奏楽部の朝練習や会社の出勤等で
毎朝毎朝起床するたびに朝起きるのが実は結構つらいのかも・・という感じでしたし、健康診断等でも低血圧とか
言われていたものでした。
そしてあれから既に数十年の歳月が流れ(汗・・)、上記で書いた通り今ではすっかり「血圧高め」という診断結果が
もはや毎年恒例の結果になりつつあります。
やっぱり人間というものは、年を重ねてくると自然に「今年はこの数値が悪くて、昨年に比べてこの数値は改善されたけど
その代わりにこの数値が悪くなった」という事になるのかもしれないです。
今回の健康診断の結果は後日会社に郵送されるのですけど、診断結果を見ながら社内で
「おまえなんてまだマシじゃん・・実は自分は・・」みたいな自分の健康の悪い自慢大会が開催されていく流れになるのは、
ある意味仕方がない事なのかもしれないです。

私自身の場合、毎年毎年血圧高めと尿管結石の症状が大きなテーマになるのですけど、尿管結石の方は
おかげさまで最近は尿酸値の値が完全に正常範囲となったせいもあり、ここ数年はそうした症例も出なくて
大変ありがたいと感じていますけど、血圧の方はなかなか若い頃の数値には戻りませんよね~(汗・・)
ここ数年は軽めの降圧剤の薬の効果もあり、家で計測すると、上が130台前半、下が80~90前半という事で
大体正常~やや高めの範囲で収まってくれるのですけど、
いざ健康診断で病院のああした検査室で測定をされてしまうと、毎年なんだか「今年は下がっていないと・・」みたいな気持が
出てしまい妙に身構えてしまうのか、毎回毎回、普段の計測よりも10~20前後も上がってしまい、
健康診断で「要経過観察」という結果になってしまいます。
先日の健康診断も、家を出る直前と検診前の病院ロビー内の血圧計測器で測ったら、上が110台後半、下が70台でしたので
「今年はいけるじゃん」と思っていたら、実際の測定では毎年の結果とほぼ同じで、思いっきりガッカリしたものでした・・

病院の検査だと血圧が上がってしまうという話はよくある話で、
医師の診察時や健康診断にて血圧測定を受けると血圧が高くなる症状を「白衣高血圧症」と呼ばれることもあるそうです。
血圧が高いといわれている人の3分の1の方が診察時に血圧が高めになるという話もあるようです。

どうして健康診断の場だと血圧が上がってしまうのかというと・・

1.医師の前に座ると緊張してしまう
2.待ち時間が長くてついイラッとしてしまう・・
3.待合室での周囲の会話で不安になった
4.待っている間、健康診断の結果のことを考えているうちに不安と緊張に襲われた
5.普段とは異なる環境にいるので少し緊張した

と言った事が挙げられるそうです。

以前病院の先生から直接聞いた話ですと、白衣高血圧症は特段心配する事もないし、家で計測するときに比べて
病院では普段の1割程度血圧が上がるというのは病院内でも大体織込み済ではあるのだけど、
そうした白衣高血圧症よりもむしろ厄介なのは、病院の診察や健康診断ではむしろ血圧低目なのだけど、実際の生活の場では
逆に血圧の数値が飛びぬけて高くなる「仮面血圧症」の方が要注意との事です。


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最近の歯科検診記事の中で、
「中年おやじの歯科医から偉そうに上から目線でアドバイスを貰ってもついつい反発してしまうけど、
東方で言ったら、早苗さんやアリスのような美少女キャラまたはゆかりんのような美しいお姉さまからやさしくアドバイスを
頂いたらどんな無茶振り指示でも、案外簡単に言う事聞いちゃうのかも~」と記しましたけど、
健康診断の血圧測定といった場面では、早苗さんやアリスのような美少女キャラまたはゆかりんのような美しいお姉さまに
血圧測定されてしまったら、嬉しさのあまり気分が高潮し、普段よりも50~70程度も血圧が上がってしまい、
「あらあら、ダメね~」と諭されるのかもしれないですね・・(汗)

東方キャラでそうしたお医者さん・看護師さん系キャラというと、実は幻想郷内には正式なお医者さんはいないという事もあり、
人里で病人が出た場合に対応するのは、永遠亭の永琳とその弟子のうどんげちゃんなのかもしれないです。
そして歴代プリキュアにおいてそうした看護師がお似合いそうなのは、フレッシュのブッキーまたはハピネスのゆうゆうなのかも
しれないです!
そして実際にかわるんるんで看護師さんに変身したゆうゆうは白衣の天使以外の何者でもなかったです!
ゆうゆうというすてきなな天使さまに健康診断で血圧測定をしてもらったら
ゆうゆうの発する癒し効果でリラックスして普段の家で測定するような数値が出るのかもしれないですし、
ついつい嬉し」のあまり妙にテンションが上がって、血圧が200近くまで一気に上昇する可能性すらあるのかもしれないです。

やっぱりゆうゆうは天使ですよね~!

ゆうゆうの安定さ・万能さ・癒しは自己に対しての自信感なのかもしれないです。

それを示唆していたのが、ブルーに対して攻撃を仕掛けようとするファントムに対して
プリキュアに変身せずに人間体のまま、ファントムと会話し諭していたゆうゆうの存在だと思います。
あのシーンを改めて見ると、プリキュア5で不老不死を手に入れてもなお悩み続けるデスパライアに対して
意図的にプリキュアの変身を解除し、人間体としてデスパライアと対話しようとしたのぞみの姿を彷彿とさせるものがあります。

それにしてもこのファントム、羨ましすぎますね~

私も怪我してゆうゆうに額で熱を測って貰ったり、優しくおかゆを食べさせてほしいなぁ~としみじみ思ってしまいます!
ファントムの熱を測定するために髪をあげておでこをさらしたゆうゆうは、とってもかわいかったです!

上記で触れた通り、幻想郷には意外にも正式な医者はいないのですけど、その代わりに凄腕薬師の永琳という存在が
あったりもします。
だけど永琳に幻想郷内で診察をされると、診察と称してなんだかよくわからない薬を飲まされ、臨床実験という名の
人体実験をされそうで、ちょっとこわいのかも~という感じでもありそうなので、万が一幻想郷内で倒れた場合や
病気になった場合は、むしろまだ頼りなくて経験が浅いのかもしれないけど、永琳の弟子のかわいいかわいいうどんげちゃんに
依頼した方がまだマシなのかもしれないですね~(汗)
一番最初に三善晃の「管弦楽のための協奏曲」というタイトルを耳にした際は微妙な違和感を感じたものです。
というのも普通の感覚として「協奏曲」と言うと、個の楽器と全体の管弦楽団の音楽の対話というイメージがあるのですけど、
「管弦楽のための協奏曲」というと、全体対全体の対話つまりみたいなものをついつい連想してしまいます。
この「管弦楽のための協奏曲」というタイトルは、20世紀に入って以降色々な作曲家がこのタイトルで作品を残していますけど
私が知る限りでは最初にこのタイトルの作品を作曲した方ってヒンデミットなのかな・・・・?
このタイトルで圧倒的に有名なのは、言うまでも無くバルトークの作品なのですけど、
他にはどんな作曲家がこのタイトルで作品を残しているかと言うとコダーイ・シチェドリン・セッションズあたりだと思います。
バルトークの「管弦楽のための協奏曲」の第二楽章:対の遊びを聴くと
このタイトルの意味が何となく分かるような気がします。
ファゴット・クラリネット・フルート・オーボエ・トランペットの各楽器が2本ずつ対となって繊細なメロディーラインを
吹き、それが全体と鮮やかな「対比」を示しているような感じがありますし、
音の薄い部分又はソロ対トゥッティ(全奏)の対比を何か意図しているようにも思ったりもします。

「管弦楽のための協奏曲」というと私にとってはどうしても外せない曲が一つありまして
それが三善晃が1964年に作曲した「管弦楽のための協奏曲」です。
私自身大変残念ながらこの曲が生の演奏会で実際に演奏されたのは聴いたことがありませんし、
管弦楽団によるCDの音源としては岩城宏之指揮/N響の演奏しか私はこの曲のCDを持ってはいません。
かなりマイナーな曲ではありますし、演奏時間も8~9分程度の比較的短い曲なのですけど
例えは悪いのかもしれないですけど、三善晃の後年の吹奏楽コンクールの課題曲「吹奏楽のための深層の祭」の世界と
極めて近いと言うのか、音楽的緊張感を短い音楽の展開の中で凝縮した邦人作品といえると思います。
曲自体は大変難解で捉え所が無く、この曲を初めて耳にされる方は多分「何を言いたいのかさっぱりわからない」と
言われるのは目に見えているのですけど、音楽的密度というのかとにかく緊張感が半端なく強い曲ですので、
聴いているだけで胃がギリギリ痛くなってくる感じもするのですが、
なぜかメロディーラインがすんなりと脳に入ってくる不思議さは伝わってきます。
換言すると、
「慣用句とか古典的言い回しが多く言葉遣いは難しいのだけど言っている内容はすごく分かり易い趣旨の事を
伝えている音楽」みたいな感覚があったりします。
音楽的緊張感は極めて強いという三善晃の似たような音楽というと交響三章~Ⅲの世界が近そうにも思えますが、
交響三章の世界はどことなく「亡びの美学」というのか日本のもののあはれみたいな情感を感じさせるのに対して、
管弦楽のための協奏曲は、耳にすんなりと入ってくるメカニックな曲と言えそうですし、この曲の最大の魅力は
まるで「音楽によって表現された建物の精密な設計図」という感じなのかもしれないです。

三善晃の「管弦楽のための協奏曲」は三つの部分から構成されていますけど、休むことなく続けて演奏されます。

Ⅰ.確保と二つの展開

Ⅱ.複合三部

Ⅲ.変奏と復帰

Ⅰは、とにかくめまく゜るしい変化が最大の魅力です。特に出だしの音楽的緊張感はすさまじいものがあります。
全体的に音量のコントラストに圧倒される感じがあります。
Ⅱは一転して抒情的な感じも漂い不気味な曲想が展開されていきます。
あの雰囲気は四谷怪談の世界なのかもしれないです。
(混声六部合唱、尺八、打楽器、十七絃のための「変化嘆詠」 ~一休諸国物語図絵より と言う作品も三善晃にはありますが、
この曲の雰囲気は管弦楽のための協奏曲のⅡの世界に通ずるものがあるのかもしれないです)
Ⅱのラスト近くの大太鼓三連発の不気味な響きが印象的ですけど
あの部分は矢代秋雄/ピアノ協奏曲の第二楽章の幽霊とか夜明けの悪夢を彷彿とさせるものがありそうです。
Ⅲは一転して再度激しい音楽に回帰されますけど、ラスト近くのホルンの雄叫びがとにかく凄まじいと思います。
このホルンの雄叫びをバックに曲は一気呵成に閉じられますけど
聴くだけで圧倒されまくりの曲としか言いようが無いほどとにかく緊張感の強い作品だと思います。
前述の通り一言で表現すると「精密な設計図」を音楽にしたようなものと言えそうですけど、矛盾するような事をいって
申し訳ないのですけど、なぜか耳にはすんなり入ってくる音楽だと思います。
ちなみにですけど、耳にすんなり入ってくるというイメージと言うと、実は三善晃は1979年のアニメ「赤毛のアン」の主題歌や
挿入歌・EDを担当されていたりもしました!
赤毛のアンのあのOPのファンタジー感やアルトサックスのソロの扱いの巧みさは三善晃っぽい感じもありそうです!

三善晃の「管弦楽のための協奏曲」はプロの管弦楽団の演奏は滅多に聴く事ができないと思われますが、
この曲は吹奏楽コンクールでたまにですけど自由曲として演奏されることもあり、実際2018年時点において、これまでこの曲は
通算6回全国大会で演奏されています。
そしてこの曲の過去最大の圧倒的名演は誰がなんといっても1978年の秋田南高校吹奏楽部の演奏に尽きると思います。
秋田南による1978年の演奏は、言うまでも無く秋田南高校が全国大会初演なのですけど、
通算6回の全国大会演奏のうち、今の所唯一の金賞受賞が1978年の秋田南による演奏です。
確かに、磐城高校・湯本高校の演奏も素晴らしいのですけど、秋田南高校を超越するまでには全然至っていないようにも
感じられますし、そのくらいあの演奏は素晴らしいです。
「吹奏楽アレンジ演奏なんてしょせんは管弦楽のモノマネに過ぎない」などと言われる方には是非是非一度
聴いて欲しい演奏ではあります。
あの演奏を聴くと吹奏楽の無限の可能性を心の底から感じてしまうのですけど、難曲中の難曲を普通の高校生がさらっと
いとも簡単に吹いてしまうなんてとにかく凄いものがありますし、
当時の秋田南高校吹奏楽部の高橋紘一先生をはじめとする当時のメンバーの演奏の表現力・音楽的緊張感には
心の底から共感しますし、三善晃が後日秋田南の演奏をレコードで聴いた際にその演奏を絶賛され高く評価されたというのは
当然の話だと思います。

あくまでも私自身の個人的主観なのですけど、 1978年の高校の部の評価において、
もしも1970年以前の順位制度による表彰だったとすると、この年の高校の部の文句なしの圧倒的な一位は秋田南高校
だと思います。
2019年時点での現在の感覚・視点で聴いてもそうした感想・評価は揺るぎがないものがあるとすら感じてしまいますし、
むしろ今現在のコンクールにおいても 十分通用する素晴らしくハイレヴェルな演奏だと思います。
この演奏は残念ながらレコードとレジェンダリーシリーズのCDと課題曲も収録されたカスタムテープでしか
聴いたことが無いのですけど、
もしもタイムマシーンがあったとして過去に遡って昔の名演を生演奏で聴けるという事が出来るとしたら
この年の秋田南とか1977年の秋田南の「春の祭典」、同じく秋田南の1980年の三善晃/交響三章は
絶対に聴いてみたい演奏の一つです。
そして出来れば1979年の市立川口の「二つの交響的断章」や1980年の花輪高校のハチャトゥーリアンの交響曲第2番「鐘」も
是非聴いてみたいものです。

1978年の秋田南なのですけど、前年と前々年においては、 ペトルーシュカと春の祭典というストラヴィンスキーの
バレエ音楽路線を圧倒的名演でもって後世に間違いなく語り継がれるべき演奏を聴かせてくれていましたけど。
この年、1978年からは路線変更を行い、この年から1982年までは邦人路線においては、
ストラヴィンスキー以上の素晴らしい感覚で研ぎ澄まされた演奏を後世の私たちに残してくれていて、
いわばこの年は、秋田南の偉大な邦人作品シリーズの始まりの年という記念すべき年でもありました。

1978年の秋田南の演奏なのですけど、パターンとしては前年の1977年の構成と似ている感じがあります。
端正で正統派の雰囲気が漂う課題曲に対してあまりにも大胆不敵な自由曲という課題曲と自由曲の構成において
共通性があるようにも感じられます。
自由曲の管弦楽のための協奏曲は課題曲で見せつけた端正な仕上がり・正攻法みたいな感じではなくて
むしろ積極的に冒険している感じが漂います。
ホルンの高音域とかクラリネットの細かい動きとかトランペットの鋭い切れ味とか 技術的にはとにてつもなく高い水準を
求められる曲なのに、 そうした難しさは微塵も感じさせないで、確実に指揮者の高橋紘一先生から求められている音と表現を
立派に音にされていると思います。
三善晃の「交響三章」の世界を更にぐぐっと凝縮させたこの研ぎ澄まされた世界を見事に表現していると思います。
プロでも手に余る難解なこの曲をアマチュアの高校生が、しかも吹奏楽というアレンジ版という変化球を駆使して
ここまで立派な音楽的表現が出来ている事自体が奇跡だと私は今でも確信しています!!

上記で書いた通り三つの部分から構成されているのですけど、Ⅰのめまぐるしい変化に各管楽器が立派に対応できている事や
Ⅱの木管の艶っぽい響きが素晴らしいですし、Ⅲのホルンの荒ぶる調べが大変印象的です。
演奏終了後に、ブラボーという声援がこの時代しては珍しく入っていますけど(多分OBなのかもしれないです・・)
あれはやらせとかそういうのではなくて むしろ感極まった自然体としての唸り声みたいにも聞こえてしまうほど
とにかく見事な演奏でした。

最後に・・三善晃の「管弦楽のための協奏曲」の全国大会演奏の中で、秋田南以外として大変印象に残る演奏が
あるのですけど、それが1993年に八戸北高校が演奏したものでした。

前年度の1992年のホールジンガーの「春になって、王達が戦いに出かけるに及んで」の
とてつもない雑で粗野で荒削りのとんでもない演奏なのですけど、奏者と指揮者の熱い気持ちがひしひしと伝わってくる
あの演奏と93年の「管弦楽のための協奏曲」のクールで精密な演奏のあのとてつもない落差にはいつ聴いても
驚かされるものがあります。
この時の指揮者の佐々木先生の事は当ブログの吹奏楽カテゴリの中の「1981年~82年の東北大会」で色々と書いた記憶が
ありますけど、あの時のシベリウスの1番とかマーラーの1番のように佐々木先生は内向的な演奏を好む傾向が
あるのかねもしれないですけど、
92年の「春になって・・」のエネルギー大爆発の演奏は極めて意外でそのギャップがとても痛快に感じたものでしたけど、
改めて93年の「管弦楽のための協奏曲」の演奏を聴くと、
「佐々木先生にはこうした緻密な演奏がよく似合うのかも・・と感じたものでした。

指揮者の先生が、学校のチームカラーや「これまでの伝統にばかりにこだわって
毎年毎年生徒たちに同じような型をはめこんでしまうよりは、佐々木先生のように
その年の生徒さん達の個性や音質等に合わせて演奏スタイルとかを変えていった方が、
むしろ高校生にとっては自然体なのかもしれないです。

八戸北高校の92年と93年のあまりにも極端な演奏スタイルの違いから、ふとそのようにも感じたものでした。



埼玉あるある話というか、埼玉県民だけには大変認知度が高いのに、他の都道府県にお住まいの皆様にとっては
「何それ~!?」みたいなネタとしては、十万石まんじゅう・山田うどん・彩果の宝石・ぎょうざの満洲・北辰テスト・埼玉県民の日・
ゼリーフライなどが挙げられると思うのですけど、
わたぼくのコーヒーミルクもそうした埼玉県民だけが知る素晴らしい隠れた逸品であるのは間違いないと思います。

「わたぼく」とは、埼玉県行田市にある森乳業のブランド名「わたしのぼくの」の略語でもあり、最近はWATABOKUと
表記されることの方が多いのかもしれないです。
わたぼくシリーズは牛乳だけでなく、いちごミルク・みかんジュース・りんごジュース、サブレ、狭山茶なども生産販売をしています。
わたぼくシリーズの牛乳や乳製品は埼玉県内の酪農家が作った牛乳を使用して生産されているのが大きな特徴で、
その濃厚で風味豊かな味は一度飲んだら忘れられない味であり、このシリーズが埼玉県でしか知られていないというのも
とてももったいない感じもします。
埼玉でどうしてこれほどの認知度が高いのかというと、森乳業が学校給食事業として埼玉県東部の市町村の小学校へ
パック牛乳を供給しているおかげもあり、埼玉県の学校給食の40%に牛乳を供給している背景もあったりします。
その給食にて、たまにですけどコーヒーミルクが出されることがあり、これが当時の子供たちから大変人気が高かった
そうです。
うちの奥様は生まれと育ちは埼玉県ですので、以前「わたぼくのコーヒーミルクって知ってる?」と聞いたら
「当然じゃん! 埼玉県民でわたぼくのコーヒーミルクを知らないことはありえないし、知らない人は他県出身かはたまた
栃木か群馬のスパイ」と言っていました・・
「わたぼくのコーヒーミルク」は、牛乳が苦手な子供たちに、無理なく栄養をとってもらいたいという森乳業の希望もあり、
学校給食の栄養士さんと協力して開発されたとのことです。
わたぼくのコーヒーミルクは生乳を90%使用しているので牛乳に近い栄養価となっていて、
200mlあたりのカルシウムで比較をすると、牛乳が227mg、わたぼくのコーヒーミルクが220mgということで
ほとんど牛乳と変わらないと言えるのだと思います。
このコーヒーミルクを多くの児童たちが「わたぼく」という愛称で呼んでいたことがきっかけで1992年に
正式に「WATABOKU」ブランドとしてスタートを切り現在に至っています。

わたぼくのコーヒーミルクは、マルエツとかヤオコーやコモディ飯田などのように埼玉をメインの拠点とするスーパー等では
普通に店頭に置かれていますけど、イトーヨーカドーやイオン等の全国展開をしている大型スーパーでは、
わたぼくの商品を置いていない事も多々あったりするのは、わたぼくが埼玉限定のすてきな飲料ブランドである事を
示唆しているのかもしれないですけど、できればあの濃厚な美味しさは全国の皆様にも知れ渡って欲しいです!
わたぼくのコーヒーミルクは甘みは結構強く感じますけど、味自体はかなりすっきりしていてくどさはほぼ皆無です。
意外といい感じの甘さかも。
コーヒー感はあまり強くないですけど、かなり牛乳の存在感が強く、この牛乳自体がかなり濃厚であるため、
コーヒー牛乳としてはミルクの方に重点を置いている印象があり、むしろコーヒーとしては薄めと言えると思います。

生れも育ちも埼玉県なのか、はたまた他県出身なのかを見分ける方法として
「国道122号を何と呼びますか?」とか「中学の頃、北辰テストを受けた事ありますか?」とか
「十万石まんじゅうを食べた事ありますか? はたまたテレ玉のあのCMを生で見た事ありますか?」という質問以外にも
「わたぼくのコーヒーミルクって知っていますか?」という質問も適確なものがあると思います。

当ブログでは先月より渡邉ポポ先生のコミック「埼玉の女子高生ってどう思いますか?」をご紹介させて頂く機会も
増えてきましたけど、第2巻においても当然、このわたぼくのコーヒーミルクは登場してきています!


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渡邉ポポ先生のコミック「埼玉の女子高生ってどう思いますか?」の舞台は埼玉県行田市という埼玉でも
少しばかり僻地エリアでもあり(汗・・)、位置的には群馬県にむしろ近いものがあるのかもしれないです。
埼玉というとここ最近では「熊谷が過去において日本の最高気温を叩きだした」という事で夏場は九州・沖縄以上に酷暑な所
みたいなイメージもあるかとは思うのですけど、行田は実はその熊谷の隣接市でもありますし、
群馬の館林からもそれ程遠くないという事で、多分ですけど、都内の感覚よりは2~3℃ほど体感気温が高いのかも
しれないです。

それゆえ、小鳩・アグリ・みなとが「暑いよ~」とか「5月なのに既に30℃超えている」といって暑そうにしているのは
むしろ普通の光景なのかもしれないです。

そしてこういう暑い時でしたら、都内のJKさんでしたら「みんなでおしゃれなカフェやスタバ等で涼んでいこうよ~」という
展開になるのかもしれないですけど、このコミックの舞台は埼玉県行田市という事で、
アグリが言う通り、
「スタバがあるのは熊谷か大宮なので、スタバに到着する前に干からびてしまう」という事になってしまいそうなのは、
これは「行田あるある話」なのかもしれないです。

そして「今日はわたぼくのコーヒーミルクで我慢するよ・・」という流れになり、それだったらたまには少し贅沢して
天然温泉のスーパー銭湯にみんなで行って、お風呂上りにわたぼくのコーヒーミルクを飲もう!という展開になります。
埼玉育ちの小鳩とアグリは言うまでもなく小さい頃より「わたぼくのコーヒーミルク」は馴染みがある飲み物なのですけど、
つい最近まで都内のJKさんだった東上みなとにとっては「わたぼく、何それ~!?」という感じなのかもしれないです。


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それにしてもこうしたスーパー銭湯はいいですよね~!

私も結構さいたま市~川口市のスーパー銭湯でリフレッシュする事が多々ありますけど、埼玉って実は天然温泉が
かなり湧き出ているエリアが多く、さいたま市周辺はどちらかというと黒湯または茶色の天然温泉が湧き出ている事が
多いと思います。
小鳩たちが入湯したスーパー銭湯は、入館料が500円、タオルが50円、バスタオルが100円という価格設定に
なっていましたけど、さいたま市周辺では600~750円という入館料が相場なのかもしれないです。
今現在の一般的な銭湯の入湯料は430円ですので、天然温泉にたっぷり浸かれて広い館内でのんびりできる
スーパー銭湯の魅力は尽きないものがあると思います。

そしてこうした銭湯やスーパー銭湯の湯上りの一つの楽しみが冷たい飲み物をキュ――っと飲み干す事なのかも
しれないですけど、埼玉育ちの小鳩やアグリにとってはそれは「わたぼくのコーヒーミルクで決まりでしょ!」という事なのかも
しれないですけど、東京育ちの東上みなとにとっては十万石まんじゅうの時と同様に
「わたぼくってなんなの~!?」という感じなのかもしれないですね。

埼玉育ちの皆様ですと、学校給食でたまに提供されるお楽しみ給食において、このわたぼくのコーヒーミルクは
定番のお楽しみメニューだったのかもしれないですけど、都内育ちのみなとにとっては
「そう言う時の飲み物はジョアでしょ・・」という感じなのかもしれないですね~

だけど、宮城という更に田舎育ちの私にとっては「そんな給食でジョアやコーヒーミルクが出るなんてなんという羨ましい贅沢!」と
いう感じですし、あの頃の宮城の給食においては「普通の白い牛乳」以外がメニューに出ることはありえませんでしたし、
たまに出てくるコーヒー味やいちご味の粉末のミルメークが天使に思えたものでした・・



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そしてお風呂上りに3人はおいしそうにわたぼくのコーヒーミルクを飲み干します!

東上みなとにとってはわたぼくのコーヒーミルクの初デビューとなります!

みなとが言っているように、わたぼくのコーヒーミルクはあの濃厚なミルク感が最高だと思います。

贅沢言うとできればこのわたぼくのコーヒーミルクは埼玉県限定で構いませんので、コンビニでも普通に置かれていると
大変嬉しいものがありますね~!


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埼玉におけるお風呂上りの飲み物というと上記で書いた通りわたぼくのコーヒーミルクが一つの定番なのかも
しれないですけど、栃木の皆様にとっては「関東・栃木レモン」がそれに相応する飲料なのかもしれないです。

栃木のご当地ドリンクの「関東・栃木レモン」は栃木の皆様にとってはひとつのすてきなソウルフードなのだと思います。

この飲料は牛乳ではありませんし、レモン牛乳ではありません。
(そのあたりが埼玉のわたぼくのコーヒーミルクとの違いなのかもしれないです)
正式名称が「レモン牛乳」ではなく「関東・栃木レモン」となっているのには、実は色々な背景と諸事情があったりもします。
元々関東牛乳という会社が「関東レモン牛乳」という名前で販売していましたけど、
法律改正により生乳100%でない製品に牛乳という名称が使えなくなり、「関東レモン」に変更されたという
経緯がありますし、
2004年に製造元の関東牛乳が廃業となってしまい、栃木では馴染み深いこのすてきな飲料の存続が
一時期大変危ぶまれていたのですけど、
製造中止を惜しむ多くの栃木県民の声により、栃木乳業が製造法を無償で継承し、
現在の「関東・栃木レモン」という名称になった経緯があったりもします。
この商品名にも実は葛藤と困難の歴史があったという事になります。
現在では、とちおとめを使った「関東・栃木イチゴ」などの関連商品も取り扱いがされています。

「関東・栃木 レモン」は、栃木県産の生乳に砂糖やレモン香料などを加えたレモン色をした乳飲料で、
厳密には牛乳ではありません。
レモンの果汁を牛乳に入れると酸で乳成分が凝固・分離してしまうため、レモン果汁が入っているわけではありませんし、
上記で書いた通り法律上の問題もありますので、パッケージでは乳飲料と表示されています。
香料と色素でレモンの色と味わいを表現していると言えます。

一口飲めば分かるのですけど、とにかくとってもおいしくて飲みやすい飲料だと思います。

爽やかな甘酸っぱさとミルクのまろやかさの融合が素晴らしいと思いますし、
甘すぎず、酸っぱすぎず、レモンキャンディーをミルキーにしたような美味しさと言えるのだと思います。

特に夏場のお風呂上りにこの紙パック飲料をごくごくっと飲み干すのは至福のひと時と言えるのは間違いないと思います!


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余談ですけど、この「関東・栃木レモン」は第一パンにて、クリームとして使用されている商品もあったりします。

このパン、以前から探していたのですけど先日ようやく発見し食べてみたのですけど、飲料と同様に爽やかな甘酸っぱさが
とってもおいしいです!

「埼玉の女子高生ってどう思いますか?」のスーパー銭湯での入浴シーンにおいて、小鳩・アグリ・みなとは
全裸ではなくて(汗・・)、バスタオルを体に巻いていましたけど、
旅番組での女の子がバスタオルを巻いて入浴するシーンがあったりしますが、
JKさんや美少女・すてきなお姉さまたちのバスタオル入浴はとっても魅力的なものがありそうです!
もしもですけど幻想郷内のキャラの皆様がそうしたバスタオルを巻いて入浴されたらどうなるのか・・?という
私のしょうもない妄想(汗・・)を実は既に数年前に「絵」として素敵に表現されていた御方が東方絵師様の中に
いらっしゃいました!

そう! それがまさにdream fantasy のすてきな管理人様の
アミグリさんなのです!

本記事は下記において、アミグリさんが描かれた東方バスタオル娘の中から、てゐとルーミアを皆様に是非ご覧頂きたいと
思います。
(バスタオルゆかりんもアミグリさんは描かれているのですけど、先日の記事で転載&ご紹介をさせたばかりでもありますので
今回は割愛をさせて頂きたいと思います・・)





上記の東方バスタオル娘は、アミグリさんが2012年9月に描かれた「バスタオルてゐ 」です!

このてゐのすぐ下の東方バスタオル娘はルーミアなのですけど、
同じバスタオルという素材を用いながらも、
このてゐはルーミアと比べると少し大人っぽくて色っぽい雰囲気が出ているのが面白いと思います。

因幡てゐは設定の上では「もしかして東方五大老の一人の八坂神奈子よりも年上なのでは・・?」と
憶測を呼ぶくらいの実はご長寿キャラであったりもしますが、
普段のてゐは実は東方屈指のロリロリキャラであったりもしますし、よく口の悪い(?)東方ファンの皆様からは
「てゐこそは幻想郷最大の年齢詐称じゃん!」みたく言われたりもするのですけど、
アミグリさんの描かれたこのバスタオルてゐは、ロリロリっぽいてゐではなくて、
お姉さまっぽい雰囲気を見事に描かれていて、普段のロリっぽい感じのてゐとはひと味もふた味も違う
てゐを描かれています。

ルーミアの方は「見ないで・・恥ずかしい・・」みたいな感じなのに対して
てゐは「いいよー、こんなおねーさんでよければどんどん見ていいよ・・!」みたいな事を
いたずらっぽい笑顔でいいそうな雰囲気がありそうですね・・(笑)

この「バスタオルてゐ」を描かれた当時のアミグリさんの反応は、

「バスタオルてゐは少し大胆すぎたかな?と今見ると思いますね…。
てゐにしては少し等身が高めになっているのでより大人っぽい雰囲気になっているのかもしれないですね。」と
言われていましたけど、
滅多に見ることが出来ないアミグリさんの大胆なてゐだけに、やはりこれはかなり貴重なものがありそうですね!


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続きましてアミグリさんが2011年7月に描かれた「バスタオルーミア」です!

「東方バスタオル娘」というと、上記の「バスタオルてゐ」も素晴らしかったのですけど、
このバスタオルルーミアもてゐに負けない素晴らしい仕上がりだと思います。

「バスタオルてゐ」の方はどことなくですけどお色気の香りも漂ってきていて
そのセクシーなてゐがとってもすてきだったりするのですけど、
「バスタオルーミア」の方は、セクシー路線ではなくてもあくまでも「少女としてのかわいらしさ・恥じらい」を
見事に表現されていると思いますし、てゐのあの大胆さとの対照性は極めて明確であり、
とても面白いものがあると思います!

ピンクのバスタオルもさりげなくとっても可愛いと思います。

どことなくですけど、ルーミアが少しおどおどしながら
「あの・・、一緒に露天風呂の混浴に行きませんか・・?」と声を掛けてくれているようにも感じるのは果たして
私一人だけなのかな・・??
もしも本当にルーミアが声を掛けたくれたのならばとっても嬉しいです!

上記のアミグリさんがてゐとルーミアの東方バスタオル娘の権利は、ルーミア等の絵師様であるアミグリさんに帰するものであり
当ブログにおける転載とご紹介は事前に全てアミグリさんからご了解を頂いたものであり、
アミグリさんからのご厚意で転載をさせて頂いておりますので、
無断お持ち帰りや無断コピーは絶対NGですので くれぐれも宜しくお願い申し上げます。

アミグリさん、本当にいつもすてきなイラストの転載を快諾して頂きありがとうございます!!

皆様の中で「こんなにかわいいてゐやルーミアを描く人のブログってどんなもんなのだろう・・? 」などと興味がある方は、
是非是非アミグリさんのブログ dream fantasy  を
ご覧になって頂きたいと思いますし、 宜しければ、当ブログだけではなくて、
是非アミグリさんの本家本元のブログ dream fantasy  に一度お越しして頂けると アミグリさんのブログをご紹介させて頂いている私もとってもとっても嬉しいです!

アミグリさんが定期的に作品を投稿され続けている →アミグリさんのpixiv にも是非一度足を運んで頂ければ幸いです!

アミグリさんのpixiv

それでは本記事を最後までご覧頂きありがとうございました!
私がこのストラヴィンスキーのバレエ音楽「ペトルーシュカ」を知るきっかけとなったのが、
1976年の全日本吹奏楽コンクールでの秋田南高校の吹奏楽アレンジ版による第四場の超名演なのですけど、
秋田南高校の吹奏楽アレンジ版ペトルーシュカの演奏は、今現在聴いても凄いと思いますし全く色褪せてはいないと感じます。
バレエ音楽「ペトルーシュカ」の管弦楽での生演奏を聴くと一目瞭然なのですけど、このバレエ音楽は
ピアノを協奏曲風にも使っていて独奏ピアノをかなり効果的に用いています。
全日本吹奏楽コンクールは今現在の規定では、ピアノ・ハープを使用する事は自由ではありますけど、
1981年にピアノとハープの使用が解禁になる以前の1970年代の吹奏楽コンクールの高校の部の編成は45人以内の編成
という制約がありましたし、楽器編成の中に、ハープ・ピアノを入れることは禁じられていました。
秋田南高校の当時のティンパニはペダル式ではなくボロボロの手締め式と言う事で何かとシビアな条件下での演奏でしたし、
本来の原曲で効果的に用いられているピアノは使用していませんし、
管楽器の響きだけで、よくペトルーシュカの世界をよくここまで再現出来たものと今聴いてみても感動ものです!
ペトルーシュカというと春の祭典の影響もあり、バーバリズムバリバリの荒ぶる作品という印象もありそうですけど、
実際は火の鳥と同様にかなり繊細で、どちらかというとチャイコフスキーの伝統的ロシアバレエの影響を受けつつも、
ドピュッシー等フランス印象派のようなエコーの響きも感じられ、
そうした繊細でデリケートな音色が求められそうなこの曲を吹奏楽アレンジ版として演奏する事自体当時としては
大変な冒険であり貴重なチャレンジだったと思うのですけど、決して無謀なチャレンジだけに終わらせずに、
吹奏楽としての無限の可能性や秋田南高校の飛躍を示唆する演奏である事は間違いない評価といえるのだと思います。
評論家の皆様の意見として、高校の部の進化を示唆する演奏が1977年の銚子商業のディオニソスの祭りであると
述べられている方も多々おられるのですけど、私の意見としては、
「確かにそれもそうなのだけど、現在の高校の部の大変なレヴェルの高さの一つの先駆的な演奏の一つが
1976~77年の秋田南高校のストラヴィンスキーシリーズではないのかな」と感じたりもします。

1976年の秋田南のバレエ音楽「ペトルーシュカ」の演奏なのですけど、部分的に音は荒いし、
トランペットの音は硬いし、ラストのトランペットソロは外しまくっているし、
今現在の価値基準では判断に迷う個所もあるのではないかと思っています。
しかしそうしたマイナス点を差し引いても秋田南高校吹奏楽部のあの演奏の躍動感と生命感は大変充実していますし、
リズムセクションのビートが大変躍動的であるため全体的に飛んで跳ねるような感覚が非常にシャープです。
そこから感じられるのは、「コンクールの評価は私たちは別に気にしないし、自分たちの演奏ができればそれで満足」といった
一つのいい意味での開き直りの雰囲気が感じられ、そこには屈折した明るさが滲み出ている素晴らしい演奏だと思います。
吹奏楽アレンジ版ペトルーシュカの演奏と言うと、1990年の高岡商業や92年の西宮吹奏楽団の演奏や、
関東大会ダメ金でしたけど88年の埼玉栄の演奏も大変印象的ではあるのですけど、これらの演奏は全体の雰囲気は
とてもスマートで洗練され、音色自体は大変繊細であったりもします。
秋田南のペトルーシュカは、開放感と自由さを感じるのですけど、それは原曲のペトルーシュカにおいても
魔法使いの人形に生命が吹きこまれ、人形を操作している人間から自由になったという開放感をむき出しの感情と共に
見事に表現しているといえるのかもしれないです。
ビートの後打ちパートのリズムだけで立派に音楽を表現しているようにも感じられます。

このペトルーシュカの演奏と翌年の春の祭典の演奏は、著作権絡みの問題もあるせいなのか、ブレーンから発売されていた
レジェンダリーシリーズにも収録されていませんし、その当時ソニーから演奏音源としてのレコードが発売されているものの
このレコードは現在は超入手困難ですし、今のところCD化されていませんので、
今現在の若い世代の奏者の皆様があの素晴らしき名演に触れられる機会が無い事はかなりもったいない感じがあります。
あの演奏は今現在の視点で聴いても間違いなく、新鮮さ・感銘さはあると思いますし、
現役奏者の皆様があの演奏をどのようにお感じになるのかは実は私も興味津々であったりもします。
秋田南のペトルーシュカのアレンジャーは不明なのですけど、春の祭典・火の鳥・交響三章・バッカナール・
管弦楽のための協奏曲・パロディ的四楽章・矢代秋雄の交響曲などと同様に天野正道さんなのかな?と思われますけど、
ペトルーシュカのアレンジャーが天野さんだとすると、それ以降の練に練られたアレンジと少し異なり
若さと情熱がむき出しの編曲と言えるのかもしれないです。

1976年のペトルーシュカを引き継ぐ形で翌年、1977年の秋田南高校が自由曲として選んだ曲目が
プロでも演奏が大変難しいとされるストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」だったのです。
当時から「アマチュアの高校生が春の祭典、しかも吹奏楽アレンジ版として演奏するのはいかがなものか」といった批判の声は
相当あったと聞いていますし、
当時のBJのバックナンバーを読んでみても「春の祭典論争」といった吹奏楽アレンジによる春の祭典の演奏は果たして
是か非かといった賛否両論入り乱れる論争みたいなものもあった事はむしろなつかしい話なのかもしれないです。
(最近の吹奏楽コンクールにおいては、ベルクといった新ウィーン楽派の無調音楽やブルックナー・マーラーの交響曲が
ごく普通に自由曲として演奏されていたりもしますけど、当時としてはストラヴィンスキーのペトルーシュカや春の祭典を
吹奏楽アレンジ版として自由曲に選ぶこと自体が大変勇気ある事だったといえそうです)
秋田南の春の祭典の演奏は、そうしたつまらない批判を完全に吹っ飛ばす壮絶かつ理性的な演奏だったと思います。
(課題曲の「バーレスク」がとてつもなく理性的・端正に演奏していたのに、自由曲の春の祭典の自由で大胆不敵な演奏の
見事な対比には圧倒されます)
上記で壮絶と理性的というワードを用いましたけど、壮絶と理性的は言葉としては全く矛盾しているというか相反する要素だと
思うのですけど、この演奏を聴いて貰えば、私が何を言いたいかはすぐに分かって頂けると思います。
時に大胆不敵に、そして全体的には大変端正に理性的に乱れることなく進行していきます。
プロのオケでも難しいとされるホルンの高音域も全然無理なく自然に聴こえているのが特に素晴らしいと思います。
言葉は悪いのですけど、ある意味やりたい放題の演奏でもあり、演奏は確かに豪快ではありますが、
とてつもなく精密であり、聴いていても音楽の細かい所の隅から隅まで仕上げられているという印象が濃厚です。

1977年の全日本吹奏楽コンクールの全国大会では、実を言うと「春の祭典」は秋田南高校以外で駒澤大学も自由曲として
演奏がされています。
駒澤大学は、第二部「いけにえの儀式」から抜粋しているのに対して
(駒澤大学も素晴らしい演奏でした! だけど、後半のバスクラのソロの部分で凄まじいリードミスを発生させてしまい、
ほんの瞬間・・演奏が止まる寸前だったのに何事もなくバスクラがソロを続け、その後は無難に曲を展開させていったのは
さすがとしか言いようがないです)
秋田南高校は、第一部「大地礼讃」から抜粋させているのが大変興味深いところがあります。
「春の祭典」というと、第一部冒頭のファゴットの超高音域によるソロ開始が大変印象的なのですが、
秋田南は、このファゴットのソロから曲を開始させるのではなくて、木管楽器による不協和音のリズムの刻みから開始されます。
序奏からではなくて、春のきざし(乙女達の踊り) の部分から曲を開始させています。
そして全体的には、リズムが複雑すぎる場面やあまりにも超絶技術の場面や過剰に音量が鳴り響く部分を意図的に避け、
曲の構成・カットも無理な場面は選ばず比較的ゆったりとした部分をメインに構成していたのも大正解だったような気がします。
春のきざし→誘拐→春のロンドと曲を展開させてそして最後は唐突に第二部のエンディングの一音で終結というあまりにも
強引で大胆なカットをしていたのも面白い試みだったのかもしれないです。

秋田南のペトルーシュカも素晴らしかったですけど春の祭典も圧倒的名演だと思います。
ミスらしいミスはほとんどありませんし、アマチュアの高校生の吹奏楽アレンジとは全く思えない演奏だと思います。
大変誤解がある表現かもしれませんけど、気持ちが入っていないプロの管弦楽団の醒めた演奏よりは、
吹奏楽版ですけど秋田南の演奏の方が魂がこもっている気さえします。
そのくらいこの年の秋田南は神がかっていたと思います。
たまたま使用していた楽器が「管楽器+打楽器」にすぎなかったという感じの演奏でもありそうです。
所詮は吹奏楽アレンジ演奏でしょとか所詮は無謀なイロモノ演奏といった批判は全くの的外れと言う事だけは間違いなく言える
演奏だと思います。

秋田南というと後年の管弦楽のための協奏曲・矢代秋雄の交響曲・交響三章といった邦人作品の演奏も
素晴らしいのですけどそれに負けないくらい、ストラヴィンスキーを演奏した秋田南も素晴らしいと思います。
秋田南高校は1983年に同じくストラヴィンスキーのバレエ音楽「火の鳥」を自由曲に演奏していますけど、
結果的にこの年はまさかの銀賞という評価になってはいるものの、私の中では
「過去に演奏された火の鳥の演奏としては83年の秋田南が最高の名演」と感じていますし、
秋田南は、2018年時点で、全国大会でストラヴィンスキーの三大バレエ音楽を全て自由曲として演奏した唯一のチームで
あったりもします。
ちなみに駒澤大学も全国大会で火の鳥と春の祭典を演奏していまけど、ペトルーシュカは1990年に自由曲として選んで
いるものの、90年の中央大学の気合溢れるガイーヌに代表の座を譲り、全国大会出場が叶わなかったのは少し
勿体無い感じもあります。
余談ですけど、春の祭典は1979年の東北大会・中学の部で高清水中学校が演奏した事もあるのですけど、この中学校は
1978~80年の自由曲は、ペトルーシュカ・春の祭典・火の鳥というとてつもない選曲をしていたりもします。

秋田南高校吹奏楽部は、高橋紘一先生時代、特に1970年代後半から80年代前半にかけては
今現在の視点・感覚で聴いても全く遜色がない・・・否!! むしろそれ以上と言うか
今現在でもあの演奏から学ぶべきことは多々あるとてつもなく素晴らしい演奏を
一杯いっぱい・・・後世の私たちにこんなにも残してくれていたんだよ~!と伝えたい気持ちで一杯です!
(同様な事はロシアマイナーシンフォニー路線・邦人作品・イギリスの作品を取り上げた花輪高校吹奏楽部も
言えると思います)
あの頃の秋田南と同じ秋田県内の花輪高校の両校は当時の日本のスクールバンドの生きるお手本であり、
同時に両校ともに、後世の私たちをいまだに感動させ続ける素晴らしい演奏を残してくれていたと思います。

秋田南高校と花輪高校の過去のそうした素晴らしい演奏は、あの名演から40年以上も経過してしまうと、
私たちの記憶から消えてしまいがちですし、
当時の演奏全てがCDとして記録されている訳ではありませんし、
両校のあの素晴らしい名演を聴いたことが無いという方も結構いらっしゃると思いますし、
奏した意味において、誰か一人ぐらいは
「過去のこうした秋田県勢の素晴らしい名演をブログという形態であっても、文章という目に見える形で
何か残しておきたい」という人がいてもいいのではないかという事で、当ブログの管理人の私は、
未来への記録として秋田南と花輪の演奏の事は今後とも語り続けていきたいと思いますし、あの素晴らしい名演は
間違いなく後世に受け継がれていって欲しいものです。



現在の日本は人手不足社会なのかもしれないです。

住宅・建築業界では、特に職人さん・大工さん・作業員さんの人材確保がどこの会社でも深刻な問題になっているようですし、
うちの会社でもほぼ一年中ハローワーク等に人材募集の求人を出しているのですけど、面接以前に
募集の電話さえこの一年間ほぼゼロに近いという惨状のようです。
多分ですけど、そう遠くない近未来の日本では、AIが事務職等の仕事にどんどん進出してくると思われますし、
熟練を必要としない単純作業の労働はロボットにとって変るようになるのかもしれないですし、
今現在の人材不足を理由に海外からの就労者を大量に門戸開放したとしても、日本の国自体の景気が後退してくると
そうした海外からの就労者を一体どうするのかという問題も起きてきそうでもありますし、
雇用における需要と供給とか仕事のマッチングとミスマッチの問題は本当に難しいものがあるのだと思われます。

さてさて、幻想郷においてはそうした人手不足問題というものは存在するものなのでしょうか・・?

