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プロフィール

ぬくぬく先生 

Author:ぬくぬく先生 
開設当時は、1980年代吹奏楽コンクールの花輪・秋田南・就実・仁賀保・屋代等の素晴らしい演奏を後世に少しでも伝える事が出来ればいいなと思ってこのブログを始めたのですけど、いつのまにか「東方Project」がメインになってしまいました・・・
最近は「艦これ」も大好きです!!
吹奏楽も東方も自分が感じた事を少しでも後世の方に受け継がれるべきものが残せればいいかな・・と思っています。
ちなみに、「大好きプリキュア四天王」は、ドリーム・メロディ・ハッピー・ラブリーです。
ドリームとメロディは自分の中では既に殿堂入り状態ですけど、
現在はラブリー大好き!!のラブリー一辺倒です!!
リアル社会では、建築関係のクレーム&アフター責任者を専従し、毎日毎日クレーム対応に当たる日々です。
裏の顔は東方と吹奏楽とクラシック音楽一辺倒です・・・
特に特に大好きな作品は・・・プリキュア5とスイートとハピネスチャージです!!
ちなみに、奥様は・・・ミルキィローズとセーラームーン好きの管理人以上のおこちゃまです・・・
東方で大好きなキャラは、とにかく大好きキャラがてんこ盛りで、全員大好き!という感じなのですけど、特に、さとり様・ゆかりん(紫様)・早苗さん・こいしちゃん・アリスはお気に入りです!!
吹奏楽では・・ネリベルの「二つの交響的断章」と「アンティフォナーレ」、スパークの「ドラゴンの年」、リードの「オセロ」と第二組曲「ラティーノ・メキシカーナ」、パーシケッティーの「仮面舞踏会」、C・スミスの「ダンス・フォラトゥーラ」などが死ぬほど好きで、クラシック音楽では、ウォルトンの交響曲第1番と矢代秋雄の交響曲、プロコフィエフの交響曲第5番、アーノルドの交響曲第2番、第4番、ショスタコの交響曲第7番「レニングラード」、マーラーの交響曲第3番「夏の朝の夢」、ハンソンの交響曲第2番「ロマンティック」、ストラヴィンスキーの「火の鳥」、ベルクの「ヴァイオリン協奏曲」、ラフマニノフの「交響的舞曲」などが大好きです!!
クラシック音楽を吹奏楽にアレンジし、そのコンクールヴァージョンの演奏としては・・・
1982年の就実高校の「幻想舞曲集」と
1987年の習志野高校の「ダフニスとクロエ」第二組曲の演奏、そして、
1987年の雄新中の「エルザの大聖堂への厳かな行列」が
まさに私の「原点」です。
最後に・・・
私の吹奏楽との関わりの真の意味での「原点」は・・・
1979年の市立川口高校の神がかり名演としか言いようがない
「二つの交響的断章」に尽きると思います!!


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本日、5月14日は「こいしちゃんの日」です!

こいしちゃん・・古明地こいしの今現在は東方の屋台骨を霊夢・魔理沙・咲夜さん・妖夢などと共に支えている
最重要キャラの一人であることは厳然たる事実であり既に定着化した話であり、
それを象徴しているが2015年東方人気投票において、あの不動の霊夢と魔理沙を抑えて1位になった事でもあると
思います。
(2019年の東方人気投票でこいしちゃんがまさか妖夢に敗れて4位になってしまった事はとてつもないサプライズでありました!)

そうした今現在では東方の大人気キャラのこいしちゃんも、初期の頃は、椛やキスメ等のの不遇キャラではないにせよ、
さとり様ーこいしちゃんという古明地姉妹が初めて東方の世界に 初登場した「東方地霊殿」においては、
東方ファンの人気は、お姉さんのさとり様に集中してしまい、こいしちゃんの初期の頃の東方人気投票ランキングは
35位という大変微妙な位置であり、今現在の視点で見ると「絶対にありえない低評価」という事になっていたと思います。

こいしちゃんの初登場作品は「東方地霊殿」なのですけど、あの作品の中では、さとり様は地霊殿の主であるのに
なぜか4面ボスでしたし、こいしちゃんはEXステージボスというラスボス扱いなのに、なぜか東方ファンの注目は
さとり様に集まっていて、あの頃のこいしちゃんの存在感の希薄さは今では到底信じられないほどです。
こいしちゃんの元々の設定は、サードアイを閉じた事で、他人の心を読み取れることはできなくなった代わりに、
誰からもこいしちゃんという存在を認識されないという驚異のステルス能力を得ることは出来たのですけど、
これって誰からもその存在に気づいて貰えず誰からもスルー状態にあったという事でもあるので、東方キャラとしては
大変絡みづらい側面が色濃くあり、それが今ではありえない低評価に繋がっていたのかもしれないです。
(あんなにかわいい外見をされているのに誰からも気づいて貰えないなんて哀しい立ち位置だったのかもしれないです・・)

