
本日より新しい日本の元号の「令和」が始まります。
長かった昭和の激動の時代、瞬間的な栄華と20年近い失われた停滞の日々の平成とという時代が幕をおろし、
名実ともに新しい時代が開始されるという事なのだと思います。
昨日は「さようなら、平成」といった記事を簡単に書かさせて頂きましたので、本日はそれに呼応するように
「いらっしゃいませ、令和の時代」というお祝い記事をごく簡単に書かさせて頂き、
明日から再び通常モードに戻らさせて頂きたいと思います。
私自身、バブル期の社会人デビュー、そしてバブル崩壊と長期間の不景気、
そして通算三度に渡る勤務していた会社の破綻と倒産、解散(うち2社は上場企業ですけどね・・・)を経験しましたし、
その後において、中小企業、ベンチャー企業とある意味多彩な勤務経験をさせて頂く事が出来ましたけど、
その中で強く感じることがあります。
「どうして経営者というものは、己の会社を大きくする事ばかり考え、
ひたすら売り上げ増という量の拡大ばかりを目指すのか?
なぜ会社を守るというか維持する事を考えないのか・
なぜひたすら毎年毎年、前年比いくら売り上げが伸びたのかという事しか考えないのか・・?」という事でもあります。
そんな事言うと「それが資本主義社会のロジックなんだから仕方ないじゃん」という事になるのは百も承知はしていますが、
今後の世界全体の不安定化・高齢化・隣国との関係の不安定化、人口減少、
若者の購買意欲低下という事が原因である「パイの縮小化」が簡単に予想できるのに、
なぜ相変わらず量の拡大ばかり追い続けるのか、
会社・社員、ひいては国民を守るという発想がどうして起きないものなのなのか?とふと考える事もあったりもします。
それだったら日本と言う狭い国土に囚われずに海外へ打ってでればいいじゃんという発想も確かに一理あります。
海外へ出る=予測困難なリスクを背負う事でもありますし、それが本当にベストな選択なのかな・・?とも感じてしまいます。
狭い国土を有効に活用しつつ国民全体の幸せを守るという事ができないものかと令和最初の日にふと思ったりもしますし、
平成で最も大きな問題になってしまった課題の一つが「昭和の時代では予想もできなかった貧富の差の拡大」であり、
換言すると格差社会の本格的な到来という事なのかもしれないです。
とあるアニメ作品の冒頭のナレーションでは、何度か
「一つのリンゴを分け合う民は祝福され、次の果実へと導かれ
一つのリンゴを分け合えぬ民は裁かれ、やがて無に帰すであろう」というワードが流されていましたけど
これは単なるアニメ作品のセリフというよりもむしろ令和の時代の課題なのかもしれないと感じたりもします。
今現在において、日本・・否! 全世界、地球上で起きている様々な問題点(特に貧富の格差の拡大)は、
理想論で語ってしまうとC4DQ「リンゴの理屈」でほとんどの部分が解決できるような感じもしたりもします。
それが出来ないのはなぜなのでしょうか・・?
「国家」という概念に囚われすぎているせいなのか・・・
自国のみの「利益」だけに囚われすぎているせいなのか・・・
国内の一部のほんの一握りの「富裕層」の考えのみが国家の考えになってしまっているせいなのか・・・
それは正直よく分かりません。
地球上に存在するいかなるモノは、特定の国家・個人のものではない、地球の民全員のモノであるといつた価値観が
地球の民全員に共有できればそれだけで大部変わってくるようにも思えたりもします。
(それは究極の理想論というのはよく分かってはおります・・汗・・)
それが出来ないのは、世界で複雑に絡み合った利害関係の為せる業なのかもしれないです。
平成の時代において、「昭和の頃のような高度成長時代はもはや望みようがない」という事をむしろ政府の共通認識として
とらえる必要があったのかもしれないですし、国民全員がそのように認識する必要性があったのに、
それが必ずしも伝わり切れないでいて、昭和の頃のような高度成長の夢物語の再来を平成の時代において
バブルがとっくに破綻していたにも関わらず信じ切っていたのが平成の時代の大きな落とし穴だったと総括できるのかも
しれないです。
令和の時代の日本は、人口減少⇒高齢化社会⇒現役世代の減少⇒世代間格差の拡大と
親からの資産を元々有する「富めるもの」と親からの資産が期待できない「貧しいもの」の
極端な二極分化という事は間違いなく予想され、
数少ない富裕層と高齢世帯にだけ「購入」を期待しての景気拡大策という事自体限界があるのだと思えます。
そろそろ物質的な豊かさという事よりも
「負担」をどうやって公平に担当してもらうのか、どうすれば「公平」な配分が出来るのかに
シフトした政策を国家全体で考えるべき時なのだと思ったりもします。
日本はもはや「成長国」ではありません。それがスタートラインと言うか大前提なのかもしれません。
日本は「成熟国」の領域に入っていますしもそれは企業も地域社会も国家も大体同じ事なのかもしれません。
限られた財源をいかに公平に配分するのか 、