幻想郷にはめぼしい近代的な産業は存在していなくて、雰囲気的には幻想郷の人里の人間たちの仕事というものは、
農業または雇用主と従業員といった労務関係が発生しないような一人で仕事をしている自営業的な製造小売がメインと
言えるのかもしれないです。
幻想郷の人里にはそもそも論としてそれほど多くの人間が居住していませんし、その主導権はゆかりんをはじめとする
妖怪サイドが握っていますし、産業が生育する土壌が元々ないと言う事で人手不足とか人材過剰という問題は発生しようが
ないという事なのかもしれないです。
人間が運営するお店に妖怪たちが買い物・飲食に来る事は日常の光景なのですけど、印象としては妖怪たちのそうした
人里への接触が人間たちの新しい産業育成と言う事には繋がっていないし、元々がそうした発想がないのかもしれないです。
妖怪サイドとしても、妖怪の食料というものは、公式では必ずしも明確な描写がないものの、それは多分、
ゆかりんたちが外界でちょいと悪さを働き、外界で「この人物が突然消滅したとしても誰にも気が付かれない・・」といった
人たちを事前にリサーチした上でそうした人を外界から幻想郷にさらってきて、妖怪の食料として供しているという事なのかも
しれないです。
だからそうした観点では幻想郷の妖怪たちはある意味「食」が保証されているから、妖怪たち自身がなにか新しい産業を
興してみようという発想自体起きにくいものと思われますし、
幻想郷において「山の産業革命」というかエネルギー革命を起そうと目論んだのは、外界から幻想郷に移住してきた
八坂神奈子というのも妥当と言えるのかもしれないです。

そうした幻想郷ですので、人材募集といった求人広告自体が珍しいと言えるのかもしれないですけど、
実はほぼ一年中人材不足のために人材募集の募集広告を出している所もあったりします。
それが紅魔館における妖精メイドの大募集なのです。

紅魔館の主要メンバーは、レミリア様・フランちゃん・咲夜さん・パチュリーさん・美鈴・小悪魔で、命蓮寺よりは少ないけど、
永遠亭・白玉楼・八雲一家など幻想郷の他の主要メンバーよりは大人数ですし、なによりも紅魔館は毎晩のように
レミリア様が宴会やパーティーを開催し派手なお遊びをされているようですし、
その準備やら料理の準備やら片付けも大変そうですし、紅魔館は地下まであるかなり広いお屋敷でもありますので、
その日常の清掃やらお屋敷の維持管理も相当なものがありそうですし、
何よりもご主人のレミリア様はわがままなおぜうさまでもあられますので、その気まぐれなわがままにお応えするためにも
ある程度の大人数のメイドは必要と言う事なのだと思います。
そして幻想郷においてメイドさんをやりそうな種族は妖精が最も適任だと思われますし、妖精は元々がそれほど知能が
高くないし、衣食住を保証するからうちで働かない・・? と声を掛けられれば、妖精も案外簡単に
「紅魔館は他のおっかない妖怪たちが手出しできない聖域でもあるから、ここで住み込みしていれば、妖怪に襲われる事も無く
安泰なのかも~」という事で妖精メイドとして働く事にも応ずるのかもしれないです。

冒頭の紅魔館の妖精メイド大募集の広告は、文ちゃんが発刊した「東方文果真報」の広告ページなのですけど、
咲夜さんも「なんとか一人でも多くの妖精メイドを確保したい」と思っての求人広告掲載なのかもしれないです。
外界のこの手の人材募集の求人広告においては、実態とはかなり違うような甘い事、おいしい事、うまい事が書かれていて
それにホイホイと釣られてその会社に面接に行き無事に採用されたはいいけど、入社後のあまりにも募集広告とは違う
実態に気が付き後悔したものの既に後の祭り~という事例は腐るほどあると思うのですけど、
紅魔館の妖精メイド募集の広告もそれに近いものがあるのかもしれないですね。
広告では「アットホームな職場」・「楽しい毎日」・「カリスマ溢れる雇主とやさしい上司」と謳われていますけど、
雇主がおっかない畏敬の対象の吸血鬼であり、やさしい上司というのが確かに有能だけどひと癖もふた癖もありそうな
咲夜さんですので、紅魔館の妖精メイドとして雇われた妖精たちも初日に「これはやばいかも~」とさすがに感じるのかも
しれないですね。
実際広告の絵も笑顔の咲夜さんに対して、ちょっとひきつった苦笑い気味の妖精メイドが印象的でもあります・・

「東方求聞史紀」の設定では、紅魔館の大量妖精メイドは衣食住は保証されているものの、お給料はゼロで、
その代わりにおやつ・紅茶・食事は支給されている、紅魔館を退職するのもその後に紅魔館に再就職するのも自由で、
辞めたければいつでも自由に辞められる」という事でしたけど、上記の求人広告においては、
「給与は雇用主と相談」となっています。
これはさすがに「給料ゼロでは誰も応募してこないよね~」という反省の上に立っての事なのかもしれないですし、
はたまた幻想郷内にて「紅魔館は実はブラック企業」みたいな噂が流れたのかもしれないですね。
だけど妖精たちがレミリア様という吸血鬼を目の当たりにしてしまうと当然びびってしまって
「お給料をいっぱい下さい!」とは中々言い出しにくいのかもしれないですし、もしかしたら「いえいえ・・お給料はゼロでいいです」
とも思わず言ってしまうのかもしれないですね。

この「東方文果真報」の広告としては、魔理沙の魔法の箒やドレミー・スイートの安眠枕も印象的ですけど、
慧音先生が運営する寺子屋の生徒募集の記事も大変印象的です。
慧音先生と阿求が「わたしたちが合格させます!」というのはなんだか一定の説得力はありそうですけど、
幻想郷には受験がありませんので、それも一つの過大広告なのかもしれないですね。
幻想郷の知識人というと慧音先生や阿求が思い浮かびますので、この二人が講師と言うのも凄いことだと思います。
特に二人の「歴史」の授業はかなりの説得力がありそうです。
幻想郷の歴史の講師というと本来的には幻想郷の創設者の一人であるゆかりんが務めるのが適任なのかも
しれないですけど、ゆかりんが歴史の話を始めたら妖怪にとって都合のいい話しかしないのかもしれないですね~
そうそう、幻想郷の知識人というとパチュリーさんもいるのですけど、パチュリーさんの話し方は、小声でせっかちで早口
と言う事もありますので講師には不向きなのかもしれないですね。

咲夜さんは言うまでもなく紅魔館の優秀なメイド長です。

紅魔館には上記の通り、大勢の妖精メイドが雇われていて一年365日ほぼ全て
「メイド募集中!」みたいな人材募集をかけていますが、実際に応募に来た妖精に対しての面接とか採否決定とか
慣れるまでの間の教育・指導を行っているのは咲夜さんなのだと思います。
そうした意味では、咲夜さんは紅魔館全体の人事権を握っているのはレミリア様ではなくて、実は咲夜さんなのかも
しれないですね!
(レミリア様は、そうしたメイドの雇用とか教育等の面倒くさい事は絶対にやらなさそうですね~)

そして咲夜さんの人事権というのは妖精メイド以外の採用以外にも及ぶのだと思います。

紅魔館の地下の大図書館には「動かない大図書館」とも言われている知識人でもある魔法使いのパチュリーさんが
既にいるのですけど、パチュリーさんは咲夜さんが紅魔館にメイド長としてお仕えする以前に既に紅魔館内に
居候として住みついていた可能性が濃厚なのですけど、そうした居候とかフランちゃんの家庭教師とか
何か新しい役職を担った新しいキャラの紅魔館への就職(?)の採否を決定する権限を持っているのは、
もしかしてレミリア様ではなくて、咲夜さんなのかもしれないです。
それを示唆していたのは、東方永夜抄の中での、フランちゃんの家庭教師候補としての慧音先生」巡る
レミリア様と咲夜さんの会話だったのかもしれないです。

「東方永夜抄」において

慧音:判らんのか? そもそも、人間は居なかった事にした。
    今、ここの里の歴史は全て私が保護している。
レミリア:咲夜。この人、妹の家庭教師に良いんじゃない? 郷土歴史学の先生って感じで。
咲夜:うちにはもう知識人は要りませんわ……。

という場面がありましたけど、これはとっても興味深いですね!
レミリア様の妹のフランちゃんは、大変惜しまれる事にこの永夜抄においても未登場なのですけど、
レミリア様が妹のフランちゃんの事も実は大変気にかけて心配しているみたいな事が示唆されるシーンでも
ありましたけど、メイド長の咲夜さんとしては、
「私の仕事が増えるからパチュリー以外の居候がこれ以上増えるのは迷惑千万!」みたいな気持ちも垣間見えて
とっても面白いです!
同時にレミレア様に対して、やんわりと(?)咲夜さんの人事権を発動して
「慧音先生の不採用決定」を発令させているようにも感じられたものでした。
そして咲夜さんとしてはパチュリーさんは確かに「知識の豊富さ」・「学問としての知識」はあるのかもしれないけど、
実践としてはほとんど役に立たない頭でっかちのものだから、
うちの紅魔館には大して必要とされないから、これ以上ややこしい頭でっかちな知識人は勘弁して~!
これ以上私の仕事を増やさないで!みたいな事を想われていたのかもしれないですね・・(汗)

とにかく咲夜さんは、今日も明日も明後日も大忙し!

そして多分ですけど咲夜さんには公私の区別なくレミリア様からのわがままに日々振り回されていて
実はかなり大変ではないかと思います。
よく二次創作においては、咲夜さんは紅魔館には大量の妖精メイドがいるのだけど、紅魔館内の仕事は
咲夜さんがほぼ一人で取仕切り、本当にテンパった際に咲夜さんの時間を操る程度の能力によって時間を止める事で
何とかしてしまうという事が描かれてはいるのですけど、さすがにそんな事していると、一応は人間設定でもある
咲夜さんは心身ともにボロボロになってしまうのかもしれないです。
そうした多忙でプライベートも何もあったもんじゃない咲夜さんをフォローしてあげるのが、一応形式的には
咲夜さんと同じメイドとも言える妖精メイドなのかもしれないですけど、
咲夜さんの言葉と阿求の解説では「妖精メイドは役立たずばかり・・」という設定になっているようです。
これってどうなのかな・・?
儚月抄においては、パチュリーさんの指示に基づいて実務的に月まで行けるロケットを組み立てたのは
その妖精メイドですし、三月精の中では、妖精メイドはお掃除等ちゃんと働いている描写はあったと思います。
妖精メイドの使い方次第では咲夜さんの負担も相当減り、咲夜さん自身のプライヴェートのお時間も増えるのではないのかなと
思うのですけど、そうさせないのは咲夜さん自身の
「レミリア様・・そして紅魔館を取り仕切れるのはこの私だけ!」という強いプライドみたいなものがあるせいと
言えるのかもしれないです。
咲夜さんの心の深層としては「忙しいのはむしろ大歓迎! 私にはそんなに自分の時間は今は必要ない・・」と考えているのかも
しれないです。

そうした点を考慮すると、咲夜さんの紅魔館の仕事は、紅魔館全体のスケジューリングの調整と実質的管理運営と
実務の料理やレミリア様のお相手・買い出し・他の幻想郷主要メンバーとの打ち合わせ等であり、
大量の妖精メイドがしている仕事は咲夜さんの補助的な役割と片付け・洗濯・掃除等に留まっているのかもしれないです。

咲夜さんのお給料がどのくらいなのかとか、もしかしたら無給なのかも?という話は永遠に謎なのかもしれないですが、
「こんな有能なメイド長を万が一にも守矢神社とか白玉楼とか永遠亭、そしたはたまた古くからいるあの困ったスキマ妖怪の
お屋敷に転職されて引き抜かれるのは絶対に困る」という事で、レミリア様としては、多少は咲夜さんにお給料を
支給しているような気もします。
今現在ですと、咲夜さんのレミリア様に対する意識というと「お嬢様の命令には絶対服従」という感じなのかも
しれないですが、「東方紅魔郷」においては意外にもそうした意識が希薄であり、
「飯さえ食えればそれでいい」というなんだかやる気が今一つ感じられないサラリーマンみたいな意識で紅魔館のメイド長を
されていたのが大変意外でもありました。


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ここから下記は既に恒例になっているのかもしれないのですけど、dream fantasy の管理人様のアミグリさんが過去に描かれたイラストのご紹介コーナーです!

私が何かの間違いで幻想郷入りを果たし、紅魔館に数日間滞在することになった場合、
私がいっちば~ん! お話させて頂いたり幻想郷をご案内して欲しい御方は言うまでもなく咲夜さんだと思います!
ま・・スカーレット姉妹はなんだかんだいっても吸血鬼ですし(フランちゃんはとってもかわいいですけどね・・笑・・)
パチュリーさんはなんだか地下深くの図書館に籠りっきりでなんだかかび臭い魔女っぽい感じもありそうですし(汗・・)
咲夜さんの見事なプロポーションと美脚を拝見させて頂きながら色々とお話しできれば至福のひと時を過ごせそうですね~!

上記の咲夜さんは、アミグリさんが2012年8月に描かれた「水着咲夜さん」です。

ほのかで上品なお色気が感じられる初夏の季節に相応しい爽やかな咲夜さんだと思います!

咲夜さんは東方の世界においては、少しばかりエロネタ的要素で描かれる絵師様が多いような気もしていて、
あまりにも過激すぎるエロネタとしての咲夜さんを目にするたびに
「ちょっと違うんだよなぁ・・」と内心苦虫を噛み潰していた(?)私は、やはりアミグリさんが描かれるこうした健全で
健康的で明るい咲夜さんをお目にかかるとホッ・・・とするものはあります。
アミグリさんの素晴らしい点は、水着咲夜さんであっても大変上品に美しく仕上げられていて
まっすぐで健全でうしろめたさが微塵もない!という所もその一つの美点だと思います。
アミグリさんが昨年の7~8月に掲載されていた「東方水着シリーズ」もそうした点を見事に描かれていたと思います。

水着がとってもかわいいですし、咲夜さんのメイドスカートがたまらなく 素敵です!
上半身が水着で下半身がパレオみたいなスカートというちょっと意表をついているのもすてきな発想だと思います。
そしてこの作品の素晴らしい点は、背景がとても美しく爽やかに描かれている点だとも感じます。

咲夜さんが運んでいるクリームソーダも美味しそうですね!

私もぜひぜひけだるい幻想郷の真夏の午後に、水遊びをしながら、時にメイドの咲夜さんが運んでくる
クリームソーダに舌鼓を打ちたいものです!

上記のアミグリさんが描かれた咲夜さんの権利は全て上記作品の絵師様であるアミグリさんに帰するものであり、
当ブログにおける転載とご紹介は事前に全てアミグリさんからご了解を頂いたものであり、
アミグリさんからのご厚意で転載をさせて頂いておりますので、
無断お持ち帰りや無断コピーは絶対NGですので くれぐれも宜しくお願い申し上げます。

アミグリさん、本当にいつも素晴らしいイラストの転載を了解して頂きありがとうございます!!

皆様の中で「こんなに美しい咲夜さんを描く人のブログってどんなもんなのだろう・・? 」などと興味がある方は、
是非是非アミグリさんのブログ dream fantasy  を
ご覧になって頂きたいと思いますし、宜しければ、当ブログだけではなくて、
是非アミグリさんの本家本元のブログ dream fantasy  に一度お越しして頂けると
アミグリさんのブログをご紹介させて頂いている私もとってもとっても嬉しいです!

アミグリさんが定期的に作品を投稿され続けている →アミグリさんのpixiv にも是非一度足を運んで頂ければ幸いです!

アミグリさんのpixiv



このキャンペーンは先日の日曜をもって終了しましたが、吉野家においては6/6~6/16の期間限定でしたけど、
店内ではなくて持ち帰り用の商品は全て一律に80円引きというすてきなキャンペーンが展開されていて、
例えばですけど吉野家の牛丼並盛が通常380円なところ、このキャンペーンが適用されている期間中は
お持ち帰り用に限って一つ300円というとても魅力的な価格設定になっておりました。
こうしたキャンペーンはとてもありがたいですし、最近の当ブログ記事でも
「最近は牛丼自体脂っこいと感じ以前よりはたべなくなってきた」とか
「すき家・松屋の豚丼関連メニューが廃止になってしまい、こうした牛丼チェーン店に行くメリットがあまりなくなった」と
記してはいますけど、なんだかんだいって吉野家の牛丼は時折なのですけどなんだかやたらと無性に食べたくなる時が
ありますので、こうしたお持ち帰り80円引きという際には、ついつい足を踏み入れてしまいます。

吉野家の店内は普段は店内で食べる人がほとんどであり、こうしたお持ち帰りコーナーに並んでいる人は少ないという
傾向もあるのかもしれないですけど、今回のキャンペーン中は予想通りというのかお持ち帰りコーナーには常に
2~5人程度行列が出来ているという印象もありました。
やはり私達、庶民はなんだかんだいっても値引きとかキャンペーン中というワードに弱いと思いますし、
政府がやたら力んで「デフレ脱却」とかなんとか言っていますけど、デフレの象徴でもありそうな吉野家やミスタードーナッツ等が
こうしたキャンペーンを展開されるとついついつられそうですね~

吉野家の牛丼・つゆだくを店内で食べるべきなのかお持ち帰りのほうがいいのかについては時折ネタにされている事も
あるようですけど、私的には店内の方がいいようにも感じたりもします。
その理由として、
1.お持ち帰り用だと、ご飯をギューギューに詰め込まれて具材がご飯の上に乗っかり、さらにここに蓋が締められると
  店内で食べる時のようなふわっとした食感がほとんど感じられない
2.店内だと七味唐辛子・紅ショウガはかけ放題だけど、持ち帰りの場合は、店員に七味と紅ショウガ多めと言っても
  大抵の場合、小袋二つしか貰えない
3.家まで到着するまでの間に冷めてしまう
といった事が挙げられると思ったりもします。

私自身、中学・高校の頃は東北のとある田舎の片隅にいましたけど、当時はターミナル駅周辺すらにも吉野家自体店舗数は
少なく、学校の近くに吉野家が開店した際は、ちょっとした大騒ぎになったものです。
「だれそれの姉ちゃんが、吉野家でバイトしている」
「店長は自分の親せきで、頼めばおしんこ程度はサービスしてくれる」等妙な噂が飛び交ったものです・・・
(田舎というのは他人のどうでもいい話ばかり噂がいろいろと広がるというのが共通点なのかもしれないです)
大学生になって上京し、最初の一年間は大宮に住んでいたのですが、大宮駅前だけでも当時は2店舗も吉野家があり、
「やっぱり関東は違うね~」と当時は妙にありがたみも感じていたものでした。
その当時、1984年頃の吉野家の牛丼は並盛一杯400円でしたので、あれから35年近く経過しても値段が変わらないというか、
現在の牛丼並盛価格が一杯380円、そして最近のキャンペーンにおいて、持ち帰りの場合一杯300円というのは、
ある意味奇跡としか言いようがない感じなのかもしれないです。
当時銭湯は、確か230円で現在は430円という事でほぼ倍近くまで値上がりしている事を考えると、
その企業努力には本当に頭が下がる思いです。

話は変わりますが、牛丼チェーン店にはマニュアルはあるはずだと思うのですが、
店舗によってというか、人によって何か微妙に作り方・味に差があると感じるのは果たして私だけなのでしょうか・・?
たれもそうですし、牛肉自体、煮詰まったもの、固い感じがするもの、赤身ばかりの生臭い感じがするもの。
微妙なレア感が非常に素晴らしい時などその時その時、店舗によっても、作る人によっても微妙な温度差を感じてしまいます。

最後に・・吉野家というとこれは昭和育ちの方でないとわからないネタなのかもしれないですけど(汗・・)
吉野家は実は過去に一度倒産実績もあったりします。
あの当時、「牛丼一筋 八十年 ♪ やったねパパ!明日もホームランだ!」というテレビCMが盛んに流れていましたし、
当時は「早い、うまい、安い」のキャッチフレーズも印象的でもありました。
しかし結果的に創業80年前後に倒産という憂き目に見舞われ、その当時は色々な人たちによって
「やったねパパ! 明日は父さん(倒産)だ~!」というパロディーがやたらと言われていたものでした。

倒産の原因として、無理で急激過ぎた拡大戦略や膨大な無駄遣い(販管費は1977年からの1年間で27億円から80億円に激増)
が挙げられていましたけど、それ以外に大きかったのは
コスト削減として安い粉末タレへの切り替えや、輸入牛肉の供給不足もあってフリーズドライ肉を使用するなど
味の劣化による客離れの進行も倒産の大きな要因となったそうです。

結果的に吉野家はその後セゾングループが全面支援に入り、7年間ですべての弁済を完了しております、
これは会社更生法により本格的な再建を成功させた典型的な事例ともなったとも言われています。

吉野家の現況は正直、牛丼御三家店の中では最も厳しいと言われていますけど、一度倒産経験があるというのはある意味
強みなのかもしれないですし、あの時の経験をバネに、吉野家が以前のような輝きを取り戻してくれればいいなぁ~と
思ったりもします。
東方公式漫画というと、東方儚月抄・東方三月精・東方茨歌仙・東方鈴奈庵がそうなのですけど、
先日惜しまれつつも東方茨歌仙が最終回を迎え、これで現時点でコンプティーク等商業雑誌に定期的に掲載されている
東方公式漫画作品は「東方三月精」のみとなりました。

「東方三月精」は光の三妖精をメインキャラに据えています。

光の三妖精とは、日の光の妖精・サニーミルク 、月の光の妖精・ルナチャイルド 星の光の妖精・スターサファイアという
3名のポンコツ妖精ちゃんから構成された仲良し3人組で、
3人とも霊夢の博麗神社の境内内にある巨木に棲み付いていて、3人で共同生活を送っているだけでなくて、
常に三人でつるんで行動し遊び、そして霊夢をはじめ人間たちにいろいろなポンコツなイタズラを仕掛けている存在で
あったりもします。
ルナチャイルド(月の光)やスターサファイア(星の光)に対して、サニーミルクだけ夜と関係ない属性なのですけど、
どうして他の二人と仲がいいのかは不明との事です。゜
幻想郷の世界においては、妖怪・妖精等の種族は基本的には単独行動をする事がほとんどで、仲間とつるむとか
集団生活をするという事自体大変珍しい事でもあったりしますので、この光の三妖精たちの存在感はある意味において
異質とも言えると思いますし、個性という意味では際立っていると思います。

光の三妖精が主に活躍しているのは「東方三月精」という公式漫画でありまして、
光の三妖精が東方公式ゲームとして登場していたのは、チルノが主役でチルノが唯一の自機を務めていた「妖精大戦争」
のみです。
こうした公式漫画にのみ登場しているキャラというと東方茨歌仙の華扇もそうでしたけど、華扇は、東方深秘録と東方憑依華
という公式ゲーム作品に登場し、かなり重要なポジションの立ち位置を占めていたりもしますけど、
無理とは思いますが、光の三妖精たちにも何かしらの東方公式ゲーム作品にも登場してほしいな~とも思ったりもします。


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東方三月精は今現在において第四部まで連載が進行しています。

そしてこの公式漫画おいて特に際立つ点が何かというと、実は第一部の作者と第二~四部までの作者が異なっていて、
結果的に同じ公式漫画なのに作者が異なる二つの版が存在しているということになったりもします。
どうしてこのような事になったのかというと、第一部を担当されていた松倉ねむ先生が連載中に体調不良という事で、
連載を降りてしまったという事が要因でもあったりします。

東方三月精の第一部;Eastern and Little Nature Deity. は、前述のとおり松倉ねむ先生が作画を担当されています。
物語の背景としては東方永夜抄~東方文花帖あたりの頃のお話でもあります。
ちなみにですけど、この松倉先生版の東方三月精【第一部】は、再販も重版もされていないため、元々市場にほとんど
流通していないこともあり、この松倉先生版の第一部を入手したいと思っても、ほぼ入手困難と言えると思います。
ちなみにアマゾンやヤフオクでもたまに取り扱いがされている時もありますけど、その価格が5000~7000円前後は
通常してしていますので、これは東方ファンからしてみると幻の一冊と評されるのもわかる気がします。

そうした事もあり、実は私自身もこの第一部は今まで見たことも読んだ事もありませんでした。

しかし先日なのですけど、とあるブックオフにて、この松倉ねむ先生版の東方三月精が普通に店頭に売られているのを
発見した際はびっくり仰天したものでした。
こうした希少本は価格も相当するのかな・・?と恐る恐る価格を見てみたら、なんと! まさかの108円でした!
保存状態も良好で落書きや汚れ等もなく、しかもおまけのCDもちゃんと添付されていました。
これは正直まさかの掘り出し物という事なのかもしれないです。

それでもって初めて松倉ねむ先生の東方三月精を読んでみたのですけど、私自身は二部以降の作画を担当されている
現在の比良坂先生版の三月精に慣れ親しんでいるため、画風もそうですしストーリー展開も含めて、
比良坂先生との違いがあまりにも大きすぎて、改めて東方三月精はタイトルは同じだけど異なる版が二つあると
認識した方が良いと感じたものでした。
現在の比良坂先生の三月精は画風がかなりはっきりと鮮明なタッチで描かれていますし、サニーミルク等光の三妖精たち
一人ひとりの表情も明るくくっきりと描かれています。
(どちらかというとアニメ作品のような華やかさがある作風だと感じられます)
それに対して松倉ねむ先生の三月精は、なぜかしりませんけど作風全体が白っぽくて、色彩全体がかなりうすくて淡くて
これをもしもコピーしたらうまく写らないのかもしれないと感じてしまう程、とにかく全体が白っぽくて
最初に見た時は慣れるまでにかなり違和感を感じたものでした。
そして光の三妖精の表情もどちらかというと暗いタッチで感情の起伏がそれほど感じられず、
現在の比良坂先生が描かれるサニーミルクのあまりにも能天気で陽気で明るい雰囲気と比べてしまうと
「なにこのサニーミルクの浮かない感じは・・」と感じてしまいそうです。
スターサファイアだけは比良坂先生との違いはそれほど大きくは感じませんでした。
そして松倉先生の描かれる三月精で特に際立っているのはルナチャイルドの描かれ方ですね~!
比良坂先生のルナチャイルドはどちらかというとドジっ子とかサニーミルクたちに常に振り回されていていつもそのとばっちりを
食らっている損な役割を担っているという感じが濃厚なのですけど、
松倉ねむ先生の三月精においては、クールという雰囲気は比良坂先生とほぼ同じながらも、サニーミルクたちとは
明らかにどこか違っているというのかかなりミステリアスで謎めいた雰囲気がかなり目立っているようにも
感じたものでした。

そうそう、松倉先生の三月精にも当然霊夢と魔理沙も登場していますけど、魔理沙がどちらかというといたずらっ子の
お茶目な様子で描かれているのに対して、霊夢はルナチャイルド同様にかなりクールな感じで描かれていたりもします。
怠け者巫女というよりは、なんとなくですけど「生きるのすら面倒くさい・・」と感じさせる霊夢がそこにはいるのかも
しれないほど現在の比良坂先生が描かれる三月精の霊夢とは違いが感じられます。

ちなみにレミリア様も咲夜さんも松倉先生の三月精に登場していますけど、レミリア様は威厳はあるけどかわいい雰囲気で
描かれているのに対して、咲夜さんはなんだかかったるそうに描かれています。
「東方紅魔郷」での咲夜さんには「飯さえ食えればそれでいい」みたいな発言もあったりしますので、この頃の今一つ
やる気がない咲夜さんの雰囲気を松倉先生として描かれていたのかもしれないです。


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上記画像をご覧頂くとお分かりの通り、松倉先生の三月精は、なんだかモノトーンみたいな感じで描かれて、
とにかく作風が真っ白!という感じです。
特段空白が多いという訳でもないのに、全体が真っ白という印象です。

各キャラの表情に変化があまり感じられないというのは、現在の比良坂先生のあのベタベタでとにかく明るくノリの良い
作風に慣れてしまうと、やはり「とても同じ三月精とは思えないね~」と正直感じたりもします。

前述の通り、ルナチャイルドの表情や描かれた方においては、かなりの個性を感じさせていますので、
贅沢な事を言ってしまうと、現在の比良坂先生の作風にルナチャイルドのみ松倉先生的な描き方をすると
最高傑作ができるのかもしれない・・とすら感じたものでした。


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上記は現在の比良坂先生版の東方三月精です。

やはり作風が全然違いますし、各キャラの表情が大変生き生きとしているように感じられます。

比良坂先生の三月精は現在第二部~第四部まで出ていて、第四部は現在もコンプティークで連載が続いています。
(連載と言っても月刊誌の中で、年間4回のみの連載です・・)

第二部;Strange and Bright Nature Deity.

この第二部からから、うどんげちゃん・てゐ・アリス・チルノ、パチュリーさん、ゆかりん等名だたる東方キャラが
登場しています。
台詞はあのませんけど、リリーホワイト、大妖精、小悪魔も登場しています。
第二部の時系列は東方文花帖から東方地霊殿の直前までが背景となっていて、
第二部までは、光の三妖精は魔法の森に古くからある大木に住んでいたものの、
最終回にて霊夢の博麗神社裏の大木に引っ越しています。

第三部;Oriental Sacred Place.

第二部の最後に博麗神社の近くに引っ越したことを反映し以前よりも頻繁に博麗神社でのシーンが見られるようになっています。
命蓮寺の話題が出てくるため東方星蓮船よりも時系列的に後の話であると推察されます。
この第三部で大変興味深いのは、小野塚小町の口より四季映姫様が実は元々はお地蔵さんであった事を提示するなど、
原作ゲームの補完的側面も見られたりもします。

第四部;Visionary Fairies in Shrine.

時間軸としては東方紺珠伝直後からに相当し、紺珠伝で登場した地獄の妖精・クラウンピースが新レギュラーとして登場
しています。
実質的には現在は光の三妖精ではなくて、幻想郷の四妖精として描かれています。
そしてクラウンピースは、大木内ではなくて博麗神社の縁の下をねぐらとしています。

上記にてルナチャイルドの話が出てきましたので、ここから先はほんの少しばかりルナチャイルドについて
触れてみたいと思います。

ルナチャイルドはドジで間抜けな印象があり、比良坂先生の東方三月精においても
とにかくよく転ぶとか一人だけ逃げ遅れるみたいなどんくさい点があるのは否定は出来ないし、
ドジでいつも貧乏くじを引かされるという印象が大変強いです。
ルナチャイルドの能力として「周囲の音を消す能力」があるとされているのですけど、
阿求の評価では

〇音を消せる能力があるのに抜き足差し足で歩いていてマヌケ・・

〇周囲の音がかなり騒々しいのに、ルナチャイルドが珈琲豆のコソ泥に入る時は、急に物音がしなくなり
 逆に「またあの妖精がやってきた・・」と感づかれてしまう
 妖精の頭が廻らない一つの側面である。
といった書かれ方もされています。

ただ私の感覚としては、そうしたドジっ子要素よりは他の二人の光の妖精とは明らかになにか異質なものを感じさせ、
ミステリアスで不思議な妖精、そして本人すら気が付いていないものを何か内在化しているのではないのかなとすら
感じさせてくれるものもありそうです。
そしてそうした点を松倉ねむ先生ももしかしたら感じ取られて、松倉先生版三月精においては、少し不思議なミステリアスな
描き方をされていたのかもしれないです。

その一例として・・

1.自称・・・「三月精の頭脳」(?)のサニーミルクというポンコツ頭脳が立案するイタズラについては、
  結構ダメだしをしていて、サニーミルクの計画に対しては懐疑的な事が多い。
  三人の中では一番クールで理性的・・

2.朝は、(コソ泥をしてきた)珈琲豆でコーヒーを飲み、その傍らで「文々。新聞」を読んでいる。
  知性においては妖怪や人間等と比較すると一歩も二歩も劣る妖精にしては
  かなり珍しい知性的な趣向

3.妖精は基本的には自然現象としての存在なので、朝が来れば目覚め、夜になれば休息するという自然の流れに
  沿っているのだが、ルナチャイルドは、夜行性の傾向が強く、
  夜になると単独行動を開始し、夜はいずこかをフラフラと飛び回っている。
  そして一方朝はめっぽう早いし他の二人よりも常に早起きしている。
  ルナチャイルドは一体いつ寝ているのでしょうか・・・?

4.蛍光灯や人形・ぬいぐるみ等の人工物を拾い集めるクセがある。
  基本的には妖精は自然現象そのものなので、そうした元の自然にないものを収集するという行為そのものが
  妖精としては極めて異質

ここから言えることは、ルナチャイルドは、他の妖精、例えばサニーミルクとかリリーホワイト等と比べると
妖精としての特性が極めて不自然というのか異質というのか
何か他の妖精たちとは決定的にどこかずれていると思わせるところが多々あったりするようにも感じられます。

そうそう、松倉ねむ先生の東方三月精の中に短編小説らしきものも掲載されていて、この中になんとあのゆかりん=八雲紫様が
登場されていて、ゆかりんはルナチャイルドに対して下記のように諭します。
「月の光の力は、日の光よりも優れている。
静かなる力、心の色、悩み、月の光は何物にも惑わされない光なのよ。
さあ、起きなさい。貴方が他の日の光と星の光にいいようにあしらわれているのは何故だと思う?」と
ルナチャイルドの秘められたものを示唆するようなことまで言わせしめています。
そしてゆかりんはルナチャイルドに「あなたが最も妖怪に近い」とまで評しています。

ゆかりんの言葉が示唆していることって何なのでしょうか・・?

これは私の脳内妄想でも判断に悩む感じです。

ルナチャイルドが、妖精よりははるかに巨大な力を有する妖怪に進化するとは思えないのですけど、
妖怪への進化というのも決してありえない話ではないみたいな感じもありますし。
ルナチャイルドすら気づいていない何かを秘めているのは確実だと思います。

ゆかりんが言いたいことは
「あなたは決してサニーミルク達とつるんで終わるような妖精ではない」とか
「あなたは実は本当の自分自身の力を全く分かっていない」
「あなたはまだあなた本来の能力に気が付いていない。目覚めていないから、他の光の妖精と
遊び呆けている」
「早いとこ目覚めなさい」と言った事なのかもしれないですけど、
ゆかりん自身は、ひそかにルナチャイルドを気にかけていて、ルナチャイルド自体の今後の変化・進化を
遠くから見つめているといったそんな感じもあったりもします。


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ここから下記は既に恒例になっているのかもしれないのですけど、当ブログがいつも大変お世話になっている
dream fantasyのアミグリさんが描かれた
イラストのご紹介コーナーです。

本記事は二つの「東方三月精」の記事でしたけど、今回はその一角、ルナチャイルドを転載をさせて頂きたいと思います。
上記のイラストのルナチャイルドはアミグリさんが2012年7月に描かれた作品です。

アミグリさんが描かれたこのルナチャイルドは、ルナチャイルドのミステリアスな感じやどこなく神秘的な雰囲気を
ブルートーンを基調にされる事でうまく引きだされていると感じます。
どことなく憂いを感じさせるのは、光の三妖精のなかでも月の光をベースにしている妖精だからと言えるのかも
しれないですね。
ひたすらおバカで明るく能天気なサニーミルクは太陽の光をベースにしていますから、
サニーミルクとルナチャイルドの雰囲気の違いは、太陽という明るい表の世界と月という裏の世界の違いと言えるのかも
しれないですね。
そうした月の裏の世界を感じさせるミステリアスなルナチャイルドだと思います。

そしてルナチャイルドの最大の外見的特徴でもある、あのクルクルロール巻髪もとても丁寧にかわいらしく細かく描かれて
いるのもとても素晴らしいと思います。
このルナチャイルドがどことなく神秘的に感じさせてくれるのは、アミグリさんがこのルナチャイルドを描かれていた
2012年という時期がアミグリさんにとっては「淡い作風の時代」とも重なっていて、この作風とルナチャイルドのミステリアスさが
絶妙にマッチしていたとも思います。
(淡いと言っても松倉先生の真っ白の三月精とは全然違いますけどね・・)

上記のアミグリさんが描かれたルナチャイルドは、ルナチャイルドの絵師様であるアミグリさんに
帰するものであり、当ブログにおける転載とご紹介は事前に全てアミグリさんからご了解を頂いたものであり、
アミグリさんからのご厚意で転載をさせて頂いておりますので、
無断お持ち帰りや無断コピーは絶対NGですので くれぐれも宜しくお願い申し上げます。

アミグリさん、本当にいつもすてきなイラストの転載を快諾して頂きありがとうございます!!

皆様の中で「こんなにもすてきなミステリアスなルナチャイルドを描かれる方のブログってどんなもんなのだろう? 」などと
興味がある方は、 是非是非アミグリさんのブログ dream fantasy  を ご覧になって頂きたいと思いますし、 宜しければ、当ブログだけではなくて、
是非アミグリさんの本家本元のブログ dream fantasy  に一度お越しして頂けると アミグリさんのブログをご紹介させて頂いている私もとってもとっても嬉しいです!

アミグリさんが定期的に作品を投稿され続けている →アミグリさんのpixiv にも是非一度足を運んで頂ければ幸いです!

アミグリさんのpixiv
とうもろこしを使った料理は、炒め物もそうですしサラダもそうですし、ラーメンやパスタのトッピングとしても適していると
思われますし、勿論ゆでたとうもろこしにほんの少しばかりの塩をふりかけたものをがぶりと頬張るのは至福のひと時だと
思いますし、スープにしても本当に素晴らしい具材だと思いますし、
改めてとうもろこしって本当においしい食べ物と実感してしまいます。
とてつもなくシンプルな調理方法なのですけど、ゆでたとうもろこしにみりん・バター・醤油等を用いた調味料で
焼き上げると本当に美味しいしとっても香ばしいと思います!
私自身も貧乏学生時代とか社会人間もない頃に寮ではなくて賃貸に住んでいて給料前等でお金が無い時に、
節約兼お腹にたまる料理としてよく自炊してメニューとは、フライパンの上にバターと醤油を入れ、ちょっと焦げた感じに
させたところに、ご飯と缶詰のとうもろこしを大量に入れ、少し焦げ目がつく程度に焼き上げたとうもろこしバター醤油チャーハン
でもありました。
このとうもろこしチャーハンにツナ缶を入れるとさらに風味とコクがマシマシになると思います。

焼きとうもろこしは、夏祭りとか縁日等イベントの屋台の一つの定番だと思うのですけど、焼きとうもろこしが売られている屋台で
あんなにも香ばしい醤油の香りがぷ~んと漂っていると、ついつい買ってしまい、頬ばりたくなってしまいますよね~!


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以前なのですけどプランターでとうもろこしを栽培した事があるのですけど、プランターと言えども
とうもろこしはかなり成長し、普通の畑で植えた程度の高さにまで伸びてしまうのは毎回感心してしまいます。
やっぱりプランターで育てると栄養が行き届かないのかな・・?
確かに上にとてつもなく伸びるのですけど、肝心の中身は、畑で育てたものに比べると全然小さいです!
プランターで育てたトマト・きゅうりは実も結構大きくなってくれるのですけど、そうした意味ではとうもろこしはプランターで
育てるには少しばかり無理があるのかもしれないです。

プランターで栽培したとうもろこしを茹でたり焼いたりして食べる時は、「栽培するのに二か月程度、食べるのはあっという間」
と言う事でもったいないと感じる反面、手作りの嬉しさみたいなものは感じたりもします。
自宅のガスコンロやIHで焼きとうもろこしをやってしまうと、室内は煙が充満し匂いが染みついたりする可能性もあったりします。
そういう場合、どうすればいいのでしょうか・・?
室内でとうもろこしを焼く場合、グリルや網を使うとどうしても煙が充満しがちなのですけど、実はなのですが、
焼きとうもろこしはフライパンでも簡単に作れたりもします。
電子レンジで4~5分ほどとうもろこしを加熱し、フライパンにバターをひいてその上にレンジで加熱したとうもろこしを焼き、
「バチッ、パチッ」と音がし焦げ目が多少付いた頃に仕上げとして醤油をとうもろこしの上にたらし、
更にもう少し焼き上げると、それほど煙が出ないで美味しい焼きとうもろこしが完成します。
カセットコンロで焼きとうもろこしを焼き上げると、煙と匂いはかなり出ると思われますけど、それについては後述しますが、
幻想郷内の博麗神社にて、霊夢と魔理沙のために早苗さんがカセットコンロで焼きとうもろこしを作っていた事もありました。
だけど、その際には幻想郷内の境内にて香ばしい煙と匂いが充満し、
もしもそれを今現在の博麗神社でやったとしたら、神社境内の大木内に棲んでいる光の三妖精と、
博麗神社の縁の下近くで寝泊まりしているクラウンピース等がその香ばしそうな香りにつられてノコノコ出てきそうな感じも
ありそうなのかもですね~

上記で焼き上げたとうもろこしをもちろんそのまんま食べてもとっても美味しいのですけど、さらに手抜き料理を書きますと、
焼きとうもろこしの粒だけを芯から取っておき、炊飯器の中に水・お酒少々・お塩ほんのちょびっと・お米、そして
焼きとうもろこしの粒を入れ、炊飯器のスイッチを押すだけで
あらあら、とっても簡単でお醤油味がベースの焼きとうもろこしの炊き込みご飯の完成です!
ごはんととうもろこしの相性ってとっても素晴らしいものがあると思い知らされた瞬間でもありました!
お米ととうもろこしの関係で言うと、普通にチャーハンを作り、最後の仕上げに鮭フレークと焼きとうもろこしの粒を
ほぐしたものを投入し、最後に強火で炒めると
やはりとってもおいしいもろこし鮭チャーハンが完成します!
今現在の暑い夏の時期ですと、冷製パスタの上に焼きとうもろこしを大量に乗せても宜しいと思います。


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さてさて、東方の世界において、とうもろこしは東方茨歌仙第6話・雷の持つ見えない毒に登場しています。

茨歌仙の第6話は第2巻に収録されている話なのですけど、この頃はまだ初期の頃という事で
華扇とか早苗さんの絵のタッチが今とかなり異なっていますので、最近の作風の早苗さんのあの美少女ぶりを
見てしまうと作者様の絵の進化というものを感じたりもいますけど、この東方茨歌仙も惜しまれつつも今月をもって
連載終了というのもとても残念な気がします。

この第6話の中では、大変珍しい事に霊夢と魔理沙が何やらぐったりとしている描写から始まります。
それを見た華扇の反応は「「貴方達から元気を取ったら何が残るの?」という事なのですけど、
後からやってきた早苗さんも「二人から元気を取ったら一体何が」と華扇とほぼ同じ感想を述べているのが
大変面白いものがあると思います。
そして華扇のそのセリフの欄外に「人間のクズになっちゃうわ」というやはり華扇のセリフが掲載されていますけど、
初期の頃の華扇は、霊夢・魔理沙を心配しているというよりは、特に霊夢に対して
「そのサボリ癖とか巫女としての自覚のうすさ」等に対して説教を重ね、口うるさい仙人としてのイメージが感じられたりもします。

この話の中でどうして霊夢と魔理沙の二人がぐったりと元気がない様子なのかというと、その原因は
様々な動物を飼い慣らし動物とも自由自在に会話が出来る華扇が放し飼いとして飼っていて、
冬場はおとなしい為にうっかり華扇がその存在さえも忘れてしまった電気獣とも言うべき「雷獣」の毒に当ってしまった
という事が判明します。
華仙にかまってもらえないことを不満に思った雷獣は、そのストレス発散のため雷雨を起こし、
雷獣は雷を起こすときに毒を発生しもその毒を浴びると、人間はやる気をなくして考えることすらやめて、
廃人になってしまうというというのは、実は東方の作り話と言うのではなくて、雷獣の妖怪としての伝説に基づいている
話でもあったりします。
その毒を消すにはとうもろこしが効くというのも雷獣の妖怪としての伝説に基づいていたりもします。
早苗さんはとうもろこしを集めて霊夢と魔理沙に食べて貰いなんとか二人の毒は消え、霊夢と魔理沙は元気を回復します。
それではどうして霊夢と魔理沙が雷獣の毒に当たったのかというと、これはまたまたいつもの霊夢の「楽して金儲けしよう」
という大変安易な発想に基づいていて、霊夢と魔理沙は雷獣の雷から電気エネルギーを得て、
一儲けしようと考えていましたけど、自分たちがその毒に当たってしまった現状を鑑みて
「これは無理っぽい・・」と断念せざるを得なくなります。
霊夢魔理沙は落雷時に雷獣の存在を発見し、それを利用してエネルギー問題を解決し、
あわよくば余剰エネルギーを売るつもりだったらしいという意図があるのですけど、
「ミイラ取りがミイラ」になってしまうの諺通りにこの二人が雷獣の毒に当ってしまったというのも
実に東方らしい話と言うのか白蓮さん風に言うと因果応」の世界なのかもしれないです。

この時、早苗さんは外界ではお馴染みな道具ですけど幻想郷ではその存在自体がありえないはずの
カセットコンロを守矢神社から持って来て、このカセットコンロを使って焼きとうもろこしを作り皆に振る舞っていました。
というか、早苗さんは外界から幻想郷に移住時にわざわざカセットコンロまで持ってきたという事なのかもしれないです。
カセットコンロにはガス缶は必要不可欠なのですけど、幻想郷には当然カセットコンロもガス缶もありませんので、
考えられるのは、外界で市販されていたものを幻想郷移住の際に持ち込んでいたのか、
カセットコンロとガス缶自体を河童のにとりたちに作って貰っていたのかもしれないです。


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雷獣や雷獣の毒の解毒剤としてのとうもろこしなのですけど、前述の通り元ネタはきちんと存在しています。

松浦静山の随筆「甲子夜話」によれば、雷獣が大きな火の塊とともに落ち、
近くにいた者が捕らえようとしたところ、頬をかきむしられ雷獣の毒気に当てられて寝込んだという話もあるとの事です。
また江戸時代の画家・谷文晁の説によれば、雷が落ちた場所のそばにいた人間は気がふれることが多いが、
とうもろこしを食べさせると治るとの事です。
またとある武家の仲間が、落雷のそばにいたために廃人になったものの、とうもろこしの粉末を食べて正気に戻ったという
エピソードも紹介されています。
東方茨歌仙に限らず東方の世界観は、西洋東洋問わず世界各国の様々ないい伝えを物語の中に
ちゃんと反映している点も素晴らしい所があると思います。

早苗さんは、霊夢と華扇の会話を聞いて電気の獣というワードに反応し、
ウナギやナマズの他にピカチュウらしきものを思い浮かべるというのは、外界出身者の早苗さんらしいエピソードと
いえそうです。
霊夢や魔理沙にピカチュウとんなんとかいっても「なんじゃそれ・・!?」みたいなきょとん・・顔をされてしまうのが
オチなのしれないです。