こいしちゃんは、東方心綺楼と東方深秘録の二つの作品でもって飛躍的なステップアップを果たし、
それ以前のどちらかというと日陰者みたいな扱いのキャラから一気に日の当たるポジションへと大変な躍進を果たしました!
椛やキスメやリグルなどといった公式作品ではほとんど出番が無いし、ZUN神主から冷遇されていると言われ続けている
キャラたちだって、椛・リグルなどを元から好きだった人はちゃんと見ているし、決してその存在を忘れたりは
しないし、そうやって不遇の時代(?)を耐え忍んでいれば、
いつかはそうやって「花開く時代がやってくる」と言えるのかもしれないですし、
こいしちゃんは典型的なそうした不遇時代を乗り越えて花咲かせたキャラと言えそうですし、
そうした意味ではこいしちゃんは不遇キャラの花的な存在と言えるのかもしれないです。

こいしちゃんに限らず、人と言うものは何かほんのちょっとした「一つのきっかけ」で劇的にチェンジ出来る事を東方的に
すてきに示唆したキャラがこいしちゃんですし。
こいしちゃんは秦こころの「希望の面」を偶然拾った事で、急速にこいしちゃん自身の道が開けてきて
突然何の前触れもなくある日突然とてつもない大きな変化が飛び込んできたのですけど、
こういう事って私達の日常生活・学校・仕事でも意外と潜んでいる事なのかもしれないです。

私自身、2001年前後の頃のように、金融機関→住宅という異業種への転職を果たした際に、
右も左もわからずやたら焦って力んでしまい業績不振を招くとという負の連鎖を繰り返していた際に、
当時の住宅展示場の所長から
「お前の真剣な取り組みは皆が分かっているから、そんなに気を張らずにもっと楽な気持ちで顧客に当たったらどうだ?」
というたった一言で、気持ちがすーーーーっと楽になり、それまでの成績不振が信じられないほど、
その後は順調に業績好調になっていったとか色々あったものですけど、
こいしちゃんの突然の途方もない大飛躍の話ではないですけど、人間と言うものはどんな不遇の時でもあきらめては
ダメなのかもしれないです。
思いがけないチャンスとか何の脈絡もない突然のすてきな途方もないビッグチャンスは
絶対的にいつも常に発生するという訳では無いのですけど、どんな人にだって可能性を皆それぞれ秘めているという事は
あるのかもしれないですし、
そうしたチャンスを掴みとったのがこいしちゃんと言えるのかもしれないです。

上記で「東方地霊殿」の話が出てきましたので、ここでほんの少しばかり、東方地霊殿のEXステージに
触れさせて頂きたいと思います。
以前の当ブログで霊夢とゆかりんがコンビを組んだEXステージのvsこいしちゃんモードをレビューさせて頂いたことが
ありましたので、今回は魔理沙とアリスがコンビを組んだEXステージでのvsこいしちゃんモードの
振り返りをさせて頂きたいと思います。

こいし:強ーい! こりゃお姉ちゃんが負けるのも無理はないわ。
魔理沙:余裕で撃破だぜ!
アリス:(本当に余裕だったのかなー?)
こいし:付き合ってくれてありがとう! 生け捕りは出来なかったけど、話の種にはなりそうだわ。
魔理沙:あ、そうだお前、さとりの妹って事は……そう、そのなんだ。お前もやっぱり心を読んだりするのか?
こいし:ううん、もう閉ざしちゃったわ。私の第三の眼。
魔理沙:第三の眼?
こいし:人の心を見抜く第三の眼。あんなものがあるからお姉ちゃんは弱いのよ。
     私は、人の心を読めるから無意識に負けるって事に気付いたわ。
     だから、私は心を読まないの。ううん、読めなくなった、かな。
魔理沙:よく判らんが安心したぜ。
アリス:(勿体ないわねぇ。そんな力があれば余裕で人間を支配できるのに)
こいし:そんな甘くはないわ。有意は無意に敵わないの。
     生物は考えている事だけで行動してる訳じゃない。意識と無意識の両方で行動しているのよ。
     心が読めると無意識の行動が見えなくなるの。
魔理沙:ふーんそうかい。ま、体も温まったし神奈子達も見つからんし、そろそろおいとまするか。
アリス:(あらら? 用事は良いの?)
魔理沙:山の神と地底の間で何があったのか、それを調べるのは霊夢がやってくれるさ。後で聞けばいいや。
アリス:(なんて他力本願。後で私が一人で調べようかしら?)
魔理沙:それよりも重大な事に気付いているか?
アリス:(……? 何よ)
魔理沙:今、神社はもぬけの殻なんだ。あさるなら今だぜ。
こいし:あら、泥棒はいけない事よ?