富める者たちからいかに不公平感を少なくして、貧しいものへと分配し、
それが結果的に「働いても怠けても収入は同じ」という社会の不公平感と閉塞感を起こさせないようにすべきなのか
そして、いかに国家「支出を削減し、国家の支出を最低限のものにとどめさせるのか
増税とか行政サービスの削減といった負担をいかに国民全員が納得して 受け入れさせるべきものなのか
こうした矛盾に満ちた政策をどう交通整理させるのか
そろそろ真剣に考えるべき時期なのかもしれないですし、それが令和の時代の課題と言えるのかもしれないです。
一言でまとめると、令和の時代は、低成長の中での一人一人「個」としての幸せをどのように見出していくのかという事なのかも
しれないです。
さてさて、令和の最初の日からそんな固い事言うのもなんですし、うちのブログらしくない(?)話でもありますので、
本記事の最後は、確かに不安とたくさんの課題を付きつけられて「大丈夫かな・・?」という不安漂う令和の時代でも
あるのですけど、
そうした不安の感情に対しては不安を持って対処し危機感を共通の意識として持つことも大事なのかもしれないですけど、
人は生きる上では「希望・ハッピー」という感情を持って生きていった方がより人間らしいのかもしれないです。
そうした希望・ハッピーを象徴させる
dream fantasyの
アミグリさんが描かれたイラストでもって本記事を締めさせて頂き、
上記で令和のはじまりというおめでたい日にかなりネガティブで後ろ向きな事を書かせて頂いた反動として、
アミグリさんが描かれた希望・幸せ・喜びをイメージさせるオリジナルイラストを是非ぜひ皆様に
ご覧頂ければ幸いです。
冒頭の「happy」とタイトルが連れられたアミグリさんが2013年5月に描かれたオリジナルのウェディングの女の子は、
希望と幸せのシンボルなのだと思います。
この女の子のハッピーな気持ちがストレートに一直線にやさしく伝わってきていて、
その幸せ感についついもらい泣きしてしまいそうな素晴らしい一枚だと思います。
女の子とウェディングドレスとの相性は最高の組合せの一つと思えますし、ウェディングドレスは女の子にとっては
「永遠の憧れの象徴」といえるのだと思いますし、そこには希望という言葉が一番しっくりのかもしれないですね!
アミグリさんのオリジナル作品はこうやって見ている私達に「希望という心の灯り」を灯してくださっているようにも
感じられると思いますし、
こうやって見ている人達をすてきな前向きな気持ちにさせてくれるというのは本当に素晴らしいことだと思います!
本日より令和の時代が始まり、皆様におかれましても皆さま一人一人の心の中にそれぞれすてきな希望があると思いますが、
希望という灯りを消す事なく、すてきな希望の灯りを令和の時代でも灯し続けることが出来ればとてもありがたいです。

上記の作品は、アミグリさんが2013年3月に「春ガール」とタイトルを付けられたオリジナルのアナログ作品です。
(塗りは色鉛筆によるものです)
この「春ガール」はアミグリさんが3月に描かれたというせいもあるかとは思うのですけど、イラストの至る所から「春」を
すてきに伝えていると思います。
そして女の子の若草色のチョッキやピンクトーンの髪型はすてきな春の色遣いなのだと思います。
東方式に表現すると、リリーホワイトの「春ですよー」をイメージさせたイラストといっても
差し支えは無いほど「春満開」を見事に私たちに伝えていると感じられます。
風にたなびく長髪の髪や春に相応しい新緑をイメージさせるようなモスグリーンのチョッキの雰囲気や
桜を彷彿させる少女の淡いピンク色の髪とか背景のピンク色の花びらなど
至る所に「小さな春」が散らばっているかのようなすてきな作品だと思います。
この作品は、長い不況と困難の時代でもあった平成に対する告別と令和という新しい時代へのすてきな息吹と
言えるのかもしれないです。

最後にもう一枚・・アミグリさんが2016年2月に描かれたオリジナルの女の子です。
ポニーテールがとっても可愛いし、全体的にこの淡い色彩感が2013年頃のアミグリさん自身のタッチを彷彿とさせて
くれますし、この淡い色彩からにじみ出る優しさがとっても素敵だと思います!!
そしてこの優しさという雰囲気こそが、ギスギスした格差社会で生じかねない対立や紛争の火種を緩和させる
一番の薬なのかもしれないですし、そうした「相手を温かく認め合い受け入れる」という最も難しい課題に対する
対処法である事を示唆しているようにも感じたものでした。
令和の時代が何年続くかは予想もできないですし、私自身が令和の次の時代も生き続けているという保証は全く
ないのですけど、とにかく令和の時代もアミグリさんのイラストが示唆するように
常に意識のどこかに希望とハッピー感を忘れずに臨んでいきたいものでもあります。
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