東方茨歌仙第6話・雷の持つ見えない毒の話の中で、華扇が語っていた「リスクのない恩恵なんてこの世には無いのです」
というのがこの話の最大のテーマと言えるのかもしれないです。
等価交換というのは、なにかを得ようとするならなにか代償を支払わなければいかないという事なのですけど、
「電気のような高度な恩恵を得たければかなり大きなリスクを負うのは当然です」という華扇のセリフは、
福島の原発事故を意識した教訓話と言えるのかもしれないです。
「東方地霊殿」は2011年以前の話なのですけど、あの中「核融合という力を暴走させてしまったお空というキャラが
登場したりもしているのですけど、東方の創造主のZUN神主様としては、
お空といったある意味危険キャラを生み出してしまったという自戒の意味を込めて
茨歌仙第6話の中に華扇の言葉の中にもしかしたら「人間にはむしろ知らなくてもいい技術がある」という事や
「原子力発電という大変リスクの高い技術を人間が使用するにはそれ相応の覚悟と事前対策が必要である」という事を
私たちに提示していたのかもしれないです。
世の中の景気って中々上向かないものですね・・
今年の10月に本当に消費税が10%に引き上げられるか否かは現時点では今一つ不透明ですけど、
増税中止の場合の根拠というのがリーマンショック並の経済変動とか言われているようですけど、昨今の世界経済の
不安定要素を見てみると「そうした可能性も完全には排除できないのかな」とふと感じたりもします。
かつての高度成長期とかあの昭和末期から平成初期の異常なバブル景気みたいに
すさまじい成長というのは最早ありえないものだと私自身は認識しています。
今後の展望ですけど、そうした成長とか景気の好循環の維持という方向性ではなくて、ゼロ成長」というのか、
別に経済はこれ以上成長しなくても構わないし、成長を目指すというヘンなプレッシャーから解放されて
最高で現状維持、通常は極めてゆるやかなマイナス成長だって構わないのではないのかな・・・とすら感じます。
社会全体が成長というのではなくて
精神的なゆとりとかそんな日々の仕事やお金の事でギスギスした荒れた生活をするのではなくて、
限られたパイの中で、自分の生活水準に相応しい楽しみ方を一人一人が見出していくという
方向性にそろそろシフトをしていってもいいのかな・・?とふと感じたりする瞬間もあったりします。

このブログでは何度か書いたことがあるのですけど、私自身が好きな言葉というのは三つほどあり、
1.お金は天下の廻りもの 2.お金はあの世に持っていけない 3.捨てる神あれば拾う神あり がそうなのですけど、
3の「捨てる神あれば拾う神あり」はすてきな格言と言えるのだと思います。
捨てる神あれば拾う神ありという言葉の本質は、価値基準というものは決して唯一絶対のものではないと言う事なのかも
しれないです。
ある組織では、「これはよくない事」と非常識化された価値観が別の組織では「それはいいこと」みたいになってしまう事は
別に珍しくも無い話だと思いますし、
本人が一つの組織内では、役立たず扱いされてダメ人間呼ばわりされていたとしても
別の組織に移ったりすると「あの人はすごい!」みたいな評価を受ける事は決して珍しくはないと思います。
要は、価値観というものに絶対的なものはないと思いますし、その価値観を決めるのはあくまで自分自身なのだと思います。
最終的に自分に合った価値観を見出すまでは色々な可能性を模索すべきであり、それが私たちの生きる上での
「すてきな多様性」と言えるのかもしれないですね。

私自身、社会人になって感じた事は、今現在在籍している会社も含めて、会社の規模に関係なくほとんどの経営者というものは
ひたすら企業の規模拡大と売り上げ拡大のみを考えているとしか言いようがない事は決して否定は出来ないと思います。
現代の資本社会主義下において、これはごく当たり前の考え方なのかもしれませんが、
これほど成熟社会・高齢化社会・人口減少を考えると、こうした考え方自体が既に時代遅れになっているのかもしれません。
むしろ、現在は量よりも質の問題なのかもしれないですし、
「どうやって現状を維持していくのか」
「どうすれば過剰に売上増大を図らなくても一定の利益を出せるシステム作りの構築」を考えた方が良いのかもしれません。
日本社会は完全に成熟社会で、これ以上の成長性や発展はあまり期待しない方が良いのかもしれません。
量の拡大という時代は既に終わっているのだと思います。
今後は、成熟した社会の中で、特定の富裕層・大企業だけにお金が廻るシステムを
根本から変える必要がどうしてもあると思うのです。
派手に金融緩和を行っても、結局は特定の資本・特定の大企業・特定の富裕層に メリットがあるだけで結局は、
国民全体に恩恵がある訳でもなんでもないという感じでもありますし、
そうした愚策をやるならば、大企業が抱えている100兆円とも言われる内部留保をある程度強制的に設備投資・社員への
給与等へ拠出させるとか富裕層への資産課税を強化した方がいいのかもしれません。

冒頭で書いた通り私の大好きな格言でもある「お金は天下の廻りもの」・「お金はあの世に持っていけない」という事も
そうした事なのかもしれないです。

特定の大企業・富裕層だけにお金が廻るシステムは何とかしないといけない。
同時にこれだけ「社会保障費」にお金がかかり過ぎる社会も改めないといけない。
そして、誰しもがある程度納得する「配分と負担」を実施しなければいけない。
政治的には大変難しいかじ取りが求められるのだと思います。
ベーシックインカムという制度は、否定的見解が強く、私もその実現は私が生きている間は絶対に無理と
思っていますし、「働かなくても一定の給付金が貰えるから働く事も創造的行為も何もしなくなる」という風潮が
社会に蔓延されることは全然好ましくないと思いますし、「働かなくても遊んで暮らせる・・」みたいな風潮が蔓延るくらいなら
最初からこうした無意味な給付・ばらまきはやっても全然意味が無いようにも感じられます。
一定の年収以下の人達には一律に月間10万円程度の給付を行う代わりに
それ以上の収入に対しては一律20~30%程度の課税を課すとか
ベーシックインカム的給付を行う代わりに年金制度・失業保険・生活保護等は全廃にし、
日本の社会保障をものすごくシンプルなものにする事で公務員削減等を実現したり、
「働かざる者食うべからず」を徹底すべく、一律10万円の給付があったとしても社会に奉仕する為の
労働という考え方を幼児期から学校で教え込むなどの道徳・規律・社会マナーの徹底を狙った学校教育の見直し
などの公正な配分と負担を今から真剣に考える必要があるのではないかと思ったりもします。

とにかくどちらにしてもお金というものは「生き金」が一番ありがたられるものであり、必要以上に
溜めこまれて社会に全然還元されなかったら、
「流れる水は腐らない」という事にならず、むしろお金の留保によって社会全体が腐ってしまう事も無きにしも非ずでは
ないのかな・・?と思ったりもします。
とにかくお金は現世でその人・企業が生存存続している間に使う事が一番なのであり、それを実践するだけでも
社会全体が劇的によくなるような要素もあるのではないのかな・・?とふと思ったりもします。

今現在の経済システムにおいて、お金が社会全体に「生き金」として滞留していないから色々と問題があると思うのです。

俗に「江戸っ子は宵越しの金を持たない」とかいいますけど、これは意外といい線を付いている言葉なのかもしれないです。

社会全体にあるお金、特に相続財産とか内部留保とか富裕層の資産をいかに「生き金」として社会に循環させていくのか・・
そうした事がもしかしたら嫌でも検討せざるを得ない社会がもしかしたら本当に到来するのかもしれないです。
そうなる事が嫌と言うならば、今のうちの平成の時代で既に様々な歪みが生じていた格差・世代閣格差・
土地・金融資産を持つものともたざる者の格差とそうした格差が子供や孫の代にも生まれながらの格差を既に生じさせている
負の問題に対して今の内から対策を講ずる必要があるのかもしれないと考えたりもします。


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上記のグリフォンフィギュアは小野塚小町です。

小野塚小町は、地獄の閻魔様というのか地獄の最高裁判長でもある四季映姫様(役職名=ヤマザナドゥ)の
直属の部下であり、その主な仕事は、死者の魂を彼岸へ運ぶ三途の川の船頭という事です。
小町と映姫様の担当エリアは幻想郷内ですので、幻想郷内での人間とか妖怪の死者は
小町によって三途の川を渡り、そして映姫様によって最後のお裁きを受けるのです。
小野塚小町の最大の特徴でもあり魅力でもあるのですけど、
仕事がヒマな時はいいとして、仕事の合間とか休憩時間とかなんとか色々言い訳をしまくって、
持ち場を離れて想郷内をぶらついて仕事をさぼっている姿が目撃されていて、
幻想郷内最大のサボマイスターとかサボりの達人などと言われていたりもします。
上司の映姫様より「またサボっていて!!」とお叱り&小言を食らうのですけど、
そうやって怒られた時の、あの「きゃん!!」という叫び声はとにかくとっても可愛くて、あの「きゃん!!」を聞くだけで
小町に魅了されてしまいそうです。

外界で蓄財と内部留保にのみ夢中で「分配」を考慮しない方は、
幻想郷のすてきな三途の川の船頭であり死神でもある小野塚小町からのありがたいお説教に耳を傾けてほしいものです!

東方の世界における三途の川なのですけど、死者によって実は「河幅」が異なるとの事です。
その長さというのは、小町のような死神に渡す「渡し賃」の多いか少ないかによって 決まるとの事です。
金であればあるほどその河幅は短くなるとの事です。
こうやって書いていると、それって地獄の沙汰も金次第ってことなの・・?と思われがちですけど
実は違います。
渡し賃というのは、死者の全財産であり、その全財産というのは、いわゆる金銭ではなくて、
一つの徳、つまり人徳というものが現世の金銭に相応するとの事です。
生前、親しくしてくれた人たちが本当にその人のためを思ってどのくらいのお金を使ってきてくれたのかというお金の
合計がその全財産という事なそうですので、 要は生きたお金としての価値の尊さという感じなのかもしれないですね。
「お金はあの世にもっていけない」という事なのですから、 お金というものは生前において、
本人のためにも他人に広く分け与えるという意味でも そんなケチケチ貯め込まないで
「お金は使う事にこそ価値がある」といった考えを東方的に意図しているのかもしれないですし、
改めて東方の世界の奥の深さを感じたりもします。

幻想郷のそうした小野塚小町のような考え方を外界の分配理論に持ち込むだけで、外界における経済的問題の大半は
解決されそうでもありますし、それを世界規模に拡大解釈すると、もしかしたら世界で起きている紛争のほとんども
いい方向に収束できるのかもしれないです。
(世界の紛争には経済的側面以外にも宗教の問題も複雑に絡んでいるから一筋縄で解決は出来ないのかもしれないです)

お金という現生の毒薬は決してあの世には持っていけるものではないし、
ましてや現世での貨幣価値といった価値基準というものは、あの世においては通用するものではありません。
だから、お金というものは生き金というのか、この世で使うからこそ意味があるという事なのかもしれないです。
「お金は天下の廻りもの」という事ですから、
自分の為にだけ使うのではなくて、他人のため、困っている人のためにも使うからこそ意味があると言えそうですし、
そして、そうした他人のために使ったお金というのがいずれまたまた自分にも返ってくるというのが因果応報の本質とも
言えそうですし、ケチケチしないでお金がある時は、決して無駄遣い奨励という訳ではないのですけど、
自分のために半分、そして誰かのために半分を使った方がいいのかもしれないです。
それが現代社会で既に一つの大きな問題になっている「格差社会の是正」という事にもつながると思ったりもします。
現世で莫大な富を有している人の考えでは
俺が一生懸命努力に努力を重ねて、勉強を重ねて結果的に築いてきたこの財産を誰にも邪魔されないで貯め込んで何が悪い!
これはオレの金なんだぁーーー!!という事なのかもしれないですけど、
お金というものは自分一人で使えるのはたかがしれていますし、
それだったら「分配」というか、高額所得者はそれ相応の税金を払うとか寄付みたいな形で
社会に還元した方がいずれは、社会全体に冨が行き渡り、そうした事は必ず本人自身の更なる富にも繋がっていけるし、
結果的に「情けは人の為ならず」ではないけど、
他人のために使ったお金というのはいつかは自分自身にかえってくると思ったりもします。
そんなケチケチため込んだり、内部留保したって、一向に世の中全体の景気回復には役立たないはずなのですけど、
それが出来ないのは人間の「業」と言えるのかもしれないです。

東方の「あの世」の概念は、現世の貨幣の価値基準をバッサリと斬り捨てているのは大変興味深いものがあります。

「地獄の沙汰は金次第」と言う事は幻想郷の死神や閻魔様達にとってはありえない概念ですし、
現世のお金に関する価値基準はあの世の世界では一切通用しないどころか、その概念を小野塚小町に持ち込むと
えらい目にあってしまうというか、万一そうした渡し賃をこの世での概念同様に渋ってしまうと、
三途の川すらも越えられず、地獄に行くか冥界に行けるかという閻魔様のお裁きすら受けられずに
小町によって船から叩き落され、川の中の化け物魚たちに食われてしまい、永遠に彷徨い続けるというのは、
この世の「金の亡者たちの無慈悲」を見るたびに、逆に胸がすかっとするものがあったりもしします。

小野塚小町というと幻想郷のすてきなサボリの名人という印象もあるのですけど、小町のそうした考え方こそが
外界における分配論のヒントにももしかしたらにりうるものなのかもしれないです。





ここから先は既に恒例になっているのかもしれないのですけど、
当ブログが本当にいつも大変お世話になっている dream fantasy の管理人のアミグリさんが過去に描かれたイラストのご紹介コーナーです!

上記の作品はアミグリさんが2011年10月に描かれた小野塚小町です。

赤髪もとっても見栄えがしますし、髪型のツーサイドアップがとてもかわいいしよくお似合いだと思います。
小町というと幻想郷においても、ゆゆ様・ゆかりん・星熊勇儀などとあわせてグラマーキャラとしても名高いのですけど、
そうしたグラマーな小野塚小町雰囲気がそこはかとなく上品に漂わせているのがアミグリさんらしいと感じたりもします。
小町が手にする鎌がいかにも地獄の使者と「死」みたいな雰囲気を漂わせていますけど、
小町が手にしていると凶器という感じではなくて、「みんなをちょっと怖がらせてみようかな~」といった小町のちょっとした
イタズラ心みたいなものすら感じさせていると思います。

この小町はアミグリさんにとってはかなりの初期作品でもあるのですけど、
「小町をアミグリさんの今現在の感覚と作風で描かれたらどんな感じになるのかな~?」と思っていたら、
dream fantasy のアミグリさんは、昨年夏に
「水着こまっちゃん」という事で水着の小野塚小町を夏らしく描かれていて、掲載当時にあの水着小町を拝見した際には
とても嬉しく感じたものでした。


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上記の作品が昨年・・2018年7月に描かれた「水着こまっちゃん」です!

アミグリさんの描かれる水着こまっちゃんはかわいいですし、プロポーションがとても抜群で
胸の豊かさ・腰の見事なくびれに目が釘付けになってしまいそうです~!
水着もワンピースやパレオではなくて フリル付のビキニというのが
こまっちゃんの「すてきなお姉さま」らしさを演出されているとも思えます。
小野塚小町の上司は地獄の閻魔様=最高裁判長の四季映姫様であり、映姫様は元々はお地蔵様のご出身という事で、
プロポーションに関してはぺったんこであり(←こらこら・・汗!)
映姫様と小野塚小町は二次創作ではよく「上司と部下の胸の格差社会」と揶揄されがちではありますけど(汗・・)
こまっちゃんのあの豊かな胸と抜群のプロポーションと腰のくびれを見せつけられてしまったとしたら、
閻魔様の映姫様ですら、水橋パルスィみたいな「妬ましい・・」みたいな感情に瞬間的に陥ってしまいそうにも思えますね~

かわいいけど同時に美しいお姉さまという雰囲気に溢れた素晴らしいこまっちゃんだと思います。
ツーサイドアップの髪がふわっと空に舞っているような雰囲気やこまっちゃんの太ももがとても眩しくて
夏に相応しい一枚だと思います。
髪とビキニと海のキラキラもとっても気持ちよく飛ばされていて見ているだけで心地良いです。
(特に背景の海のキラキラ感の演出が一層夏らしい雰囲気を見事に醸し出しているように感じられます!)

小野塚小町は幻想郷内では大人・お姉さんみたいな立ち位置だと思うのですけど、
こまっちゃんのツーサイドアップと髪を束ねている髪飾りのかわいらしさが現役の外界のJKさんみたいな雰囲気をもたらして
いるのかもしれないですね(笑)
そしてJKさんみたいなかわいらしさを秘めながらもこの腰のくびれの大人のお色気も同時に備わっているという
奇跡的な作品だと改めて感じたものでした。

ツーサイドアップというと、少し大人びた少女がする髪型みたいな印象もあり、東方では小鈴・にとり・サニーミルクが
そうした少女っぽい雰囲気を有しているのですけど、小野塚小町のツーサイドアップは、
少女というよりは幻想郷のすてきなお姉さま・・みたいな雰囲気の方が強そうですね~!
こうした髪型もこまっちゃんにはよくお似合いだと思いますし、大胆なビキニと合せて、思わず見とれてしまいそうですね~!

上記のアミグリさんが描かれた小野塚小町の権利は、小町の絵師様であるアミグリさんに帰するものであり、
当ブログにおける転載とご紹介は事前に全てアミグリさんからご了解を頂いたものであり、
アミグリさんからのご厚意で転載をさせて頂いておりますので、
無断お持ち帰りや無断コピーは絶対NGですので くれぐれも宜しくお願い申し上げます。

アミグリさん、本当にいつもすてきなイラストの転載を快諾して頂きありがとうございます!!

アミグリさんのブログ「dream fantasy」は、
東方・艦これ等の版権作品の二次創作作品や上記のオリジナル作品など
すてきなな作品が一杯いっぱい詰まっているまさに「宝石箱」みたいなとっても素敵なブログです!
宜しければ、少しでもアミグリさんとかアミグリさんの作品に興味を持てた方がいらっしゃいましたら、
アミグリさんのこちらのブログを一度見て頂けれましたら、とっても幸いです!

是非宜しくお願いいたします!!

→  dream fantasy

アミグリさんが定期的に作品を投稿され続けている →アミグリさんのpixiv にも是非一度足を運んで頂ければ幸いです!

アミグリさんのpixiv

それでは本記事を最後までご覧頂きありがとうこざいました!
おにぎりやパンはとってもおいしいですし、朝ごはんや朝食を食べないで学校や職場に行った時の朝食代わりとか
少し小腹がすいた時の間食としてはうってつけだと思います。
つい先日までセブンイレブンでちょっとすてきなキャンペーンを展開しておりまして、
2019年6月1日(月)~お月14日(金)の2週間の期間中のAM4:00~11:00限定ですけど、
税込160円未満のおにぎりを組み合わせ自由で2個買うと税込200円で買えるという内容です。
朝セブンといえばコーヒーとパンのセットがお得に買えるというイメージでしたけど、今回の朝セブンは
税込160円未満のおにぎりを2個買うと200円という内容で、朝セブンとして時間限定でおにぎり2個をセットで行うのは珍しい
試みといえますけど、これはとてもありがたいです。
(こうしたおにぎりの朝セブンというのは通算2回目だったかな・・?)
実際私自身も最近出勤前に、ひとつ150円のおにぎりを二つ購入し本来ですと300円のところ200円で済んでいますので
大変重宝しておりました。

同様のキャンペーンはファミリーマートでも6/4~8の間に展開されていましたけど、こちらはキャンペーンとしては
大変中途半端であり、実施期間が短いし、160円未満のおにぎり2個購入で30円割引というもので、
上記の朝セブンですと、150円のおにぎりを二つ購入しても200円でしたけど、ファミマの場合は、150×2-30×2=240円
という事で朝セブンよりはインパクトは弱いようにも感じたものでした。
ただ朝セブンはあくまで時間制約がありますので、販売時間に関してはファミマに軍配ありなのかもしれないです。

普段なら一個130円~160円程度もする比較的高額なおにぎりが全て税込100円とは改めてありがたいものがあります。
普段ならば2つで300円相当するものがキャンペーン期間中は200円というのは大変ささやかなハッピーが
あるようにも感じられます。
そしてこうしたキャンペーンの良い点は、単に価格が安いという事だけではなくて、普段は一個150円以上もするので
ちょっと手が出しにくかったおにぎりを「果たしてどんな味がするのだろう・・?」とお試し的に食べてみることが
出来るある意味試食の場が提供されている事とも言えるのかもしれないです。
そしてこうしたキャンペーンが終わった後でも本当においしければ、たとえ定価であっても「また買ってみよう~」という気分に
なってしまうのかもしれないです。


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その中でも今回特に美味しいのかも~! これは次回以降も購入しても損は無いと感じたおにぎりが「炭火焼牛カルビ」でした!

このおにぎりは中身の牛肉がとても柔らかくて美味しくて、白いご飯によくあっていると思います。
そして特筆すべきはおいしいだけではなくてかなりの量の牛肉が詰まっていて、全体的には質量ともに大満足の
おにぎりといえると思います。

ただ朝セブンで一つだけ改善を求めたい事がありまして、それは何かというと朝7:30~8:00頃の出勤時間帯にセブンに行っても
商品棚にほとんど陳列されていない店舗もかなり多かったような印象があります。
いっちば~ん!に欲しい時間帯にセブンイレブンに行ったとしても、おにぎりコーナーにおにぎりがほとんど陳列されていない
光景を見る度にしょぼん・・となったものでした・・(汗・・)
そしてそういう時に売れ残っているおにぎりは一個120円程度のおかか・こんぶ・梅・塩むすびぐらいで、
一個130~150円程度の比較的高価なおにぎりはほぼ完売というのは、朝セブンでおにぎりを購入されている方は
普通のサラリーマンの出勤時間帯よりも早い時間に家を出ている皆様という事なのかもしれないです。

だけどそうした事はちょっと高望み過ぎなのかもしれないですし、
コンビニにそうした無茶な高望みをし過ぎるから、最近社会問題とも化しているコンビニの24時間営業の是非という事にも
繋がっているのかもしれないです。
朝早い時間帯から深夜の時間帯まで、おにぎり・弁当・惣菜・サラダ・飲み物・日常雑貨品等が普通に売られていて、
コピーや公共料金や通販サイトやチケットの支払いも出来て、最近では宅急便やネット通販での品物の受取も出来ますので、
これ以上コンビニに利便性を求める方が酷と言えるのかもしれないです。
私が高校生だった1980年代前半の頃って、実はコンビニ自体がまだまだ珍しいという感じだったのかもしれないです。
もちろん、それは高校当時が東北のとある田舎だったからという背景もあるのですけど、
当時のコンビニというと、その営業時間は文字通り朝7時開店、夜11時に閉店という店が主体で、24時間営業はまだ
少ない方だったと思います。
この時代にローソン・ファミリーマートが既にあったのかどうかは記憶にありませんけど、
当時の記憶では、コンビニと言うとセブンイレブンまたはサンチェーンが主流だったような気もします。
サンチェーンは、後年どこかのコンビニに後年統合されていったと思います。
この頃のコンビニは、現在のように弁当は美味しくないし、
今では信じられない話かもしれませんが、冷たい飲み物売り場の飲み物がほとんど冷えていないとか、
デザートはアイスクリーム程度しか販売されていないとか、
今の感覚で言うと「まだまだ黎明期」という感じだったのかもしれないです。

1970~80年代初期のコンビニはスーパーよりもかなり価格が高いものをスーパーよりは多少遅い時間まで開けているという
程度に過ぎず、そこに置かれている商品も別に個性も何も無く、
純粋に普通の商品を普通に売っている店という印象に過ぎませんでした。
だけどそう思っていたわずか数年後にはあっという間にコンビニの世間認知度が広まっていき、商品の品揃えも豊かになり、
そのサービスも前述の通り、コピー機設置にはじまり写真現像などどんどんコンビニで利用可能なサービスも増えていき、
同時にコンビニオリジナルブランドのおにぎり・弁当・惣菜・冷凍食品・飲み物・スイーツ等のおいしい食べ物も
次から次へと登場し、
その進化には目を見張るものがあると思います!
コンビニで大変ありがたかったサービスの登場としては、90年代前半になって登場してきた電気・水道・ガス等の
公共料金の支払いがコンビニでも出来るようになった事でしたね!
80年代の頃ですら、そうした公共料金の支払いは郵貯と銀行でしかできなかったですし、
いちいち銀行等に行って長い待ち時間を経てようやく公共料金の支払いが出来たという不便さから解放された
あのコンビニでの公共料金支払いサービスはありがたいものがありました。

1980年代中盤のコンビニにおいてコンビニの良さを痛感した私でしたけど、そこから更に数十年後において
アマゾンみたいなありとあらゆる商品が何でも揃っているショッピングサイトが出来て、
その代金支払いも商品受け取りもコンビニ一つで完了してしまう時代が到来するなんて当時の私には
夢にも思っていませんでしたし想像もしていませんでしたね。

当時のコンビニの感覚から振り返ってみると、今現在は恵まれていると言えますし、むしろ過剰サービスともいえますし、
そこに人手不足問題が加わりますので、あのような24時間営業の是非が表面化しているのだと思いますが、
私自身は、コンビニも含めて日本全体が「過剰サービス社会」に陥っている感じもありますし、サービス業全体に
「他がやっているのならうちもやらないと」といったチキンレースがまかり通っているという感じなのかもしれないですけど、
近未来の日本が直面する高度高齢化社会や人手不足を考えると、確かにコンビニの営業時間見直しの是正は必然性がある
という流れになるのは当然なのかもしれないですね。
1984年と言うと、私が親元を離れて初めて一人暮らしを始めた年でもあり、
東北の田舎を脱出し実家を離れる事が出来て、その開放感(?)に浸りきった年でもあり、
個人的には大変記憶に鮮明に残っている年でもあります。
あの頃の日本は、いかにも「古き良き時代」という感じでしたし、世間の雰囲気が「まっ、いっか・・」みたいなおおらかな空気が
まだまだ支配的でどこかのんびりとした雰囲気だったような印象があります。
今現在のような閉塞感とか常にピリピリと殺伐としているような空気では無かったと思います。
当時は今みたいに人間関係が無味乾燥という感じではありませんでしたし、
携帯もLINEもメールもパソコンも何にも無いない時代でしたし、
他人とのコミュニケーションは基本的には「直接会話」以外あんまり方法がなかったし、
何て言うのかな・・・まだ日本人らしい(?)「恥の文化」とか「奥ゆかしさ」とか
「そんなに言語明瞭にはっきり言わなくてもいいじゃん! そんなの行間を読み取ってよ」みたいな空気があったと思いますし、
少なくとも今現在よりは生きやすい時代だったような記憶があります。
むしろそうした時代に実家を離れて一人暮らしをスタートしたというのは、むしろ恵まれていたような感じもありました。

当時の私は、埼玉県大宮市(現、さいたま市大宮区)のぼろアパート【4畳半+3畳 風呂無し・トイレ共同 家賃2.2万円】に
居住していましたけど、あの頃ってお金は全然無い典型的な貧乏学生でしたし、
仕送り+毎月のバイト代で大体毎月8万程度で全てをやりくりしていたのですけど
(家賃→2.2万 光熱費→8千円未満 通信費→携帯はあの頃は存在していないし、固定電話は無いから0円
 銭湯代→4000円前後 吹奏楽団の部費・楽器消耗品・部の飲み代→1万円前後
 食費→3万未満 本→5000円ぐらい・・・)
別にお金が無くてもそれはそれでいいじゃん!、日々こうやって何とか生きていっているし、
学校は毎日通って、週に何度かは都内の吹奏楽団の練習に参加し、バイトもし、
お金が無くてレコードも聴けないけど、そういう時は・・上野の東京文化会館5階の音楽資料室で
丸一日レコードを借りまくってひたすら音楽漬みたいな事もしているし、
他に何か望む事ってあるのかな・・??

そういう楽観的な雰囲気が私の中に内在していたような感じがあったものでした。

当時はいわゆるバブルの発生の前の時代でしたし、まだ就職とか社会人生活なんてまだまだ先の話と思っていましたし、
日本全体がどことなく牧歌的な雰囲気が漂っていたのがそうした私自身「楽観さに繋がっていたのかもしれないです。
今振り返ってみると、この時代の日本は、「バブルの絶頂・日本経済の絶好調→バブルの崩壊・失われた10年」の
直前のお話という訳でして、なんとなくですけど私としては「滅亡前の微かな幸せの時代」という感じだったのかもしれないです。

冒頭から話が全然ヘンな方向にそれてしまいました(汗)

1984年と言うと、都内のとあるポンコツ大学に滑り込み大学の吹奏楽団に入団し、
無事にコンクールメンバーのオーディションを通過し、初めて大学の部として吹奏楽コンクールに臨んだ年でもあります。
結果論なのですけど、うちの学校は1982~83年に都大会にも出場していて、かつては全国大会にも出場していた実績は
あったもので、私としても「この4年間で一度ぐらいは普門館で開催される都大会には出場できるのかな・・?」と淡い期待を
抱いていましたけど、現実とは残酷なものでして私が在籍していた4年間は全て都大会予選で散ってしまい、
都大会本選に出場できず、結果的に普門館のステージに立つことは出来ませんでした・・(泣・・)

1984年の吹奏楽コンクール課題曲は、かなり粒が揃っていてかなり充実していたと思います。
前年の1983年の課題曲も、カドリーユとかインヴェンション第一番・白鳳狂詩曲などとこちらもかなり名作揃いでしたが、
一つ難を言うと、Dのマーチが「キューピットのマーチ」と言う吹奏楽コンクールの中でも
「歴史的な不人気作品」・「典型的な駄作」と酷評され、事実、吹奏楽コンクールでもこの課題曲を選曲するチームは
ほぼ皆無でした。
そうした中、1984年の課題曲は、AからDまで4曲全てが大変充実していたと思います。

この年の課題曲は下記の四曲でした。

課題曲A 池上敏 変容-断章

課題曲B 和田薫 土俗的舞曲

課題曲C 三上次郎 シンフォニエッタ

課題曲D 浦田健次郎 マーチ「オーパス・ワン」

課題曲4曲が全て充実しているなんて実は珍しい事なのかもしれません。
大抵一つぐらい不人気作品がある傾向にあるのですけど、どの課題曲を選んでも遜色ないという感じでしたし、
1984年の全国大会・大学の部の金賞受賞の4チームの課題曲は、それぞれA~Dと分散していたのは、
その課題曲の人気が平均して優れていたという事なのだと思います。
1986年も1990年の課題曲はA~Dの4曲とも大変内容が優れていたと思います。

Aの「変容-断章」は、現代的なメカニックな響きの中にも「和」の雰囲気を漂わせていたと思いますし、
Bの「土俗的舞曲」は、うちの学校のコンクール課題曲でもありましたし、
結果的にこの曲は後日、作曲者自身によって
「オーケストラのための民舞組曲」の第一楽章として管弦楽化もされていましたし、
(和田薫の奥様はフレッシュプリキュアのキュアパイン役の声優さんの中川亜希子さんです)
Cの「シンフォニエッタ」は、まさに急-緩-急の三楽章からなるミニシンフォニーみたいに大変中身が濃い優れた作品でしたし、
Dの「マーチ・オーバス・ワン」も短い曲ながらも大変親しみやすく、平易な技術で書かれている割には
充実感さえ感じさせる堂々とした響きというのが大変印象的でした。

マーチ・「オーパス・ワン」の際立った特徴として一つ指摘したいのは、
この課題曲以前のコンクール課題曲のマーチは、基本的には出だしから最後まで終始テンポが一定に保たれている
パターンが多かったと思いますが、この課題曲の場合、
冒頭のトランペットによるゆったりとしたテンポから開始されるファンファーレ的部分とその後に展開されるマーチの
部分を明白に分離されている事は大変興味深いものはあります。
そうしたファンファーレとマーチを区分している曲として
このオーバス・ワン以降、例えば1985年の「シンフォニックファンファーレとマーチ」とか2001年の「栄光を讃えて」などが
あると思いますけど
今にして思うとそうした曲の先駆者的な役割も担っていたような気もします。

冒頭のゆったりとしたファンファーレに続いて軽快なマーチの部分に展開されていくのですけど
このマーチのメロディーがとてもかわいらしくてキュートでしたし、同時に流麗みたいな勢いもありましたし、
スコアを見る限りではそれほど難しい個所も無く、
指揮者にとっても奏者にとっても吹き易くて演奏するのが大変楽しい本当に素敵な作品だったと思います。
シロフォーン奏者だけは「こんな速いパッセージ難しい・・」と言っていたのは印象的でした。
私達の学校の課題曲はBを選曲していましたけど、
気分転換の曲としてたまに、この「オーバス・ワン」も演奏しましたけど、クラリネットパートとしても
難しい指使いとか過度な高音は皆無でしたし、大変伸び伸びと吹ける曲だったと思います。
中間部のトリオのメロディーラインが大変美しくて、あの部分ではクラリネットが低音でメロディーを奏でているのですけど、
吹くだけでうっとりしそうですね。
そしてこの美しいトリオに比較的唐突な印象で金管が入り込み
そこから一気にラストまで駆け上っていくのですけど、あの追い込み方も 聴かせるツボを分かっているような印象もありました。

演奏時間は3分程度の短い曲なのですけど、内容的にはかなり充実していますし、
スコア上の平易さが少しも「手抜き」とは感じさせず、
むしろ、「シンプル イズ ベスト」を立証しているようにも感じられます。

この課題曲Dは、全国大会でも結構演奏されていて、この年の高校の部でも11チーム演奏していました。
そして意外な事に、関東代表の市立川口・習志野・野庭といった実績のある学校がこの課題曲を選んでいたのは
少し意外な感じもしたのですけど、
その分自由曲にエネルギーと練習時間を廻せるという点では作戦勝ちだったのかもしれません。

さてさて、このマーチ「オーパス・ワン」なのですけど、実はこの曲の作曲者は、
1979年のあのウルトラ超難解現代作品の「プレリュード」(1979年 課題曲B)を作曲された浦田健次郎と同一人物です!
最初にマーチ「オーパスワン」の作曲者が浦田健次郎と聞いた時には
「うそでしょ・・!? あの難解なプレリュードを作曲した人がこんな平易で親しみやすい曲も書けるなんて!」と
当時一部で話題にもなっていました。

あの「プレリュード」の世界を聞いてしまった後にこの「オーバス・ワン」を聴くと確かに同一人物による曲とは思えないですね。

吹奏楽コンクールの課題曲を振り返る時、一つの節目というか転換点になった曲があるようにも思えます。
私の世代よりも二世代ぐらい上のオールド吹奏楽ファンの方ですと、1964年の課題曲/序曲「廣野を行く」を
推されるのかもしれないです。
序曲「廣野を行く」以前の課題曲は、マーチがほとんどであったのに対して、マーチ以外の曲想の課題曲が
登場した初めての年と言えるのかもしれません。
当時、序曲「廣野を行く」は「難しい」と敬遠気味だったそうですけど、
現在の視点から聴くと一体どこが難しいのかな・・・?とも感じてしまうのですけど
それは吹奏楽コンクールの進化と奏者の技術力の圧倒的向上という事があると思います。
転換点と言うと、1974年の課題曲B/高度な技術への指標は今現在の視点から聴いても革新的だと思います、
こんなバリバリのポップスの曲をよく吹奏楽連盟が課題曲として認めたものだとある意味感心してしまいますし、
当時の吹連の役員さんの「太っ腹」には敬意を表したいです。

そして真の意味で大きな転換点になった課題曲はも1979年の課題曲B「プレリュード」ではないかと思います。
なぜ転換点かというと、吹奏楽コンクール課題曲の歴史の中で初めて、無調音楽のような現代音楽の感覚と形式を
初めてコンクール課題曲として成立させたのが、プレリュードだと思うのです。
この曲の譜面を初めて見た際に驚いたのは、冒頭50小節近くは、全ての管楽器奏者は全員休止状態で、
この部分はティンパニの完全一人ソロが静粛に緊張感をもって展開されていきます。
ティンパニソロ以降も変拍子に次ぐ変拍子で、メロディーラインが全然分からない現代音楽の要素を吹奏楽コンクールに初めて
本格的に持ち込んだ記念碑的な曲とも言えます。

この課題曲B/プレリュードを現在の視点から聴いてみると、とてつもなく面白いし斬新だと思います。

技術的には極度に難しくは無いようにも思えなくもないというか、曲全体が終始ゆったりとした曲なので、
アレグロのような早い部分はほぼ皆無ですけど、この曲を通して聴く人に「何か」を伝えることは大変難しいようにも感じられます。
楽譜に書いてある事だけをそのま魔音にしても、プレリュードは全くの無味乾燥になってしまうと思います。
この課題曲は後年CDやカスタムテープ等で様々なチームの演奏を聴いたのですけど、
演奏するチームによって、ここまで音楽の表現方法は変わるものなのかと愕然とするくらい
色々な表現スタイルがあったと思います。
そしてその中でも断トツに際立っている素晴らしい名演は誰が何と言っても市立川口高校の演奏に尽きるのではないかと
思います。
市立川口のプレリュードは、自由曲のネリベルの「二つの交響的断章」と合せて
神がかりな演奏以外の何者でも無いとさえ思います。
出だしのティンパニソロは緊張感漲る演奏が本当に素晴らしかったし、
後半のヴィヴラフォーン以降の木管セクションのひさやかさ、打楽器セクションの鼓動な文句のつけようがない演奏でした!
市立川口のあの演奏は、全国大会初出場でしかもプログラム一番と言う事で、そうしたハンディーを全く感じさせない
圧倒的な名演だったと思います。

課題曲B/プレリュードの特徴は大きく分けて二つあります。
一つは、小節ごとに拍子がコロコロと変わりまくるすさまじい変拍子の連続で、
そして二つ目は、これは最大の特徴とも言えるのですけど、曲の冒頭はィンパニの完全単独ソロから開始されます。
本当にティンパニだけのソロのみで展開され、この間は他の楽器は一つの音も入りません。
冒頭から約1分近く、ティンパニのソロ(しかも他の楽器なしの完全ソロ・)という
おそらく課題曲としては私が知る限りにおいて、唯一の快挙を成し遂げています。
さてさて、このティンパニのソロですけど、
38秒までが手で、それから52秒までが普通のマレット(バチ)、それ以降は木琴などのバチの柄の部分、
という3種類の演奏法により、音色の変化も出すようにスコア上で指示が出されています。
曲のエンディングは、冒頭同様に手で奏でるように指示されて、静粛に静粛に・・閉じられていきます。

浦田健次郎は、後年、ヤマハ吹奏楽団浜松から委嘱を受けて、
シンフォニックバンドのための「Ode」というこれまた素晴らしい作品を私達に提示してくれるのですけど、
この作品もプレリュードと同様に劇的な雰囲気、凄まじい静と動の落差に満ち溢れていて
聴く者に間違いなく「何か」を伝えてはいると思います。

ゲーム本編としての「ポケットモンスターシリーズ」はとにかく息の長い大変な人気ゲームですよね~!

一般的に「ポケモン」というとなんとなくですけど、ピカチュウとかテレビ東京で放映されているアニメとしてのポケモン
というイメージもあるのかもしれないですけど、
ゲーム本編としてのポケモンシリーズの立ち位置で眺めるとアニメ作品は、「アニメ版ポケットモンスター」、略してアニポケは、
任天堂のゲームソフト「ポケットモンスター」シリーズを原案とするアニメと言えると思いますし、
あのアニメは主人公サトシとその相棒のポケモン、ピカチュウ、そのピカチュウを狙うロケット団(ムコニャ)が
主な登場キャラクターであると言えます。
そしてゲーム本編としてのポケモンは既に七つのソフトがリリースされていて初代ソフトから7代目まで
出ているという事はポケモンが幅広い世代に愛され支持され続けている何よりの証しと言えるのだと思います。

dream fantasyのアミグリさんはポケモンキャラとしては
デデンネがいっちば~ん!のお気に入りとの事で、
dream fantasyにおいても
とてもかわいいデデンネを過去に何度も掲載されています!
アミグリさんが描かれるデデンネはまんまるっこい雰囲気がとてもかわいくて、見ているるだけで癒されると思います。
あのかわいくて癒される雰囲気は、アミグリさんが時折描かれるオリジナルのまるっこい不思議生物を彷彿とさせ、
みるだけで「かわいい~っ!」と感じてしまいます。

デデンネについて改めて簡単に説明させて頂きますと、デデンネはポケモンに登場する電気ネズミ族のキャラの一人です。
その初登場はポケットモンスターXYですので、6世代目のポケモンキャラと言えると思います。
デデンネは史上初のでんきタイプ兼フェアリータイプのポケモンで、電気袋を持つポケモンの中では最も小さいです。
また、電気袋組で唯一ひげが生えていて顔と胴体の幅がほぼ等しいのでかなりずんぐりむっくりしています。
だけどそのずんぐりむっくりがあの独特のまるっこい癒しかわいい雰囲気を醸し出しているのだと思います。
やはり人というものはまんまるなものとかずんぐりむっくりなものに安心感を感じてしまうのだと思いますね~!
アニメでは3話で初登場し、その後仲間入りを果たし、
ヌメラが仲間入りしてからは、臆病なヌメラを守るためにたった1匹でロケット団に立ち向かうなど
非常に勇敢な面も見せるようになり、ロケット団襲撃によって仲間とはぐれた時にはアンテナから電波を送受信できる事を生かして離れたピカチュウと連絡を取り合ったり、ユリーカの指示を聞いてバトルも行ったりするなど一定の活躍を見せています。

そして何よりもこのまるっこくて癒されるような雰囲気はとにかくとってもかわいいと思いますし愛くるしいと思います!

前述の通りアミグリさんはポケモンキャラとしてはデデンネがいっちば~ん!のお気に入りとの事で、
かなり以前よりデデンネを何度も掲載されています。
本記事におきましては、dream fantasyのアミグリさんが
2019年5月に掲載された「季節のデデンネ」という1月~5月までの季節感溢れる計12作品のデデンネをベースに、
ここに更に+αという事で、夏と秋のデデンネも追加転載させて頂き、ここに春夏秋冬という四季のデデンネを皆様に
是非ご覧頂きたいと思います。
そしてここから感じ取れるのはアミグリさんのすてきなデデンネ愛なのだと思います。



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まず初めに2019年5月に描かれた「12枚の季節のデデンネ」の中から、1月のお正月にちなんで
「イノシシの着ぐるみを着たデデンネ」です!

今年の干支はイノシシですので、イノシシとデデンネをとってもかわいくコラボさせた新年の幕開けにふさわしいデデンネと
言えると思います!
イノシシというと猪突猛進といって向こう見ずに突き進むとか乱暴に強引に目的物を強行突破するといった荒っぽいイメージも
ありそうですけど、このイノシシデデンネはそうした荒っぽさは微塵も感じさせず、
どことなくブーちゃんみたいな雰囲気を感じさせるかわいらしさの方が勝っていると言えるのだと思います。


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続きまして同じく2019年5月に描かれた「12枚の季節のデデンネ」の中から、2月の節分にちなんで
節分の鬼の格好をしているデデンネです。

鬼というとおっかないとか乱暴者というイメージもありますし、東方でおっかない鬼というと星熊勇儀姐さんなのかも
しれないですけど、アミグリさんが描かれた鬼の恰好のデデンネは、鬼は鬼でもロリロリ幼女みたいな萃香とか
紅魔館のおこちゃま吸血鬼のレミリア様のようなイメージに近いのだと言えそうです。

まるでドリフターズの高木ブーの雷様みたいなお茶目な雰囲気に溢れていると思いますし、
頭のモフモフの鬼のかつらと角のコスプレがとってもあいくるしいと思います。
この恰好でデデンネが「鬼が来たぞ~がぉ~」とか言っても周囲の人たちはそのかわいらしさにくすっ・・となってしまいそうです!


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2月のイベントは節分もそうですけどバレンタインというすてきなイベントもあったりします。
そうした関連で上記の作品は、アミグリさんが2016年2月に描かれた「デデンネにチョコをあげてみた」と題された
とってもかわいいテデンネです!

アミグリさんがバレンタインにテデンネにチョコをプレゼントしてあげて、テデンネがそれを貰って嬉しそうに
もぐもぐと食べているシーンが目に浮かびそうな3コマだと思います。
チョコをいっぱい食べたらなんだか眠たくなってしまい、アミグリさんにひざまくらして貰ってすやすやと爆睡しているような
微笑ましい雰囲気が伝わってきて、見ているだけで
「デデンネ~アミグリさんからチョコ貰えてよかったねぇ~!」と声を掛けたくなるようなハッピー感に溢れていると思います!!

デデンネのまるっこい雰囲気に心から癒されますし、やっぱり人ってまるっこいものを見るとなんだか安心してしまうという
感じなのかもしれないですね~


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続きまして同じく2019年5月に描かれた「12枚の季節のデデンネ」の中から、3月の春到来にちなんで、
「春ですよ~」でお馴染みの東方の春告精のリリーホワイトのコスプレをしているデデンネです。

このリリーホワイトコスプレのデデンネを最初に見た時は思いっきり意表をつかれたものですけど、そうした意外性のコラボ
というのも見ているだけでとっても楽しいものがあると思いますし、思わずくすくすっ・・となってしまいそうです。
リリーホワイトは咲夜さんが小瓶に生け捕りにしようと考えたくらい小さい妖精なのですけど、ちょっとぽっちゃりの
まるっこいデデンネが幻想郷の皆様たちに「春ですよ~」と告げに廻るのもなんだかとても楽しいものがありそうですし、
かわいらしいものがあると思います。

リリーの背中の羽や頭のピンクの三角帽子もデデンネによくお似合いですし、リリーホワイトは満面の笑顔で
「春ですよ―」と言って廻りますけど、デデンネがリリー同様に満面の笑顔で春を告げに廻っても全然違和感がないですし、
両者に共通する事はあいくるしさ・かわいらしさ・笑顔なのだと思います。

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続きまして同じく12枚の季節のデデンネから、桜デデンネその1~その3の連作作品です。

当ブログでも4月に「桜ミク」という初音ミクの桜仕様のとっても幻想的で美しいミクのフィギュアをレビューさせて頂きましたけど、
アミグリさんが描かれた桜デデンネは可愛い中にもミク同様に桜の美しさというモチーフが存分に発揮されていて、
3~4月の桜の開花~お花見~満開という日本人のすてきな季節感をデデンネをモチーフにかわいく同時にしっとりと
描かれていると思います。

桜の花びらがひらひらと舞い落ちるのを優雅に楽しむデデンネもすてきですし、桜の香りを風流に楽しんでいるデデンネも
「やっぱり日本のアニメキャラらしいね~」と感じさせてくれるものがあると思いますし、
「花より団子」というよりはアミグリさんの描かれるデデンネからは「団子よりも桜!」というデデンネの風流で粋な気持ちも
感じ取れ、桜と言う春の季節にふさわしい素晴らしい季節デデンネを大変立派に表現されていると感じたものでした。

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続きまして同じく2019年5月に描かれた「12枚の季節のデデンネ」の中から、4月のイースター(復活祭)にちなんで
アミグリさんが描かれたイースターデデンネその1~その3の連作作品です。

イースター(復活祭)は、クリスマスやハロウィン、バレンタイン等に比べると日本では今一つ浸透していないのかも
しれない欧米の風習なのですけど、イースターというと思い浮かぶのは
復活祭に出される彩色や装飾を施されたゆで卵というイースター・エッグとイースター・バニー(復活祭のウサギ)という
ウサギをかたどったチョコレートですね~
ちなみにウサギは多産なので豊穣の象徴であるとも言われているそうです。

アミグリさんの描かれたイースターデデンネも、まるで東方のうどんげちゃんを彷彿とさせるようなうさ耳がとっても
かわいいですし、カラフルなゆで卵を手に取っていたり、そうした装飾が施されたたくさんのゆで卵に囲まれているデデンネも
愛らしさに溢れていると思います。
デデンネ自体も丸っこいから、卵に囲まれているとなんだかデデンネ自体が卵に見えてしまいそうですね~(笑)

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続きまして同じく2019年5月に描かれた「12枚の季節のデデンネ」の中から、5月の節句にちなんで
こいのぼりデデンネです!