こいしちゃんとしては、「お姉ちゃんみたいに哀しい思いをするくらいなら、私は最初から心を閉じて、
相手の心を読み取る能力自体を封印した方がよっぽとマシ・・・
そう! 私はこの瞬間に心を閉じてしまおう!! 心を棄ててしまおう!!」と悟ったのかもしれないですし、
そこからくるのが上記のバトルでのこいしちゃんの「有意は無意に敵わない」という発言に繋がっているのかもしれないです。
こいしちゃんとしては、無為の心・・つまり 「心を棄ててしまおう」と決意した事で、開き直りを見せてくれ、
結果的に吹っ切れるものがあったのかもしれないですし、
言葉は悪いのかもしれないけど一つのぶっ壊れキャラとして、フランちゃん同様に東方の大人気キャラへと
定着した理由になっているのかもしれないです。

魔理沙とアリスがコンビを組んだEXステージでのvsこいしちゃんモードにおけるアリスの少しばかり醒めたクールな
雰囲気もすてきなものがありますし、アリスはこいしちゃんの無意識を操る程度の能力について
「勿体ないわねぇ。そんな力があれば余裕で人間を支配できるのに」と評価していたのも、クールなアリスらしい
話なのかもしれないです。

このバトルが終わった際に魔理沙は
「現在の守矢神社には、早苗・神奈子・諏訪子も(霊夢にやっつけられて)いないから、この隙に神社のお宝を
盗んでいこうぜ~!」と実に魔理沙らしいことをいってアリスをあきれさせているのですけど、
そうした魔理沙にこいしちゃんは「泥棒はいけない事よ」と諭していたりもします。
だけど後日こいしちゃんは、偶然拾った秦こころの希望のお面を身に付けた事で、こいしちゃんの心に
喜びの感情や誰かに注目される事で得られる快感の感情を体感してしまい、秦こころから「私のお面を返せ~!」と懇願
されても「私が拾ったものなのだからこれは私のモノ!」と言っていましたので、
魔理沙に対してのあの言葉は「おまえがいうな~!?」という感じなのかもしれないですね~(笑)

ご紹介が大変遅くなりましたけど(汗・・)、冒頭の「ぴーす☆」と題されたこいしちゃんはdream fantasy のアミグリさんが2014年7月に描かれた作品です。

アミグリさんは、霊夢・魔理沙・妖夢・チルノ・咲夜さん・ルーミア・レミリア様などすでにたくさんの素晴らしい東方作品を
描かれてきているのですけど、その中でも特に、フランちゃんとこいしちゃんは、
「アミグリさんの最大のライフワークと言えるのではないのか!?」と感じさせるような名作が揃っていて、
このフランちゃん・こいしちゃんは、アミグリさんの一つの「傑作の森」ではないかと感じることも多々あります。

この「ぴーす☆」はとにかく天使みたいにかわいらしいこいしちゃんだと思います!
幻想郷のすてきな妹様!みたいな雰囲気を宿らせていると思いますし、こんなにもかわいい妹が幻想郷を放浪している
のだとしたら実姉のさとり様が日々心配されているのも当然の話なのだと思います。
靴下のフリルのこの細かい仕上がりとか髪の毛のふわふわとした感じとか微笑んだ表情での少し控えめ気味なピースサイン
など全体的にとても上品で繊細な仕上がりだと思います。
こいしちゃんというとバスガイドさんみたいなあの可愛い帽子もとっても印象的なのですけど、
アミグリさんが描かれた帽子もとってもよくこいしちゃんに似合っていると思います。

この天使のようなふわふわかわいらしさが最大限発揮されたこいしちゃんだと思います!

それでは下記に5作品ほど、dream fantasy
アミグリさんが描かれたこいしちゃんを転載&ご紹介をさせて頂きたいと思います。


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上記のこいしちゃんはアミグリさんが2011年5月に描かれたこいしちゃんなのですけど、
この作品はある意味記念碑的な作品でもあると思います。
2011年5月のこいしちゃんイラストが 実は「アミグリさんにとっての初こいしちゃん描き」でもあります!
とてもとても初描きとは思えない素晴らしい仕上がりだと思いますし。
この当時からアミグリさんの「こいしちゃん愛」は既に秘められていたのかもしれないです。

このイラストはアミグリさんにとっては「最古のこいしちゃん」という事になりますけど、初々しさと同時に
既にこの頃より今現在の「アミグリさんが描かれたこいしちゃんのあの素晴らしい完成度」への輝かしい第一歩という
ことなのだと思います。

こいしちゃんがブレイクしたのは2013年の東方心綺楼なのですけど、
その2年前からこんなにもかわいいこいしちゃんを描かれていたという事は、アミグリさんの「こいしちゃん愛」の深さも
感じることも出来ますよね!


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続きましてアミグリさんが2017年1月に描かれたこいしちゃんです。

このこいしちゃんはキラキラ感がとっても素晴らしいと思います!
こいしちゃん自身が「東方心綺楼」で見せてくれたいい意味で開き直ったような吹っ切れたような感じの明るさが
この一枚のこいしちゃんイラストに どっかーーん!と詰まっているような感じが伝わってきているように感じられます。
「てへっ・・」みたいな 舌をペロッ・・と出しているこいしちゃんのお茶目さとチャーミングさに魅了されそうですね~!

とっても可愛いくてこのキラキラした輝きがたまらない魅力を放っていると思います。


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続きましてアミグリさんが2014年の「こいしちゃんの日」に描かれた「巫女こいしちゃん」です!

巫女のこいしちゃん=みこいしですけど、巫女さんコスプレのこいしちゃんを描かれた東方絵師様って私が知る限りでは
今の所はdream fantasyのアミグリさんだけです!
「こいしちゃんに巫女服を着せてみよう!」と思いがけない発想をされる事自体とても素晴らしいと思うのですけど、
単に思い浮かんだだけではなくて、こうやって一枚の絵として見事に具現化出来てしまう事に
アミグリさんの偉大さがあるのだと思います!

こいしちゃんって元々がとてつもなくかわいいキャラなのですけど、
白衣のナース・バスガイドさん・ウェディング・セーラー服・ブレザー制服・剣士・チアガールなどなど
どんなコスチュームを着せてもよく似合いそうみたいな雰囲気を持っていると思います!!
こいしちゃんって基本的には自由奔放で、あっちへフラフラこっちへフラフラと放浪している妖怪さんでもありますので、
誰とでも絡みやすいしどんな場所にでも顔を出しやすいという特典があるのだと思います。
その辺りは、地霊殿という一つの場所に閉じこもったきり外に出てこないお姉さんのさとり様との対照性が極めて
面白いと思います。
そうしたこいしちゃんの自由さは、アミグリさんが創造されたこの「巫女こいし」のコスチュームとも大変相性がいいと
思われますし、幻想郷内をフラフラと散策している間に辿り着いたのが霊夢のいる博麗神社なのかもしれないですし、
この時霊夢が身に纏っていた紅白の巫女服を「かわいい~! わたしもあんなかわいい巫女服を着てみたい!」と思って
巫女服をこいしちゃん流にアレンジして着てしまったといえるのかもしれないですね。

「東方茨歌仙」での「道を誤る巫女」の回における霊夢の巫女さんコスチュームをウキウキ気分で身にまとった
茨木華扇も素晴らしかったですけど、それと同じくらい
この巫女さんコスプレをしているアミグリさんが描かれたこいしちゃんは最高だと思います!

やっぱり、こいしちゃんはどんな衣装を着てもよくお似合いだと思いますね!!

こいしちゃんが霊夢のトレードマークのあの大きなリボンを付けても全く違和感がありませんし、
全体的に「緑と白」を基調にした雰囲気は、 「緑の巫女」とも言えるあの早苗さんみたいな雰囲気も感じられ、
見れば見るほど「こいしちゃんは可愛いよなぁ・・!」と叫びたい気持ちで一杯ですね!
普段被っている帽子をかぶらないで、霊夢のようなでっかいリボンを髪飾りとして付けているのがとても新鮮に
感じられたりもします。


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続きまして、アミグリさんが2017年5月に描かれた「和風メイドのこいしちゃん」です!

この和風メイドのこいしちゃんですけど、いかにも秋葉原のメイドさんカフェにいそうな雰囲気のメイドさんの衣装を
単にコスプレ衣装としてこいしちゃんに着せてしまったという感じではなくて、
アミグリさんとしての創意工夫とか「どうすればメイドさん衣装がこいしちゃんにも似合うように見せることが出来るのか」
という事をよく考えられ練りに練ったこいしちゃんと言えるのではないかと改めて感じます。
「エプロン」というと、東方で例えると咲夜さん・魔理沙・レティさんみたいにやはり「洋」というイメージが大変強かったようにも
思っていたのですけど、この和風メイドのこいしちゃんを見てしまうと
「和をイメージさせるコスチュームにエプロンもこいしちゃんにも全然いけてるじゃん!!」と感じさせてくれていると思います。

こいしちゃんは元々が大変可愛い上に、こうしたメイドさんらしい白のエプロンとかカチューシャを施してしまうと
かわいらしさが更に更にアップしてきますよね!
こいしちゃんの普段の衣装をこんな素敵なメイドさん衣装に仕立て上げてしまったアミグリさんの感性も
お見事だと思います!
そして特に「面白いなぁ・・」と感じた点は、こいしちゃんがいつも頭に被っている帽子はこいしちゃんの一つの
トレードマークみたいなものなのですけど、
この和風メイドのこいしちゃんは「勤務中・・??」という事もあり、帽子は頭にすっぽり被らないで
髪の飾りみたいにちょこんと小さな髪飾り見たくなっているのがとてもユニークだと思いました。
こいしちゃんが手に持っているバフェもとっても美味しそうだと思います!