このこいのぼりデデンネは文句なくかわいいです~!

表情がそれぞれ異なる三体のデデンネがいるという感じなのですけど、デデンネはお顔や全体がまんまるですので、
なんだか20世紀末の頃のみんなの歌で一時期大流行した「だんご三兄弟」みたいな雰囲気に近そうです。
そして見方によっては三体のこいのぼりによってだんごのようなデデンネが食べられてしまいそう~みたいな雰囲気もあり、
見ているだけでとてもハッピーな気持ちになれそうです!

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続きまして同じく2019年5月に描かれた「12枚の季節のデデンネ」の中から、5月の節句にちなんで「柏餅デデンネ」です!

上記のこいのぼりデデンネはなんだかだんご三兄弟みたい~と記させて頂きましたけど、このイラストは
デデンネが本当に柏餅になってしまいました~!(笑)
葉とお餅に挟まれたのが餡子なのですけど、餡子の役割を担っているのがまんまるのデデンネというのもとってもよくお似合い
だと思いますし、こんなにお茶目でかわいらしい柏餅だったら、とてもじゃないけど食べるのが勿体無いのかも~という事に
なってしまいそうです。

こうやって見てみるとデデンネはアミグリさんが時折描かれるオリジナルのまんまるの謎の不思議生物によく似ていると
言えるのかもしれないですね。
そして改めて人というものはまるっこいものに安心感と癒しを感じるという事なのだと思います。


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続きましてのデデンネは、アミグリさんが2018年6月に描かれた「梅雨のデデンネ」です。

掲載当時のアミグリさんのコメントとして「雨が上がって喜んでいる様子のデデンネを描きました!」との事ですけど、
まさにそうした雰囲気が満開ですよね~!
「雨がやんだー、そして虹がでたー!」と喜んでいるデデンネのこの笑顔に思いっきり癒されそうです!

デデンネが着用している大きめの蝶ネクタイもデデンネにとってもよくお似合いだと思います。
傘をさしていないのは雨があがった~もしかして梅雨明けなのかな・・?というデデンネの気持ちの表れなのかも
しれないです。

この作品を掲載されていたのは6月というまさに梅雨真っ盛りの頃でもありますので、6月のモチーフとしては
最適の題材だったと言えると思いますし、四季の中では初夏の頃のデデンネといえるのだと思います。


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上記のたくさんのデデンネは、「梅雨のデデンネ」と同じ記事内で掲載されていた梅雨をテーマにした
デデンネの全員集合の絵です。
アジサイや雨模様は梅雨の光景そのものですね。

そしてこの全員集合の絵には、レインコートを着ているデデンネやカタツムリデデンネやてるてる坊主のデデンネや
カエルの着ぐるみを着たデデンネがいます。
レインコートデデンネはレインコートを着ているピカチュウを参考にしつつ描かれたとの事です。
そしてレインコートデデンネの中には「雨があがってよかった~」と喜んでいるデデンネもいたりもします。
どのデデンネにも意外性があったとても楽しいですし、カエルデデンネは東方の早苗さんだったら
「私もこの着ぐるみ着てみたいのかも~」と言われるのかもしれないです。
私的にはこの集合絵の中では特に「なにこれかわいい~!」と感じさせてくれているデデンネはてるてる坊主デデンネです!
このてるてる坊主デデンネに「明日は晴れますように!」とお願いしたら、本当に翌日は快晴になりそうな雰囲気があるようにも
感じられます。


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そして季節は本格的な夏へと向かいます。

そして夏と言うと最近のあの酷暑を思うと、ついつい食べたくなってしまうのはアイスクリームなのだと思います。

上記の「デデンネはアミグリさんが2016年7月に描かれた作品です。

上記のイラストをご覧になった方の中には「なんでここにサーティワンアイスが出てくるの・・?」と思われるのかも
しれないですけど、
2016年のポケモン総選挙720で、デデンネが31位になったので、おめでとう!ということで描きましたとの事なそうです!

これはなかなか楽しい作品ですね!

31→サーティワン → サーティワンのアイスというアミグリさんのちょっと粋で楽しい発想がとてもすてきだと思います!

複数のデデンネの表情がまたまたバラエティーに富んでいて、どのデデンネもとっても可かわいいです。
そしてこのデデンネの表情からも「31位、自分おめでとう~!」と言っているようにも感じられますし
「サーティワンのコーンカップのアイスが食べたいよ~」と言っているようにも感じられそうです。

真夏とデデンネという事でアイスクリームをモチーフにされた夏らしくて涼しげな作品だと思います。


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そして季節は夏が終わり秋へと向かいます・・

上記のデデンネは、アミグリさんが2015年10月に描かれた「【ポケモンXY】デデンネ【ハロウィン】 」とタイトルが付けられた
ハロウィン仕様のテデンネです!

このデデンネも文句なしにかわいいですね~!

ハロウィンというと「イタズラするかごちそうするか・・」という感じでもあると思うのですけど、このデデンネは
まさしくイタズラする方なのかもしれないですね・・(笑)
ハロウィンのあの帽子もかわいいですし、ハロウィンというと馴染みのかぼちゃに乗っかっているデデンネがこれまた
とってもかわいいと思います。
背景のお菓子もとってもいい味わいを醸し出されていると思います。


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そして季節はいつのまにか冬に向かい、クリスマス~師走という年末へと向かいます。
こうして四季のデデンネという事で振り返りをさせて頂きますと、一年というものは本当にあっという間だよね~と
感じずにはいられないです。
冒頭のデデンネがお正月という事で干支のテデンネでありましたから、春夏秋冬は巡り巡るものであり、四季の繰り返しが
人の一生なんだなぁ~としみじみと感じたりもします。

上記のクリスマス仕様のデデンネはアミグリさんが2015年12月に「クリスマスイラスト」の一つとして描かれた作品です。

サンタのプレゼント入れみたいなブーツもとってもクリスマスらしい雰囲気が出ていますし、
そこからひょいと顔だけ出しているデデンネがとってもとってもかわいいと思います。

かわいい女の子のサンタさんもすてきですけど、こういう可愛いデデンネでのクリスマスというのも大いにありだと思いますね!

聖夜の晩は子供たちが「サンタさんは今年のクリスマスプレゼントはどんなものを用意してくれるのかな?」と
ワクワクしながら眠りについていると思うのですけど、
子供たちが準備したクリスマスブーツにデデンネが入っていたとしたら、それはとってもすてきなクリスマスプレゼントに
なりそうですね~(笑)


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続きましてアミグリさんが2017年に描かれた「クリスマス早苗さん」にテデンネとコラボされた
早苗さんとデデンネのクリスマスです!

早苗さん単体でもこんなにも可愛いし、デデンネだけでもかわいいのに、このかわいい両者がこんなすてきに
コラボしちゃうと可愛さも2倍! いやいや可愛らしさも100倍UP!!という感じですね~!
サンタコスプレのデデンネとクリスマスツリーコスプレのデデンネとデデンネが二つも描かれているのが大変心憎い
サービスですよね!

早苗さんは本来は「緑の巫女」という事で緑を基調とした巫女服を着ているのですけど、この時は赤色をベースにされていて、
まるで霊夢のような早苗さんという感じも漂っていて、
クリスマスとしてはこれ以上すてきな早苗さんはありえないっ!と感じさせるほど可愛らしさが伝わってきていると思います。
白のモコモコもとてもよくお似合いだと思います。

とにかく早苗さんもデデンネもどちらもとてつもなくかわいいと思います!


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そして上記のクリスマス早苗さんとデデンネのコラボ作品の一年後に描かれたのが「メリクリデデンネ2018」です。

上から、サンタデデンネ・トナカイの着ぐるみを着たデデンネ・スケートデデンネです。

マフラーをしてスケートをしているデデンネもその意外性がとても楽しいですし、
笑顔満開のサンタデデンネの底抜けの明るい笑顔に思いっきり癒されそうです!

サンタやトナカイの着ぐるみのテデンネはどことなく着ぶくれしていそうにも感じるのですけど、テデンネは元々が
まんまるさんでもありますので、むしろこうしたちょっとぽっちゃりな所がとてもお茶目でチャームポイントなのだと改めて
感じさせてくれました。


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本来は上記の冬のデデンネで終了なのですけど、あと一枚だけご紹介をさせて頂きたいと思います。

上記のアミグリさんが2015年11月に描かれた「歌うテデンネ」は季節感というカテゴリから外れてしまうため四季のデデンネ
としては対象から外れてしまったのですけど(汗・・)
このテデンネが気持ちよさそうに歌っている姿がみていてもとても心がなごむものがありますので、最後に
アンコールという形でお披露目をさせて頂きたいと思います。

なんとなくですけど、NHKの「のど自慢 ポケモン編」にてテデンネが気持ちよく歌いまくって、見事に合格の鐘を
鳴らしているようにも感じられそうですし。
このテデンネがうっとりと歌っている様子がめちゃくちゃ可愛いと思います!

さてさて・・デデンネが歌っている曲は何なのでしょうか・・?
やっぱりアニソン系なのかな・・??
ちなみにですけど、アミグリさんの脳内妄想(?)によると、ポケモンXY]のエンディング曲だった
「ガオガオオールスター」ではないか・・?との事でした・・(笑)

それとpixiv掲載作品ですけど、歌うデデンネ♪ は動いているデデンネが掲載されていますので、
これは大注目ですよ!
動いているデデンネはとっても可愛いですね!

→ 歌うデデンネ♪

上記のアミグリさんが描かれたデデンネは、デデンネのイラストの絵師様であるアミグリさんに
帰するものであり、当ブログにおける転載とご紹介は事前に全てアミグリさんからご了解を頂いたものであり、
アミグリさんからのご厚意で転載をさせて頂いておりますので、
無断お持ち帰りや無断コピーは絶対NGですので くれぐれも宜しくお願い申し上げます。

アミグリさん、本当にいつもすてきなイラストの転載を快諾して頂きありがとうございます!!

皆様の中で「こんなにも癒されかわいいデデンネを描かれる方のブログってどんなもんなのだろう? 」などと
興味がある方は、 是非是非アミグリさんのブログ dream fantasy  を ご覧になって頂きたいと思いますし、 宜しければ、当ブログだけではなくて、
是非アミグリさんの本家本元のブログ dream fantasy  に一度お越しして頂けると アミグリさんのブログをご紹介させて頂いている私もとってもとっても嬉しいです!

アミグリさんが定期的に作品を投稿され続けている →アミグリさんのpixiv にも是非一度足を運んで頂ければ幸いです!

アミグリさんのpixiv

それでは本記事を最後までご覧頂きありがとうございました!

アミグリさん、これからも癒しかわいい愛され上手のテデンネを描き続けて頂きたいと思います!
ラフマニノフの曲を聴くとなぜかいつも「郷愁」とか「メランコラリック」という言葉が自然に思い浮かびます。
なんていうのかな・・、「帰りたいけどすでにそこに自分の帰るべき居場所はなかった・・」みたいな癒すことのできない
ポッカリと心に空いた隙間」みたいな雰囲気をそこに感じたりもします。
ラフマニノフは世間一般的には、甘いメロディーとか退廃的な美しさみたいに評されることも多いような気もするのですけど、
私にとってはロマンティックという言葉よりはむしろ「郷愁」という言葉のほうが似合いそうな感じもあったりもします。

ラフマニノフ自身は第二次世界大戦終戦間際まで生きられた20世紀の作曲家なのですけど、
その作風は恐ろしいまでに革新性は全く無く、とても同年代にストラヴィンスキーとかプロコフィエフとかラヴェルとか
ウェーベルンがいたとは本当に信じられない程です。
あの作風はロシア革命前とかロシア5人組の頃のようなまさに19世紀のロシア音楽の黄金時代の作風を
そのまま20世紀に持ってきたという雰囲気が濃厚で、伝統とか自分のスタイルをきっちりと生涯守り続け、
頑なまでに自分のカラーというか信念を曲げずに生きていた方と言えるのだと思います。

ラフマニノフ自身も、ストラヴィンスキーやプロコフィエフと同じように革命とか共産党政権というものに嫌悪感を覚え、
「亡命」という祖国を離れる道を選ばざるを得なかったのかもしれません。
プロコフィエフは一時的にソ連を離れて自由な欧米の空気を吸った事で、当初のスキタイ組曲とか交響曲第2番などの
ような過激な路線から、適度な洗練とも言える路線変更と言うお土産を貰ったような感じもしなくはないのですが、
ラフマニノフは、ロシア時代の作品もアメリカへの亡命以降も作風的にはほとんど進化はしませんでした。
出世作のロシア時代に作曲されたピアノ協奏曲第2番で、「自分の進むべき路線はこれしかない」と決意し、
それをアメリカに亡命以降も頑なに貫いたと言えるのかもしれないです。
そしてそのラフマニノフの「進むべき路線」とはまさに甘くてせつない狂おしいばかりのロマンティックという事なのだと
思います。
ロシア革命による共産党政権を嫌って欧米諸国に亡命したロシアの作曲家と言うと、前述の通り
プロコフィエフ・ストラヴィンスキー・ラフマニノフなどが挙げられるのですけど、この中でプロコフィエフとストラヴィンスキーは
その作風を亡命以降かなり極端な形で変化させてきているのですけど、ラフマニノフは亡命前も亡命以降も
生涯無くなるまでずっと頑ななまでに自分のスタイルを貫き通した作曲家と言えるのだと思います。
ラフマニノフの最も過激な作品というとよく挙げられるのが交響曲第1番なのですけど、あの程度で過激なんて言ってしまうと
プロコフィエフなんて極端すぎるほど過激すぎるとすら言えそうであるのですけど、あの交響曲第1番が極端に不評だった
ゆえにラフマニノフは一時作曲すら全くできなくなるほどのノイローゼに追い込まれるのですけど、
そのノイローゼを心理療法でもって脱却した時の「自分にはピアノ協奏曲第2番のスタイルしかない」という決意を最後まで
貫かれた作曲家というのがラフマニノフの本質だったと言えるのかもしれないです。

アメリカに亡命以降の主要作品は、交響曲第3番・ピアノ協奏曲第3番・交響的舞曲ぐらい
なのですけど、これは生前は作曲家としての認知度よりも実はピアニストという演奏家としてのラフマニノフの認知度が
高い事情もあり、アメリカ亡命時代は基本的には演奏家としての生活が大変忙しく、作曲活動をしている時間が
あまりなかったというのも大きかったと思いますし、亡命という環境の変化によって、そしてアメリカという新しい環境に
実は馴染めていなくて、心の底では「確かに生活する上ではこの亡命は必要不可欠だったのだけど、
新しい環境下においては、なかなか以前のような路線の曲を書きにくい・・」という事もあったのではないのかなとも
感じたりもします。
やはりあのような甘くて切ない音楽というのは生まれ育ったロシアの風土でないとなかなか書けないものなのかも
しれないですよね。
その点、どんな環境下でも作曲の筆は止まることもなく、適度に作風をコロコロと変えていくことができたプロコフィエフは、
適応力に優れたお方であり、ある意味器用な人だったといえるのかもしれないです。
あんなに「自由な空気が吸いたい」と懇願していたのに、いざ欧米での生活が始まると、自分の作風がなかなか受け入れて
貰えないという事情もあったかとは思いますけど、今度は手のひらを返したかのように
「やっぱり自分の母国のロシアがいっちば~ん!」と言い出して出戻りを結果的に果たしたり、
ロシアに戻った途端にそれまでの過激路線を抑えて、わかりやすい音楽の路線シフトしたりと、
ロシア革命以降もスターリン体制下でもずっとその抑圧生活を耐え忍んでいたショスタコーヴィッチなどから見てしまうと
「なんだこいつのこのちゃらんぼさは・・!」みたいな感じになるのかもしれないですし、
「こいつにはラフマニノフやストラヴィンスキーのように筋を通すという事はできないのか・・!?」ともしもしたら感じていたのかも
しれないですね・・(汗・・)

ラフマニノフの性格は、他人に決して自分の本音は伝えないし、どちらかというと自分の殻に閉じこもるような人
だったのかもしれないです。
そして一度自分で決意したことは、たとえその後においてどんな情勢の変化があったにせよ、生涯それを貫き通すという
頑迷さがあったといえるのかもしれないです。
そしてこの頑迷さというのがラフマニノフそのものであり、若いころにピアノ協奏曲第2番で掴ん「自分の路線というものを
生涯ずっと守り通したとも言えるのだと思います。
アメリカで暮らすラフマニノフの耳にも当然ながらプロコフィエフが出戻りで戻ってきた」か
出戻りで帰ってきたのに、スターリンから特に迫害を受けることもなく順調にソ連でも作曲活動を続けているとか
ソ連復帰後のロメオとジュリエットが大好評などという話は伝わっていたと思います。
ラフマニノフももしかしたら「それだったら自分もロシアに戻ってもいいのではないか・・」と心をかすめることは
一度くらいはあったのかもしれないです。
だけどラフマニノフはやはりソ連復帰はしませんでしたし、亡くなるまでアメリカで亡命生活を送っていました。
そうしたラフマニノフの心のどこかには「一度ぐらいはもう一度故国の土を踏んでみたい」という望郷の念はあったと
考えるのがむしろ自然なのかもしれないです。

ラフマニノフの実質的に最後の大作ともいえる「交響的舞曲 作品45」は、やはりどう聴いても
ラフマニノフのそうした望郷の念・郷愁・一度ぐらいは故国の土を踏みたかったという未練の思いや
メランコラリーな気持ちを感じざるを得ないと思いますし、そこにあるのは
「私にはすでに帰るべき居場所がない・・」というせつなさではないのかな・・?と感じてしまいます。
交響的舞曲作品45は、実質的に交響曲第4番と銘打っても良い位の大作で、最晩年の大変な名作です。
この曲を初めて生演奏で聴いたのは確か1994年のNHK交響楽団、指揮は確かプロムシュテットでした!
(前半は、このラフマニノフの交響的舞曲で、後半はベート―ヴェンの交響曲第7番でした)

交響的舞曲のミニスコアを一度見た事があるのですけど、
第一楽章が一番分かりやすく4/4拍子
第二楽章が結構演奏しにくいというか6/8拍子ですけど、基本的にはワルツ系の3拍子のノリで対応できると思います。
第三楽章はかなり難解で、拍子も変拍子の連続で9/8拍子と言うかなり不規則なビートが楽章を支配していました。

第一楽章中間部の哀愁溢れるソロはアルトサックスを使用しています。
このアルトサックス使用というのはかなり面白い試みだと思います。
当時、アルトサックスは、ジャズとかで使用されるのがメインでクラシック音楽の分野で使用されること自体極めて珍いと
言えると思います。
(その数少ない例外が、「アルルの女」とか「展覧会の絵」とか「ボレロ」なのだと思います)
どちらかというと、アルトサックスはアメリカのジャズとかビックバンドとかポピュラー音楽で
使用される事が多いいかにもアメリカ的な楽器なのかもしれませんけど、
ラフマニノフなりにアメリカとの融合を言いたかったのかもしれないです。
第一楽章のピアノも低音の支えが大変素晴らしいよい仕事をしていると思います。
アルトサックスのソロを伴奏で支えているのもこのピアノなのですけど、
何てあのメロディー、あんなに泣けてくるのでしょうね・・
あのメロディーは、ラフマニノフのように故郷がありながら何らかの事情で帰ることが出来ない人間にとっては
お涙ちょうだいの音楽であり、 とにかく聴いていて確実「泣けるもの・哀愁は伝わってくると思います。

第二楽章は寄せては漂う波みたいな感じの不安定で陰鬱なワルツです。
楽章全体が「悪魔が私と一緒になって踊る」みたいなニュアンスが大変良くイメージされ
サン・サーンスの「死の舞踏」みたいな陰鬱なワルツが小気味よく展開されているようにも聴き取れます。

第三楽章は中間部が素晴らしいです!
「人生とははかない夢・・・愛は幻・・」とか浜辺を漂う波みたいな香りが漂います。
かなり泣けてくるメロディーがこれでもか!!とかなり執拗に繰り返されますが
あの切々としたメロディーがとっても印象に残りますし、第一楽章同様泣けてくる音楽ですし、郷愁が痛いほど伝わって
きていると思います。
第三楽章冒頭のチャイムの響きもすてきですし、シロフォーンも実に鋭角的な響きを聴かせてくれてとても大好きです。
曲のラストはスコアの上では、ドラ(タムタム)がゴワーーーーンと鳴り響いて余韻を残して終わるように書かれていますけど、
指揮者によってこの辺りは解釈が割れているようにも思えます。
ネーメ・ヤルヴィのようにドラをゴワーーーンと余韻を残す方もいますし、
マゼールのようにドラの余韻をまったく残さないでバサッと終わらせる方もいますし
このあたりは指揮者の好みなのかもしれないです。

それにしてもこの「交響的舞曲」は素晴らしい名作だと思います。

交響的舞曲を実質的にラフマニノフの最後の交響曲として聴くと、
この曲はラフマニノフにとって生涯を通じて一番哀愁溢れるすてきな作品なのかもしれないと感じてしまいます。

ちなみにラフマニノフ本人は、この交響的舞曲第三楽章の最後のページを書き上げる際にスコアの余白に
「私は神に感謝する」という言葉を残しているそうです。
ラフマニノフにとってもこの曲が「もしかしたら自分にとって白鳥の歌になるのかもしれない」といった覚悟がもしかしたら
どこかにあったのかもしれないですね。

この曲の名盤として、私的には、マゼール指揮/ベルリンフィルを推したいと思います。

余談ですけど、上記にて第一楽章の中間部で「アルトサックス」が長大な甘いソロをせつぜつと吹き上げていると
書きましたが、アルトサックスという楽器は、ジャズ・ポップス・吹奏楽がその主な活躍の舞台なのですけど、
時折こうしたクラシック音楽の分野でもこの楽器が使用されることがあったりもしします。

その代表例として・・・

〇組曲「アルルの女」第一組曲(ビゼー)

 →もの哀しさをアルトサックスがうまく醸し出していると思います。

〇組曲「展覧会の絵」~古城

 →ムソルグスキーの原曲をラヴェルがアレンジしたものですが、古城にて使用しています、
  やはり哀愁をうまく出しています。
  ラヴェルだからできた芸当で、武骨な作風のムソルグスキーではこうした繊細なオーケストレーションは
  無理なのかもしれないですね。

〇ボレロ(M.ラヴェル)

 →アルトサックスではなくて、何とソプラノサックスとテナーサックスがソロとして
  使用されます。テナーサックスのハスキーさが素晴らしいのですけど、このテナーサックスという楽器は
  もしかして人間の声に一番近いのかな・・?とも感じさせてくれる曲でもあるのかなとふと感じたものでした。

上記はの曲はフランス系のものばかりですが、(ちなみにサックスの発祥の地はフランスです!)
ロシアでも意外と使用されています。
プロコフィエフの交響組曲「キージェ中尉」・バレエ音楽「ロメオとジュリエット」でも
効果的に使用されています。
特にキージェ中尉では、その第四曲・トロイカでテナーサックスがコミカルにソロを演じています。
小澤征一指揮のように、このトロイカの部分にバリトンの声を使用する人がたまにいますが、
やはりこの部分はサックスでないと中々味が出てこないのかな・・?とも思います。

でもやっぱりロシアものというとラフマニノフの交響的舞曲~第一楽章のアルトサックスの効果的使用が
やはり断トツなのかもしれないですね。

ラフマニノフの交響曲第2番の第三楽章も本当に泣ける素敵な音楽です。

交響曲第3番はほとんど実演では聴かれませんけど、何となくお茶目な所も感じられなくもありません。
交響曲第1番は正直判断に迷います。
この曲の初演の失敗が原因で作曲者本人がノイローゼに追い込まれたことも分かるような気もします。
何となくムソルグスキーの禿山の一夜【原点版】を想起させるような香りもします。

最後に余談ですけど、ラフマニノフの交響的舞曲~第三楽章の吹奏楽アレンジ版は、2018年時点でこれまで全国大会で
11回自由曲として演奏されていますけど、私的にはどれもこれもすべて決め手に欠く演奏でして(汗・・)
やはりその敗因として、

1.第三楽章の原曲は14分程度なのに、これを7分程度に短縮すると中間部のあの美しいメランコリーな繰り返しが
 バッサリとカットされ興醒めになってしまう

2.管楽器だけであの繊細な曲を演奏すると、曲自体の美しさが意外と表現しにくい

3.この曲を吹奏楽版で演奏してしまうと、なぜかどの演奏も「もっさりとどんくさく」聴こえてしまう・・

4.管楽器だけではこの曲のうねりの表現は不可能に近い

といったものが挙げられると思いますし、この曲はそうした意味では吹奏楽コンクールの自由曲としては不向きと
結論を出さざるを得ないのかもしれないです・・
この曲は過去に、川越奏和・三重大学に金賞をもたらしていますけど、私的には全くピンとこない演奏であったりもしますし、
伊丹市吹奏楽団・大曲吹奏楽団・山王中・伊奈学園総合高校・嘉穂高校・青山学院大学なども
私的にはあまり芳しくない出来映えと感じてしまいますし
(この中で唯一何かを感じ取れる演奏は伊奈学園ぐらいなのかも・・)
それだけ吹奏楽で表現するには難しい曲といえるのだと思います。

今後どこかのチームが現代的シャープな感性でこの曲に新しいアプローチで臨まれ、素晴らしい名演が登場してくることを
期待させて頂きたいと思います。



本記事でもって当ブログの「東方Project」カテゴリが通算600記事に到達をいたしました!!

これもひとえに当ブログをいつもご覧頂けている皆様と「dream fantasy」のすてきな管理人様のアミグリさんのおかげだと思っています!
本当に皆さまいつもありがとうございます!

当ブログの東方カテゴリは実は意外と歴史が浅く、そのスタートは2016年1月であったりします。
そこから3年半程度で通算600記事に到達したわけですので、その早さは自分でも驚くものがありますし、換言すると
それだけ東方作品に魅力があるからこそこんなに短期間で到達できたと言えるのかもしれないです。
(東方カテゴリの500記事到達は昨年12月下旬でしたので、半年も経過しないのに600記事に到達できたことでもありますし、
今年の1~4月は全記事のうち実に4割程度が東方関連記事であったというのも我ながら凄いペースと感じております)
そして当ブログの東方記事の最大の特徴は何かというと、言うまでもなくほとんどの東方記事で
dream fantasy」のアミグリさんが描かれた
素晴らしい東方キャラの絵を転載&ご紹介させて頂けているご了承を頂いていることで、毎回当ブログの東方記事で
アミグリさんの描かれた美しくも幻想的で見れば見るほどうっとりさせられてしまうあのすてきな作品をご紹介させて
頂いていることは私自身の大変な誇りであり、私のあんな拙くて未熟で中身の薄い東方記事においても、
アミグリさんの描かれた絵があるからこそなんとか記事として成立しているこの厳然とした事実には、アミグリさんに対して
改めて「いつもありがとうございます!」という強い感謝の気持ちをお伝えさせて頂きたいと思います。

アミグリさん、本当にいつもありがとうございます! そしてこれからもこんな未熟で他愛もない当ブログの東方カテゴリですけど、
何卒宜しくお願いいたします!

前述のとおり、当ブログが東方記事を書き始めたのは2016年以降であり、ブログ開設から4年以上も経過した後に
書き始めたということは何を意味しているのかというと、実は私自身、ブログ開設の2012年頃は東方Project自体何も知らなくて
「東方何それ・・??」・「霊夢って誰・・? フランちゃんて何じゃそれ・・??」みたいな感じでもあったのですけど、
2013年頃にアミグリさんが管理運営されているdream fantasyを初めて見た際に、当時も今もdream fantasy
根幹を成しているといっても過言ではない「東方Project」に登場しているあの美しくも幻想的でかわいい
アミグリさんが描かれた東方キャラの皆様にとてつもなく魅力を感じ、
「え・・なにこのかわいくて美しい女の子たちは・・!?」と強く興味を覚えたのが大きなきっかけとなり、これを大きなきっかけとなり
今現在の私自身の大の東方ファンという事に繋がっていったものでした。
ですので、私自身はあの時アミグリさんのブログを見なかったらもしかしたら今でも「霊夢、なにそれ・・!?」だったのかもしれない
ですし、こうやって私自身が大好きな作品に接する最初のきっかけを作ってくださったアミグリさんにはも今現在も
「ありがとうございます!」という感謝の気持ちは不変ですし、とにかくアミグリさんには感謝しても感謝し足りないほどの
大きな恩義を感じております。

上記の風見幽香は「dream fantasy」の
アミグリさんに「東方カテゴリ600記事到達の記念イラストとしてぜひ幽香を描いてほしい」と事前にリクエストをさせて頂き、
こんなにも大人のレディの魅力と慈愛と優しさに溢れた風見幽香を描いて頂けました!
アミグリさんには2018年度において、霊夢・巫女さんゆかりん・高坂麗奈・アリス・ヘカーティア様とかなりリクエストをさせて頂き、
今年に入っても先日の当ブログの「ラーメン大好き 小泉さん」通算100記事到達の節目記事として小泉さんを描いて頂くなど
その都度いつもいつもアミグリさんは私からのリクエストに誠実に丁寧にお応えして頂き、
今回もお忙しい中、私からの風見幽香というリクエストのイラストをこんなにもすてきに描いて頂けた事に
改めてこの場を借りて御礼申し上げたいと思います。

アミグリさん! 今回も本当にありがとうございました!

アミグリさんが描かれたこの素晴らしき風見幽香のイラストについては後程語らさせて頂きたいと思います。

当ブログの東方記事はこの先もまだまだ続きますし、今後もアミグリさんの描かれた東方イラストは、
再転載・再々転載・再々々転載も含めてこの先もずっと続けていきたいと思いますので、どうかこれからも
当ブログの東方記事とアミグリさんの描かれた東方絵を何卒宜しくお願い申し上げたいと思います。


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風見幽香は、幻想郷を一年中何処かしら花が咲いているところへと放浪している妖怪という事で、
「花を操る程度の能力」を有しています。
これだけを見ると、「花を愛している優しい妖怪さんじゃないの?」みたいに誤解をされてしまう方も
多いのではないのかなと思うのですけど、その実態は、
幻想郷内でも最強クラスの妖怪の一人で、「危険度は極高・人間友好度は最悪」という評価を阿求からも受けています。
その阿求からは同時に「人の精神を逆撫でするのが大好き」とまで評されています。
設定の上では「弱いものいじめが大好きで、人間や妖精どころか幽霊や妖怪にまで
片っ端から虐めるのが日課との事なので、やっぱり幻想郷でも屈指のドSキャラと言えるのかもしれないですね・・

「東方花映塚」においても、幽香はあの地獄の閻魔様の四季映姫様に対してなんと・・・・!!
「誰が一番強いのか白黒はっきりつけてやる!」と喧嘩を売っていますし、
(チルノの「あたいったら最強ねっ!」の無鉄砲さとは明らかに違います・・幽香は怖いしめちゃくちゃ桁外れに強い・・)
四季映姫様からも 「そう、あなたは少し長く生きすぎた」とか
「貴方は少しおかしくなっているのかもしれない」とまで言われる始末でもあったりもします。

そんな幽香ですけど、実は元々は「妖精」だったのではないのかみたいな説も以前から根強くあり、どちらかというと
これが今では定説になりつつあるのかもしれないですね。
今現在のあの幽香のドSぶりとおっかなさを見てしまうと
「 いくらなんでもあの幽香が元はかわいい妖精ちゃんの訳はないじゃん」と思う方が大半なのではないかと感じます。
「花を操る」とか「花を愛している」とか「花が咲いているところをあちこち放浪している」という
キャラ設定が「花をこよなく愛する者に悪い人は本来はいないんじゃないの?」みたいな想像が
幽香実は元は妖精説の根底になっているのかなとも思われます。

そうした背景もあり、多くの東方絵師様が風見幽香を描かれる場合の傾向として、危険度は極高・人間友好度は最悪とか
幻想郷屈指のドSキャラとして怖さや禍々しいイメージで描かれるようにも感じられます。
アミグリさんは以前に何度か幽香を描かれていた事もありまして、その時の幽香は、怖さという感じは皆無で
むしろ「花の妖精さん」的なやさしくてふわっとした感じで描かれていたことが大変印象的でもありました。

それでは今回の当ブログの東方600記事到達と言う節目記事において、この風見幽香をリクエストさせて頂いたのかというと、
その最大の理由は、アミグリさんはここ2年ほど、過去に描いた事があるけど最近はほとんど描いていない東方キャラを
描くという試みもされていて、そしてそれが具体的に、犬走椛・文ちゃん・パルスィ・天子ちゃん・メディスン・雛ちゃん・アリス・
レティさんなどというとても素晴らしいお久しぶりキャラをお披露目されていて、あの一連の作品の中でも特に
レティさん・メディスン・アリス・椛・パルスィがあまりにも素晴らしくて、あのような素晴らしい名作を見てしまうと、
「それでは是非ぜひアミグリさんが今現在の作風と感覚で描かれた幽香を見てみたい!、そして出来れば
うちのブログの東方カテゴリ600記事記念作品として描いて頂ければ最高!」と思い、ご多忙な所無理をお願いして
幽香をリクエストさせて頂き、こうした素晴らしい幽香を今現在のアミグリさんの作風と感覚で描いて頂けました!
実はそうしたお久しぶりキャラとして他に候補としてミスチーもあったのですけど、
6月初旬から中旬というと初夏という事でもありますし、この季節には東方四季娘において「夏」を担当する風見幽香を
是非見てみたいという気持ちが勝ったという事でもあったりします。
そして今回描かれた幽香は、「こんな感じで描いてほしいな~」とか「こんな幽香とお話してみたい!」と私の脳内妄想としての
幽香をはるかに超えるすてきなお姉さんキャラとして仕上げて頂けたことはとてもうれしかったです!
幽香のやさしさ・慈愛・お姉さんっぽさを全面に出されて表現されていて、一目見た瞬間に
「自分にとっては理想の幽香!」と思わず感激してしまった素晴らしい幽香だと思います!

アミグリさんの描かれる東方キャラは、フランちゃん・こいしちゃん・妖夢・咲夜さん・霊夢・アリス・魔理沙といった美少女キャラも
素晴らしいのですけど、それと同じくらい、例えばゆかりん・ゆゆ様・白蓮さん・文ちゃん・レティさんといったお姉さまキャラも
アミグリさんとしての個性・感性を大切にされながらもかわいらしさ・美しさもとことん追い求められている点がとても
魅力的なのですけど、幽香も東方お姉さまキャラとして、大人っぽい雰囲気・年長キャラらしいやさしさや慈愛も見事に
表現されていて、見た瞬間に「こんなやさしそうな慈愛に溢れた大人っぽい幽香は他の東方絵師様でもあまり見たことがない」と
感じさせてしまう程のアミグリさんとしての個性や感性が瑞々しく表現されていて、一目見た瞬間に「これは素晴らしい!」と
感じたものでした。

幽香というと東方キャラとしては珍しく頭に帽子や飾りなどをつけていない事もあり、
アミグリさんの描かれる幽香も髪そのものの美しさが大変見映えがされていると強く感じたものです。
緑の色彩の髪はこいしちゃん・早苗さんに近いものがありますけど、幽香=花を司る妖怪=草木=グリーン=自然の美しさという
図式を髪の色そのもので表現されている感じもありますし、
また他の絵師様の幽香は気が強そうな性格を反映してなのか釣り目がちですけど、
アミグリさんの描かれる幽香は以前描かれたレティさんのような少しタレ目でもありますので、
この目の雰囲気もやさしさや親しみやすさを感じます。
チェックのスカートもスカートの花のワッペンもとってもよくお似合いだと思いますし、
背景のひまわりもとてもキラキラしていて夏らしい雰囲気を醸し出されていると思います。

今回も本当にありがとうございました!

「アミグリさんに風見幽香をリクエストして本当によかった~!」と改めて感じたものですし、本日の節目記事を飾る記念イラスト
としてこれ以上相応しい作品は無い!と断言できると思います!
そしてまたまたアミグリさんのすてきなリクエスト絵という事で、私の生涯の心の財産がまた一つ増えたという感じでもありますし
他のリクエスト作品同様にこれからもずっとずっと大切にさせて頂きたいと思います。

上記のアミグリさんが描かれた風見幽香の権利は、この幽香の絵師様であるアミグリさんに帰するものであり
当ブログにおける転載とご紹介は事前に全てアミグリさんからご了解を頂いたものであり、
アミグリさんからのご厚意で転載をさせて頂いておりますので、
無断お持ち帰りや無断コピーは絶対NGですので くれぐれも宜しくお願い申し上げます。

アミグリさん、本当にいつも素敵なイラストの転載を快諾して頂きありがとうございます!!

皆様の中で「こんなにすてきなお姉さんの幽香を描かれる方のブログってどんなもんなのだろう・・? 」と興味がある方は、
是非是非アミグリさんのブログ dream fantasy  を
ご覧になって頂きたいと思いますし、 宜しければ、当ブログだけではなくて、
是非アミグリさんの本家本元のブログ dream fantasy  に一度お越しして頂けると
アミグリさんのブログをご紹介させて頂いている私もとってもとっても嬉しいです!

アミグリさんが定期的に作品を投稿され続けている →アミグリさんのpixiv にも是非一度足を運んで頂ければ幸いです!

アミグリさんのpixiv

当ブログの東方カテゴリはまだまだこれからも続きますし、これからの当ブログもずっとずっとアミグリさんの作品を
ご紹介し続けたいと思いますので、当ブログだけではなくて
アミグリさんの本家本元のブログ dream fantasy
何卒宜しくお願いいたします。



5月14日はこいしちゃんの日です。

そして6月14日は「無意識の日」と言う事で、こいしちゃんの能力は「無意識を操る程度の能力」と言う事もありますので、
本日、6月14日は第二のこいしちゃん記念日と言えると思います。

冒頭のとってもとってもかわいいこいしちゃんは、dream fantasyのアミグリさんが「5月14日はこいしちゃんの日」に合わせて今年・・2019年5月14日に描かれた作品です。
このアミグリさんが描かれたこいしちゃんは後ほど改めてご紹介をさせて頂きたいと思います。

こいしちゃんの能力は「無意識を操る程度の能力」という事で
視界に入らない限り存在感が無いとか、見ている人が「あの子はこいしちゃんだ」と目に映っているその存在を可視として
認識することはできてもすぐにそんな子ってどこにいたのだっけ・・?などと
こいしちゃんの存在を最初からいなかったものと思わせる能力だと言えるのだともいます。
つまり、視界から消えればすぐに忘れ去られてしまうというように自分を相手の意識から外してしまう事が可能と言えるのだと
思いますし、また見えていても「あの子はこいしちゃん」と相手に認識をさせない能力だとも言えるのだと
思います。
ドラえもんにおいて、周りから虐められたり過度に弄られる事を嫌がったのび太がまたまたドラえもんに泣きつき
「自分の存在を道端の石ころのように思ってくれて誰も自分を構わなくなり、放置され結果として
自由自在に行動できる」というアイテムを手にした事と同じような事なのかもしれません。
但しのび太の場合は、誰も自分の事を構ってくれない→無視される→寂しい・孤独という事に気が付き
再度ドラえもんに「元に戻して・・」と泣きをいれる結果になってしまいます。

だけど、こいしちゃんは違いました・・・

こいしちゃんとしては「私の存在に誰も気が付かなくてもいいんだもん!」という考えが大変強かったと言えるのだと
思いますし、やはりそこにはお姉さまのさとり様がその「人の心を読み取る能力」ゆえに他人から大変忌み嫌われて
哀しい想いをしているという事例を間近で見てしまい
「こんな哀しい想いをするのなら最初から誰からも気が付かれない存在の方がいいんだもん!」と
考えたのだと思います。
だから、こいしちゃんは誰からも気が付かれなくても誰からも声を掛けられなくても
誰にも「こいしちゃん」という存在を認識されていなくても
「私は別にそれでいいんだもん!」と考えていたと言えるのだと思いますね。

こいしちゃんの「無意識を操る程度の能力」って「それって一体どういう力なの・・?」と言われる事は多々あるのですけど、
上記で書いた通り誰からもそま存在を認知されないという事と実はもう一つあると思います。
何かと言うと「無意識」という事で、
誰からもこいしちゃんの次の行動を予測することは出来ないという事もそうじゃないのかなとも思います。
こいしちゃん自身は考えて行動するというよりは、実はどちらかというとその場のノリで動いている印象もあります。
「私は右手を挙げる」と意識しなくても半ば条件反射的に右手を挙げられるように、その行動は全て無意識であり、
こいしちゃん自身、自分でも次に何をするのか予測できないという能力だとも言えると思いますし、その結果として
他人からはこいしちゃんの行動は全く予測不可能と捉えられてしまうのだと思います。

これって意外と相手にとっては厄介な能力と言えるのかもしれないですね。

例えばなのですけど、お笑いタレントの計算され尽くされたボケとツッコミよりは、素人によるハプニング的で天然さん
みたいな何気ない動作・言動の方が笑いを取ったり、
短期決戦とか一発勝負の場合、ノムさん=野村監督の緻密なデータに基づくID野球よりは
今は既に存在していませんけどかつての近鉄の「いてまえ打線」みたいな
「そんな難しい事なんかわからへん・・・うちらはとにかく何も考えずにぎょうさん相手を叩きまっせ・・!」みたいな
がむしゃらにボールに食らいつくガッツ溢れる戦法の方が意外と強いとか
ボクシング選手にとって、プロ同士の闘いによるテンポとリズムを互いに計算し尽くした打ち合いよりは、
例えば子供から不用意にいきなり背後から顔面を打破される方がショックが大きいとか
「自分はこれこれこうやって相手を倒す」みたいな事前の作戦よりも
その場で特段事前の作戦とか練り込まれた戦法も無い代わりに何も考えないでがむしゃらにその場の思いつきと言うのか
本能の赴くままというのか条件反射的に何も考えずにやった方が案外うまくいくというのと似ているのかもしれないですね。
こいしちゃんが口にしている「お姉ちゃん(※さとり様の事)は私には絶対に勝てない」というのはこの辺りに根拠が
あるのかもしれないです。

こいしちゃんの元ネタはお姉さまのさとり様同様、妖怪・覚なのですけど、
実際の妖怪・覚でも、無意識に投げられた小石はどこに来るか心を読んでも解らず、
当たってしまったという話があるそうです。
この能力は姉のさとり様に対して天敵と言えます。
いくら相手の心を読み取る能力があるさとり様を持ってしても、無意識では心を読めませんからね・・・
そうした点から前述の通りこいしちゃんは「お姉ちゃんは私には勝つことはできない」という事も発言しています。

こいしちゃんの名前は言うまでも無く「こいし」で、その能力は前述の通り「無意識を操る程度の能力」と言う事で、
「無意識」は本来的には修業を積んだ僧侶でも会得が難しいとされ、白蓮さんは、
こいしちゃんはは仏教における空の状態に迫り、修行の必要が無く悟りの境地に近づけるかもしれない
という旨の発言をしているのですけど、
そうした意味において「さとり」という名前が相応しいのはどちらかというとむしろ妹のこいしちゃんの方なのかな・・?とも
思ったりもします。

こいしちゃんは「無意識を操る程度の能力」という事で、
誰にも気づかれる事も無く、そして何の感情も有する事の無い放浪妖怪だったと思うのですけど、東方心綺楼以降は
その立ち位置は大きく変化することになります。
秦こころが紛失した希望の面をこいしちゃんが拾って自分のものにする事で、
こいしちゃんのいわば絶対的な無の心に希望という灯が点灯するようになり、
その結果として、こいしちゃんは、道教勢力・仏教勢力・魔理沙・霊夢等々とのバトルの中で勝ち進む事で、
他人から注目される事の快感とか他人から自分と言う存在を認識される事への喜びという
思いがけない「副産物」も得ることになっていったのです!
従来までですと、そんなこいしちゃんを色々と心配して気を遣ってくれる人と言うと、
お姉さんでもあるさとり様以外は存在しなかったのですけど、
この東方心綺楼以降はこいしちゃんに何か大きな「変化」があったのは間違いではないと思われます。
こころは希望の面を返してもらうために、何度となくこいしに接触を心掛け、
こころはこいしちゃんに対し「見つけたぞ! 私の宿敵よ!」とか何とか言うのですけど、 こいしちゃん的には
「こいしを覚えていてくれて嬉しい! 私を探してくれる存在がお姉ちゃん以外にも存在していた!! 私はとっても嬉しい!!」
という事にもなるのだと思います!
今までは誰からも気づかれる事なく、誰からもほぼ無視状態だったこいしちゃんの心に
大きな変化がもたらされるというのは自明という事になりますよね!!
東方心綺楼の異変を通してこいしちゃんの心の中には希望というものが出てくるのです!!

「東方憑依華」においてはこいしちゃんも登場を果たしています。
この作品は前半部分は依神姉妹に対して霊夢とゆかりんが攻略を図り、後半においてゆかりんから
憑依の結果もたらされた夢の世界の人間・妖怪が現実の世界で大暴れしている事の後始末として
「夢の世界の人間・妖怪を一人残らずとっ捕まえてこい」と厳命された依神姉妹たちの後日談を描いているのですけど、
東方憑依華に登場したキャラの中で、「はたしてその夢の世界ではどんな本音を有しているのだろう・・?」と
私自身が実はいっちば~ん!興味津々であったのはこいしちゃんでした!

だけどドレミーのこいしちゃん評は「やっぱりね~」という予想通りでもありました。

ドレミーはこいしちゃんについては「あなたは夢を見ないのね・・心がスカスカですね」と評されていましたけど、
こいしちゃんは妖怪・覚なんだけど自らの意思でサードアイを閉じてしまい、その結果他人の心も読めなくなってしまったけど
同時に自分の心も空っぽになってしまったというキャラでもありますので、
ドレミーをしても「心が無いから全然読めないキャラ」という評価になってしまうのはある意味当然でもありましたね。

心がカラッポというか無意識だと夢を見ないものなのかもしれないです。

それだったらサードアイを閉じていなくて心がカラッポでないさとり様も「夢」を見るのかな・・?

夢の世界のさとり様が果たしてどんな感じなのかはとてつもなく興味津々ですけど、なんとなくそこにいるのは
ドSのさとり様なのかもしれないですね・・(汗)


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それでは改めて冒頭のdream fantasy のアミグリさんが
描かれた今年・・2019年5月14日の「こいしちゃんの日」に描かれたとってもかわいいこいしちゃんを皆様に
ご紹介をさせて頂きたいと思います。

このこいしちゃんは数年前に描かれた線画に今年に入って色塗りをされたとの事ですけど、
過去のアミグリさんの絵と今現在のアミグリさんの作風が絶妙に融合したすてきな作品と言えると思います。
アミグリさんによると上記のこいしちゃんは、2012~13年頃のアミグリさんの淡い作風時代の頃に描かれた線画との事ですが、
淡い作風モードと現在のキラキラ仕様が融合されたという感じもあり、
あの名作こいしちゃんと誉れ高い「春こいし」の淡い幻想感とは少し方向性が違うけど、
ファンタジー感とかわいらしさがとってもうまくミックスされていると思います。

このこいしちゃんはとってもかわいいのですけど、あどけない感じもありますし少しロリっぽい雰囲気もあるのだと思いますが、
少しだけおとなびた少女という雰囲気も感じたりもします。
あどけなさと少しだけおとなびたという相反する要素が一枚の絵につまっている事は大変面白い事だと思いますし、
そこにあるのは線画の時期と塗りの時期のタイムラグなのかもしれないです。
ぺたんと座った感じがあどけなさを演出し、きょとん・・みたいな感じとか
「私、なにやってんだろ・・?」と自分を振り返っている様な表情がおとなっぽさを感じさせているのかもしれないです。

一枚の絵の中に相反する要素が見え隠れしていてそれを大変巧みにコントロールされているという感じで、今年のこいしちゃんの日の記念イラストとしては
申し分のない素晴らしいこいしちゃんだと思います。

白のニーハイ(ニーソ)もとってもかわいいですし、こいしちゃんによくお似合いだと思います。

上記のアミグリさんが描かれたこいしちゃんの権利は、こいしちゃんの作品の絵師様であるアミグリさんに帰するものであり
当ブログにおける転載とご紹介は事前に全てアミグリさんからご了解を頂いたものであり、
アミグリさんからのご厚意で転載をさせて頂いておりますので、
無断お持ち帰りや無断コピーは絶対NGですので くれぐれも宜しくお願い申し上げます。

アミグリさん、本当にいつも素敵なイラストの転載を快諾して頂きありがとうございます!!

皆様の中で「こんなにかわいいこいしちゃんを描かれる方のブログってどんなもんなのだろう・・? 」と興味がある方は、
是非是非アミグリさんのブログ dream fantasy  を
ご覧になって頂きたいと思いますし、 宜しければ、当ブログだけではなくて、
是非アミグリさんの本家本元のブログ dream fantasy  に一度お越しして頂けると
アミグリさんのブログをご紹介させて頂いている私もとってもとっても嬉しいです!

アミグリさんが定期的に作品を投稿され続けている →アミグリさんのpixiv にも是非一度足を運んで頂ければ幸いです!

アミグリさんのpixiv

アミグリさん、これからもすてきなこいしちゃんを描いて欲しいと思いますし、アミグリさんの描かれたこいしちゃんを今後も
楽しみにさせて頂きたいと思います。



よくローカルテレビとかローカルテレビCMというワードがあり、その地方だけしか放映されていない
ローカル商品のテレビCMというものがあったりしますけど、
テレビ埼玉(通称、テレ玉)を代表するそうしたローカルテレビCMでいっちば~ん!に名高いのは、当ブログでも
かなりの頻度で登場しているふくさやさんの十万石まんじゅうの「うまい、うますぎる」のフレーズだと思いますし、
他には福蔵・彩果の宝石などが埼玉県民にとっては大変親しみがあり馴染みがあると感じられます。

そうしたテレ玉が放映しているローカルテレビCMの中でもかなり印象的なCMとして、「ひびきのみそだれ」(やきとりひびき)が
挙げられると思います。
(みそだれみそだれ)黒豚!(みそだれみそだれ)やきとり!(みそだれみそだれ)ひびき!
彩の国ご当地グルメ代表 ひびきのやきとり!というフレーズなのですけど、
実はあのCMソングは「黄色と黒は勇気のしるし24時間戦えますか?」で時代を風靡した故・舟山一世先生の作品で
あったりもします!
あのフレーズを一度聞いてしまうとなんだか無性に耳に残ったりもします。
今現在は3人のセーラー服を着たJKさんが美味しそうにみそだれをつけたやきとりを学校帰りにおいしそうに頬張るCMとして
テレ玉限定で放映されていたりもします。

居酒屋の定番メニューの一つとして挙げられるのは焼き鳥だと思います。

焼き鳥はとっても美味しいですし、真夏のお祭り等の屋台で食べても寒い冬の時期にコンビニからの帰り道に
おやつ代りに食べるのもすてきですし、焼き鳥はから揚げと共にコンビニのホットコーナーの定番商品の一つというのは
既に定着された評価と言えるのかもしれないです。

スーパーやコンビニでも焼き鳥コーナーはありますし、そうしたコンビニ焼き鳥も悪くはないのですけど、
屋台とか移動販売車とか店先で焼き立てほやほやの串刺しの焼き鳥を「熱い、熱い!」と言いつつ頬張るのは
とっても美味しいと思います。
たれでも塩焼きでもどちらも美味しいと思いますが、私的にはたれをつけて焼いた方がより香ばしさが
増すような気もします。

さてさて、埼玉の真ん中あたりに位置するエリアに東松山市があります。
最近、当ブログでやたらと登場している渡邉ポポ先生のコミック「埼玉の女子高生ってどう思いますか?」のメイン舞台は
行田市なのですけど、行田市と東松山市は隣接はしていないものの、直線距離としては大変近いものがあるのですが、
行田と東松山を公共交通機関を使って行く場合は意外と面倒というのか、電車とバスを乗り継いで少なくとも1時間以上は
掛ってしまうというのは、これはむしろ地方のローカルあるある話としてはむしろよくある話なのかもしれないです。

その東松山市を代表するご当地グルメとして大変名高いのは「やきとり」です。
その表記は「焼き鳥」ではなく「やきとり」というのが大きなポイントでもあります。
東松山市ではヤキトリを「焼き鳥」と表記せず、あえて「やきとり」と平仮名で表記しています。
その理由は鶏肉を使わず主に豚のカシラ肉を使用している事が挙げられます。
これはあくまで東松山~坂戸周辺でのローカルルールなのかもしれないですけど、焼き鳥関連のお店で
鶏肉か豚肉を使用しているのか見極めたい場合はそのお店の看板に注目して頂きたいと思います。
「焼き鳥」と書かれていれば鶏肉、「やきとり」であれば豚のカシラ肉です。

そして東松山のやきとりは、そうした豚のカシラ肉に辛味と旨味たっぷりの「みそだれ」を付けて食すのが、
東松山流のやきとりの食べ方と言えると思います。
みそだれは白味噌ベースで、唐辛子やニンニク、果物など10種類以上のスパイスから作られているのが一般的です。

そして東松山のやきとりにたれとして付けるのが一般的にみそだれなのですけど、このみそだれとして埼玉では
かなり有名なブランドが冒頭で少しばかりご紹介させて頂き、テレ玉のCMが大変印象的な「ひびきのみそだれ」なのだと
思います。
このひびきのみそだれは、東松山を中心とするやきとりのチェーン店とテイクアウト店を運営しているひびきグループが
自社ブランドとして工場を持ち製造販売している埼玉ブランドの味と言えると思います。
このひびきのやきとり店は東松山方面を中心に埼玉県内にかなりのお店をチェーン店として既にたくさんの数を出店
していますし、テレ玉のCMもありますので、埼玉県内に限ってはそこそこの知名度があると思います。
味噌自体は日本の伝統的調味料なのですけど、その味噌の持ち味を最大限に活かした東松山名物「やきとり」に
実際にひびきのお店で使用されている秘伝のピリ辛味噌だれを瓶詰めにしたものが、
モンドセレクション「最高金賞」連続受賞中のひびき自慢の逸品なのです。


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埼玉県東松山市は、北海道室蘭市や愛媛県今治市と並び「日本三大やきとり」のひとつとも言われています。
人口1万人あたりの焼き鳥店舗数は7.2軒と3都市の中で最も多く、全国屈指の焼き鳥の街とも言えそうです。
一般的に焼き鳥というと、そこで使用する具材は鶏肉ですし、だからこそ焼き鳥と称されるのですけど、
埼玉の東松山近辺の「やきとり」で使用しているのは、もちろん鶏肉もありますけど、これぞ東松山のご当地グルメといえる
いっちば~ん!の特徴は使用具材は豚肉であり、
串に刺して焼いた豚のカシラ肉(ホホやこめかみ)に辛味の効いた味噌だれをつけて食べるのが東松山流の食べ方と
言えます。
(その味噌だれとして埼玉で大変名高いのは「ひびきのみそだれ」なのです)

繰り返しになりますが、一般的な焼き鳥とは言うまでもなく鶏肉を焼き上げたものですけど
埼玉県東松山市では鶏肉ではなく豚肉を串にさし、炭火でじっくり焼いたものをやきとりと言います。
(後述しますけど、一般的に既に定着している「焼き鳥」と区別すると言う事で、東松山では豚肉を使用しているのに、
あえて平仮名で「やきとり」と表記しています)
そしてちょっとややこしいのですけど、坂戸等東松山の近隣では、豚肉を串刺しにしたものを「やきとん」と表記されることもあり、
埼玉の一部のエリアではやきとんとやきとりという名称がが混在しているようにも感じられます。
厳格な定義というものは別にないようですけども、豚肉を使用した「やきとん」のことを「やきとり」と称するものの
「焼き鳥」と称することだけはまずないとの事です。
豚肉を串焼きとして商品は当初は「やきとん」として売りだした事もあったようですけど、
今一つしっくりこないとの事で、すでに定着していた「焼き鳥」にあやかって、平仮名表記の「やきとり」にしたとも
言われているそうです。

なんだかゴチャゴチャしてきましたけど、要約すると埼玉の東松山で食べられているご当地グルメの「やきとり」は、
基本的に使用している素材は豚のカシラであり、それを味噌だれにつけて食べるというのが東松山のご当地流と言う事なのだと
言えそうです。


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最後に・・カルビーのポテトチップスでは、上記の東松山ご当地グルメのやきとりをポテトチップスとしてすてきに再現した
商品も最近発売されております。

やきとり味は、豚のカシラ肉と長ネギを焼き上げみそだれを塗って食べる東松山のご当地グルメの「やきとり」を再現し、
豚肉のうまみとピリ辛のみそだれの味わいが楽しめる商品です。

食べてみるとわかりますけど、豚肉のおいしさとみそだれのピリ辛さが見事に融合していると思います!
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当プログにおいては頻繁に「かわいい」というワードが登場しますけど、男の子が女の子を見て「かわいい」と感じる点と
女の子が同性の女の子を見て「かわいい」と感じる点には微妙にもしかしたら違いがあるのかもしれないです。
私自身は男子高でしたけど、例えば共学高校のクラス内でしたら、
男の子の感じる「クラスでいっちば~ん!かわいい女の子」というのは意外と女の子が感じるかわいい女の子としての評価と
異なるものがあるのかもしれないです。

女の子が一般的にかわいいと感じる「かわいい女の子」の基準と言うのはもしかしたら、
小顔 ・目が大きい ・背が小さい・目鼻口元というパーツと全体のバランスという事なのかもしれないですし、
顔、性格、洋服などと言った複数のポイントを見て総合的にかわいいと判断されるのかもしれないです。

逆に男の子の視点から見たがかわいい女の子のポイントとしては
濃すぎないナチュナルメイク ・ツヤと潤いのある唇・パッチリとした大きな瞳という要素も多少はあるのかもしれないですけど、
それよりはむしろ感覚的な雰囲気という点の方にウェイトを置いているのかもしれないです。
女の子は一つ一つのパーツやバランスまで見てしっかりと判断するのに対して、男の子は雰囲気という感覚で
かわいいと直感しているのかもしれないです。

そして一方で男の子がかわいいね~と感じてしまう女の子のかわいい表情というのはふとした時の表情というのか
何気ない表情や仕草なのかもしれないです。
例えば驚いて一瞬固まってしまった時や、呼びかけて振り返った時の自然な笑顔、首をさりげなく傾けている仕草や、
恥ずかしくて耳を真っ赤にしている時もそうですし、
ちょっと戸惑ったりびっくりした時の「え・・?」という表情とか「なにそれ~」みたいな
首をかしげながらきょとんと見つめる仕草も、意外と男の子のハートキャッチにはうってつけなのかもしれないです。
きょとんとした感じというと人によってはアホっぽい・・と感じられる方もおられるのかもしれないですけど、
女の子がふいにこの仕草をされると男の子は胸がキュンとなってしまうものなのかもしれないです。
そして同様の仕草として、髪を結ぶまたは髪をかきあげる 上目づかいに見るという事もそうしたなにげないけどかわいい仕草と
言えるのかもしれないです。

「ラーメン大好き 小泉さん」の原作漫画第5巻において、小泉さんが教室内にてボーーッと首をかしげているシーンが
ありましたけど、あれは小泉さんが別に戸惑ったりきょとん・・としたからではなくて、その前日に
地盤沈下が進行し店内が傾いたラーメン店でラーメンを食べていて、その傾きながらラーメンを食べていた体感を
翌日になっても引きずっていたという事でもあったのは、それはそれで小泉さんらしい話なのかもしれないです。

さてさて、本記事においてはそうした女の子の何気ないしぐさの「え?」やきょとん・・といった表情をモチーフにされた
dream fantasy のアミグリさんが描かれた
え?という感じの女の子やきょとん・・とした東方キャラを幾つか改めて転載&ご紹介をさせて頂きたいと思います。

本記事のオープニングを飾って頂く女の子は、アミグリさんが2013年9月に描かれたタイトルの「え?」というとってもかわいい
オリジナル作品です。

アミグリさんが描かれた「え?」のオリジナルの女の子は
うさぎの髪飾りがとってもかわいいですし、緑の衣装がとても映えていると思いますし、この緑の色がとても
ナチュラルで温かみが伝わり、素晴らしいてす!
そして冒頭で書いた通り、このオリジナルの女の子のちょっと戸惑ったりびっくりした時の「え・・?」という表情が
とってもナチュラルで、何気ない仕草なのかもしれないけど、男の子にとってはたまらなくキュン!とくる雰囲気と
言えるのだと思います。
女の子の短めスカートもとてもポイントが高いと思いますし、スカートの細かいフリルもとっても丁寧に描かれていますし、
スカートとタイツの間の絶対領域もとって眩しいですね!

髪型が、私が大好きな「ボニテール」というのも素晴らしいです!

この女の子はどうして「え?」と言っているのでしょうか・・?
私の脳内妄想としては、思いがけずとある男の子から告白されてしまい、思わず「え?」と言ってしまったけど
内心は「私も彼、大好きだったんだぁー、なんてラッキーでハッピー!」と思いながらも、
次に続く言葉はもしかして・・「え? 本当にこんな私でもいいの!?」
「彼・・・女子の間ではモテモテだし、私のどこがいいというのだろう・・?」みたいな嬉しさと戸惑いの表情が
とっても素敵に伝わっている一枚だと思います。


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続きましてアミグリさんが2016年9月に描かれましたアニメ「この美術部には問題がある!」の宇佐美みずきちゃんです!

ちなみにこの作品はpixivでの掲載タイトルは「え?」とされています。

みずきちゃんのショートの髪型や生真面目っぽい性格がアミグリさんが描かれた一枚の絵からもすてきに伝わっているようにも
感じられますね。
ちなみに宇佐美みずきちゃんはJCさんです!
制服がとっても可愛く描かれているのがすてきですし、うさぎの髪飾りもとってもかわいいと思います。

アミグリさんが描かれたみずきちゃんは、かわいいだけではなくて、原作漫画でも何度となく描かれていた
「ちょっと! 私のこの気持ちに少しは気付いてよ・・!」とか
「あれ・・? なにこの胸の高まりは・・このドキドキは・・? これがもしかして恋というものなの・・?」といった
みずきの内面の気持ちとか恋に恋する戸惑いの気持ちとか
中学生らしい甘酸っぱい感情みたいなものもさり気なく一枚の絵としてきちんと表現されていて、
それが見ている人達に「ちょっと甘酸っぱいような感情」みたいなものを見事に伝えているのは
本当に素晴らしいと思います。
そしてそうした戸惑いの気持ちがタイトルの「え?」という事にも繋がっているのかもしれないです。

アミグリさんの描かれたみずきちゃんは、少し大人っぽくてしっとりとした等身大の中学生の内面みたいなものを
ナイーブに伝えていると思います。


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上記のオリジナル作品と版権作品の「え?」の女の子はすてきな美少女でしたけど、アミグリさんが時折描かれる
ポケモンのデデンネにも実は過去の作品の中にはあたかもデデンネが「え?」と言っていそうなかわいい作品もあったりします。

上記の「え?」のデデンネは、アミグリさんが2014年4月にpixivで発表をされた作品です。
(そんな訳でこのデデンネはdream fantasyの中では未掲載ですのである意味とても貴重な作品ともいえそうです。)

デデンネは美少女という感じでは無いのですけど(汗・・)、このまんまるの雰囲気はかわいらしさそのものだと思いますし、
こうしたかわいいまんまるのキャラが「え・・?」とか「??」という表情をされているとかほいらしさも更にマシマシになるような
感じてもありそうですね~!


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そしてここから下記はアミグリさんが描かれてきたきょとん・・とした表情の東方キャラの中から幾つか転載&ご紹介を
させて頂きたいと思います。

まず最初に東方屈指の美少女のアリスの旧作版です。

東方の作品には旧作と今現在の新作という二つの版があったりもします。
新作版に移行以降は、新先のWindows版の初作である「東方紅魔郷」の時点で、
「旧作全体の設定を一掃した」ということで、旧作のPC-98版の登場人物の大半は新作のWindows版には未登場です。
旧作から新作に最初から移行できたキャラは、霊夢と魔理沙のみで、
新作の途中から、「旧作の復活キャラ」として登場したのは、風見幽香とアリスの2名のみです!

上記のちょっときょとんとした美少女はアミグリさんが2015年11月に描かれた旧作アリスです。
アミグリさんが描かれた東方旧作(怪綺談)のアリスは、
今現在の美少女・アリスよりはいくぶん幼い雰囲気になっているのが新作と旧作の違いなのかもしれないですね。
現在のアリスもとってもかわいくてすてきな美少女ですけど、旧作アリスもとってもかわいく描かれていて、
このロリっぽいアリスも大好きです!
アミグリさんらしいちょっと「きょとん・・」とした雰囲気も最高だと思います!
真っ青な瞳と金髪がとてもきれいですし、キラキラした背景も美しいです。

旧作からの復活組の一人の風見幽香は現在と旧作があまりにも違いすぎる為、現作と旧作における同一性は
あまり感じないのですけど、アリスに関しては「同じなのかも・・」と感じさせるものが大なのだと思います。
雰囲気が似ているというのもありますし、旧作が幼く描かれているから現在のアリスは「旧作から成長した」と素直に
感じることが出来るというのがその要因と言えるのかもしれないです。

私はアミグリさんが描かれた旧作アリスも今現在の美少女・アリスもどちらもとっても大好きです!!
(昨年8月にアミグリさんに描いて頂けた当ブログの開設6周年の記念作品としてのアリスの美少女振りは最高だと思います!)


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続きましてアミグリさんが今年・・2019年4月に描かれた「らくがき霊夢」です。
このらくがき霊夢はある意味連作作品でして、もう一つの方の霊夢はちょっと首を傾げた様子がとってもかわいいですし、
この首をかしげるという仕草は冒頭で書いた通り、男の子にとってはさりげない仕草だけどキュンっ・・!と胸がときめいてしまう
感じなのかもしれないです。

上記の霊夢は、前髪ぱっつん霊夢というアミグリさんがこれまで描かれてきた霊夢の中では少し珍しいのかもしれない髪型が
新鮮に感じたものでした。
以前描かれた霊夢の中では、長髪霊夢がいたり髪のリボンが少し大きめ霊夢もいたりしたものですけど、
こうした前髪ぱっつん霊夢もなんとなくですけど、お人形さんみたいな雰囲気も感じさせてくれていて、
このちょっときょとん・・とした表情と合せて「とってもかわいいね~」と感じさせてくれていると思います。
こんなきょとんとしたお顔のお人形さんっぽい霊夢を目の当たりにすれば、
アリスが魔法の森の自分の家までお持ち帰りしたくなってしまうのかもしれないですね。


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続きましてアミグリさんが2018年10月に描かれ「おやつの時間」とタイトルが付けられたとってもかわいいうどんげちゃんです!

これはとってもかわいいかわいいクッキーうどんげちゃんですね~!

うどんげちゃんが手にしていて籠の中に入っているクッキーはうどんげちゃんの手作りなのかな・・?
クッキーもとてもおいしそうです。
背景のケーキ・ガトーショコラ・クッキーもとってもおいしそうですし、うどんげちゃんのすてきなティータイムが始まりそうですね!

少しきょとんとした表情・少しよれっとしたうさ耳・先日のハロウィンゆかりんみたいに流れるような長髪の美しさ・
ミニスカートの可愛らしさといつものブレザー制服などうどんげちゃんの魅力全開に加えて
背景のお菓子やいつものキラキラ感がすてきに加わり、華やかさも十分すぎるほど表現されていると思います。

アミグリさんが描かれる長髪キャラは、いつみても「美しいなぁ・・」とうっとりさせられるものがありますし、
このうどんげちゃんの流れるような美しい長髪とこのミニスカートの素晴らしさは最高なのだと思います!

私も是非ぜひこのクッキー配りのうどんげちゃんからお菓子を貰いたいです!


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本記事のフィナーレを飾って頂く作品は、「え?」とかきょとん・・が幻想郷ではもしかしたら最もお似合いそうかもしれないという
意味では最もふさわしいというのか、
アミグリさんが2014年7月に「ここどこ?」というタイトルで描かれたチルノです。

このチルノに関しては、色々と脳内妄想が発揮しまくりの一枚だとも思えます。

チルノは妖精なのですけど、まるで「スマイルプリキュア」のマジョリーナの「チイサクナール」によって
箱に入れるような小ささのチルノにちっちゃくされてしまったみたいな雰囲気がありますし、
さすがに「え・・?? なんであたい、こんなにちっこくなったの・・? 第一ここ一体どこなの・・?」みたいに
珍しく少々不安におびえている様なチルノがそこにいるんじゃないのかな・・?と思ったりもします。

果たしてチルノが閉じ込められたのはどんな世界なのでしょうか・・・?

氷の世界・・? 鏡の世界・・・? それとも普段イタズラしまくっている湖のカエルたちから仕返しといわんばかりに
オオガマ様の腹の中・・・?

このチルノの「不安顔」という表情を絵にされている東方絵師様って実はそれほど見た事ないですし、
これはアミグリさんの「素敵な感性と想像力」がこうした普段見られないようなチルノの素敵な表情を
産み出したと言っても決して過言ではないと思います。

外界でもしもこうした「ちびっこい箱入りチルノ」が販売されていたとしたら、私なんか真っ先に買いたいですね!

チルノを指でツンツンして少しイタズラしたり(笑)
猛暑の際には室内のエアコン代わりに「冷気を操る程度の能力」のチルノを使用してもいいのかもしれないですね・・(笑)

上記のアミグリさんが描かれた作品の権利は全てこれらの作品の絵師様であるアミグリさんに帰するものであり、
当ブログにおける転載とご紹介は事前に全てアミグリさんからご了解を頂いたものであり、
アミグリさんからのご厚意で転載をさせて頂いておりますので、
無断お持ち帰りや無断コピーは絶対NGですので くれぐれも宜しくお願い申し上げます。

アミグリさん、本当にいつも素敵なイラストの転載を快諾して頂きありがとうございます!!

皆様の中で「こんなに魅力的なみずきちゃん等を描く人のブログってどんなもんなのだろ・・? 」などと興味がある方は、
是非是非アミグリさんのブログ dream fantasy  を
ご覧になって頂きたいと思いますし、宜しければ、当ブログだけではなくて、
是非アミグリさんの本家本元のブログ dream fantasy  に一度お越しして頂けると
アミグリさんのブログをご紹介させて頂いている私もとってもとっても嬉しいです!

アミグリさんが定期的に作品を投稿され続けている →アミグリさんのpixiv にも是非一度足を運んで頂ければ幸いです!

アミグリさんのpixiv

アミグリさんの描かれる女の子はオリジナルも版権作品も東方キャラもみんなとってもかわいくて生き生きとしていますし、
特に「え・・?」という雰囲気の女の子やきょとん・・とした雰囲気の女の子を描かせたらアミグリさんの右に出る絵師様は
ほとんどいないのかもしれないです!
世の中で歯医者に行くのが大好き!という方はそれほどは多くは無いのかもしれないですね・・(汗)

歯医者に行かれるほとんどの方は、虫歯・歯痛・歯槽膿漏等歯や口内に関するトラブルでしぶしぶ行かれることが
ほとんどなのかもしれないですね・・

私自身、小学生の頃に一度虫歯になり一か月程度歯医者にかかった事があるのですが、
その際の嫌な記憶というか、トラウマ・・ 例えば、電気ドリルの音、ノイズから出てくる冷水、
痛みのためにあまり触れては欲しくない部分に治療器具が当たった際の痛さなどを思い出してしまいます。
2014年頃の記事にも、歯痛が酷くなってしまい不本意ながらしぶしぶ近所の歯科医に行ったみたいな記事を書いたことがあり、
その時に最近の歯医者さんの治療は昭和の頃に比べるとそれ程痛みを伴わないし、
なによりもありがたかったのは、事前に歯科医の先生より「痛みを感じたら、手元のそのスイッチを押してください。
ただちに治療をいったん中止します」と言われていた事への安心感ですね。

最近はそうした虫歯も多分ないと思いますし、モノを食べたり冷たいアイスや飲み物を飲んでも「歯にしみる・・」といった
感覚は皆無であるのは大変ありがたいものがあると思います。

実は既に20年以上も前の話なのですけど、当時の会社の健康診断の一環で「歯科検診」も行われ、
その際に 「あんた、この歯の状態をこのまま放置し、何か対策とか治療とかケアの方法を学ばないと、
間違いなくあんたの歯は5年以内にボロボロになってしまい、
20年後のあなたの口の中は、100%の確率で歯は一本も無くなる!
つまりあんたの歯は20年後は間違いなく100%の確率で総入れ歯になりますっ!!」と
とてつもない上から目線で予言されてしまい、あの頃はまだ若気の至りと言う事で(?)カチン!ときてしまい、
「だーれがお前のいう事なんか聞くものかっ! ふんっ!!」という感じでしたし、
「お前のそんなポンコツ予言なんか誰が信用するかっ!」という事でそのまま放置した前科が実はあったりもします・・(汗・・)
結果的にあれから20年以上の歳月が流れ、あの当時の歯の状態をそのまま放置し、特に対策もケアも
していなくて、朝晩の歯磨き以外の事は何もしていませんでしたけど、
別に総入れ歯にもなっていませんし、モノが食べられない状態になっている訳でもありませんし、
一本たりとも入れ歯になっている訳ではありません・・
別に5年でボロボロの状態になっていた訳でもないです・・

やっばりモノは言い方一つで変わるのかな・・?

20年前のあの歯科検診の際に、上記のような乱暴な口調の上から目線の男の中年歯科医からあのように
上から目線で言われるとカチン!ときてしまうけど、
あれがもしも東方のゆかりん=八雲紫様みたいなお姉さま歯科医の先生とか
アリス・早苗さんみたいなすてきな美少女風の歯科医の先生からやさしく指摘をされたとしたら、
翌日には、間違いなくそのやさしく美しい歯科医の先生がアドバイスされた事を100%遵守していたのかも
しれないですね~! (汗・・)

それにしても「20年後にあんたの歯は100%の確率で総入れ歯になってしまう」というのもちょっと酷い言い方なのかも
しれないですね・・


コンジ水


ここから先は少しばかり余談ですけど、もしも真夜中に歯が痛くなってのたうちまわっている時に、翌日歯科医に行くまでの間の
痛み止めとしては、バファリン等も有効なのかもしれないですけど、「コンジスイ」というゲル状の歯痛薬もあったりします。
虫歯に対して綿棒でもって直接歯に薬を塗布するものですから、ある程度の速効性があると思います。
感覚としては、大体2~3分後には痛みは取れてしまうという感じですね。
欠点を言うと、口の中ですのでどうしても唾液というものがある都合上、口の中が少しピリピリと
痺れているような感覚があったりもします。

以前なのですけど、ビタミン不足なのかストレスなのかよく分かりませんけど、唇の裏側あたりにかなり大きめの
口内炎が出来てしまいこれが結構痛かったりもします。
その際に「口内炎に効く薬ってないかな・・?」と聞いてみたら、「試しにコンジスイでも塗ってみれば・・・?」と言い出したので、
ものは試しと思い塗ってみたもののこれは完璧に大失敗でした・・
塗布して3分程度は、「なんか痛みが治まったのかも・・」という感じでしたけど、その後しばらくすると
逆に唇そのものが腫れてきてしまい、口内炎以上にこちらのピリピリとした痛みの方がしんどかったです・・
後日、コンジスイの注意事項を読んでみると、
「コンジスイは、歯茎や唇には絶対に使用しないで下さい!! 腫れたり炎症を起こす可能性があります。
コンジスイは、あくまでも一時的な歯痛を和らげるためだけのものです」と
はっきりと書かれていました・・・(汗)

これは、塗布する前にちゃんと調べる必要がありましたね・・・(汗・・)

とにかく、歯が痛い場合はきちんと歯科医に行き、口内炎がひどい場合は口内炎用の塗り薬を用意しておく必要があると
いう事なのだと思いますね。
昨日は年に一度の会社の定期健康診断が実施され、
感覚としては「毎年毎年、年齢と共に自分の体もポンコツ化していくものだなぁ・・」という事に尽きるのかもしれないです。
最近までは、こうした健康診断の結果は、オールAまたは要経過観察も要再検査も何も無いという感じでしたし、
生活習慣病というワード自体全然意識もしていなかったし、血液検査等でも一項目たりとも
引っ掛かりはしなかったのですけど、ここ数年は、
「昨年よくなかったこの数値が改善したと思ったら、今度はこっちの数値が芳しくない」みたいな感じですし、
内科の問診では医者から「それが年を重ねるというものなのです」と諭され、
「確かにね・・」と妙に納得したものです(汗・・)

他ならぬ自分のためなんだから「健康」の事も今まで以上に意識をしていきましょう!!という事なのかもしれないですよね。
過去記事の中で身長・体重・ウエストが結果的に高校2年の頃からほとんど変化が無いと書いた事もありましたけど、
ここ数年の傾向として、例えば年末年始の寝正月と食っちゃ寝の生活で体重が3~4キロ程度増えても以前でしたら
数週間で元に戻るという感じでもあったのですけど、
「自分が年を取った」と実感する項目の一つとして「増えた体重がなかなか元の体重に戻りにくくなってしまった」というのが
挙げられるとは思いますが、最近では増えた体重が中々戻らないというのは間違いなくありそうです・・(汗)

健康診断は一般的な会社ですと勤務中の合間に実施というのが普通なのかなと思うのですけど、
うちの会社の場合は、該当者が「お休み」の際に指定された病院に行き健康診断を受けるというスタイルになっています。
何も人がお休みの際にこうした健康診断を実施しなくてもいいのに~と毎回恨み節になってしまいそうです。
この健康診断は、かなり大きな病院で毎回多くの受診者たちでごったがえしていますので
朝9時開始でも終わるのが大抵12時前後になってしまいます。
せっかくの休みなのに健康診断で半日が潰れてしまうという事になってしまいますますね~

朝8:30分頃から受付となっていますけど、とにかく健康診断を受診する人で一杯・・という感じですね。
受付時点で相当待たされますし、
内科問診・血液採血・尿検査・身長体重測定・血圧測定・視聴覚検査・心電図検査・X選検査
そして、ラストのバリウムを使用しての胃の検査・・・・
受付から全ての検査が完了するまで、大体3時間程度掛ってしまいましたね・・・
一番最後の検査は「バリウムを使用しての胃のX線検査」なのですけど、
事前に胃の動きを止める薬の注射があるせいか、これが一番時間が掛かり、
受付から実際に検査完了までで1時間半程度も掛ってしまい、さすがに待ち時間が長すぎて
毎回毎回「早く終わってくれぇ・・・」と感じてしまいますね~

毎年そうなのですけど、私、血液検査で2本分採血されるのが本当に嫌で嫌で仕方ないですし、
(昔からそうなのですけど、自分の血を見るのがすごく嫌です・・)
そして何よりもあのバリウムを飲むのが本当に嫌で嫌で仕方が無いという感じですね。
あの白いドロドロしたコンクリートみたいな液体飲むのも嫌だし、
胃の動きを抑制されるという薬を肩から注射されるのも嫌ですし、別室から検査技師から
「はい、そこで右」とか「45度左に傾けて」と色々と指示が出されるのですけど、
こちら側から見た右側と別室モニターから見た右側では、何かたまーに「ニュアンスの違い」があるようでして
「反対だってば・・・」とか「向く位置が違う」とか色々と指示が飛ぶこともあるのですけど、
出来れば受診者の感覚にもう少し配慮して欲しいな・・とも感じたりもします。

そうそう、バリウムを飲む前に錠剤を飲まされるのですけど、
これを飲むと毎回毎回胃が膨らんでくるような感覚があり、ゲップを堪えるのが大変という感じです。
この状態で検査機械が左右上下に動き、機械が自動的にお腹を押したりへっこましたりすますので
正直何か「乗り物酔い」したみたいな感じでした・・・

もバリウム検査時の錠剤のせいで、検査が全て完了してもおそらくお腹は減っているはずなんですけど
あの錠剤の「お腹が膨らむような感覚」のおかけで何かを食べようとする気持ちは全くなくなってしまいます。
あ、この錠剤、ダイエットされている方には意外とうってつけの薬なのかもしれないですね。

とにかく今年もなんとか無事に健康診断が終わりましたけど、数週間後に送付される結果を見るのが正直
ちょっと怖いのかも~と思ってしまいそうですね。
「うまい、うますぎる」のフレーズでお馴染みの十万石まんじゅうはほとんど日持ちがしないですけど、全般的に
和菓子は比較的日持ちしますし、緑茶や紅茶に合うお菓子ですので手土産としては最適な商品の一つと言えそうです。
埼玉県外に何か手土産を持参する場合、十万石まんじゅう・彩果の宝石・福蔵・草加せんべい・いも恋・ねぎ味噌煎餅などが
その候補になるのかもしれないですけど、
埼玉県川口市在住の私としては「十勝の甘納豆」の和菓子も埼玉のすてきな銘菓の一つとしてお勧めさせて頂きたいものが
あったりもします。

十勝の甘納豆は一部洋菓子の取り扱いもありますけど、やはり誰がなんといっても和菓子がとてもおいしいです!

看板にもなっている通り、甘納豆もそうですし、お饅頭・団子・どら焼き・大福・羊羹もとっても素晴らしいです。
甘納豆も一種類だけではなくて、あずき・大納言・大正金時・白花・青えんどう・お多福・ 栗甘納糖といった多彩な商品も
用意されています。


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そして最近では十勝の甘納豆の看板商品ともいえるものがありまして、それが「母べえ」です。

以前は母べえの種類としてチョコ味もあったりしましたけど、最近は確か「母べえ 大納言」という
一種類になってしまっているのはちょっと勿体無い感じもあります。
この母べえ 大納言は、北海道産大納言と手亡豆を使用し、柔らかくしっとりとまーるい形でお母さんをイメージしたお菓子に
仕上げられています。
そして白餡のちょっとミルキー感すら感じられるあの独特なやさしいマイルドな味わいは一度食べたら忘れられないのかも
しれないですね。

母べえは実は2008年に吉永小百合主演で公開された映画「母べえ」とのタイアップ商品です。
映画自体のロードショーは既にとっくに終わっていますが、商品自体はいまだに健在と言う感じでもあります。

母べえは特段個性的な商品とか全国的に大変な人気と知名度があるという訳ではないのですけど、
あのやさしくマイルドなミルクの白餡風味は、たまに食べるとなんとなくですけど不二家のミルキーみたいな「どこか懐かしい味」
みたいなものを感じますし、あの味は時折無性に食べたくなってしまうことはありますね~!

十勝の甘納豆という企業自体、最近はちょっと経営が芳しくないといったうわさもちらほら出ていたこともあるようですし、
埼玉県川口市に元々本社と本店の機能があったようですが、本社機能を移転したり川口本社ビル自体を売却したりと
なにかとご苦労は多々あるようです。
そうした中、親会社自体が変更になったようでして、
2017年8月9日をもって「十勝の甘納豆」は、長野県に本社を構えるマツザワホールディングス株式会社の100%子会社と
なることが実施されたようでもありますので、
是非事業を再構築されて、川口というか埼玉県の「おいしい銘菓」としての味をこれからも後世に
受け継いでいってほしいと思ったりもします。
埼玉県の銘菓というと、うちのブログは「浦和の調ちゃん」ネタ関連の十万石まんじゅうのことばかり取り上げておりますけど。
管理人の私自体の住まいは実はさいたま市ではなくて川口市でもあったりしますので、
「川口を代表する銘菓」のブランドと味を守って頂き
「埼玉の銘菓は十万石まんじゅうだけではないですよー」ということを全国に轟かせて欲しいと思っております!
十勝の甘納豆の店舗においては、店内に入るとまさに「日本のおもてなし」みたいな接客がされることが多々ありまして、
商品を選んでいると、黒豆茶と試供品のどら焼き等が提供されることがよくありまして、
あの黒豆茶はとてもさっぱりしていて美味しいと思います。


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今現在展開されているかはちょっと不明ですけど、十勝の甘納豆では毎月10日限定のスイーツが販売されています。
それが何かと言うと、「バター餅」です。
元々は秋田県北部のお菓子らしいのですが、それを色々とアレンジし、ミルク風味にしたマイルドな味です。

ぐにゅとした歯応えの弾力のあるお餅なのですけど、
バターの香りとミルクの風味のまろやかなお餅は、お餅や和菓子があまり好きではないという方にも抵抗なく
受け入れられそうです。

クチコミを見てみると「このバター餅はフライパンで軽く加熱すると更においしさがUPする」とも書かれていましたので、
これは機会があれば一度試してみたいと思います。

吉永小百合と川口は多少縁があるみたいでして、1960年代に公開された吉永小百合主演の映画「キューポラのある街」は
実は川口市が舞台となっています。
キューポラと言っても今の若い世代の人達にはよく分からないと思いますが、要は鉄の溶解炉です。
1950年代~80年代の川口市は、「鋳物の街」として
高度成長期の日本を支えた縁の下の力持ちみたいな役割も持っていたと思いますが、
1990年代以降、川口市は、鋳物の街というよりは東京都内のベッドタウンというか
超高層マンション建築ラッシュに取り込まれ、元々鋳物工場だった敷地が次々とマンション建築の用地として買収され、
結果的にどんどんキューポラ自体減っていってしまいました。

現在では、キューポラは数えるほどしかないというか現役で稼働しているキューポラが今現在あるかどうかすら
よく分からないという感じなのだと思います。

川口駅前も1990年代以降急激に再開発が進みましたが、駅前の商業施設兼図書館兼行政センターの巨大ビルは、
その当時の名残をこめて「キュポ・ラ」と命名されています。

最後に・・・

最近の記事でも触れたとおり、川口市自体は全国的にも珍しい人口増加が続いている事とその人口構成において
20代~40代のいわゆる働き盛りの若い世代がかなり多いと言う事が大きな特徴でもあったりします。
その一方で埼玉県川口市も近年の少子高齢化があるのも事実でして、川口市内に元々あった3校の市立高校について、
一つの市に三つも市立高校は必要ないよね・・という財政上の理由もあったと思うのですけど、
学校統廃合ということで、この3校の校名がなくなってしまい、2018年の4月をもって3校が統合した「川口市立高校」が
誕生します!

旧校名が消滅したとしても、是非ぜひ新しい学校名の下、新しい伝統を作っていただきたいと思います。

その統廃合によって消える学校名の一つが「市立川口高校」なのですけど、この学校名を聞いて
吹奏楽部が頭に思い浮かばれた皆様は、私と同じようにオールド吹奏楽ファン、
そして野球部が思い浮かばれた方は、大の巨人ファンというか斎藤雅樹ファンといえるのかもしれないですね・・

市立川口高校吹奏楽部の偉大なる軌跡はこのブログでも何度も取り上げさせて頂きましたけど、
吹奏楽部は1979年~1990年に輝かしい実績を残し、全日本吹奏楽コンクールに過去11回出場し、
金賞6回(1979年・1980年・1981年・1984年・1985年・1987年)、銀賞5回(1982年・1986年・1988年・1989年・1990年)を
受賞しております。
1983年には「ウィーン世界青少年音楽祭」に日本代表として出場しグランプリ、
高校部門最優秀賞、オーストリア国営放送賞の3賞を日本で初めて独占という快挙も成し遂げています!
そして何よりも初出場の「二つの交響的断章」の歴史的名演と
1981~82年の当時の指揮者の信国先生による「無言の変革」シリーズという自作自演は、
吹奏楽コンクールの一つの金字塔とも思えます!

私の出身高校も、つい最近までは男子高校だったのですが、やはり学校統廃合の名のもとに、
近隣の女子高校との統廃合が成立し、今現在では男女共学校となっています。
私の高校時代の思い出は、「男子校としてのの気楽さ」にあったと思うのですけど、
それが現実的に今現在の母校にそうした気楽さが無いと言う事は卒業生としては一抹の寂しさも感じたりもします。
反面、今まで男子高ゆえの吹奏楽部員の慢性的不足とかクラリネット・ファゴット・オーボエ等の絶対的な
木管楽器の奏者不足が、JKさんががたくさん入部してくれたおかけで一気に解決され、
それだけではなくて2012年の創部50周年の節目の際に悲願の支部大会初出場を果たし、
さらに2017年度は二回目の支部大会出場を果たし、初出場の際は銅賞だったものの、二回目の出場の際は、
難曲中の難曲の「ディオニソスの祭り」を自由曲に取り上げ銀賞を受賞を果たしてくれていました!
これはOBの一人として嬉しく感じたものでしたし、過去の伝統は伝統として考え、今現在の新しい伝統と言うものに対して
OBの一人として温かい気持ちで見させて頂きたいと思っています。

市立川口高校吹奏楽部は、1991年の関東大会でのダメ金を最後に、2005年まで吹奏楽コンクールへの出場を
しない時期が長い間続き、
市立川口高校吹奏楽部のあの偉大なる伝統と名演を知る人たちも少なくなっていたのが実態だと思うのですが、
2006年以降、市立川口は久しぶりに吹奏楽コンクールにも出場しはじめ、最近では西関東大会にもボチボチと
出場を果たされています。
信国先生時代のあの偉大なる伝統は伝統として、今現在の奏者の皆様には
「新しい伝統」としての市立川口を歩んで頂きたいですし、学校名が変ったとしても
市立川口のあの斬新て新鮮な演奏の感覚は受け継いで頂きたいと思います。

市立川口高校の演奏については、この一つ前の記事でも少しばかり触れさせて頂きたいと思いますので、
興味がある方はご覧頂ければ幸いです。
名取吾朗先生が永眠されて、もう既に二十数年が経過しているのを見ると「時の流れって早いよね・・」としみじみ
感じたりもします。
名取先生の吹奏楽作品はどちらかというと陰気で劇的要素が強く、
ネリベルのように強弱と明暗のコントラストが激しい作曲家という印象があったりもします。
私自身、名取先生はその生前に例えば都大会・山梨県大会・関東大会等の吹奏楽コンクールの審査員として
お見かけした記憶はありますし、どこかの大会で、審査員代表として講評を述べていたのを耳にしたことがありますが、
作品の印象とは全然異なる柔和なお人柄という印象を受けたりもしたものです。
聞いた話によると、名取先生の陰鬱な音楽の背景には、名取先生ご自身の辛くて悲惨な戦争体験、特に南島での
兵士としての辛い体験がベースにあったとの事です。
そのあたりの背景は水木しげる先生と共通するものがあるのかもしれないです。

名取吾朗先生の吹奏楽曲と言うとどんな作品があるのでしょうか・・?