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続きまして、アミグリさんが2018年10月に描かれたこいしちゃんです。

アミグリさんが描かれたこのこいしちゃんはとってもかわいいと思いますし、東方地霊殿以降最近の東方憑依華の
過程の中での吹っ切れたこいしちゃんだと思いますし、このこいしちゃんは「希望の象徴」なのだと思います。
今まで誰からもその存在を認められなかったこいしちゃんが一つの事をきっかけに一気に東方屈指の人気キャラへと
昇り詰めていったような勢いと明るさがとにかく全面に出た素晴らしいこいしちゃんだと思います。
アミグリさんはこれまでも何度もこいしちゃんを描かれていますけど、どのこいしちゃんからも
アミグリさんのすてきな「こいしちゃん愛」が伝わってきますし、
上記の作品もそうなのですけど、過去のどのこいしちゃん作品を見ても、そこから感じ取れることは
「アミグリさんは本当にこいしちゃんが大好きなんだな~!」という事なのだと思います。

スカートのデザイン・ふわりとしたウェーブの髪型・チラリと拝見する事が出来たこいしちゃんの生足にこの笑顔!
「やっぱりこいしちゃんは幻想郷のすてきな妹だな~!」と
感じさせるものが大きいと思います。
そして上記のこいしちゃんにはアミグリさんの作品としては珍しいことに背景が意図的に描かれていません。
背景が無いことでむしろこいしちゃんの存在感やかわいらしさが引き立っているようにも感じられます。

上記のアミグリさんが描かれたこいしちゃんの権利は、こいしちゃんの作品の絵師様であるアミグリさんに帰するものであり
当ブログにおける転載とご紹介は事前に全てアミグリさんからご了解を頂いたものであり、
アミグリさんからのご厚意で転載をさせて頂いておりますので、
無断お持ち帰りや無断コピーは絶対NGですので くれぐれも宜しくお願い申し上げます。

アミグリさん、本当にいつも素敵なイラストの転載を快諾して頂きありがとうございます!!

皆様の中で「こんなにかわいいこいしちゃんを描かれる方のブログってどんなもんなのだろう・・? 」と興味がある方は、
是非是非アミグリさんのブログ dream fantasy  を
ご覧になって頂きたいと思いますし、 宜しければ、当ブログだけではなくて、
是非アミグリさんの本家本元のブログ dream fantasy  に一度お越しして頂けると
アミグリさんのブログをご紹介させて頂いている私もとってもとっても嬉しいです!

アミグリさんが定期的に作品を投稿され続けている →アミグリさんのpixiv にも是非一度足を運んで頂ければ幸いです!

アミグリさんのpixiv

それでは本記事を最後までご覧頂きありがとうございました!
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ロシアの作曲家の作風は、プロコフィエフ・ショスタコーヴィッチ・チャイコフスキー等に代表されるように
「極端から極端へ」と作品の幅の広さは底なし沼のように深い気もします。
当ブログでもよく書いている事ですけど、例えばプロコフィエフも若い頃は例えば、交響曲第2~3番、スキタイ組曲、道化師等
かなりグロテスクで悪趣味極まりない曲を作曲したのかと思えば、ロシア復帰以降は、シンデレラ・ロメオとジュリエット・
ピーターと狼、交響曲第7番・戦争ソナタなどのように大変分かりやすくて親しみやすい曲を作曲していますし、
その最晩年は交響曲第7番「青春」というまるで幼少期を回顧するかのような甘いメロドラマのような曲を残し、
特に交響曲第2番と5番と7番が同じ作曲者であるとは到底思えないようなほどの違いというのか、
その作風の落差の大きさには唖然とさせられるものがあったりもします。
それはショスタコーヴィッチも似たような側面があり、「20世紀最大の名作交響曲」と誉れ高い交響曲第5番「革命」も
その一つ前のシンフォニーの交響曲第4番のまるでマーラーとシェーンベルクを足して二で割ったとした言いようがない
とてつもなく難解で抽象的な作品であった事を考えると、やはりその振り子の幅の大きさには呆然とするしかない・・という
感じなのだと思います。

そうしたロシア人作曲の作風のとてつもない変化という観点ではストラヴィンスキーの右に出る者はいないのかもしれないです。

ストラヴィンスキーは、火の鳥・ペトルーシュカ・春の祭典という三大バレエ作品でもって音楽史に名を残すことになり、
特にペトルーシュカの複調と春の祭典の野蛮極まりない原始主義(バーバリズム)は音楽史の上でも
光り輝くものが間違いなくあると思われます。

バレエ音楽「春の祭典」の初演時には、音楽史上最大級とも言える賛否両論の怒号が飛び交う大スキャンダルが
発生したと伝えられますが、確かに20世紀初頭のパリの聴衆の皆様にとっては、この精緻なリズムと音色ととてつもなく野蛮な
大音響が交錯する記念碑的な作品と初めて接した時には、確かに困惑と衝撃以外の何物でもなかったのかもしれないです。
21世紀の感覚で聴くと、インパクトという意味では今現在聴くと、「それほど驚くべきほどの音楽では無い」等色々な意見は
あると思いますし、当時ほどの新鮮さはないかもしれませんが、
後世に何かメモリアル的なものを残したという意味ではその意義は大きなものがあると言えるのだと思います。
ファゴットの最高音域の音で始まる出だしからして新鮮と異端さが混在したものもないのかもしれないです。
この曲は、「リズム感・躍動感・人間の本能としての生への意識というものが曲の隅から隅まで伝わってきていると思います。
CDで聴いても生で聴いても、その迫力・躍動感にはただただ脱帽するしかないと思います。
生で聴いてみると分るのですが、春の祭典はそれ程多種多様な打楽器を使用している訳ではありません。
ティンバニ・大太鼓・シンバル・ドラ・タンバリン・ギロ程度です。
管楽器も確かに大規模編成ですが、特に目立つ特殊楽器は使用していません。
それでもあれほどの圧倒的サウンドを出せるのですから、オーケストラは究極のシンセサイザーと言えるのかもしれないです。

この「春の祭典」は、もしかしたら、ハチャトゥーリアンの交響曲第3番「シンフォニーポエム」と同じように、人生に対して
暗さ・厭世観・絶望しか感じ取れない人たちには是非一度は聴いて欲しい曲なのかもしれないです。
春の祭典は、人間の本能から「とにかくどんなことがあっても生きろ!」というメッセージが伝わってきそうですし、
シンフォニーポエムは「明るい! そうだ! 全てが明るい!!」というウルトラ超前向きなメッセージとか伝わってきませんし、
とにかくあの大音響をボリュームいっぱい聴きまくれば、
「そのうちなにかいい事が起きるのかも・・それまでは出来る限りしっかりと生き抜こう!」という意欲が自然と湧き起こるのかも
しれないです。

そうした大音響と複雑で精緻極まりない「春の祭典」なのですけど、ストラヴィンスキー自体は、もしかしたらなのですけど
「こうした春の祭典みたいな路線は聴衆からもすぐに飽きられてしまうと予想されるし、二番煎じの曲もたくさん
出てくるだろう・・
その前に自分自身も春の祭典とは異なる路線をスタートさせないと、すぐにクラシック音楽界からは飽きられてしまう」という
想いもあったのかもしれないですし、
「春の祭典はあれはあれで一つの頂点なのだけど、ああいう路線を生涯貫き通すのは無理かもしれないし、
そろそろ何か新しい作風で新しい作曲家人生をスタートさせてみたい」という気持ちもあったのかもしれないです。

そして春の祭典からわずか7年後の1920年に作曲されたバレエ音楽「プルチネルラ」でもってストラヴィンスキーは、
春の祭典に代表される原始主義路線から一転して新古典主義音楽へと転換を果たします。
ちなみに新古典主義とは、簡潔に言うと、18世紀の音楽の旋律と形式をそのまま使いながら、
新しい管弦楽法で音楽に新しい命を吹き込んだ音楽的路線を指すものであり、
従来のドイツの正統派の形式を重視した重厚な音楽でもないし、過度なロマンでもないし、
ドビュッシーやラヴェル等の印象派とも少し違うし、ストラヴィンスキーの原始主義とはかなりかけ離れたものでもありました。
ストラヴィンスキーの新古典主義は第二次世界大戦後の1950年代まで長期間続いていくのですけど、
晩年にはそうした新古典主義すらも超越したストラヴィンスキー独自の十二音技法に辿りついたりと、
その生涯においての作風の変化は凄まじいものがあり、ストラヴィンスキーがよく100の顔を持つ作曲家とかカメレオンと揶揄
されるのも作風の変化の唐突さと激しさがあるのかもしれないです。