〇アラベスク(1973年課題曲B)

〇風の黙示録(1990年課題曲B)

○吹奏楽のための交響的詩曲「地底」

〇交響的幻想曲「ポンドック街道の黄昏」

〇吹奏楽のための詩曲「永訣の詩」

〇吹奏楽のための詩曲「アトモスフェア」

何となくですけど、名取吾朗氏の作風と市立川口高校と愛工大名電の演奏は大変相性が良かったようにも感じられます。
ポンドック街道の黄昏は、関東大会銅賞ですけど真岡高校の演奏が私的には大変強く印象に残っていますし、あの演奏に
おける前半のソプラノサックスのかなり長大なソロはキラリと光るものがあったと思います。

吹奏楽のための詩曲「永訣の詩」に関しては、詳細な資料がほぼ皆無でその作曲の経緯や初演を含めて
私自身実はあまりよく知らないという事でもあるのですけど(汗・・)
一言で感想を述べると「慟哭」であり、抑えきれない悲しみとせつなさの感情のあまり涙が自然と流れてきそうという
感じの曲だと思います。
永訣の詩と似たような感じの曲としてよく挙げられるのが吹奏楽のための詩曲「アトモスフェア」なのですけど、
両者は似て非なるものがあるような印象を私自身は感じております。
永訣の詩はその人に内在する感情をひそやかに歌い上げたものであり、対してアトモスフェアの方はどちらかというと
ダイナミックスレンジの幅の落差を音楽の外面的効果として強調しているという印象もあったりします。

永訣の詩の「永訣」というと宮沢賢治の「永訣の朝」という小説を思い起こす方もいるかとは思いますが、永訣の本来の意味は
永遠に別れること、死別、永別との事で、
自分が本当に大好きで愛した人との最期のお別れに当たっての「なんであなたは私をおいて一人逝ってしまうのだ・・」という
別れの辛さ・哀しさを内省的に表現した曲というのが本来的なこの曲の解釈なのでしょうけど、
私的には、この曲からは、人生の最後で何かやり残したものも多々あり、死んでも死にきれないのだけど、
最後は諦念という感情の中で未練を抱えつつも静かに最後を迎え、消滅していく・・・
そんな感じが漂う不思議な曲のようにも感じたりもします。
例えは悪いかもしれないですけど、矢代秋雄/交響曲~第三楽章の世界観が漂っているような感じもします。

吹奏楽のための詩曲「永訣の詩」は全国大会においては、これまでの所、市立川口と花輪高校が自由曲として
演奏がされています。
コンクールの評価としては市立川口は金賞で花輪高校は銅賞なのですけど、これに関しては私的には大いに異存があります!
花輪高校の演奏は銅賞なのだから市立川口高校より劣るという事は100%ないですし、両校の演奏を実際に
普門館の生演奏を聴いている私としては両校ともそれぞれ素晴らしい演奏を残していますし、
それぞれ大変個性豊かな演奏&解釈を新鮮な感覚で聴かせてくれていますし、どちらにも捨てがたい魅力があります。
両校の演奏には一つ面白い違いがあります。
冒頭の慟哭みたいな表情の部分てすけど、
市立川口は、この部分はユーフォニウムがソロに近い感覚で朗々と吹き上げているのに対して、
花輪高校は、この部分はトランペットセクションが高らかにややヒステリックに響かせています。
個人的には、この部分は、花輪高校の方が好きですけどね。

花輪高校は、1987年のこの永訣の詩以前の自由曲はロシアのマイナーシンフォニーを主に演奏していましたけど、
この年は突然の「邦人路線」への変更と言う事で正直驚きましたけど、
1987年の演奏は、慟哭のやりきれない響きの中に優しさが垣間見え、私は結構好きでした。
この年の演奏が全国では銅賞という評価なのですけど、1989年の「壁画」同様、この評価は今でも納得できないですね~!
後で聞いた話では、
当初花輪高校は全く別の曲を自由曲候補として考えられていたそうですけど、
秋田県内のある中学の「永訣の詩」の演奏を聴いて小林先生が、「うちでもやってみよう」という事になり、
カットと時間の制約上、課題曲もEのマーチ「ハロー! サンシャイン」に変更した経緯があるとの事です。

1984年の市立川口高校の演奏は花輪高校と同様に内省的な響きを大切にしながらも、花輪高校がどちらかというと
少しドロドロとした泥臭さの表現を感じさせるのに対して、市立川口は音色自体が大変都会的で明るい響きで
かなり洗練された音楽としてこの永訣の詩にアプローチされていた印象があります。
市立川口は翌年にも名取吾朗先生のアトモスフェアを自由曲に選び、音楽の強弱と変化をかなり大胆に表現され
ダイナミックスレンジの幅広さを強く聴衆に意識させた外面的効果の強調を感じさせるのですけど、
1984年の永訣の詩もどちらかというとそれに近いアプローチを見せてくれていると思います。
まとめると同じ「永訣の詩」という素材を選びながらも、花輪高校は泥臭い人間の悲しみの慟哭の感情をドロドロに表現され、
市立川口は内省的な雰囲気を大切にしながらも音楽の外見的効果も重視しているというのが
違いと言えるのかもしれないです。

市立川口と言うと、二つの交響的断章の爆演とか1980年の神の恵みを受けてといういかにもアメリカオリジナル作品らしい
都会的洗練さと過剰過ぎるとも思えなくもないダイナミックスさ、あの2年間に渡る「無言の変革シリーズ」のように
表面的な華やかさ、多才な楽器の使用、あまりにも鮮やか過ぎるffとppの落差の激しさ、静と動の極端な落差などといった
「外見的な派手さ」が目立つ印象にあったのですけど、
1984年の市立川口の演奏は上記で述べてきた外見的効果とダイナミックスレンジの幅広さの他に、
音楽の内面にぐぐっと踏み込んだ内省的な演奏の世界に入り込んできたというような印象を当時は感じたものでした。

市立川口のように技術的に高い水準をもった学校が技術的には易しい課題曲D/マーチ「オーバス・ワン」を取り上げた
事自体極めて意外でした。
(この年の関東4代表のうち、3チームが課題曲Dを選んでいました)
信国先生のそれまでの選曲パターンで言うと
「課題曲B/土俗的舞曲のような日本的情緒が漂う曲を選ぶのかな」と思っていたら簡単なマーチを選ぶとは少し意外
という感じもしましたけど
課題曲は実にオーソドックスに普通に演奏していましたので、当時は「市立川口も普通のマーチを普通に演奏する事も
出来るのだ」とヘンな感覚も感じたものでした。
自由曲の「永訣の詩」ですけど、内省的な深みのある曲を一音一音よく考え抜いて吹いていて、
じっくりと練りに練った解釈の下、曲の内省的な緊張感を終始キープしたまま演奏を展開し、
最初から最後までウトウトする事も許されないような有無を言わせぬ圧迫感というか劇的な緊張感をずーーっと
客席に与え続けていたような印象があります。
この演奏で何がすごいかと言うと、どうしてもアマチュアの吹奏楽の場合、全体での勢いがある場面は華やかでいいのですけど
ソロになったりサウンドが薄くなったり、奏でる楽器の数が少なくなってくると
とたんにサウンドが貧弱になったり表現が消極的になるような傾向も決して無くは無い中、市立川口は、ソロの場面でも
大変うすく書かれている場面でも奏者が臆することなく自信たっぷりに堂々と吹いていて
音楽としての表現力が消極的になる事は全く無く、逆ppの熱演や静の場面の音楽的熱狂とか劇的な息が詰まりそうな
緊張感を演奏開始から静かに曲が閉じられるまでの間ずっと保っていたのは圧巻だったと思います。

静かに曲が閉じられ、演奏が終わっても客席にはピンと張りつめた緊張感が漂いつづけ
「一体今のはなんだったんだ・・!?」みたいな空気が流れていたせいか
私の記憶の中では、演奏終了後の拍手は意外と少ないという感じはありましたけど、客席が市立川口の演奏に
のみこまれていたと思います。

最後に・・

先日の当ブログの渡邉ポポ先生のコミック「埼玉の女子高生ってどう思いますか?」の記事の中で、
埼玉の大宮開成高校について少し触れさせて頂きましたが、この大宮開成高校は2015年以降、埼玉県大会でも
急速にレヴェルアップを果たされていて、ここ4年近くは全て高校B部門の中で金賞・県代表に選出されていますけど、
2015年の自由曲が名取吾朗先生の吹奏楽のための詩曲「永訣の詩」でした。
あの演奏は私自身は県大会で聴きましたけど、1984年の市立川口を彷彿とさせる外見的効果と内省的な雰囲気が
絶妙に融合した素晴らしい演奏でした!

アトモスフェアも地底もこの永訣の詩も令和の時代でも忘れることなく演奏されてほしいです!
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先週の当ブログの記事として、「東方香霖堂」に登場している名無しの本読み妖怪(朱鷺子)のフィギュアレビュー記事を
させて頂きましたけど、東方香霖堂の主人公は東方では大変珍しい男性キャラの森近霖之助(もりちか りんのすけ)でも
あったりしますが、森近霖之助というとそのカップリング相手としてはもちろん霊夢もいますけど、
霊夢以上に森近霖之助と縁が深いのは魔理沙だと思われます。

魔理沙と森近霖之助の二人の関係性を一言で言うと年の離れた幼馴染ともいえそうですし、
はたまた近所のお兄さんに頻繁にちょっかいをかけるおせっかいな世話焼き妹みたいな感じでもありそうですし、
半分人間で半分妖怪の森近霖之助が将来的に幻想郷の誰かと婚姻関係を結ぶ可能性と言う事はかなり低いものが
あるといえそうではありますが、もしも森近霖之助が誰かと結ばれるというのならば、その最も可能性の高い
ベストパートナーは魔理沙と言えるのは間違いでもなさそうです。
(他には、ゆかりんが強引に口説きに掛かるとか、半分人間・半分妖獣である慧音先生というカップリングも有なのかも
しれないですね~)

森近霖之助は過去、魔理沙の実家である霧雨店で修行していた経歴がありますし、その後独立を果たした後も
霧雨家とは交流があったようで、魔理沙が生まれた時からの付き合いがありますし、魔理沙自身も物心ついた頃から
香霖堂を訪れ、森近霖之助に接しているようです。
魔理沙は霖之助から様々な影響を受けていて、蒐集癖、ミニ八卦炉、星の魔法といった魔理沙を魔理沙たらしめる要素は、
実は森近霖之助から影響を受けたといえそうですし、
森近霖之助のために食事を作りに行ってあげたり雑用を引き受けたりと、その関係性は霊夢よりも強いと言えそうです。
(ちなみにですけど、霊夢の巫女さん衣装やお祓い棒を作成しているのは実は森近霖之助であったりもします!)

東方香霖堂の登場人物のデザインは全体的に幼く見えるのが大きな特徴でもありますし、霊夢と魔理沙の雰囲気は
普段の東方作品ではJKさんっぽく見えそうな中で、東方香霖堂においてはJCさんのような雰囲気すら漂わせていると
思いますし、その中でも特にゆかりん=八雲紫様の少女らしさは群を抜いていて、
東方妖々夢や東方萃夢想で見せるアダルトな姿とはまったく雰囲気を異にしているのには驚きすら感じさせます。
ゆかりんの事をBBAと陰口を叩いている皆様たちは是非あの東方香霖堂でのゆかりんをご覧頂ければ幸いでもあります!

魔理沙というとこれまでもメーカー正規品・プライズ系・ねんどろいど等たくさんの種類の商品化が既に実現されている
のですが、「東方香霖堂」に登場している名無しの本読み妖怪(朱鷺子)のフィギュアが既に発売されているくらいですので、
東方香霖堂版の魔理沙のフィギュアが制作・販売されているのは極めて自然な流れであるのだと思われます。

そんな訳で本記事は、霧雨魔理沙が「東方香霖堂」のイメージそのままに可愛らしい姿でフィギュア化されたものを
簡単にレビューさせて頂き、最後にdream fantasy
アミグリさんが2019年4月に描かれた東方香霖堂のちょっと幼い雰囲気の魔理沙を彷彿とさせる魔理沙のイラストを
転載&ご紹介をさせて頂きたいと思います。

この魔理沙は東方香霖堂作中の雰囲気をそのまま立体化したかのような繊細な魅力の詰まった造形そのものです。


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この魔理沙の商品概要は下記の通りです。

商品名 : 霧雨魔理沙 東方香霖堂版

仕様 : ABS&PVC製塗装済み完成品

全高 : 約17センチ

原型 : icon(藍色空色)

彩色 : 920-3(藍色空色)

発売 : キューズQ

価格 : 13,800円(税抜)

発売時期 : 2018年4月

魔理沙のこの微笑んだ表情が天使そのものですし、あの長くたなびく金髪も毛先までシャープな造形で再現されています。

全体的には10代前半の魔理沙という雰囲気なのですけど、そのせいなのか他のフィギュア作品との違いは
魔理沙のこのふっくらとした少女のほっぺたなのかもしれないです。
例えは悪いのですけど、不二家のペコちゃんの頬っぺたみたいな感じでもありそうですし、東北の方言で例えると
「めんこい~」という仕上がりなのだと思います。

緑色のグラデーションが綺麗な瞳とうっすら笑みが浮かぶ口元は少し大人びていてかっこよく、かわいらしさとは少しだけ
対照的なものを感じさせてくれていると思います。





全体的にはこの流れるような美しい金髪のボリュームは圧巻なのですけど、特に左側だけ編み込まれた金髪の精緻さは
素晴らしい仕事をされていると思います。

他のフィギュア作品は白黒の魔法使いのモノトーンな印象が強いのですけど、この東方香霖堂の魔理沙は
ゴスロリ風のロリータ的な魔理沙が表現されているようにも感じられます。

ゆるくウェーブした髪は毛先まで柔らかそうで、思わずこの魔理沙フィギュアをつんつんしてみたくもなりそうです~(汗)


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魔理沙の後ろ姿です。

霊夢のチャームポイントは髪のあの大きなかわいいリボンなのですけど、魔理沙はあの魔法使いの帽子なのだと思います。
そして魔理沙のこの帽子は着脱可能で、帽子を取った状態で髪だけの魔理沙もフィギュアとして提示する事も
可能でもあったりします。

反面、右手のポーズは帽子を被っている事が前提のボースでもありますので、この魔理沙を展示する場合は帽子を
被らせておいた方がナチュラルだと思います。

リボンやレースの情報量は霊夢に決してひけを取らないモノであり、後ろから見ても華やかな雰囲気が伝わっています。


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魔理沙の宝物であるミニ八卦炉が魔法の箒の先に結ばれているというのも細かい演出だと思います。

帽子に振れている右手と箒を支える左手は、どちらも指先まで丁寧に作り込まれています。

白いレースに黒いリボンを添えた袖口もいい仕事をしていると思いますし、エプロンやペチコートの裾にあしらわれたレースの
表現も繊細で素晴らしいです!

ふわっと宙に浮いている様子が再現されていますし、こうやって浮いているような浮揚感のある魔理沙は、やっぱりすてきな
魔法使いといえるのだと思います。


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フリルたっぷりの可愛らしい衣装も丁寧に作り込まれており、全高約17センチというサイズながらも
見ごたえのある仕上がりとなっています。

浮遊することでふわりと浮き上がった金髪に東方フィギュアらしい線の細い造形も相変わらず素晴らしいです。

メーカーによって年齢感のかなり変わる東方フィギュアですが、この東方香霖堂 魔理沙は少女らしい可憐さが
前面に出たデザインとなっていて、東方香霖堂という公式書籍の世界観の雰囲気を的確に伝えていると感じられます。


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ここから先は既に恒例になっているのかもしれないのですけど、
当ブログがいつも大変お世話になっている dream fantasy の管理人様のアミグリさんのイラストのご紹介コーナーです!

今回転載&ご紹介させて頂く作品は言うまでもなく魔理沙で、今年・・、2019年4月に描かれたばかりの魔理沙です。

霊夢は紅白巫女さんと言う事で元々の色の配色に華があるのですけど、
魔理沙は基本的には金髪を別にすると白黒という配色と言う事で、
描き方によっては意外と地味になってしまうのかもしれないですが、
アミグリさんの描かれる魔理沙はどの作品も表情が多彩で元気一杯の魔理沙もあれば
ファンタジー感の漂う魔理沙もあれば、魔法使いそのものっぽい魔理沙もいれば、荒ぶる魔理沙もいたりして
その変幻自在さが全く地味さを感じさせないです。

上記の魔理沙は、背景とキラキラを抑制した中で魔理沙そのもののかわいらしさがストレートに伝わってきますし、
ちょっと口を開いて「びっくりしたなぁ~もー」みたいなちょっと驚きのお顔もとってもかわいいと思います。
全体的な雰囲気は少しロリロリっぽい所もありそうな魔理沙ですけど、全体の白黒配色に流れるように美しい金髪が
プラスされると、少しおませな美少女さんという雰囲気もありますし、大人っぽさも十分伝わっていると思います。
この流れるように美しい流麗なゆるゆるふわふわ金髪が素晴らしいですし、アミグリさんがこれまで描かれてきた魔理沙の
中ではこの魔理沙の髪の長さは過去最長と言えるのかもしれないですし、この長髪金髪が大人っぽさを
演出しているといえるのかもしれないです。
霊夢のショート黒髪も巫女さんらしくてすてきですけど、
魔理沙のこうした金髪ロングは少し大人の魔法使いっぽい雰囲気も漂わせてくれていて、
華やかさも十分伝わっていると思います!

上記のアミグリさんが描かれた魔理沙はオールデジタル作品なのですけど、アミグリさんに言わせると
「オールデジタル作品は傾向的にロリロリ感が増している感じがしている」との事ですけど、
そうしたデジタルゆえのロリっぽい感じと金髪ロングのおとなっぽい雰囲気の二つの側面が絶妙に融合した魔理沙と
言えるのだと思います。

上記のアミグリさんが描かれた魔理沙の権利は、この魔理沙の絵師様であるアミグリさんに帰するものであり
当ブログにおける転載とご紹介は事前に全てアミグリさんからご了解を頂いたものであり、
アミグリさんからのご厚意で転載をさせて頂いておりますので、
無断お持ち帰りや無断コピーは絶対NGですので くれぐれも宜しくお願い申し上げます。

アミグリさん、本当にいつも素敵なイラストの転載を快諾して頂きありがとうございます!!

皆様の中で「こんなにかわいい魔理沙を描かれる方のブログってどんなもんなのだろう・・? 」と興味がある方は、
是非是非アミグリさんのブログ dream fantasy  を
ご覧になって頂きたいと思いますし、 宜しければ、当ブログだけではなくて、
是非アミグリさんの本家本元のブログ dream fantasy  に一度お越しして頂けると
アミグリさんのブログをご紹介させて頂いている私もとってもとっても嬉しいです!

アミグリさんが定期的に作品を投稿され続けている →アミグリさんのpixiv にも是非一度足を運んで頂ければ幸いです!

アミグリさんのpixiv

それでは本記事を最後までご覧頂きありがとうございました!
吹奏楽コンクールの課題曲の歴史の中で最難関の課題曲は私も含めて多くの皆様は
1994年の課題曲Ⅲ/饗応夫人を推されると思います。
「饗応夫人」に関しては正直評価は思いっきり別れる曲だと思いますし、私自身はこの課題曲はどちらかというと苦手な
部類で、この課題曲を通して作曲者が何を意図したいのかいまだにほとんどわからないです・・(汗・・)
ソロ楽器の扱いも含めて演奏する上での技術があまりにも高すぎて、この課題曲をアマチュア向けのコンクールとして
出題した意義は正直疑問を感じざるを得ないという印象がありますし、
1994年の吹奏楽コンクール全国大会・中学の部でこの難解課題曲をまともに消化できていたチームは、
総社東・土気・野田ぐらいだったと思いますし、中学生にこんな難解課題曲を吹かせる事自体がなんだか気の毒という
印象を当時は感じていたものでした。
1994年の課題曲は今現在でも相当の賛否両論の声は耳にしますけど、私もどちらかというと否定論者側です。
だけどこの年の課題曲Ⅰ.ベリーを摘んだらダンスにしようだけは後世に絶対に受け継がれて欲しい不滅の名曲だと
確信していますし、この課題曲は吹奏楽コンクールという枠を離れて、演奏会等でも是非是非演奏して欲しい曲の一つだと
私は思っています。

1994年の課題曲Ⅲ/饗応夫人は技術的に大変難解だけど、音楽の内容としては私個人としてはかなり疑問点が付く曲
ではあるのですけど、技術的に難解であると同時に音楽の内容の点で大変優れている課題曲の一つとして
大いに推したい課題曲が三善晃作曲1988年の課題曲A/吹奏楽のための「深層の祭り」です!

最初に三善晃が吹奏楽コンクールの課題曲を書き下ろしたと耳にした際は「え~、すごーい!」と感じたものでした。
(それは間宮芳生も全く同じでしたけどね・・)
三善晃というと1988年時点では既に日本のクラシック音楽作曲家の重鎮の一人であり、とてつもない大物先生であり、
交響三章・響紋・夏の錯乱・レクイエム・協奏的決闘・変容抒情短詩・管弦楽のための協奏曲や数多くの合唱曲を既に
作曲されていて、「そんな恐れ多くてこんなアマチュアを対象にした吹奏楽コンクールの課題曲を委嘱するなんて怖いかも・・」
といった雰囲気もあったと思いますけど、逆に言うとそれだけこの当時の吹奏楽コンクールは既に
大変なレヴェルの高さを有していましたので、こうした大御所の作曲家の先生に課題曲作品を委嘱しても
全然問題ないという感じだったのかもしれないです。

それにしてもこの吹奏楽のための「深層の祭り」はあまりにも奥が深くて音楽的内容が充実した素晴らしい名課題曲だと
思います。
演奏時間4分程度の決して長くは無い曲なのですけど、この4分程度の時間にはぎゅ~っと凝縮した
音楽的緊張感と張りつめた内省的充実感が漲っていると思いますし、
確かに聴いていて「楽しい」と感じる部類の曲では全然ないのですけど、あの精神的にピンと張りつめた空気が醸し出ている
曲だと思いますし、発表した場がたまたま吹奏楽コンクールの課題曲だったという感じでもあり、
この曲はブロの管弦楽団の定期演奏会の一曲目として(管弦楽と打楽器だけで)演奏しても全然遜色のない曲
なのだと思います。
「祭り」というと「ローマの祭り」とか「フェスティヴァル・ヴァリエーション」などのように「華やかさ」というイメージがありますが、
三善晃の「深層の祭り」は内面の葛藤とか精神的緊張感を高らかに謳い上げた曲のようにも感じられます。
吹奏楽コンクール課題曲には、楽器編成・難易度・演奏時間といった制約が色々と課せられるのですけど、
そうした足かせを感じさせない完成度の高い内容を持つ曲であると言えるのだと思います。

「深層の祭り」は技術的にも表現するにも難しいと思います。
この課題曲は、私が大学を卒業し社会人としてスタートを切った年の課題曲のため、私自身は演奏した事はありませんが、
大学の吹奏楽団の後輩のクラリネットのパート譜を見た時はあまりの難解さに思わず絶句してしまいました!
そのくらい技術的にも表現する上でも難解極まりないやっかいな課題曲だと思うのですけど、
作曲者の故・三善晃氏は、この課題曲をきっかけとしてその後何曲か吹奏楽オリジナル作品を残してくれましたので、
その意味でもこの課題曲の功績は大きいと思います。


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吹奏楽のための「深層の祭り」ですけど、曲の冒頭はファゴットのソロで開始されます。
曲がファゴットのソロで始まる事や曲の最後の一音前に前打音的にタンブリンが奏される点や
タンバリンのリズム感が大変面白い点は、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」と少しばかり近いようなものが
あると思います。
深層の祭りの最後は全体合奏でのffで閉じられるのですけど、あの部分を注意深く聴いてみると
実はタンバリンだけ、全体のバン!!というffの閉じられ方よりもほんの0.1秒程度瞬間的に早く前打音的に叩かれていますので、
この課題曲の事を何も知らない人が聴いてしまうと
「あれ、このタンバリン奏者間違ってフライングしてしまい、全体が閉じられるより0.5拍早く叩いてしまったのかも・・!?」と
誤解される可能性が高いようにも感じられます。
ラストの一音のタンバリン奏者はとてつもなく神経を使ったと思いますし、かなりのプレッシャーがあったと思います。
全体で閉じられるよりほんの0.1秒早く叩かないといけないその緊張感と技術的な難しさは、
この課題曲のフルスコアを事前に読みこんでしまうと、何も知らないで聴くよりは数倍難しさを感じると思われます。

中には、都大会での乗泉寺吹奏楽団のようにタンバリン奏者が間違えてしまったのかどうかは定かではありませんけど、
全体が閉じられるのと同時にタンバリンも叩いてしまい、タンバリンの前打音効果が発揮されない事例も中には
あったものです・・(汗)

この「深層の祭り」は木管セクションも金管セクションも、そしてなによりも指揮者が一番大変だったと思うのですけど、
打楽器セクションの一人一人も大変だったのは間違いないと思います。

基本的には、ティンパニ・トムトム・小太鼓・大太鼓を4人の奏者が担当し
残りのサスペンダーシンバル・タムタム・トライアングル・タンバリン・コンサートチャイム・マラカスを一人の奏者が担当している
ケースがかなり多かったような気もします。


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吹奏楽コンクールは一般的にはティンパニ奏者を別にすると、打楽器奏者が複数の打楽器を掛け持ちというのは
よくある光景ですし、全然珍しくないです。

上記の吹奏楽のための「深層の祭り」ですけど、実際のコンクールにおいては6人程度使っているチームもたくさん
ありましたけど、中には5人の打楽器奏者で演奏する場合、中盤以降の展開は結構大変な事になってしまう事も
散見されていたと思います。

中盤以降は、5人の打楽器奏者のうち4人の奏者は
打楽器奏者その1→ティンパニ
打楽器奏者その2→大太鼓
打楽器奏者その3→トムトム
打楽器奏者その4→スネアドラム

といった自分の担当楽器にほぼ掛りっきり状態になってしまうので、
残った打楽器奏者その5が残りの打楽器を一人で掛け持ちするという事態になるのも全然珍しい話では
なかったように思えます。
確か都大会だったかな・・?私が目撃したとある演奏においては、
打楽器奏者その5が、左手にタンバリンを持ち右手にドラのマレットを持ちながら、タンバリンを6回叩いて
その直後にドラを鳴らし、これを何度か繰り返し、
右手と左手で同時にドラのマレットを握り、二台のドラを鳴らすという離れ業を見せた次の瞬間に
マラカスに持ち替え、マラカスを小刻みに鳴らし、そして次の瞬間に
トライアングルを数秒鳴らし、そしてまたまた数秒後にコンサートチャイムの位置までダッシュし、チャイムを4音響かせ、
そしてまたまたサスペンダーシンバルの位置に戻ってサスペンダーシンバルをロール奏法で響かせ、
ラストは上記で書いた通りの前打音的に
タンバリンを強烈に全体とは半拍わざとずらして叩き付けるという荒業までお披露目してくれていたのは
大変印象的でした!

パーカッションセクションはティンパニ奏者が全体の華と言えるのかもしれないですけど、こうした小物打楽器を
掛け持ちして「見せる=魅せるパーカッション」を華麗にみせてくれる奏者は本当にすてきなものが
あったと思います!

吹奏楽のための「深層の祭り」は1988年の全国大会・高校の部と大学の部で素晴らしい名演が続出していましたけど、
個人的には、神奈川大学・天理高校・洛南・習志野の演奏が大変素晴らしかったと思います。
中学の部では後半に、課題曲がこの深層の祭り、自由曲にダフニスとクロエ第二組曲という組合せが
4チームほぼ連続していましたけど、あの競演は圧巻のものがありました!
(表面的には4チームとも共通してブートゥリーのダフクロのアレンジ譜面を使用しているはずなのに、4チームとも
そこから出てくる音は全て違っているというのもなんだか面白いものがあったと思います)
吹奏楽部経験者の皆様ですと吹奏楽あるある話の一つとして思い浮かぶことのひとつは、
指揮者から目の敵にされがちで集中砲火浴びせられまくりのパートはクラリネット・トランペット・ホルンなのだと思います。
吹奏楽部の全体合奏に参加すると一目瞭然なのですけど
管弦楽のヴァイオリン部分を担当しているクラリネットは四苦八苦状態でまるで余裕なしだと思いますし、
指揮者からは「おまえたちの指がもたついているから合奏全体がいつまでたっても余裕なしの透明度無しの
スカスカ演奏になってしまうんだよ!
とにかく透明な音でクリアに楽譜通りに吹いてくれよ~!」とか
「そのつんざくようなリードミスと高音域でのニワトリがクビを締められるかのような絶叫音なんとかならないの~」とか
「クラリネットセクションが全体のメロディーラインを担当する事が多いのだから、そのクラリネットが崩壊したら
全体が崩壊するのは当たり前じゃん!」とか
「もういい、もういい・・とにかく明日の合奏までに今言われたことを完璧に仕上げておけ!」と指揮者から怒られまくりのパートで
あるのは吹奏楽あるある話としては定番中の定番の話ですよね~!
そういう私自身も10年間の現役奏者生活の中で、クラリネットを担当していた9年間は指揮者から連日怒られまくりの日々を
過ごしていたのに対して、一年間だけ担当していたアルトサックス時代は指揮者から個別に怒られる事はほぼ皆無であった
事を考えるとなんだか吹奏楽部の木管セクションにおける楽器格差を感じてしまいますよね~(泣)
指揮者から「明日まで完璧に仕上げておけ!」なんて厳命されると、完璧に仕上げるためには、全体練習が終わった後に
遅い時間帯まで個人練習するとか、早朝に登校し、皆が早朝練習に来る前に個人練習するとか、
はたまた自宅に楽器を持ち帰り自室で練習するしかないのですけど、
自宅で楽器吹いていると一回り以上年の離れた兄・姉から「うるさい! 家で楽器吹くな!」と怒鳴られ、
しぶしぶ押し入れに懐中電灯と消音として楽器に巻きつけるためのバスタオルを持ち込んだり、
ひどい場合ですと、住宅地から遠く離れた山林近辺の公園で練習したりと、自分で言うのもなんですけど当時は
結構真面目に楽器や音楽に取り組んでいたと思いますよ~
だけどそうした努力がほとんど報われないのが当時の吹奏楽部のクラリネットパートだったと言えるのかもしれないです。

そして指揮者からあまり怒られないというイメージがありそうなのが、フルート・サックスセクションとも言えそうですし、
特にフルートとアルトサックスはひがみ根性まる出しのクラリネット奏者からみると「優遇されている~」という感じもありそう
なのですけど、両楽器は指揮者から見てみると「音程も安定しているし安心して任せられるパート」という意識も多少は
あるのかもしれないです。
オーボエとファゴットに関しては、指揮者から何か言われても「今日はダブルリードの具合が悪いので別室でリード調整します」
という逃げが打てるのはやはりひがみ根性まる出しのクラリネット奏者からは
「またまたうまいことしちゃって~」と言われがちでもあるのですけど、管弦楽・吹奏楽の世界ではオーボエの存在は別格と
いうのかあの妖しく美しい音で朗々とメロディーを吹かれてしまうと文句が誰も言えない・・という感じでもあったのかも
しれないです。

そして吹奏楽の全体練習においてクラリネット共々怒られ役というか罵声を浴びせられる役割を一身に担っているのが
トランペットだと思います。
トランペットは何かと目立つので色々な意味で指揮者からお小言を頂戴する役割ですし、
高音域を思いっきり外した際にはその度に指揮者から「このへたくそーー!!」と怒鳴られるけど、指揮者から怒られるたびに
パート全体がどんどん凹んでいくクラリネットセクションとは異なり、トランペットは
「しょうがないじゃん!」とか「次、外さないように頑張ればいいじゃん!」とかとにかく前向きでミスを引きずらないというのが、
クラリネットとトランペットの奏者の気質の違いはなんとなくですけどありそうな気もします。
チューバとクラリネットは吹奏楽の土台を支えていて「頑張ってもあまり報われない・・」みたいな感じも無くも無いのですけど、
トランペットやトロンボーンはとにかく吹奏楽や管弦楽団の華でもありますし、
とにかく迫力と大音量を求められる場合のトランペットの火事場のバカ力的なあの圧倒的な迫力と華やかさは、
見ていても聴いていても爽快感一杯だと思いますね~!
例えばなのですけど、レスピーギの交響詩「ローマの松」~Ⅳ.アッピア街道の松とか同じくレスピーギの
交響詩「ローマの祭り」~Ⅳ.主顕祭におけるトランペットのあの圧倒的な大音響と迫力と華やかさが交錯した
きらびかな様子はまさに「管弦楽・吹奏楽の華」と言えそうですし、
あの「アッピア街道の松」におけるトランペットの大音響は、ヘビーメタルやロック音楽すらも凌駕するのかもしれないと
感じさせるものがあるくらい圧倒的な存在感を放っているのだと思います。
そしてそうしたトランペットの華やかさを吹奏楽オリジナル曲として最大限その魅力を追求した曲こそが
福岡の精華女子高校吹奏楽部でお馴染みのクロード・スミスの「ダンス・フォラトゥーラ」なのだと思います!!

吹奏楽部の最大の華ともいえそうなトランペットパートなのだと思うのですけど、
高校A編成ですと、5~7人で構成される事が多いと思いますが、クラリネットと同様にファースト・セカンド・サードから
構成をされています。
ホルン同様に大変目立ち華があり、強奏時の迫力は目を見張るものがあるとは思うのですけど、外した場合は
相当目立つと思いますし、同時にミスが目立ちやすくボロが出やすい楽器と言えると思います。
高音域の強奏の場面の迫力は圧巻ですけど、例えばコープランドの「静かな都市」のように弱奏で朗々と奏でる場面の
美しさも格別なものがあると思います。
コープランドというと「エル・サロン・メヒコ」の2度に渡るトランペットの朗々とした長いソロもトランペット奏者にとっては
プレッシャーとの戦いでもありそうですし、あのソロを完璧に決めた際のトランペット奏者は、演奏終了後には
多分ほとんどの奏者の方がドヤ顔になるのかもしれないですね~
レスピーギの「アッピア街道の松」におけるトランペットの華やかさと大音響は既に述べた通りですけど、
同じようなタイプの他の曲というと、ショスタコーヴィッチの交響曲第5番~第四楽章や
ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」~プロムナード・キエフの大門や
マーラーの交響曲第3番「夏の朝の夢」~第三楽章などを推したいと思いますし、
単純にトランペットの大音量と大迫力を楽しみたいという方にとっては、ハチャトゥーリアンの
交響曲第3番「シンフォニーポエム」という吹奏楽経験者以外にはほとんど知られていない偉大過ぎるマイナーシンフォニーを
お勧めしたいと思います。
現世に対する厭世観や自殺願望をお持ちの方はとにかく一度このシンフォニーポエムを聴いて頂きたいと思います!!
あの圧倒的迫力のトランペットの大音響を聴いて脳を一度ヘロヘロに溶解させた上で、この曲から
「そうだ! 全てが明るい!」といったような前向きな希望を感じ取って頂ければとても嬉しいです!






先日なのですけどとある商業施設のガチャコーナーにてエポック社から発売されている「キラメッキ楽器♯10」というガチャを
発見しました!
この「キラメッキ楽器」シリーズは既に9シリーズ出ていて、今回は第10弾です!

「キラメッキ楽器♯10」の内訳を下記に列記いたしますと・・

ソプラノサックス(ゴールド)+フラットブラックケース
チューバ(ロータリー/ローズゴールド)+フラットブラックケース
フルート(ゴールド)+フラットブラックケース
トロンボーン(ゴールド)+フラットブラックケース
チューバ(トップアクション/ゴール)
トランペット(ゴールド)+フラットブラックケース
フルート(シルバー)+ポピーイエローケース
トロンボーン(シルバー)+ポピーイエローケース
チューバ(トップアクション/シルバー)+ポピーイエローケース
トランペット(シルバー)+ポピーイエローケース

この金と銀のキラキラ感がとってもすてきだと思います!

このラインナップを見てみると、金のトランペットか金のトロンボーンか金のソプラノサックスが欲しいな~!と
感じたのですけど、このガチャは1回200円と手頃な価格でもありましたので、
一回まずはやってみることにしました。

さてさて、どの楽器が当たったのでしょうか・・??


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なんと一発で第一希望の金色のトランペットが当たりました!

シルバーのトランペットもあるのですけど、やはり吹奏楽コンクール経験者としては
シルバー銀賞よりもゴールド金賞の方がいいですよね~!

ガチャポンなのですけどよく見てみると楽器自体の造型の精度も意外と高くて、ピストン・管・つば抜き等のパーツも
しっかり作り込まれている印象もあり、200円といっても安かろう悪かろうではないというのも
日本のモノづくりのレヴェルの高さを物語っているといえると思います。

そして各楽器に黒の楽器ケースも付いているのも楽しいですね~!


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そしてトランペットというと真っ先にいっちば~ん!に思い浮かぶキャラというと「響け! ユーフォニアム」の
一年生トランペット奏者の高坂麗奈に尽きると思います!

当ブログでもアニメ「響け! ユーフォニアム」の第一期が放映された2015年と第二期が放映されていた2016年においても
この麗奈は頻繁に登場していました!
「響け! ユーフォニアム」の主人公はユーフォニアムパートの久美子なのだとは思うのですけど、
特に第一期においては最終回とその一つ前の回以外では「主人公なのに影がうすいキャラ・・」と当ブログでも散々揶揄されて
いた久美子に対して、第一期の真の主役は誰がなんといっても高坂麗奈だと思いますし、
私自身「響け! ユーフォニアム」の中で圧倒的に大好きなキャラは麗奈です!!

高坂麗奈というと原作者の設定によると、
艶のある長い黒髪とこぼれ落ちんばかりの大きな瞳が目を引く自信にあふれた美しい容姿の少女とされていて、
アニメ版としても、容姿端麗・頭脳明晰な黒髪の美少女で、そのクールな印象とは裏腹に胸の内ではトランペットに対して
熱い想いを抱いていて一見して他を寄せ付けぬような雰囲気を放つというのが基本設定になっています。
原作のライトノベルを読んで頂けると分かる通り、麗奈の基本パーソナリティとして、
周囲と同じであることを良しとせず、「特別な存在になりたい」と願うストイックな性格の持ち主で、
当初は他人との間に距離を取り、特定の誰かと一緒にいることを嫌う「孤高の存在」でもあるのが大きな特徴なのだと
思います。
麗奈の不屈の精神やトランペットに対するプライドは半端ではない強さであり、
いかなる周囲の状況も我関せずといった具合で周囲から孤立しようがお構いなしで、孤高の存在と言えそうです。

第一期においては自由曲の「三日月の舞」で登場するトランペットのソロを巡って、3年生の香織先輩と
部員全員を巻き込むあのギスギスのオーディションをやってでも
「私が一番だし、私は絶対に他の人には負けたくないし、私は特別な存在である」という事を立証するために
そのオーディションを勝ち抜き、結果的に関西大会と全国大会でも立派にソロを務めあげていました!
それにしてもあのオーディションに際しても、言いがかりを付ける2年生の優子に対しても
「だったら何だっていうの? 滝先生を侮辱するのはやめてください。なぜ私が選ばれたか、そんなのわかってるでしょ? 
香織先輩より、私の方が上手いからです!」と毅然として言ってのけ
優子が「アンタねえ! 香織先輩がどれだけ気を遣ったと思ってるのよ!?」と詰め寄っても麗奈は
「ケチつけるなら、私より上手くなってからにしてください」と 優子をはじめ周りの部員に対して決然と言い放っていた光景は
確かにとんでもないギスギス場面なのだけど、「響け! ユーフォニアム」屈指の名場面の一つだったと思います!


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ここから先は既に恒例になっているのかもしれないのですけど、dream fantasyのすてきな管理人のアミグリさんが描かれたイラストのご紹介コーナーです。

上記の作品は言うまでもなく「響け! ユーフォニアム」の1年生トランペット奏者の高坂麗奈です!

そしてこの高坂麗奈は、昨年・・2018年7月に当ブログが迎えた「吹奏楽カテゴリ通算1000記事到達」を記念して
アミグリさんに事前にリクエストをして描いて頂いた記念碑的な作品でもあります!
ちなみに描かれた時期は2018年6月です!

アミグリさんの描かれた麗奈は、アニメ版の特に第一期で見せていたちょっと孤高で気高いオーラとプライドの高い麗奈という
要素を少し弱めて、第二期で見せていた麗奈本来のかわいらしさを感じさせているのだと思います。

北宇治高校の冬服の茶系統のセーラー服のかわいらしさに黒髪ロングの素晴らしさにつぶらでどこか訴えかけるような
瞳の吸い込まれ具合に微笑みの上品さなど
完成度の高さにはただただ脱帽するしかないと思いますし、
「この麗奈を描くのに一体どれだけご苦労をされたのだろう・・」と改めてアミグリさんには感謝の言葉しか出てこないです。
麗奈のこの流れるような黒髪ロングの美しさやキラキラ感も本当に充実していると思います。
笑顔もすてきですし、背景の音符やトランペットも「麗奈はミューズ=音楽の女神様みたい・・」といった雰囲気を
伝えているように思えてならないですね~!

ちなみにですけど、アミグリさんが描かれた上記の高坂麗奈は、なんと・・!
ヤフーで「響けユーフォニアム 高坂麗奈 トランペット」と検索を掛けるとかなりの上位でヒットしますので、
FC2以外でも多くの皆様がアミグリさんが描かれた麗奈をご覧になっていたという事なのだと思います。

改めてアミグリさんには「こんなにも素晴らしい麗奈を描いて頂きありがとうございました!」と感謝の言葉を申し上げたい
気持ちで一杯ですし、
「アミグリさんに記念イラストをリクエストさせて頂いて本当によかった!」と心の底から感じたものですし、
アミグリさんにリクエストさせて頂けるだけでなくて、こんなにも素晴らしい作品を描いて頂けている事に
私自身とっても「誇り」を感じております。

皆様の中で「こんなに美しい麗奈を描かれる方のブログってどんなもんなのだろう? 」などと興味がある方は、
是非是非アミグリさんのブログ dream fantasy  を
ご覧になって頂きたいと思いますし、 宜しければ、当ブログだけではなくて、
是非アミグリさんの本家本元のブログ dream fantasy  に一度お越しして頂けると アミグリさんのブログをご紹介させて頂いている私もとってもとっても嬉しいです!

アミグリさんが定期的に作品を投稿され続けている →アミグリさんのpixiv にも是非一度足を運んで頂ければ幸いです!

アミグリさんのpixiv

それでは本記事を最後までご覧頂きありがとうございました!



当ブログでは過去記事の中で何度か「牛丼よりは豚丼の方が大好き」と記しましたけど、
吉野家では昨年、従来の豚丼が廃止になり「新味豚丼」という私的には改悪商品が出て以降は全く食べなくなりましたし、
吉野家・松屋・すき家という牛丼チェーン店御三家の中で私自身がいっちば~ん!美味しいと感じていた松屋の豚めしも
かなり以前にメニューから消え、そして最後の豚丼の牙城と思っていたすき家ですら、
牛丼チェーンのすき家を運営するゼンショーグループは先日なのですけど、
豚丼関連商品の販売を2019年6月上旬から順次終了すると発表されていて、
「すき家よ~お前もか!?」と正直かなりガッカリというか残念な気持ちになったものです。
すき家で販売終了する豚丼関連商品は、豚丼・お子様豚丼・豚あいがけカレー・豚皿定食・豚皿となっていて、一気に
豚丼関連商品がすき家から消滅する事になってしまいます。
これはかなり残念ですね・・
というのも私自身は前述の通り、牛丼よりは豚丼大好きという事で、松屋・吉野家・すき家の各社の豚丼の違いを
結構楽しんで味わっていたものでした。
こうした牛丼チェーン店での豚丼メニューというのは実は歴史が浅く、2003年12月のアメリカBSE問題により
牛肉の調達が困難となったことで、各牛丼チェーンがこぞって豚丼関連商品を開発・商品化してきた経緯があったりもします。
面白いのは、「豚丼」の呼び方が各社によって異なっている事ですね~
吉野家では「豚丼(ぶたどん)」、松屋では「豚めし(ぶためし)」でしたけど、すき家では「豚丼(とんどん)」と呼んでいました。

最近、吉野家で久しぶりに牛丼を食べたのですけど、「あれれ・・?? 牛丼ってこんなに脂っこい食べ物だったっけ~!?」と
感じてしまい、以前でしたら牛丼並盛一杯程度軽く平らげる事は全く問題なかったのですけど、
あの時は、牛丼並盛一杯がとてつもなく重たく感じ、胃の中で「なんだかもたれるね~」と感じたものでした。
以前の吉野家の牛丼よりはなんとなく赤みよりも脂身部分が増えているようにも感じた事がそうした感想の一因なのかも
しれないですし、最近の記事でも触れたとおり、人が「自分は年取ったよな~」と感じさせる出来事の一つとして
脂っこい肉よりも魚の方を好むようになったという味覚の変化もそこにはあるのかもしれないです。

そうした点からも肉系の丼を食べるのだったら、牛よりも豚の方がさっぱりしていて肉の赤身感を感じられるのかなと
思っていただけに、松屋に続いてすき家の豚丼メニュー販売終了はあまりにも痛すぎますね・・

それにしてもどうして牛丼チェーン店はこんなにも豚丼を冷遇するのでしょうか・・?

すき家の牛丼並盛は税込350円で、豚丼並盛は税込380円。吉野家の牛丼並盛は税込380円で新味豚丼並盛は税込350円が
今現在の価格です。
すき家で豚丼メニューを無くし、吉野家で改悪とはいえ豚丼がまだメニューとして存在している事は何を
意味するのかと言うと、すき家は牛肉の調達に相対的なコスト優位性があり、逆に吉野家は豚肉の調達に
相対的なコスト優位性があると言う事で、すき家は強みがある牛肉調達をより強化する方向性にシフトしていくという
経営戦略がそこにはあるのかもしれないです。
ただすき家の豚のおいしさが詰まったあの豚丼が食べられなくなってしまうのはちょっと残念ですね~

すき家は過去に豚丼を販売終了して再開している経緯もありますので、もしかしたら・・?
数年後にはさり気なく「豚丼復活!」なんていうキャンペーンを展開するのかもしれないですし、そうなったらとても嬉しいです。

以前の記事でも既に書いた事なのですけど、吉野家の豚丼は2018年の3月にリニューアルされ新しく「新味豚丼」として
発売されています。
しかし私としては正直に書くと「リニューアル以前の豚丼の方が全然よかった」と感じていますし、あの新味は改悪とすら
思っています。

リニューアル前の吉野家の豚丼は、牛丼より脂っこくないし柔らかいし味がしっとりと染み込み全体的にマイルドで
優しい味のようにも思えますし、食べやすいという印象が強いようにも感じられます。
吉野家の牛丼という大変コアなファンの皆様にとっては豚丼というと「何を異端な商品を・・」と思われる方も
多いのかもしれませんけど、私はリニューアル以前の豚丼はとっても大好きでした。


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吉野家のHPには、
リニューアルされた「新味豚丼」は、豚肉の旨みと食感を活かした豚の煮肉を提供前に特製の甘辛タレで和えることで、
さらにおいしく食べ応えある商品になりましたと記されていますけど、
リニューアル以前の豚丼とこの新味豚丼は「似て非なるもの」といっても差し支えは無いと思います。
それだけ劇的に味が変わったと言えると思います。

リニューアルに合わせてさりげなく20円値上げし、以前の330円というリーズナブルな価格から350円に値上げをした事で、
現行の吉野家の一杯380円の並盛牛丼と価格差はあまり感じられなくなってしまい、
私の正直な感覚としては、「新味豚丼の並盛を食べるのだったら、牛丼並盛を食べた方が納得感はある」という事だと
思いますし、「かつやの490円カツ丼や松屋のプレミアム牛丼の方がいいのかも~」と感じてしまいますし、
「吉野家に行くメリットが以前よりは小さくなったのかもしれない」と感じざるを得ないです。

「新味豚丼」は、以前の豚丼で可能だったつゆぬきもつゆだくも不可となっています・・

味に関しては甘さがとにかく強く、甘辛いというより甘味が勝っている印象です。
味もしっかり染みこんでいる感じでは無く牛丼よりも煮込みが少ない印象もあったりします。
以前の豚丼より良くなった点を挙げると「肉感」がかなり強調されている点だと思います。
甘めの味付けで豚肉の甘さを引き立てて煮込みを少なくして豚肉の食感を残していると言えるのかもしれないです。

ただ私的にはリニューアル以前の豚丼の方が圧倒的に好きです。

今回のすき家の豚丼販売終了、そして随分前に松屋では豚めし自体が販売終了となっていて、
吉野家も新味豚丼といういわば従来の素晴らしき豚丼をむしろ改悪してしまったという事で、結果的に豚丼というメニューが
既に食べたくても食べられない幻の味になりつつあることはなんだかとても残念なものがありそうですね。
茨歌仙・早苗


幻想郷は常識にとらわれてはいけない世界というのは早苗さんの不滅の名言のひとつなのですけど、同時に
早苗さん自体が幻想郷においては常識外の存在なのかもしれないです。

早苗さんは、つい最近まで外界の理系のJKさんという事情もあり、 東方風神録異変の時に、神奈子・諏訪子と共に
外界から幻想郷に移住を果たしたという経緯もあったりします。
幻想郷においては、よく霊夢や華扇との会話の中で、ついついうっかりとそうした外界時代の用語を口に出してしまい、
時に霊夢や魔理沙を「なんじゃ、そりゃ・・?」みたいにポカン・・とさせてしまうこともあったりもします。
「店を繁盛させる福の神」と耳にすると、早速勘違いを起し「それってミシュランの人・・・?」とか言って
霊夢たちに「なんじゃそれ・・!?」という雰囲気を作ってしまったのは、いかにも外界出身らしい早苗さんらしい
エピソードだったと思います・・(笑)

「東方神霊廟」の異変においては、早苗さんの宮古芳香の間のとある会話の中から
「早苗さんって本当につい最近まで外界のJKさんだったの・・??」とか
「早苗さん実は37歳説」みたいなものが出てくることになってしまいます。

そのシーンを再現いたしますと、

芳香:ちーかよーるなー! これから先はお前達が入って良い場所ではない!
早苗:来た!
芳香:我々は崇高な霊廟を守るために生み出された戦士(キョンシー)である。
早苗:キョ、キョンシー?
芳香:そうだ。やんごとなき霊魂に命を吹き込まれたのだ。
早苗:知ってます見てました。テンテン可愛かったですよね。
芳香:何の話だ?
早苗:そうかー、キョンシーって最近聞かないと思っていたら幻想郷(こんなところ)に居たのねー。

ここで問題になるワードは「テンテン」なのですけど、「テンテン」とは「幽幻道士」という台湾映画シリーズのヒロインであると
思われますけど、このシリーズ、公開されたのが1986年~1988年であったりします。
早苗さんのセリフはいかにもリアルタイムで見ていたみたいな言い方ですし、
リアルタイムで見ていた時期を仮に早苗さんが10歳くらいと仮定すると、
ここに「早苗さん実は37歳説」が生まれ出る土壌が生じてしまいます。

そして更にもう一つ・・・・

早苗:あのー、どちら様でしょう?
神子:私は豊聡耳神子。人は私を聖徳王と呼ぶわ。
早苗:聖徳太子!? あの旧一万円札の?

ちなみにですけど一万円札が聖徳太子から現行の福沢諭吉に変ったのは1984年、
そして聖徳太子の旧一万円札の発行が完全に停止になったのはやはり1986年なのです。
早苗さんはどうして旧一万円札を知っているのでしょうか??

やっぱり早苗さんは実は37歳なのかな・・・?(汗)

幻想郷は「常識に囚われてはいけない世界」なのですし、
紅魔館には、時間の進行さえ止めてしまうメイドさんだっているのですから、一見JKさんと思わせておいて実は37歳の巫女さんが
いたとしてもヘンでもなんでもないのかもしれないです。
そうですね~・・
テンテンの件は、後年DVDを見たという解釈を採用し、旧一万円札が聖徳太子というのは常識の範囲なのかもしれないですよね。
やっぱり私達の早苗さんは「永遠の17歳! 永遠の17歳の巫女さん」なのだと思います!

ついでに書いておくと早苗さんは外界のJKさん時代は理系です。
そして苦手な科目は歴史との事です。
歴史が苦手と言うのならば、是非是非慧音先生の「寺子屋」に通って頂きたいとも思ったりもします。
霊夢との交流の中で、歴史が苦手である事を自覚した早苗さんは、「幻想郷でも歴史の勉強をしよう!」と思い立ったのは
素晴らしい事なのですけど、何を思ったのか、小学校6年の教科書を持ち出してきて、これを熱心に
読んでいるというは早苗さんらしい「幻想郷に慣れ、段々とずれてきた感」が滲み出ているエピソードだと思います。
これは、本当に慧音大先生の寺子屋に通った方がいいのかもしれないですね~

一昨年惜しまれつつも最終回を迎えた小鈴がメインキャラを務める「東方鈴奈庵」においても、第4巻において、
「早苗さん、実は37歳説」を彷彿させる外界のネタを持ち込んでしまった素敵なエピソードが描かれていて
大変面白いものがあったと思います。
鈴奈庵の話は、蛇と無銭飲食による被害の話の中でしたけど、
「蛇を祀っている守矢神社が犯人じゃないの?」と不審がる霊夢に対して
「そんな事をしたらうちの神社の信用がガタ落ちになってしまう」とやんわりと諭す早苗さんはすてきでした!
そして霊夢との会話の最後において、「私が出来る事くらいって」と前置きしたうえで、
「レッドスネーク、カモーン!!」とかなんとかお茶目な事を言って霊夢からお祓い棒でピシャッ・・とはたかれた早苗さんが
とってもお茶目で可愛かったです!
今の若い方には「レッドスネーク、カモーン」とか言っても何の事やら分からないのかもしれないですね・・
これは、ショパン猪狩と言う芸人さんの持ちネタの一つでした。
アラブ人風の顔・派手な衣装で「ヘェ〜イ!!レッドスネェ〜ク!!!カモォ〜ン!!」と言いつつ笛を吹き、
3つの壷からカラフルな蛇の縫いぐるみをニョロニョロと登場させる芸「三蛇調教」で、昭和の頃には結構人気のある
芸人さんだったと思います。
ショパン猪狩は、1994年に深夜のフジテレビのバラエティー「よい国」の王様役としても出演されていて、
あのちょっと惚けた雰囲気はかなりいい味が出ていたと思います。
2005年にまだ76際の若さで逝去されたのが惜しまれます・・
ショパン猪狩のあの芸をご存知ということは早苗さん実は37歳説というのももしかしたら本当にアリなのかもしれないですね~(笑)


神奈子と諏訪子



早苗さんの二柱とも言える二人の神々の神奈子と諏訪子なのですけど、
上記は「東方鈴奈庵」第4巻におけるもえ先生の巻末の設定資料集です。

これは反則的にかわいいです!

諏訪子はロリッぽく描かれる方は別に珍しくないのですけど、
どちらかというと威厳とか尊厳とか尊大に描かれる事が多い神奈子をこんなに可愛く描かれるとは、
やっぱりもえ先生の手に掛ってしまうと、大抵のキャラは美少女になってしまいますよね!!
東方鈴奈庵第5巻に登場していた聖白蓮さんだって、もえ先生の手に掛ってしまうと
素敵なお姉さんではなくて素敵な美少女になってしまいますからね!


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ここから先は既に恒例になっているのかもしれないのですけど、
dream fantasy のアミグリさんのすてきなイラストの
ご紹介コーナーです。
上記の「早苗さん、実は37歳説」の中で出てきた宮古芳香(キョンシー)を操るのは青娥娘々(にゃんにゃん)なのですけど、
本記事ではアミグリさんが描かれた宮古芳香と青娥娘々の二人の作品を転載&ご紹介をさせて頂きたいと思います。
尚、アミグリさんの描かれた宮古芳香(キョンシー)は当ブログでは初めてのお披露目です。

まずはじめに霍青娥(青娥娘々)です。

上記の2枚の作品は、アミグリさんが2012年4月と2013年2月に描かれた背景違いの霍青娥です。
(霍青娥の通称は青娥娘々→読み方はせいがにゃんにゃんで、東方ファンの間ではにゃんにゃんの愛称で親しまれています)

にゃんにゃんは、昔は結婚して夫がいたというまさかの元人妻属性というのは極めて意外ですね~!
ちなみに「霍」は夫の苗字との事らしいです。
純狐・諏訪子、そしてこの青娥娘々の三人が今のところ判明している東方人妻娘といえると思われます。

霍青娥は実は元々は日本生れではなくて、隣国の中国出身のお方です。
父親は仙人を目指すと唐突に宣言して家を飛び出したという背景も影響があったと思うのですけど、
霍青娥自身もかなりの資産家に嫁いで幸せな家庭生活に恵まれても、父親同様にどこかしら仙人に対する
憧れの気持ちはあったのかもしれないでしょうけど、かつて神子や物部布都が実践したのと同じ尸解仙という方法で
仙人になってしまいます。
霍青娥は、幻術で竹の棒を自分の死体に見せて、それを家族に埋葬させた=死んだフリをしたことになるのですけど、
そうしただまし討ち・死んだふりの行為こそが 霍青娥が邪仙として仙人になれずにいる理由ともなっているそうです。
こうして無事に仙人(邪仙)になった霍青娥なのですけど、中国においては、道教の本家という事もありますし
国土が広いという事で霍青娥程度の仙人さんはそれこそ山のようにうじゃうじゃいますので、
自分の力を他人に見せびらかして誇示したくて堪らない霍青娥は、日本に向かってしまいます!
そしてそこで出会ったのが日本の大化の改新前の大和王朝のあの聖徳太子=神子とか物部布都だったのでした!

霍青娥=にゃんにゃんの種族は邪仙です。
邪仙とは邪悪な行動原理に基づき行動する仙人の事であり、自分の利益が第一でそのためには周囲の人たちの事なんか
どうでもいいとすら考えてしまう性格の悪さはあったりするとの事です。
百歳から百数十歳程度の仙人なら幻想郷でもそんなに珍しくも無いのですけど、霍青娥のように千年以上も生きた
仙人と言うと極めて少なく、その意味では貴重な仙人とも言えると思います。
本来ですと、このぐらい長く生きた仙人と言うものは天人または神霊といった高い種族に昇格するのが一般的なのですけど、
霍青娥のように仙人のまま1400年程度も生きるという事の方が極めて珍しいとの事です。
もっとも霍青娥は邪仙ですので、そのままですと天人に昇格する事は出来ないのですけど、
霍青娥本人は「そんなのど゛うでもいいじゃん・・」みたいな感じで天人になる事には全然こだわっていないようでして、
その辺りは、身内の七光りで思いがけずに天人になってしまった天子ちゃんとの明確な違いはあるのだと思われます。

そうした邪仙というものは死神たちにとっては「格好のターゲット」ですし、その命を刈取ろうと他の仙人・天人に比べて
死神から襲撃される頻度はかなり高いと思われます。
実際、「東方茨歌仙」でもそうしたシーンがありましたけど、霍青娥は結局は毎回毎回そうした死神たちの襲撃は
無事に回避させることが出来ちゃっています。
それはなぜかというと、霍青娥の能力は「壁をすり抜けられる程度の能力」という事で
それは幽霊のように壁を通り抜ける能力ではなく、物理的に壁を切り抜いて穴を開ける能力であり、
具体的には、髪に挿しているかんざしで壁を切って、丸い穴を開ける→その穴の中を通って壁の向こう側に侵入する
→ 壁に開けた穴は自然と穴が消えるという形で元に戻るという事ですけど、
うーーむ、こんな方法で死神たちから逃亡を図ったとしたら、死神と言えども捕まえる事自体困難と言わざる得ないですし、
実際に茨歌仙でもやすやすと死神たちからの襲撃から脱しています。

普段から「~わね」「~でしょ?」「~だもん」とさばけた口調で話し、結構ノリはいいですし気さくです。
東方茨歌仙の話の際にも死神の襲撃から逃れた際に出会った華扇や霊夢に対しても「YEAH!」とかなんとか軽いノリで
挨拶していたのは大変印象的でした・・(笑)
その挨拶の際に名刺渡したりとか基本的にふざけてる感じの人でもあるのですけど、
「うふふ 私を誰だと思っているの?この程度で死んでちゃ仙人にはなれないわ」という強烈な自負を示すセリフは
印象的でした!
やはり伊達に1400年程度も生き続けている訳じゃありませんね・・・

にゃんにゃんは、髪、目から服まで全身青で統一されたデザインを身に纏い、
水色の袖が膨らんだ半袖のワンピースを着ているのが外見上の特徴で、仙人らしく天の羽衣も手にしています。

上記の背景違いのにゃんにゃんですけど、この作品は2012年と2013年に描かれたという事もあるのですけど、
色彩的に大変淡い雰囲気で幻想的なものを醸し出させてくれていると思います。

アミグリさんの描かれたにゃんにゃんは、そうした水色トーンがとてもかわいく感じられ、
東方キャラとしては少し珍しい半袖+短めスカートという事で生足・生腕をお目にかかる事ができるすてきなキャラでも
あるのですけど、アミグリさんの描かれたにゃんにゃんはその生足や腕の透明感がかわいいなぁ~と
感じさせてくれていると思います。
そして全体的にはとってもお若いですよね~!
とても1000年以上生きていてしかも元々は人妻さんであったとは思えないほど、若さとかわいらしさをとっても瑞々しく
描かれていると思います。
改めてですけど、背景の濃淡で見ている人への印象をかなり違うように感じさせるのもさすがだと思います!
上の方は、どちらかというと昼間のにゃんにゃんという感じで、下の方は夜のにゃんにゃんなのかな・・?とも
感じさせてくれているのかな・・?と思ったりもします。
(よく見てみると瞳の色にも塗り方の変化がありますので、下の2013年版の方がくっきり感が強調されているとも感じられます)





続きまして、アミグリさんが2011年8月に描かれた東方神霊廟の3面ボスの宮古芳香(キョンシー)です。

宮古芳香はキョンシーという事で、術師に蘇生させられた日本古代の人間の死体ということでつまりはゾンビでもあります。
その操り主こそが上記のアミグリさんのイラストでご紹介をさせて頂きました霍青娥で、
青娥からはとても可愛がられています。
宮古芳香は霍青娥によって死体から蘇り、青娥の手先となって働いています。
キョンシーの特徴であるお札はおでこに直接貼り付けられていますけど、札に書かれている文字が何なのかは
分からないとの事です。
東方求聞口授によると、札には宮古芳香の「やることリスト」が書いてあるとの事で、
芳香はこのリストに従って動いている事で、札を剥がすと生前の行動原理に従って行動するようになるとの事なそうです。
宮古芳香の能力は、何でも喰う程度の能力なのですけど、ゆゆ様のような大食いという事ではなくて、
宮古芳香が人間の一部を喰うとその人間は一時的にキョンシーになってしまいますけど、しばらく経過すると元の人間に
戻るそうです。

キョンシーというと映画のキョンシーではないけど、青白い死んだような肌とか不気味という印象があるのですけど、
東方のキョンシーの宮古芳香の肌はまるで生身のように生き生きとしているとの事です。

アミグリさんの描かれた宮古芳香はとってもかわいいです!

とてもじゃないけど元ネタがキョンシーとは思えないほど生き生きとしていると思いますし、
スカートや袖のフリルも人民帽の帽子もとってもよくお似合いだと思います。
公式作品ではちょっと抜けているような感じもあったりしますけど、アミグリさんの描かれる宮古芳香は、忠実に
青娥娘々の指示を守って健気に頑張っているという印象があります。
宮古芳香の設定はキョンシーと言う事で関節がやたらと固く動作は硬直化しているという事でもあるのですけど、
アミグリさんの描かれる宮古芳香は、硬さやぎこちなさは全く感じさせず、むしろソフトでふわっとしたやさしい印象すら
与えてくれていると思います。
こんなキョンシーでしたら、少しぐらい接触しても全然OKなのかも~と感じてしまいそうです。

上記のアミグリさんが描かれた青娥娘々と宮古芳香の権利は、青娥娘々と宮古芳香の絵師様であるアミグリさんに
帰するものであり、当ブログにおける転載とご紹介は事前に全てアミグリさんからご了解を頂いたものであり、
アミグリさんからのご厚意で転載をさせて頂いておりますので、
無断お持ち帰りや無断コピーは絶対NGですので くれぐれも宜しくお願い申し上げます。

アミグリさん、本当にいつも素敵なイラストの転載を快諾して頂きありがとうございます!!

皆様の中で「こんなにかわいいにゃんにゃんを描かれる方のブログってどんなもんなのだろう・・? 」と興味がある方は、
是非是非アミグリさんのブログ dream fantasy  を
ご覧になって頂きたいと思いますし、 宜しければ、当ブログだけではなくて、
是非アミグリさんの本家本元のブログ dream fantasy  に一度お越しして頂けると
アミグリさんのブログをご紹介させて頂いている私もとってもとっても嬉しいです!

アミグリさんが定期的に作品を投稿され続けている →アミグリさんのpixiv にも是非一度足を運んで頂ければ幸いです!

アミグリさんのpixiv

それでは本記事を最後までご覧頂きありがとうございました!
さきたま (450x304)

火の踊り (450x298)


日本各地には素晴らしき伝統のお祭りが多々ありますし、生まれと育ちが東北の私にとっては、
仙台の七夕祭りや青森のねぶた・秋田の竿灯祭りなどが大変印象的だったりもします。
仙台の七夕においては、今現在はどうなのかは不明ですけど、私が仙台に在住の頃には「動く七夕」というパレードも
開催されていて、ここに陸上自衛隊の吹奏楽団や地元の中・高校生から編成される合同の吹奏楽チームも
パレードに参加する事も多々あり、私自身も一度だけこの動く七夕のパレードに吹奏楽団として参加させて頂いた事は
大変貴重な経験だったと今でも感謝しております。

埼玉の祭りというと全国的な知名度という意味では正直それほど目立つお祭りはないのかもしれないですけど(汗・・)
その中にあって「秩父夜祭」は日本の三大夜祭に数えられるだけの事はありまして、かなりのインパクトはあるように
感じられます。
埼玉の祭りというと、他にも例えば、大凧あげ祭り・長瀞船玉まつり・久喜提燈祭り「天王様」・熊谷うちわ祭り・南越谷阿波踊り・
坂戸よさこい・大宮の十日市などすてきなお祭りも多々ありますけど、
その中にあってもかなりの異彩と迫力を兼ね揃えているのが、行田の「さきたま火祭り」だと思います。
このさきたま火祭りは毎年5月4日に開催され、「炎」をシンボルにしたロマン溢れるお祭りです。
そしてこのお祭りは渡邉ポポ先生のコミック「埼玉の女子高生ってどう思いますか?」の第16話でもかなり細かく紹介
されていますし、
(この第16話では、アグリの巫女さん衣装がお披露目されていますし、東上みなとの妹の岬も登場しています!)

この行田の「さきたま火祭り」なのですけど、古代のロマンあふれる火祭りで、
日が沈む頃には、古代衣装を身にまとったニニギノ命とコノハナサクヤ姫の行列が現れ、人々を神話の世界に誘います。

このお祭りの中ですてきに再現されるのは日本神話に登場する天照大神の孫である「瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)」と、
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の孫「木花佐久夜姫(このはなさくやひめ)」にまつわる神話の世界です。
一夜の契りで妊娠したことを夫の瓊瓊杵尊が疑い、木花佐久夜姫は浮気していないことを証明するため、
火を放った産屋の中で子どもを出産する場面が、お祭りの中でも炎に包まれた中、華麗に雄弁に再現されていきます。
このお祭りのモチーフとして、そうした「浮気してできた子供ではない!」といった旦那の疑いを晴らすため
「神の御子であるならば、たとえ火の中でも無事に生まれるでしょう」と自ら産屋に火を放ち、
その中で海幸彦(ウミサチヒコ)・山幸彦(ヤマサチヒコ)を無事に出産したという事があるのですけど、そうした炎の中で
産まれた子供をお祭りとして大変迫力のあるシーンとして再現されていると思います。
そしてこの場面は昼間ではなくて、日が落ちた夜に再現されますので、夜の闇と炎の対比が実に鮮やかであると
言えるのだと思います。

このお祭りのメインイベントは瓊瓊杵尊と木花佐久夜姫を乗せた輦台を先頭に120人余のたいまつ行列が現れ、
わらや竹で作った高さ6メートルの産屋に火を放ち燃え上がらせる場面です。
丸墓山古墳と稲荷山古墳からたいまつを持った180人余の御神火降りも山の斜面に火の帯を思わせるなど、
炎の演出で見る人を古代の神話の世界へ誘います。

300人が持つたいまつや燃え上がる産屋の炎など圧倒的な迫力がある祭りなのですけど、
フィナーレの花火の華麗さも圧巻の迫力と美しさに溢れています!

このお祭りは毎年GW真っ只中に行われますので、見物客の数も相当なものがありますし大変な賑わいを見せています!


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行田の火祭りも大変な迫力と美しさがありますけど、毎年12月に開催される「秩父夜祭」も負けていない迫力と美しさに
溢れています!

上記画像の美少女は「温泉むすめ」の中から秩父温泉をモチーフにした秩父美祭(ちちぶ まつり)です。
感情表現が豊かでお祭りが大好きなハイテンション娘で、年に一度の秩父夜祭りのために
一年前から準備をしているほど祭りを楽しみにしているお祭り娘です。
秩父夜祭りの花火を見るだけで泣いてしまうほど涙腺が弱く、感情の起伏が激しい女の子でもあります。

秩父というと埼玉でもちょっと特殊というのか浦和・大宮という埼玉県の中心部の視点で見てみると
「あまりにも遠すぎるし交通の便が悪い古くからの観光地」という感じなのかもしれないです。
秩父に行くには、西武線を使うしか手がないし、車で行くとしたら国道299号線をひたすらまっすぐ行って正丸峠を超えて
飯能から一時間~一時間半程度掛かりますし、浦和から車で行った場合は2~3時間程度は覚悟したほうがいいかも
しれないです。
秩父というと地理的には山梨県に近く、埼玉県の中では限りなく僻地という感じなのかもしれないです・・(汗・・)

だけどそうした中、「秩父夜祭」は「何もないない何も名物もない」の埼玉県にあっては数少ない由緒正しきお祭りの一つであり、
歴史的価値も大変高く、日本のみならず世界各地からこの大変盛り上がり華やかなお祭りを見ようと観光客が
押し寄せるお祭りなのだと思います。
私も一度だけこの秩父夜祭を見たことがありますけど、とにかく壮観で圧巻で幻想的な光景だったと思います!
祭礼当日は絢爛豪華な2台の笠鉾と4台の屋台が曳行されます。
クライマックスは3日の夜で、最大20tもある屋台・笠鉾をお旅所への急な団子坂を引き上げる様子は大迫力だと
思います。
このお祭りの欠点はとにかく帰る際の国道299号線の半端ない凄まじい渋滞なのだと思います!
普段ですと秩父駅前から飯能駅前って車で一時間前後ぐらい掛かるのですけど、秩父夜祭の日は
3時間以上は覚悟したほうがいいと思います。

秩父夜祭は、ユネスコ無形文化遺産に登録されている埼玉県秩父市にある秩父神社の例祭であり、
12月2日が宵宮、12月3日が大祭であり、提灯で飾り付けられた山車(笠鉾・屋台)の曳き回しや、
冬の花火大会はテレビ映像でもおなじみの方も多いのかもしれないです。
秩父夜祭は、京都の祇園祭、飛騨の高山祭と並んで日本三大美祭及び日本三大曳山祭の一つに数えられています。
秩父夜祭の笠鉾・屋台は、釘を一本も使わずに組み立てられているそうです。
金色の飾り具や極彩色の彫刻、後幕の金糸の刺繍で装飾された笠鉾・屋台は「動く陽明門」といわれるほど豪華絢爛で、
国の重要有形民俗文化財に指定されているとのことです。
余談ですけど、1979年の全日本吹奏楽コンクール課題曲D / 行進曲「青春は限りなく」の作曲者の奥村一は、
埼玉のご出身で1976年に組曲「秩父夜祭り」 という吹奏楽作品も作曲されています。






埼玉には上記のすてきなお祭りも多々あるのですけど、私が住んでいる川口市にも毎年「たたら祭り」という盛大なお祭りも
あったりします。
川口市というと古くは鋳物の街として全国的にも知られ、吉永小百合の映画、「キューポラのある街」の舞台にもなっています。
たたらというとそうした「鋳物」と関連がありますけど、たたらとはそれでは何なのかというと、
もともとは製鉄の時に風を送る「ふいご」を意味し、由来を広く遡って考えれば、
古代朝鮮語の解釈で「もっと加熱する、強く加熱する」・ダッタン語(モンゴル・トルコ系)の「猛火」とも取られるようです。
また、「たたらを踏む」とは、足でばたばた踏みつける事。「地蹈鞴(じたたら)」が「地団駄(じたんだ)」に転じたのです。「地団駄」には「足摺」という意味もあります。「たたらを踏む」作業はかなりの労働力を必要とします。
その辛さを紛らわすために、「たたら節(歌)」を歌い始めたといわれています。

「平家物語巻三 足摺」俊寛が島に置き去りにされ足摺をする場面があります。
また、アニメ映画「もののけ姫」にも「たたらを踏む」シーンがあります。

たたら祭りは昼間もかなり盛大で、数多くの屋台等が出品されます。
ちなみに会場は、元SMAPの森くんが在籍している川口オートレース場であり 、
祭りのメインというか最大の見どころはオートレース場から直接打ち上げられる迫力満点の花火大会であり、
オートレース場の真下から見上げる花火は本当に迫力満点であり
毎回見るたびに「感動」してしまいます!

埼玉は「何もないない、なんにもない」とよく揶揄されますけど、こうやってみると埼玉にも素晴らしいスポットや銘菓・お祭り等が
あったりしますので、
私自身も昔よりはさすがに「何もないない・・」とは感じなくなったという感じもありそうですね~



6月4日は虫歯予防デー、虫の日、蒸し料理の日・蒸しパンの日でもありますし、東方的にはリグルの日でもありますけど、
本日はdream fantasy のアミグリさんの
pixiv投稿枚数通算800枚目、及び令和最初の作品という大変な節目作品でもある
アミグリさんが描かれた霊夢を皆様に是非ご覧頂きたく思い、アミグリさんのご了承の上、当ブログに転載&ご紹介を
させて頂きたいと思います。

当ブログも実は8~9月頃に多分ですけどどうにかこうにか通算5000記事に到達すると思われますけど、
文章だけの当ブログの5000記事と無から有を創造されるアミグリさんのような絵師様の800作品は
正直レヴェルというかご苦労振りは全然違うと言う事なのだと思います。
ましてや私のように子供のころから絵心が全く持ち合わせていない人間にとっては、アミグリさんの描かれる
あのような美しく幻想的でとても精緻で見ている人を思わずうっとりと陶酔させてしまうような絵は、
憧れそのものですし、「美」そのものといっても過言ではないです。
しかもアミグリさんの描かれる絵は版権作品の模倣とか模写という事ではなくて、アミグリさんにしか絶対に描く事が
できない「アミグリさんの個性」がそこに備わっていると思いますし、
私自身がアミグリさんの絵に魅かれるのは、絵そのものの美しさ・ファンタジー感も大きいのですけど、
私が勝手に命名させて頂いている「アミグリワールド」というアミグリさんにしか描けない個性がその絵の中に
感じられるからという側面の方が大きいと言えるのかもしれないです。

アミグリさんのブログ「dream fantasy 」や
アミグリさんの作品を発表しているお絵描きサイトの「pixiv」をご覧になれば一目瞭然だと思うのですけど、
「これだけ個性的で美的感覚に溢れて、同時にとってもかわいい」という作品の連続で、
「この作品を完成されるのに、その過程の中でどれだけご苦労があったのだろう・・」と驚嘆と感動の気持ちしかないです。
そうした作品をいくら大好きな事とはいえ、11年近く継続して続けられてきたその継続性こそが尊いものなのだと
思いますし、心の底から最大限の敬意をアミグリさんに表させて頂きたいと思います。

FC2に限らず全体的に言えることなのですけど、イラスト系ブログは長続きしない傾向が大変強い中で
アミグリさんは一度も一か月以上の長期離脱とかお休みもなく、2008年から今日に至るまで
イラスト系ブログを更新され続けていて、その継続性には本当に頭が下がる思いで一杯です!
もちろん、アミグリさんだって色々とスランプの時はあったと思いますし、ご自身の作風とか今後の展開等など
色々と悩まれる場面も迷いが生ずる場面も多々あったと思われますし、
試行錯誤もアミグリさんなりに色々と試されていたものと推察されます。
それでもアミグリさんは、一度たりとも絵を描く事をやめたり、プログの更新をやめる事は一度も無かったのです!
これは簡単に出来る事ではありませんし、アミグリさんとしての「人間性の素晴らしさ」を示唆する話だと思いますし、
同時に絵師様としての「プライド」がそこにはあるのだと思います。
そして多くの絵師様が一度「これが私の一つの到達点的作品」を完成されると、その後は極度な作風の変化を避ける傾向に
ある中、アミグリさんは「これが私の到達点」と全く考えられずに、その作風に変化と進化を続けられているのは
素晴らしい事なのだと思いますし、アミグリさんの進化と変化はこの先もまだまだ続くのだと思われます。

冒頭の霊夢は、pixiv投稿枚数通算800枚目、及び令和最初の作品という大変な節目作品でもあるのですけど、
そうした節目の記念作品に相応しい素晴らしい霊夢だと思います。
こうしたメモリアルでおめでたい作品には、霊夢のような紅白巫女さんの
衣裳は本当によく合うと思いますし、紅白の色彩は祝典的な雰囲気を盛り上げるには最適の色なのだと改めて感じたものでした。


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上記で書いた通り、この霊夢はアミグリさんにとっては令和の時代の一番最初の作品なのですけど、
霊夢はアミグリさんにとっては大変思い入れがあるキャラの一人ですし、現在のdream fantasy のプロフィール画像と言うのか看板娘の役割を担っているのが霊夢でもありますので、
令和のはじまりという大変歓びに溢れた祝典的な作品として霊夢を選択されたというのは当然のことだと思いますし、
むしろ霊夢以外はちょっとありえないのかも・・という事なのかもしれないです。

この霊夢はキラキラ感に溢れたかわいらしさ満開だと思いますし、神聖な聖職としての巫女さんとしての霊夢が
令和を記念して登場されている側面もあるのですけど、むしろそれ以上に一人のすてきな美少女がここに佇んでいるという
雰囲気がとても上品に漂っているのだと感じられます。
改めてですけどこの霊夢は本当に二重の記念作品としてこれほど相応しい作品はないのではないか?とすら感じさせてしまう
ほどの完成度の高さを誇っていると思いますし、アミグリさんとしての
「ここはいつも以上に気持ちを込めて描かないと・・」といった気迫が霊夢の可愛らしさの中にもストレートに響いてきているように
感じ取れます!

肩だしと生足が上品でほのかなお色気を漂わせているようにも感じられますし、
少し赤茶がかかった流れるような黒髪ロングもとても美しいですし、袖の紐も風に舞っているようにとても美しいと思います。

そしてなによりもスカート・ハイソ・リボンのフリルのきめ細やかさがとてつもなく精緻に描かれていて、
この記念作品に対するアミグリさんの「想い」というものも強く感じさせる仕上がりとなっていると思います。
霊夢のこの仕草はシーと言っているようにも感じられますし、
(私の脳内妄想的には「神社の奥に東方の最大創造神ともいえるZUN神主または八雲紫が眠っているから、
起さないであげてね~」と言っているように感じられたりもします)
「わたしがdream fantasy の看板娘としては
いっちば~ん!なのよ~」とまるで艦これの白露お姉ちゃんみたいなセリフを言っているようにも感じられますし、
はたまた「これからもdream fantasy を宜しくお願いします! 霊夢からのお・ね・が・い・・」と言っているようにも感じられますし、
霊夢の一つの表情とポーズからも色々な事をいっているようなすてきな多様性あふれるメッセージを感じ取る事もできます。

東方Projectを題材にされている絵師様は、それこそ星の数のように山ほどいらっしゃいますし、
例えばpixivとかニコニコ静画とか絵師様のHPやブログ等を拝見させて頂くと、本当にため息が出てしまいそうな
うっとりするほど素晴らしい東方キャラを描かれている方も山のように存在している事は、
私自身よく分かっていますし、そうした素晴らしい東方イラストを見る事自体が私の趣味みたいなものでもあります。
だけど、私自身はこれまでこのブログで申し上げている通り、「アミグリさんが描かれる東方イラスト」が一番大好きです!
そしてアミグリさんの描かれるオリジナル作品も艦これ作品も他の版権作品もみんな大好きです!

これからもpixiv通算900作品、そして節目の1000作品も無理のない範囲でのんびりマイペースに挑み続けて頂きたいものですし、
この素晴らしいアミグリさんのブログ「さてさて、これからもpixiv通算900作品、そして節目の1000作品も
無理のない範囲でのんびりマイペースに挑み続けて頂きたいものですし、
この素晴らしいアミグリさんのブログ「dream fantasy」をこれからもずっと応援させて頂きたいと思います。

皆様の中で「こんなに美しい霊夢を描く人のブログってどんなもんなのだろう・・? 」などと興味がある方は、
是非是非アミグリさんのブログ dream fantasy  を
ご覧になって頂きたいと思いますし、宜しければ、当ブログだけではなくて、
是非アミグリさんの本家本元のブログ dream fantasy  に一度お越しして頂けると
アミグリさんのブログをご紹介させて頂いている私もとってもとっても嬉しいです!

アミグリさんが定期的に作品を投稿され続けている →アミグリさんのpixiv にも是非一度足を運んで頂ければ幸いです!

アミグリさんのpixiv

本当に本当にとっても素晴らしい霊夢のイラストだと思います!
1970年代終わりから80年代初期の頃の吹奏楽コンクールにおいて、モーツアルト・ベートーヴェンと大体活動時期を同じくし、
「ガヴォット」という大変愛くるしいヴァイオリン曲でクラシック音楽史にその名を残したゴセックという作曲家の
「古典序曲」という吹奏楽曲は吹奏楽コンクールにおいても何度か演奏されていて、広島の基町高校吹奏楽部が
全国大会で自由曲として演奏されていた事も実はあったりもします。
私自身は古典序曲を演奏した事は一度もありませんが、部室内にそのスコアがあり、
クラリネットのパート譜を吹いた記憶があります。
この「古典序曲」は私が知る限りCDの音源を聴いたことがないものでして、私の中では
「聴きたくても聴くことが出来ない幻の吹奏楽曲」の一つのようになっています。
考えてみると、モーツアルトが生きている頃に既に
軍楽隊用ではありますけど、いわゆる「吹奏楽オリジナル曲」の先駆けみたいな曲があったなんて少し驚きです。

このゴセックの門下生の一人がカテルという方であり、
フランス革命直後に創設されたパリ防衛軍軍楽隊の指揮者であったゴセックの下、
カテルは、なんと弱冠17才にして同軍楽隊の副指揮者に就任してます。
パリ防衛軍軍楽隊自体は、18世紀末に解散ということになっていますが、
その源流は、現在も名門パリ警視庁音楽隊に受け継がれています。
カテルがこの軍楽隊在籍中に書き残した曲の一つが、序曲ハ調という曲でありまして、
前述のゴセックの「古典序曲」と共に吹奏楽オリジナル作品の古典中の古典作品として
古典的吹奏楽作品という面では大変重要な位置づけにあるとさえ思われます。

前述のモーツアルト・ゴセック・カテルの活躍時期は18世紀~19世紀前半の頃の話なのですけど、
19世紀中盤においてもクラシック音楽の中でもかなり有名な作曲家の大家の中にもいわゆる吹奏楽オリジナル曲の源流
といえるような曲もいくつか既に作曲されていて、
その代表的な作曲家と曲がF.メンデルスゾーンの「吹奏楽のための序曲」という作品でもあったりします。

メンデルスゾーンと言うと、劇付随音楽「真夏の夜の夢」や交響曲第3番「スコットランド」とか交響曲第4番「イタリア」とか
「メンコン」の略称で親しまれる「ヴァイオリン協奏曲」などで有名な作曲家ですが、
実は吹奏楽のための作品も残していたというのは少し意外な感じもあったりします。
メンデルスゾーンが生きたのは、19世紀前半から中盤なのですけど、
こんな古い時代にもいわゆる「吹奏楽オリジナル作品」も存在していたのは意外でもあるのですけど、前述の通り
実はその時点でゴセック・カテルといった作曲家の存在もいたりします。
そのメンデルスゾーンの吹奏楽オリジナル作品というのが上記で書いた通り「吹奏楽のための序曲」なのですけど、
この曲を作曲した当時のメンデルスゾーンは、わすが15歳との事です!
当時15歳のメンデルスゾーンは、家族一同バルト海沿岸にあるバート・ドベラーンへ避暑旅行した際に
同地の吹奏楽団のため作曲したのが、この「吹奏楽のための序曲の原型であり、ちなみにこの原型の編成は
管楽器のみの11名編成です。
そしてこの原型となった曲のスコアは後日紛失してしまったとの事なのですけど、後年にメンデルスゾーン自身の記憶によって
復元され更に改訂がなされ今現在の形となっています。
その改訂版は23本の管楽器と打楽器のための作品であり、打楽器も、シンバル・大太鼓・小太鼓・トライアングルも
使用されていて、色彩感覚も十分です。
ちなみにクラリネットは6本使用されています。
この当時で打楽器をこれだけ使用している曲は異例とも言えると思います。
23人編成という事で、昔の地方の吹奏楽コンクール県大会で言う所の「C編成」(25人編成)を意識したような
曲と言えるのかもしれないですね。

この「吹奏楽のための序曲」ですけど、その原型が当時15歳の少年が書いたとは思えないほど本格的なものであり、
吹奏楽コンクールの自由曲や定期演奏会等で演奏しても全然遜色ない曲だと思いますし、
特に序奏部分の木管セクションの美しい響きは極めて印象的です。

その2年後に、劇付随音楽「真夏の夜の夢」序曲を17歳時点で作曲している実績を考えると
メンデルスゾーンは、モーツアルトと同様に「神童」だったのかもしれないです。

このメンデルスゾーンの吹奏楽のための序曲は、滅多にありませんけど、たま~に吹奏楽コンクールでも
演奏されることがあったりもします。
全国大会では東邦高校と乗泉寺吹奏楽団が演奏しています。

実を言うと大変恥ずかしい事に、私自身はメンデルスゾーンの「吹奏楽のための序曲」と
同じくメンデルスゾーン作曲の序曲「ルイ・ブラス」を同一曲と勘違いしていた時期があり、
少なくとも20歳あたりまではそのように勘違いしていました・・・(汗・・)
「ルイ・ブラス」の「ブラス」を吹奏楽の金管楽器と勝手に勘違いしていたのが原因であったりもします・・(汗・・)

これは今にして思うととてつもなくこっ恥ずかしい話ですね・・

昔、ネヴィル・マリナーが都響に客演指揮をした際、「オールメンデルスゾーンプログラム」を組み、
前半に、「ルイ・ブラス」とヴァイオリン協奏曲を演奏し、後半に交響曲第三番「スコットランド」を演奏していましたけど、
この時の演奏は、3曲どれもが素晴らしい名演だったと思います。

ここから先は少し余談ですけど、メンデルスゾーンという作曲家はクラシック音楽上は古典派とロマン派の中間的存在
という立ち位置でもあると思うのですけど、
メンデルスゾーンの序曲「フィンガルの洞窟」という古典派のような佇まいの曲を吹奏楽コンクールで自由曲として選曲すると
いうある意味大変リスクの高い冒険にチャレンジしただけではなく、大変音楽的表現に優れた素晴らしい演奏を
残してくれたチームも存在しています。
序曲「フィンガルの洞窟」という古典的名曲を吹奏楽にアレンジして演奏すること自体大変勇気がいりますし、
過去においても何度も何度もそうした古典的名曲に無謀にも挑戦し玉砕した事例は数多く知っていますけど、
序曲「フィンガルの洞窟」を自由曲に選んだ1982年の四国代表の観音寺第一高校吹奏楽部のように
大変優れた「隠れた知る人ぞ知る名演」を残してくれたチームも実は過去に存在したりもしています。
観音寺第一は、「クラシック音楽の古典的名曲を吹奏楽にアレンジするだけでなくて、更にそれを現代的感覚で
もって演奏する」という難点を特に違和感なく現代風にしっとりと聴かせてくれたのは大変ポイントが高いと思います。

原曲は、金管にトロンボーン、そして当然ながらユーフォニウムも入らないのですけど、
この両金管楽器とかサックスセクションを加算しても、決して「厚化粧」みたいな響きにならずに
古典的な「控えめでかれんな演奏」をしっとりと聴かせることが出来たのは大変素晴らしい事だと思います。
原曲は打楽器はティンパニのみなのですけど、観音寺第一の吹奏楽アレンジは小太鼓・大太鼓・シンバルも加わていて
それでいて原曲を損なうような響きにはなっておらず、さほど違和感は感じさせず、
むしろ原曲に元々そうした打楽器が入っているかのような雰囲気さえ感じさせてくれました。

これはどこが成功要因なのかな・・?

元々このチーム自体が持つ「控えめな感じ」がプラスに出たとも思えますし、
指揮者のバランス感覚の良さもあるとは思います。
とにかく吹奏楽で、こうした古典的名曲を表現出来る事は吹奏楽の「無限の可能性」みたいなものも
感じさせてくれていたと思います。
特に木管、特に特にクラリネットセクションの「ひそやかさ」は素晴らしい響きでしたし、
ラスト近くのクラリネットだけのうねりみたいな部分も特に際立っていたと思います。

結果は残念ながら銅賞でしたけど、私個人としては銅賞以上の価値がある演奏だと思います。

前年度の1981年に「ダフニスとクロエ」第二組曲を四国大会で演奏し、支部代表に選出されたにも関わらず、
ブートゥリー編曲ではない渡部修明先生編曲版を使用した事が著作権上問題となり
全国大会代表を後日辞退した「鬱憤」を晴らす見事な演奏だったと思います。
アメリカの吹奏楽オリジナル曲というとクロード・スミスの「ダンス・フォラトゥーラ」などに代表されるように
輝かしく明るい華麗なるサウンドという印象もあったりはするのですけど、
中には内省的な名曲も色々あったりしてその多様性に感銘を受けたりもします。

そうしたしっとりとした内省的な曲の一つが、R.プレスティの「あるアメリカ青年へのエレジー」だと思います。

この曲のタイトルの「あるアメリカ青年」とは、実は暗殺されたジョン=F・ケネディの事であり
ケネディ大統領の暗殺による非業の死に対しての追悼の曲は、管弦楽・吹奏楽などジャンルを問わず色々と作曲されました。

一例を挙げると・・

〇バーンスタイン/交響曲第3番「カディッシュ」

〇ロイ・ハリス/勇気ある人、J.F.ケネディへのエピローグ

〇ストラヴィンスキー/ケネディのための悲歌

などがありますが、吹奏楽オリジナル作品で名高いのは、R.プレスティ のあるアメリカ青年へのエレジー だと
思います。
ただ曲の内容が大変内省的でおとなしい曲想ですので、吹奏楽コンクールで演奏されることはほとんどありません。
(フェネルが東京佼成と録音したCD集の中にこの曲やグールドの吹奏楽のためのバラード、チャンスのエレジーが
収録されているのはフェネルの見識の高さを示唆するものだと思います)

R.プレスティのあるアメリカ青年へのエレジーは、冒頭のクラリネットによるゆったりとした祈るような悲しいメロディーが
実に印象的で、既にこの部分だけで全体の哀しさ・祈りを雄弁に物語っていると感じられます。
アレグロに入っても終始悲しい感じが維持され続け時折感情が爆発しています。
そしてラストは静かに閉じられ、
全体的に難しい要素は特になく、イメージがしやすい悲歌と言えますし、追悼の音楽に相応しい吹奏楽オリジナル作品と
言えると思います。
そしてその分かりやすさ・シンプルさが一層この曲「悲しいイメージ一色にさせていると感じられます。

この曲は、フェネル指揮/東京佼成の「シンフォニックソング」のCDに収録されていますけど
他のアメリカの古典的オリジナル曲と合わせて
是非現在の若いスクールバンドの皆様にも聴いて欲しい一枚だと思います。

アメリカの吹奏楽オリジナル曲の中には、地味ながらも内省的にしっとりと歌い上げている作品も多々見られ、
中にはこのまま誰にも演奏されず埋もれてしまうのが勿体ないと感じさせる曲も多々あったりします。

一例をあげると・・・

〇チャンス/エレジー

〇モルトン・グールド/吹奏楽のためのバラード

〇クリフトン・ウィリアムズ/パストラーレ

〇  同上 / カッチアとコラール

〇A・リード/イン・メモリアム

上記に挙げた曲の中で、かなり心に響いてくるのが、J.B.チャンスの「エレジー」です。

チャンスと言うと、吹奏楽コンクールでも既にお馴染みの、呪文と踊り・朝鮮民謡の主題による変奏曲・
管楽器と打楽器のための交響曲第2番が断トツに有名なのですけど、エレジーは吹奏楽コンクールではまず演奏されない曲
ではあるのですけど、あの不思議な響きには心打たれるものがあります。
チャンスはフェンス接触による感電死という事で30代の若さで突然の早逝をされます。
そしてその死の直前に完成した作品こそが「エレジー」なのです。
作曲家としては「これから先が大変楽しみ」と大変期待をされていた方でもありますので、本人としても無念の極みと
思うのですけど、自分の「死」に対してもしかしたら予感めいたものがあったのかどうかは定かではありませんけど、
この「エレジー」という悲歌がチャンスにとっては遺作の一つになってしまいます
結果的に「自分自身に対するレクイエム」になってしまった事は本当に惜しまれます。 
決して直感的な曲とか霊感漂う曲という雰囲気ではないのですけど、そうしたエピソードを耳にすると
どことなくですけど、予感的なもの・死の香り・この世への未練と諦観といった感情は不思議と痛いほど伝わってきます。

最後に・・そうした死への予感という感じで大変印象的な吹奏楽オリジナル作品は、C.ウィリアムズの「カッチアとコラール」だと
思います。
ウィリアムズの作品は、交響組曲・交響的舞曲第3番「フィエスタ」・ファンファーレとアレグロ・ザ・シンフォニアンズ等で
日本の吹奏楽コンクールでもかなりお馴染みの作曲家なのですけど、この「カッチアとコラール」はコンクールでも演奏会等でも
ほとんど演奏されないのは大変勿体ないです。
(私自身は、1994年の関東大会・中学B部門で聴いたのがこれまで唯一の生演奏です)
「カッチアとコラール」は、もともと単一楽章のカッチアという楽曲として構想されていたらしいのですけど、
作曲途上でコラールが書き加えられた経緯があるそうです。
カッチアは大変明るく華やかでエキサィティングな曲であるのに対して、コラールの部分は大変重厚で重苦しく
カッチアとコラールの対照性はかなり際立っていると思います。
ウィリアムズの意図としては対照的な二つの楽章の提示という事も多少はあるのかもしれないですけど、
この曲が作曲された頃にウィリアムズ自身に肺ガンが発見され手術を受けたものの術後の経過が芳しくなく
自らの死期を悟ったウィリアムが一旦書き上げたカッチアの部分にコラールを追加させたと言う事は、
「死を目前にして何かを後世に自分のメッセージとして残しておきたい」という意図の方が強いようにも感じられます。
前述の通り華麗なカッチアの部分が終結した頃に、コンサートチャイムの鐘の音が静粛に響き渡り、
金管楽器で祈りの音楽が重厚に響き、フルート・コールアングレ等のソロを挟み、荘厳且つ安らかな音楽が展開されて
いくのですけど、最後の方で突然心臓の鼓動のリズムがずんずんとビートを刻み、これはかなりインパクトがありますし、
不安感を感じさせます。
そしてこの心臓のピートは、F.マクベスの「カディッシュ~ユダヤ人の死者のための葬送音楽」のラスト近くの
壮絶な心臓のビート音に極めて近いものを感じさせていると思います。
そしてエンディングはそうした未練・不安を吹っ切ったかのように静粛でやすらかに閉じられていきます。

この「カッチアとコラール」は肺ガンで余命わずかなウィリアムズが人類に対する警鐘の意味も兼ねて作曲したと
言われていたりもしますけど、それよりはむしろ「一人の人間としての人生の閉じられ方」についての葛藤と祈りを提示した
作品と言った方が良いようにも感じられます。
とにかく胸にじーーんとくる不思議な曲です。

日本でも「カッチアとコラール」の魅力が少しでも広まればいいなぁと感じたりもします。



カードバトルアニメというと言うまでも無く「ヴァンガード」という事なのかもしれないですけど、
ヴァンガードはどちらかというと登場人物が男の子ばかりで、私はそうした男がメインのアニメ等を見ることはほぼ
皆無ではあるですけど(汗・・)
可愛いかわいい美少女たちがとにかく覚えきれないほどたくさん登場する美少女カードバトルアニメというと
「ファンタジスタドール」というすてきな作品を思い浮かびます。
というか・・うずめの仲間のドールだけでも5人のドールがいるのに対戦相手のドールも増えるばかりでモブキャラを含めて
とてもじゃないけど全員覚えきれるわけないかもしれないです・・(汗)
新キャラの登場ペースも凄まじく早く、1~2週見逃したら「おまえは誰だ~!?」というキャラばかりのようでもあります。

本記事はそのファンタジスタドールの主人公の鵜野うずめが2014年にセガから登場していたプライズ系フィギュアについて
簡単にレビューさせて頂き、
ファンタジスタドールで登場していたキャラの皆様をアミグリさんも2013年前後に集中して描かれていましたので、
アミグリさんが描かれたファンタジスタドールのキャラから4人を改めて転載&ご紹介をさせて頂きたいと思います。


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「ファンタジスタドール」は2013年夏に放映されていたアニメ作品です。

このアニメの概要を簡単に記すと・・・

中高一貫の聖悠学館に通うごく普通の中学生・鵜野うずめは、ふとしたことから正体不明の機械・ユークリッドデバイスを
手に入れ、ファンタジスタドールと呼ばれる少女たちのマスターに選ばれてしまい、
5人の個性的なドールたちと契約し、 さまざまな武器やコスチューム、特殊イベントのカードを組み合わせて
戦っていかねばならなくなります。
そうしたドールたちと共に戦い時には笑い合ったり喧嘩したりしながらうずめの成長とうずめとドールたちの絆を描いた
作品と言えると思いますし、
一言で概要を述べると、人化する謎のカードを巡って女子中学生達が戦うカードバトルアニメと言えると思います。

うずめの5人のドールとは、カティア・ささら・しめじ・小明・マドレーヌです。
(後述しますけど、アミグリさんが描かれたドールはカティア・しめじ・小明です)

うずめは小学生時代はTカード大会で優勝を重ね「タナセの白い稲妻」と呼ばれた強豪カードバトラーでもあったのですけど、
カードゲームがあまりにも強すぎて周囲から浮いてしまい、お友達を何人も失った事がトラウマとなり、
カティアちゃんたちと出会うまではカードゲームから遠ざかっていたという背景もあったりします。
性格はどちらかと言えば内気で、はっきりと拒否の意思を示せない気弱な面も多々あり、
小学生時代はともかく、中学生のうずめはちょっと頼りない普通のその辺にでもいそうな中学生という感じでもあります。

「ファンタジスタドール」のドールの皆様は基本的にはただのデータに過ぎず、
使用者には絶対服従であり、用が済んだら簡単に捨てられる運命にあり、
うずめと契約している5人のドールたちは全員一度はマスターから用済みとして捨てられた過去を持っていて、
その結果としてマスターに忠誠を誓うことは必ずしもベストな選択ではないという事をドールたちは骨の髄まで認識しています。
前述の通り、うずめは基本的には平均点以下の普通の女の子です。
ドールたちは、当初の頃はうずめを新しいマスターとして受け入れることができません。
そうした背景の中で、マスターとドールの関係は本来どうあるべきなのだろうか・・?
ドールにとっての本当の幸せとは何なのだろうか・・?という結構難しいテーマも内在していたような感じのアニメでも
あったりします。
ちなみにですけど、カティアちゃんたち5人のドールを手放し捨てた元のマスターとは清正小町であるのですけど、
この清正小町の真の意図とか物語の最終盤でのうずめと清正小町の最後のバトルについて語ってしまうと
本記事はいつまでたっても終わりそうにも無いのでここでは割愛をさせて頂きたいと思います。

そうそう、このアニメは内容としてはどちらかというとプリキュアを視聴している人たちを視聴ターゲットにしているような
感じでもあるのですけど、放映当時はなぜか深夜アニメ枠として放映されていましたので、
歴代プリキュアたちのように例えば日曜日の朝枠みたいな時間帯で放映されていれば、放映当時もっともっと注目されていた
作品になった可能性もあるだけにその点は勿体無いなぁと感じることもあったりします。

話をうずめのフィギュアに戻しますと、このうずめフィギュアの商品概要は下記の通りです。

商品名 : ファンタジスタドール プレミアムフィギュア / 鵜野うずめ

サイズ : 全高約19cm

付属品 : 台座

種類 : プライズ系 全1種

メーカー : セガ

発売時期 : 2014年1月

うずめの設定は普通の中学生と言う事でもありますので、フィギュアとしても特に大きな特徴も無い普通のかわいい
仕上がりになっています。
でもうずめに関してはそうした「普通っぽい」という感じが大きな特徴でもあり個性といえるのだと思います。


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東方や艦これフィギュアレビューだと「どうやってこのキャラの特徴を伝えようか・・?」と実は結構判断に迷ったりすることも
多々あるのですけど、このうずめはあまりにも普通過ぎて、そしてその普通らしいかわいらしさが最大の持ち味でも
ありますので、「普通でとにかくかわいい~!」と書いたらあとは書く事が無くなってしまうという
ある意味ブログ管理者としては管理者泣かせのフィギュアと言えるのかもしれないですね~

細かいことを指摘させて頂くと、チェックのスカートに実は塗り漏れが部分的に散見されたり、
塗装に部分的にムラがあったり、
はたまたお顔の目の視線の左右のバランスがちょっとよくない面があり、それがうずめの視線がなんとなく不安げに
泳いでいるのかも・・と感じさせてしまう要因にもなっている感じもあります。

だけどうずめのそうしたおどおどしているとか不安げという雰囲気はうずめの物語としての基本設定にほぼ沿うものでも
ありますので、もしかしたら原型デザイナー様としてはあえて左右の視線のバランスを崩しているという意図も
あるのかもしれないです。

全体的にはとにかく普通の中学生らしいおおらかな雰囲気がよく伝わってきますし、このかわいらしさは何とも言えないくらい
すてきなものがあると思います。


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うずめが手にしているカードはなぜか・・?? ちくわのカードです!