ストラヴィンスキーが春の祭典という原始主義を乗り越えて新古典主義という新しい作風に突入していったのは
1920年頃のバレエ音楽「プルチネルラ」なのですけど、 バレエ音楽「カルタ遊び」はストラヴィンスキーの新古典主義が
絶頂期の頃の作品と言えるのかもしれないです。

私自身、このバレエ音楽「カルタ遊び」を初めて聴いた時には既に春の祭典・火の鳥・ペトルーシュカの一連のあの
三大バレエ音楽を聴いていた後でしたので、「春の祭典」の過激さが見る影も無く後退し、
そのシンプルさに驚いたものです。
作曲家の作風ってここまで劇的に変化するものなのだと初めて実感した瞬間でもありました。
(後述しますけど、私自身が初めて「カルタ遊び」を聴いた演奏と言うのは、例によって吹奏楽コンクールでして、
1978年の玉川学園高等部の自由曲の演奏がそうでした)

最初に「カルタ遊び」というタイトルを耳にした時、「カルタ」というと、どうしても日本人の習性として
お正月に遊ぶあのカード遊び、すなわち「犬も歩けば棒に当たる」なんていうことわざカード遊びみたいなものを
思わず連想してしまうのですけど
ストラヴィンスキーが意図した「カルタ遊び」というのは、ポーカーゲーム、つまりトランプの事なのです。

これって邦訳ミスなのかもしれないですね。

カルタ遊びなんてタイトルを付けてしまうと、私のように「犬も歩けば」を連想してしまう人続出なような気もしますけどね(汗)

この曲の管弦楽の原曲を初めてCDで聴いたのは、サロネン指揮/フィルハーモニア管弦楽団でした。
火の鳥のカップリング曲として収録されていましたし、後年のネーメ・ヤルヴィもこの曲をchandosで録音していました。

前述の通り「カルタ遊び」という曲を初めて耳にしたのは、実は管弦楽版ではなくて吹奏楽アレンジ版としてでした。
1978年の玉川学園高等部が全国大会の自由曲として演奏したものでしたけど、
まさかこんな地味な曲を吹奏楽で演奏するなんて今では考えられない話なのかもしれないです。
この曲を吹奏楽コンクールで演奏したのは玉川学園が多分最初で最後だと思います。

1978年の玉川学園のカルタ遊」は、今現在の感覚で聴くと大変興味深いものがあります。
曲の内容があまりにも地味すぎるという事もあり、この曲のチャームポイントはどこにあるのかな・・?と考えながら聴くと
それはそれで面白い聴き方もできると思います。
レコードでこの演奏を聴くと分かるのですけど、曲自体あんまり盛り上がりませんし、
別にドラマも葛藤も強奏も派手にどっかーーんと盛り上がる部分はほぼ皆無です。
どちらかと言うと「洒落っ気」を小粋に楽しむという感じの演奏だと思います。
玉川学園が演奏したのは第3ラウンドですけど、原曲で使用される打楽器はティンパニと大太鼓のみです。
玉川学園も打楽器はそれ程使用していませんし、金管も比較的大変巧みにコントロールされています。
木管はべらぼうに上手いですね!!
こうした聴かせどころが大変難しい曲をこれだけ音楽的に仕上げられるというのは、実は大変難しい事だと思うのですけど、
そうした難しさを全然難しいとも感じさせずに、どちらかというとあっさりめにと感じさせるくらい
楽に聴かせるのが上手いとも感じたものですし、
何よりも地味な曲をここまで音楽の内容として立派に表現されていたのは今現在の感覚で聴いても驚きしかないです。

玉川学園高等部は、前年度と前々年度はドビュッシーの「三つの夜想曲」とラヴェルの「ダフニスとクロエ」第二組曲といった
王道的なフランス音楽を自由曲に選び、
この年の翌年と翌々年はコープランドの「戸外の序曲」とリードのアルメニアンダンスパートⅡといった
吹奏楽オリジナル作品を絢爛豪華に響かせていました。
考えてみると、1976年~80年の5年連続金賞演奏の中で、
最初の二年間は上品さと気品さをテーマにし、最後の二年間は若さとエネルギー爆発をテーマにしていたようにも
聴こえるのですけど、
その中間にあたる1978年の演奏がこうした地味で粋な曲というのも全体の中では「シンメトリー」みたいな印象もあり、
興味深く感じたものでした。