これは第2話の「策略」の中での、敵ドール3体+戦車に対して、うずめはささらとゴミカードのちくわだけという絶望的状況下で、
敵を狭路に入れて一直線上に並ばせる+ささらに遠距離攻撃と見せかけたトラップカード起爆の指示、および
ちくわ+拡大カード+三倍カード発動によって、巨大ちくわで敵ドール三体を一度に捕縛し逆転勝利したというエピソードに
基づいているのかもしれないです。


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うずめの後ろ姿です。

チェックのミニスカートに白のニーハイという事で、普通のフィギュアだったら「色っぽい~」という感じになりそうなのかも
しれないですけど、うずめは普通の中学生ですので、まだそうしたお色気要素は早いのかもしれないですね~


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全体的には不可もないけど大きなプラス材料も無い普通のとにかくかわいいプライズ系フィギュアという
感想になるのかもしれないですけど、
繰り返しになりますが、うずめの最大の持ち味はそうした普通の中学生らしいナチュラルなかわいらしさにありますので、
むしろそうした自然体としてのうずめのかわいらしさを最大限引き出しているようにも感じられます。

ファンタジスタドールはフィギュア化には正直あまり恵まれず、うずめとささらのみ商品化されただけなのですけど、
カティアちゃんは是非フィギュア化して欲しかったですね~!


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ここから先は既に恒例になっているのかもしれないのですけど、当ブログがいつも大変お世話になっている
dream fantasy の管理人様のアミグリさんが描かれた
過去作品のイラストのご紹介コーナーです!

今回ご紹介させて頂く作品は、いうまでもなく「ファンタジスタドール」に登場されるキャラの皆様たちです!

上記の作品はアミグリさんが2015年6月に描かれたあかり(小明)です。

小明を簡単にキャラ紹介させて頂きますと、
性格は無口で無愛想でどことなくとっつきにくいような雰囲気も有しています。
ゴスロリ好きのミリタリーマニアなんですけど、日常でも戦闘でも常に熊のぬいぐるみを付けているのは
やっぱり可愛い女の子のドールですよね!
武器はヨーヨーを主に使用しています。近接戦型が多いチーム内の貴重な中距離戦担当とも評する事が出来ると思います。

アミグリさんが描かれた小明は、クールビューティさが際立っていると思います!
他の多くの絵師様が描かれる小明は比較的ゴスロリ的要素を強調されていかにも絢爛豪華なドールをイメージされる
ような印象も見受けられるのですけど、
アミグリさんが描かれる小明は、華麗さの要素を抑えられて「知的な雰囲気」を意図されているような感じも
私の中ではあったりもします。

一見無口そうな雰囲気も持たせながら、熊のぬいぐるみとか頭の大き目な黒のリボン等でかわいらしさも演出し、
クールさと可愛らしさの相反する要素もアミグリさんとしてきちんと表現されている点は「さすがだなぁ・・」と
感じずにはいられないですね!

上記で触れたとおり、小明も元のマスターから「あなた達はもう不要」と宣告され、過去に一度捨てられた身でありまして、
小明自身もその点はいまだに納得いかない点も持っていると思いますし、
「本当に私は今回のマスターであるうずめを信頼していいのか・・!?」といった猜疑心を当初は持っていたと思います。
うずめは「ドールたちも私の同じ仲間」と考えていて、決して主従関係と考えていない点はかなり興味深いものがあります。
そうしたうずめの特殊性を背景にして、本来は「契約関係でドライ」なはずのマスターとドールの関係性を踏み越えて
マスターと仲良くなっていくドールたちの展開がこの「ファンタジスタドール」の流れでもある訳なのですけど、
小明自身は、そうした仲間達に複雑な感情を抱いていたものの、
実は小明自身の本心では「私もうずめの事が大好き!」という事でもありますので、
そうした点を鑑みて、改めてアミグリさんが描かれたこの小明を見てみると、華麗な外見とは別の不器用な内面も
ほのかに漂わせているようにも感じられます。


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続きまして、ファンタジスタドールのうずめの5人のドールたちの中ではカティアちゃんと同様に
妹キャラっぽい側面があるしめじです。

アミグリさんはこのしめじを2015年2月に描かれています。

このしめじについて簡単にキャラ概要を記させて頂きますと、
料理やお菓子作りが得意な妹タイプのドールでおしゃれ大好きのドールでもあります。
その戦闘スタイルは中々ハードでして、実は徒手格闘で戦うという実は(?)影の武闘派なのかもしれないです。
おっとりしているが、キレると誰よりも怖そうな雰囲気も実はあったりもします。
ピンクのロングヘアーと、制服とエプロンを組み合わせたような服が特徴とも言えるのですけど、
東方の霊夢や早苗さんを彷彿とさせる脇見せ」もあったりもします!

アミグリさんが描かれたこのしめじはとってもかわいいです!

上記の小明のクールビューティとは対照的に、しめじの場合は妹にしちゃいたいくらいのかわいらしさに溢れています。
他の絵師様がこのしめじを描かれる際の傾向として、どちらかというとロリッぼい雰囲気を強調されているのかも
しれないですけど、アミグリさんが描かれるしめじは、ロリっぽさよりもおねえさんっぽいというのか少しおとなびた雰囲気を
感じさせてくれていると思います。

しめじも上記の小明同様に
「自分がかつてマスターから捨てられたように、いつかうずめも私達を棄てるんじゃないのか・・?」みたいな疑いの目も
有していて当初はうずめに対しても本心から信頼することができなかったのですけど、
しめじのピンチから身を挺してしめじを助けようとしたうずめを見て、改めてマスターを信用しようと思い直した経緯も
ある訳なのですが、ネタバレになってしまいますのでこれ以上はなかなか書きにくいのですけど、
元のマスターの小町との経緯を振り返ってみると、
改めてこのアニメは、「マスターとドールの絆とは果たして何なのか?」という絆を問いかけた作品とも言えそうです。






続きまして、上記のイラストは、アミグリさんが2013年10月に描かれたファンタジスタドールのカティアちゃんです。

カティアちゃんのちびっこい雰囲気とか青の髪型・衣装がとてもかわいいです!
カティアちゃんは設定の上ではお菓子大好きドールなんですけど、お菓子そのもののかわいらしさに溢れていると思います!
ウィンクもとってもキュートな雰囲気に溢れていると思いますし、妹オーラに溢れていると思います。
袖口にもこもこのついた水色のワンピースがとてもよくお似合いですね~!
うずめの契約した5人のドールの中では一番年下のロリ枠ともいえそうですけど、アミグリさんの描かれたこのカティアちゃんは
ロリロリ感そのものだと思いますし、ごちうさのチノ同様、「今すぐ妹にしたいキャラ」そのものだと思います!

このイラストはアミグリさん自身も「カティアちゃんらしいカティアちゃんを描けた!」と大変お気に入りの一枚です。


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続きまして同じく「ファンタジスタドール」から鵜野みこちゃんです!

こちらの鵜野みこちゃんはアミグリさんが2013年9月に描かれた作品です。

みこは、鵜野うずめの妹で小学校3年生です。
うずめよりははるかに大人っぽくてしっかり者で、うずめを朝叩き起こしているのは、実はみこちゃんなのでした!
外出時に背負っているうさぎのリュックサックと、寝る際のうさぎのナイトキャップがとっても可愛いのが大変印象的です。

アミグリさんが描かれた鵜野みこちゃんはとってもかわいいです!

ロリ可愛い!という言葉がぴったりくると思います!
このツーサイドアップ気味の髪型とかうさぎのリュックとか全体が白のトーンの雰囲気は、かわいいうさぎちゃん!
というオーラに満ち溢れていると思います。
前述のカティアちゃんの可愛らしさに匹敵する可愛らしさに溢れていると思います。
ちなみにですけど、アニメの上でもこのカティアちゃんと鵜野みこちゃんはとっても仲がいいです!

2019年6月現在の「ピクシブ百科事典」で掲載されているこの「鵜野みこ」の記事ですけど、そのプロフィールイラストを
飾っているのが、アミグリさんが描かれたこのみこちゃんなのですっ!!

→ ピクシプ百科事典 みこちゃん

これは実は凄い話でありまして、pixivは数多くの絵師様・絵師様の素敵な卵の皆様が登録されている
イラストサイトなのですけど、その同系列のピクシプ百科事典内の該当項目記事のトップイラストは、当然ながら
そのpixivで登録されている数多くのイラストの中から選出されているのですが、
そうした中で、アミグリさんがみこの項目で選出されているという事は、いかにこのみこちゃんのイラストが
高い評価を受けている事の裏付けでもあると思います。

上記のアミグリさんが描かれたファンタジスタドールのキャラの権利は、こられの作品の絵師様である
アミグリさんに帰するものであり、当ブログにおける転載とご紹介は事前に全てアミグリさんからご了解を頂いたものであり、
アミグリさんからのご厚意で転載をさせて頂いておりますので、
無断お持ち帰りや無断コピーは絶対NGですので くれぐれも宜しくお願い申し上げます。

アミグリさん、本当にいつも素晴らしいイラストの転載を快諾して頂きありがとうございます!!

皆様の中で「こんなにかわいいカティアちゃんを描かれる方のブログってどんなもんなのだろう・・? 」などと興味がある方は、
是非是非アミグリさんのブログ dream fantasy  を
ご覧になって頂きたいと思いますし、宜しければ、当ブログだけではなくて、
是非アミグリさんの本家本元のブログ dream fantasy  に一度お越しして頂けると
アミグリさんのブログをご紹介させて頂いている私もとってもとっても嬉しいです!

それでは本記事を最後まで読んで頂きありがとうございました!
1986年の全日本吹奏楽コンクールの課題曲は4つの課題曲がそれぞれ全て内容的にも音楽的にも大変優れていて
課題曲としては類稀なる当たり年だったと思います。
課題曲が全て当たりと言う事は大変貴重であり、例えば1983年の課題曲はA~Cのいずれもが大変素晴らしい内容の曲で
あったのですけど、Dの「キューピッドのマーチ」が吹奏楽コンクール史上最悪の駄作の一つと大変悪名高く、
もしもあの年の課題曲Dが普通程度のマーチだったら、後世の評価としては「1983年の課題曲は全曲全て当たり年」と
言われていたのかもしれないです。
そして全ての課題曲が当たり年というのは、1986年以外では、1984年と1990年、そして1992年や2000年も大変名高いものが
あると思います。

1986年の全日本吹奏楽コンクールの課題曲は下記の4曲から構成されています。

A/吹奏楽のための変容

B/嗚呼!

C/吹奏楽のための序曲

D/コンサートマーチ「テイク・オフ」

とにかくこの年の課題曲はいずれの曲を選曲してもどの課題曲も一様に全て名曲揃いなので、どの課題曲を選曲するのかは、
選ぶ方も相当迷いはあったのかもしれないですし、この事態はむしろ嬉しい悲鳴と言えるのかもしれないです。
そのくらい、どの課題曲を選んでも文句なしという感じだったと思います。
ただ当時の私としては「課題曲Aの変容か課題曲Cの序曲のどちらかは演奏したい・・それがダメならせめてDのテイク・オフを
演奏したい」と感じていて、
Bの嗚呼!は胃がギリギリと痛みそうなあの精神的圧迫感を伴う劇的すぎる緊張感が、ちょっと苦手なのかも・・と感じていて
「Bの嗚呼!だけは出来れば回避したい」と思っていたものの、
私の大学の吹奏楽団は、結果的にB/嗚呼!を選曲してしまい、
私自身としては、A/吹奏楽のための変容かC/吹奏楽のための序曲を演奏したかったというのが偽らざる本音で
あったりもしますし、本音を書くと「正直一番吹きたくない課題曲が選曲されてしまった・・」という感じでもありました。

課題曲Aの吹奏楽のための変容ですけど、この曲出だしはクラリネットのソロから開始され、
そのソロから複数のメロディーが暗示され曲が展開されていく一種の変奏形式でもあるのですけど、
冒頭からしてミステリーみたいなものを感じさせますし、 曲自体が躁と鬱の起伏が非常に激しく
決して聴いていて楽しいという類の曲ではありませんし、むしろ少し悪趣味的要素の方が強いのかもしれないです。
この吹奏楽のための変容は、少々悪魔的な音楽が展開される瞬間瞬間の中で、時折なのですけどどこかホッと安らぎのある
場面も あったりするもので、 その妙な優しさと悪趣味的要素の両面性を楽しめる曲と言うことなのかも しれません。
アニメ風に表現すると、ツンデレみたいな曲でもあり、
主人公の女の子が普段はツンツンして面倒な言動ばかり見せているのに二人っきりになったりすると急にベタベタ甘えてくると
いった雰囲気もありそうです。

そして課題曲Cの間宮芳生先生の「吹奏楽のための序曲」も吹奏楽コンクール課題曲の歴史の中でも
大変な名曲の一つと言えると思います。
私自身、「マイベストコンクール課題曲を三つ挙げなさい」と言われると、現時点では
1981年課題曲B/ 東北地方の民謡によるコラージュ 1985年課題曲B / 波の見える風景 1987年課題曲A / 風紋と
言えるのだと思いますけど、このマイベストコンクール課題曲を15にまで増やすと、ここに入ってくるのは、
例えばフェリスタス・ディスコキッド・稲穂の波・胎動の時代など色々とありそうですけど、確実に入ってくるのは、
1986年課題曲Cの吹奏楽のための序曲と1990年の課題曲Cのマーチ「カタロニアの栄光」と
1994年の課題曲Ⅰの「ベリーを摘んだらダンスにしよう」だと思います。
そして上記の3曲はいずれも間宮芳生作曲ですので、私のマイベスト課題曲ベスト15にはなんと・・! 間宮先生の作品が
3曲もランクインすると言う事になります。
それだけ間宮先生の吹奏楽コンクール課題曲は名曲揃いで奥が深くて大変内容があるという事なのだと思います。

間宮芳生先生は日本のクラシック音楽界の重鎮の作曲家の先生で、世間一般的には
映画「火垂るの墓」の映画音楽も担当されていた事で名高いと思われます。
クラシック音楽作品としては、管弦楽のための二つのタブロー・チェロ協奏曲が代表作と思いますが、
吹奏楽作品として名高いのは、マーチ「カタロニアの栄光」と1986年の課題曲C/吹奏楽のための序曲と
1994年の課題曲Ⅰ/ ベリーを摘んだらダンスにしようの3つのコンクール課題曲だと思います。

「吹奏楽のための序曲」の演奏時間は5分~5分半程度のコンクール課題曲としては長めの曲と言えそうです。
この課題曲を自由曲との兼ね合いでタイムオーバー失格を恐れてなのか4分半程度に収めてしまう演奏も何度か
耳にしましたけど、どうしても違和感を感じてしまいます。
この曲にむしろ西洋的時間というか一分一秒といった正確な時を刻む感覚を求める方に無理がありそうで、
どちちらかというと和の感覚の時間というのか、間の取り方の不思議な感覚とか微妙に音楽的感覚をわざと取るとか
瞬間的にふっと・・音楽の流れを止めてしまうとか「ゆっとりとした時間の感覚」の方が求められているようにも感じられます。
それゆえこの曲はテンポを速めて演奏するよりは、どちらかというと枯れた感覚で終始ゆったりとした気分で演奏した方が
宜しいのかもしれないです。
冒頭から一分あたりまでが幾分活気あるアレグロである以外、残りほとんどは
ゆったりとした鄙びた音楽がたっぷりと日本情緒たっぷりに歌い上げられていきます。
こうした枯れた感覚とかゆったりとした鄙びた音楽というと、1980年の課題曲A / 吹奏楽のための花祭りもそうした傾向に
あるのかとは思うのですけど、花祭りの方は具体的な日本古来の地方のお祭りを具体的な感覚で表現した曲で
あるのに対して、1986年の「吹奏楽のための序曲」の方は、具体的な場面を描くというよりは。
「日本人にしかわからないわびさびの枯れた感覚」という抽象的というのか精神世界的な曲と言えるのかもしれないです。
この課題曲は、正直日本人以外には理解するのが少し難しいかもしれないです。
多分ですけど外国人の方がこの曲を聴いても「なんじゃ、このかったるい曲は・・」とお感じになるのかもしれないですし、
この曲を日本人以外の指揮者と奏者で演奏したとしたら、なんとなく無味乾燥な表情になるのかもしれないですし、
例えて言うと日本の伝統芸の「能」を西洋人が舞うという感覚に近いものがあるのかもしれないです。
日本人で無いとわからない何か独特の間、というのか郷愁」いうのか、鄙びた情景が感じられますし、この曲はそうした意味では
日本古来の文化の「雅楽」に近いものがあるのかもしれないです。

間宮先生の吹奏楽のための序曲は、冒頭から1分半程度アレグロというか活気のある音楽が展開され、一旦そこで
音楽の流れが止まり、ここから後は終始ゆったりとした音楽が展開されていきます。
そのゆったりとした部分はエスクラ(E♭クラリネット)とアルトサックスによる大変魅力的な鄙びたデュエットが展開され、
これにトランペットが加わっていきます。
途中鄙びたフルートソロが加わり、再度アルトサックスセクションによる歌が再現され、ラストは打楽器の一撃で終わりますが、
エスクラ+サックスのフレーズが終わるときなどに入ってくる雅楽の鈴が日本的と言うか鄙びた雰囲気を醸し出して
いると思います。
打楽器も決して華麗さは無いけど、シロフォーンの扱い方や雅楽の鈴の扱いは大変巧みで、これは名人芸の領域に
達しているのかもしれないです。
エスクラのあの高音域をヒステリックにならずにたっぷりと歌い上げる事は正直大変難しいと思われますけど、
当時の私はこの課題曲のクラリネットパートのパート譜をこっそりと持ち出しては、あのソロ的部分を
吹いていたものですけど、あの鄙びた感じ・枯れた感覚をしっとりと吹く事はかなり大変だった記憶があります。
大変なのだけど、コンクールに参加するならば吹いてみたい課題曲でもありました。

鈴というと、 マーラーの交響曲第4番「大いなる喜びへの賛歌」第一楽章の冒頭が大変有名で、マーラーの交響曲の方は
感覚的には天国・子供の無邪気さをイメージさせてくれますけど、 間宮先生の吹奏楽のための序曲の雅楽の鈴は
そうした西洋的な感覚ではなくて 昔の日本の村祭りみたいな素朴で鄙びた感じを感じさせてくれていると思います。
同じような楽器を使用しても、そこから感じられる違いというものは西洋人と日本人の感覚の違いなのかもしれないです。

この課題曲の名演としてよく挙げられているのが埼玉栄高校と神奈川大学であり、私もそれに関しては全く異論は
ないですけど、その他に挙げたいチームとしては習志野高校も推したいと思います。
翌年の「ダフニスとクロエ」第二組曲の時で感じたような恐ろしいほど洗練されたサウンドがこの課題曲でも十分発揮され、
美しさの幽玄の美学を存分に発揮した名演だと思います。
また変化球的な演奏かもしれないですけど、御影高校の隅から隅までコンクールを意識したような全てが誇張された表現
というのもこの曲本来の枯れた感覚からするとむしろ真逆の解釈かもしれないですけど、
ああした枯れてはいない演奏もまた一つのすてきな個性と感じたものでした。


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ちなみに上記が雅楽の鈴です。

現在でも、神社のお祭りの際に舞楽を上演する時など見かけることもあります。
響きはシャリシャリと涼しい音というか、どこかで聴いたような懐かしい響きがあります。

この雅楽の鈴をクラシック音楽、または吹奏楽で用いた例としては吹奏楽のための序曲以外では

〇1980年全日本吹奏楽コンクール課題曲A/吹奏楽のための「花祭り」

〇舞楽(黛敏郎)

などがあると思います・

今現在は既に解体されていてそうしたホール自体存在しないのですけど、かつて全国大会のステージでもあった普門館は
とてつもなく広かったと思います。
確かに5000人を収容できるホールなのですけど、普門館自体は立正佼成会の施設であり、決して音楽ホールではありません。
(カラヤンがベルリンフィルを引き連れて来日公演をされた際に使用したホールの一つでもあったりします)

5000人収容できるホールですのでとてつもない広さがあり、
私自身が初めて全国大会を聴くために普門館に来た時の最初の印象は、とにかくその広さに驚いたものです・
よく普門館フォルテという言葉を耳にしましたけど、あれだけ会場が広いと
ものすごい大音量で無いと会場の隅々まで音が届かないという勝手な誤解を生んでしまうのも分かるような気がします。
だけど実際はかなり小さい音でもホールの隅までよく響き渡り、
間宮先生の吹奏楽のための序曲で使用された雅楽の鈴もそれほど大きな音が出る楽器でないにも関わらずあのシャリシャリとした幽玄な音は一階後部座席までよく届いていたのが大変印象的でもありました。
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東方Projectの大きな特徴の一つとして、公式ゲーム・公式書籍でセリフがあり複数回以上複数作品で登場している
男性キャラは古道具屋「香霖堂」の店主の森近霖之助唯一人です!
艦これはよく「女の子の園」と言われたりもしていますけど(ま、艦これには、男性の提督がたくさんいますけどね~・・)
そうした意味においては東方Projectこそが正統派の「女の子の園」と言えるのかもしれないです。
東方に登場している人間・妖怪・妖獣・鬼・天狗・幽霊・亡霊・吸血鬼・妖精・河童・閻魔様・死神・仙人・天人等は
全員美少女またはすてきなお姉さまたちだけですので、
東方の絶対的創造神であるZUN神主様が「東方に登場している女の子・・? あれは全員少女たちだから・・」という言葉も
表面的には確かにそうなのかもしれないです。
但し、ゆかりん・永琳・ゆゆ様・白蓮さん・文ちゃん・八坂神奈子などは既に1000年以上生きているとてつもないご長寿キャラ
ですし、少なくとも「永琳やゆかりんは少女ではないよね~」とツッコミを入れたくもなってしまいます。
もしもですけど、ゆかりんに「少女では無い」とか「BBA」みたいな悪口を言ったとしたら、その瞬間にゆかりんから
スキマ送りの刑に処せられるのは間違いないのかもしれないです・・(汗)

東方Projectには公式ゲーム作品・公式書籍においては既にたくさんの美少女・すてきなお姉さまたちが登場しているのですが、
その中にあって時折なのですけど、セリフがあるのに名前が無いというちょっとかわいそうなキャラの皆様も
いたりもします。
紅魔館の大量の妖精メイドたち・旧地獄のゾンビ妖精や怨霊たちもいたりもするのですけど、
そうしたモブキャラとは別に、公式ゲームで作品中でボスを担当していたりセリフがあったりするのに気の毒な事に
名前すら付けられていなくて、そうした東方名無しキャラ達はほとんどが東方ファンからの通称とか愛称で呼ばれているのが
実態だったりもします。
そしてそうした通り名や愛称もあくまで正式名称ではありませんので、やはりそうした名無しキャラの皆様にも
「そろそろ名前ぐらいつけてあげて欲しいな~」と思ったりもします。
そうした名無しキャラは具体的には、大妖精・小悪魔・名無し本読み妖怪(朱鷺子)の3名が該当するものと思われます。

こうした名無しキャラは大妖精(通称は大ちゃんという呼び名がほぼ定着化しています)も
紅魔館の小悪魔(こぁという愛称もあったりします・・)もそうなのですけど、公式グッズはほとんど無くて、当然ながらフィギュアも
されていないキャラがほとんどです。
そうした中、公式書籍「東方香霖堂」内で登場する「名無しの本読み妖怪」(ファンからは朱鷺子という愛称で呼ばれています)は
なぜか知りませんけど、2017年にベルファインからまさかまさかの立体化、つまりはフィギュア商品化が実現されていて、
東方ファンをびっくり仰天させていたものでした!
というのも例えばミスティア・ローレライやレティさんやリグルといった東方古参キャラのフィギュア化がいまだに実現されて
いませんし、純狐・ヘカーティア様・ドレミー・サグメ・依神姉妹・正邪等の比較的最近のキャラの中でもフィギュア化が
まだ実現されていないキャラもたくさんいる中で、
「どうしてあの名無し本読み妖怪だけがいち早く立体化されるの~!?」と未フィギュア化のキャラの皆様からは
とてつもないやっかみを受けそうでもありますね~
後述しますけど、名無しの本読み妖怪(朱鷺子)は鳥の妖怪とも言えると思うのですけど、同じく鳥の妖怪で
いまだにフィギュア化が実現されていない東方でもかなりの古参キャラのミスティア・ローレライの本音としては
「面白くない」とか「なんであんな名無し妖怪よりも名前がちゃんとある私がフィギュア化されないの~!? 納得いかなーい!」と
いうのもあるのかもしれないですね~(汗・・)

さてさてその名無しの本読み妖怪(朱鷺子)は公式ゲームで登場した事は一度もありません。
(大妖精・小悪魔は公式ゲームでボスを務めていたりもします)
公式漫画でも「東方鈴奈庵」のセリフ無しの一コマにリリーホワイトと共に掲載されただけです。
そして今の所唯一の登場場面が公式書籍「東方香霖堂」でのとある一章の話の中です。
名無しの本読み妖怪(朱鷺子)が道端で楽しそうに本を読んでいたところ、通りすがりの霊夢に何となく不意打ちで攻撃されて
けちょんけちょんに退治され、持っていた3冊の本を全て奪われた可哀想な妖怪さんというお話でして、
霊夢を追って香霖堂を訪れて本を返すように迫るが、
その本は既に霊夢の服の修繕費+森近霖之助の服の貸付+ドアの修繕費として全て霖之助に売られていたというオチまで
ついていたりもします。
まったく・・霊夢のやんちゃ振りを示唆する話でもありますし、
「妖怪が近くにいるっぽい・・」と察知したらとにかく「やっつけろー」と妖怪退治に意気揚々となる霊夢の普段がよく表れている
一場面なのかもしれないですね。
似たような話としては、「東方茨歌仙」にて、霊夢の武器アイテムの一つである針がポロポロになっていたため、その新調に
博麗神社まで出向いてきた多々良小傘を「なんの用」と聞く前に既に小傘をフルボコにしてしまっていた霊夢の巫女無双ぶりも
あったりもします。

名無しの本読み妖怪(朱鷺子)が登場している公式書籍は「東方香霖堂」なのですけど、この東方香霖堂は
東方公式作品としては今の所唯一と思われる男性キャラが主人公を務めている作品でもあり、
古道具屋「香霖堂」の店主・森近霖之助をメインに据え、その周囲で起こる日常の出来事を描いた小説作品でもあります。
ちなみにこの東方香霖堂はさり気なくなのですけど、魔理沙の「霊夢は実は拾い子」発言があったり、
森近霖之助の「八雲紫は決して巫女を幻想郷から出さない」といった幻想郷の根幹を揺るがしかねない発言も
結構あったりして、「さすがZUN神主自らが執筆した作品は興味深い」と感じさせるものがあったと思います。
森近霖之助は、人間ではなくて、実は人間と妖怪のハーフなので人間よりケタ違いな寿命を持ち、
博麗大結界成立以前から生きていて、知識が豊富で博麗神社の由来なども知っているらしいという設定もあったりします。
当初、私自身の脳内妄想として「霊夢はもしかしたら森近霖之助とゆかりんの間に出来た子供なのかも・・!?」と妄想した時期も
ありましたけど、さすがにそれは違うと思いますね~
以前から書いている通り、私の中の脳内妄想では、霊夢は実は早苗さん同様に本来は外界出身で、博麗神社の
後継巫女候補としてゆかりんが生まれたばかりの霊夢をさらってきたと考えていたりもします。

余談ですけど、上記で出てきた名無しの本読み妖怪(朱鷺子)と森近霖之助と慧音先生は「森近一家」という
二次創作ネタが登場する事もあるようですね~
この三人は外見・内面に多数の共通点が見受けられる事からそうしたタグが付けられていたりもするようですけど、
その共通点とは具体的にどんな事なのかと言うと、

髪の色・・・白(銀)
服の色・・・青系統
種族・・・半人。霖之助は先天性の半妖、慧音は後天性の半獣。
趣味や性格・・・知識人(霖之助はうんちく好き、慧音は寺子屋の先生、名無しの本読み妖怪は大の本好き)

そのため、この3人はまるで親子みたい~という声も根強くあるようでもありますね~(笑)

そうそう名無しの本読み妖怪の大の本好き・読書好きというのは紅魔館のパチュリーさんとも共通点がありそうです!

名無しの本読み妖怪は上記で書いた通り、名前すらも無く公式ゲームの出演が皆無なのに、なぜかプライズ系でもなくて
メーカー正規品として東方フィギュア化された時には、正直東方ファンからも驚きと意外の声に満ち溢れていたような
印象もあります。

この名無しの本読み妖怪(朱鷺子)の立体化に当たっては、東方フィギュアを数多く手がける大人気原型師・i-con氏が
手がけたものであり、細部までこだわった丁寧な造形表現により、全高約16センチというサイズながらも
見ごたえのある仕上がりとなっていると思います。

霊夢に奪われてしまった3冊の本も付属しているのも粋な演出だと思います。

あたかも名無しの本読み妖怪が霊夢にたいして「私の本を返してもらうわよ!」と文句を言っていそうな雰囲気でもありそうです!


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全体的に羽の躍動感と「これから私は羽ばたく!」みたいな雰囲気がきっちりと表現されているのは素晴らしいと思います。
羽の躍動感というと同じく鳥が元ネタとなっている妖怪のミスティア・ローレライと近いようなものがあるのですけど、
ミスチーの場合はなんとなく「怖そう・・」という雰囲気も多少は感じられるのに対して、こちらの名無しの本読み妖怪は
「かわいいね~」という印象の方が強いようにも感じられます。

繊細な彩色も全体的にファンタジーを感じさせてくれていると思います。
キリッとした眉に赤い瞳など、気が強そうな表情に幼いこどものような柔らかなラインの輪郭があいまって
かわいらしさを見事に引き出しているようにも感じられます。

それにしてもこんな少し幼くてかわいい鳥の妖怪さんを問答無用でいきなり襲い本を三冊も奪うなんて、霊夢の
暴れっぷりもなかなかですね~

短い髪や、もみ上げ部分のしなやかな流れから後ろ頭のツンツンとした束感まで、きめ細かく精緻に表現されていると
思います。
頭の角や羽も丁寧に作りこまれています。ミスティア・ローレライがもしも立体化されたとしたら背中の羽の雰囲気も
こういう感じになるのかもしれないですね。
ミスチーもこの名無し本読み妖怪(朱鷺がモチーフ)も「鳥の妖怪」と言う事で、ゆゆ様から「食べちゃいたい!」と
狙われるのかもしれないですね~


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後ろ姿の名無しの本読み妖怪です。

青・白・黒のカラーリングの中、ファンの間での通称「朱鷺子」の元となった鮮やかな朱鷺色の羽が
やはりとっても目に止まりますし大変印象的です。

見方によっては燃え上がる炎のようにも見えてしまいそうですけど、炎=不死鳥という感じでは全くありませんし、
不死鳥というと妹紅のような孤高を連想してしまいそうですけど、そうした雰囲気は微塵も無く、純粋に普通にかわいい~と
いう事になるのだと思います。

特徴的な髪の色もきっちり再現されています。後ろから見てみると、髪型は実は四重構造になっているのがよくわかります。


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優しい笑顔もとてもかわいくて魅力的です。
このフィギュアのメーカーは3月にレビューした「かなり大人っぽい妖夢」を造型し商品化したベルファインなのですけど、
この名無しの本読み妖怪は、大人っぽいというのではなくて普通にかわいい~という事が妖夢との違いなのかも
しれないです。

めくれ上がった本のページに書かれた文字が再現されているという芸の細かさも見事だと思います。

改めてですけど、この名無しの本読み妖怪の商品概要を下記に記載させて頂きます。

商品名 : 本読み妖怪
•ABS&PVC製塗装済み完成品
•ノンスケール
•全高:約16センチ
•原型:i-con(藍色空色)
•彩色:920-3(藍色空色)
•発売元:ベルファイン
•価格:15,500円(税別)
•2017年6月発売

それにしても公式ゲームでも未登場のちょっとマイナーなキャラをこうやってメーカー正規品フィギュアとして大抜擢するとは、
ベルファインのそうした攻めの姿勢には心から共感しますね~!



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東方鳥系キャラというと、ミスティア・ローレライ、お空・文ちゃん・はたて、そしてこの名無しの本読み妖怪(朱鷺子)が
いるのですけど
(鳥ではなくて神霊みたいな存在ですけどサグメ様も片側に翼を有していますので、鳥に近いものがあるかもしれないです・・)
立体化されているのはお空・文ちゃん・名無しの本読み妖怪だけですので、
出来ればなんとかミスチーやはたても立体化の機会が与えられればとても嬉しいですね~!





ここから先は既に恒例になっているのかもしれないですけど、dream fantasy の管理人のアミグリさんの過去作品のご紹介コーナーです!

本記事は「名無しの本読み妖怪」という東方キャラの中でいまだに名前すら与えられていないキャラのフィギュアレビュー記事
でしたけど、関連する意味で今回はアミグリさんが過去に描かれた「東方名無し娘」の中から
紅魔館の小悪魔と大ちゃん(大妖精)の作品を転載&ご紹介をさせて頂きたいと思います。

上記の小悪魔はアミグリさんが2013年4月に描かれた作品です。

印象を一言で言うと、とにかくとってもキュートでかわいい!という事に尽きると思います。

アミグリさんが描かれたこの小悪魔は、色彩がとても鮮やかだと思います。
どうしてこんなにも鮮やかに感じるのかと言うと赤の長髪の真紅の雰囲気が大変カラフルで印象度が強いからのようにも
感じられます。
描かれた時期は2013年4月という事でこの時代はアミグリさんの作風史的には「淡い色彩の時代」の真っ只中で
あるのですけど、この小悪魔はそうした淡い色彩時代の中にあっては少し異例とも感じられるほど
逆に濃厚な色塗りでの仕上げとなっていて、そうした事も「鮮やかさ」という印象に繋がっているのだと思われます。

この赤い長髪がとてもよく似合っていると思います。
そしてぱっちりとしたこの赤眼がどことなく「意志の強さ」みたいなものを 感じさせてくれているとも思えます。
紅魔館のあの濃厚なキャラの人達ばかりですと、多少の意志の強さは無いととても持たないのかもしれないですね・・
この小悪魔は、美鈴同様に「紅魔館のすてきなお姉さま!」みたいな雰囲気がよく出ていると思います。
いつも眠たそうでボーーッとしていそうなパチュリーさんの忠実な図書館内の司書という雰囲気も伝わってきそうですね。
パチュリーさんが面倒くさがってやりそうもない大図書館内の本の整理整頓とか在庫管理は、この小悪魔が
きちんと的確にやっているような雰囲気もありそうですね~!


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続きましてもう一枚小悪魔なのですけど、上記の小悪魔はアミグリさんが2012年6月に描かれた作品です。

この小悪魔と2013年4月の小悪魔との違いが大変興味深いと思います。

2013年4月の小悪魔は、濃い色彩と赤髪の鮮やかさが大変印象的であり、ちょっと大人っぽい意志の強そうな
すてきなお姉さまとして小悪魔のように感じられるのに対して、2012年6月の小悪魔ちゃんは、
対照的にちょっと控えめで優しそうな雰囲気で全体的にこのふわ~っとした仕上がりがまるでフランちゃんみたいな妹のように
感じられますね!

このふわっとした柔らかいタッチが素晴らしいと思いますし、この淡くて儚いようなマイルドな色彩を見ると
「描かれた2012年はアミグリさんにとって淡い色彩全盛の時代だったなぁ・・」と改めて感じさせてくれるものが
あると思いました。

スカートのこのふんわり感が大好きですし、小悪魔のこの優しそうな眼差しに思わず吸い込まれてしまいそうな感覚に
なりそうです!
2012年の小悪魔はなんとなくですけど、紅魔館の図書館の司書というよりはどちらかというとメイドさんみたいな雰囲気も
宿している様な感じもあると思います。

2017年の「東方人気投票」においては「ベストパートナー部門」が設置されていて、この部門のランキング結果において
小悪魔-美鈴のカップリングや小悪魔-咲夜さんのカップリングは結構いい順位に入っていましたので、
公式でもそうした絡みがみられると嬉しいですね!
私の最大の希望は「フランちゃん-こいしちゃん」の東方最強妹コンビが何とか実現して貰う事でもあります~!


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ここから下記の3作品は、アミグリさんが描かれた東方名無し娘の代表格ともいえる大妖精(通称、大ちゃん)です!

実なのですけどアミグリさんが初めて描かれた東方作品は大妖精です!

アミグリさんにとっては大妖精と言うのは思い入れのあるキャラだと思いますし、同時に原点なのだとも思います!

大ちゃんは、公式としての立ち絵やセリフは一切無く、それどころか名前すら無いのですけど、
ゲーム内においては2面ポスとして登場はしていた事もありますし、チルノの遊び相手というイメージもすっかり定着
しているようですので、せめて名前くらいは付けてあげて欲しいものです。
そしてまさかの名無しの本読み妖怪がサプライズ的にメーカー正規品フィギュアとして発売されていたように、
大ちゃんもここまでの東方への貢献度と実績を考えると小悪魔とミスチーやレティさん共々なんとか
プライズ系でも構いませんので一度ぐらいはフィギュア化が実現して欲しいものであります!
大ちゃんは名無しキャラでいるのが勿体無いような魅力溢れるキャラだと思いますし、
強さという点だけでは、チルノよりは一歩劣るかもしれないですけど、
ポンコツでおバカさんなチルノとは対照的に常識的で大人っぽくて、チルノの保護者的な存在というイメージは
既に定着しているのかもしれないです。

上記のイラストは2012年8月に描かれた「水着大ちゃん」です!

この水着大ちゃんは、アナログの線画で、塗り方もエアブラシとぼかしで塗られたとの事で、
いつものアミグリさんの塗り方と少し変化を付けられているとの事です。

アミグリさんが描かれたこの水着大ちゃんはチルノを優しく見守っているという大人のお姉さんという側面が感じられますし、
このやさしそうな雰囲気にもうっとりとさせられそうです。
しっとりとした大ちゃんという雰囲気も漂っていると思いますし、
チルノと一緒に楽しく湖で水遊びをしているようでもあり、それをまるで保護者のように優しく見守っているという
雰囲気もあり、大ちゃんのどことなくアンニュイな雰囲気が 夏のだるい午後を演出しているようにも感じられます。

大ちゃんのおへそもとってもキュートだと思います!


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続きましてアミグリさんが2013年7月に描かれた大ちゃんです!

アミグリさんが描かれた大ちゃんはサイドテール・緑の髪やふわっとしてとってもかわいいと思いますし、
微笑を浮かべながらも目をつぶって「はーい、チルノちゃん元気にしている~?」みたいな様子でチルノの姉的存在としての
このおおらかで優しそうな雰囲気は滲み出ていると感じられます。
青のふわっとしたスカートとかフリルのかわいらしさとか大ちゃんらしいキューティーさがストレートに伝わってきていると
感じられます。

大ちゃんのスカートのフリルもかなり手が込んでいるように感じられ、その精緻さが素晴らしいと思います。
スカートの皺の表現も見事だと思います。


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続きましてアミグリさんがご自身のpixiv登録10周年を記念して描かれた2018年6月末に描かれた大ちゃんです!

この大ちゃんは、上記の2作品の大ちゃん以上におとなっぽいしっとりとした雰囲気がそこはかとなく伝わっていると思います。
お姉さんという雰囲気でもありますし、東方のすてきなレディという高貴な雰囲気すら感じますし、
どちらかというと同じ妖精種族なのですけど、チルノの保護者みたいな眼差しも伝わってきますね~!
慈愛と言うのかチルノを優しく見守っているといった雰囲気も感じられます。
そしてこの細かい精緻極まりないフリルも圧巻の完成度だと思います。
まるでどこかの国のプリンセスといった美しさすら感じてしまったものでした。

このフリフリいっぱいの大ちゃんを描かれるのは本当に大変だったと思うのですけど、結果的に
pixiv登録10周年というアミグリさん自身のお祝い記事を飾るのにこれほど相応しい作品は無いのではないか・・!?という
見事な作品として完成されていたのは称賛に値するものがあると思います。

上記のアミグリさんが描かれた小悪魔と大ちゃんの権利は全て上記作品の絵師様であるアミグリさんに帰するものであり、
当ブログにおける転載とご紹介は事前に全てアミグリさんからご了解を頂いたものであり、
アミグリさんからのご厚意で転載をさせて頂いておりますので、
無断お持ち帰りや無断コピーは絶対NGですので くれぐれも宜しくお願い申し上げます。

アミグリさん、本当にいつも素晴らしいイラストの転載を了解して頂きありがとうございます!!

皆様の中で「こんなにかわいい大ちゃんを描く人のブログってどんなもんなのだろう・・? 」などと興味がある方は、
是非是非アミグリさんのブログ dream fantasy  を
ご覧になって頂きたいと思いますし、宜しければ、当ブログだけではなくて、
是非アミグリさんの本家本元のブログ dream fantasy  に一度お越しして頂けると
アミグリさんのブログをご紹介させて頂いている私もとってもとっても嬉しいです!

アミグリさんが定期的に作品を投稿され続けている →アミグリさんのpixiv にも是非一度足を運んで頂ければ幸いです!

アミグリさんのpixiv

それでは本記事を最後までご覧頂きありがとうございました!

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