余談ですけど1980年の玉川学園のリードのアルメニアンダンスパートⅡ~Ⅲ.ロリからの歌のあの凄まじいテンポの速さは
本当に圧巻の仕上がりでした!
この曲の演奏はカットされて演奏される事が多いのですけど、一切カットをしないで、一気に駆け抜けていったあの快速感は
今現在聴いても惚れ惚れするものがあります。
冒頭が大変重厚で重苦しい雰囲気なのですけど、農民の嘆きみたいな雰囲気を 十分に伝えていてとても素晴らしかったです。
アレグロに入ると、とにかく速い、速い、速い・・・!! だけど速いのだけど音楽自体は崩壊していないし、
適度な緊張感もキープしていますし、
1979年の尼崎西のような「煽りまくった猪が突進するような演奏」ではない所がすごいと思います。
この年の玉川学園のサウンドの透明さ・音の洗練さはまさに「一つの極限」に達していて
あんなにテンポを速めに設定し飛ばしに飛ばしていても少しも「煩い!!」と感じる事はなく
サウンドがとても美しく響いているものですから、逆に「洗練された印象」すら与えてしまいます。
そうそう、自由曲全体を通してシロフォーンの硬質な響きが実にいい味を出していると思いますし、
シロフォーンの硬質な甲高い響きが曲全体の中で大変見事なアクセント効果を出していたと思います。
そして中間部のしっとりとした歌いかたが大変素晴らしく感涙ものです!
あのしっとりとした「お涙ちょうだい・・」というしっとりとした抒情的な演奏は、前半の壮絶なスピード感との対比という意味で
大変斬新で鮮やかなものがあったと思います。
中間部のクラリネットの美しい音色は、とてもこの世のものとは思えないはかなさもありましたし、同時に
色気も感じられ本当に「美的限界」を超えた演奏だと思います。
中間部の最後を締めくくるホルンの二重奏も大変素晴らしかったです。
玉川学園高等部がすごいのが、ここから先があまりにも超絶的演奏のオンパレードという点でありまして、
「演奏者たちは本当に人間なのか・・!?」というとてつもない世界を普門館の聴衆たちに聴かせていました。
ラストに向けての追い込みがとにかくお見事だったと思います!
こういうエネルギッシュな演奏は往々にして後半息切れというパターンが多い中、パワー不足とか息切れという現象は全く無く、
中間部でしっかりと金管セクションが休んでエネルギーを充当し、再度後半の追い込みで
エネルギーを大爆発させてくれていたのだと思います。
後半のホルンの雄叫びもほぼ完璧に決まっていましたのは圧巻です!
トロンボーンのあの強奏状態での 「はもりの美しさ」は、本当に「伝説の名演」に相応しいと思います。
最後まで一直線で何の迷いもためらいもなくひたむきに駆け抜けてくれた素晴らしい自由曲だったと思いますし、
5年連続ゴールド金賞のラストを飾るのに相応しい演奏を聴かせてくれたと思います。

話をバレエ音楽「カルタ遊び」に戻させて頂きますと、バレエ自体は大変ユニークなものがあると思います。

このバレエの副題が「三回勝負のバレエ」となっているように
第一ラウンドから第三ラウンドまでの計三回に渡るポーカーゲームをバレエとして表現したものです。
バレエの踊り手は、ご丁寧な事に、それぞれがトランプの模様の衣装を身に付けて踊り、
トランプの札として描かれている事に最大の特徴があると思います。
最後は、ポーカーゲームの胴元というか、ディーラーの巨大な手によって全てのコイン・カードが運び去られて
終わりというのもいかにも賭けらしいお話でありユニークなものを感じさせてくれますね。

この曲は下記の三楽章(三ラウンド)から構成されています。

第1ラウンド

1.序奏
2.パ・ダクシオン
3.ジョーカーの踊り - ストリンジェンド
4.ワルツ

第2ラウンド

1.序奏
2.ハートとスペードの行進曲
3.クィーンの5つのヴァリアシオンとコーダ
4.行進曲
5.一同の踊り

第3ラウンド

1.序奏
2.ワルツ
3.スペードとハートの戦い
4.結尾/ハートの勝利

このバレエ音楽は三ラウンド共に、「序奏」で開始されるのですけど
これは三ラウンド共に、基本的には同じメロディーによる序奏です。

例えて言うと、ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」の「ブロムナード」に少し構成が似ています。

展覧会の絵も、曲と曲の間には「プロムナード」の主題が繰り返し使われていましたけど
カルタ遊びも序奏の部分は繰り返し同じメロディーが流れます。

この曲の一番の聴きどころは第三ラウンドだと思います。

この部分では、ドリーブの「コッペリア」とかロッシーニの「セビリアの理髪師」がかなり分かり易い形で引用されていて
とっても楽しいし、ストラヴィンスキーのいたずら心が冴えわたっているといった印象があります。

昭和の頃には、ゲーセンとかでよくポーカーのゲーム機が置かれていましたけど、
最近はゲーセンすら段々と廃れつつある時代になっていると思いますし、こうしたゲーム自体。ゲーセンではなくて
自宅や電車内でスマホまたはPCで楽しむ時代というのも時代の変化なのかもしれないですね。

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